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映画と日常

週刊映画鑑賞記(2017.7/17~2017.7/23)

トガジンです。
毎週日曜日の夜は、この一週間に観た映像作品について徒然なるまま書き連ねております。

今週後半は猛暑日が続いて、もう身体が熔けそうでした。
暑さで疲れが倍増しているうえに帰宅が遅くなることも多かったため、今週はゆっくり映画を観る時間が取れていません。
これから夏の繁忙期に入りますが、今からこの調子では先が思いやられます。



7/18(火)
『ロスト・エモーション』🈠
(ホームシアター:レンタルDVD)
ロスト・エモーション
ツタヤやゲオの「5本で1,000円」で借りる時って、何故か「あと一本」に悩んで店内を彷徨ってしまうことが多いです。
これはその「あと一本」としてたまたま手に取ったSF映画。
「リドリー・スコット製作総指揮」の謳い文句が目についたのがきっかけでしたが、パッケージに書かれていた「日本でもロケが行われ、世界的建築家の安藤忠雄の建築物が撮影に使用された。」の一文が決め手でした。
これってつまり、安藤忠雄氏が美術を担当したと考えることも出来るのではないでしょうか。

<あらすじ>
最終戦争によって地球の陸地の99.6%が破壊された近未来。
「人類を滅亡させる最大の原因は感情である」と考えた人類は、遺伝子操作を施した感情のない人間とその共同体を作った。
人間は全て当局の監視下に置かれ、愛情や欲望など感情を「発症」した者は「欠陥者」と見なされ安楽死させられることになる。
そんな中、恋愛感情を「発症」してしまった一組の男女サイラスとニアは外の世界へ脱出することを決意する。

ロスト・エモーション 広場 ロスト・エモーション 通路
安藤氏の建築物が持つ無機質な佇まいに美しい照明を当てることで未来感を醸し出しており、あの名作『ガタカ』を思い出させてくれるティストの映像でした。
閉鎖された空間で人が飼いならされる中、そこから脱出しようとあがく男女のストーリーは『THX-1138』や『アイランド』を思い出します。

終盤で安楽死施設に送られてしまったニアは、協力者たちの機転で「死亡」を装って脱出に成功しますが、それを知らされていなかったサイラスは絶望し自殺を図ろうとします。
「ええっ、ここまで来てオチは『ロミオとジュリエット』ですかぁ?」
と、コケそうになりましたが・・・後は見てのお楽しみということで(笑)。

ストーリー、映像美、音の使い方、そして俳優さんの演技。
そのどれもが上質で、派手さはありませんが掘り出し物の逸品でありました。
DVDでの鑑賞だったため、この映像美をブルーレイやWOWOW等のハイビジョン画質で堪能出来なかったことが悔やまれます。


7/19(水)
『ゴジラvsメカゴジラ』
(PCでビデオファイル視聴:WOWOW録画)
vsメカゴジラ ポスター
金曜日にアップした『ゴジラvsメカゴジラ』レビューの仕上げのために、画面キャプチャーを兼ねて記事を書きながら見返していました。
回を追うごとに「ゴジラ映画を軸にした自分史」と化してきたゴジラ全作品レビューですが、今回は当時を思い出すのが苦痛で本音を書くことにも躊躇してしまった記事でもありました。

結果的に私が平成VSシリーズに見切りを付けることになった作品です。
結婚問題や会社の移籍(事実上は引き抜き)に悩んでいた当時の私は、相手の女性とその家族と向かい合う覚悟とか、それまでお世話になった先輩や上司を裏切ることになる後ろめたさから逃れたい気持ちがあって、かなりナーバスな精神状態になっていました。

前作への失望感からこの『ゴジラVSメカゴジラ』にもたいして期待もしていませんでしたが、「気晴らしになれば・・・」と軽い気持ちで観に行きました。
前半部分はよく出来たストーリーと実直な演出とで好印象だったものの、ラストの逆転劇があまりにもご都合主義的で他力本願なものであり、痛快さとは程遠いものだったことに過剰に反応してしまいました。

当時の私は現実逃避の場所として居心地の良いゴジラ映画を選び、そこで描かれた「そのうち他の誰かが都合良く助けてくれるだろう」という安易なストーリーに腹を立てていただけなのかも知れません。
そんな当時の自分の馬鹿さ加減には赤面しますが、当時感じたこの作品への印象そのものは今も変わっていません。


話は変わって。
この日の視聴形態を「PCでビデオファイル視聴」としていますが、実際はこんな感じです。
こんな感じで見ながら書いてます
私はWOWOWや日本映画専門チャンネルなどで録画したデータはほとんど再圧縮してNASに格納しておき、こうして見返したいときにすぐ見られるようにしています。
いちいちディスクを引っ張り出してこなくても、こんな風にYouTubeでも観るようにPCで作業の傍ら鑑賞することも、寝る前に少しづつ見ることも出来るのでとても便利です。

再圧縮にはHandBrakeの簡易版であるVidCorderを愛用していますが、この時逆テレシネによる24P変換をしておくことも忘れてはおりません。
どんな環境で観ようとも、映画は秒間24コマの動きが基本なのです。


7/22(土)
『すばらしき映画音楽たち』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)
すばらしき映画音楽たち
「映画音楽とは何か」を実際の作曲家や監督たちが語り、映画音楽の魅力を再確認させてくれるドキュメンタリー。
マット・シュレイダー監督はこの映画製作のために大手放送局の職を辞め、クラウド・ファンディングで資金を調達しながら完成させたとのことです。

映像だけでは単なる情報に過ぎませんが、音楽(セリフや効果音も同様)が付くことによって人間のエモーションに訴えるものに変化して映画となります。
しかも、現在の作曲家や映画監督たちは非常に高度なエモーション・コントロールをしているようで、本作に登場する心理学者によると「観客は音楽の特定の旋律につられて視点移動をコントロールされている」とのことです。
広い画面内に存在する特定の人物や物の動きに合わせた音楽が鳴ることによって、観客は知らず知らずのうちにその対象に注目する・・・いや、させられているということでした。

ここで思い出したのが、『ゴジラvsキングギドラ』で伊福部昭先生が久し振りに音楽担当を引き受けた時のエピソードでした。
先生はその時「必ずスクリーンに映した映像を直接見ながら演奏して音楽を付ける」という条件を出していたそうです。
いま思うと、古き良き日本映画全盛時代を知る伊福部先生がそんな条件を出したのは、こうした音楽による心理操作の効能を熟知しておられたからではないでしょうか。

映画音楽の重要性を再認識させてくれるドキュメンタリーで、「面白い話が聞けた」と得した気分です。
と、同時に音楽の使い方を失敗した(と思われる)作品についても考えが及んでしまいました。
例えば・・・。
映像・演出面で新しいゴジラ像を確立しながらも、伊福部音楽や監督の過去作品の楽曲を使用したために単なるファン・ムービー的な印象を残してしまった『シン・ゴジラ』
広い宇宙船の中でたった一人取り残された男の焦燥を描く場面で、音楽が雄弁に語り過ぎたことで観客が実感すべき孤独感を阻害してしまった『パッセンジャー』。
このドキュメンタリーから思い当たる作品はまだまだ出てきそうです。

内容は非常に興味深いものの、映画としては編集の粗さが気になって少々見づらい部分がありました。
語られる作品や作曲家ごとの切り替わり部分(場面転換)が曖昧で、観ていて混乱する箇所があったのが残念です。

製作総指揮に日本人作曲家:戸田信子(別名:戸田色音)さんの名前がありましたが、彼女は単なる出資者だったのか内容にも関わっていたのかチョット気になりました。
どうせなら日本映画でもこうした映画音楽を研究・分析したドキュメンタリー作品をプロデュースして欲しいものです。
例えば、黒澤明監督がよく使った悲しい場面であえて陽気な楽曲を劇中曲として流す「音と映像の対位法(コントラプンクト)」についてとか、音楽を一切使わなかった森田芳光監督の『家族ゲーム』の話とか。
更に、伊福部昭先生の音楽は何故あんなに怪獣映画にピッタリなのか?。
何故、冬木透先生の「ワンダバ」はあれほど私の魂を高ぶらせてくれるのか?。
渡辺宙明先生の楽曲が聴いてるだけで無条件に燃えてくるのは何故なのか?。
知りたいことはまだまだあるのであります。



今年は猛暑に加え、各地で大雨による被害が起こっております。
福井県でも13年前に未曾有の豪雨で足羽川の堤防が決壊した被害があったため、私も今は戦々恐々としているところです。
豪雨災害で大変な思いをされている他県の皆様にお見舞い申し上げます。


今種もお付き合いいただきありがとうございました。
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