『銀河鉄道999』 ~拝啓、十五の君へ~

現在福井市美術館で開催されている『松本零士展 ‐漫画界のレジェンド‐』を見に行ってきました。

ガラス張りの逆円錐形をした建物が福井市美術館です。
中の展示品は写真撮影禁止ということで画像が無いのが残念ですが、漫画の直筆原稿やアニメの資料・セル画などが多数展示されていました。
展示していた『銀河鉄道999』の原稿は絵柄に馴染みが薄い最近のもの(エターナル編)だったのが残念でした。
しかし『宇宙戦艦ヤマト』の原稿については、昭和49年当時の第一話と番外編『永遠のジュラ編』のものが展示されていました。
小学生の頃夢中で読み耽った漫画のオリジナルを見ることが出来て本当に嬉しかったです。

この松本零士展と連動して、現在福井市内の映画館:メトロ劇場さんで『銀河鉄道999』『さよなら銀河鉄道999‐アンドロメダ終着駅‐』のリバイバル上映が行われています。
>メトロ劇場さん「松本零士特集」ページ

というワケで、美術館見物を終えて一路メトロ劇場へ!。

『銀河鉄道999』劇場版第一作を観てきました。
テレビ放映やビデオで何度か観返したことはあるものの、劇場のスクリーンで仰ぎ見るのは39年前の公開当時以来です。

劇場ロビーには『銀河鉄道999』『わが青春のアルカディア』や『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの当時の資料が張り出されています。
どれもこれも懐かしいものばかりで、上映開始を待つ間美術館以上にじっくり見入ってしまいました。
ただ、当時私がこれらの映画を観たのはこのメトロ劇場ではなく、東映直営館の東映パラス(当時の館名)でした。
メトロ劇場はいわゆる2番館であり、東映パラスでの上映が終わった後に再上映していたものと思われます。

昭和39年5月生まれの私にとって、劇場版『銀河鉄道999』と『機動戦士ガンダム』は特に思い入れの深いアニメでした。
なぜならば・・・。
どちらの主人公も15歳。
当時(昭和54年)の私と同じ年齢設定だったからです。
特に『999』に関しては、元々『宇宙戦艦ヤマト』のファンだったことと原作漫画を連載開始から読んでいたこともあって、この映画化はとても楽しみにしていました。
鉄郎が当時の自分と同じ年齢に再設定されたことと、キャプテン・ハーロックとクィーン・エメラルダスとも世界観と共有するという前情報に胸が高鳴り心躍ったものです。
私は当時人気絶頂だった松本零士先生の世界を、主人公と同い年という特等席で旅をしたのであります。
『銀河鉄道999』(昭和54年作品)
原作・構成:松本零士/脚本:石森史郎/監督:りんたろう/監修:市川崑

「人は皆、星の海を見ながら旅に出る」
星空が映るスクリーンを見上げ、城達也さんのナレーションを聴きながら、私はこの作品と映画館で再会することで15歳の頃の自分に立ち戻れるのではないか?と考えておりました。
中学時代に観た時は、負けることなど考えもしない(同い歳の)鉄郎の旅立ちに鳥肌が立ちました。
ラストのメーテルとの別れのシーンでは、どうにもならないその切なさに目がウルウルしたものでした。
そんなあの頃と同じ感動を味わえることを期待していたのです。
ところが・・・
今回、私の心の琴線はそれらの部分にはピクリとも反応しませんでした。
同じ映画でありながら、心に突き刺さるポイントが昔とは全く変わっていたのです。

15歳の私は、旅立ちのシーンで「後悔なんか歳を取ってからすればいいさ」と言い放つ鉄郎に心の底から共感したものでした。
良く言えば怖いもの知らず、悪く言えば世間を舐めていました。
・・・あれから39年。
私の半生は後悔と自責の連続でした。
好きな子に「好き」と言えなかったこと。
逆に自分に好意を持ってくれていた子に優しくしなかったこと。
初めてシナリオを書いて監督もした自主映画処女作が、自分の無自覚と段取り不足のために上映出来なくなってしまったこと。
中学・高校時代に「絶対なってみせる」と息巻いていた映画監督になれなかったこと。
同業他社のヘッドハンティングに乗せられて、自分を育ててくれた前の会社の上司や先輩を裏切ってしまったこと。
父の死に目に会えなかったこと。
後悔した時にはもう遅いのです。

今の私は、風雲の志を抱く15歳の鉄郎ではなく、志半ばで病に倒れ無念の死を遂げるトチローに感情移入しておりました。
消滅する直前に一瞬だけ見えるトチローの涙に今回初めて気が付きました。

観終わった後、耳に残っていた曲はゴダイゴの主題歌「THE GALAXY EXPRESS 999」や「テイキング・オフ」ではなく映画中盤でリューズが歌っていた「やさしくしないで」でした。
♪「やさしくしないで」(唄:かおりくみこ/作詞:中原葉子/作曲:中村泰士/編曲:青木望)
何が欲しいというの
私 それとも愛
疲れ果てた心には
やさしくしないでさせないで
誰でも昔話ひとつやふたつ
大事そうに語るけれど
それでどうなるの

認めたくないですが、私も50歳を過ぎていつの間にか人生の回顧モードに入ってしまっていたようです。
(このブログにもその傾向が表れているように思います)

藤子・F・不二雄先生の『ノスタル爺』に、言いようのない切なさを感じたのも・・・

『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』のようなタイムリープものに心惹かれるのも・・・

同じタイムリープものでも、過去の辛い現実を「無かったこと」にしてしまう『君の名は。』に対して言葉にならない嫌悪感を抱いたのも・・・
これらの感情全てが、己の悔恨の念から来ているものだったのであります。
・・・と、なんだかしんみりしてしまいました。
いけませんね~。
こんなことでは老け込むばかりです!。
実は当時と全く変わらぬ思いを持って観た場面もいっぱいあったのですよ。

この画は何度見ても好きなんですよね。
今見るとアニメーションとしては物足りない部分も多い作品ですが、このビジュアルセンスと青木望さんの楽曲のおかげで今でも映画としての格調高さを保持していると思います。
ただ、このセンスがりんたろう監督のものなのか、監修の市川崑監督によるものなのかは分かりませんが・・・。

失恋してうなだれるクレアの姿に、当時と変わらぬ切なさと愛おしさを感じた自分がいました。
15歳だろうが54歳だろうが、男子にとって健気な女の子というのは永遠に憧れ続ける存在なのですよ。
そして何といってもこの男!。

「一杯やれよ」
今見てもこのハーロックはカッコ良いですね~。
15歳の頃、私はこんな大人になりたかったのだと思います。
このシーンを今も笑うことなく憧れを持って見ることが出来たということは、私もまだまだ枯れてはいない証拠なのだと思います。
本日もお付き合いいただきありがとうございました。