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映画と日常

『ブレードランナー2049』

トガジンです。
先週の8日(水曜)に字幕版で初鑑賞、そして13日(月曜)に吹き替え版を観てきました。
残念ながら3度目を観たいとは思いませんので、この辺で考えをまとめておきたいと思います。

ブレードランナー2049
ブレードランナー2049 ポスター

<あらすじ>
西暦2049年。
タイレル社を買収した実業家ウォレス(演:ジャレッド・レト)の企業が従順な最新型レプリカントを開発。
人類は不正な初期型レプリカントを捕獲し続けていた。
抑圧的な職場に身を置きながら、この使命を負うロス市警のK(演:ライアン・ゴズリング)は、任務を遂行する過程でレプリカントが独自の発展を遂げていることに気づく。
そして捜査の果てにたどり着いたのは、昔レプリの女性と逃亡し行方をくらました元ブレードランナー、デッカード(演:ハリソン・フォード)の存在だった


【興行不振】
ブレードランナー2049 プレミア
ブレードランナー2049』は、本国アメリカでも日本でも興行面でかなり苦戦していると伝え聞きます。
私が観に行った2つの劇場も自分と同じ50歳以上の男性客がほとんどで、女性や若い客層には完全にそっぽを向かれているように感じました。
その原因は、前作の最終バージョンである「ファイナルカット版」が非常に難解に見えてしまうため、その続編である『2049』も「一見さんお断り」映画と思われたのではないかと想像します。

我々旧来のファンは後輩たちに対して、「『ブレードランナー』は是非観ておけ。そして観るなら「ファイナルカット版」を観ろ。」と勧めてきました。
しかし、そのことが彼らの『ブレードランナー』の難易度を無駄に高めてしまったのかも知れないと反省し始めています。

ブレードランナー 独白 ブレードランナー ナレーション
思い起こしてみれば、私たちオールド・ファンが最初に接した『ブレードランナー』(劇場公開版)には、デッカードの独白ナレーションが入っていたではありませんか!。
あの追加されたナレーションのおかげで、私たちはこのぶっきらぼうで皮肉屋な主人公の内面を理解し彼に感情移入もしていたのです。
つまり解説付きの分かり易い『ブレードランナー』を最初に観ていたからこそ、私たち原体験世代は「ファイナルカット版」も今回の続編『2049』も存分に楽しむことが出来ているのです。

後輩たちに対しても、『ブレードランナー』入門編として最初のナレーション入りバージョンを観ることを薦めるべきでした。
ブレードランナー2049』の不振は、このシリーズの正しい楽しみ方を後輩たちに伝授してこなかった私たちにも一因があったように思います。


【ジョイを愛でる映画】
12日(日)の『週刊映画鑑賞記』にも同じことを書いておりますが、大事なことなのでもう一度書いておきます(笑)。
この作品の一番の見どころはやはりこの娘に尽きます。

ブレードランナー2049 ジョイとK屋上 ブレードランナー2049 ジョイ雨
「人間もどき」「同族殺し」と蔑まれながらも、黙々とブレードランナーの仕事に従事する主人公:K。
そんな彼を優しく慰めてくれるのは、ウォレス社製バーチャル彼女:ジョイです。

ブレードランナー2049 ジョイ
このジョイ役を演じたアナ・デ・アルマスさん。
大きく潤んだ目の幼い顔立ちで日本でも人気が出そうな女優さんです。
彼女はA.I.であり実体の無い半透明ホログラフ、時々フリーズしたりもするけれど、肉感豊かな姿形とキューティーハニーのように瞬時に変わるコスチュームの数々でおっちゃん達のハートを鷲掴みです。
そういう意味でも、『ブレードランナー2049』は50歳台のオヤジのための映画でありました(笑)。

ジョイの艶姿を愛でながら、私は↓の製品を連想しておりました。
ブレードランナー2049 Gateboxの製品
http://gatebox.ai/
https://www.youtube.com/watch?v=mMbiL8D6qX0&feature=youtu.be

アニメ王国・日本、ここに極まれり!
最近復活したソニーのアイボも、基本コンセプトはこれと似たようなものかも知れません。
『ブレードランナー2049』が描く未来世界は、前作とは違った意味でとても日本的なものでありました(笑)。

ブレードランナー2049 ジョイ・チャイナ
ホログラフィーである彼女がマリエット(彼女もレプリカント?)と同期してえっちするシーンもありました。
これは、なんとも言えない気恥ずかしさと戸惑いを覚えると同時に、今まで観たことのない新しいSFシークエンスでもあったと思います。

ブレードランナー2049 ジョイ・巨大ホログラフ
ジョイはウォレス社の襲撃によって破壊されてしまいますが、その最期の瞬間、Kに対して「愛してる!」と叫びます。
傷心のKにとっては彼女のその言葉だけが慰めだったと思うのですが、街に出てみるとジョイの量産品が無数に溢れていて巨大なジョイの宣伝用ホログラフがKに微笑みかけてきます。
あのジョイの最期の告白は、ジョイに芽生えた自我によるものだったのか?。
それともA.I.にプログラムされていたセリフの一つに過ぎなかったのか?。
映画の中ではその答えは示されていません。


【まるであの名作のような・・・】
ブレードランナー2049 K
主人公のK(演:ライアン・ゴズリング)がとにかく哀れで切ないです。

ブレードランナーということで同族(レプリカント)から恨みを受け、自身もレプリカントということで人間からも蔑まれているK。
唯一の慰めであったジョイも所詮は量産品のA.I.にすぎず、その彼女も戦闘のさ中で永久に失うことになります。
20数年前に女性型レプリカントが産んだとされる子供を探すうち、「自分がそのレプリカントの子、つまり意味ある存在なのでは?」と期待を抱きますが、それも実は他人から移植された偽記憶に過ぎないことを思い知らされます。
全てを失った(あるいは初めから何も無かった)彼には、その子供と父親を無事に引き合わせるために命を賭して戦うことしか残されていませんでした。

ブレードランナー2049 K悲惨
完全にデッカード父娘のための引き立て役で、彼には何一つ得るものがありませんでした。
いくらその父親というのが前作の主人公:デッカードだったとはいえ、新主人公Kに対するこの扱いはあんまりではないでしょうか。

そんな彼の姿を見ていると、私はとある昔のテレビアニメを思い出さずにはいられませんでした。
『フランダースの犬』です。

ブレードランナー2049 「フランダースの犬」
パトラッシュは、鉄の種族の生まれでした。
その種族は、情け容赦のない労苦に従事するために長年繁殖させられたものでした。
そういうわけでパトラッシュはひどい重荷を負わされ、むちうたれ、飢えと渇きに苦しめられ、なぐられ、ののしられて、すっかり疲れ切ってしまっても、何とかみじめに生き長らえることができたのでした。
こうした苦しみが、もっとも忍耐強く、よく働く四つ足の犠牲者に対してフランダースの人間が与える唯一の報酬でした。


上記はウィーダ著『フランダースの犬』(原作)からの抜粋ですが、これってレプリカントそのものじゃないですか?。

また、庇護者であるおじいさんを喪いガールフレンドのアロアとも引き離され、さらには画家になる夢も打ち砕かれてしまったネロ少年。
一方で、心の拠り所であるジョイを失い、自分が意味ある存在であるかもしれないという希望も儚い幻想だったと知らされるK。
この二人の姿もまた重なって見えてしまいます。

ブレードランナー2049 フランダースの犬
『ブレードランナー2049』のラストシーンは、Kが雪景色の中で息絶える処で終わります。
その姿に、ルーベンスの絵の前で天に召されるネロとパトラッシュの姿が重なって見えたのは私だけでしょうか?。

・・・いや、多分私だけです、ハイ(笑)。
最初に『ブレードランナー2049』を観たとき、私は不意に『フランダースの犬』のネロとパトラッシュを連想してしまったのです。
その考えがどうしても頭から離れないのであります。


【インディ、ハン・ソロ、デッカードの共通点】
ブレードランナー2049 ハリソン再演 ブレードランナー2049 30年後のデッカード
『インディ・ジョーンズ』、『スター・ウォーズ』のハン・ソロ、そして今回のデッカード。
ここ数年、ハリソン・フォードはかつて自分が演じたヒット作の後日譚にそのまま齢を重ねた同じ役で出演してくれています。
昔ながらのファンとしてとても嬉しいことではありますが、その3人のキャラクターにはある共通するキーワードがありました。
それは・・・
育児放棄
デッカードに関しては已むに已まれぬ事情があったものの、三人とも息子や娘と離れて生きてきた父親として再登場しています。
3作品のファンとしてはなんとも複雑な気分であります(笑)。


【デッカードの例の件】
ブレードランナー2049 デッカード
私個人としては、「デッカードもレプリカントだった」という説には否定的立場を取っていて、あれはリドリー・スコット監督の独りよがりな思い込みに過ぎないと思っています。
以前、前作『ブレードランナー』の記事で書いた通り、デッカードもレプリカントだったことにしてしまうと、”人間”に向けて発せられたロイの最期の言葉の重みが完全に失われてしまうと思うからです。

この話をすると「じゃあ、ガフがデッカードの夢の内容を知っていたのは何故だ?。」と反論を受けることになりますが、それはレイチェルの子供時代の記憶(お医者さんごっこや蜘蛛の話)がタイレルの姪の記憶のコピーであることと同じ理屈です。
人間であるタイレルの姪の記憶は何らかの形でデータとして取り出されたわけですから、それはレプリカントに携わるタイレル社の技術者やブレードランナー達(デッカードやガフ)にも閲覧可能なものと考えられます。
デッカードの記憶も、どこかでタイレルやガフに盗み見られていないとは限らないのです。

いずれにせよ、『ブレードランナー2049』ではデッカード=レプリカント説に関して特に触れてはいませんでした。
彼が人間でもレプリカントでもどちらでも成立する内容になっています。

ブレードランナー2049 Kとデッカード
「ハリソン・フォードが再びデッカード役で出演する」という事はこの映画最大のセールスポイントだったはずですが、それが意味するものとは「デッカード=レプリカント説に終止符を打つ」ことに他なりません。
それを明確化するつもりが無いのなら、デッカードもガフもレイチェルの存在もこの映画を冗長化させるだけの無駄な存在です。
実際のところ、デッカード登場後は主人公であるはずのKの存在感が希薄化していき、ジョイの喪失と同時に映画は軸を失ってグダグダになっていきました。

いっそのこと、この作品は『ブレードランナー』の続編というポジションを捨て去るべきではなかったかと思います。
傑作『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の新訳映画化作品として作ってくれたほうがよほど清々しかったのではないでしょうか。


【難点】
本作には、ストーリー面でどうしても腑に落ちない箇所があります。

ブレードランナー2049 ジョシ
それは、レプリカントの子供を探す任務から戻ったKが、ロビン・ライト演じる上司:ジョシ(ああ、ややこしい!)に嘘の報告をするシーンです。
なんと、彼女はKの口頭報告を聞いただけで「あら、そうなの?」という感じでロクに確かめもせず簡単に納得してしまうのです。
これではジョシが頭の悪い人に見えてあまりにも間抜け過ぎです。
こういう展開にするのなら最初からこの上司を無能な人間として描いておくべきでした。

確かに、ここでジョシが「確認する」とか「証拠は?」とか言い出したら、ただでさえ160分以上もある映画が更に長尺になってしまいそうです。
ここで手間取ると後半のストーリーへの移行がスムーズにいかなくなるためあえて簡素化したのでしょう。

しかし、これは作劇上の都合による明らかなロジックの湾曲でありキャラクターの記号化です。
ここまで全身全霊で集中して観ていた私も、この拍子抜けするシーンで一気に気持ちが醒めてしまいました。
このような緻密なストーリーに一度でも作者のご都合主義が見えてしまうともう駄目で、物語に没入し続けることはもはや不可能です。

今の私には、「ジョイを愛でる」事とドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のビジュアルセンス以外、この作品に価値を見出すことが出来ません。
3度目を観るのはレンタルかWOWOWで十分です。


【2ツデジューブンデスヨ!】
ブレードランナー 2ツデジューブンデスヨ
ウォレスがまだ生きていることを思うと、リドリー・スコット監督やハンプトン・ファンチャー氏がさらに続編を目論んでいることは明白です。
しかも、製作総指揮のスコット氏は前日譚を息子(ルーク・スコット)に監督させるなどしていて、次回作も自分が牛耳るつもりでいるように見受けられます。
そこにはもしかすると、人造人間つながりで『エイリアン』シリーズと『ブレードランナー』の世界観を一体化させ、自分がトータル・クリエイターとして名を残そうとするリドリー・スコット監督の思惑もあるかも知れません。

しかし、『エイリアン』前日譚も『ブレードランナー』も、三作目はもう望んでいません。
それぞれの興行成績がそれを物語っています。
分かってくださいよ、リドリーさん・・・。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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