週刊映画鑑賞記(2018.6/4~2018.6/10) 『切腹』
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品について徒然なるまま書き留めております。
「ナントカは風邪をひかない」とか申しますが、頑丈だけが取り柄だったはずの私が水曜から金曜にかけて3日間、ひどく体調を崩してしまいました。
3月から続く連勤で疲れが溜まっていたのに加え、水曜日に屋外ロケで雨に当たったうえに冷房の効いた部屋で編集作業をしたのがいけなかったようです。
39度の熱が出て立っていることもままならず、およそ10年ぶりに医者に点滴を打ってもらい、仕事は急遽後輩に代わってもらってきちんと休むことにしました。
そんなワケで、今週観た映画は小林正樹監督作品『切腹』ただ一本でした。
楽しみにしていた『キングコングの逆襲』(HDリマスター版)を観るのも、金曜日から始まった「午前十時の映画祭」の『七人の侍』を金沢まで観に行くことも全部来週に持ち越しです。
6/4(月)
『切腹』
(ホームシアター:WOWOW録画)

実は私、映画『切腹』はバブル崩壊直後の1993年頃にレンタルビデオで一度観たことがあります。

求女(演:石濱朗)の、思わず目を背けたくなるあの竹光切腹シーンの凄惨さや・・・

主人公:津雲半四郎(演:仲代達矢)の真の目的など・・・。
ストーリーの根幹部分はほぼ記憶の通りでしたがクライマックス以降のあの無情な展開については全く覚えていませんでした。
どうやら何か別の時代劇と記憶が混同してしまっていたみたいで、私は半四郎が生き残って井伊屋敷を出て行って終わったものと錯覚しておりました。

今回およそ25年ぶりに観返したわけですが、この作品の時代背景と初見時の自分の姿とが妙にシンクロして見えました。
大学在学中から自主映画製作費と遊ぶ金を稼ぐためアルバイトに精を出していた私は、卒業後もまともな就職はせず「フリーター」と称して幾つものアルバイトを掛け持ちして生活しておりました。
当時('80年代末期)はいわゆるバブル絶頂期でしたからバイトの口なんていくらでもありました。
特に引っ越しシーズンである3月は松本やアートといった引越業者で一日18時間(2~3軒掛け持ち)働いたものです。
運転免許を持っていたことから時給も高めに貰えたので、この季節の収入は月90万円近くありました。
それでも「映像業界に進みたい」という願望が強かったことと、TV業界には大学の先輩が多かったこともあって、3月以外は映像制作関係のアルバイトを中心にシフトを組んでいました。
時給も経験値に比例して上がっていく一方で、このフリーター時代約3年間の月平均収入は70万円近かったと思います。
しかも特定の局の番組だけでなく大阪民放5局の様々な番組に関わることが出来るので毎日がとても充実していました。
「ヘタに就職なんかするよりこのほうがよっぽど稼げるし面白い」
今思えばお恥ずかしい限りですが、当時の私は「世の中」というものを完全に舐めていました。

そして大阪花博を間近に控えた1989年末。
当時一番可愛がってくれていた制作会社の専務さんから「お前、いい加減にウチの社員になれ。なんぼ働いたかてバイトのままじゃカメラマンにはなれんのやぞ。」と忘年会の席で誘われました。
私もそろそろこんな宙ぶらりんな自分の立場に疑問と不安を感じ始めていましたし、大学卒業後も定職に就こうとしない息子を心配する両親に対する気兼ねもありました。
稼ぎが大幅に減るのは確実でしたが、このまま定職に就かないままだと結婚も出来ないという焦りもあって誘われるまま就職することに決めたのでした。
稼ぎそのものは3分の1以下に減ったものの、このタイミングで正社員になったことは私にとって本当に幸運でした。
そのわずか一年後にバブル経済が崩壊し、あらゆる業界で経費削減が最優先課題となったからです。
TV業界も例外ではなく、下請けプロダクションやフリーランス、アルバイトへの発注は極力控えるようになってしまいました。
見通しの甘かった新興プロダクションはバタバタと倒産していき、転職していった同業者は数知れません。
当時フリーターを続けていた連中もほとんど全員が音信不通になっていきました。
中にはお金に困って警察のお世話になった者も何人かいて、「もし自分もあのままフリーターを続けていたら・・・?」と思うとゾッとします。

私が最初に映画『切腹』を観たのはまさにこんな時期でした。
関ケ原・大阪冬の陣・夏の陣という(武士にとっての)バブル期を経て、天下泰平の世(バブル崩壊)で奉公先を失い浪人(フリーター)となった武士たちが江戸屋敷に対して「切腹詐欺」を働く・・・。
そんな映画『切腹』の背景は当時の自分の姿に重なって見えました。
『切腹』を30年間一度も観直そうとは思わなかったのも、ラストシーンをハッピーエンドと勘違いしていたのも、おそらくこうした過去の自分への悔恨と羞恥心がそうさせたのかも知れません。
そんな事を思い出しながらおよそ四半世紀ぶりの『切腹』を観ておりました。
今回、大画面で観ていて圧倒されたのは俳優さんたちの見事なお芝居です。

主演の仲代達也さんはこの撮影時、若干29歳!。
岩下志麻を娘に持ち、さらに孫までいるという(推定)40~50歳の役を貫禄タップリに演じています。
最初は復讐の念を億尾にも出さずに庭先での切腹を願い出た半四郎ですが、徐々にその本性を現し井伊家に対する復讐心が明らかになっていきます。
その怒りと憎しみと悲しみを、白州の上で座ったままほとんど身動きすることなく台詞と目の演技で表現しています。
その半四郎が、娘婿を直接手にかけたうえに侮辱までした三人の家臣を倒して切り落とした髷を放り投げ、上辺ばかりを取り繕おうとする武士社会を嘲笑うシーンの痛快さ!。
剣劇だけではなく、こうした心理戦や駆け引きこそがこの映画の面白さです。

対する三國連太郎さん。
『切腹』を初めて観た’93年は『釣りバカ日誌』のスーさん役がすっかり定着していた頃だったと思います。
こうした三國さんの非人間的な悪役ぶりは『野生の証明』や『八甲田山』以来久しぶりでしたから、「怖い」とか「憎たらしい」というよりなぜか「懐かしい」気分になっておりました(笑)。

仲代さんの老け役もお見事ですが、半四郎の愛娘にして求女の病身の妻:美保役の岩下志麻さんもまた凄い。
この時、なんと21歳!。
最初見たときは乙羽信子さんだと本気で思ってました。

この同じ年、小津安二郎監督『秋刀魚の味』にも出演されていますが、その役柄の振り幅の大きさに驚くばかりです。

ただ、いくら名女優とはいえこの11歳の役はかなり無理があるように思います(笑)。
こればっかりは子役に任せても良かったのではないでしょうか。
ところで、この映画の宣伝文句は・・・。

まるで東宝の『用心棒』『椿三十郎』や大映の『座頭市』みたいな扱いで全く内容に即していません。

『切腹』にも確かにチャンバラシーンは存在しますが決してそれが主題ではありません。
その証拠に、直接求女を手にかけた沢潟彦九郎(演:丹波哲郎)と半四郎の対決シーンでは、決着がつくところは直接描かれてはいません。
『椿三十郎』公開が昭和37年(1962年)1月1日、『座頭市』が4月18日公開でそれぞれ大ヒットしていましたから、松竹宣伝部は同じ年の大型時代劇としてそれらに肖ろうとしていたのかも知れませんね。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。