ゴジラシリーズ全作品レビュー8 『怪獣島の決戦ゴジラの息子』(1967年)
ゴジラの堕落を極めた作品として世間的には低評価ですが、ミニラの捉え方次第では意外に良く出来た娯楽映画だと思います。
そして、私にとっては幼い頃よく映画に連れて行ってくれた祖母の思い出が詰まった大切な作品でもあります。
『怪獣島の決戦ゴジラの息子』

<あらすじ>
太平洋上のゾルゲル島では、将来の食糧難対策として合成放射能ゾンデを利用した気象コントロール実験が進められていた。
しかし謎の妨害電波によりゾンデ打ち上げは失敗、その影響で生息していたカマキラスが巨大化してしまう。
さらにゾルゲル島には巨大な卵があり、その中からゴジラの幼生であるミニラが孵化した。
実験を失敗させた妨害電波は、親を呼ぶミニラのテレパシーだったのだ。
実験所は壊滅し、洞窟に避難したスタッフたちは再び実験を開始することを決意する。
その一方でミニラを餌食にしようとするカマキラスとゴジラ親子の対決が激化。
さらにクモンガも目を覚ましてこれに加わり、実験隊は危機的状況に陥ってしまう。
最後の望みは、気象コントロールで島を凍結させ、怪獣たちが冬眠した隙に脱出することだった。
1973年夏の「東宝チャンピオンまつり」で短縮版を観たのが最初です。
全長版を観たのは『南海の大決闘』と同じ頃だったと思いますが、福田純監督のゴジラ作品ということで冷遇されていたのかもしれません。
【祖母との思い出】
幼いころの私はいわゆる「おばあちゃんっ子」でした。
両親が共働きであまりかまってもらえなかったこともあり、一緒に住んでいた父方の祖母によく懐いていたのです。
小学校の春休みや夏休みにいつも映画に連れて行ってくれたのもその祖母でした。

(当時福井で東宝チャンピオンまつりや東映まんがまつりを上映していた映画館)
とはいえ、祖母はアニメや怪獣映画の上映中はいつも隣ですやすや眠っていて、周囲が明るくなると「終わった?」と言って立ち上がり、駅ビルのレストランでご飯を食べて帰るのが常でした。
オムライスをほお張りながら映画の興奮を一方的にしゃべる幼い私の話をニコニコしながら聞いてくれていましたが、実際に見ていたわけではないのでただ相槌を打っていただけだったと思います。

しかしこの『ゴジラの息子』の時だけは祖母もある程度見ていたらしく、帰りにご飯を食べながら一緒になって映画の話をした思い出が残っています。
「ミニラ可愛かったねえ」
「初めて口から火を吹いて喜んでいたとこは、ヨッちゃん(私のこと)がひとりで自転車に乗れたって喜んでたのとおんなじやったよ」
「最後の雪の中で抱き合ってるゴジラ親子は綺麗やったねえ、あのゴジラはいつものと違ってお母さんゴジラやったんやね」
どうやら祖母は、ミニラを私や自分の子どもたちに見立てて母性の物語として観ていたようでした。
ミニラは「パパ~」と鳴いていましたけどね(笑)。
【謎の脚本家】

脚本は、いつもの関沢新一さんだけでなく斯波一絵さんという方(女性?)との共作になっています。
この斯波一絵さんという脚本家についてはいくら調べても情報がほとんど出てきません。
同じコンビによる『ゼロ・ファイター 大空戦』(監督:森谷司郎)が前年に公開されているのみで、単独の脚本執筆作品は存在しないようです。
もしかすると誰か別の作家やプロデューサーのペンネームかも知れません。
『ゼロ・ファイター 大空戦』との共通点もいくつか散見されます。
南の島での禁欲的な生活がユーモアを交えて描かれていて、いつになったらそこから脱出出来るのかがメンバーの興味の中心であること。
終盤の絶体絶命的な状況化で、大胆な起死回生の策を打って出ること。
沈着冷静なリーダーに対して直情的な部下が反抗するも、最後は心を一つにしてミッションをやり遂げること。
関沢脚本には見られなかったこれらの骨太な要素が『ゴジラの息子』にも描き出されていて、おそらく斯波一絵さんのカラーによるものだったと思われます。
行き当たりばったりな印象だった前作にくらべて、ベースとなるSF設定をもとにかっちりとした脚本に仕上がっている印象です。
また、斯波一絵さんが女性だと仮定すると、「『ゴジラの息子』に母性が感じられる」という点にも納得がいきます。
【登場人物】
登場人物もこれまでになく一人一人の特徴がはっきりしています。

高島忠雄さん演じる楠見博士は、自分の研究が必ず人類の役に立つという信念の人で、そのためややもすると部下たちにプレッシャーを課してしまうところもある人物です。
平田昭彦さん演じる藤崎は、その楠見と研究員たちとの間を取り持つサブリーダーで野球でいえばヘッドコーチにあたります。

佐原健二さん演じる森尾は、楠見博士をオヤジと呼び博士の性格や方針を理解している人物です。
気さくな人物で、過酷な閉鎖状況においてはこういう人がいてくれると精神的にありがたいと思えるタイプの人物です。
反対に、冒頭から楠見博士の厳格さに疲れ果てて精神が壊れ始めている古川。
演じるのは土屋嘉男さんですが、この人はどうしていつもこういう役が見事にはまって見えるのでしょう。

その他のメンバーにしてもそれぞれの立ち位置が明瞭に描かれていて、ある種の集団ドラマ的な味があります

そこに割り込んできたのが設定の解説役といえるジャーナリスト:真城(演:久保明)です。
真城が質問をすることで、楠見博士たちが行っている実験の内容やチームの内情が観客に分かりやすく伝わります。

もう一人は、やや無理矢理登場させた感のある紅一点、前田美波里さんが演じるサエコです。
サエコは、怪獣と男ばかりの映画になるところだった作品に華を添えるために付け加えられたキャラクターのように思います。
また、人間とミニラの接点となる役割も担っています。

この真城とサエコは、仮に居なくても物語進行に支障がないうえにキャラクター付けが他のメンバーと全く違う気がします。
おそらくこの二人は斯波一絵さんの元の脚本には登場せず、関沢新一さんが加筆した部分ではないかと思っています。
演技については、これまで本多猪四郎監督の特撮作品に数多く出演している俳優さんばかりなので安心して観ていられます。
「子供向けだからと言って真面目に演技しようとしない俳優は不要」と明言していた本多監督の下で主役や重要な役を演じてきた俳優さんばかりですから、監督が代わっても怪獣映画のことを心得ておられます。
【有川貞昌特技監督】
前作では特技監督補佐だった有川貞昌氏が、今作から正式に特技監督に昇進して存分に手腕を発揮しています。
この作品では操演怪獣にこだわっていて、ゴジラ親子以外の着ぐるみ怪獣は一切登場しません。


カマキラスとクモンガは、それぞれカマキリと蜘蛛が巨大化しただけという非常に地味な怪獣です。
しかし、操演による独特の動きによって人間の感情など一切通じない原始的で狂暴な生き物であることが見事に表現されています。
非人間的で不気味ともいえるその不規則な動きは、この『ゴジラの息子』以外では見られない怪獣です。
【この映画のどこが問題なのか】
この映画にとっての問題点は、ゴジラの息子を登場させたことではありません。
ゴジラも生き物である以上、子孫を残す本能は持っており結果として子供がいても別に不自然ではないのです。

最大の問題は、ゴジラの子どもを人間の嗜好に合わせたペットのように描いてしまったことです。
早い時点でミニラと人間(サエコ)とを友好的に接触させてしまったことで、ミニラとその親であるゴジラに対しても畏敬の念が消え失せてしまいます。
まるで「以前はすぐに吠え付いてきた怖い犬に可愛い仔犬が生まれた」みたいな軽いノリです。
むしろ人の意思が及ばないという点において、カマキラスやクモンガのほうがよっぽど怪獣本来の怖さを持っていました。
例えるなら、アフリカの草原に暮らす野生のライオンの親子を遠くから観察するような描き方をするべきだったと思います。
意思疎通は出来なくとも野生のライオンの子供の仕草がかわいいことには変わりはありません。
直接触れたり餌付けしても大丈夫な動物と、檻の中にいるのを離れて見る必要がある動物とでは感じる畏怖が全く違うものです。
ゴジラに対して、一作目のような野生の凄味を求める硬派なファンがこの作品を「堕落」と称するのも無理はありません。
【ミニラ】

ミニラのデザインには賛否両論あると思いますが、私はあの「トッチャン坊や」な顔つきは好きではありません。
正面から見た画を重視して目が正面に二つ並んでいる造形になっていますが、あれは明らかに霊長類の顔つきです。
顔が平たくて目が正面向きに付いている生き物は、人間の他サルやゴリラ等とあと例外的にフクロウだけなのです。

ミニラの顔は『おそ松くん』のチビ太をモデルにしているそうです。
顔の形と眉毛というか目の上の盛り上がりはたしかに一致します。
『怪獣大戦争』の「シェー!」に続いて、当時の赤塚マンガの人気のほどがうかがえますね。

しかし、マンガのキャラクターとはいえ人間の顔をベースにしていることからゴジラの幼生体と見ることは難しいです。
「ゴジラという種がかなり特殊な生き物だから」とか「フィクションだから気にするな」と言われても、パッと見て「親子」と納得できるデザインでないとその後の展開を常に脳内補完しながら見る必要があります。
例えば、スピルバーグの『ロストワールド/ジュラシック・パーク』にマルカム博士(演:ジェフ・ゴールドブラム)の娘が登場しましたが、何故かその娘というのが黒人の女の子でした。
母親が黒人なのか養子なのか、全く説明が無いままストーリ―が進行していくのですが、その娘への違和感がブレーキになって全然没入することが出来ません。
あれと同じです。

しかし、ミニラのあの顔と表情が無かったとしたら、祖母が感情移入することも無かったのかも知れません。
そう考えると一概に否定ばかりも出来ないです。


ゴジラも、ミニラのデザインとのバランスを考えて目の大きさや配置が変更されています。
この顔つきはこの『ゴジラの息子』一作のみのもので、シリーズ中でもかなり特異な印象です。
躯体のサイズも、ミニラと一緒のシーンではミニラを小さく見せるためにひと回り大きい着ぐるみが用意されました。
いつもの中島春雄さんでは背の高さが足りず、この特大着ぐるみには身長の高い別の俳優さんが入って演技していたそうです。
そう思ってよく見ると、中島さんのゴジラとは違う動きが見て取れて「今までとは別の個体のゴジラ」として楽しむのもいいかも知れません。

いろいろ苦言も呈しましたが、やはりあのラストシーンは情緒のある素晴らしい映像でした。
私のおばあちゃんのように、ミニラとゴジラの親子の情を素直に楽しむことが出来れば、かなり良く出来た娯楽映画だと思います。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。