映画『メッセージ』と藤子・F・不二雄
CATEGORY外国映画:マ行
ネタバレ全開です。映画『メッセージ』を未見の方は閲覧をお控えください。
トガジンです。
今年の映画ベスト10の一つが決まりました。
『メッセージ』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)

この映画、心待ちにしていたのですよ。
本日、仕事帰りに観てきました。
『コンタクト』や『未知との遭遇』のような異星人との意思疎通ものに時間の観念を取り込んだSF映画で、いわゆる「タイムパラドックス・ループ」が頻繁に発生している作品でもありました。
うっかり時系列通りに作ってしまうと、ストーリーの矛盾ばかりが目に付く三流SF映画になりかねない難しいテーマです。
しかしこの映画は、主人公の女性言語学者:ルイーズの愛娘とのエピソードを軸に据えることで、その特殊な物語構造を未来志向の感動作へと昇華するという離れ業を見せてくれました。
観終わって「上手に騙してくれてありがとう!」と言いたくなる素敵な映画です。
この内容をきちんと理解するために何回でも観返したいと思っています。
出来るだけ近いうちに字幕版で2回目を、そして日本語吹き替え版も含めてあと2回・・・いや3回・・・。

この映画には様々なタイムパラドックスが重複して描かれています。
見方によってはご都合主義としか思えないようなものばかりで、最初のうちは「あかん、ストーリーが穴だらけや・・・」と思ったものです。
しかし、もちろんそれは意図的な表現であり、決して適当に作った与太話ではありませんでした。
ヘプタポッドが地球に来た理由

そもそもヘプタポッドたちが地球に来た理由というのが、「今から三千年後に自分たちを救ってくれることになる地球人を滅亡から救いに来た」という現在の私たちには理解し難い荒唐無稽ともいえるものでした。
多分、地球は何年後かに国家間の戦争かなにかで自滅する未来が待っていたのでしょう。
それを救うには、地球人全体が国や民族ごとの言葉や習慣を超えて分かり合えるようにする必要がありました。
未来から来た、あるいは未来を知っているヘプタポッドたちはあえて環境が大きく異なる12の土地に分かれて降臨し、相互理解のための道具としての「新しい言葉」を与えに来たのです。
・・・と、ここで思い浮かんだのが『ドラえもん』でした。

ヘプタポッドって、ドジなご先祖ののび太を助けることで、自分の人生を矯正しようとするセワシ君そのものじゃないですか?。
もの凄く難解な映画のように見えますが、こうして藤子・F・不二雄先生のマンガになぞらえて観るとかなり理解しやすくなります。
言語解析とシャン将軍の説得

言語学者のルイーズがヘプタポッドの言語の解析に行き詰った時、彼女はヘプタポッド語の権威になっている未来の自分のイメージを見ます。
ルイーズは、その中の資料をもとに最初の言語解明に成功します。
また、ヘプタポッドに戦争を挑もうとする中国のシャン将軍を説得するため、言語学者のルイーズは短い時間で彼を納得させる殺し文句を考える必要に迫られます。
その時もタイムパラドックス現象が起き、シャンの亡くなった妻の最期の言葉とシャンの電話番号をシャン本人から聞き出します。
それをシャンに聞かせたことでヘプタポッドの真意を理解させ戦争状態を止めることに成功します。
いずれもタイムマシンで未来に行ってあらかじめ答案を見てくるような、いわゆる「未来を先取り」するエピソードです。
ここで私はまた藤子・F・不二雄先生の漫画を思い出してしまいました。


ご先祖のキテレツ斎が残した設計図に従って航時機(タイムマシン)を作ったキテレツ。
その設計図には「戸乱辞須太(「トランジスタ)を使うべし」と現代の部品名が記載されていたが、キテレツは「キテレツ斎さまは天才だ」だと感心するばかりで気にはとめなかった。
キテレツとコロ助は完成したタイムマシンでキテレツ斎に会いに江戸時代に行くがマシンが故障してしまって帰れなくなる。
途方に暮れて江戸時代で暮らしていたある日、風変わりな学者風の男がタイムマシンに興味を持ちいろいろいじっているうちに直してくれた。
その男こそ奇天烈斎その人だったが、現代に帰ったキテレツは「本当にタイムマシンを発明したのは誰なんだ?」と混乱するばかりだった。
くれぐれも誤解なきよう願います。
決して藤子・F・不二雄作品のパクりだと言っているわけではありません。
こういう風に藤子作品になぞらえていくと、物語のギミックが理解しやすいということを言いたいのです。

二重三重のタイムループの存在を理解したうえで、主人公:ルイーズの娘:ハンナのエピソードに目を向けると、この物語の狙いがよく分かります。
この映画のオープニングは、ルイーズが最愛の娘ハンナを病気で失うところから始まります。
そして謎の物体が出現し、ルイーズは軍に請われて未知なる言語の解析に駆り出されるわけですが、この時ルイーズは娘を失った心の傷を負ったままこの計画に参加しているのだと思っていました。
そして苦境に立たされるたびに娘の声やイメージに励まされて目的を達していく物語なのだと思い込まされていました。
しかし、そうではなかったのです。
徐々にルイーズは、目の前に現れる女の子が誰なのか分からなくなっていきますが、それもそのはず。
娘の死は過去の出来事ではなく、この事件の後に結婚して授かる娘との悲しい未来を「先取り」していたのでした。
どんなに辛い未来が待ってると分かっていても、愛する者への想いを曲げることは出来ない。
物語が最後にここに行き着くと分かった瞬間、鳥肌が立ちました。
娘の名前と鳥の鳴き声が重要なヒントになっていましたが、ラストで娘が描いた絵を見たときに一本の線でピシッと繋がったと実感したのです。
タイムパラドックスに関してはやや大雑把なところもありましたが、そんなことは既にどうでもよくなっており、最後は「おお!そういうことだったか!」と膝を打っていました。

ストーリーテリングの上手さに加えて、幻想的な映像も、重低音を生かした音響もとても素晴らしいもので見応えがありました。
この監督さんなら『ブレード・ランナー』の続編にも期待が持てますね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
トガジンです。
今年の映画ベスト10の一つが決まりました。
『メッセージ』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)

この映画、心待ちにしていたのですよ。
本日、仕事帰りに観てきました。
『コンタクト』や『未知との遭遇』のような異星人との意思疎通ものに時間の観念を取り込んだSF映画で、いわゆる「タイムパラドックス・ループ」が頻繁に発生している作品でもありました。
うっかり時系列通りに作ってしまうと、ストーリーの矛盾ばかりが目に付く三流SF映画になりかねない難しいテーマです。
しかしこの映画は、主人公の女性言語学者:ルイーズの愛娘とのエピソードを軸に据えることで、その特殊な物語構造を未来志向の感動作へと昇華するという離れ業を見せてくれました。
観終わって「上手に騙してくれてありがとう!」と言いたくなる素敵な映画です。
この内容をきちんと理解するために何回でも観返したいと思っています。
出来るだけ近いうちに字幕版で2回目を、そして日本語吹き替え版も含めてあと2回・・・いや3回・・・。

この映画には様々なタイムパラドックスが重複して描かれています。
見方によってはご都合主義としか思えないようなものばかりで、最初のうちは「あかん、ストーリーが穴だらけや・・・」と思ったものです。
しかし、もちろんそれは意図的な表現であり、決して適当に作った与太話ではありませんでした。
ヘプタポッドが地球に来た理由

そもそもヘプタポッドたちが地球に来た理由というのが、「今から三千年後に自分たちを救ってくれることになる地球人を滅亡から救いに来た」という現在の私たちには理解し難い荒唐無稽ともいえるものでした。
多分、地球は何年後かに国家間の戦争かなにかで自滅する未来が待っていたのでしょう。
それを救うには、地球人全体が国や民族ごとの言葉や習慣を超えて分かり合えるようにする必要がありました。
未来から来た、あるいは未来を知っているヘプタポッドたちはあえて環境が大きく異なる12の土地に分かれて降臨し、相互理解のための道具としての「新しい言葉」を与えに来たのです。
・・・と、ここで思い浮かんだのが『ドラえもん』でした。

ヘプタポッドって、ドジなご先祖ののび太を助けることで、自分の人生を矯正しようとするセワシ君そのものじゃないですか?。
もの凄く難解な映画のように見えますが、こうして藤子・F・不二雄先生のマンガになぞらえて観るとかなり理解しやすくなります。
言語解析とシャン将軍の説得

言語学者のルイーズがヘプタポッドの言語の解析に行き詰った時、彼女はヘプタポッド語の権威になっている未来の自分のイメージを見ます。
ルイーズは、その中の資料をもとに最初の言語解明に成功します。
また、ヘプタポッドに戦争を挑もうとする中国のシャン将軍を説得するため、言語学者のルイーズは短い時間で彼を納得させる殺し文句を考える必要に迫られます。
その時もタイムパラドックス現象が起き、シャンの亡くなった妻の最期の言葉とシャンの電話番号をシャン本人から聞き出します。
それをシャンに聞かせたことでヘプタポッドの真意を理解させ戦争状態を止めることに成功します。
いずれもタイムマシンで未来に行ってあらかじめ答案を見てくるような、いわゆる「未来を先取り」するエピソードです。
ここで私はまた藤子・F・不二雄先生の漫画を思い出してしまいました。


ご先祖のキテレツ斎が残した設計図に従って航時機(タイムマシン)を作ったキテレツ。
その設計図には「戸乱辞須太(「トランジスタ)を使うべし」と現代の部品名が記載されていたが、キテレツは「キテレツ斎さまは天才だ」だと感心するばかりで気にはとめなかった。
キテレツとコロ助は完成したタイムマシンでキテレツ斎に会いに江戸時代に行くがマシンが故障してしまって帰れなくなる。
途方に暮れて江戸時代で暮らしていたある日、風変わりな学者風の男がタイムマシンに興味を持ちいろいろいじっているうちに直してくれた。
その男こそ奇天烈斎その人だったが、現代に帰ったキテレツは「本当にタイムマシンを発明したのは誰なんだ?」と混乱するばかりだった。
くれぐれも誤解なきよう願います。
決して藤子・F・不二雄作品のパクりだと言っているわけではありません。
こういう風に藤子作品になぞらえていくと、物語のギミックが理解しやすいということを言いたいのです。

二重三重のタイムループの存在を理解したうえで、主人公:ルイーズの娘:ハンナのエピソードに目を向けると、この物語の狙いがよく分かります。
この映画のオープニングは、ルイーズが最愛の娘ハンナを病気で失うところから始まります。
そして謎の物体が出現し、ルイーズは軍に請われて未知なる言語の解析に駆り出されるわけですが、この時ルイーズは娘を失った心の傷を負ったままこの計画に参加しているのだと思っていました。
そして苦境に立たされるたびに娘の声やイメージに励まされて目的を達していく物語なのだと思い込まされていました。
しかし、そうではなかったのです。
徐々にルイーズは、目の前に現れる女の子が誰なのか分からなくなっていきますが、それもそのはず。
娘の死は過去の出来事ではなく、この事件の後に結婚して授かる娘との悲しい未来を「先取り」していたのでした。
どんなに辛い未来が待ってると分かっていても、愛する者への想いを曲げることは出来ない。
物語が最後にここに行き着くと分かった瞬間、鳥肌が立ちました。
娘の名前と鳥の鳴き声が重要なヒントになっていましたが、ラストで娘が描いた絵を見たときに一本の線でピシッと繋がったと実感したのです。
タイムパラドックスに関してはやや大雑把なところもありましたが、そんなことは既にどうでもよくなっており、最後は「おお!そういうことだったか!」と膝を打っていました。

ストーリーテリングの上手さに加えて、幻想的な映像も、重低音を生かした音響もとても素晴らしいもので見応えがありました。
この監督さんなら『ブレード・ランナー』の続編にも期待が持てますね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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