『北陸代理戦争』~世界でいちばん身近な映画~
今回は、私にとって最も身近で最も縁遠い映画の話です。
『北陸代理戦争』
(昭和52年/監督:深作欣二、脚本:高田宏治、主演:松方弘樹)

スプラッタ・ホラーやアイドル主演のラブコメものと同じく、私が意図して観ることなど絶対にあり得ないはずの東映やくざ映画です。
『網走番外地』も『仁義なき戦い』も、『鬼龍院花子の生涯』も『極道の妻たち』も見たことが無いこの私がどうしてこの映画を観ようなどと思い立ったのか?。

それはこの映画の舞台が私の地元・福井だったからに他なりません。
しかも、私が生まれ育ったこの街にかつて実在した「北陸の帝王」とまで呼ばれた男をモデルとした実録ものです。

本作の福井ロケは昭和52年の1月から2月にかけての時期だったそうです。
当時の私は小学校生活最後の三学期を過ごしている6年生で、映画といえば正月に観たばかりの『キング・コング』(ジョン・ギラーミン監督版)のことで頭がいっぱいだった頃だったと思います。
地元でやくざ映画の撮影が行われていたことも、ましてや自分の住む街の裏社会のことなど知るはずもありません。
【41年前】
「実録路線東映やくざ映画の最高傑作」とも評されるこの作品ですが、私にはこういった「暴力」「威嚇」「欺瞞」といった非人道的行為で物事を推し進めようとする人々に共感することなど出来ません。
しかし、この映画に「41年前の我が街」の姿がしっかりと刻み込まれていることは確かです。
その点だけに関して言えば、他の映画の追随を許さないほどの親近感を覚えます。

私の家から車で7~8分程度の場所にある競艇場です。
映画ではここから上がる利益が地元やくざの収益源となっていて、この利権に目を付けた大阪の大組織が北陸(福井)に進出してくるという重要な位置づけで登場します。

こちらが映画の中に一瞬だけ映る41年前の競艇場。
左側の本館は建て替えられましたが、台形のプール部は現在と変わりありません。
実は1977年当時、私の母がこの競艇場でパートとして働いていたのです。
そのおかげで、今回の記事を書くに当たり当時の貴重な話を聞かせてもらうことが出来ました。

これは地井武男が中谷一郎やハナ肇に「松方弘樹を裏切って殺してしまえ」とそそのかされるシーン。
この撮影は明らかに実際の競艇場内部で行われています。
(ボカシがかかっていますが奥の壁の文字で分かります)
普通の娯楽施設がやくざ映画のロケに全面協力するなど通常はあまり考えにくいことですが、当時この競艇場を牛耳っていたのが主人公のモデルであった地元やくざのK組長だったとしたら合点がいく話です。
K組長は自分の物語でもあるこの映画の撮影に全面的に協力していたそうです。
撮影当時の福井は(画面からも分かるように)かなりの大雪で撮影が難航していたらしいのですが、K組長の命令一下組員たちが総出でロケ地の雪かきや人員・機材の運搬を手伝ってくれていたのだそうです。
また、伊吹吾郎さんが演じていた竹井役は当初渡瀬恒彦さんが演じていたのですが、渡瀬さんが雪の中をジープで疾走するシーンで事故を起こし重傷を負ってしまうという出来事がありました。
この時、渡瀬さんを病院まで運んで助けたのは他ならぬK組の組員たちでした。
しかもその搬送先というのが町内の大病院ではなく、彼らがいつもお世話になっているお隣石川県の名医のところだったそうです。
そのおかげで(?)、渡瀬さんはこの映画こそ降板したものの怪我については大事に至らなかったとのことです。
(流石はそういった需要の多い人たちだな、と笑っていいのやら悪いのやら・・・)
K組長自らも、行きつけの喫茶店”ハワイ”にスタッフを招き、自らカウンターに立ってコーヒーをご馳走したこともあったそうです。
彼が裏の世界で何をしてきたか、どういう危機的状況に陥っていたかは知る由もありませんが、普段「堅気には絶対に迷惑をかけない」事を徹底していて町民からも慕われる存在であったことは分かってきました。
自宅が小高い山の上にあったことから「山のおっちゃん」と呼ばれて親しまれていたといいます。
K組長はこの映画の公開をさぞ楽しみにしていたことと思いますが、最終的に『北陸代理戦争』が福井県内で上映されることはありませんでした。
もしかすると福井県警の横槍が入ったのかも知れません。
K組長はその残り僅かな生涯において完成した映画『北陸代理戦争』を観る機会は得られたのでしょうか?。
【ロケ地】

松方弘樹が襲撃を受けることになる喫茶レストラン”タイヨウ”はその喫茶店”ハワイ”をモチーフにしているようです。
ただし、実際の”ハワイ”はもっと海辺寄りの国道7号線沿いにあって店舗の外観も周囲の風景もこれとは全く異なります。
映画では別のお店を使って撮影していますが、もしかするとここもK組絡みの店だったのかも知れません。
で、この”タイヨウ”なるお店が私にとってどう重要なのかと言いますと・・・。
映像から場所を特定してみたところ、これがなんと私の家から車でわずか3分ほどの場所であり、しかも私の通学路のすぐ近くでもあったことが分かったのです。
(現在は別の場所に移転していますが)このカメラポジションの後方には小高い丘があってその上に私が通った小学校がありました。

場所特定の根拠は、↑の画へと至るカット頭のこの風景です。
よく見ると、電柱には現在も営業を続けている芦原温泉の老舗旅館の名前が書かれています。
地形から考えても奥にずらりと並んでいる建物群は県内最大の温泉街:芦原温泉に間違いありません。

芦原温泉がこんな風に見える場所となると国道305号線のこの場所だけです。
41年経って温泉街の建物も道路の幅もずいぶん変化しましたが、ロケ地はここに間違いありません。

映画と同様カメラをそのまま右へパンすると、そこにはかつて何かの建物があったと思われる更地があります。
41年前、おそらく此処に”レストラン喫茶タイヨウ”があったのでしょう。
ちなみに、今回の現場写真を撮ったのは2月22日(木)のことです。
内容が内容だけにきちんと調べているうちに2週間も経ってしまいました。
現在では雪も溶けて田んぼの土が見えていますが、映画の場面と同じ雪景色の方がイメージが捉えやすいと考え撮り直しはしていません。

出来るだけ映画のアングルに近いカメラポジションを探ってみました。
カメラの高さとか距離やレンズの違いからどうしても100%同じとはいきませんが、この位置から奥の鉄塔の位置関係を見比べてみると映画のフレームとほぼ一致します。
(現在では新しい鉄塔が増えていてややこしいため、同一の鉄塔にそれぞれ印を付けてあります)
また、この場所は我が家から前述の競艇場へ向かう道の途中でもあります。
ということは、当時競艇場で働いていた母は毎朝毎夕この道を通っていたはずです。
母に『北陸代理戦争』のこのシーンを見てもらったところ、「ああ、あったあった、このお店。ボート場へ行く途中の右側にあったわ。」とはっきり覚えていました。
同年代の近所の人たちと一緒に働いていた母は、時々仕事帰りにこの店に寄って世間話をするのが楽しみだったとのことでした。
「でも、”タイヨウ”なんて名前やったかなあ、あのお店。」と怪訝そうな顔もしていたことから、もしかすると別の名前の店に”タイヨウ”という看板を付け替えて撮影したのかも知れません。

さらに画面の左端を見て驚きました。
現在の写真には茶色の大きな建物が写っていますが、実はこの建物の向こう側に私の家があるのです。
となると、映画の中で「コカ・コーラ」の看板の奥に見える京福電車(当時/現在はえちぜん鉄道)が走っているあたりが我が家の周辺ということになります。
樹木の形状が現在とは大きく変わっていますが位置関係を見る限り間違いありません。
これまで全く興味が無くむしろ蔑視すらしていたジャンルの映画ですが、こうして「自分の近所で撮られた映画か~」と思いながら観ると少しは愛着を感じますね。
【事件】

こちらが実物の喫茶店”ハワイ”です。
私の家からだと車で10分くらいの距離のところにあります。
昨年一月に閉店してしまいましたが、内部はハワイらしからぬ落ち着いた雰囲気の純喫茶で、コーヒーも味が濃くて美味しかったことを覚えています。

この道(国道7号線)は、小学校の夏休みにこの先の浜地海水浴場や芝政へ遊びに行くのに毎日のように自転車で通った道です。
あの頃は「キャハハ~、こんな畑のど真ん中にハワイやて~。」とケラケラ笑いながら前を通り過ぎたものでした。
しかし・・・

『北陸代理戦争』全国公開からおよそ2ヶ月後、K組長はこのハワイ店内で4人の刺客に襲われ射殺されてしまいます。
【三国事件】です。

この事件は『北陸代理戦争』のラストでK組長の分身を演じる松方弘樹が言った以下のセリフが引き金になったのではないかと話題になりました。

「カシラ、飢えた狼には杯も茶碗もありゃせんですよ。事と次第によっちゃ親兄弟だって食い殺しますわ。」
「勝てないまでも、差し違えることはできます。虫けらも、五分の意地って言いますからね」
この当時K組長は上位組織であるY組ナンバー2との揉め事の真最中でした。
『北陸代理戦争』はその件をモデルとして作られた映画だったのです。
全国公開の映画の中で、K組長をモデルとした主人公がこんな台詞を言っていたら相手のナンバー2さんも怒って当たり前ですし警戒だってするでしょう。
ご本人の考えはどうあれ、そんなタイミングでこの台詞を主人公に言わせてしまうのはあまりにも配慮が無さすぎる気がします。
脚本家の高田宏治氏は後年この件に関して「活動屋の業」「奈落に落ちる覚悟で作らないと客はついて来ない」などと仰っていました。
しかし、その結果として一人の人間を死に追いやったことも事実です。
それを踏み台にして『極道の妻たち』等を書いた彼の姿には、クリエイターとしての凄みよりも人として強い嫌悪感を抱いてしまいます。
後の事件も考え合わせるとまるで救いの無い陰惨な話ですが、更にラストシーンに流れるナレーションが私たち福井県民に追い打ちをかけてきます。

「俗に北陸三県の気質を称して越中強盗、加賀乞食、越前詐欺師と言うが、この三者に共通しているのは生きるためにはなりふり構わず手段を選ばぬ特有のしぶとさである。」
実際にそう言われていることは知っていますが、福井(越前)や石川(加賀)を舞台とした映画の最後にわざわざコレを持ってくる無神経さにはただただ呆れるばかりです。
ご当地映画と思って楽しみに観に来た地元の客が、終わり際にこんなナレーションを聴かされたらどう思うでしょう?。
私の目には、「都会人の上から目線」ばかりが目立つ地方蔑視も甚だしい不愉快極まる映画でありました。
【競艇場、タイヨウ、ハワイ、そして三里浜】

こんな映画であっても、撮影場所やカメラポジションを探して写真を撮って歩くのはとても楽しかったです。
街中ではまだまだ積雪が残っていましたが、海岸沿いにはこの通り雪はほとんど残っていませんでした。
海風の影響で積雪そのものも深くはなく、砂の温かさで溶けるのも早かったものと思われます。
もっとも、雪が積もっていたら私一人でこの浜の真ん中まで来るのは絶対不可能でしたが(笑)。

現在は多数のオイルタンクが鎮座していることもあり、この広大な砂浜で当時と同じカメラポジションを特定するのはなかなか困難でした。
仕方なく画面右の防砂林の見切れ具合と奥にうっすらと見える火力発電所の煙突から似たアングルを探してみたところ、こうして並べてみると「本当に此処だったんじゃないか?」と思えるくらい一致する場所が見つかりました。
防砂林の向こう側は当時一面のラッキョウ畑だったそうですが、現在は多数の企業が集中する「福井テクノパーク」と呼ばれる工業地帯になっています。
また、このラストシーンは事故で降板した渡瀬恒彦さんと代役の伊吹五郎さんで取り直した分とが混在しているのですが、そのことが天気の具合から分かります。
最初に撮った分は吹雪が強くて奥の煙突がよく見えません。
ロケ地巡りをしたこの日は快晴であるにも関わらず風は差すような冷たさでありました。
こんな場所で、しかも吹きすさぶ吹雪の中で撮影に挑んだ俳優さんやスタッフはさぞ大変だったことでしょう。

中でも、雪の中に埋められて演技していた俳優さんたちの役者根性には頭が下がります。
後の”黄門さま”こと西村晃さんもご覧の通り!。
こんな画をどこかで見たな~と思っていたら、『アウトレイジ』や『カリギュラ』でも真似されていましたね。
以上はあくまでも一人の地元町民目線からの個人的感想です。
長文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。