私のオーディオ・ビデオ遍歴(第1回) ~全てはヤマトから始まった~
春ですねぇ。
春と言えば新企画です。
・・・というわけで、新しく始めたこの「私のオーディオ・ビデオ遍歴」シリーズ。
中学時代から現在に至るまでの約40年間、私が愛用してきたAV機器たちの思い出に沿って複数回に分けて書き綴っていこうというものです。
きっかけは、他人様のホームシアター関係のブログやHPをあれこれ見て回っているうち、以前私が愛用していたビデオデッキの記事を見つけた時でした。
なんかもう、無性に懐かしさがこみ上げてきてしまいました。
それと同時に、「かつての自分の愛機たちについて書き綴っておくことは、そのまま自分史としても成立するんじゃないか?」と考えたのです。
古すぎて記憶がはっきりしなかったり、メーカー自体が無くなっていたりしてスペック情報はおろか画像すら見つからないような製品も多々あります。
そんなこんなで調査・確認に難儀しているため不定期連載となりますが、少しづつゆっくりと書き進めていきたいと思っています。
一回目は音楽再生に興味を持ち始めた中学時代を振り返ります。
昭和52年、史上空前のアニメブームが沸き起こりました。
その牽引車がこの『宇宙戦艦ヤマト』であったことに異議を唱える者はいないでしょう。

夏には(福井では1カ月遅れの9月公開でしたが)TVアニメを再編集した劇場用映画が公開されました。
私も中学に入って知り合ったアニメ・SF好きの友人T君と連れ立って観に行っています。
新聞広告ではまるで全編新作映画みたいな宣伝文句だったのに実際はTVシリーズと同じ映像でガッカリしたものの、それでも劇場の大スクリーンで観る『宇宙戦艦ヤマト』は十分過ぎるほどの迫力がありました。
不満と言えば冥王星基地攻略がかなり駆け足気味だったことと、アナライザーのスカートめくりが全部カットされていたことくらいです(笑)。

そして年末には『ヤマト』のサウンドトラック盤が発売になりました。
「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」です。
これこそが私が自分で買った初めてのレコードであり、現在のAV(オーディオ・ビジュアル)趣味への出発点でした。

このレコードはそれこそ猿のように何度も何度も繰り返し聴いたものでした。
アナログレコードはほとんど売却処分してしまいましたが、再生環境が失われた今でもこの交響組曲『宇宙戦艦ヤマト』と思い出深いLP数枚は手元に残しております。
【購入時期不明(70年代初頭?)】
■ポータブル・レコードプレーヤー
ビクター:SPE-8200(多分) 価格不明

何度も何度も繰り返し聴いた「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」でしたが、その再生に使っていたのは実はこんなプレーヤーでありました。
私が小学校に上がる頃から家にあったポータブル・レコードプレーヤーです。
ただし、(写真と型番はビクターのものを載せていますが)本当にこの製品だったかどうかは記憶に自信がありません。
調べてみたところ、ナショナル(現:パナソニック)やコロムビア(現:DENON)からもよく似た形状で同じコンセプトの製品が売り出されていたみたいです。
ただ、ボリュームが左右に独立して付いていたことと、赤と白のツートンカラーであったことだけは覚えていますので多分これだと思っています。
幼い頃は、祖母に買ってもらったドーナツ盤(童謡や『仮面ライダー』等の主題歌)や雑誌に付いていたソノシートをこれで聴いていただけで十分満足していたと思います。
しかし、同じ趣味を持つ友達が出来た多感な中学生がいつまでもこのオーディオ環境に満足していられるはずはありませんでした。
【昭和53年4月】
■ラジカセ
シャープ:GF-303 69,800円

中学二年の春、親にねだって買ってもらったのがこのGF-303SBです。
シャープ「ザ・サーチャー」シリーズの最上位ラジカセ(当時)で、実売価格で6万円近い多機能機でした。
ただし、全額を親に出してもらったわけではありません。
一緒に買いに行った母は最初モノラルの小さいものでいいだろうと思っていたらしく、息子が欲しがっていたのがこんな大型の多機能ラジカセだと知って相当びっくりしていました。
「こんな高いもん、あかん!」
「いや、これでないと意味ない!」
押し問答の挙句、母は「お父さんにも相談せな」と言い出す始末です。
大人の目から見れば単なる玩具に過ぎないラジカセの話です。
このまま帰って父や祖母まで話に割り込んできたら、高額なラジカセの購入など却下されることは目に見えています。
焦った私は「小型ラジカセの値段分だけ出してくれればあとは俺の貯金(お年玉を貯めたお金)で払うから。」と半ば強引にGF-303SBを手に入れたのでありました。

私がこうまでしてこの高額機種にこだわるのには理由がありました。
GF-303は音声ライン入出力や外部スピーカー端子、更にはレコード・プレーヤー端子まで装備した非常に多機能なラジカセです。
つまり、このラジカセに市販のプレーヤーを繋ぐことで一般のオーディオアンプと同じようにレコード再生とテープ録音が可能になるのです。
昭和53年当時は、こういった多機能で大型スピーカーを備えたラジカセが流行っていたのです。
中学生の身分ではシステムコンポやアンプ&スピーカーといった単品コンポを買い揃えるなど夢物語でしかありませんが、このGF-303を核にして一品ずつグレードアップしていくことは十分可能です。
それを単なるモノラル・ラジカセにされてしまっては元も子も無くなってしまうのです。
家に持ち帰ったGF-303の威容を見て驚いた父に私のこの遠大な計画を説明したところ、「ふ~ん、そういうことならまあいいやろ。」と拍子抜けするほどあっさり認めてくれました。

その日から、買ったレコードを直接聴くときはポータブル・プレーヤーで再生し、友達のT君にそのレコードを貸す代わりに彼の家のオーディオ・コンポでテープに録音してもらうという状況が始まりました。
「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」はもちろん、その後買った『スター・ウォーズ』『さらば宇宙戦艦ヤマト』『ルパン三世』のサントラなども、買ったレコードを聴くのは最初の一回限りで後はT君宅でダビングしてもらったテープのほうばかりを聴いていたものです。
お返しとしてT君も自分が買ったレコードをテープにダビングしてくれましたから、カセットテープライブラリーは増えていく一方でした。
また、この時の想定外の出費は私に思わぬ初体験をもたらすことになりました。
1978年の夏には『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』『さらば宇宙戦艦ヤマト』といったSF映画が続々と公開されることになっていましたが、私はラジカセを買うために貯金の全てを使い果たしたためこれらの映画を観に行くことが金銭的に難しくなってしまったのです。
そこで、クラスメートの一人が町の観光名所:東尋坊の土産物店の息子であったことから、彼の口利きでゴールデン・ウィークの6日間(休日のみ)お店の手伝いをすることになりました。
これが私の人生初のアルバイトです。
仕事内容は主に焼きイカ売りと客の呼び込みでした。
前年まではその友達と彼のお兄さんとでやっていた仕事でしたが、お兄さんが進学で家を出てしまったため人手が足りなくなってしまったのだそうです。
元々人怖じしない性格の私はすぐに慣れて、終日声が枯れるまで大声を張り上げておりました。
学校はアルバイト禁止だったため内心ヒヤヒヤしながらではありましたが、これはこれでとても新鮮な体験でありました。
どうやら大声が好評だったらしく(笑)、夏休みにもその土産物店が経営する浜茶屋の貸ボートのアルバイトに誘ってくれましたが、部活があることと海水浴場では学校にバレる恐れが大きいことから断腸の思いで断りました。
【昭和55年1月】
■レコードプレーヤー
パイオニア:PL-1050W 29,800円

「そろそろ、ちゃんとした自分のレコードプレーヤーが欲しい」と思っていた私は、正月に貰ったお年玉を使ってようやくこのパイオニア製レコードプレーヤーを購入しました。
実はシャープからもオプションとして純正のプレーヤーが売られてはいましたが、この頃の私はもっと本格的なオーディオ・メーカーの製品に憧れを持つようになっていたのです。
PL-1050にはブラックタイプも用意されていましたがあえて木目調のほうを選びました。
今後アンプやスピーカー等も少しづつ買い揃えていって自分なりのオーディオ・コンポを組むことを夢見ていた私は、その中心に位置するレコード・プレーヤーは絶対に木目調であるべきだと何故か強く思い込んでいたのです(笑)。
また、自分用プレーヤー購入によりT君にレコード盤を貸すことは無くなりましたが、カセットへのダビング交流は変わらず続いていてお互いソフト面での出費を抑えることが出来ていました。

この時期の私は、次第に映画やアニメのサントラ以外にも音楽の興味が広がっていきました。
『銀河鉄道999』や『西遊記』で興味を持ったゴダイゴ、前年に解散したキャンディーズのライブアルバム、そして洋楽アルバムとしてABBAなども買うようになっていったのです。

PL-1050Wは、その後何度か針やベルトを交換しながら結局10年近く愛用し続けることになりました。
最後に買ったアナログレコードは当時大ファンだったプリンセス・プリンセスのシングル盤『ダイアモンド』です。
もちろん先にシングルCDも買いましたが、歌詞の中の「♪針が下りる瞬間の胸の鼓動を抱きしめろ」を聴いてるうちにどうしてもアナログ盤で聴きたくなってしまったのです。
晩年はほとんど置き物状態になっていましたが、私が所有したレコード・プレーヤーはこのPL-1050Wただ一台だけでありました。
いつの間にかモーターが回らなくなったため粗大ごみに出してしまいましたが、今そのことを思うとなんだか心が痛むのです。
お飾りでもいいから手元に置いてさえおけば、修理して再び使う機会もあったんじゃないか?、と・・・。
【昭和55年4月】
初アルバイトの思い出が詰まった多機能ラジカセ:GF-303SBでしたが、わずか2年後の春に思わぬ形で壊れて・・・いや、壊されてしまいました。
父が「会社の宴会の余興に使うから貸してくれ」と持ち出していったのですが、翌朝戻ってきた時には見るも無残な姿に変わり果ててしまっていたのです。
チューニング・ダイヤルとFMアンテナの片方、そしてカセットデッキの蓋が取れて無くなっていました。
それだけではありません。
全体からプ~ンとお酒の臭いがしてボディ全体がベトベトに濡れていたのです。
父の話では、酒に酔った社員同士が喧嘩を始めてしまい、その巻き添えでこんなになってしまったとのことでした。
口論の途中で逆上したY島氏がたまたま彼の足元近くで音楽を奏でていた私のGF-303を腹いせに投げつけたところ、それがビールを運んできた仲居さんにぶつかって全部のビールがモロにラジカセにかかってしまったとのことでした。
恐る恐る電源を入れてみると、通電はするもののチューニングダイヤルがないため選局が出来ず、左スピーカーからはサーノイズすら聞こえません。
カセットテープを入れてみようにも内部までビールで濡れているため動作確認も出来ません。
その週末、酔っぱらって私の大事なラジカセを壊したY島さんが「申し訳ありませんでした」と頭を下げに来ました。
そしてそのまま、Y島さんが全額を支払うということで父と私とY島さんの3人で新しいラジカセを買いに行くことになったのです。
Y島さんは父の後輩ということもあって大人しくしていましたが、私としては実になんとも居心地の悪い買い物でありました。
■ラジカセ(2台目)
シャープ:GF-508 89,800円

GF-303は既に生産終了していたため、後継機であり当時の最上位機種でもあるこのGF-508を買うことになりました。
(↑のカタログ写真はシルバーですが、私が買ったのはブラックです)
GF-303の機能と拡張性は全て継承されていて、もちろんPL-1050Wも接続可能です。
アンプ出力もスピーカーも大幅に強化されていて、前の303より明らかにパワフルな音を聴かせてくれるマシンでした。
値段的には前の303よりも2万円ほど高くなってしまいましたが、自分が悪いと分かっているY島さんは一言も文句を言わずに代金を支払ってくれました。
普通に考えればこれは「得をした」と喜ぶべきことなのかも知れません。
しかし、303を買うために初めてアルバイトした思い出の事を考えると、私にはそれほど嬉しいとは感じませんでした。
それよりも。
私はこの時、店頭で見たある別の機械のことが脳裏に焼き付いて離れなくなっていました。
その機械が接続されているテレビの画面には、もうとっくに終了したはずの春の選抜高校野球の試合が映し出されていたのです。
そうです。

家庭用ビデオデッキです!。
今回はここまでといたしましょう。
お付き合いいただきありがとうございました。
次回は、ビデオのお話です。
ベータか?
VHSか?。
いや、そもそも我が家の家計でこんな贅沢品が許されて良いのか?
そして、家族会議の末に訪れた意外な結末とは!?。