週刊映画鑑賞記(2018.5/14~2018.5/20) ~追悼 星由里子さん~
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品について徒然なるまま書き留めております。
例年なら5月中旬から6月いっぱいは比較的ヒマな時期のはずなのですが、なぜか今に至るも立て続けに仕事が入ってきて自分の時間を確保することが難しくなっています。
昨年の今頃は『ちはやふる‐結び‐』エキストラ参加のために3日連続で家を空けることも可能でしたが、今年はいつになったらそんなヒマが出来るのやら。
結局、今週身体が空いたのは今日(20日)一日だけでした。
そんな中、今週は大きな訃報が二つもあって本当に驚かされました。
しかも、お二人とも同じ16日にご逝去されています。

お一人は歌手:西城秀樹さん。
男性歌手には全くといっていいほど興味がなかった私でも、「ヒデキ、カンゲキ!」のバーモントカレーのCMとか「ヤングマン」の歌はよく覚えています。
「ヤングマン」は若い頃に仲間とカラオケに行った時など、最後によくこの歌をみんなで歌い踊ったものでした。
西城さんのご冥福をお祈り申し上げます。

そして、もうお一方は女優:星由里子さん。
テレビでは西城さんのニュースの影に埋もれてしまった感がありますが、東宝特撮映画ファンの一人としては星さんの訃報のほうがショックが大きかったです。
星さんは『若大将』シリーズの主人公の恋人:澄子役が有名ですが、私には真っ先に三本のゴジラ作品でのお姿が頭に浮かんできました。

『モスラ対ゴジラ』(1964年)
正義感が強くて行動力溢れる新人女性カメラマン:中西純子役。
悪徳興行師に憤慨し、インファント島の人々に人の調和を訴え、そして逃げ遅れた孤島の子供たちを助けに走ります。

『三大怪獣地球最大の決戦』(1964年)
金星人を名乗る美女のルポタージュをきっかけに、セルジナ公国の内紛とキングギドラ襲来に巻き込まれるラジオディレクター:進藤直子役。
サルノ王女と刑事である兄、そしてインファント島の小美人とを結び付け事件解決へと導く物語の船頭役でした。

『ゴジラxメガギラス G消滅作戦』(2000年)
36年ぶりのゴジラ映画では、毅然とした女性科学者役でした。
お歳を召してなお全く衰えないその美貌に、ウチの母親と同い年であるとはどうしても信じられませんでした。
ゴジラ映画以外では・・・

『士魂魔道 大龍巻』(1964年)。
『モスラ対ゴジラ』の少し前に出演された作品です。
大阪夏の陣で豊臣秀頼の嫡男を助けて落ち延びさせようとする侍女:小里役でした。
ちなみに本作では水野久美さんとの共演も見られます。
そして、私にとって最もチャーミングな星由里子さんは・・・。

『世界大戦争』(1961年)で演じた、どこにでもいるような一般庶民の娘:田村冴子役です。
映画冒頭のこの笑顔に、私のハートはむんずと鷲掴みされました。
5/20(日)
『世界大戦争』
(ホームシアター:日本映画専門チャンネル録画)

今日はWOWOWで放映される『モスラ』(1961年)を観るつもりでいたのですが、急遽予定を変更してこの作品の録画ディスクを引っ張り出し追悼鑑賞することにしました。
『世界大戦争』を観るのはこのディスクに録画した時以来ですから5~6年ぶりということになります。
最初に観たのはレンタルビデオ(テープ)、その次はレンタルDVDだったと思います。
残念ながら劇場ではまだ観たことがありません。
この『世界大戦争』、鑑賞するにあたってはそれなりの心の準備と体力を要する映画です。
なにせ、最後は星さん演じる田村冴子をはじめ登場人物のほぼ全員が核兵器の犠牲となり、生き残ったその恋人もまた死を覚悟で日本へと帰っていくというなんとも救いの無いストーリーだからです。
この映画の中で描かれる幸福・夢・希望といったものは、その全部が今の言葉でいうところの「死亡フラグ」になっています。

今回、星さんのお姿を軸に観ていくことで、この映画の悲惨さとかやるせなさがより浮き彫りになって見えたように思います。
家に居候している恋人:高野(演:宝田明)の声にパッと顔を輝かせる冴子。
国際便の船乗りである高野とは数か月ごとにしか会えません。
振り向きざまに見せる一瞬の笑顔だけで彼女の喜びが伝わってきます。

無線の免許を取ったことを高野に伝える冴子。
「これで離れていても通信が出来る」と目を輝かせますが、実はこれが終盤の胸を締め付けられるような切ないシーンに繋がります。

「冴子さんを僕にください、頼みます。」
父:茂吉(演:フランキー堺)に内緒で付き合ってきた二人が、求婚の報告の予行演習をするシーン。
「うるせえな、冴子はおめえなんかにゃやれねえよ。」
父親の口真似をして練習相手を務める姿がキュート過ぎます。

それを見ていた茂吉はなし崩し的に二人の仲を承諾。
陰ながら応援していた母親(演:乙羽信子)からも祝福を受けます。
しかし、こんなささやかな庶民の幸福も根こそぎ奪い去る第三次世界大戦の危機は着実に迫りつつあったのでした。

朝鮮半島38度線の戦闘など現在の目から見ると思わずゾッとするようなシーンもありましたが、この映画には一般市民はもとより軍関係者の中にも好んで戦争をしたがる人間は一人として描かれていません。
対立する両陣営の軍人たちも、故障や誤動作による核戦争勃発を必死で回避しようと努力する人間的な部分が強調されています。
しかし、それでも最終戦争は起こってしまいます。
映画では誰がどういう事情で最初のトリガーを引いたのかは明確に語られていません。
作劇としてはそれはかなり不自然な流れですが、この作品の場合それは意図してそうしているのだと思います。
もし「悪いのは全部コイツのせい」と特定の悪役を出してしまったら、この映画の主題は全然違う方向にブレてしまうからです。

妻にはいつか別荘を、冴子には立派な婚礼を、下の娘はスチュワーデスに、息子は自分が行けなかった大学に・・・。
最期の時を目前にして、物干し台に上がって果たせなかった夢を声に出す茂吉。

終末の恐怖を描いているにもかかわらず、この映画には(昨今の若手俳優がよくやるような)エキセントリックに喚き散らす過剰演技は全くありません。
今どきの人からは「クサい」とか「感動の押し売り」などと揶揄されるかもしれないシーンですが、フランキー堺さんの切々とした演技と星由里子さん演じる冴子の幸福と絶望を追いかけてきたことにより、私はボロボロに泣きながら素直に彼らの心情を受け止めておりました。

鑑賞しながら、この『世界大戦争』を追悼作品に選んだことを悔やんだ瞬間もありました。
しかし観終わった今では、星さんの魅力を追いながら観たことでこの映画のテーマをしっかり受け取ることが出来たと思っています。
この作品の星由里子さんは、お飾りのヒロインなどではないれっきとした主演女優でありました。
改めまして、星由里子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。