週刊映画鑑賞記(2018.4/9~2018.4/15) 『宇宙大怪獣ドゴラ』『悪霊島』『ドラえもん のび太の魔界大冒険』
CATEGORY週刊映画鑑賞記
トガジンです。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品について徒然なるまま書き留めております。
4/12(木)
『宇宙大怪獣ドゴラ』
(ホームシアター:日本映画専門チャンネル録画)

待望の復活を果たした日本映画専門チャンネルの「東宝特撮王国」。
その新生ラインナップ第2弾です。

『ドゴラ』は比較対象とすべき以前の録画ディスク(パナソニックのAVCEC)が再生不能になっていたため画質向上の程度は分かりません。
しかし、この若林映子さんの登場シーンを見るだけでも相当気合の入ったリストアであることが分かります(笑)。

特撮シーンでも、うねうね動くドゴラの触角がアニメーションであることを忘れさせるくらい不気味さを醸し出していました。
しかし考えてみると、この年の本多・円谷コンビは『モスラ対ゴジラ』(4月)『宇宙大怪獣ドゴラ』(8月)そして『地球最大の決戦』(12月)と3本もの特撮怪獣映画を作っていたのですね。
しかも前年の『マタンゴ』(8月)『海底軍艦』(12月)も合わせると、きっちり4か月おきに5作品を世に送り出していたことになります。

そのせいでしょうか。
福岡県(筑豊炭田)のシーンでは、やたら実景とブルーバック撮影した俳優との合成ショットが目立ちます。
一作あたり4ヶ月という制作期間では、『ラドン』の時のように現地に俳優を連れて行ってのロケすることは出来ないのでしょう。

最小限の撮影スタッフだけで現地に赴き必要なショットを撮って来て、そこに俳優を合成しているようです。
この手法は30数年後の平成『ゴジラ』などでも使われていますが、驚くべきは本作におけるその融合の見事さです。
現地撮影の映像に写っているエキストラと、後から合成した俳優のサイズや目線方向が完全に合っています。
僅かな色味の違いや輪郭部のジラジラ感はあるものの、短いショットだと気付かない場合も多いです。
どんなに合成技術が向上しても、こうした丁寧な演出が施されていなければ映画のリアリティはぶち壊しです。
この画を見ながら『ゴジラvsデストロイア』冒頭シーンの雑な映像を思い出してしまうと、30数年の間に喪われたものの大きさに溜息つかずにはいられません。
ところで、俳優さんといえば・・・

何度見ても、このダン・ユマさんがツボですね~。
(それにしても「変な外人」って・・・)
本作の好評を受けて、このキャラクターが主役のスピンオフ作品も企画されてたらしいです。
また、ダンさんは翌年の『フランケンシュタイン対地底怪獣』のボーエン博士役候補に挙がっていたものの、諸事情によりニック・アダムスさんに決まったという裏話もあります。
ニック・アダムスさんは大好きなので『フランケン~』に関してはOKですけど、ダン・ユマさんにももっと東宝特撮に出て欲しかったなあ。
・・・と思ってたら、本名のロバート・ダンハム名義で『ゴジラ対メガロ』に出てました。

「イースター島経由で」
ところで・・・。
5月の『フランケンシュタイン対地底怪獣』と『サンダ対ガイラ』は姉妹作。
6月の『キングコングの逆襲』は北極、『妖星ゴラス』は南極と極地繋がり。
7月以降の『美女と液体人間』と『ガス人間第一号』は変身人間もので、『海底軍艦』と『緯度0大作戦』はスーパー潜水艦。
でも、なんで4月が『ラドン』と『ドゴラ』のカップリングなんだろう?と不思議に思っていました。
対決ものではない単体怪獣作品つながりかとも考えたのですが、今回2週連続で観たことでやっと分かりました。

石炭繋がりだったんですね。
『ラドン』の時代(昭和31年)には「黒いダイアが待ってるぜ!」とか言われていた炭鉱も、そのわずか8年後『ドゴラ』の時代にはもう廃れ始めていて「今では廃坑になっている区域」もあるとのことです。
新「東宝特撮王国」のラインナップはこんな視点でも楽しめそうですね。
4/13(金)
『悪霊島』
(ホームシアター:日本映画専門チャンネル録画)

公開当時、劇場で観た作品です。
当時は挿入歌としてビートルズの「レット・イット・ビー(Let It Be)」と「ゲット・バック(Get Back)」が使われていました。
その2つの楽曲が語り部である三津木五郎(演:古尾谷雅人)の心情を表現していてとても印象的だったのです。
ところが、なんとこの2曲は版権問題未クリアのまま使用していたとのことで、現在は別人のカバー・バージョンに差し替えられています。

残念ながら、今回放映されたのもその差し替えバージョンでした。
英語の歌詞が理解出来ようと出来まいと、劇中の演出効果が大きく損なわれたことは私にも分かります。
去って行く金田一耕助の後ろ姿と、そのバックに高らかに流れたオリジナル「レット・イット・ビー」とは一対のものとして記憶していましたから。

見所はやっぱり岩下志麻さまですね。
綺麗とか妖しいなんて次元を超越した、何か別の存在と化しています。
市川崑監督の金田一シリーズでもここまで妖艶な女主人公はいません。

あと、一人二役の岸本加世子が可愛い!、とか。

見えそうで見えない根岸季衣のミニスカートとか。

石橋蓮司とか。

撮影が宮川一夫先生だったのですね。
人の腕を咥えた犬(『用心棒』)とか、森の中を歩くシーン(『羅生門』)とかを見ていると、思わず「先生、セルフリメイクを楽しんでますね~」とニコニコしてしまいます。
宮川一夫キャメラマンを「先生」と呼んでしまうのは、宮川先生が私の大学の講師でいらしたからです。
私、大阪●術大学映像学科卒ですから。
一度先生のご自宅にお邪魔して、『羅生門』のNGテイクや編集で捨てられたカット頭やお尻部分を先生の解説付きで見せていただいたことがありましたが、今思えばあればDVDやブルーレイの「オーディオ・コメンタリー」みたいな感じでしたね。

ただ、今回観直してみると全般に雑な演出が多いのが気になりました。
例えば、時代が1969年であるはずなのにエキストラの髪型や服装が撮影時(1980年)のままだったことや、重要人物であるはずの妹尾兄弟の紹介シーンが無く彼らが唐突にストーリーに絡み始めるため当惑してしまうことなどです。
このあたりがもっと丁寧に描かれていれば、市川崑版「金田一シリーズ」にも引けを取らない作品になっていただろうと思うのですがね。
4/14(土)
『ドラえもん のび太の魔界大冒険』
(ホームシアター:WOWOW録画)

映画版『ドラえもん』第5作にしてシリーズ最高傑作(と思っている作品)です。
『海底鬼岩城』とも甲乙つけ難いですが、やはりこの作品に散りばめられた「センス・オブ・ワンダー」は数あるSF作品の中でもずば抜けてます。

何が凄いって、まず出木杉君が凄すぎます(笑)。
現代科学や体術・・・つまり勉強も運動も苦手なのび太はなんでも呪文ひとつで叶えられる魔法の世界に憧れます。
そんなのび太に出木杉君は科学と魔法は表裏一体のものであることをとても分かり易く説明してくれるのです。
中世の錬金術ブームで行われた幾多の科学実験から科学というものが発達し、いつしか魔法と呼ばれる迷信は全て駆逐されてしまったのだ、と。
流石は『のび太の大魔境』で航空写真に写る謎の雲を一目見ただけで「ヘビースモーカー・フォレスト!」と見切った出木杉君です。

さらに、参考にと彼が本棚から取り出した本にもビックリです。
なんと全部英語なのですよ!。
彼を見ていると、なんだか『ウルトラQ』の一の谷博士の姿が思い浮かびますね(笑)。
のび太たちとはいつも別行動を取っている出木杉君。
自室に籠ってこんな本を紐解きながら、彼は一体何を企んでいるのでしょうか?(笑)。

50歳を過ぎた今でも、この石化したのび太とドラえもんのシーンを見るとゾッとしてしまいます。
子供の頃から藤子作品に親しんでいましたので、「もしもの世界」も「タイムマシンによる多元時間軸」もちゃんと理解出来ます。
ですが、そこに魔法も絡めると一気に不気味な世界に変貌します。
この感じ、最近何かで見たことあるな・・・と思ったら。

『ハリー・ポッター』シリーズがこれに近いことに気が付きました。
そういえば、第3作『アズガバンの囚人』には逆転時計というアイテムで過去に戻るシーンもありましたっけ。

そして、ラスボス”名前を言ってはいけないあの人”の秘密。
彼は自分の心臓だけを別の場所に隠すことで不死身の身体となっていたわけですが・・・。

これって、『魔界大冒険』の大魔王とまるっきり一緒じゃないですか。
J. K. ローリング先生、あんたまさか・・・?。

今度のWOWOW放映版は、エンディング曲がオリジナル通りの「風のマジカル」(唄:小泉今日子)に戻されてたのが嬉しかったですね。
私が初めて『魔界大冒険』を観たのは最初のテレビ放映でしたが、その時は劇場公開そのままのエンディングでした。
ところが、後にビデオ化された際には版権問題にでも引っかったのか前々作『のび太の大魔境』の「だからみんなで」に差し替えられてしまっていたのです。
大人の事情で作品と一体化していた歌曲を強制的に変えられたために映画の視点が大きく狂ってしまいました。

敵に追い詰められ、のび太を逃がすため囮になってくれた美夜子。

彼女に命を救われたのび太は泣きながら「必ず助けに戻るからね」と誓います。
そして、ドラえもんとドラミちゃんの力を借りながらも仲間を救い出し魔法世界の地球を救ったのび太。
その彼に贈られるべき歌はやはり「風のマジカル」のほうがふさわしいと思うのです。
風のマジカル
(作詞: 湯川れい子/作曲: NOBODY)
そうよ ざわめきの中 Spring Time
季節が変る Spring Time
少年はアポロになるのね
そして まばたきひとつ Spring Time
風のマジカル Spring Time
危なさが かすんで見えない
ね,キスして
しかし、エンディングが差し替えられたバージョンは観終わった後に受ける印象がまるで違います。
「だからみんなで」はのび太の視点で勇気を語る歌ですが、「風のマジカル」は大人の女性である美夜子から子供たちへのエールです。
『のび太の魔界大冒険』は単に「大人の鑑賞に耐える」作品だけでなく、「大人の目線でのび太の頑張りと成長を優しく見守る」映画だったはずなのです。
大人の都合でエンディングを変更をしたため作品の軸がブレてしまった『のび太の魔界大冒険』が、ようやく本来のイメージで鑑賞出来るようになりました。
前日観た『悪霊島』がオリジナル主題歌を差し替えられたバージョンだったこともあり余計に嬉しかった部分です。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品について徒然なるまま書き留めております。
4/12(木)
『宇宙大怪獣ドゴラ』
(ホームシアター:日本映画専門チャンネル録画)

待望の復活を果たした日本映画専門チャンネルの「東宝特撮王国」。
その新生ラインナップ第2弾です。

『ドゴラ』は比較対象とすべき以前の録画ディスク(パナソニックのAVCEC)が再生不能になっていたため画質向上の程度は分かりません。
しかし、この若林映子さんの登場シーンを見るだけでも相当気合の入ったリストアであることが分かります(笑)。

特撮シーンでも、うねうね動くドゴラの触角がアニメーションであることを忘れさせるくらい不気味さを醸し出していました。
しかし考えてみると、この年の本多・円谷コンビは『モスラ対ゴジラ』(4月)『宇宙大怪獣ドゴラ』(8月)そして『地球最大の決戦』(12月)と3本もの特撮怪獣映画を作っていたのですね。
しかも前年の『マタンゴ』(8月)『海底軍艦』(12月)も合わせると、きっちり4か月おきに5作品を世に送り出していたことになります。

そのせいでしょうか。
福岡県(筑豊炭田)のシーンでは、やたら実景とブルーバック撮影した俳優との合成ショットが目立ちます。
一作あたり4ヶ月という制作期間では、『ラドン』の時のように現地に俳優を連れて行ってのロケすることは出来ないのでしょう。

最小限の撮影スタッフだけで現地に赴き必要なショットを撮って来て、そこに俳優を合成しているようです。
この手法は30数年後の平成『ゴジラ』などでも使われていますが、驚くべきは本作におけるその融合の見事さです。
現地撮影の映像に写っているエキストラと、後から合成した俳優のサイズや目線方向が完全に合っています。
僅かな色味の違いや輪郭部のジラジラ感はあるものの、短いショットだと気付かない場合も多いです。
どんなに合成技術が向上しても、こうした丁寧な演出が施されていなければ映画のリアリティはぶち壊しです。
この画を見ながら『ゴジラvsデストロイア』冒頭シーンの雑な映像を思い出してしまうと、30数年の間に喪われたものの大きさに溜息つかずにはいられません。
ところで、俳優さんといえば・・・

何度見ても、このダン・ユマさんがツボですね~。
(それにしても「変な外人」って・・・)
本作の好評を受けて、このキャラクターが主役のスピンオフ作品も企画されてたらしいです。
また、ダンさんは翌年の『フランケンシュタイン対地底怪獣』のボーエン博士役候補に挙がっていたものの、諸事情によりニック・アダムスさんに決まったという裏話もあります。
ニック・アダムスさんは大好きなので『フランケン~』に関してはOKですけど、ダン・ユマさんにももっと東宝特撮に出て欲しかったなあ。
・・・と思ってたら、本名のロバート・ダンハム名義で『ゴジラ対メガロ』に出てました。

「イースター島経由で」
ところで・・・。
5月の『フランケンシュタイン対地底怪獣』と『サンダ対ガイラ』は姉妹作。
6月の『キングコングの逆襲』は北極、『妖星ゴラス』は南極と極地繋がり。
7月以降の『美女と液体人間』と『ガス人間第一号』は変身人間もので、『海底軍艦』と『緯度0大作戦』はスーパー潜水艦。
でも、なんで4月が『ラドン』と『ドゴラ』のカップリングなんだろう?と不思議に思っていました。
対決ものではない単体怪獣作品つながりかとも考えたのですが、今回2週連続で観たことでやっと分かりました。

石炭繋がりだったんですね。
『ラドン』の時代(昭和31年)には「黒いダイアが待ってるぜ!」とか言われていた炭鉱も、そのわずか8年後『ドゴラ』の時代にはもう廃れ始めていて「今では廃坑になっている区域」もあるとのことです。
新「東宝特撮王国」のラインナップはこんな視点でも楽しめそうですね。
4/13(金)
『悪霊島』
(ホームシアター:日本映画専門チャンネル録画)

公開当時、劇場で観た作品です。
当時は挿入歌としてビートルズの「レット・イット・ビー(Let It Be)」と「ゲット・バック(Get Back)」が使われていました。
その2つの楽曲が語り部である三津木五郎(演:古尾谷雅人)の心情を表現していてとても印象的だったのです。
ところが、なんとこの2曲は版権問題未クリアのまま使用していたとのことで、現在は別人のカバー・バージョンに差し替えられています。

残念ながら、今回放映されたのもその差し替えバージョンでした。
英語の歌詞が理解出来ようと出来まいと、劇中の演出効果が大きく損なわれたことは私にも分かります。
去って行く金田一耕助の後ろ姿と、そのバックに高らかに流れたオリジナル「レット・イット・ビー」とは一対のものとして記憶していましたから。

見所はやっぱり岩下志麻さまですね。
綺麗とか妖しいなんて次元を超越した、何か別の存在と化しています。
市川崑監督の金田一シリーズでもここまで妖艶な女主人公はいません。

あと、一人二役の岸本加世子が可愛い!、とか。

見えそうで見えない根岸季衣のミニスカートとか。

石橋蓮司とか。

撮影が宮川一夫先生だったのですね。
人の腕を咥えた犬(『用心棒』)とか、森の中を歩くシーン(『羅生門』)とかを見ていると、思わず「先生、セルフリメイクを楽しんでますね~」とニコニコしてしまいます。
宮川一夫キャメラマンを「先生」と呼んでしまうのは、宮川先生が私の大学の講師でいらしたからです。
私、大阪●術大学映像学科卒ですから。
一度先生のご自宅にお邪魔して、『羅生門』のNGテイクや編集で捨てられたカット頭やお尻部分を先生の解説付きで見せていただいたことがありましたが、今思えばあればDVDやブルーレイの「オーディオ・コメンタリー」みたいな感じでしたね。

ただ、今回観直してみると全般に雑な演出が多いのが気になりました。
例えば、時代が1969年であるはずなのにエキストラの髪型や服装が撮影時(1980年)のままだったことや、重要人物であるはずの妹尾兄弟の紹介シーンが無く彼らが唐突にストーリーに絡み始めるため当惑してしまうことなどです。
このあたりがもっと丁寧に描かれていれば、市川崑版「金田一シリーズ」にも引けを取らない作品になっていただろうと思うのですがね。
4/14(土)
『ドラえもん のび太の魔界大冒険』
(ホームシアター:WOWOW録画)

映画版『ドラえもん』第5作にしてシリーズ最高傑作(と思っている作品)です。
『海底鬼岩城』とも甲乙つけ難いですが、やはりこの作品に散りばめられた「センス・オブ・ワンダー」は数あるSF作品の中でもずば抜けてます。

何が凄いって、まず出木杉君が凄すぎます(笑)。
現代科学や体術・・・つまり勉強も運動も苦手なのび太はなんでも呪文ひとつで叶えられる魔法の世界に憧れます。
そんなのび太に出木杉君は科学と魔法は表裏一体のものであることをとても分かり易く説明してくれるのです。
中世の錬金術ブームで行われた幾多の科学実験から科学というものが発達し、いつしか魔法と呼ばれる迷信は全て駆逐されてしまったのだ、と。
流石は『のび太の大魔境』で航空写真に写る謎の雲を一目見ただけで「ヘビースモーカー・フォレスト!」と見切った出木杉君です。

さらに、参考にと彼が本棚から取り出した本にもビックリです。
なんと全部英語なのですよ!。
彼を見ていると、なんだか『ウルトラQ』の一の谷博士の姿が思い浮かびますね(笑)。
のび太たちとはいつも別行動を取っている出木杉君。
自室に籠ってこんな本を紐解きながら、彼は一体何を企んでいるのでしょうか?(笑)。

50歳を過ぎた今でも、この石化したのび太とドラえもんのシーンを見るとゾッとしてしまいます。
子供の頃から藤子作品に親しんでいましたので、「もしもの世界」も「タイムマシンによる多元時間軸」もちゃんと理解出来ます。
ですが、そこに魔法も絡めると一気に不気味な世界に変貌します。
この感じ、最近何かで見たことあるな・・・と思ったら。

『ハリー・ポッター』シリーズがこれに近いことに気が付きました。
そういえば、第3作『アズガバンの囚人』には逆転時計というアイテムで過去に戻るシーンもありましたっけ。

そして、ラスボス”名前を言ってはいけないあの人”の秘密。
彼は自分の心臓だけを別の場所に隠すことで不死身の身体となっていたわけですが・・・。

これって、『魔界大冒険』の大魔王とまるっきり一緒じゃないですか。
J. K. ローリング先生、あんたまさか・・・?。

今度のWOWOW放映版は、エンディング曲がオリジナル通りの「風のマジカル」(唄:小泉今日子)に戻されてたのが嬉しかったですね。
私が初めて『魔界大冒険』を観たのは最初のテレビ放映でしたが、その時は劇場公開そのままのエンディングでした。
ところが、後にビデオ化された際には版権問題にでも引っかったのか前々作『のび太の大魔境』の「だからみんなで」に差し替えられてしまっていたのです。
大人の事情で作品と一体化していた歌曲を強制的に変えられたために映画の視点が大きく狂ってしまいました。

敵に追い詰められ、のび太を逃がすため囮になってくれた美夜子。

彼女に命を救われたのび太は泣きながら「必ず助けに戻るからね」と誓います。
そして、ドラえもんとドラミちゃんの力を借りながらも仲間を救い出し魔法世界の地球を救ったのび太。
その彼に贈られるべき歌はやはり「風のマジカル」のほうがふさわしいと思うのです。
風のマジカル
(作詞: 湯川れい子/作曲: NOBODY)
そうよ ざわめきの中 Spring Time
季節が変る Spring Time
少年はアポロになるのね
そして まばたきひとつ Spring Time
風のマジカル Spring Time
危なさが かすんで見えない
ね,キスして
しかし、エンディングが差し替えられたバージョンは観終わった後に受ける印象がまるで違います。
「だからみんなで」はのび太の視点で勇気を語る歌ですが、「風のマジカル」は大人の女性である美夜子から子供たちへのエールです。
『のび太の魔界大冒険』は単に「大人の鑑賞に耐える」作品だけでなく、「大人の目線でのび太の頑張りと成長を優しく見守る」映画だったはずなのです。
大人の都合でエンディングを変更をしたため作品の軸がブレてしまった『のび太の魔界大冒険』が、ようやく本来のイメージで鑑賞出来るようになりました。
前日観た『悪霊島』がオリジナル主題歌を差し替えられたバージョンだったこともあり余計に嬉しかった部分です。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
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