地元のお祭りに行ってきました
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トガジンです。
今日は福井県でも30度を超える真夏日になりました。
・・・と、まるでニュースの前フリみたいな書き出しになってしまいましたが、いやホント暑かった!。
5月に真夏日なんて異常気象もいいとこです。

そんな中、今日は資料映像の撮影も兼ねて地元のお祭り見物に出かけてきました。
毎年5月19・20・21日の三日間は、北陸三大祭りのひとつ三國神社の春の例大祭、通称「三国祭り」が開催されています。

中でも「本祭」である今日(20日)は神社に奉納される巨大武者人形の曳き山車(やま)巡行が見どころで、いつもは閑静な湊町もこの日ばかりは数百軒の露店が立ち並び約15万の人出で賑わいます。
今年の本祭は土曜日ということもあってか、例年よりも人出が多く県外からの観光客も多かったように感じました。

キャラクターとしては例年戦国武将が取り上げられることが多く、この一番山車(正面向)の大谷吉継も秀吉の時代に現在の福井県・敦賀市を治めた武将です。
石田光成との友情物語や、儀に厚い人物として語られることが多く、歴史好きの女性たちに人気の高い戦国武将のようです。

山車の高さは電線などの都合もあって6.5メートルまでとなっていますが、そんな制限など無かった昔には10メートルを超える巨大なものもあったようです。
この人形制作は、数年前までは技術を受け継いだ町内のある床屋さんが一手に引き受けていましたが、数年のうちにその床屋さんとそのあとを継いだ息子さんも立て続けに亡くなられてしまうという不幸な出来事がありました。
伝統の継承が危ぶまれたこともありましたが、現在では地区ごとに研究を積んで独自に作っているみたいです。

ただでさえ狭い路地に屋台が軒を連ねていて、しかも尋常ならざる人出の中をこんなデカいものが練り歩くのですから大変です。
熊手のような棒で電線を押し上げ、各屋台は山車が通るたび屋根を立てて道を開けます。

山車の内部にはこのようにお囃子役の子供たちが乗り込んでいて、♪ピーヒョロピーヒョロ「え~い~やっ」と引手の男衆を盛り立てます。
このお囃子も伝統に乗っ取って、何か月も前から特訓しているとのこと。
お囃子役の子でなくとも、祭りの日はたとえ平日であっても町内の小中学校は午前中で授業が終了したものでした。
この町の住人の一年は、5月20日を中心に回っていると言っても過言ではありません。
また、引手や山車を指揮する男衆の中には小中学校時代の同級生もいて、昔のアダ名で呼び合う懐かしい再会もありました。

他にも、このように乗っている蝦蟇から煙が吹き出すギミックを加えた「児雷也」とか・・・。

柴田勝家の山車の前方を、勝家公に扮した大男が槍を持って先導するというユニークな演出もありました。
このリアル勝家公は観光客にも人気のようで、あちこちで記念写真をせがまれていました。
ちなみに柴田勝家は、羽柴秀吉に敗れて福井城でお市の方と共に最期を遂げた戦国武将です。
最近の映画では三谷幸喜の『清須会議』で役所広司が演じていました。

山車をこうしてローアングルで撮っていると小さい子供の目線と同じになり、幼い頃にこうして仰ぎ見た記憶が蘇ります。
巨大な人型が、非日常空間と化したわが街をねり歩く・・・。
これって巨大ロボットや怪獣映画そのものじゃないですか!?。
私が生まれて初めて映画館で『ゴジラ対ヘドラ』を仰ぎ見て、脳天直撃を受けたのは小学校に入って最初の夏休みのことでしたでした。
いや、それ以前の『ウルトラセブン』や『帰ってきたウルトラマン』から「巨大怪獣がいる世界」を身近に感じていましたが、それは私が物心付いた頃から年に一度の地元のお祭りで「わが街を闊歩する巨大なモノ」を仰ぎ見ていたせいだったかも知れません。
そういえば『大魔神』を初めて観たときは、何故か終盤で大魔神に追い回される大館左馬之助に感情移入してしまって異様に怖かったのを思い出しました。
私が「でっかいもの」に憧れるのと同時に畏怖する気持ちの原点は此処にあったようです。
いや~、それにしても暑かった!。
本日もお付き合いいただきありがとうございました。
今日は福井県でも30度を超える真夏日になりました。
・・・と、まるでニュースの前フリみたいな書き出しになってしまいましたが、いやホント暑かった!。
5月に真夏日なんて異常気象もいいとこです。

そんな中、今日は資料映像の撮影も兼ねて地元のお祭り見物に出かけてきました。
毎年5月19・20・21日の三日間は、北陸三大祭りのひとつ三國神社の春の例大祭、通称「三国祭り」が開催されています。

中でも「本祭」である今日(20日)は神社に奉納される巨大武者人形の曳き山車(やま)巡行が見どころで、いつもは閑静な湊町もこの日ばかりは数百軒の露店が立ち並び約15万の人出で賑わいます。
今年の本祭は土曜日ということもあってか、例年よりも人出が多く県外からの観光客も多かったように感じました。

キャラクターとしては例年戦国武将が取り上げられることが多く、この一番山車(正面向)の大谷吉継も秀吉の時代に現在の福井県・敦賀市を治めた武将です。
石田光成との友情物語や、儀に厚い人物として語られることが多く、歴史好きの女性たちに人気の高い戦国武将のようです。

山車の高さは電線などの都合もあって6.5メートルまでとなっていますが、そんな制限など無かった昔には10メートルを超える巨大なものもあったようです。
この人形制作は、数年前までは技術を受け継いだ町内のある床屋さんが一手に引き受けていましたが、数年のうちにその床屋さんとそのあとを継いだ息子さんも立て続けに亡くなられてしまうという不幸な出来事がありました。
伝統の継承が危ぶまれたこともありましたが、現在では地区ごとに研究を積んで独自に作っているみたいです。

ただでさえ狭い路地に屋台が軒を連ねていて、しかも尋常ならざる人出の中をこんなデカいものが練り歩くのですから大変です。
熊手のような棒で電線を押し上げ、各屋台は山車が通るたび屋根を立てて道を開けます。

山車の内部にはこのようにお囃子役の子供たちが乗り込んでいて、♪ピーヒョロピーヒョロ「え~い~やっ」と引手の男衆を盛り立てます。
このお囃子も伝統に乗っ取って、何か月も前から特訓しているとのこと。
お囃子役の子でなくとも、祭りの日はたとえ平日であっても町内の小中学校は午前中で授業が終了したものでした。
この町の住人の一年は、5月20日を中心に回っていると言っても過言ではありません。
また、引手や山車を指揮する男衆の中には小中学校時代の同級生もいて、昔のアダ名で呼び合う懐かしい再会もありました。

他にも、このように乗っている蝦蟇から煙が吹き出すギミックを加えた「児雷也」とか・・・。

柴田勝家の山車の前方を、勝家公に扮した大男が槍を持って先導するというユニークな演出もありました。
このリアル勝家公は観光客にも人気のようで、あちこちで記念写真をせがまれていました。
ちなみに柴田勝家は、羽柴秀吉に敗れて福井城でお市の方と共に最期を遂げた戦国武将です。
最近の映画では三谷幸喜の『清須会議』で役所広司が演じていました。

山車をこうしてローアングルで撮っていると小さい子供の目線と同じになり、幼い頃にこうして仰ぎ見た記憶が蘇ります。
巨大な人型が、非日常空間と化したわが街をねり歩く・・・。
これって巨大ロボットや怪獣映画そのものじゃないですか!?。
私が生まれて初めて映画館で『ゴジラ対ヘドラ』を仰ぎ見て、脳天直撃を受けたのは小学校に入って最初の夏休みのことでしたでした。
いや、それ以前の『ウルトラセブン』や『帰ってきたウルトラマン』から「巨大怪獣がいる世界」を身近に感じていましたが、それは私が物心付いた頃から年に一度の地元のお祭りで「わが街を闊歩する巨大なモノ」を仰ぎ見ていたせいだったかも知れません。
そういえば『大魔神』を初めて観たときは、何故か終盤で大魔神に追い回される大館左馬之助に感情移入してしまって異様に怖かったのを思い出しました。
私が「でっかいもの」に憧れるのと同時に畏怖する気持ちの原点は此処にあったようです。
いや~、それにしても暑かった!。
本日もお付き合いいただきありがとうございました。
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