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映画と日常

『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』(その2)「3PO、不安な顔はやめなさい!」

トガジンです。
今回の記事はネタバレ全開です。
まだ『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』を見ていない方は決してお読みにならないで下さい。

最後のジェダイ 光と闇のポスター
『スター・ウォーズ 最後のジェダイ
(2017年/ライアン・ジョンソン監督)

結論を先に述べておきますと、私の満足度は40%くらいです。
良い場面、良いセリフ、良いアクション、そして新しい試みに我々オールド・ファンへの気配り。
それらのプラスポイントは多いものの、その全てを台無しにしてしまうくらい脚本の拙さが目立ちました。
残念という他ありません。

当初の予定ではIMAXを2回、3D吹替版を1回、4DXを1回、最後に通常の字幕版を1回と合計5回は観に行くつもりでいたのですが、なんだかもうお腹いっぱいになってしまいました。
まだIMAX上映を2回観ただけですが、この私が2度目の鑑賞中睡魔に負けてしまった部分もあったくらいなのです。
あれほど楽しみにしていた作品だったのに、この事実は私自身とてもショックなことでした。

「自分の知ってる『スター・ウォーズ』はこれで終わったのかも知れない・・・」
そんなことを思いながら帰路に着いておりました。


今回は私が良かったと感じたところ(👍)と駄目駄目なところ(👎)を交互に書いていきたいと思います。
そのためストーリーの順序を大幅に入れ替えていますが、こうすることで自分の平静さを保ち、怒りにまかせて暗黒面に転落するのをを防ぐためであります(笑)。


👍”新たなる希望”再び
最後のジェダイ 少年
いきなりラストシーンの話でゴメンナサイ。
でも『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』の本当の意義とは、ラストカットで当たり前のようにフォースを操っていたこの名もなき少年にあったと思うのです。

この「当たり前」というのが重要で、今後の『スター・ウォーズ』では「フォースはジェダイやシスなど選ばれた者だけのものではなく、信じる全ての者が扱える力」という定義のもとに語られていくのかも知れません。
たとえ『スター・ウォーズ』正史だからといって、もうスカイウォーカーの血族が主人公である必要はないのです。
そういう固定観念とか呪縛から解き放たれた事こそが、『最後のジェダイ』の真価であると考えます。

ラストで星空を見上げる彼の姿は、『ファントム・メナス』のアナキン少年や『新たなる希望』のルークに重なると同時に、ジェダイでもスカイウォーカーの血筋でもなかった普通の女の子:レイの姿でもあるのです。
エピソード9には、成長したこの子が物語に深く関わってくるかも知れません。


👎毒もこだわりも失われた『スター・ウォーズ』
最後のジェダイ ポーグ
これはつまり「『スター・ウォーズ』は本当にディズニー映画になってしまった」という事でもあります。

ここで言う「毒」とは、例えば「主人公が片手を切り落とされる」とか「宿敵が実は父親だった」とかの、それまでのハリウッド映画のような予定調和を避けたインディーズ映画的「攻めたストーリー」のことです。
新作が出るたびに「主人公が悪の道に堕ちるのではないか?」なんて心配をしなければならない作品が他にあったでしょうか。
また、主人公サイドに資本主義的価値観ではなく東洋人の精神論を持たせることで、アメリカ社会そのものへの批判も内包した作品でもあったように思います。
ハリウッドという常識に片っ端から反抗してみせたやんちゃ坊主が『スター・ウォーズ』だったと思っているのですが、今回はそうした部分をセールスポイントにしていながら本編内では意図的に薄められていたように感じます。

「こだわり」はマニアックさと言い換えることも出来ます。
この世界に存在する生物や物品・地名を何の説明も無く当たり前にセリフに盛り込んだり、細部の作り込みに映画では明かされない物語性を感じさせたりしていたことを指します。
セリフでは「ケッセルのスパイス鉱山」とか「ガンダークとも戦える」など、”それ”を知る登場人物は当たり前のようにその名称を会話に盛り込みます。
観客はそれが何の事か判らず一瞬戸惑いますが、「ケッセル」や「ガンダーク」がこの作品世界に存在する場所やクリーチャーの名称だと察した瞬間から『スター・ウォーズ』世界への想像力を膨らませていくことになります。
また、「C-3POの右足だけ何故か色が違う」など特に理由が明かされていない凝った描写も多く、これもまた観客が妄想を膨らませる格好の材料です。
『スター・ウォーズ』シリーズにはファンが独自に作ったスピンオフ作品(日本でいうなら同人誌?)が異様に多いのもそのせいでしょう。
残念なことに、『最後のジェダイ』にはこうした観客に対して不親切と思われながらも、実は観る者の想像を掻き立てさせてくれる”思わせぶり”なセリフや表現は見当たりませんでした。

『スター・ウォーズ』は実質的にはインディーズ映画であり、元々ジョージ・ルーカスが「作りたいものを作る」ためにハリウッドシステムに反する作り方をしていた作品です。
残念なことにこうした”攻める”『スター・ウォーズ』も製作第一作『新たなる希望』と続く『帝国の逆襲』までで、三作目の『ジェダイの復讐帰還』ではマーチャンダイジングと予算厳守を第一として作られていて毒も拘りもすっかり薄められていました。
私が今回の『最後のジェダイ』に感じた失望感は、34年前の『ジェダイの復讐帰還』に感じたものとよく似ています
『スター・ウォーズ』ファンが公式で作った同人ムービーといった印象が強いのです。


👍You are my only hope.
主人公レイとルーク、そしてカイロ・レンも含めて「フォースを操る人達」に関するパートはどれも非常に良くよく練られていて、物語としても映像表現も非常に面白かったと思います。
『最後のジェダイ』に対する私の不満点は主にレジスタンスのシーンに集中しており、ジェダイやフォースに関わる根幹部分にはむしろ大満足しているくらいです。

最後のジェダイ ルークとレイ
レイが想いを込めて手渡したライトセーバーを、何故か何の思い入れも無くゴミのように投げ捨てて頑なに助力を拒否するルーク。
そして『帝国の逆襲』におけるヨーダを思わせるワイルドな隠居生活。

チューバッカに胸ぐら掴まれても、親友ハン・ソロの死を聞かされても、それでもルークは頑として動こうとしません。
そんな彼の心を動かしたのはかつての相棒R2-D2の機智に富んだこの行動でした。

最後のジェダイ 助けてオビワン・ケノービ
「助けてオビ=ワン・ケノービ、あなたが唯一の希望です。」
30年前、ルークが見たあのメッセージ映像をおもむろに映し出したのです。

これを見た時からルーク・スカイウォーカーの冒険は始まったのでした。
そして今、はるばるやって来たレイの頼みはあの時のレイアのメッセージそのものなのです。
ルークは思わずこう言います。
「ズルいぞ。」

観ている私たちオールド・ファンも、意味は違えど同じ言葉が出てしまいました。
「(その演出は)ズルいぞ・・・(感涙)」

こんな風に過去の記憶と綺麗にリンクした瞬間って、どうしてこうも泣けてしまうんでしょうね?。


👎レジスタンス頭悪すぎ
それに対し、レジスタンスの描写は全てにおいて構成がグダグダ過ぎで、シーンもキャラクターも無駄が多すぎます。
前述で「公式の看板を背負ってファンが作った同人ムービー」と評しましたが、このレジスタンスに関する部分のストーリーテリングはまさに中学生レベルで見るに堪えません。

最後のジェダイ ポー
最初だけは良かったのですよ。
レジスタンスのエースパイロット:ポー・ダメロンがたった一機でファースト・オーダー艦隊の前に立ちはだかり、八ックス将軍を挑発しながら時間を稼ぎつつ砲台を破壊して爆撃機を呼び込むまでは・・・。

武装も無く速度も遅い爆撃機は敵の反撃の前に次々と撃墜されていきます。
当たり前です。
普通、動きの鈍い爆撃機には大量の護衛機が付くものです。
戦艦の砲台を潰したところで艦載機が出てきてしまえば爆撃機なんてただのでっかい標的でしかありません。

結局、爆撃機は一機を残して全滅。
その一機もなんとか敵艦を沈めることは出来たものの爆発に飲み込まれて自沈します。
これでは体当たり特攻と何ら変わりがありません。
爆撃機クルーの英雄的行動が場面を盛り上げていましたが、作戦自体がこうも間抜けなものでは感動など出来るはずもありません。
なんだか昔の日本帝国軍の「爆弾三勇士」みたいでむしろ見ていて不愉快なくらいでした。


👍ベン(カイロ・レン)とレイの交感
一方、フォースで結ばれた人たちの物語は新しい世界を見せてくれていました。

最後のジェダイ レイとレン
メガ・スター・デストロイヤー艦内のカイロ・レンと惑星オクー=トーのジェダイ寺院に居るレイ。
遠く離れたこの二人がフォースを通じて会話を成立させるシーンです。
しかも、その描写方法は相手の声が脳内に響くといったテレパシー的なものではなく、遠く離れた全く違う場所の二人がまるで相手が目の前にいるかのように普通に会話する姿を互いのカットバックで組み上げています。
二人の演技力に加えて音響効果の巧みさもあって、私はごく自然にこの新しい演出方法を受け入れ楽しんでいました。
後に、この交感は最高指導者スノークがその強力なフォースを使って二人を繋いだものであることが判明しますが、それでもこのフォースの可能性の広がりは新しい『スター・ウォーズ』世界を感じさせるに十分なものです。


👎そんなん有りか~!?
逃げることしか出来ないレジスタンス軍でしたが、ハイパードライブ後もすぐにカイロ・レン率いるファースト・オーダー軍に追い付かれて攻撃を受けてしまいます。
実母レイアの乗る船に照準を合わせ引き金に手をかけるカイロ・レンことベン・ソロ・・・。
予告編で誰もが「やっぱりレイアは死ぬのか・・・」と息を呑んだあの場面です。

最後のジェダイ レイア
しかし次の瞬間、カイロ・レン(ベン・ソロ)は引き金から指を放して実の母を手にかけることを思い留まります。
「ああ、やっぱりベンも暗黒面に堕ちきってはいなかったのだな・・・」と安堵したのも束の間、彼の部下たちの放ったミサイルがブリッジを直撃してレイアは宇宙空間に放り出されてしまいます。

キャリー・フィッシャーが亡くなって以来、私はこの作品でレイアが死ぬものと覚悟していましたから「ああ、やっぱり・・・でも思ったより早かったな。」くらいにしか思いませんでした。
しかし、この後のトンデモない展開に私は我が目を疑うことになります。

真空で絶対零度・・・『スター・ウォーズ』世界ではどうだか分かりませんが、とにかくそんな宇宙空間を漂っていたレイアの遺体がおもむろにカッと目を見開いて自分の意思で宇宙船に舞い戻っていったのです。
え~~~っ、何それ?。
いくらフォースの強い家系だからっていくらなんでもコレはないでしょう!。

思えば、『シスの復讐』でパルパティーンが「死を回避する力を知っている。」とか言っていましたから、超強力なフォースの使い手ならばもしかすると出来ることなのかも知れません。
また、これ以前にレイアのフォースがとんでもなく強いことを示すシーンがあれば納得出来たかも知れません。
しかし、これまで彼女のフォースが明確に描かれたのは『帝国の逆襲』でルークのピンチを察した時くらいしかありませんでした。

これはもう、『宇宙戦艦ヤマト完結編』の沖田艦長に匹敵するトンデモ復活劇であります。
そうです!。
前述の人命軽視な作戦といいコレといい、この映画のレジスタンス描写は『ヤマトよ永遠に』とか『宇宙戦艦ヤマト完結編』レベルにしか見えないのです(哀)。
いや、『完結編』の沖田艦長復活には「佐渡先生の誤診」というちゃんとした(?)説明がありました。
それにひきかえレイアは・・・、いや、もうどーでもいいです・・・。


👍会いたかったぞスカイウォーカー
最後のジェダイ 私たちが最もよく知っているヨーダの姿
R2-D2のメッセージ映写に続いて我々オールド・ファンを喜ばせてくれたのは、ヨーダの再登場でした。
もちろん霊体としての登場ですが、何が嬉しいってその姿も口調も『帝国の逆襲』で初登場した時と同じだったというのが最高です。

プリクエル・トリロジーでのヨーダは、悩むアナキンに「執着を捨てて強い心を持て」と精神論をかますようなつまらない描き方しかされていませんでした。
しかし、私の知るヨーダとは「やってみるのではない、やるのだ」と人の背中を押してくれる心強い師匠なのです。
全てのファンが会いたかったヨーダ、含蓄と愛嬌を併せ持った俺たちの師匠が帰ってきてくれました。


👎レジスタンスの新指揮官
宇宙空間から奇跡の生還(笑)を果たしたものの、レイアは昏睡状態に陥ります
彼女に代わってレジスタンスの指揮を執ることになったのは、他の戦線での功績が評価されたホルト提督でした。

最後のジェダイ 在りし日(ジェダイの復讐)のアクバー提督
従来からのファンならばそこはアクバー提督であって欲しいところでしたが、提督はなんとレイアと一緒に吹き飛ばされて殉職されたとのことでありました。
前大戦からの生き残りにして新デス・スター攻略の総指揮官の死が淡々とした言葉による説明だけで終わりとは・・・。
オールドファンには馴染みの深いキャラクターなのですから、せめて最後の見せ場くらいは用意してあげて欲しかったものです。

最後のジェダイ ホルト
その新指揮官ホルトの取った作戦は、迫るファースト・オーダー艦隊からただひたすら逃げ続けることだけでした。
しかし、レジスタンスが保有する燃料は残り僅か。
「このままではいずれ捕捉されて全滅を待つしかない」と反発するポーたちは後述の珍作戦を実行に移し、挙句の果てにはクーデターを起こしてブリッジを占拠するまでに至ります。

しかし、今ここで反撃を試みても全滅しかないのは目に見えています。
ホルトの真意は、とにかく基地のある惑星に逃げ伸びて反撃の機会を掴むことにありました。
輸送船で全員を脱出させ、自らは殿(しんがり)としてメガ・スター・デストロイヤーに体当たりして活路を開きます。

実にいい役どころであります。
しかし、ちょっと待っていただきたい。
この役割ってわざわざ新キャラを立ててそいつにやらせるより、アクバー提督の花道として描くほうが『スター・ウォーズ』にはふさわしいんじゃないですか?。

ホルトを演じるのは『ジュラシック・パーク』のエリーことローラ・ダーン。
有名女優と魚のクリーチャーを秤にかければ、そりゃあ美女を優先するのが普通というものでしょう。
しかし39年来の『スター・ウォーズ』ファンの価値観は全く違うものなのですよ。
そのあたりがプロデューサー:キャスリーン・ケネディ女史にはお分かりいただけなかった様子です。


👎フィンとローズのまわりくどすぎる作戦、しかも無意味
最後のジェダイ フィン&ローズ
さらにグダグダが続くレジスタンスの現場です。
ホルトの「逃げの一手」に不満なポーたちは、フィンと整備士のローズが立案したある作戦を実行に移します。

①ハイパードライブで逃げても追ってくるファースト・オーダーの艦にはレジスタンスの大型艦を追尾する装置がある。
②そのためには敵艦内部に潜入する必要があるが、そのセキュリティは一筋縄では解除出来ない。
③マズ・カナタの助言からそれを可能とする男が惑星カント・バイトのカジノにいるというので行ってその鍵師を見つけ出す。
④鍵師を連れて敵艦に潜入し、問題の追跡装置を破壊して再びレジスタンス艦に戻って逃げる。

う~む、まわりくどい!。
なんかもう、『ゴジラ・ファイナル・ウォーズ』で國村準が思わず聞き返したのと同じくらいめんどくさい作戦です(笑)。

特に、カント・バイトでのドタバタシーンがこの映画に必要だったかは甚だ疑問です。
冒頭に書いた「2度目の鑑賞で私が睡魔に負けたシーン」とはまさにこの辺りでありました。
ここで重要だった要素とは、奴隷として働かされてた”あの子供たち”を見せることだけだったのではないでしょうか?。
全部で2時間40分もある『最後のジェダイ』ですがこの辺りをブラッシュアップすればもっと緊張感を保った作品になったと思います。

その後なんだかんだで追跡装置爆破寸前までたどり着いたフィンたち一行ですが、鍵師の裏切りであっけなく捕まってしまいます。
『ジェダイの復讐帰還』のシールド破壊工作のように、「一度は失敗しても何かのキッカケで逆転成功する」と思いきや本当に失敗に終わってしまうというこの脱力感・・・。
しかも、時同じくしてレジスタンス艦隊はすでに敵艦隊の攻撃を受けて全滅寸前の状態にあり、フィンたちの「追跡装置を破壊する」なんて作戦はすでに完全無意味化していたのでありました。

よくよく考えてみると、ポーが反乱を起こしてレジスタンス本隊を危険にさらした根底にはこのお馬鹿な作戦があったわけで、彼らは自らピンチを招いたに過ぎなかったことにもなります。
その後ポーが指揮官として成長を見せる一幕はあったものの、このあまりにもお粗末なストーリーでは結局ポーの株を大幅下落させただけに過ぎませんでした。


👍アバター?
最後のジェダイ ルーク・スカイウォーカー
終盤、石の惑星の旧基地に立て籠もるレジスタンス残党の元に、ふらりとルークがやってきます。
たった一人でカイロ・レン率いるファースト・オーダー軍に立ち向かい、AT-AT数機の集中砲火にもかすり傷一つ負わない超人ぶりを見せつけるルーク・スカイウォーカー。
さらにカイロ・レンのライトセーバーで斬られようが刺されようがピンピンしています。
それもそのはず。
実物のルークは遠く離れた惑星オクー=トーのジェダイ寺院に居て、石の惑星にどこからともなく現れたルークはフォースによって作り出された幻影:アバターだったのです。

面白い!。
こんなフォースの使い方があったのか?。
『攻殻機動隊』『サロゲート』『ヒノキオ』など、機械の身体を遠隔操作しているという映画はありましたが、これは今まで見たことなかったアイデアです。

ただ、非常に些細で下らないことではありますが、ここで残念なことが一つだけ。
アバターを動かすために全エネルギーを集中していた本物のルークは、なんと座禅を組んだまま空中浮遊していました。
その姿が・・・その姿が・・・、あのオ●ム真●教の●原●晃のインチキ写真みたいに見えてしまったのです。

○| ̄|_
不謹慎であることは重々承知しておりますが、日本人観客で私と同じ印象を持った人は決して少なくないと思います。


👍その時、彼が見たものは?
最後のジェダイ ルークが最後に見たもの
全精力を使い果たしたルークは、オクー=トーのジェダイ寺院で独りその生涯を閉じることになります。
その死の瞬間、ルークの目には故郷タトゥイーンの2つの太陽が見えていました。
懐かしそうな微笑を浮かべながら霧のように消えていくルーク・・・。

R2-D2が見せた昔のレイアのメッセージ。
『帝国の逆襲』の時のままのヨーダ。
そして若きルークが冒険に憧れ眺め続けた2つの太陽。

これでもう充分です。
39年前から彼らと付き合い続けてきた私は、もう『スター・ウォーズ』を卒業するべき時なのかも知れません。

ルークの死。
ハン・ソロの死。
演者の死去に伴うレイアの退場。

一作目から見続けてきた彼らが全員表舞台から消えたことで、私の知っている『スター・ウォーズ』も終わった気がしたのです。
もちろんエピソード9以降も見続けますが、これまでみたいに熱く語ることはもうないかも知れません。



とはいえ、今どきの大作映画でこの脚本の弱さは大問題です。
同じ2時間40分の長尺映画でやはり終盤はグダグダだった『ブレード・ランナー2049』でも2回目で眠気を感じることはありませんでした。

これは私の想像ですが、この作品は脚本決定まで相当の紆余曲折があって、その矛盾点を解決できないまま制作が進められてしまったのではないでしょうか。
そう思わなければやりきれないほどにお粗末な脚本です。

ギャレス・エドワーズ監督の『ローグ・ワン』も撮影中にストーリー変更があって撮り直しや再編集が行われたと聞きました。
来年夏公開の『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』も撮影終了間際に若手監督がクビにされて実績あるロン・ハワード監督に交代させられています。
さらにエピソード9は、早々に監督が降板してしまいJJエイブラムスが再登板するという話です。

このいすれの話からも、若手監督の野心的演出を排除して安定したヒット作を狙いに行こうとするディズニーの思惑が見え隠れする気がします。
プロデューサーのキャスリーン・ケネディ女史は、実は『スター・ウォーズ』そのものには興味が無いという噂も聞きますがこうして見ると頷ける話です。

何はともあれ、次のエピソード9には面白い作品を見せてくれることだけを期待しております。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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