ゴジラシリーズ全作品レビュー9 『怪獣総進撃』(1968年)
昭和43年(1968年)公開のゴジラシリーズ第9作です。
ゴジラと全地球怪獣がキングギドラ一匹をぼこぼこにして、人間と怪獣が仲良く暮らす平和な世界を守るという映画。
・・・というのが子供の頃の印象でした。
『怪獣総進撃』

初めて観たのは、1972年冬の「東宝チャンピオンまつり」で、その時は『ゴジラ電撃大作戦』のタイトルになっていました。
しかし、特筆すべきはその時の同時上映作品です。

なんと、『ウルトラマン』の飯島敏弘監督作品『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』と、高畑勲&宮崎駿コンビによるアニメ『パンダコパンダ』でした。
前年の『ゴジラ対へドラ』といい、このプログラムといい、小学校低学年という人格形成されるにあたって最も重要な時期にこれほどの良作を立て続けに観ることが出来たことは私にとってまさしく幸運だったといえるでしょう。

短縮版『ゴジラ電撃大作戦』はその後もテレビ放映で観た記憶があります。
全長版を観たのは「ゴジラ1983復活フェスティバル」の時で、たくさんの怪獣がシネスコスクリーンを埋め尽くすクライマックスは大画面で観てナンボの迫力でありました。
<あらすじ>
20世紀末。
国連科学委員会は硫黄島に宇宙港を建設する一方、世界の脅威だった怪獣たちを小笠原諸島の怪獣ランドに集めて平和裏に管理・研究するに至っていた。
しかし、怪獣ランドに突然謎の毒ガスが充満し怪獣たちが世界じゅうの主要都市に出現して暴れ始める。
原因調査に向かった月ロケットムーンライトSY-3号の隊員たちは、怪獣ランドの職員たちの手で怪獣たちがリモートコントロールで操られていることを知る。
さらにその職員たちを操るキラアク星人が姿を現し、恐るべき地球侵略計画が明らかになる。
【ゴジラシリーズ完結篇・・・のはずだった】

昭和43年。
テレビの台頭に押されて映画産業が斜陽化してきたことから、製作費のかかる怪獣映画はこれで打ち止めと決まりました。
そこで、怪獣映画の集大成として企画されたのがこのオールスター映画『怪獣総進撃』です。
数十年後の近未来を舞台として、長らく人類を悩ませ続けてきた怪獣たちとも共存出来ている理想郷を描いて見せることでゴジラシリーズはめでたく終焉を迎えるはずでした。
ところが、完結篇として作られたにも関わらず本作品の興行が思いのほか良かったため、以後も低予算ながらゴジラ作品は作り続けられることになりました。
「東宝チャンピオンまつり」の始まりです。
しかし、この作品で遠い未来を描いていたにも関わらず、その後の『オール怪獣大進撃』や『ゴジラ対へドラ』では制作当時の世相を大きく反映された作りになっていました。
『オール怪獣大進撃』から『メカゴジラの逆襲』までの「東宝チャンピオンまつり」向け新作ゴジラは、時代を遡って描かれる「スピンオフ作品」だったと考えるのが妥当かも知れません。
【怪獣ランド】


人間社会の脅威だった怪獣たちを小笠原諸島の一つの島に集め、各怪獣の生態を利用したバリアや充実した食料供給を施すことによって隔離することに成功した施設です。
この怪獣ランドの設定を、「怪獣のペット化」と見るか「人間と怪獣の共存」と捉えるかで『怪獣総進撃』に対する評価が大きく分かれるのではないでしょうか。
私にはどうしてもゴジラ達が「飼われている」ようにしか見えず、『怪獣大戦争』の「シェー」や『ゴジラの息子』の親バカなどの擬人化以上にゴジラを矮小化させてしまった作品と考えています。
昭和29年の第一作では人間の手には負えない狂暴な野生動物だったゴジラ。
しかし、対応策を身に着けていった人類にとっては次第に畏怖の対象ではなくなっていき、やがては外敵への対抗手段として利用価値を見出されるようになります。
そして、しまいには動物園に収容されて人間に管理されるようになってしまった、という風にしか見えないのです。
【SF】

シリーズ完結篇を意識していたためか、物語設定は一気に1994年(作中の新聞日付より)に飛んでいます。
これまでさんざん人類を悩ませてきた怪獣たちは「怪獣ランド」という隔離施設に閉じ込めることで安泰が保たれ、宇宙開発によって資源の問題も解決しているというユートピアが描かれた作品です。
ゴジラシリーズを通して見た場合、『怪獣大戦争』での宇宙開発や『ゴジラの息子』の気象コントロール実験が実を結んだ世界であると思えます。

田舎の老農夫(演:沢村いき雄)と駐在さん(演:佐田豊)の会話は、なんだか場違いなようですが何気にSFしていて面白いです。
「ラ、ラドンだ!」
「違うだべ、ありゃあ月ロケットSY-3号だ」
「おらとこのタケシも月へ行ってるだでな」
「そうだったな、元気でやってるだか」
近未来ではありますが、こういうのどかな田舎もまだ存在している平和な世界のようです。
と同時に、宇宙へ行くことが特に珍しくもない時代であることをほのぼのと描いていています。
【ムーンライトSY-3号】

地球と月の間を自由に行き来できるムーンライトSY-3号。
ロケット噴射口の角度が可変式だったり、内部からメ―サー砲装備の探検車が出てきたリとメカニカルなギミックが満載です。
これも『サンダーバード』の影響でしょうか。
ゴジラの放射熱線にビクともせず、ラドンを振り切るほどのスピードを誇るムーンライトSY-3号。
こんなものが作れるほど科学技術が発達した時代なら、怪獣の飼育が出来るというのも頷けます。
【本多演出】

本多猪四郎監督の怪獣映画では必ず描かれる一般市民の避難シーンは今回も健在です。
しかし今作では何故か街頭ロケではなく、ブルーバックで撮影した人々をミニチュアセットの背景映像に合成するという手法をとっています。
しかもその人数が非常に少なく、よく見ると別のカットでも同じ演者を何度も繰り返し走らせています。
今回は予算の都合で大量の役者さんやエキストラを確保出来なかったのでしょうか?。

しかしながら、非常に攻めた画もあります。
例えば、人々が皇居に逃げ込んでいく映像の手前に、不意にキラアク星人に操られた真鍋杏子がフレームインしてくるカットです。
娯楽映画で皇居が映し出されることは非常に珍しいことです。
前年に『日本のいちばん長い日』が実際の皇居の敷地内で撮影しましたが、特撮作品としては『日本沈没』で避難民が逃げ込もうとするシーンくらいしか思い浮かびません。
何気に凄いことをやってる映画です。
【第3新東京市?】



ビルの屋上に設置されている砲台。
地下からせり上がってくる遠距離ミサイル砲。
遠隔操縦の戦車群。
この時代の東京は至るところに武装装備されていて、しかもその殆どが遠隔操作で扱うドローン兵器です。
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の第3新東京市はこの映画から発想したんじゃなかろうかと思えるくらいの最先端の防衛体制です。
平和なユートピアを確立した世界のはずなのに、いったい何を想定しての武装だったのでしょうか?。


ところがこの映画における防衛隊は、ゴジラやラドンに対して闇雲な攻撃を繰り出すばかりで全くといっていいほど命中しません。
それどころか、外れたミサイルや砲弾が周囲の建物を次々に破壊していきます。
この間、ゴジラたちは逃げているだけで特に反撃はしていません。
味方の流れ弾により街は破壊されていくばかりです。
ちなみに、1998年のローランド・エメリッヒ版『ゴジラ-Godzilla-』で、アメリカ軍がこれと全く同じことをやっています。


そして東京は瓦礫の山に・・・。
「ひどくやられましたね」
「東京はめちゃくちゃだよ」
いやいや、めちゃくちゃにしたのはあんたらだよ!
【脚本家】
本作の脚本は馬淵薫氏によるもので、本多監督との共作になっています。
馬淵氏は『ゴジラ』シリーズはこれが初参加ですが、かつては木村武の名義で『ガス人間第一号』『マタンゴ』『フランケンシュタイン対地底怪獣』などの変身人間シリーズや『空の大怪獣ラドン』『地球防衛軍』も執筆しています。
これまでゴジラシリーズを支えてきた関沢新一氏の軽妙でストレートな作風と比べると、ネガティブ志向でエロティックな印象の作品が多く、人間の心変わりや奇形化や死を描くことも多々あります。

この作品においても、大谷博士(演:土屋嘉男)がキラアク星人に操られた揚げ句に機密保持のため投身自殺してしまうというショッキングなシーンがあります。
前作までの関沢新一氏の手によるユーモア交じりのゴジラ映画に親しんできたうえで本作を観ると、怪獣オールスター映画というオブラートに包まれたダークな物語に戸惑う部分が多いです。
【美女】
見どころはお二人の女優さんです。


キラアク星人に操られて侵略活動の先鋒を担ぐ真鍋杏子役は、『ウルトラセブン』第9話「アンドロイド0指令」の小林夕起子さんです。
冒頭の可愛らしさから一転して、操られている時の無機質な表情との落差がたまらない美人さんです。
演技はお世辞にも上手いとは言い難いですが、その棒読み具合がかえって人間性を奪われた怖さにつながっているように思います。


そしてキラアク星人の女王(演:愛京子)と美女軍団。
勝手に伊豆半島を占領し、立ち入るものを武力で排除すると笑顔で宣言する陰湿な侵略者です。
その正体は高温状態でなければ岩として冬眠するしかない特殊な生命体でした。
いつの間にか他人の土地に踏み込んでおいて「ここは自分の領地だ」と言い張る姿は、ここ最近の某隣国を見ているようで不愉快極まりないです。
【特撮】


特撮場面については、有川貞昌特技監督が前作『ゴジラの息子』よりさらに新しい挑戦をしておられます。
特に印象的だったのは、屋外で実際の空をバックに撮ったアオリのショットや、より複雑な実景との合成ショットです。
敵に操られたゴジラが樹木越しに迫ってくる場面は本当にリアルで、子ども心にとても恐ろしかったことを覚えています。


この映画では上映時間89分のうち、50分以上もの特撮シーンがあります。
登場怪獣の数も『ファイナル・ウォーズ』までは最多記録でしたし、ゴジラも冒頭から出ずっぱりです。
私もそうでしたが、怪獣好きの子どもの目には血沸き肉躍る最高の映画でした。


キングギドラは10頭の地球怪獣にぼこぼこにされて、しかもよりによってミニラにトドメを刺されてしまいます。
『怪獣総進撃』といえば、このキングギドラの哀れな最期が思い浮かぶという人も多いのではないでしょうか。
今ではもう痛々しすぎて、「童心に立ち返って楽しむ」ことは出来ません。


この映画最大の突っ込みどころは、人間のコントロールを離れたゴジラたちがキラアクの基地を攻撃した時のこのセリフです。
「動物の本能でちゃんと敵が分かるんだ!」
それは、ゴジラたちを怪獣島に閉じ込めた人間に対しても同じことでしょう。

この映画のラストは、怪獣たちがおとなしく島に戻って飼われる身に甘んじる姿で終わりました。
しかし私としては、怪獣たちがキラアク星人を倒したあとギロリと人類のほうに矛先を変えて動物の本能と虐げられた怒りを露わにする・・・という終り方をしてくれたら大傑作だったと思います。
この3年後、ゴジラが愚かな過ちを繰り返す人間を睨みつけて終わるという作品が現われます。
『ゴジラ対へドラ』です。

お付き合いいただきありがとうございました。