ゴジラシリーズ全作品レビュー13 『ゴジラ対メガロ』(1973年)
小学三年生になったばかりの1973年春、「東宝チャンピオンまつり」の一篇として封切りで観た作品です。
私の当時の感想はというと、「ジェットジャガー欲しい!」でした。
ソフビなどのおもちゃではなく、自分の命令通りに動く等身大のロボットが欲しいと本気で思っていました。
『ゴジラ対メガロ』

<あらすじ>
相次ぐ核実験に怒った海底王国シートピアが昆虫怪獣メガロと宇宙怪獣ガイガンを使って地上を攻撃してきた。
若き天才科学者が造った万能ロボット、ジェットジャガーは突然自我を持ち、怪獣島からゴジラを呼び寄せ自らも巨大化して戦いを挑むのだった。
【ジェットジャガー】
『ゴジラ対メガロ』といえばジェットジャガーです。


ゴジラファンからは非難の対象でしかないジェットジャガーですが、冒頭で述べたように当時の私はかなり気に入っていました。
等身大サイズで意思を持たず、人間の命令に従って柔軟に行動するロボットというのがとても新鮮に思えたのです。
当時、ジェットジャガーに肩車してもらう六郎君を羨ましく思ったことを憶えています。
あの無機質な硬い動きも、ジィィィーッ、カチャッカチャッ、という動作音もロボットの精密機械感を身近に感じさせてくれていました。
このジェットジャガーを現在のドローンの発展形と考えてみると、近未来SFとしては意外にリアリティのある存在ではないかと思います。
(もちろん「自我を持つ」とか「巨大化する」は別にしての話です)
例えば、原発や汚染地域など放射能や有害ガスが充満した場所での危険な作業。
あるいは、二次災害の恐れがある災害現場での急を要する救助活動。
そして、武装したテロリスト集団との戦闘や人質救出等々・・・。
こういった特殊な現場においては、遠隔操作と緊急時の自己判断可能なA.I.を装備して人間の数十倍の力を発揮するロボットがあれば、人間の負担や被害を最小限にとどめて大きな成果を得られるはずです。
映画の中でジェットジャガーが造られた理由は語られていませんが、おそらくこうした使用目的があったはずだと思います。


数年前、ホンダの二足歩行ロボット ASIMOを始めて見たときに私がまず最初に思い浮かんだのはやはりジェットジャガーでした。
人の叡智がジェットジャガーに追いついてきたのです。
1973年の時点では人間の指令で動く等身大ロボットが活躍する特撮作品は存在してなかったと思うのですが、翌年この番組がスタートすることになります。

『電人ザボーガー』
これ、大好きでした。
自分が改造人間にされるわけでも宇宙人に乗り移られるわけでもなく、巨大ロボットみたいに置き場所に困ることもない等身大の頼れる相棒。
ジェットジャガーに惹きつけられたのと同じ魅力がザボーガーにはありました。

ちなみに、『ターミネーター2』の少年ジョン・コナーを守るようプログラミングされたT-800にもこれと似たものを感じていました。
仮にジェットジャガーに「弟の六郎を守る」というプログラムが仕込まれているという設定だったなら、自我を持つのも巨大化することも心のどこかで納得出来たかも知れません。
【1:スジ 2:ヌケ 3:ウゴキ】
「日本映画の父」マキノ省三は、映画の出来を決定付ける要素としてこの3つを挙げておられます。
1:スジ=物語
2:ヌケ=映像
3:ウゴキ=演技
1、2、3の順番で重要度が高いわけですが、これが『ゴジラ対メガロ』においてはどうかと言うと・・・。
1:物語
もう本当にナンセンスというか滅茶苦茶なストーリー展開で、小学生が書いた脚本といわれても信じてしまいそうです。

吹っ飛ばされたコンテナに閉じ込められた伊吹兄弟が、地面に激突した衝撃にもビクともせずピンピンしていました。
この場合、普通死にます。
もっと機転の利いた脱出方法を考えられなかったものでしょうか。
これでは『インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』の冷蔵庫のシーンを笑うことは出来ません。

海底のシートピア王国の守護怪獣が何故か昆虫であることも奇妙ですが、さらにMハンター星雲からガイガンを呼び寄せるコネと技術があるというのも驚きです。

ジェットジャガーが何の伏線も無く突然意思を持ち、しかもムクムクと巨大化します。
その説明というのが・・・

「頭脳部分に何か刺激を与えられて意思を持ってしまったんだろう。きっとそうだよ」
一応SFですからストーリー展開に飛躍があるのは当然ですが、それを楽しむためには説得力ある理屈が必要です。
ジェットジャガーが意思を持つのも巨大化するのも「こうすれば子供が喜ぶだろう」という考えでやっているのでしょうが、納得いく理屈つけも無くこれをやるのは子供に対する侮辱です。
福田監督がいくら持ち前のハイテンポな演出で押し切ろうとしても誤魔化し切れるものではありません。

また、倫理的に問題があるシーンもあります。
主人公たちが怪獣騒ぎの合間に飛行機のオモチャを借りパクするという、火事場泥棒のような真似をさせているのです。
非常時という設定とはいえ、子ども向け映画で平然とあのような描写をするのはいかがなものかと思います。
『ゴジラ対メガロ』の脚本は当初関沢新一氏に依頼したのですが、関沢氏は多忙のため簡単なアイデア提出と主題歌の作詞のみの参加になっています。
あの脚本を書いたのは福田純監督自身であり、福田監督のSFセンスとストーリー構成能力の程度が露呈してしまった作品です。
2:映像
映像の安普請ぶりについては、前作同様に低予算作品ということで同情の余地はあります。
前作と同様、旧作の特撮シーンを多数流用しておりその分量は上映時間81分中7分程でした。


今回はメガロの光線をキングギドラと同じデザインにすることで、再び大手を振ってキングギドラの都市破壊シーンを使いまわしています。
しかし、この3ヶ月ほど前の「東宝チャンピオンまつり(1972年冬)」で『ゴジラ電撃大作戦(怪獣総進撃)』を観たばかりだったことと、全く同じ状況が前年の『ゴジラ対ガイガン』にも存在していたことから、流石に当時の私も「またこれか」と思ったものです。
この事に関しては前作『ゴジラ対ガイガン』でも気付いてはいましたが、前作の時点ではそれほど気にはしていなかったと思います。
『ウルトラマン』シリーズでもMATやTACの出撃シーンは毎回同じ映像が使われているのを承知のうえで観ていたのですから。
しかし映画で何度も同じものを見せられると子供ながらにゲンナリしてしまいます。


特殊技術の中野昭慶さんは、徹底した低予算と短期スケジュールの中で「一点豪華主義」で作るしかなったと仰っています。
メガロのダム破壊シーンは確かに往年のクオリティに迫る出来でした。
しかしその後がいけません。
濁流と一緒になぜかメガロも水と一緒に流されてしまいます。
流されるメガロで一体何を表現したかったのでしょうか?。

私にとって『ゴジラ対メガロ』の最大の汚点は、このゴジラのドロップキック2連発です。
『ゴジラ対へドラ』のゴジラ飛行シーンに激怒した田中友幸プロデューサーがよくコレを許したものだと思います。
3:演技
俳優さんたちは皆さん真剣にそれぞれの役を演じていらっしゃったと思います。

子役の川瀬裕之さんも、拙いながらも一生懸命演じていて当時の子供たち(私もその一人)の代表としての役割を果たしてくれていました。
しかし、せっかくの真摯な演技も肝心のシナリオがあの通りなため、真面目にやればやるほど却って間抜けに見えてしまうのが気の毒でした。
演技と言えば、この作品ではゴジラたち怪獣にも極端に擬人化した演技が付けられています。

ゴジラが乙女チックに手を組んだり・・・

Vサインしてみせたり・・・

メガロがおしりペンペンして見せたり・・・
これらが福田監督の演出によるものなのか中野昭慶さんの演出なのかは分かりません。
しかし怪獣の神秘性や威厳はおろか、ゴジラのヒーロー性すら辱めた描写であることは確かです。
【昭和48年】
この頃の私は怪獣ものに対して以前のように無条件で熱中することが出来なくなっていました。
それは『ウルトラマン』シリーズに決別してしまったことが大きかったと思います。

小学一年生の頃の私は『帰ってきたウルトラマン』が本当に大好きで、その時間に晩ご飯に呼ばれても頑としてテレビの前から離れようとしないほどでした。
その年の夏、初めて映画館に連れて行ってくれた祖母が『ゴジラ対ヘドラ』をチョイスしたのも、私が怪獣好きということを知っていたからでした。

しかし、後番組の『ウルトラマンA』で急激に醒めてしまうようなエピソードが放映されてしまいました。
初代ウルトラマン、ウルトラセブン、そして大好きだった帰ってきたウルトラマンといったかつてのマイヒーローが、強力な宇宙人の手で磔にされてしまいそれをエースが助けるという2話連続のストーリーでした。
ほんの数ヶ月前まで心の中に君臨していたヒーローが、最新ヒーローを引き立てるためのやられ役にされていたのです。
今思えば1クール過ぎた時点でのテコ入れであったことは分かりますが、当時の私には受け入れ難い事でした。
この回以降も似たような展開の話が何度かあり、いつの間にか『ウルトラマンA』は見なくなってしまいました。
特撮番組の「大人の事情」を垣間見てしまったわけです。
それでも映画館で観るゴジラは別格だと思っていて、『ゴジラ対メガロ』に連れていってもらえたときは嬉しかったものです。
しかし、この時の「東宝チャンピオンまつり」プログラムの中で、一番面白くて記憶に残ったのはゴジラではなく『パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻』でした。
私の興味は『マジンガーZ』などのアニメに移り、特撮も『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』など等身大ヒーローものが中心になりました。
『ファイヤーマン』や『ジャンボーグA』も観ていましたが、『ウルトラマンタロウ』はその名前とセブンにツノをつけただけのデザインに馬鹿にされたような気分になって見ていません。

秋から始まった『流星人間ゾーン』は全くのノーマークだったのですが、新聞のテレビ欄に「ゴジラ登場」と書かれていたことで途中から観始めた番組でした。
この時は本当に驚いたものです。
ゴジラが怪獣島の格納庫みたいなところから出撃してきたのですから!。
『流星人間ゾーン』は他にキングギドラやガイガンも登場していましたが、後から考えると監督に本多猪四郎、福田純、特技に中野昭慶、川北紘一(敬称略)、といった東宝特撮スタッフが多数参加した超豪華な番組でした。
しかしながら、映画でしか見られなかったはずのゴジラがテレビのヒーローものに客演しているのを見ていると、何だかゴジラが特別な存在ではなくなってしまったような寂しい気持になったのも事実でした。
何のことはない、『ウルトラマンA』のときと同じことが繰り返されていたのです。

この『流星人間ゾーン』のゴジラが出ている回を見ていた時だったと思います。
母から「ゴジラって、昔はものすごく怖くて悪い怪獣やったんやよ」と聞かされたのは。
当時の私にとってゴジラは、『ゴジラ対へドラ』で人間のために満身創痍になりながらもへドラと戦ってくれた雄姿が全てでした。
この時はとても信じられませんでしたし、そのことを確かめる方法もありませんでした。
夏の『怪獣島の決戦 ゴジラの息子(短縮版)』は楽しんだものの、冬休みは「東宝チャンピオンまつり」には行かず年上の従兄弟たちと一緒に『日本沈没』を観に行きました。
『仮面ライダー』の本郷猛(藤岡弘)が出ていたことで、あの絶望的で暗く怖い話をなんとか最後まで観ることが出来た私は、特撮好きは変わらないものの怪獣以外のベクトルの作品にも視野が広がっていました。

後半かなり脱線してしまいましたが、最後までお付き合いただきありがとうございました。
最後にもう一度。
ジェットジャガーはみんなが言うほど悪くはないですよ。