ゴジラシリーズ全作品レビュー10 『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)
『ゴジラ』シリーズの第10作目です。
特撮シーンのほとんどが過去のフィルムの再利用ということで、評判は芳しくありませんが私はかなり好きな作品です。
『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』

この作品は劇場では観ていません。
最初に観たのは多分レンタルビデオだったと思うのですが、それがいつ頃だったかは記憶にありません。
<あらすじ>
川崎市に住む引っ込み思案な小学生・三木一郎は両親が共働きの鍵っ子だった。
いつもガキ大将のガバラにいじめられている一郎は夢の中でミニラと出会う。
ミニラもまた怪獣ガバラにいじめられていて、ゴジラからは一人で生きるためのきびしい訓練を受けていた。
自分によく似た境遇にいるミニラを激励する一郎だったが、ある日2人組の強盗犯に人質として捕まってしまう。
しかし、ミニラだって一郎の応援を受けて怪獣ガバラをやっつけたのだ。
自分にだって・・・。
一郎は意を決して強盗犯人に立ち向かっていく。

『ゴジラ』シリーズ初、子どもが主人公の映画です。
そして、この映画における怪獣たちは空想好きな少年の夢の世界の存在に過ぎません。
一郎君はおそらく、過去に観た『ゴジラの息子』や『南海の大決闘』といった映画のキャラクターを自分の夢に反映させているのでしょう。
私も空想好きな子供でしたから、この主人公の心理はよく理解できます。
私にとってのそれはミニラと友達になることではなく、(帰ってきた)ウルトラマンに変身することであったり巨大ロボットのパイロットになることでしたが・・・。
「怪獣映画」としてではなく、怪獣好きな少年の成長物語として見ると実に愛らしい良作です。
問題なのは『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』という派手な怪獣バトルが売りのようなタイトルではないでしょうか。
もっと内容に沿った軽い題名にすれば、映画自体の評価ももう少し違ったものになったかも知れません。
たとえば『ミニラ対ガバラ やったぜベイビー大作戦!』とか・・・。
【低予算】

東宝の怪獣映画は前年に公開された『怪獣総進撃』をもって打ち止めとなったはずでしたが、同年前半期の興行収入が前年を大幅に下回ったため急遽ゴジラシリーズを再開することになります。
しかし、本作からは「東宝チャンピオンまつり」の一部に組み込まれ、予算も全盛期の半分以下にされてしまいました。
さらに間の悪いことに、円谷英二・有川貞昌の両特技監督が翌年に開催される大阪万博用の映像制作で忙しいため事実上参加出来ない状態でした。
そのため、本編と特撮の2班体制ではなく本多猪四郎監督が総括することとなり、新撮特撮シーンも最小限に抑えられています。
【出演者】

主人公の少年・一郎役は矢崎知紀さん。
この3年後の『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』にも出演していました。
小学生の頃は、こうした特撮作品に出演している子役さんたちが羨ましくてたまらなかったものです。
『帰ってきたウルトラマン』の川口英樹さん、『ゴジラ対へドラ』の川瀬裕之さん、『超人バロム1』の高野浩幸さん、等々・・・。
私のような田舎の子には到底手の届かない世界でした。
現在、50歳を過ぎてから映画のエキストラ出演にハマってしまったのも、その想いが強く残っているからだろうと自己分析しています。

天本英世さんが、優しい近所の発明おじさんに扮しています。
『仮面ライダー』の死神博士や『キングコングの逆襲』のドクター・フーなど陰湿な悪役のイメージが多い天本さんですが、すき焼きを口いっぱいにほお張る一郎を見つめる優しい眼差しがこの人の本来のお姿ではないかと思います。

父親役は佐原健二さん。
東宝特撮作品の常連さんであり、本多猪四郎監督の信頼も厚い俳優さんです。
低予算路線になってからも、そして平成VSシリーズにも、ゴジラ映画にはコンスタントに出演してくれていて虚空の怪獣を前に真摯な演技を披露し続けてくれています。

母親役は中真千子さん。
『若大将』シリーズにおける加山雄三の妹役で有名な女優さんですが、特撮ファンとしては『ウルトラセブン』第2話のキュートな若奥さんの役が印象深いです。

この頃はまだ東宝の専属制度は保たれており、お馴染みのバイプレイヤーの姿を多数見ることが出来ます。
悪党コンビ兄貴分の堺左千夫さんは岡本喜八監督作品の常連俳優ですが、『ゴジラ』第一作目の萩原記者役をはじめ特撮作品にも数多く出演している方です。
この作品では夜でもサングラスをかけていますが、素顔はとても優しい目をした方なのでそれを隠すためのものでしょう。
鈴木治夫さんは堺さんと違ってそのままで十分コワモテですが、特撮ファンとしては『ウルトラQ』の「五郎とゴロー」の心優しい飼育係の役が思い出されます。
本作では子ども相手に凄んでみせたりするチンピラの役ですが、ドジで憎めない悪役を楽し気に演じていました。
他にも、沢村いき雄さん、佐田豊さん、田島義文さん、当銀長太郎さん等々、安心して観ていられる「いつもの顔ぶれ」が脇を支えています。
しかしながら、東宝の専属制度は翌1970年に崩壊してしまうため、このような「いつもの顔ぶれ」が揃うゴジラ映画はこの作品が最後となってしまいました。
【昭和44年】

『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』は、怪獣が存在しない昭和44年の現実世界を舞台とした作品です。
「鍵っ子」や「児童誘拐」などといった当時の社会問題をモチーフにしつつ、「やったぜベイビー」とか「モーレツ!」など昭和44年の流行語が飛び交います。

私は、初めて観たときからずっとこの映画の情景を懐かしいものとして感じていました。
この作品の舞台である川崎市には行ったこともなく、私が生まれ育った福井の風景とは似ても似つかないのに、です。

その理由として思い当たるものが一つだけありました。
それは、この映画のキャラクター配置が『ドラえもん』にそっくりであるということです。

気が弱くて空想好きな一郎はのび太くん。

ガールフレンドのサチ子はしずかちゃん。

ガキ大将のガバラはジャイアン。
そして、その子分たちがスネ夫といったところでしょうか。
ちなみに、同じ藤子不二雄先生の『オバケのQ太郎』に登場したガキ大将のアダ名はずばり「ゴジラ」でした。
私が知るはずもない川崎市を舞台にしたこの映画を妙に懐かしく感じてしまうのは、同時代の子どもの世界感を色濃く残す『ドラえもん』に幼いころから親しんできたせいではないかと思います。
その『ドラえもん』の連載が開始されたのも、この映画が公開された昭和44年でした。
どちらかがパクったなどと言うことではなく、こういった子供社会の雛形がまだ存在していた時代という事です。
それは東京にも、この映画の舞台の川崎にも、そして私が住んでいた福井の片田舎にも確かに在りました。

この映画で、のび太くんを助けながらも叱咤激励するドラえもんに相当するのは、近所の発明おじさん南信平です。
一郎は南さんの作ったコンピュータに刺激され、怪獣島への通信機を作ったことから夢でミニラと会えるようになったのです。
【ミニラと一郎】

ミニラは一郎の分身であり、イマジナリー・フレンド(想像上の友だち)であり、空想の世界を一緒に冒険する仲間です。
『ドラえもん』の長編劇場映画には、『宇宙開拓史』のロップルや『大魔境』のペコなどといったドラえもんの道具を元に知り合った異世界の友達が登場しますが、ああいった存在として捉えることが出来ます。

一郎はひょんな事から悪党に捕まってしまいますが、夢の世界のミニラに後押しされるように勇気を振り絞って立ち向かいます。
まずはミニラと同じく相手の腕に嚙みついて、捕まれた腕を振りほどき廃工場に逃げ込みます。

そしてミニラの放射火炎のように消火器を浴びせて相手の動きを止めて建物の外へ脱出。
外には南さんの通報を受けて駆け付けた警察が待ち構えていました。

安心した一郎は、思わず南さんに抱きついて泣き出してしまいます。
私がこの映画で一つだけ残念に思うことは、一郎と両親、つまり家族3人が一緒に居るシーンが無いことです。
この場面に両親も駆けつけるとか、翌朝の出かける前の朝ごはんを3人一緒に食べるといったシーンがあって欲しかった。
実は『ゴジラ』シリーズには、子供とその両親の正常な関係が描かれている作品というのは一つしかありません。
そもそも子供がメインで登場する作品自体少ないのですが、その家庭環境は片親だったり兄弟で暮らしていたり両親が別居状態だったりといったものばかりです。
意外なことに、まともな親子(家族)が描写されるゴジラ作品というのはあの異色作『ゴジラ対へドラ』だけなのです。
明確に子供を主人公としているこの作品こそ、親子3人が一緒にいる姿を見せて締めくくって欲しかったと思います。

昨夜の一件で精神的に大きく成長した一郎は、今度はいじめっ子のガバラと取っ組み合いのケンカをします。
これまで逃げてばかりいた一郎が敢然と立ち向かってくる姿にガバラもたじたじです。
本多監督の演出はここでも優しさを垣間見せてくれます。
子ども同士のケンカではありますが、これをストップ・モーションにして見せることで生々しさを回避しています。

一郎勝利!。
しかし、この当時の子どものケンカはいつまでも遺恨を残すようなことはありません。
このあと一郎とガバラたちは一緒になってイタズラに興じていきます。
この出来事の後、一郎が夢の世界の友達(ミニラ)を必要とすることは二度と再び無いでしょう。
だとしたら、この『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』という作品は『怪獣総進撃』とは別の意味で完結篇と呼べるかも知れません。

低予算作品であるため特撮シーンが貧相であることは確かに残念ですが、映画として描こうとしているものにブレは全くありません。
一人の少年の成長を描くジュブナイルとして秀逸な作品だと思います。
思いのほか長文になってしまいました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。