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映画と日常

週刊映画鑑賞記(2023.6/26~2023.7/2)

トガジンです。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。

『七人の侍』ポスター画像(初公開当時)
今週観たのは『七人の侍』一本のみです。
感想だけでなく、この映画にまつわる父との思い出話も語らせていただきたいと思います。



6/28(水)
『七人の侍』
(ホームシアター:4K UHD-BD)
UHD-BD『七人の侍』到着
先日、予約購入していた『七人の侍』4K-UHD Blu-rayが届きました。
「午前十時の映画祭10」で上映されたとき2週続けて見に行って以来ですから約3年ぶりの鑑賞です。


【もはや我が血肉】
村に到着
高3のときテレビ放映で初めて見て以来、現在も様々な面で自分に影響を与え続けてくれている映画です。

例えば・・・。
勝四郎と勘兵衛
テレビ業界でアルバイトしていた学生時代や新人の頃には、勝四郎のように早く仕事を覚えて先輩たちに着いて行こうと必死でした。

七郎次と百姓たち
そのとき、七郎次の「戦(いくさ)ほど走るものはないぞ。走れなくなったら死ぬ時だ。」というセリフが頭に浮かんできて、いつも無意識のうちに「ハイッ」と大きな声で返事して現場を駆けまわっておりました。
その動きと態度が気に入られたらしく学生時代からあちこちの映像制作会社に声をかけてもらえるようになり、大学卒業後も3年間フリーターとして数社を渡り歩いて経験を積み、花博前にとあるTV番組下請け制作会社に就職しました。

久蔵
その後カメラマンに昇格してからは久蔵のように自分のスキルアップに夢中になっておりました。
いつも「凄い!神業や!」と思って見ていた先輩のテクニックがやがて自分も出来るようになっていくのが楽しくてたまらなかった時期です。

平八と利吉
やがて後輩が入って来ると、今度は平八のように彼等に声をかけて相談に乗ったりもしてました。
そのたびに「あ?、俺いま平八をやってる・・・。」と思ったものです。

勘兵衛のリーダーシップ
しかし、私は勘兵衛のように優れたリーダーにはなれませんでした。
プロジェクト完遂のためには時として一部の者たち(『七人の侍』では川向うの離れ家)を切り捨てなければならないことも多々ありますが、私にはそれがどうしても出来なかったのです。

ここまで自分を反映させながら何度も見られる映画は『七人の侍』だけです。
まさに自分の血肉となっている映画であり、これからも見るたびに違った視点を発見し続けていくのだろうと思っています。


【父との思い出】
『七人の侍』TV放送
『七人の侍』を初めて見たのは’82年10月1日のテレビ放送でした。
当時私は高校3年生。
進路希望として「映画が好きだから映画を学べる大学に進学したい」と書いたら両親や先生に猛反対されて気持ちがモヤモヤしていた頃でした。

また、『七人の侍』の放送時間は3時間もありました。
母と祖母には「お前は受験が近いんだから・・・」と渋い顔をされましたが、意外なところから援護射撃が飛んできました。
父が「『七人の侍』なら俺も見たい。」と言い出したのです。

実は、当時の私は父に対し距離を置くようになっておりました。
「将来映画監督になりたい」と言ったとき「そんなもので食っていけるわけがない」とあっさり否定されたことがあったからです。
自分が目標としていることを「そんなもの」呼ばわりされた瞬間から、父は私にとって「つまらない大人」の一人になっていました。

タイトル
そんな父が見たがるなんてどれだけ凄い映画なのだろう?。
一気に期待が高まりました。
こうして、私は生まれて初めて一本の映画を父と一緒に観ることになりました。
そして、このときの『七人の侍』が父と一緒に見た最初で最後の映画でもありました

1982年10月1日の福井新聞テレビ欄(マーキング)
ちなみに、『七人の侍』の裏番組はあの『太陽にほえろ!』でした。
しかも、この日の『太陽にほえろ!』は初代メンバーの一人であるゴリさんこと石塚刑事(演:竜雷太)が殉職する特別回であり、放送時間も通常とは違う1時間半のスペシャル版でした。

当時我が家には既にビデオデッキ(HR-7650)がありましたが、この日はどちらを録画してどちらをリアルタイム視聴するかずいぶん悩みました。
月曜日には学校で「ゴリさん殉職」が話題に上がるのは確実ですから絶対に見逃すわけにはいきません。
結局、私は『太陽にほえろ!』をビデオに録って翌日見ることにして、『七人の侍』をリアルタイムで見ることに決めました。

やるべし!
TV放映の『七人の侍』は白黒で画面も暗く、しかも音質がひどく悪くてセリフが聴き取りにくかったです。
長老の「やるべし!」と「さむれえやとうだ」はなんとか分かりましたが、その他はもう何言ってるのか全然分かりません。
それで父に「あの爺さん、今なんて言ってた?」と尋ねてみると、父は「ああ、あれはな・・・」と百姓たちの会話内容をスラスラと教えてくれたのです。
父が『七人の侍』を見るのはこれが初めてではないことが分かりました。

かなり後になって知った事ですが、実は『七人の侍』には初公開時の3時間20分全長版以外に黒澤監督自身が再上映用に再編集した2時間半ほどの短縮版が存在していました。
(要するにゴジラ映画の東宝チャンピオンまつり版みたいなものです)
考えてみれば、3時間の放送枠で3時間20分の『七人の侍』をノーカット放送出来るはずがありません。
この日私が初めて見た『七人の侍』は短縮版だったのです。

『七人の侍』ポスター画像(サウンドリニューアル版)
私が『七人の侍』完全版を見たのは、90年代に入ってからサウンドリニューアル版が劇場上映された時でした。
(その時のポスターには確かに「完全オリジナル版」と書かれています)
完全版と短縮版を直接見比べたことはありませんが、私の印象では父と一緒に見たテレビ放映版(短縮版)は序盤のテンポがかなり早かった気がします。
セリフが聴き取りにくい上に再編集でテンポアップされていたわけですから、初めて見る私が話について行けないのも無理はありません(笑)。

おろそかには食わんぞ
話が進み、勘兵衛が百姓の頼みを聞き入れたあたりで私にもこの映画の良さが分かってきました。
勘兵衛の「この飯、おろそかには食わんぞ。」というセリフには鳥肌が立ちましたし、百姓たちに代わって彼らの苦境を激しい口調で訴えた馬喰の心根にも思わずジーンときました。
今でも一番好きなシーンです。

村の下見
さらに、勘兵衛と五郎兵衛が村の周辺を下見するシーンで私が設定を呑み込めずにいると、父はCM中に「村の守りを固めるといっても村の中心から遠く離れた家までは守りきれない。つまり見捨てるしかないということや。」とその後の展開を伏せつつ詳しく図に描いて説明してくれました。

ラストシーン
父のサポートのおかげで、画面が暗くてセリフも聴きとりにくいこの名作を最後まで観終わりました。
観終わった時には、何か言葉には表せない感情と興奮がジワジワとこみ上げてきて「もう一回最初から見たい!」という欲求が心の底から沸き上がっておりました。
「3倍モードでもいいから『太陽にほえろ!』じゃなくこっちを録画して残すべきだった!」と激しく後悔しましたがもはや後の祭りでした・・・。


その翌日。
祖母(父の母)から意外な話を聞かされました。
高校時代の父(公開当時父は17歳)は友達と見に行った『七人の侍』があまりにも面白かったため、その後何度も自転車で映画館に通って(祖母が覚えているだけでも)5回以上観に行っていたそうです。
しかも、暇さえあればノートに場面やセリフを書き起こして、まるで小説かシナリオのようなものまで書いていたとか。

なんだ、結局俺と同じ人種やないか・・・。

その後『七人の侍』について父と話したことはなかったですが、この日を境に少しだけ父との会話が増えた気がします。


今月末日は父の13回目の命日です。
13回忌は家族だけで粛々と執り行うことに決めていますが、お盆には3年ぶりに他県の親戚たちにも集まってもらって賑やかに父の帰りを迎えたいと思っています。


m(__)m
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
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COMMENTS

6 Comments

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しろくろshow  

大きな声じゃ言えませんが

こんにちは。

わたしの「七人の侍」初体験はたぶんトガジンさんが本文で書かれていたテレビ放映の時だったと思うのですが、このときはあんまり一生懸命見てなくて(__;)記憶が曖昧なのですけど、ちゃんと見たのはその後だいぶ経ってからでした。

映画マニアの先輩が輸入LDで英語字幕入りの「七人の侍」を買ったときに、彼の家までベータのデッキ(先輩はVHSしか持ってなかったので)を自転車で運んでダビングして貰って見たのが「ちゃんと見た」最初でした(なんかこんなエピが島本和彦先生の「アオイホノオ」にもあった気が・・・(^_^;) ←ダビングについては何十年も前の話なので時効と言うことで( ̄。 ̄;))

お父さんとの映画の思い出がその名作中の名作である「七人の侍」というのはさすがトガジンさんだと思いましたね~(なんというか本格映画マニアの"引きの強さ"みたいなものを感じました)

わたしは父親という物に縁の無い人生を歩んでいる関係でそう言う思い出殆ど無いんですけど、唯一12歳の時に実父(この頃は離婚後だったので年に一度だけ会ってました)と「銀河鉄道999」を一緒に見に行きました。昭和一桁生まれでアニメなんか見たこと無かったオヤジが良くコレに付き合ってくれたなと今になって驚くんですが、映画終わりでメシ食ってるときに「まんが映画も面白いもんあるんだな」と至って真剣に私に語ってくれたのが今でも記憶に残っています。

なので_

>>生まれて初めて一本の映画を父と一緒に観ることに

今回この部分、ものすごく共感してしまいました。。。

そんなわけで勝手ながらトガジンさんのお父様の13回忌は賑やかな法事になることを願っています(そしてちょっと羨ましいなとも思っています(^_^;)ウチはもう完全に実父と縁が切れて今じゃ何処にお墓があるかもわかんないんですよね)

2023/07/06 (Thu) 08:58 | EDIT | REPLY |   

へろん  

こんばんは。
すごくいい話ですね、お父様との思い出。

私の場合、父はプロ野球などスポーツ番組ばかりを見ていたので、テレビのチャンネル争いではいつも「敵」でしたが(笑)、その父がどういう風の吹き回しか連れて行ってくれたのが『さらば宇宙戦艦ヤマト』でした(ちょうどうちで「連載」中のヤマトに関する記事で、次回ぐらいに載せようと思ってるのですが)。
うちの場合はたぶん「同じ人種」ということもなく作品について語り合うこともまったくありませんでしたが、それでも父に関するいちばん大きな思い出の一つです。

テレビでも映画でも、一緒に見た思い出というのはとても大切ですね。パソコンやスマフォの画面ではたぶん一緒に見るという経験はなかなかないでしょうから、これから先の子供たちはちょっと可哀そうかな、という気もしています。

2023/07/06 (Thu) 19:09 | EDIT | REPLY |   

トガジン  

しろくろshowさん、コメントありがとうございます。

>父親のこと

記事にも書きましたが、あの『七人の侍』TV放映版が私の人生において父と一緒に見た最初で最後の映画でした。
40年以上経った今でも細部のやり取りまではっきり思い出せます。
あの日の出来事が自分にとっていかに大きなものだったかを改めて感じました。

うちの父は妹を溺愛していて、兄妹なのにあからさまに妹ばかりをエコ贔屓する人でした。
新しいモノ好きで早い時期にカラーテレビを買ってきてくれたり、私が「ビデオが欲しい」と言い出したときも即賛成してくれました。
それでいて家族を驚かせようと変なモノを買ってきて、逆に家族のヒンシュクを買ったり・・・(笑)。
他界してもう13年も経つというのに、それらの思い出は今でも私たち家族の笑い話のネタになっております。

父が若い頃は日本映画の最盛期で、『七人の侍』を皮切りに日本映画ばかり見ていた父は同じ年の初代『ゴジラ』もリアルタイムで見ていて、『七人の侍』と同じく何度も繰り返し見に行ったらしいです。
(血は争えないということですね・・・)
で、幼い頃の私が祖母に連れていってもらった「東宝チャンピオンまつり」の正義の怪獣ゴジラに夢中になっていたとき、「ゴジラは本当は人間を襲う怖い怪獣だったんだ。」と教えてくれたのも父でした。

そんな父も、最新の洋画やアニメには全く興味を示さなかったです。
中学時代の私が『宇宙戦艦ヤマト』や『スター・ウォーズ』に夢中になっていたとき、それこそ「そんなもの」呼ばわりして鼻で笑われました。
でも、最愛の妹に頼まれれば『999』も『ルパン』も嬉々として連れて行ってあげてましたけど(笑)。

>レーザーディスクのダビング

私も盛大にやってましたよ(笑)。

私は比較的早い時期にLDを手に入れたほうなので、まだTV放送されていない映画やアニメのLD(例えば『帝国の逆襲』や『風の谷のナウシカ』など)を友達にダビングしてあげてました。
その代償として、別のLDやビデオソフトを借りたりあるいは本やレコードを貰ったり、中には新品の生テープをくれた奴もいました。
あと「『ゴジラ』と『うる星やつら2』と『レイダース』のお礼に」と、いわゆる「無修正のえっちなビデオ」を3本くれたときは自分の中の価値観が崩壊しそうになりました(汗)。

でも「これ(ダビング)はイケナイ事だ」という自覚は一応あって、必ず物々交換にして現金は一度も受け取らなかったです。
LDって当時のマスタークォリティを持っていたわけで、盤面の切替えがあること以外は市販のビデオソフトと変わらない画質のテープが出来上がってしまいますから、今なら完全にアウトですね(笑)。

2023/07/06 (Thu) 22:38 | EDIT | REPLY |   

トガジン  

へろんさん、コメントありがとうございます。

実はへろんさんやしろくろshowさんのお話の中で羨ましく思ったことがあります。
それは、一度だけとはいえ『ヤマト』や『999』を見に連れていってくれたという思い出を持っていらっしゃることです。

うちの両親は共働きで子供を映画館に連れて行く暇などなかったため、幼い頃の私を「東宝チャンピオンまつり」や「東映まんがまつり」に連れて行ってくれたのはいつも祖母でした。
また、中学生になってからは自分と同じ特撮・アニメ好きの友達が出来たので彼と一緒に見に行くようになりました。

つまり私は、自分の親に映画館に連れて行ってもらったことが一度もないのです。
だから、唯一父と並んで見た『七人の侍』はTV放送といえども大切な思い出となっています。

>テレビのチャンネル争いではいつも「敵」

それ、めっちゃ分かります!。
うちも全く一緒でした(笑)。

父は大の巨人ファンで、巨人戦の中継があるときは居間の大きいほうのテレビを占領してしまうため、私たちは別室の古くて小さなテレビで我慢しなければなりませんでした。
私は中日ファンだったので中日vs巨人のときだけは付き合いましたけど、大抵は「雨で野球が中止になりますように」と祈ってました。
でも、母と祖母が日曜夜に必ず見る大河ドラマと妹が見たがる歌謡番組と重なったときだけは流石の父も居間の18型テレビを明け渡しておりました。
あの父も我が家の女性陣には頭が上がらなかったみたいです(笑)。

2023/07/06 (Thu) 23:45 | EDIT | REPLY |   

怪しい鱗人  

私も七人の侍を初めてみたのは85年のテレビ放送です。当時、私は中学3年の反抗期で親父からこの映画のビデオ録画を頼まれてめんどくせーなって思ったのをよく覚えています。私の親父も映画は好きで七人の侍なんかは何度もみたようで三船敏郎が水車小屋から赤ん坊を助けるシーンで「こいつはオレだ」なんていうセリフを事前に説明してたりしました。後年、自分で七人の侍のDVDを購入しました。酒を飲みながら親父とこの映画を観賞してみたかったですが今となってはかなわぬ事です。

ゴジラシリーズとかは母親や祖母に連れて行ってもらいましたが、唯一親父が連れて行ってくれたのは戦国自衛隊です。親父が見たかったからなんでしょうが(笑)。

2023/07/09 (Sun) 11:27 | EDIT | REPLY |   

トガジン  

怪しい鱗人さん、コメントありがとうございます。

考えてみると、『七人の侍』や『ゴジラ』(初代)が公開された昭和29年って、私たちの世代(50代)の父親が多感な中高生くらいだった頃なんですよね。
だから、怪しい鱗人のお父さんもウチの父親も『七人の侍』TV放送を機に自分の少年時代や青春時代を思い起こしていたんじゃないかと思います。
父が高校生時代に夢中になったというあの名作を、私も父と同年配の時に一緒に見ることが出来たことは親子として幸運なことだったと思っています。

>戦国自衛隊

実は私にとって『戦国自衛隊』は(父親の話とは別に)馴染み深い映画なんです。
夏木勲が千葉真一(と自衛隊)と手を組んで主君を裏切りヘリコプターで城を脱出するシーンがありますが、あの城は我が福井県の丸岡城で撮影されたのですよ。
当時は近くで映画ロケが行われることは知らなかったため撮影現場を見ることは叶わなかったですが、劇場で観ていて知っている場所が出てきたときはとんでもなく驚いたものでした。
『シン・仮面ライダー』の商店街の場面は怪しい鱗人さんの地元で撮影されたとのことですから、あのときの私の気持ちはよくお分かりいただけると思います(笑)。

2023/07/09 (Sun) 21:14 | EDIT | REPLY |   

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