週刊映画鑑賞記(2017.4/17~2017.4/23)
CATEGORY週刊映画鑑賞記
トガジンです。
昨日ふとカウンターを見てみると、いつの間にか1,000カウントを超えていました。
この趣味丸出しのブログにご来訪頂いた皆様、まことにありがとうございます。
半年で1,000という数字が多いのか少ないのかは分かりませんが、一つ大台を超えたことは地味に嬉しいです。
今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
さて。
毎週日曜の夜は、この一週間に観た映画の感想をまとめて書き連ねています。
忙しさも落ち着いて、久しぶりにゆっくり映画を楽しむ時間も取れた一週間でした。
4/17(月))
この日はメンズデーということで男性は一律1.100円で映画館を利用できます。
仕事も休みということで久しぶりに映画のハシゴをしました。
『夜は短し歩けよ乙女』🈠
(劇場:テアトルサンク)

『君の名は。』の異常なまでの大ヒットは出資者たちに「アニメはカネになる」と思わせるに十分だったらしく、昨今はアニメ映画の企画が目白押しのようです。
本作の湯浅政明監督もすでに次回作『夜明け告げるルーのうた』の公開が控えていて、氏のような特異な才能の持ち主に脚光が当たるようになったのは喜ばしいことです。
湯浅監督は劇場版『クレヨンしんちゃん』などで、一目でこの人の作画と分かる独特の画風・動きを表現するアニメーターでした。
優れたアニメーション監督は数多けれどこれほどアニメーションを武器に出来ている人は少ない気がします。
キャラクターや動きがまるで戦前のまんが映画風で、酒を飲み干すときの腑に落ちて行く大袈裟なアニメ表現や詭弁ダンスのぐねぐねした動きなどが目に新しいです。
まるで舞台を観ているみたいだと思っていたら、終盤は本当に演劇シーンに物語が集約されていくのも愉しかったです。
私はアニメは好きですが、いわゆる声優さんにはあまり興味はありません。
しかしこの映画で黒髪のヒロインを演じた花澤香菜さんの声は、舞台女優のように透き通って抜けが良くビームのように観客席に響いて来る力強さを感じました。
また、音楽担当が大島ミチルさんであったことも個人的にポイント高いです。
女性作曲家でありながら、男性以上に骨太でダイナミックな楽曲も書けてしまう守備範囲の広さを持つ作曲家だと思っています。
『ゴジラ』のミレニアムシリーズ(手塚昌明監督作品)で聴かせてくれた新しいゴジラのテーマ曲は、故・伊福部昭氏を継ぐものとして以後の参加を期待していたのですが系譜が途絶えてしまったみたいで残念です。
映像の楽しさ、演出・テンポの良さと共に、耳に心地良い映画でもありました。
世界観を同じくするというテレビアニメ『四畳半神話大系』もぜひ観てみたいと思っております。
そしてもう一本。
『パッセンジャー』
(劇場:テアトルサンク)

ずっと以前から期待していた作品だったのですが、最初に観たとき何かしっくりこなくてモヤモヤしていたSF映画です。
アイデアもストーリーも、映像表現も俳優の演技も良く出来ているのに、何故か内容に没入出来ないまま終わってしまいました。
「面白くない」わけでも「自分の体調が悪かった」わけでもないのにこれはいったいどうしたことか?。
今回2度目を観てその理由が解った気がしました。
自分の映画評の基準に関わる話になりますので、改めてレビューをまとめてみたいと思っています。
4/18(火))
映画鑑賞無し
4/19(水)
映画鑑賞無し
4/20(木)
『ゴジラ(昭和59年版)』
(ホームシアター:自己流再編集バージョン)

『ゴジラ(昭和59年版)』レビューをまとめながら観返していました。
公開当時からごく最近まで、「もう二度と観ることは無いであろうゴジラ映画」の一つとして長い間無視を決め込んでいた作品でしたが、大きく視点を変えて観直すと力及ばずながらも意外にストイックで真摯な内容の映画でした。
実はここまでのゴジラ映画で、「核兵器」に正面から向かい合っていた作品は無かったのです。
もっと若い世代のスタッフを重用し、武田鉄矢に割くコストと時間と労力をゴジラの活躍シーンに振り向けてくれれば、もしかしたら歴史に残る大傑作になっていたかも知れません。
4/21(金)
『ゴースト・イン・ザ・シェル』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)

<ネタバレを含みます。未見の方は閲覧にご注意ください。>
仕事帰りにレイトショーで観てきました。
う~む。
元より過度な期待はしていませんでしたが、やはり自分が知っている『攻殻機動隊』とは全くの別物になっていました。
ハリウッド版『ドラゴンボール』や北村龍平版『ルパン三世』、あるいは日本版『スパイダーマン』のようなものでしょうか。
押井守監督の劇場版と『イノセンス』やテレビ版『S.A.C.』シリーズもごちゃ混ぜにして『攻殻』初心者にも分かり易い映画に作り替えられた結果、リスペクトしていたはずの押井守作品のカラーが根こそぎ削ぎ落されてしまっていた・・・という印象です。
犬のガブリエル、アヴァロンアパート、広告塔の文字、さらにはエンドクレジットに『イノセンス』の楽曲が流れる等、中途半端に押井守へのオマージュは出てくるものの、元となった『攻殻機動隊』の持つ哲学的テーマ(自我の存在への疑念)は失われていました。

元になった押井守監督の劇場版『攻殻機動隊』と『イノセンス』はバトーが主人公であり、彼から見た草薙素子(のゴースト)の物語です。
(ちなみにテレビ版『攻殻機動隊S.A.C.』はトグサ視点、次の『2nd GIG』で初めて素子が主役になっています。)
劇場版のストーリーをベースにしているはずですが、これを素子視点で描いてしまったために着地点を見失ったように思えます。
「自我とは何か?」の話を「記憶の捏造、許すまじ!」という話にすり替えてしまっていました。
しまいには素子の母親(演:桃井かおり!)まで登場する始末で、そのリアルにくたびれた演技も手伝って「サイバー人情劇場」へとなり果てました。

草薙素子役がなぜ白人女性であるスカーレット・ヨハンソンなのか?。
これはホワイトウォッシング(有色人種の役に白人をキャスティングすること)そのものではないのか、という議論もありました。
いや、”少佐”と呼ばれてはいましたが、序盤での名称は”ミラ”になっていました。
本来日本人だった”草薙素子”は1年前に企業の実験台にされ、記憶を描き替えられて”ミラ”というサイボーグの頭脳にさせられた、という設定に変更されて、彼女がその記憶を取り戻していくことがストーリーの主軸になっています。
なるほど、スカヨハの姿形は義体のデザインにすぎないということであれば、素子役が白人女性でも納得は出来ます。
逆に言えば、ホワイトウォッシングを正当化するための設定・ストーリーの改変だったという見方も出来なくはないですが・・・。
しかし、そのスカーレット・ヨハンソンは全身サイボーグにしてはムチムチで肉付きが良すぎますね(笑)。
走ったり壁を飛び下りたりするにも身体が重い感じでドタドタとした動きに見えてしまいます。
むしろ生命力に溢れていて、機械の身体に魂を閉じ込められた女性の哀しみや戸惑いは感じられません。
劇場版アニメ『攻殻機動隊』における素子の描写は鉄面皮ともいうべき無表情を貫いていて、その反動で彼女の内面にある(と本人が願っている)ゴーストの存在を浮きだたせる演出だったと思います。
今回のスカヨハ版素子は表情がありすぎてそんな儚さは微塵も感じることは出来ませんでした。
残念。
4/22(土)
『モーガン プロトタイプ L-9』🈠
(ホームシアター:レンタルBlu-ray)

『パッセンジャー』と同じく、ハリウッドのブラックリスト脚本(未映画化の優秀な脚本)の一つをリドリー・スコットがプロデュースした作品。
・・・というより、その息子ルーク・スコットの監督作品ということで注目した作品です。
ある大企業の研究施設の一つが人口生命体の開発に成功したものの、彼女”モーガン”の精神は非常に不安定で研究者たちに危害を加える事故が起こった。
本社から派遣された女性調査員リーは事態の収拾を図るが、実は彼女の正体は・・・、というストーリー。
閉鎖された空間で人ならざるものと人間たちが心理戦を展開するというお話からは『エクス・マキナ』が連想されます。
ゲーム『バイオハザード』(1作目)もこんな雰囲気の物語だったように思います。
また、リーの正体については、プロデューサーであるリドリー・スコットの名作『ブレード・ランナー(最終版)』にも通じているように感じます。
モーガンが極端なコミュ障でキレやすい子供に見えてしまうことと、最終的にモーガンをキレさせたセラピストの態度がいかにも彼女を挑発している様に描かれていたことから、キャラクターや世界観描写の浅さとストーリー進行に性急さが感じられ、秀逸なSF世界に浸りきることが出来ませんでした。
せっかくの良いアイデア・良い脚本なのに「もったいないな」というのが正直な感想です。
4/23(日)
『ゴジラvsビオランテ』
(ホームシアター:Blu-ray)

生まれて初めて観た映画、『ゴジラ対へドラ』。
わずか数秒分とはいえエキストラとして撮影現場に参加した『シン・ゴジラ』。
「東宝チャンピオンまつり」に基づく私の怪獣映画への認識を、丸ごと書き換えてしまうほどに感動させてくれた第一作目の『ゴジラ』。
私にとっての「ベスト・オブ・ゴジラ」のうちこれらの次に来るのがこの『ゴジラvsビオランテ』であり、個人的にも色々と思い入れのある作品でもあります。
『ゴジラvsビオランテ』レビューは来週中のアップを目指して鋭意編集中です。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
昨日ふとカウンターを見てみると、いつの間にか1,000カウントを超えていました。
この趣味丸出しのブログにご来訪頂いた皆様、まことにありがとうございます。
半年で1,000という数字が多いのか少ないのかは分かりませんが、一つ大台を超えたことは地味に嬉しいです。
今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
さて。
毎週日曜の夜は、この一週間に観た映画の感想をまとめて書き連ねています。
忙しさも落ち着いて、久しぶりにゆっくり映画を楽しむ時間も取れた一週間でした。
4/17(月))
この日はメンズデーということで男性は一律1.100円で映画館を利用できます。
仕事も休みということで久しぶりに映画のハシゴをしました。
『夜は短し歩けよ乙女』🈠
(劇場:テアトルサンク)

『君の名は。』の異常なまでの大ヒットは出資者たちに「アニメはカネになる」と思わせるに十分だったらしく、昨今はアニメ映画の企画が目白押しのようです。
本作の湯浅政明監督もすでに次回作『夜明け告げるルーのうた』の公開が控えていて、氏のような特異な才能の持ち主に脚光が当たるようになったのは喜ばしいことです。
湯浅監督は劇場版『クレヨンしんちゃん』などで、一目でこの人の作画と分かる独特の画風・動きを表現するアニメーターでした。
優れたアニメーション監督は数多けれどこれほどアニメーションを武器に出来ている人は少ない気がします。
キャラクターや動きがまるで戦前のまんが映画風で、酒を飲み干すときの腑に落ちて行く大袈裟なアニメ表現や詭弁ダンスのぐねぐねした動きなどが目に新しいです。
まるで舞台を観ているみたいだと思っていたら、終盤は本当に演劇シーンに物語が集約されていくのも愉しかったです。
私はアニメは好きですが、いわゆる声優さんにはあまり興味はありません。
しかしこの映画で黒髪のヒロインを演じた花澤香菜さんの声は、舞台女優のように透き通って抜けが良くビームのように観客席に響いて来る力強さを感じました。
また、音楽担当が大島ミチルさんであったことも個人的にポイント高いです。
女性作曲家でありながら、男性以上に骨太でダイナミックな楽曲も書けてしまう守備範囲の広さを持つ作曲家だと思っています。
『ゴジラ』のミレニアムシリーズ(手塚昌明監督作品)で聴かせてくれた新しいゴジラのテーマ曲は、故・伊福部昭氏を継ぐものとして以後の参加を期待していたのですが系譜が途絶えてしまったみたいで残念です。
映像の楽しさ、演出・テンポの良さと共に、耳に心地良い映画でもありました。
世界観を同じくするというテレビアニメ『四畳半神話大系』もぜひ観てみたいと思っております。
そしてもう一本。
『パッセンジャー』
(劇場:テアトルサンク)

ずっと以前から期待していた作品だったのですが、最初に観たとき何かしっくりこなくてモヤモヤしていたSF映画です。
アイデアもストーリーも、映像表現も俳優の演技も良く出来ているのに、何故か内容に没入出来ないまま終わってしまいました。
「面白くない」わけでも「自分の体調が悪かった」わけでもないのにこれはいったいどうしたことか?。
今回2度目を観てその理由が解った気がしました。
自分の映画評の基準に関わる話になりますので、改めてレビューをまとめてみたいと思っています。
4/18(火))
映画鑑賞無し
4/19(水)
映画鑑賞無し
4/20(木)
『ゴジラ(昭和59年版)』
(ホームシアター:自己流再編集バージョン)

『ゴジラ(昭和59年版)』レビューをまとめながら観返していました。
公開当時からごく最近まで、「もう二度と観ることは無いであろうゴジラ映画」の一つとして長い間無視を決め込んでいた作品でしたが、大きく視点を変えて観直すと力及ばずながらも意外にストイックで真摯な内容の映画でした。
実はここまでのゴジラ映画で、「核兵器」に正面から向かい合っていた作品は無かったのです。
もっと若い世代のスタッフを重用し、武田鉄矢に割くコストと時間と労力をゴジラの活躍シーンに振り向けてくれれば、もしかしたら歴史に残る大傑作になっていたかも知れません。
4/21(金)
『ゴースト・イン・ザ・シェル』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)

<ネタバレを含みます。未見の方は閲覧にご注意ください。>
仕事帰りにレイトショーで観てきました。
う~む。
元より過度な期待はしていませんでしたが、やはり自分が知っている『攻殻機動隊』とは全くの別物になっていました。
ハリウッド版『ドラゴンボール』や北村龍平版『ルパン三世』、あるいは日本版『スパイダーマン』のようなものでしょうか。
押井守監督の劇場版と『イノセンス』やテレビ版『S.A.C.』シリーズもごちゃ混ぜにして『攻殻』初心者にも分かり易い映画に作り替えられた結果、リスペクトしていたはずの押井守作品のカラーが根こそぎ削ぎ落されてしまっていた・・・という印象です。
犬のガブリエル、アヴァロンアパート、広告塔の文字、さらにはエンドクレジットに『イノセンス』の楽曲が流れる等、中途半端に押井守へのオマージュは出てくるものの、元となった『攻殻機動隊』の持つ哲学的テーマ(自我の存在への疑念)は失われていました。

元になった押井守監督の劇場版『攻殻機動隊』と『イノセンス』はバトーが主人公であり、彼から見た草薙素子(のゴースト)の物語です。
(ちなみにテレビ版『攻殻機動隊S.A.C.』はトグサ視点、次の『2nd GIG』で初めて素子が主役になっています。)
劇場版のストーリーをベースにしているはずですが、これを素子視点で描いてしまったために着地点を見失ったように思えます。
「自我とは何か?」の話を「記憶の捏造、許すまじ!」という話にすり替えてしまっていました。
しまいには素子の母親(演:桃井かおり!)まで登場する始末で、そのリアルにくたびれた演技も手伝って「サイバー人情劇場」へとなり果てました。

草薙素子役がなぜ白人女性であるスカーレット・ヨハンソンなのか?。
これはホワイトウォッシング(有色人種の役に白人をキャスティングすること)そのものではないのか、という議論もありました。
いや、”少佐”と呼ばれてはいましたが、序盤での名称は”ミラ”になっていました。
本来日本人だった”草薙素子”は1年前に企業の実験台にされ、記憶を描き替えられて”ミラ”というサイボーグの頭脳にさせられた、という設定に変更されて、彼女がその記憶を取り戻していくことがストーリーの主軸になっています。
なるほど、スカヨハの姿形は義体のデザインにすぎないということであれば、素子役が白人女性でも納得は出来ます。
逆に言えば、ホワイトウォッシングを正当化するための設定・ストーリーの改変だったという見方も出来なくはないですが・・・。
しかし、そのスカーレット・ヨハンソンは全身サイボーグにしてはムチムチで肉付きが良すぎますね(笑)。
走ったり壁を飛び下りたりするにも身体が重い感じでドタドタとした動きに見えてしまいます。
むしろ生命力に溢れていて、機械の身体に魂を閉じ込められた女性の哀しみや戸惑いは感じられません。
劇場版アニメ『攻殻機動隊』における素子の描写は鉄面皮ともいうべき無表情を貫いていて、その反動で彼女の内面にある(と本人が願っている)ゴーストの存在を浮きだたせる演出だったと思います。
今回のスカヨハ版素子は表情がありすぎてそんな儚さは微塵も感じることは出来ませんでした。
残念。
4/22(土)
『モーガン プロトタイプ L-9』🈠
(ホームシアター:レンタルBlu-ray)

『パッセンジャー』と同じく、ハリウッドのブラックリスト脚本(未映画化の優秀な脚本)の一つをリドリー・スコットがプロデュースした作品。
・・・というより、その息子ルーク・スコットの監督作品ということで注目した作品です。
ある大企業の研究施設の一つが人口生命体の開発に成功したものの、彼女”モーガン”の精神は非常に不安定で研究者たちに危害を加える事故が起こった。
本社から派遣された女性調査員リーは事態の収拾を図るが、実は彼女の正体は・・・、というストーリー。
閉鎖された空間で人ならざるものと人間たちが心理戦を展開するというお話からは『エクス・マキナ』が連想されます。
ゲーム『バイオハザード』(1作目)もこんな雰囲気の物語だったように思います。
また、リーの正体については、プロデューサーであるリドリー・スコットの名作『ブレード・ランナー(最終版)』にも通じているように感じます。
モーガンが極端なコミュ障でキレやすい子供に見えてしまうことと、最終的にモーガンをキレさせたセラピストの態度がいかにも彼女を挑発している様に描かれていたことから、キャラクターや世界観描写の浅さとストーリー進行に性急さが感じられ、秀逸なSF世界に浸りきることが出来ませんでした。
せっかくの良いアイデア・良い脚本なのに「もったいないな」というのが正直な感想です。
4/23(日)
『ゴジラvsビオランテ』
(ホームシアター:Blu-ray)

生まれて初めて観た映画、『ゴジラ対へドラ』。
わずか数秒分とはいえエキストラとして撮影現場に参加した『シン・ゴジラ』。
「東宝チャンピオンまつり」に基づく私の怪獣映画への認識を、丸ごと書き換えてしまうほどに感動させてくれた第一作目の『ゴジラ』。
私にとっての「ベスト・オブ・ゴジラ」のうちこれらの次に来るのがこの『ゴジラvsビオランテ』であり、個人的にも色々と思い入れのある作品でもあります。
『ゴジラvsビオランテ』レビューは来週中のアップを目指して鋭意編集中です。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
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