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映画と日常

二つの『日本のいちばん長い日』

トガジンです。
昨日・おとといと二日連続で、新旧の『日本のいちばん長い日』を鑑賞しました。
どちらもこの夏WOWOWで放送されたものです。

日本のいちばん長い日 新旧ポスター横
1967年の岡本喜八監督版は、レンタルDVD・日本映画専門チャンネル・BSプレミアムに続いて4回目の鑑賞。
前回観たのは2年前のリメイク版公開前だったと思います。
一昨年公開のリメイク版は今回が初鑑賞です。

<あらすじ(新旧共通)>
昭和20年8月14日の深夜から15日にかけて、皇居で一部の陸軍将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件を描いた史実に基づく作品。
日本の降伏(ポツダム宣言受諾)を不服とする将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害のうえ師団長命令を偽造、近衛歩兵第二連隊を用いて皇居を占拠して天皇の録音盤を奪取しようとした。
しかし陸軍首脳部・東部軍管区の説得に失敗した彼らは日本降伏阻止を断念、一部は自殺もしくは逮捕された。
これにより日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。



2つの『日本のいちばん長い日』を観ていてちょっと思い浮かんだことがありました。
史実に基づいた物語を後世の人間が想像を加えて映画化し、それを観た観客がその内容を真実と思い込んでしまう。
この違和感、前にも味わった気がするなあ、とボンヤリ考えていたのですが・・・。

タイタニックのジャック・ドーソン(正体不明)
『タイタニック』でした!。
乗客名簿には確かに記載されていたもののその素性は明らかになっていないジャック・ドーソン氏のお墓には、公開当時献花が絶えることがなかったそうです。
いきなり『タイタニック』の話に飛んで恐縮ですが、つまり今回はそういう話であります。


日本のいちばん長い日』(1967年版)
(ホームシアター:WOWOW録画)
『日本のいちばん長い日』(1967年版)
まずは1967年(昭和42年)公開の岡本喜八監督版。
庵野秀明監督が『シン・ゴジラ』のお手本にしたとされる作品です。

日本のいちばん長い日67 閣僚会議
『シン・ゴジラ』が継承したのは、壮年男性の顔アップでたたみかける会議シーンやシネスコ画面いっぱいに現れるテロップばかりではありません。
登場人物の心情吐露やプライベート描写を極力排除しているところなども、この岡本版『日本のいちばん長い日』の特徴と一致します。

日本のいちばん長い日67 阿南(アップ)
例えば、阿南惟幾陸軍大臣(演:三船敏郎)。
天皇の聖断に準ずるという忠誠心と戦争継続を訴える部下たちとの板挟みに苦しむ人物ですが、この映画では彼の真意を具体的に描こうとはしていません。
彼の家族についてもその存在すら触れられることなく、ひたすら日本の歴史の転換期に立ち会った男の”仕事”のみを見つめ続けています。
そのため真意が非常に分かりにくい人物になってしまったのも事実であり、登場人物というよりは物語を動かす駒の一つのようにさえ見えてきます。

日本のいちばん長い日67 陸相と海相 日本のいちばん長い日67 陸軍将校
凄まじいテンポで2時間半以上の長丁場を一瞬たりとも退屈させずに見せきってくれるこの作品。
とにかく熱い!。
どこを切っても出てくる顔はむさ苦しい政治家たちと暑苦しい軍人たちばかりです。

大体、この映画には女っ気が無さすぎです!。
日本のいちばん長い日67 新珠美千代 日本のいちばん長い日67 天本英世
綺麗どころといえば新珠三千代さんただ一人ですが、それも僅か5~6カットにすぎません。
その清々しさがかえって暴走軍人・天本英世さんのキ●ガイぶりを引き立ててくれています(笑)。

日本のいちばん長い日67 畑中号泣 日本のいちばん長い日67 畑中絶叫
中でも一番熱い男がこの畑中少佐(演:黒沢年男)です。
ポツダム宣言受諾の報に人目もはばからず号泣し、かっと目玉を見開き絶叫しながら先輩将校を説得しようとします。
実は私、こういった日本映画に多く見られる「エキセントリックな絶叫演技」が大キライなのですが、そのはしりは実は黒沢さんのこの役ではないのか?とさえ思えてきます(笑)。
でも、この作品に限っては全然目障りでも耳障りでもないのが不思議です。
あのハイテンションがこの映画が持つテンポと熱気にぴったり合っているのでしょう。

畑中健二少佐 ご本人(wikipediaより)
<畑中健二少佐ご本人>(写真:wikipediaより引用)

映画では、彼の純粋さが狂気に転じて周囲の若手将校を巻き込んでいったかのように描かれていますが、実際の畑中健二少佐は「物静かな文学青年風で後輩思いの人物だった」と言われています。
そのため、映画公開当時にはご本人を知る人達から訂正を求める抗議もあったそうです。
畑中少佐がクーデターの中核に位置していたのは事実ですが、本当に主犯であったかどうかについては本人が自決してしまったため今も不明瞭なままです。

日本のいちばん長い日67 畑中暴走
こうしたキャラクター性の改変は、おそらく脚本家の橋本忍氏の手によるものではないかと思われます。
というのも、私はここ数日『八甲田山』『八つ墓村』と立て続けに橋本忍脚本作品を観ていたため、その原作(あるいは史実)改変の手腕というか強引さに着目していたところだったのです。

八甲田山 三国連太郎
『八甲田山』では三国連太郎演じる上官が非常に横暴かつ無能な人物にされていて、青森第5連隊の遭難はまるで彼一人のせいであるかのように描かれていました。
しかし、モデルとなった山口鋠少佐は決してあのように無体な人物では無く、遭難の本当の原因は準備不足と若い将校の油断にあったと言われています。
山口少佐を悪役に仕立てたのは、北大路欣也を無能者として描くわけにいかないため彼を翻弄する存在が必要だったのでしょう。
また、『日本のいちばん長い日』の反省からか『八甲田山』では実在した人物の名前を一字づつ捩った仮名にしています。

八つ墓村 祟り
『八甲田山』と同じ年に制作された『八つ墓村』では、なんと犯罪ミステリーをオカルトものに書き変えてしまいました。
原作では「祟りを利用した遺産継承目的の連続殺人事件」だったはずが、この映画では真犯人の行動全てが尼子義孝たち8人の落武者の祟りによるものとして描かれます。
渥美清さんが演じた金田一耕助は、真犯人の犯行や動機についての説明はそこそこに済ませ、犯人や村人たちと祟りの関連性の解説にばかり時間を割いていました。
非常に陰惨で救いのない物語になった映画『八つ墓村』ですが、映画の冒頭とラストに空港勤務する主人公の姿を見せることでオブラートに包むことも忘れてはいません。

こんな具合に橋本脚本は、複雑に絡み合っている事件の元凶や話の軸を、一人の人間・一つの事象に集約してしまうのです。

日本のいちばん長い日67 畑中自決
『日本のいちばん長い日』の青年将校:畑中少佐もやはり、映画の構成上の都合で人物像を大きく変えられた一人ということです。
2時間37分もの映画をすっきりまとめるには、腹の内が読めない阿南陸相よりも若く情熱的な畑中少佐をストーリーの軸としたほうが話が簡潔になって面白くなります。
観客は彼の猪突猛進ぶりにハラハラしながらも「あの日」の事の成り行きを見守り続けることになるのです。

もしかすると、当時の観客の中には畑中の狂気に当てられて思わずクーデター成就を願ってしまう者もいたかも知れません。
この映画の公開時は終戦の日から22年しか経っていないため、日本人からまだ戦時中の記憶が失われてはいなかったからです。
もしかすると、この映画の畑中少佐の描かれ方にはそんな意図も隠されていたのかも知れません。


『日本のいちばん長い日』(2015年版)🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)
『日本のいちばん長い日』(2015年版)
続いて2015年(平成27年)公開の原田眞人監督『日本のいちばん長い日』です。

日本のいちばん長い日15 阿南の家族
原田版では、家族との絡みや阿南の想いを具体的に掘り下げて描くことに腐心しているようです。
旧作ではその存在にすら触れられていなかった阿南陸軍大臣の妻や娘も登場し、更には戦死した息子のエピソードまでもが織り込まれています。

日本のいちばん長い日15 阿南陸相
確かに、阿南陸軍大臣に関して言えば役所浩司さんが演じた本作の方が遥かに魅力的な人物として描かれています。
三船敏郎さんが演じた旧作の阿南からは「終戦の詔書」の文言に因縁を付けて会議を長引かせる彼の意図が分かりかねましたが、本作ではそうやって会議を引き延ばすことで若い部下たちの決起行動を先送りさせるためだったと理解出来ます。

これは、戦後70年が過ぎて当時の状況を知らない観客が多いことを思うと当然の構成ではありますが、映画全体への集中力低下と同時に内容の偏りを招いてもいます。

日本のいちばん長い日15 畑中
畑中少佐は、ご本人の人物像に近い(とされる)純粋な愛国の徒として描かれています。
しかも演じるのは当代きってのイケメン俳優(松坂桃李)ですから、旧作とは180度イメージが変わったキャラクターです。
それでいて、クーデター決行後は旧作の椎崎中佐(演:中丸忠雄)の如き冷酷非情さも合わせ持って描かれていて、宮城事件の中心人物として物語を引っ張っているのは同様です。

旧作には無かった要素もいくつか見られました。
日本のいちばん長い日15 東条英機
中でも、東条英機が登場して若い将校たちを扇動したシーンには本当に驚きました。
これが史実かどうかは分かりませんが、これがあるとないとで宮城事件への印象がガラリと変わってしまいます。
これでは、終戦へと事を運んだ昭和天皇・阿南陸相・鈴木首相は善であり、煽られた若手将校たちもまた被害者であって、まるで諸悪の根源が東条英機であるかのようにも見えてしまいます。
旧作で東条英機の名前すら出さなかったのは東京裁判の記憶がまだ新しかったせいもあったでしょうが、それに加えて映画そのものに偏った印象を持たせたくないという意図があってのことだったかも知れません。

新作はこれらの追加要素を旧作に比べて20分も短い上映時間に押し込んでいるため、映画全体が破綻しているように感じます。
例えば、岡本監督版では総尺157分のうちおよそ135分を費やして、主題である「日本のいちばん長い日」の24時間を描いていました。
これは上映時間全体の86%を占める割合です。
対してこのリメイク版におけるそれは、136分中約59分で全体の43%にとどまっています。
しかも物語は同年4月の鈴木貫太郎内閣発足から始まっていて、昭和天皇の御聖断にたどり着くまでは1時間12分も要しています。
宮城事件勃発に至るまでの過程と関係者の人となりを丹念に描こうとした結果、肝心の宮城事件の部分がダイジェストになってしまいました。


これはあくまでも私の感想ですが、リメイク版『日本のいちばん長い日』はあまり観る必要を感じません。
原作『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(半藤一利著)を読み、ウィキペディア等で実際の阿南陸相や鈴木首相、そして畑中少佐たち関係者のことを調べたうえで、もう一度岡本喜八版を観ることをお勧めします。
良くも悪くも岡本版の登場人物は、俳優が実在の人物に扮した”記号”でしかありませんから、そこに観客自身が情報を投入して観ることで各々のイマジネーションが広がると思います。
今さら原田監督の解釈を押し付けられても困ってしまうのです。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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