ゴジラシリーズ全作品レビュー14 『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)
ゴジラシリーズ14作目です。
これまでに書いたゴジラレビューを読み返してみると、最近のものはレビューと称しながらもほとんど「自分史」になっている気がします。
でもいいんです。
私の人生の節目節目にその時代ごとのゴジラ作品があったことは間違いないのですから。
『ゴジラ対メカゴジラ』

<あらすじ>
沖縄海洋博の工事現場から、終末の予言が書かれた壁画と守護獣キングシーサーにまつわる置物が発掘された。
時同じくしてゴジラが出現し暴れ始めるがどこか様子がおかしい。
そこへもう一匹のゴジラが現われ、最初に現れた個体は異星人が地球最強の生物ゴジラを模して造ったロボットだと分かった。
敵の基地が沖縄にあると知ったゴジラは、メカゴジラと決着を着けるべく再び戦いを挑む。
さらに沖縄の守護獣キングシーサーも覚醒し、三つ巴の戦いが始まった。
【その名はメカメカメカゴジラ♪】
いつも映画に連れて行ってくれる祖母が「●●ちゃん、またゴジラの新しいのやってるよ。今度観に行こうか。」と言ってくれたのは、小学四年生になった昭和49年の春休みのことでした。
この頃の私は両親からも「いい加減にマンガや怪獣なんか卒業しなさい!」と散々言われていた頃であり、特撮に対してもやや醒めた見方をしていた時期でした。

それでも、当時9歳と10ヶ月だった男の子にとって「メカゴジラ」というネーミングには何かとてつもなく惹きつけられるものがありました。
更に新聞広告に描かれていた全身金属のロボット怪獣の姿からはそれまでにないビジュアル・インパクトを感じたものです。
「うわ、これ観たい!」とストレートに反応したことを今でもよく憶えています。


当時の私はテレビの特撮番組に色々と失望感を抱いていたのですが、『ゴジラ対メカゴジラ』はそんなモヤモヤを軽く吹き飛ばしてくれました!。
まさに血沸き肉踊る総天然色特撮怪獣活動大写真でした。




とにかく敵であるはずのメカゴジラがカッコ良かった!。
眼光ビームやフィンガーミサイル、首を180度回転させての全方位攻撃、、さらには飛行能力にバリアまで。
メカゴジラには当時の小学4年生男子の大好物が全て備わっていたのです。
佐藤勝さんの音楽も、しばらくは耳に残って離れませんでした。
ゴジラが登場するときは伊福部音楽に似た重厚なテーマですが、メカゴジラが登場するとリズミカルなジャズに変化してテンポアップしていきます。
まるで佐藤勝さんが伊福部昭さんへの対抗心を露わにしたかのような力強い楽曲です。
本作品から中野昭慶さんが正式に特技監督として腕をふるっています。
シネマスコープの広い画面を活かした中野監督らしい大胆な構図と、派手な爆発や鮮やかな光学合成によって劇場用映画にふさわしいゴージャスな特撮場面が展開します。

特に、メカゴジラが前方のゴジラと後方のキングシーサーに対して一斉攻撃するこの場面のカッコ良さといったら!。
『日本沈没』の大ヒットに気を良くした東宝が『ゴジラ20周年記念作品』の予算をアップしてくれたのかと思っていましたが、実際のところは『ゴジラ対へドラ』と大差ない製作費だったそうです。
本編パートの撮影をサンフラワー号とのタイアップなどで費用を浮かせることで、特撮に予算投入する環境を生み出していたのかも知れません。

ちなみに、この時は3歳年下の妹も一緒に観に行っていました。
妹にとってはこの「東宝チャンピオンまつり」が映画館デビューだったのですが、彼女は『ゴジラ対メカゴジラ』のことは全然覚えていなくて同時上映の『ハロー!フィンガー5』しか記憶になかったそうです(笑)。
【脚本】
SFマガジンの編集長だった福島正実氏とゴジラシリーズの脚本家である関沢新一氏による原作を、福田純監督と脚本家の山浦弘靖氏の連名でシナリオ化したもののようです。
山浦氏は特撮番組やアニメだけでなく刑事ドラマも数多く書いている脚本家ですから、伏線の散りばめ方やその活かし方、無理のない場面移動などストーリーテリングが巧みです。
SFのプロによる考証と本職の脚本家によるシナリオを得たことで、福田純監督本来の持ち味であるテンポの良い演出も活かされて痛快な娯楽活劇に仕上がっていると思います。
やはり、「1:スジ、2:ヌケ、3:ウゴキ」ということで、面白い映画に一番大事なのは脚本の出来なのです。
【沖縄=インファント島?】

「ゴジラよ!あずみ王族を亡ぼそうとしたヤマトンチュをわしに代わってやっつけろ!!」
沖縄県が日本に返還されてからすでに2年。
さらに翌年には沖縄海洋博の開催を控えていた昭和49年。
そんな時期の沖縄を舞台とした映画(それも怪獣もの)に、このような琉球人の恨み節を盛り込むとは・・・いやはやなんとも大変な反骨精神だと思います。
この老人の言う大和民族の攻撃とは、1609年の薩摩による琉球侵攻のことを指していると思われます。
近代においても、沖縄は太平洋戦争末期に本土の防波堤代わりにされたうえに、戦後はまるでアメリカに対するスケープゴートのような屈辱的扱いを受けてきました。

この映画における沖縄の立ち位置は、『モスラ対ゴジラ』におけるインファント島の状況と似ているように思います。
インファント島は核実験の影響を受けてその大部分を死の土地にされてしまった島で、住民たちはわずかに残った清浄な場所で細々と暮らさねばなりませんでした。
そのくせ図々しくもモスラの助力を求めに来た日本人たちに対して島民たちは激しく責め立てます。

「我々、この島以外の人間信じない。信じたばかりに今まで背かれてばかりきた。」
このセリフは、海を隔てた大和の国に辛酸を舐めさせられてきた沖縄(琉球)にもそのまま当てはまります。
もしも、この『ゴジラ対メカゴジラ』の脚本家が山浦弘靖さんでなく沖縄出身の上原正三さんだったとしたら、一体どれほど怨念渦巻くダークな作品になったことでしょうか?。
「ゴジラは太平洋戦争の英霊である」という説がありますが、それこそ「キングシーサーには薩摩侵攻や沖縄戦の犠牲者の怨念が乗り移っている」といったお話になっていたかも知れません。
しかし残念ながら、こうした尖った沖縄描写はこの場面のみで終わってしまいました。
終盤のストーリーはブラックホール第三惑星人の陰謀をメインに進行するため、琉球民族の想いはうやむやにされてしまいます。
この映画の舞台が沖縄である必要すら無くなって、キングシーサーの存在感も無きに等しくなっていました。

非常にもったいない素材だったと思います。
沖縄返還と海洋博開催に浮かれて、日本人全体が沖縄の苦難を有耶無耶にしてしまったあの時期にこそ、上原正三脚本で、ゴジラ(本土)対キングシーサー(沖縄)の映画を単独で作るべきでした。
【覚醒の儀式】

「ミヤラビの祈り」
♪ 暗い夜の とばりが消える
朝が来たら ねむりから さめてほしいの
(中略)
私のむねで まっている まっている
シーサー シーサー シーサー
キング シーサー
この歌は、沖縄の守護怪獣キングシーサーを目覚めさせる歌のはずなのですが琉球民謡らしさが微塵も感じられません。
琉球音楽の特徴というのは、「ドレミファソラシド」のうち「レ」と「ラ」を抜いて「ドミファソシド」で奏でられるものですが、この歌にはそういう特徴は全くありません。
むしろ日本の演歌そのものです。
これまでも東宝特撮では、伝説の怪獣に対しては必ず歌や踊りを捧げてきたものでした。

大戸島住民による呉爾羅を鎮めるための神楽。

守護神モスラに捧げられるインファント島の踊りと小美人の歌。

ファロ島でキングコングを眠らせた島民の情熱的な踊り。

ついでに、メガロを目覚めさせたシートピア海底王国も。
いずれも東宝特撮の伝統行事と言っても良いでしょう。

「ミヤラビの祈り」もその伝統に則っているのでしょうが、それにしてもこの場違いな曲をフルコーラスで2番まで歌いきるのはタイアップ丸出しで興醒めです。
しかも、この約3分間はストーリーの進行が完全にストップしてしまうため、テンポの良いこの映画にとっては単なるブレーキになってしまっています。
【出演者】

画面手前=清水敬介(演:大門正明)
特撮映画よりは刑事ドラマに出てきそうな屈強な実戦タイプの主人公です。
実際に置物を狙う敵の工作員と二度にわたって格闘を演じていますが、とても一介の土建屋さんには見えません。
画面奥=清水正彦(演:青山一也)
どちらかというと弟の方が特撮作品の主人公向きの顔とスタイルです。
それもそのはず、演じている青山一也さんはゴジラも出ていたあの『流星人間ゾーン』でゾーンファイターだった人です。
もっとも、当時は『ゾーン』終了から半年ほど経っていたため全く気付きませんでしたが・・・。

余談ですが、この数か月後の『太陽にほえろ!』に登場するテキサス刑事(勝野洋)の「角刈りに茶色の上下ジーンズ」といういでたちを見た時に、私はこの清水兄の恰好を連想していました。
この男性ファッションは当時の流行だったのでしょうか?。

南原捜査官(演:岸田森)
この映画において最も頼りになる人物として描かれていますが、味方と分かるまでは怪しさ全開で不気味なことこのうえないです(笑)。

岸田森さんといえば『怪奇大作戦』の牧史郎役が有名ですが、私にとってはなんといっても『帰ってきたウルトラマン』の坂田健です。
時に優しく時に厳しく、兄のように郷秀樹(ウルトラマン)に接する姿は今も忘れることができません。
岸田さんが降板したあとの『帰ってきたウルトラマン』は、それまでとはまるで別物のどこか気の抜けたようなシリーズになってしまったようにすら感じます。

東宝の専属制度が無くなって以来、おなじみの俳優さんの姿が見られなくなったゴジラ映画ですが、今作では久し振りにかつての特撮常連俳優が出演して脇を固めてくれています。
平田昭彦さん、小泉博さん、そしてチョイ役ではありますが佐原健二さんも!。
これがゴジラ生誕20周年作品だからなのか、シリーズの原点回帰に向けた動きに沿ったものなのかは分かりませんが、初代『ゴジラ』を天元とする東宝特撮映画を愛する者にとってはこの上なく嬉しいキャスティングであることは確かです。
【昭和49年】
『ゴジラ対メカゴジラ』で再び特撮作品の面白さを味わったトガジン少年でしたが、その直後に放映開始した『ウルトラマン・レオ』で再び大人の都合というものを見せつけられてしまいました。
かつて『ウルトラマン・エース』で前年のヒーローであるウルトラマン(新)をやられ役に貶めた円谷プロは、今度はウルトラセブン=モロボシ・ダンを新ヒーローの引き立て役にしたのです。
私は、こういった作り手の思惑といったものに敏感な子どもだったようです。
子供相手に人生論や未来観を本気で語ってくれた『帰ってきたウルトラマン』や『ゴジラ対へドラ』には素直に夢中になりましたが、子供心に「馬鹿にされた」と感じた番組には完全にそっぽを向くようになっていました。
そしてさらに、この年は私の興味の対象が多岐に広がっていった時期でもありました。

この年の夏休み、生まれて初めてプロ野球の試合を生で観戦しています。
カードは中日対巨人。
名古屋の親戚へ遊びに行ったときに大のドラゴンズファンだった伯父さんが連れて行ってくれたのです。
しかも席は一塁側ベンチ裏!。
試合は8対1でドラゴンズの圧勝でした。
それまでプロ野球は巨人中心のテレビ中継しか観たことの無い、いわゆる「でもしか巨人ファン」でした。
しかし眼前で繰り広げられる有名選手による試合と応援席の熱狂は、10歳の少年に宗旨替えさせるのに十分な迫力がありました。
このとき、長嶋と王の現役の姿を生で見られたこともまた大きな出来事でありました。

テレビ番組では親と一緒に刑事ドラマも見るようになっていました。
中でも比較的分かり易い部類であった『太陽にほえろ!』は刑事たちのキャラクターの親しみやすさもあってほぼ毎週見ていたと思います。
そんな中、予備知識無しで見てしまったジーパン刑事(演:松田優作)の殉職は本当にショックでした。
番組は続くのに、それまでそこに居た人が次週からはもういないのです。
まだ親族の死にも直面したことが無かった当時の私にとって、初めて感じた喪失感だったように思います。

大好きだったアニメ『マジンガーZ』も衝撃的な形で終わりを迎えました。
強大な新しい敵の前に全く歯が立たず、完膚無きまでにやられて敗北してしまうのです。
劇場版『マジンガーZ対暗黒大将軍』はマジンガーZと兜甲児の絶望的戦いを突き詰めて描いた作品であり、決してグレート・マジンガーを祭り上げるためだけの映画ではありませんでした。
円谷プロも、あれくらい先輩ウルトラマンに敬意を払って『エース』を作ってくれていれば、私もずっとウルトラファンでいられたかも知れなかったのにと思います。

『マジンガーZ』が終了して以降、TVのロボットアニメは全然見なくなってしまいました。
なぜならば、少年サンデーや冒険王に掲載されていたこの漫画版『ゲッターロボ』が凄まじく面白かったからです。
もう毎週一話完結の勧善懲悪ものには興味を失っていました。

そしてこの年の秋、あの『宇宙戦艦ヤマト』が始まります。
あまりにも新しいそのビジュアル・イメージに私は「凄いものが始まった!」とストレートに反応していました。
その感覚は、半年前にメカゴジラの画を見て感じたものと全く同じものでした。
最後はなんとかメカゴジラに戻ることが出来ました(笑)。
かなりの長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次は昭和シリーズ最後の作品『メカゴジラの逆襲』です。