【訃報】中島春雄さん(ミスター・ゴジラ)
CATEGORY『ゴジラ』シリーズ
トガジンです。
また一人、私の大好きなものを創ってくれた方が逝ってしまわれました。

『ゴジラ』第一作から『ゴジラ対ガイガン』までの18年間、ほぼ全てのゴジラ役を演じられた中島春雄さん。
7日午後、肺炎のためお亡くなりになりました(享年88歳)。

私が初めて目にしたゴジラの雄姿。
この『ゴジラ対ヘドラ』でも中島さんがゴジラを演じていました。

当時の中島さんは円谷英二監督の死去を受けてゴジラ俳優を引退することを考えていたそうですが、中野昭慶監督を初めとする特撮スタッフから「是非」と乞われて再びゴジラを演じることにしたのだそうです。
「東宝チャンピオンまつり」の一プログラムとしてゴジラシリーズの継続が決まったとき、その再スタートに当たってはやはりオリジナルである中島さんの演技が必要だったのだと思います。

『モスラ対ゴジラ』のゴジラ初登場シーンは何度見てもゾクゾクします。
ぐいっと躰を起こしてぶるぶるっと土を落とす仕草はまさしく「生き物」そのものでした。
この巨大生物が放射熱線を吐き、街を蹂躙しながら迫ってくるのですからたまりません。
私が『モスラ対ゴジラ』を怪獣映画史上屈指の傑作と信じて疑わない理由はひとえにこのシーンの存在によるものです。
昭和のゴジラは作品ごとにキャラクターが変化していました。
それが「畏怖すべき存在」であるにせよ「ヒーロー」として描かれるにせよ、そこに描かれているゴジラが生きているように見えなければどうにもなりません。

中島さんが演じたゴジラの所作には、日本の古典芸能「能」や「人形浄瑠璃」にも通じる「見立て」を想起させるものがありました。
一度「見立て」を経てしまえば、多少の造りの粗さも(若干やり過ぎ気味の)おふざけも素直に受け入れることが可能になっていくものです。
キャラクターに生命を感じることさえ出来れば人形浄瑠璃の黒子も目に入らなくなるのと同じようなものです。

中島春雄さんは元々東宝の俳優さんですから、顔出しでの出演も多数存在します。
ちなみにこちらは『怪獣総進撃』の参謀本部の幹部役で、一番手前が中島さんです。

昭和59年版『ゴジラ』公開前に放映された特集番組で、中島さんの出演場面が紹介されていました。
それがこのゴジラ防衛線の準備にあたる変電所のシーンです。

VTRでこの後ろ姿を見た時、中島さん本人が「あ、私でございますね」と少し驚いた様子で答えていました。
ご本人の肉声を初めて聞いたことと、その妙に丁寧な口調が可笑しかったことから今でもよく覚えています。
(確か片岡鶴太郎だったと思いますが)出演者から、「ゴジラに入っていたから頭が薄くなったのでは?」などと失礼なことを言われていましたが、それに照れ笑いする表情もまた記憶に残っています。
また、Wikipediaによると『ゴジラ』第一作目にはゴジラ役の他に新聞記者役でも出演されているとあります。

探してみたところ、この場面に出ている一人が中島さんでした。
「ゴジラを大いに研究するべきだ」と唱える別の記者に対して・・・

「しかし、現状の災害はどうするんだ?」と反論する若い記者です。
こうして見ると、このセリフを中島さんに言わせるというのはなんだか洒落が効いていますね。

ちなみにこの直後、萩原記者に芹沢博士に会うよう指示する上司役は中島さんと共同でゴジラに入った手塚勝巳さんです。
このシーンは、初代ゴジラ俳優お二人の揃い踏み場面でもあったわけです。
当初は元プロ野球選手でもある手塚さんがゴジラ役のはずでしたが、着ぐるみがあまりにも重くて3メートルくらいしか歩けなかったとのことです。
それを、中島さんは10メートル歩いて見せてメインのゴジラ役に決まったのだそうです。
しかし、こうして見るとお若い頃の中島さんは細身な印象で、とても100キロ以上あるゴジラ・スーツを着て歩ける方とは思えませんね。

引退後も『ゴジラ』新作公開のたびに元気なお姿を見せてくいれていましたが、もうあの人懐っこい笑顔が見られないと思うと怪獣映画ファンとして寂しい限りであります。
中島春雄さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また一人、私の大好きなものを創ってくれた方が逝ってしまわれました。

『ゴジラ』第一作から『ゴジラ対ガイガン』までの18年間、ほぼ全てのゴジラ役を演じられた中島春雄さん。
7日午後、肺炎のためお亡くなりになりました(享年88歳)。

私が初めて目にしたゴジラの雄姿。
この『ゴジラ対ヘドラ』でも中島さんがゴジラを演じていました。

当時の中島さんは円谷英二監督の死去を受けてゴジラ俳優を引退することを考えていたそうですが、中野昭慶監督を初めとする特撮スタッフから「是非」と乞われて再びゴジラを演じることにしたのだそうです。
「東宝チャンピオンまつり」の一プログラムとしてゴジラシリーズの継続が決まったとき、その再スタートに当たってはやはりオリジナルである中島さんの演技が必要だったのだと思います。

『モスラ対ゴジラ』のゴジラ初登場シーンは何度見てもゾクゾクします。
ぐいっと躰を起こしてぶるぶるっと土を落とす仕草はまさしく「生き物」そのものでした。
この巨大生物が放射熱線を吐き、街を蹂躙しながら迫ってくるのですからたまりません。
私が『モスラ対ゴジラ』を怪獣映画史上屈指の傑作と信じて疑わない理由はひとえにこのシーンの存在によるものです。
昭和のゴジラは作品ごとにキャラクターが変化していました。
それが「畏怖すべき存在」であるにせよ「ヒーロー」として描かれるにせよ、そこに描かれているゴジラが生きているように見えなければどうにもなりません。

中島さんが演じたゴジラの所作には、日本の古典芸能「能」や「人形浄瑠璃」にも通じる「見立て」を想起させるものがありました。
一度「見立て」を経てしまえば、多少の造りの粗さも(若干やり過ぎ気味の)おふざけも素直に受け入れることが可能になっていくものです。
キャラクターに生命を感じることさえ出来れば人形浄瑠璃の黒子も目に入らなくなるのと同じようなものです。

中島春雄さんは元々東宝の俳優さんですから、顔出しでの出演も多数存在します。
ちなみにこちらは『怪獣総進撃』の参謀本部の幹部役で、一番手前が中島さんです。

昭和59年版『ゴジラ』公開前に放映された特集番組で、中島さんの出演場面が紹介されていました。
それがこのゴジラ防衛線の準備にあたる変電所のシーンです。

VTRでこの後ろ姿を見た時、中島さん本人が「あ、私でございますね」と少し驚いた様子で答えていました。
ご本人の肉声を初めて聞いたことと、その妙に丁寧な口調が可笑しかったことから今でもよく覚えています。
(確か片岡鶴太郎だったと思いますが)出演者から、「ゴジラに入っていたから頭が薄くなったのでは?」などと失礼なことを言われていましたが、それに照れ笑いする表情もまた記憶に残っています。
また、Wikipediaによると『ゴジラ』第一作目にはゴジラ役の他に新聞記者役でも出演されているとあります。

探してみたところ、この場面に出ている一人が中島さんでした。
「ゴジラを大いに研究するべきだ」と唱える別の記者に対して・・・

「しかし、現状の災害はどうするんだ?」と反論する若い記者です。
こうして見ると、このセリフを中島さんに言わせるというのはなんだか洒落が効いていますね。

ちなみにこの直後、萩原記者に芹沢博士に会うよう指示する上司役は中島さんと共同でゴジラに入った手塚勝巳さんです。
このシーンは、初代ゴジラ俳優お二人の揃い踏み場面でもあったわけです。
当初は元プロ野球選手でもある手塚さんがゴジラ役のはずでしたが、着ぐるみがあまりにも重くて3メートルくらいしか歩けなかったとのことです。
それを、中島さんは10メートル歩いて見せてメインのゴジラ役に決まったのだそうです。
しかし、こうして見るとお若い頃の中島さんは細身な印象で、とても100キロ以上あるゴジラ・スーツを着て歩ける方とは思えませんね。

引退後も『ゴジラ』新作公開のたびに元気なお姿を見せてくいれていましたが、もうあの人懐っこい笑顔が見られないと思うと怪獣映画ファンとして寂しい限りであります。
中島春雄さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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