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映画と日常

ゴジラシリーズ全作品レビュー15 『メカゴジラの逆襲』(1975年)

トガジンです。

前作『ゴジラ対メカゴジラ』のレビューからずいぶん間が空いてしまいました。
ゴジラシリーズ15作目にして、昭和シリーズの最終作『メカゴジラの逆襲』です。
しかし、ポスターには「メカゴジラシリーズ第2弾」と謳われていたりして少々寂しい終幕でもありました。

メカゴジラの逆襲
1975 メカゴジラの逆襲

<あらすじ>
メカゴジラの残骸を調査していた潜水艦「あかつき号」が謎の恐龍に襲われて消息を絶った。
それは、15年前に「自らが発見した恐龍を、自由にコントロールしてみせる」として学会から追放され、人間社会からも迫害された真船信三博士が操るチタノザウルスだった。
海洋学者の一之瀬は真船博士の娘・桂と接触を持つが、彼女は一度死んだ人間でありブラックホール第3惑星人によって蘇生させられたサイボーグだった。
ブラックホール第3惑星人は、真船博士と手を組みメカゴジラを修復しつつあったのだ。
真船博士の研究に感銘を受けた一之瀬と桂の間には恋愛感情が芽生えていくが、遅すぎた理解者と社会からも迫害された研究者の娘の出会いが新たな災いの火種となることを、当の2人は知る由も無かった。

【1975年春】
前年まで休みのたびに観に行っていた『ゴジラ』映画でしたが、この映画は「東宝チャンピオンまつり」公開当時に観ることは出来ませんでした。
1975年の3月、休みの度に私たち兄妹を映画に連れて行ってくれていた祖母が母の運転する車に同乗していて交通事故に遭い重傷を負って入院してしまったのです。
祖母ほどではないにせよ母も大怪我をしていたため、当時小学四年生だった私と三歳下の妹は隣町の親戚の家に預けられることになり、「映画を観に行きたい」などと悠長なことを言える立場ではなくなっていました。
祖母は夏頃には退院したものの左足に後遺症が残ってしまい、私たち兄妹を映画に連れて行ってくれることはなくなってしまいました。

【初鑑賞】
1983年の「ゴジラ復活フェスティバル」にもこの作品はラインナップされていなくて、その存在自体を忘れていたように思います。
大学生になって初めて、この作品が本多猪四郎監督の作品だったことを知り無性に観たくなりました。
観ることが出来たのは『ゴジラ(昭和59年版)』公開より数年後、大学三年の夏頃だったと思います。
大学の同級生がこの映画のレーザーディスクを持っているとのことで、それを貸りて観たのが最初でした。

前作『ゴジラ対メカゴジラ』までの数本は公開当時にリアルタイム(短縮版も含む)で観ていました。
そのため、幼い頃に受けた衝撃や大画面で見る怪獣のカッコ良さといったものをストレートに受け止めて全身全霊で熱中したという記憶が残っています。
前作までのレビューでは、現在の目線に基づく分析・考察よりも、子供の頃に感じた(刷り込まれたとも言う)興奮の表現の方が勝っていてレビューとしては非常に偏ったものになっていました。
それを「思い出補正」と嘲う者もいますが、そうは思っていません。
映画初体験だった『ゴジラ対へドラ』は言うに及ばず、駄作のレッテルを貼られて久しい『ゴジラ対メガロ』でさえジェット・ジャガーの中に近未来エレクトロニクスのカッコ良さを見ていたのは事実だったのです。

ところが、この『メカゴジラの逆襲』に関してはそういった原体験が全く無いうえに、20インチほどのTVモニターでの鑑賞だったせいか最初から大人目線で分析的に観てしまっていました。
子供の頃のように素直に楽しむことはもはや望めず、まるでアラ探しでもするかのような不幸な初鑑賞になってしまいました。
大の大人が子供たちのために本気で作ってくれた映画を、その年代の頃に受け取ることが出来なかったことは本当に残念です。

【最後の本多猪四郎監督作品】
メカゴジラの逆襲 サイボーグでも君を・・・ メカゴジラの逆襲 乙女心
『メカゴジラの逆襲』と銘打ちながらも、実質は真船博士の復讐の物語であり、その娘・桂と一ノ瀬の悲恋話でありました。
特撮映画の名手と謳われた本多猪四郎監督ですが元々は恋愛映画を撮りたかった方だそうで、女性脚本家の繊細な感性もあってか『ゴジラ』シリーズ唯一にして上質なラブストーリーに仕上がっています。
特に、桂がサイボーグ化された我が身を恥じて内部の機械が見える傷口をそっと隠そうとする仕草がいじらしくてたまりません。
正直言って演技はお世辞にも上手とは言えない新人の藍とも子さんですが、このシーンだけは切なさが伝わって良かったです。

メカゴジラの逆襲 本多監督ならではの避難誘導 メカゴジラの逆襲 自衛隊防戦
過去の作品レビューでも繰り返し書いてきましたが、本多監督の怪獣映画には必ず存在するシーンがあります。
それは、住民が着のみ着のまま避難する光景であり、それを誘導・補助する警察官や自衛隊員が職務を果たそうとする姿です。
東宝チャンピオンまつりの一本であるこの『メカゴジラの逆襲』も例外ではなく、大勢の人々が生活の場を追われていく姿を描くことでこの破天荒な物語にリアリティを与えています。
また、『ゴジラ対メガロ』までは過去のフィルム流用ばかりだった自衛隊の防戦シーンも新撮されています。
チタノザウルスの脳波コントロールを断ち切るための装置を積んで現場に向かう乗り物も、SY-3やスーパーXのような架空の超兵器ではなく現実的なヘリコプターで行っており、地に足のついた現実的な設定で映画を成立させています。

メカゴジラの逆襲 ゴジラ助けて! メカゴジラの逆襲 ゴジラ再び
そうかと思えば、「ゴジラ、助けて!」という子供の声に応えるかのようにおもむろに登場するなど、ゴジラが完全に人間の味方として描かれている作品でもあります。
その出現は、まるで光と共にウルトラマンが出現したような千両役者ぶりで、これはもうヒーローの登場シーンそのものです。

本多猪四郎監督はゴジラを人間の味方として方向転換した理由をこう述べています。
昭和29年の『ゴジラ』第一作から『モスラ対ゴジラ』に至るまでは、ゴジラは人間にとって畏怖の対象として描かれていました。
ゴジラは人間の核実験によって被曝して安住の地を追い出され、結果として文明社会の破壊者となった存在です。
しかし世の中が変化していくにつれて、「好きで暴れているわけじゃないのに攻撃されて可哀そうだ」という観客のリアクションが寄せられるようになりました。
そうした観客の声がゴジラのスタンスを変えてさせたのです。
まず、『三大怪獣地球最大の決戦』ではゴジラと人間にとって共通の敵である宇宙怪獣を登場させることによって共存の可能性を示しました。
やがて『ゴジラの息子』では子どものミニラも登場して、人間と同じ情愛を持つ生物という印象を持つに至ります。
もはや人間がゴジラを攻撃する理由は(異星人に操られた場合を除いて)無くなり、「文明の破壊者」から「守護者」へと方向転換させたのです。
これは日本史で例えるなら平将門や菅原道真みたいなものではないでしょうか。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』に「殺した相手を神様に祭り上げるのが日本」というセリフがありましたが、まさにゴジラシリーズそのものがその経緯を辿っていました。

『ゴジラ対メガロ』や『流星人間ゾーン』で一度は完全に人間の味方として描かれたゴジラではありましたが、この『メカゴジラの逆襲』では科学技術の盲進に対する警鐘を盛り込むなど原点回帰を図ろうとしているように感じます。
しかし一度染み付いたイメージを払拭するには、ある程度の休止期間をおいて設定をリセットするしかないことに制作者たちも気付いていたはずです。

【特撮シーン】
本編サイドの描写は見応えあるものでしたが、怪獣絡みの特撮シーンはややお粗末な部分が目立ちます。

メカゴジラの逆襲 3匹のフォルムが同じ
まず、登場する怪獣が3頭とも同じ二足歩行の恐竜タイプで、キャラクターが完全に被ってしまってバリエーションが乏しいことが気になります。
チタノザウルスはゴジラとの初戦で敗れて退場させて、桂の持つコントロール機能はメカゴジラⅡに集約させてゴジラとの一騎打ちにしてしまえばいいのに・・・などと素人ながらに考えたものです。

メカゴジラの逆襲 背後の怪獣の絵
あるいは、チタノザウルスを別の形状の怪獣にすれば、もう少し戦闘のバリエーションが広がったかも知れません。
過去の真船博士の背後にチタノザウルスの他にガメラみたいな怪獣の絵が貼ってありましたが、そちらを採用したほうが絵的な面白さは上がったように思います。

それと、これは次回作『ゴジラ(昭和59年版)』でも気になった部分ですが、怪獣と実景との合成における縮尺比がデタラメです。

メカゴジラの逆襲 合成シーンの縮尺が凄く変 メカゴジラの逆襲 合成シーンの縮尺が変
いくらなんでもデカすぎますね(笑)。
下半身が地面に埋まっているみたいです。
中野特技監督のセンスの問題?・・・とは言いたくありませんが、作品のリアリティを削ぐ映像面での欠点であるのは確かです。
こういった合成技法はこの作品から始まっていることから、まだ撮影ノウハウが確立していなかったのかも知れません。

【俳優さんたち】
昭和45年に東宝の俳優専属システムが崩壊して以降、東宝映画からは「いつもの顔ぶれ」が居なくなりすっかり雰囲気が変わってしまった時期がありました。
それはさながら、同じオフィスでありながらリストラや人事異動で知らない人ばかりになってしまった職場のようです。
適材適所に配置されていた独特のキャラクターも、気心の知れた俳優さん同士による阿吽の呼吸も失われ、東宝映画のカラーそのものが希薄化していました。
しかし、前作の『ゴジラ対メカゴジラ』から再びかつての常連俳優たちが顔を見せてくれるようになってきています。

メカゴジラの逆襲 平田昭彦 『ゴジラ』より 芹沢博士
本作の影の主人公である真船博士を演じるのは、『ゴジラ』一作目でやはり影の主人公であった芹沢博士を演じた平田昭彦さんです。
自分を追放し、妻や娘にも苦労をさせた存在である学会に復讐するため、チタノザウルスを操って自論を証明することに固執するマッドサイエンティストです。
『ウルトラマン』のジラースと二階堂教授の関係にも似ていて、現在では『シン・ゴジラ』の牧吾郎を思い起こさせる設定です。

平田さんは、前作『ゴジラ対メカゴジラ』で睦五郎(この人もメカゴジラシリーズ連続出演)率いるブラックホール第3惑星人たちに娘を人質に取られて仕方なく協力する科学者役を演じていました。
その直接の続編である『メカゴジラの逆襲』であえて平田さんに正反対の役を配役しているわけですが、これがシリーズ最後ということを見越して本多監督や田中プロデューサーが意図したキャスティングなのかその意図は今はもう判りません。

しかし結果として昭和ゴジラ最終作となった本作には平田さんをはじめとして東宝特撮や本多監督に縁の深い俳優さんが多数出演しておられるのも確かです。

メカゴジラの逆襲 中丸忠雄(デビュー作は本多猪四郎監督作品) 『電送人間』より 中丸忠雄
国際警察署長役の中丸忠雄さんは1960年の『電送人間』(福田純監督作品)で主役を務めた方ですが、コメンタリーを聞くと特撮に対しては当時あまり良い印象を持っていらっしゃらなかったようです。
しかし、中丸氏のデビュー作が本多監督の『別れの茶摘歌姉妹編 お姉さんと呼んだ人』であったことを考えると、ゴジラシリーズの幕引きに指揮官的な重要な役柄で出演されていることには何か因縁めいたものを感じてしまいます。

メカゴジラの逆襲 佐原健二
東宝特撮の常連である佐原健二さんもご出演です。
佐原さんは『空の大怪獣ラドン』の主役や『モスラ対ゴジラ』の悪徳興行師、そして『ウルトラQ』の万城目淳など我々特撮ファンにはとてもなじみ深い俳優さんですが、実は昭和29年の『ゴジラ』第一作目にも1カットだけ出演されていたことが分かりました。

『ゴジラ』より 佐原健二
この場面です。
佐原さんがまだ研修生だった頃にノン・クレジットで駆り出されたそうです。
遊覧船で浮かれているチャラい男の役で、戦後の日本に増えつつあったであろう「戦争も核の恐怖も昔の話、全くの他人事」といった感じの若者像です。
戦争を過去のものにしつつあった日本と日本人に対して牙を剥いた初代ゴジラを、「太平洋戦争の英霊」と捉える説はこうしたシーンの存在があってのものだと思います。
また、この青年が『モスラ対ゴジラ』の興行師・虎畑二郎の若い頃の姿と考えてみるのも面白いかも知れません。

『ゴジラ』より 東静子(電車) 『ゴジラ』より 東静子(船上)
「広島の原爆から生き残った大事な身体だもの・・・」
同じく『ゴジラ』(昭和29年)で印象的なセリフを言っていたこの女優さんは、その後も様々な特撮映画にチョイ役で多数出ておられた東静子さんです
芸名の「東」は東宝の「東」と「宝」を宝田明さんと分け合ってつけられた名前だそうで、東宝ニューフェイスとして将来を嘱望されていた女優さんだったようです。

メカゴジラの逆襲 東静子と小川安三
『メカゴジラの逆襲』ではこんなところに出ていらっしゃいました。
地元漁師の奥さん役で、1カットだけですがちゃんとセリフもあります。

俳優専属システム崩壊後、東宝を離れた俳優さんたちの中には他の劇団やプロダクションに移るなりして俳優を続ける人もあれば、引退して他の職業に就いた人もいらっしゃったようです。
この『メカゴジラの逆襲』では、そうしたかつての専属俳優たちをあえて呼び集めている印象があります。

メカゴジラの逆襲 加藤茂雄さん(中央)
例えばこちらの加藤茂雄さん(画面中央)もそのお一人です。
この方は東宝を去ったあとも、地元で漁師をしながら時々俳優業にも顔を出すいう活動をしていました。

『ゴジラ対へドラ』より 加藤茂雄さん 『ゴジラxメガギラス』より 加藤茂雄さん
私の映画初体験作品である『ゴジラ対へドラ』で、記憶に刷り込まれている怖い場面の一つに加藤さんの姿がありました。
工事中の高層ビルの上で飛来体のへドラに遭遇し、身を守る術も逃げ場も無くただ絶叫して転落死していく鳶の役でした。
たった1カットだけでしたが、初めて見た映画で受けた恐怖は忘れることはありません。
その後も加藤さんの姿を画面内に見つけた時には、「ビルから落ちた人や!」と反応していたものでした。

2000年の『ゴジラxメガギラス』で、やはり1カットだけでしたがGグラスパー本部の老警備員役として満面の笑顔で隊員の帰りを迎える加藤さんを見た時はうれしかったものです。
東宝生え抜きの監督であり、人一倍ゴジラ好きだという手塚昌明監督の粋なキャスティングに心から拍手を送ってしまいました。
過去の東宝特撮を知らない人が見たら「このおっちゃんの敬礼を1ショットでガッツリ見せる必然がどこにあるのか?」と、さぞ怪訝に思うことでしょうがそんなことはどーでも良いのです。

そして忘れてはならないのがこの方です。
『地球最大の決戦』より 沢村いき雄さん
沢村いき雄さん。
素っ頓狂な声と人懐っこく表情豊かな演技で、この人が画面に出てきてくれるだけで空気が和みます。
黒澤明監督の『天国と地獄』では、江ノ電の音の違いを全身を使って解説する運転手役が最高でした。
怪獣映画では『サンダ対ガイラ』で文字通り「船からころがり落ちた」漁師が面白かったです。
ゴジラ作品では『怪獣総進撃』で宇宙船や月基地の話を当たり前に喋っていた農家のオヤジ役が何とも味があって大好きです。
しかしその沢村さんも、東宝俳優専属システム崩壊以後は出演作がほとんど見当たりません。
テレビドラマの出演はいくつかあったようですが、劇場用映画としてはこの『メカゴジラの逆襲』が沢村いき雄さんの遺作ということになります。

メカゴジラの逆襲 沢村いき雄さんの遺作(映画)
『メカゴジラの逆襲』ではそれまでの沢村さんには見られなかった無口で不気味な老人という役柄でした。
沢村さんはこの映画公開の半年後にお亡くなりになっていますが、もしかしたらこの撮影当時にはお身体の具合が悪かったのかも知れません。
往年の陽気な沢村いき雄さんが見られなかったのは残念でしたが、それでも最後の最後まで俳優として観客を楽しませてくれた役者魂に敬意を表します。


【ゴジラ去りし後】
『ジョーズ』より 初の洋画(字幕)
昭和50年というのは、私にとって字幕付きの洋画を初めて体験した年でもあります。
それがこのスティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』でした。
怪獣ほど巨大ではありませんが、逃げ場の無い海上で人を襲う巨大ホオジロザメの恐ろしさは、海辺の街に住んでいた小学生にはトラウマものでした。
そういえば、あのホオジロザメも最期は怪獣の鳴き声のような断末魔の声をあげながら沈んでいましたっけ。

映画館デビューが『ゴジラ対へドラ』で、最初の洋画が『ジョーズ』・・・。
私の映画人生はとことん偏りまくっております。


メカゴジラの逆襲 しばしお別れ
本日もお付き合いいただきありがとうございました。
次のゴジラは『ゴジラ』(昭和59年版)、通称「84(ハチヨン)ゴジラ」になります。
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COMMENTS

2 Comments

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A-chan  

真船博士と芹沢博士

こんばんは。
「メカゴジラの逆襲」で強烈なインパクトを観る人に与えている真船博士ですが、世間(の負の部分)を知り過ぎている芹沢博士と違って、浮世離れしているというか、独り善がりというか、一般的な世間の常識を知らなさ過ぎますね。どちらも平田昭彦さんが演じておられるというのに、ここまで正反対なキャラクターは珍しいです。
例え自分は悪用しないつもりでも、発見した恐龍を自在にコントロールするなんて事を言えば誰だって危ない人だと思って警戒するのは当たり前。それを逆恨みして復讐を考えるなんて、どれだけ自分を偉いと思っているのか。

娘・桂さんは見たところ、父親ほど世間に恨みは抱いてませんね。研究を成功させて世に役立てれば世の中の人達は分かってくれると信じている感じ。これはお母様の影響かもしれません。でも、こんな研究をしている事自体、真船一家は浮世離れしてますよ。
もし生物コントロール装置を悪用しようとする輩が現れて妻と娘を人質に取られでもしたら、真船博士も言いなりにならざるを得ないでしょう。前作の宮島博士が良い例です(この方も平田さんが演じてましたね)。芹沢博士も悪い輩に恵美子さんを人質に取られて言いなりにさせられた時の事を考えていたのかもしれません。

真船博士が独善的な性格になってしまった責任の多くは周囲にあるのかもしれませんが、芹沢博士も色々な人達との触れ合いが無ければ真船博士のようになっていたかもしれません。それを思うと2人は「光」と「影」。対なのでしょうね。
最後に罪の無いチタノザウルスの事ですが、ゴジラはただ彼のコントロール装置を破壊しただけで、きっとどこかで生きている。そう思いたいです。

2019/10/23 (Wed) 22:44 | EDIT | REPLY |   
トガジン

トガジン  

怪獣コントロールといえば・・・X星人!

A-chanさん、コメントありがとうございます。

タイトルこそ『メカゴジラの逆襲』ですが、この映画の主役は真船父娘とチタノザウルスでしたね。

>浮世離れしているというか、独り善がりというか、

実はこれ、昭和39年生まれの私には見慣れたタイプのキャラクターだったりします(笑)。
『ウルトラマン』でジラースを飼育していた二階堂教授や『マジンガーZ』のドクターヘルの同類で、ある意味典型的な昭和のマッドサイエンティストのキャラクター像です。

>発見した恐龍を自在にコントロールするなんて

若い頃は海底牧場の研究をしていたそうですから、元々は人類の将来(食糧危機など)について真剣に考えていた人なのだろうと思います。

彼が学会から追放された理由は「小笠原の海底で発見した恐竜をコントロールする」と発表したことでした。
(ちなみに恐竜を発見したと発表してもこの作品世界では変人扱いはされないはずです。なぜならば、すでにゴジラの存在が確認されている世界だからです)
彼にとっては、それも人類の明るい未来に繋がる技術の一つだったのでしょう。
それによってあらゆる動物や怪獣を労働力として使いことも可能になるのですから。

でも、それでは過去にゴジラやラドンを操ったX星人と同じです。
つまり当時の学会は彼の生物コントロール理論を「地球人がX星人化する第一歩」と捉えて危険視したのでしょう。
そして真船は自分の理念をかつての侵略者と同じと言われたことで学会を逆恨みするように・・・。

そんな風に裏設定を想像しながら見るのも『メカゴジラの逆襲』のオツな楽しみ方の一つです(笑)。

>チタノザウルス

ゴジラを埋めた土の上をトントントンと踊るように踏みしめる仕草が可愛いチタノザウルス(笑)。
あの女の子っぽい動きは、桂の少女時代の記憶がそうさせたのかも知れませんね。

ゴジラの放射熱戦を2度も喰らって最後は海に落ちていったチタノザウルス・・・。
でも『キンゴジ』『モスゴジ』でのゴジラがそうであったように、東宝特撮映画でラスト海に落ちて姿を消すという事は、それすなわち「まだ生きている」ということを意味します。
一応爆発は起きましたが、あれは単にチタノザウルスに埋め込まれたコントロール装置の爆発でしかなく、その後故郷の小笠原の海底に帰って平和に暮らしているはずです。

私がそう考える根拠は・・・。
かつてゴジラを殺したことに贖罪の念を抱き2代目ゴジラを共生する地球の仲間として描いてきた本多猪四郎監督が、それこそ宇宙人に利用されただけのチタノザウルスを殺したりするはずは絶対にありません。

2019/10/24 (Thu) 22:45 | EDIT | REPLY |   

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