ゴジラシリーズ全作品レビュー7 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)
1966年12月公開のゴジラシリーズ7作目です。
本多猪四郎監督から福田純監督に交代し、音楽も佐藤勝氏に代わったことから作品テイストがこれまでと全く違ったものになっています。
それはそれで構わないのですが、本作ではゴジラに対する「愛」がまるで感じられないのが問題です。
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』

<あらすじ>
行方不明の兄を探す良太、ノリのいい大学生市野と仁田、そして金庫破りの強盗犯の吉村の4人はひょんなことからヨットで南に向けて旅をすることになってしまった。
大嵐のなか出現したエビラによってヨットは大破し、命からがら4人は南海の孤島に漂着する。
そこでインファント島出身の少女ダヨと出会い、この島が秘密組織「赤イ竹」の爆弾製造所であることを知らされた。
洞窟の深くに眠っていたゴジラを発見した市野たちは、雷を利用してゴジラを目覚めさせて囚われている大勢のインファント島の住民を解放しようと計画する。

この作品は1972年夏の「東宝チャンピオンまつり」で短縮版を観たのが最初でした。
当時私は小学二年生で、ゴジラとエビラの岩石の打ち合いの場面がとても楽かったことを憶えています。
「ゴジラ1983復活フェスティバル」にライナップされていなかったこともあり、全長版を劇場で観たことは一度もありません。
しかし、大学生にもなるとこの作品の評価は知っていましたので無理に観たいとも思いませんでした。
全長版を観たのはかなり後になってからで、全長版ノートリミングビデオが出た時(1990年前後)ではなかったでしょうか。
【ゴジラと007】
そもそもこの企画はゴジラ映画としてではなく、キングコングの新作としてスタートしたものでした。
企画時のタイトルは『ロビンソン・クルーソー作戦 キングコング対エビラ』。
東宝がキングコングの権利を手に入れた時、5年分の使用権があったことで「作らにゃ損だ」とばかり企画されたのでしょう。
ところがアメリカ側が内容とスタッフ構成に難色を示したため、急きょ主役をゴジラに置き換えてそのまま制作されたものです。
私は、ロビンソン・クルーソーというよりは当時大ヒットしていた『007』シリーズの影響が大きかったのではないかと感じています。
前年(1965年)の興行収入トップが『007/ゴルドフィンガー』だったこともありましたし、さらに翌年の『007は二度死ぬ』のボンドガールに若林瑛子さんと浜美枝さんが抜擢されたという経緯もあります。
これらの事は、製作時期から考えても決して無関係ではなかったはずです。
ストーリー展開は『007』そのものです。
例えば、この映画のストーリーの骨子として「南の島に秘密結社の基地があり、島の住民が拉致されて重労働を強いられている。」というシチュエーションがあります。
アクション映画では、敵の火薬庫に火をつけて騒ぎを起こした隙に仲間や住民を救出するという基本プロットがありますが、この火薬庫をゴジラに置き換えてみるとそのまま『南海の大決闘』のストーリーになることがお分かりでしょう。
ビジュアルについても、「赤イ竹」の水上警備艇や基地内のデザインは『007』映画に出てきそうなイメージですし、クライマックスの爆発へのカウントダウンも『ゴールドフィンガー』で7秒前(007)で止めるというのがありました。
いくつかのご都合主義的な展開に目をつむって観てみれば、俳優さんの軽妙な演技や随所に散りばめられたユーモアによって結構楽しい映画になってはいます。
しかし、制作者の関心は007的な部分にばかり向いており、ゴジラたち怪獣はその道具としてしか扱われていません。
ゴジラ映画にスパイアクションを取り込むのでは無く、アクション映画の道具としてゴジラを利用したに過ぎないことから、当然怪獣たちに対する愛も畏怖も敬意も無い作品になってしまいました。
【登場人物】

金庫破りの強盗犯、吉村(演:宝田明)。
鍵を見るとムズムズして、集中すると核融合炉の扉まで開けてしまうというマンガみたいな技能の持ち主です。
それに加えて、
「長年警察から逃げ延びてきたことによる勘の良さ」
「状況変化に合わせての柔軟な行動」
「浪花節に弱い」
といった特性を合わせ持つ吉村は、『ゴジラ』+『007』をイメージしたこの作品の主人公にピッタリのキャラクターです。

宝田明さんがゴジラ映画で初めて生き生きと主役を楽しんでいます。
以前のゴジラ映画出演作では、ストーリーの案内役的キャラクターばかりだったため個人的な活躍が描かれることはありませんでした。
今回は市野と仁田がその役を担っているせいか、宝田さんがのびのびと演じていてしかもチームのリーダー格になっています。
特撮映画の兄貴分として後輩の俳優たちを引っ張っているようにも見えます。
(もっとも仁田役の砂塚秀夫さんは宝田さんより年上でしたが・・・)

ダヨ役の水野久美さんは、前作『怪獣大戦争』で妖艶なX星人の女スパイ・波川を演じていました。
他にも『マタンゴ』など、特撮映画にあって男性との肉体関係も匂わせる大人のオンナ役の印象が強い女優さんです。
当時29歳だったその水野さんが、19歳のインファント島の無垢な少女役を演じています
これはもう、人妻が女子中学生を演じるくらい無理があるキャスティングです。


当初は、当時19歳だった高橋紀子さんがダヨを演じるはずでした。
特撮映画では前年の『フランケンシュタイン対地底怪獣』にチョイ役で出ていただけでしたが、『ウルトラQ』第23話「南海の怒り」でダヨに似た役で出演していました。
キャスティングはその影響があってのことかも知れません。

高橋紀子をダヨ役として途中まで撮影進行していましたが、彼女が急病のため途中降板になってしまい水野久美を代役として撮り直すことになりました。
写真は出演当時のスチールですが、こうして見ると確かに体調が悪そうな表情をしています。
高橋さんは1970年の『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』にも出演する予定でしたが結婚・引退のためそちらも降板となり、結果として特撮映画には縁が無かった女優さんでした。

小美人がザ・ピーナッツからペア・バンビに交代しています。
同じ小美人とはいえ、彼女たちは以前日本にやってきた二人(ザ・ピーナッツ)とは別の個体と考えましょう。
ザ・ピーナッツが降板してしまったため急きょパクリの双子歌手を引っ張り出してきたものと思っていたのですが、意外にもペア・バンビの芸歴は古くて実はザ・ピーナッツより先輩だったということです。
【ゴジラの扱い】


元々がキングコングを想定して書かれた脚本ですから、ゴジラの扱いにはおかしなところが多いです。
人間の女性(ダヨ)に対して色気づいたり、落雷で目覚めるといったところはまさにキングコングのためのシチュエーションです。
ゴジラに合わせて書き直すとか現場で工夫するとか出来なかったものでしょうか。
ゴジラの擬人化については前作の「シェー」ですでに取り返しがつかなくなっていましたが、今作ではさらに開き直って当時の流行を柔軟に取り入れています。
若大将の鼻をこするポーズを真似をしてみせたり、グループ・サウンズのブームを受けて戦うゴジラの足さばきがエレキ・ギターの軽快な楽曲にあわせて踊っているような見せ方をしています。
かつて日本の街や工業地帯を情け容赦なく蹂躙したあの面影はもはや微塵も感じられません。
『若大将』ポーズについては、この年の春に公開された『アルプスの若大将』が『怪獣大戦争』より遥かに興行成績が良かったことから同じ東宝作品同士でコラボレーションを図ったものと思われます。
その甲斐(?)あってか『南海の大決闘』の配給収入は前作を大きく上回りました。


スケール感はまるで違いますが、ゴジラは前作『怪獣大戦争』と同じく人間に利用されるだけの存在になり下がっています。
以下はラストで島に置き去りにしたゴジラに対するセリフです。
ダヨ 「ゴジラ可哀そうですね」
吉村 「奴も悪気があったわけじゃないからな」
市野 「悪気どころかかえって俺たちの味方になってくれたよ」
自衛隊や科学者でもない、一般(?)市民の彼らにさえいいように使われて最後は同情までされてしまいます。
シリーズ全作品中で一番情けないゴジラ像です。
これが愛嬌のあるキングコングならまだマシだったかも知れませんが、ゴジラに代えた以上はここのセリフだけでも考え直すべきでした。
【特撮】

扱いもさることながら、ゴジラの造形もかなり変です。
常に上目使いのため前方を見るには大きく身体を前に乗り出して猫背になる必要があり、まるで老眼鏡をかけた年寄りがレンズの上から遠くを見る時みたいな恰好になってしまいます。


胴体の作りも平坦な印象で、正面から見た姿は2本足で立ったときのガメラにそっくりです。
しかも、首が常に上向き加減なうえに口が半開きで、『セサミストリート』のカーミットにも似ています。

対戦相手のエビラにしても、昨年までの宿敵がキングギドラだったということを考えると小物感が半端ないです。
ただの巨大エビで敵役としての威厳は皆無に等しく、そのことがゴジラの矮小化にも繋がってしまっています。


画作りにしても、これまでの積み重ねは何だったのかと思うくらいイージーな印象です。
ミニチュアが本当にミニチュアにしか見えない安易なショットが多く、前作までの緻密さやアングル等に対する工夫や挑戦は皆無です。
画作りの基準が曖昧で、誰目線なのか分からないような俯瞰ショットやゴジラ目線とおぼしき主観カットがあったりと、見た目の派手さとは裏腹にちぐはぐです。
1966年といえば、円谷英二特技監督は円谷プロの『ウルトラ』シリーズや大阪万博の準備で忙しかった頃のはずです。
この映画では補佐として有川貞昌氏が指揮をしていたそうですが、本編の福田監督と特撮班との意思疎通がうまく出来ていなかったのかも知れません。
次回作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』から有川氏を正式に特技監督にしたのは、円谷監督御大でなくても本編班と対等に話し合えるようにするための措置だったような気もします。
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』は、怪獣映画であることよりアクション映画であろうとした映画でした。
その点で見るべきところも皆無ではありませんが、怪獣をないがしろにする怪獣映画は評価に値しません。
主役怪獣だけでなくヒロイン役まで代役という非常事態に対し、脚本の手直しや適切な再キャスティングもせずに制作を強行したことも残念です。
後半はネガティブな内容になってしまいました。
この作品に関わったスタッフ・キャストの皆様と、この映画に特別な思い出を持っている方々にお詫び申し上げます。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。