私のオーディオ・ビデオ遍歴(第2回) ~はじめてのビデオ~
これまで私が使ってきたAV(オーディオ・ビジュアル)機器遍歴について語る不定期連載企画「私のオーディオ・ビデオ遍歴」。
第2回は我が家の初ビデオ導入記です。
最初に謝っておきます。
今回の話は長いです。
2回に分けることも考えたくらいですがあえてこのまま投稿します。
無関係に思えた様々な事柄が、実は全て根底部分で繋がっていたことに気付いたからです。
それに、やはり結末まで一気に読んでいただいたほうが当時の私の心情も理解していただきやすいと思います。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
話は前回のラストから続きます。
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第1回) ~全てはヤマトから始まった~
【高度に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない】
『2001年宇宙の旅』『幼年期の終わり』等のSF作家、アーサー・C・クラークの言葉です。
昭和55年4月某日。
新しいラジカセを買うため入った電気店の片隅で、その日私は魔法を見ました。
それはまるでガスコンロを思わせるような形の機械でした。
しかし、その機械に繋がれているテレビの画面には、数日前に終わったはずの「第52回 春の選抜高校野球」決勝戦の映像が堂々と映し出されていたのです。
それはまるでタイムスリップでもしたかのようなとても不思議な感覚でした。
「これが・・・ビデオ?」
本体から延びるリモコンに触れる私の手は明らかに震えていました。
巻き戻しボタンを押すと映像は数本のバーノイズと共にギュルギュルとせわしなく逆転再生になり、手を離すとさっき見たばかりの三振シーンが再び映し出されます。
それを見た瞬間、私は思わず「おお~!?」と大声を上げておりました。
どうか笑わないでやって下さい。
家庭用ビデオデッキなるものの存在は知っていたものの、福井のド田舎に住む当時15歳の私は現物を見るのも触るのもこの時が初めてだったのです。

そのカセット挿入部には大きく「J7」と書かれたシールが貼られていました。
当時のソニー最上位機種、ベータマックスJ7(SL-J7)です。
その下には「高速ピクチャーサーチ」という言葉が飾られていて、何かとてつもない未来感を醸し出していました。
・・・と、まるで我が家の最初のビデオがこのベータマックスJ7だったかのような書き出しですが
違います
J7ではありません。
しかし、私に家庭用ビデオの面白さと可能性を教えてくれたのは、この時目にしたこのベータマックスJ7であったことは間違いありません。
「これさえあれば、好きな映画を好きな時に好きなだけ見られる」
この時、私はある一本のアニメ映画を思い浮かべておりました。

『ルパン三世 カリオストロの城』
劇場版『ルパン三世』シリーズ第2作にして、宮崎駿監督の劇場用長編映画第一作です。
公開当時、私は高校入試を間近に控えたバリバリの受験生だったにも関わらず、親友のT君と連れ立ってこのアニメ映画を観に行きました。
前作『ルパン対複製人間』も当時放映中だったTV第2シリーズが幼稚に思えてしまうほど面白かったですが、この『カリオストロの城』の魅力は「凄い」とか「面白い」といったレベルを超えた全く別次元のものでした。
「この映画欲しい!。フィルムを家に持って帰って一日中何度でも観ていたい。」
私とT君は観終わってすぐに顔を見合わせ、「これ、もう一回観よう!。」と意気投合しました。
同時上映の『Mr.Boo!ギャンブル大将』が無ければ、それこそ一日中映画館に籠って観ていたかも知れません。
そんな私がビデオが欲しいと考えるのは至極当然の事でした。
【昭和55年秋】
私が家族の前で「ビデオを買いたい」と言い出したのはその年の11月でした。
この年末、水曜ロードショーで『ルパン三世 カリオストロの城』が放映される事が確実となったからです。
実は、この頃の私は金銭的にかなり余裕がありました。
GW明けに足を怪我して陸上部を辞めたことで夏休みがヒマになり、親友のT君やクラスメートたちと海水浴場でアルバイトをして6~7万円を稼いでいました。
また、お年玉や高校の入学祝いを貯めたお金もまだ7万円近く残っていて、合わせて14~5万円の貯金があったのです。
私はその全額を供出する覚悟で親の説得に当たったのでありました。
しかし・・・。
母は「そんな高いもん、あかんに決まってるやろ!」と相手もしてくれません。
昔学校の先生だった祖母にも「勉強の妨げになる」と反対されてしまいました。
幼い頃の私をいつも映画館に連れて行ってくれていた祖母にそう言われてしまうと流石に引き下がってしまいそうになります。
私の味方は中学生の妹ただ一人。
もはやこれまで・・・と諦めかけた時、父が突然「ビデオか、面白いな。この辺ではまだどこも持ってないやろ?。」と言い出してあっさり形勢逆転したのです。
父は、こういう伊達や酔興が好きな人でした。
【1980年:我が家のテレビ事情】
当時、我が家には2台のカラーテレビがありました。
これらのテレビにも買った父の性格がよく現れていたように思います。
■東芝製カセットテレコ付き18インチ:18T44F
この2年ほど前に買い替えたばかりのまだ新しいカラーテレビです。

一番の売りはカセットデッキを内蔵していること。
周囲の雑音に悩まされることなく、見ている番組の音声を綺麗に録音出来るので本当に便利でした。
よく「テレビのスピーカー部にラジカセを押し当てて録音していたら、お母ちゃんの「ご飯よ~」という声が入ってしまった」という思い出話を聞いたことがありますが、私はこのテレビのおかげでそんな経験はしたことがありません(笑)。
テレビのイヤホン端子からケーブルでラジカセに繋ぐことで綺麗に録音することは可能ですが、そのためにはいちいち自分の部屋から居間までラジカセを運び込まなければなりません。
その場合ラジカセに繋いだレコードプレーヤーやFMアンテナも付け外ししなければならないのでとても面倒だったのです。
このテレビを選んだのは昔から新しいモノ好きだった父でした。
「うわ~、これ便利やな~」と喜ぶ私や妹の姿を見ていた時の父の得意げな顔は今でもよく覚えています。
■ソニー製13インチ:KV-1312U

13インチという小型のテレビですが、実はこれが我が家の最初のカラーテレビでした。
大阪万博の年('70年)に買ったもので、『帰ってきたウルトラマン』も『仮面ライダー』もこのテレビで見ていました。
母の話では、当時保育園児だった私が友達の家で見たカラーテレビを羨ましがって「カラーテレビ欲しい~」と泣いてせがむため渋々買ったのだそうです。
その時「どうせこれからのテレビは全部カラーになるんや」と後押ししたのが父でした。
万博会場で見た無数のカラー映像が父にそう思わせたのかも知れません。
天板にハンドルが付いているポータブルテレビとのことでしたが、実際に持ち運びをしたのは一度だけだったと思います。
私が小学4年の時、母と祖母が交通事故で入院することになってしまい私と妹は3ヶ月ほど叔父夫婦の家に預けられたことがありました。
ところが当時の叔父宅のテレビがまだ白黒だったため、私たち兄妹は「カラーじゃないと嫌だ」と立場もわきまえず駄々をこねてこのテレビを叔父宅に持ち運んでもらったのです。
今思い出すと叔父夫婦には本当に申し訳なくただただ赤面するばかりであります。
そんな思い出が詰まったテレビでしたが、この頃('80年)には経年劣化のためかなり映りが悪くなっていました。
ついにはブラウン管が寿命を迎えて廃棄処分してしまいましたが、木目調のものと比べてデザインがカッコ良かったので「捨てるのは勿体ない」と思ったことを覚えています。
【お父さんなんか大嫌い!】
父がビデオデッキ購入に前向きだった理由には一つ思い当たるフシがありました。
福井県は元々NHK以外には民放局が2つしかないため、テレビが2台あれば普段チャンネル争いが起こることなど滅多にありません。
しかし、問題は夏でした。
夏は父がプロ野球中継を見るのに居間の18インチを占領してしまうため、私たち家族は裏番組を見るのに台所に置かれた10年選手のソニー13インチで我慢しなければならなかったのです。
しかも、父は大の巨人ファンでした。
高視聴率が約束されている巨人戦は、日テレ以外の他局でもほとんどのビジターゲームが生中継されていたのです。
特にこの年は王選手が現役最後になるのではないかと噂されていた時期でもあり、どんなに頼んでも父はチャンネル権を譲ってはくれませんでした。
自分が見たい番組と巨人戦が重なった時、私はどれだけ雨天中止を願ったことか!。
(ちなみに、私もプロ野球はよく見てましたが、この年は贔屓の中日ドラゴンズが開幕6連敗を喫して最下位独走状態だったせいで完全に興味を失っておりました)
しかし、例外はありました。
日曜夜の大河ドラマだけは、祖母と母の二人が毎週楽しみにしていたため父も大人しく引き下がっていたように思います。
さすがの父も、自分の母親と嫁には逆らえなかったみたいです(笑)。
そして父の最大の天敵は、最愛の娘である妹でした。
妹は『紅白歌のベストテン』や『ザ・ベストテン』といった歌番組を見ながら、好きな曲をテレビ内蔵のカセットで録音するのが楽しみだったのです。
それらのレギュラー番組は野球と被ることはありませんでしたが、一度妹が見たがっていた音楽もの特別番組と野球が重なった時に父娘の間で凄まじいチャンネル争いが起こった事がありました。
結局最後は「お父さんなんか大嫌い!」という妹のクリティカル・ヒットで勝負が決まりましたが、おそらく愛娘のこのひと言がよほど堪えたのでしょう。
父がビデオ導入に積極的だったのは、自分がゆっくり野球を楽しむためと娘に嫌われたくないためだったに違いありません(笑)
なにはともあれ、こうして我が家の「初ビデオ導入騒動記」が始まったのであります。
家庭用ビデオデッキを購入するに当たり、当時は必ず一つの大きな選択をしなければなりませんでした。
そうです。

βか?、VHSか?の二者択一を迫られたのであります。
【ベータマックス】
ご承知の通り、家庭用ビデオのフォーマット戦争は、1983年を境にVHSがβのシェアを上回ってそのまま勝敗が決しました。
β方式は非常に優れた画質と機能性を持ちながらも、コストパフォーマンスと互換性に優れるVHSに敗れ去ったのです。
とはいえ、1980年のこの時点ではそんなこと誰にも分かるはずはありません。
むしろ先行フォーマットというアドバンテージとソニーのブランドイメージの強さもあって、この頃はβの方が優位だったのではないかと思います。
町内の電気屋さんで最初にビデオの店頭展示を始めたT電気さんの一押しもソニーのベータマックスでした。

そのT電気さんの展示機というのがこちら!。
前機種J7に長時間録画モード(βⅢ)を追加し、さらに高速ピクチャーサーチに加えて滑らかな可変速スローも可能にしたステレオ/音声多重対応のベータマックス最上級機ベータマックスJ9(SL-J9)。
後の世に燦然とその名を残すことになる名機中の名機です。
J9が搭載していた先進機能の数々は後のあらゆるビデオデッキの一歩先を行くものばかりでした。
しかし、そのお値段たるや堂々の29万8000円。
買えません!
欲しくてたまらなかったのは確かにこのベータマックスJ9でしたが、予算の上限が20万円までと限られていたため最初から高嶺の花と諦めておりました。
検討していたのは、同じJシリーズのモノラル機SL-J5や型落ちのβⅡ専用機SL-8300などです。
一時は家のテレビとの相性も考えて東芝「ビュースター」も考えましたが、やはり開発メーカーであるソニーへの憧れもあってすぐにソニー機だけに照準を絞っていきました。
【VHS方式】
ところが、父と妹と私の三人で福井市の大型電気店のビデオ売り場に行ってみると何だか様子が違いました。
そこではソニーや東芝などのβ方式ビデオデッキよりも、より大きなカセットを使うVHS方式のほうが数が多かったのです。
今だったら「そんな当たり前のことも知らなかったのか?」と馬鹿にされそうですが、インターネットなど全く無い時代にこうした新しいジャンルの製品情報を正しく知ることは非常に困難なことだったのです。
我が街の電気屋さんには東芝やサンヨーといったβ方式ファミリーの取扱店のほうが圧倒的に多く、私の記憶ではビデオも扱う松下特約店(通称「ナショナルのお店)はN電器さん一軒だけだったと思います。
当時のほとんどの家庭は、おそらく何も知らぬまま行きつけの電器屋さんで扱っている側のビデオ方式を盲目的に買わされていたに違いありません。
さて・・・。
そのお店ではナショナルかビクター系の店員(多分)からβ方式の悪口をたっぷりと聞かされました。
「β方式の標準モード(βⅠ)は画質は確かに良いけれど最大90分しか録れないため実用性に乏しい。そして現在のβⅡはその2倍速モードでしかない。」
「VHSは標準画質で2時間録画録画出来るうえに、3倍モードなら6時間も録画することが出来る。βは3倍モード(βⅢ)でもせいぜい4時間半。」
SL-J9への憧れが強かった当時の私には、後発メーカーによる単なるネガティブ・キャンペーンにしか聞こえませんでした。
ところが、そんなVHS陣営の説明の中にも少し気になる内容があったのです。
「βⅠの記録トラック幅はVHS標準と同じ約58 µm。ところが常用モードのβⅡは倍速であるため実はその半分の29 µmになっている。」
「記録幅58 µmをフルに使うVHS標準と、実質29 µmの記録幅しかないβⅡとではS/N比(信号とノイズの比率)に差がある。」
そして、最も気になったのがβⅡに対するこの指摘です。
「βⅡの再生画面をよく見ると、画面右側にモヤモヤとしたノイズが見えるはず。これはどんなに高価なベータ機でもどこのメーカー製であっても必ず発生するβⅡの潜在的な問題である。」
これには本当に困惑してしまいました。
なぜならば、地元の電気屋で毎日のように眺めていたJ9の画面には確かにそれらしきノイズがあったからです。
しかもトラッキングつまみを弄ってみてもそのモヤモヤは取れません。
>(参考)【電子産業史】1976年:ベータ対VHS
数年後、私は「特選街」という雑誌で「βⅡのH並べノイズ」について詳しく知ることになりました。
この時の店員の話は本当だったのです。
こうして急遽VHS方式ビデオも検討し始めたわけですが、私には一つのこだわりがありました。
それは、「開発メーカーのビクターの製品であること」
父や母からしてみればビクターというメーカー名には馴染みがないらしく「ナショナルとか日立とかの有名な会社のほうがいいんじゃないか?」と言われましたが私の考えは全く違っていました。
私はビデオをオーディオ機器のような趣味性の高いものと捉えていて、冷蔵庫や掃除機も作っているような一般家電メーカーのものは最初から度外視していたのです。
そして「開発メーカーならばプライドを持って製品を作っているはずだ」とも考え、VHSはビクター製品だけを検討していました。
私が最後まで検討を重ねたVHSビデオはこちらの機種です。

ビクター:HR-6700(268,000円)
前年('79年)に発売されたモノラル機種で、標準と3倍モード用の独立ヘッドを備えた最初の4ヘッド機です。
店頭でこれとベータマックスJ9とで同じ番組を録画してじっくり画質を見比べたところ、色乗りが良くて画面もすっきりしていて(モヤモヤしたノイズが無い)、本機の標準モードの方が優れて見えました。
気になったのは値段ですが、もう少し待てば年末に廉価版のHR-6500(215,000円)が出るとのこと。
それなら実売価格で20万円を切ることも可能です。
ここで私の気持ちは一気にVHSへと傾いたのであります。
・・・いや、ちょっと待った!
それでも私にはβに固執する二つの理由がありました。
一つは標準画質(βⅡ/標準モード)における2時間を超えての長時間録画。
VHS方式は確かに3倍モードを使うことで6時間録画が可能です。
しかしその画質は当時の私から観てもザラザラでノイズが多く、画面の安定感もフラフラと落ち着きのない感じでとても「保存用」としては使えない代物でした。
そして(ここが大事な点ですが)この当時、VHSにはT-120以上の長さのテープは存在していなかったのです。
つまり2時間を超えて延長放送される映画の場合、VHSだと必然的に画質の悪い3倍モードで録画しなければならないことになってしまいます。
しかし、βには標準画質(βⅡ)で3時間録画が可能なL-750テープが用意されていました。
VHS3倍モードの画質に満足出来ない以上、これは絶対に外せないポイントでした。
もう一つは親友T君とのテープの貸し借りのこと。。
T君は中学・高校時代の6年間に私が観た映画・アニメのうちの9割近くを共有した盟友です。
そのT君が、ビデオを買うため奮闘している私にこう言ったのです。
「ウチは、親父がNEC(の社員)だから多分βを買うことになると思う。」
今ではパソコンメーカーのイメージが強いNECですが、当時はビデオやテレビも扱う総合家電メーカーでした。
そしてビデオに関しては、東芝やサンヨーと同じベータ陣営だったのです。
お父さんがその関係者ということは、もしかすると社員割引などで安く買えるのかも知れません。
同じ趣味を持つT君とビデオの貸し借りが出来るということは、私にとってとても重要なことです。
やはり私が必要とするビデオはβ方式でした。
【昭和55年初冬】
私が「ビデオが欲しい!」と最初に言い出してから数週間。
各メーカーのカタログを隅々まで舐めるように読み漁り、父や妹と福井市の電気店を覗いて回った日々もようやく終わりを告げる時が来ました。
1980年12月初頭、我が家に迎えるビデオデッキをついに決めたのです!。
ソニー:ベータマックスJ1(SL-J1)
SL-J9と同じ時期に発売された廉価機だったと思います。
ピクチャーサーチは装備されていましたが、J9のような特殊再生機能はありません。
しかし回路がシンプルである分、故障しにくいのではないか?という安心感がありました。
型落ちのSL-J7やJ5も考えましたが、J7とJ5にはβⅢモードが無いため候補から外しました。
もちろん本当はJ9が欲しかったのですが、やはり予算的にみてどうしても無理でした。

値段は19万8千円・・・のところを18万2千800円。
値引き自体は1割程度ですが、その店ではL-500テープ(βⅡで2時間録画)を3本おまけに付けてくれるという点が決め手になりました。
それにしてもテープ3本で12,000円とありますから、当時の一本あたりの値段は4,000円ということになります。
高かったなあ~。
SL-J1購入を決めたものの、残念ながらこの日は在庫が無いとのことでした。
そのため、家族全員が揃う次の土曜日に家まで運んでもらう段取りにしておきました。
本当は木曜日には配達出来るとのことでしたが、これは我が家にビデオがやって来るというビッグイベントなのです。
どうせなら家族全員で迎えたいではありませんか。
こうして私は、我が家に初のビデオデッキがやって来る土曜日を指折り数えながら待ったのであります。
ゴールは目前でした。
ところがどっこい
指定の土曜日、我が家に届いた品物はベータマックスJ1ではありませんでした。
【どうしてこんなことに・・・?】
(父を除く)家族全員がパニックに陥ったあの日のことは今でもハッキリ覚えています。
その日はビデオが来ると言うことで、母は朝からビデオを載せるテレビの天板を綺麗に掃除していました。
さらに、電気屋さんに見られると恥ずかしいと言って、埃だらけの裏側にも掃除機をかけています。
やがて配送トラックが家の前に到着しました。
そしてその荷台から若い店員が二人がかりで大きな荷物を運び込んできます。
「ん?、なんかデカすぎないか?。」
明らかにソニーのビデオデッキではないその箱には「SHARP」のロゴが描かれていました。
「シャープ?、なんで?。」
そして居間の東芝製カセットテレコ付きテレビを移動させ、そこに持ってきた製品を設置し始めたのです。
それはなんと・・・。

シャープ:ビデオテレビV8 (CT1818V) 268,000円
ビデオ(VHS)を内蔵したテレビでした!。
母は「絶対何かの間違いですから持って帰って下さい」とお店の人を追い返そうとしましたが、店員さんが「いや、数日前にお宅の旦那さんが店に来てこれを買われたんで・・・」と言いながら伝票を取り出しました。
そこには確かに我が家の住所と父の名前が書かれていました。
それを見た母と祖母が再びパニックに陥った時、父がニヤニヤしながら出てきて「やあ、どうもご苦労さんです。」と店員さんに挨拶し始めたのです。
父曰く
「この前電気屋で見つけて”これや!”思うてな。」
「いいやろ~。これならテレビも新しくて大きいのが増えるし、ビデオも付いてて一石二鳥!。」
「一体になってるってことは、余計な電線(ケーブル)もいらんし画質とかもいいはずや。」
「手付け金はそのままでもいいと言うんで、ソニーのビデオは断ってこれに変えてきてやった。」
私には、父のドヤ顔がこれほど間抜けに見えたことはありませんでした。
実は私もビデオ内蔵テレビのことは知っていましたが、あるお店で良心的な店員にこう聞かされたことがあるのです。
「複合型は内部の熱や電磁波で性能も落ちるし壊れやすい。しかも内蔵のビデオ部分が壊れたら修理の間テレビも使えなくなる場合もある。大きな声では言えませんがお薦めしません。」
この情報をちゃんと父に伝えておかなかったことを私は心の底から悔やみました。
これでは私は一体何のために商品リサーチを積み重ねてきたのか分かりません。
父はテレビとビデオ一体型商品という物珍しさにまんまと釣られてしまったのです。
しかも、何度も一緒に電気屋に見に行ったにもかかわらず、父はβとVHSの違いを何一つ理解していない様子でした。
そうでなければ、あれだけ検討を重ねて決めたβから、これほどあっさりとVHS方式に機種変更するはずがありません。
父にはテレビとビデオが一緒になっているという特異性と利便性だけが重要で、画質も長時間録画もどうでもよかったのです。
父さん・・・父さん・・・。
あんた何て馬鹿なことしてくれたんや!?。
しかし、両親の部屋へと運ばれていくカセットテレコ付きテレビを眺めているうちに私はハッと気が付きました。
かつて、新しいテレビを買う時に「カセットテレコ付き」という珍しいセールスポイントに食い付いた父。
そのテレコ機能に喜ぶ私たち兄妹を見てとても満足そうだった父。
そして、近所ではまだ誰も持っていないビデオデッキを買うことに優越感を持っていた父。
そうか!。
父は、あのカセットテレコ付きテレビの成功をそのままビデオ付きテレビで繰り返そうとしていたのです。
あの時のように息子や娘の喜ぶ顔が見たかったのです。
それは理解しました・・・、理解しましたが・・・。
こんな物のために大事な自分のお金を出すわけにはいきません!。
父「お前、ビデオ買うなら自分も幾らか出すって言ったやろ!。」
私「俺が買うって決めたのはソニーのJ1や。こんな半端なもんと違うわ!。」
父「半端とはなんや。俺がもっといいもん買うてやったのに。」
私「この値段でテレビとビデオがくっついてるって、どっちも中途半端に決まってるやろ。そんなことも分らんのか!。」
父「そんならこの新しいテレビは俺が使う。お前には使わせんからな!。」
今思えば私も父も大人げなかったと思ってます。
でも、私が欲しかったのは決して新しいテレビなどではないのです。
そのオマケに付いている中途半端なビデオでもありません。
欲しかったのは、あくまでも専用機としてのビデオデッキであると同時にそれを持っているというステータスです。
「ウチのビデオはベータマックス:SL-●●だ」とか「俺んちのはビクターのHR-●●●●だぜ」と、名前(型番)で呼べる”愛機”が欲しかったのです。
結局、居間に設置したシャープV8は父の部屋に移動した東芝テレコ付きテレビと入れ替えてもらうことになりました。
配達員さんからしてみれば実に迷惑な客だったと思います(笑)。

こんなすったもんだの果てに我が家にやってきたビデオテレビV8でしたが、父との大喧嘩のせいで私は気軽に使うことが出来なくなってしまいました。
しかし、そんなことは大した問題ではありません。
私には妹という強い味方がいたのです(笑)。
彼女にテープを渡して「■時からの●●●を録っておいてくれ」と頼めばちゃんとその通り録画してくれました。
観るときは父の留守中を見計らえばいいのです。
12月17日の『ルパン三世 カリオストロの城』もこのやり方で問題なく録画出来る・・・はずでした。

ところが、使い始めて1週間も経たないうちにとんでもないトラブルに見舞われました。
肝心のビデオ部分が故障してしまったのです。
録画を終えてイジェクトボタンを押したところ、内部でグシャグシャと嫌~な音がしてそのままテープが出てこなくなりました。
中でテープがからまっている事は容易に察しが付きます。
一本5千円もする120分テープが一瞬でパーになりました。
しかも、お目当ての『ルパン三世 カリオストロの城』の放送日まであと2~3日しかありません。
急いで電気店に連絡して修理を依頼すると、「絡まったテープの取り出しは出来るが、修理するとなると大阪のメーカーに送る必要がある。そうなると早くて一週間、正月休みも挟んでしまうと来年の正月明けまで待ってもらうことになるだろう。」とのことでした。
冗談じゃない!。
私は電話で食い下がりました。
「それなら、修理の間だけ代替えのビデオデッキを借してもらえませんか?。どうしても録りたい番組があるんです。」
買ってからわずか2週間で壊れたことに負い目を感じたのか、あるいは私の言い方がよほど切実だったのか、販売店さんは「店頭展示用のものでよろしければ・・・」と代替え機貸し出しをOKしてくれました。
翌日サービスマンが修理に来ましたが、私は学校があったのでその時の状況は見ていません。
学校から帰ると、居間のカセットテレコ付き東芝テレビの上には代替えのビデオデッキが鎮座していました。
それはなんと・・・。

あのビクター:HR-6700でした!。
以前VHS方式を検討した時、SL-J9のβⅡモードより画質が良いと感じたビクターの4ヘッド機です。
私は早速同じビクター製のHGテープを買ってきて、昭和55年12月17日の水曜ロードショー『ルパン三世 カリオストロの城』を無事に録画することが出来ました。
これが記念すべき我が家のビデオライブラリ第一号です。
そしてこれ以降、私の録画ビデオコレクションはまるで水に濡れたグレムリンの如くひたすら増殖し続けることになるのです。
父の部屋に置かれていたシャープ:ビデオテレビV8は影も形もありませんでした。
修理に立ち会った母の話では、VTR部分からグシャグシャに絡まったテープを取り出したサービスマンは「テープの走行系がどうもおかしい。これだとまた同じ症状が出るだろう。」と説明していたそうです。
つまり故障ではなく初期不良の疑いがあるとのことで、詳しい検査のために持ち運んで行ったとのことでした。
その間、私はせっかく手元に来たHR-6700を使い倒そうと目論んだのですが、残念なことにこの年末年始は『カリオストロの城』以外にはこれといって録りたい映画がありませんでした。
その分、私と妹は録画した『カリ城』を一日一回以上毎日必ず再生しておりました。
『カリ城』録画成功を聞きつけたT君が遊びに来た時も、やはり2度も3度も繰り返し観たものでした。

「ほら、俺が言った通りや。これ五右衛門の頭や。やっぱり五右衛門が車を斬っておいたんや。」
と、劇場ではよく分からなかった部分をじっくり確認してみたり・・・。

ジョドーの脱がせのテクニックをスロー再生で確かめたり(笑)。
それはもう、オタク冥利に尽きる楽しいひと時でありました。
しかし、それまでT君の前で「絶対ソニーのβを買うぞ」と宣言していた私には少し後ろめたい気持ちがあったのも事実でした。
彼は私のビデオが結局VHSだったことについて何も言いませんでした。
やがて年が明けて、新品のV8が届くと引き換えにHR-6700はお店に返さなければならなくなりました。
あの時の別れ難い気持ちは今でも忘れることが出来ません。
新しいV8はテレビとしてもビデオとしてもすこぶる快調で、テープが絡まることも録画に失敗することもありませんでした。
当初の予定通りV8は居間に陣取り、東芝テレコ付テレビは父母の個室に移動となりました。
父との確執もいつの間にかうやむやになり、私は妹を介することなくビデオを使いまくっておりました。
でも、やっぱり何かが足りないのです。
中途半端なビデオ内蔵テレビに対する不満。
勝手に購入機種を変更した父への憤り。
そしてソニー:SL-J9やビクター:HR-6700といった”本物”への憧憬。
あの時のモヤモヤとした気持ちが、良くも悪くも以降の私のAVライフに大きく影響していったことは間違いありません。
終わりに。
私は今ここに懺悔いたします。
これまで私は、「君の家の最初のビデオは何だった?」と訊かれるたびに
「うちの最初のビデオはビクターのHR-6700でした。6500が出て型落ちになったのを安く買ったものですがね。」
と答えることにしておりました。
ごめんなさい!
私は見栄を張っていました
最初のビデオが本当はテレビに付属していたオマケ機能だったなんて、恥ずかしくて悔しくてとても正直には言えなかったのです。
もっともらしい嘘をついて自分と他人様を偽り続けていたのです。
我が家の最初のビデオは本当はシャープのビデオテレビV8:CT1818Vだったんです
昔使っていた家のテレビのことや検討した他のビデオデッキのことまで書いてしまいましたが、なんだか懐かしくて筆が止まらなくなってしまいました。
こんな長い話に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次回の不定期連載「私のオーディオ・ビデオ遍歴」は、”今度こそ”自分のビデオデッキを手に入れた時のお話です。