週刊映画鑑賞記(2018.8/6~2018.8/12)
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品について徒然なるまま書き留めております。
お盆が近づいて参りました。
この時期、我が家には墓参りと海水浴のために東京・千葉・京都から従兄妹たちが子供たちを連れて続々集まってくることになっています。
今週からお盆までの1週間ほどは、年に一度だけ我が家が子供たちの歓声で満たされる時期なのです。
ただ、私にはひとつ困ったことが・・・。
今週の中頃から既に子供連れの1家族が寝泊まりしているのですが、その部屋というのが私のシアタールームの真下なのです。
そのため毎年この時期には、夜、重低音を効かせての映画鑑賞が出来なくなってしまいます。
録画した日本映画専門チャンネルの『緯度0大作戦』HDリマスター版も、アマゾンから届いた『マンハント』のブルーレイも、彼らが帰る来週末までおあずけです。
でも、今年のお盆の前後はあまり天気が良くないんですよね~。
海を楽しみにして来る子供たちが可愛そうです。
機会があれば、昨年(↓)みたいに子供たちに何か怪獣映画を見せてあげられるといいのですがね。
<『シン・ゴジラ』と子どもたち―我が家のプチ絶叫上映会ー (2017/8/17)>
というワケで、今週観た映画は劇場で鑑賞したこの一本のみでした。
【注意】以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。
8/6(月)
『未来のミライ』🈠
(劇場:鯖江アレックスシネマ)

昨年、おおまかなプロットを聞いた時からずっと公開を心待ちにしていた作品でした。
<あらすじ>
小さな庭に小さな木の生えた小さな家に暮らす4歳のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に両親の愛情を奪われ、戸惑いの日々を過ごしていた。
そんな彼の前にある時、中学生の姿をした少女が現れる。
彼女は、未来からやってきた妹ミライだった。
ミライに導かれ、時を越えた冒険に出たくんちゃんは、かつて王子だったという謎の男や幼い頃の母、青年時代の曽祖父など、不思議な出会いを果たしていく。
【シンクロ】
私にも3歳下の妹がいるのですが、まだまだ親に甘えたい盛りに兄弟が出来たことでないがしろにされてしまった幼い頃の寂しさや怒りといった感情には身に覚えがありました。
私とくんちゃんの間には、最初から100%近いシンクロ率があったのです(笑)。
また、このあらすじを見た私は「これは幼い男の子のタイムスリップものに違いない」と勝手に早合点しておりました。
元々タイムトラベル映画は好きでしたし、細田守監督の出世作はタイムリープものの傑作『時をかける少女』だったわけですから期待して当然です。
しかし実際に映画を観てみると、飼い犬・妹・母・曾祖父といった家族とくんちゃんとの絆を描くオムニバス映画のようになっていて全体を貫く根幹のストーリーが非常に分かりづらかったです。
(私もそうですが)『時をかける少女』や『サマーウォーズ』のような作品を期待していた人たちにはかなり物足りなかったのではないでしょうか?。
ネットでは酷評する人も多く、身近な人たちからも「子育てあるあるの羅列してるだけ」だとか、「くんちゃんの声が完全に女の子の声で映画の世界に入り込めない」といった批判を聞きました。
くんちゃんの声については私も同じ印象を持ちました。
上白石萌歌さんの演技そのものは(お姉さんに負けないくらい)非常に上手だったとは思いますが、残念ながら確かに幼い男の子の声には聴こえませんでした。
【観客の反応】

『未来のミライ』はメンズデー(毎週月曜日は男性一律1,100円)を利用して仕事帰りに観てきました。
平日の真昼間だったせいか客の入りは少なめで、私を入れて10人くらいだったと思います。
そのうちの何人かは大学生くらいのアニメファンと思わしき若者たちでしたが、皆さん映画が終わると「なんやコレ」「もっしょね~(面白くねー)」と口々に貶していました。
でも、私には皆が言うほど駄目な映画とは思えないのです。
おそらく、くんちゃんという男の子を「可愛い」と思えるか「このクソガキ!」と感じてしまうかによって映画の評価が大きく分かれる作りになっているのではないでしょうか。

周囲の反応で面白いと思ったのは、「子育てあるある映画だ」「グズるくんちゃんが鬱陶しい」と言った人が、実際に4歳と1歳の男の子を持つ若い母親だったことでした。
「なんで?、自分の子供とシンクロして可愛いと思わなかった?。」
「とんでもない!。●●さんは子供がいないし男性だから分からないでしょうけど、あんな風に我儘言う子供って自分の子供でも鬱陶しく思うものですよ。」
「へ~、そういうもんなのかなぁ。」
「それをあんなホームビデオみたいに延々見せられたらウンザリするわ。」
「ホームビデオ?(笑)。」
「YouTUBEでよくある、自分の子供を撮ってアップしてるやつみたいな。」
「おお~、なるほど。」
「監督さんの「俺の子供こんなんです」っていう観察力自慢かと思った。」
くんちゃんの声に子役を使わなかった理由はここにあったのかも知れません。
仮にくんちゃんの声を本当の子役に演じさせたとしたら、幼い子供の感情の起伏をつぶさに描くこの映画においてはリアル過ぎてマイナス・イメージにしかならなかったと思います。
【夢?】

不思議な世界の冒険が終わるたびに、寝床でくんちゃんが目覚めるこの場面が挿入されていたように思います。
あれは全部くんちゃんの夢だったのでしょうか?。

細田監督が目指したものは、男の子とその家族版『ふ●ぎの国のア●ス』なのでしょうか?。
でも、自分に厳しく当たる母親が実は子供の頃後片付けが苦手なお転婆だった事などくんちゃんは知らないはずですし、愛犬ゆっこの心情やひいじいじ(曾祖父)が若い頃の時代背景を理解出来る年齢とも思えません。
作中の未来ちゃんの説明によれば、庭の木がこの家の現在・過去・未来を繋ぐ触媒のような役割を果たしていてくんちゃんに家族の過去や未来の姿を見せたのだそうです。
それと同時に、数年前のゆっこ・子供時代の母・自転車に乗れなかった幼い頃の父・片足が不自由な曾祖父のそれぞれのコンプレックスから解き放つ役割をくんちゃんが担っていました。

これは『千と千尋の神隠し』ともよく似た内容だったように思います。
異世界に迷い込んだ千尋は、湯婆婆・坊・ハク・カオナシ・オクサレ様たちを癒し、解放していきました。
また、千尋もくんちゃんと同じく映画冒頭では引越しと転校を嫌がって不貞腐れていました。
最初あまり良い印象が無いのは千尋もくんちゃんも同じです。
それなのにこうも観客のリアクションが違うのは、宮崎駿監督(ジブリ)と細田守監督のブランドの差なのでしょうか?。
<YouTUBEより 予告編>
『未来のミライ』というタイトルとあの予告編映像からは、「セーラー服美少女キャラと可愛い男の子が活躍するタイムトラベル・アドベンチャー」に違いないと誰もが勘違いしてしまいますよね。
ちなみに、初期のタイトルは『くんちゃんのふしぎな庭』だったそうです。
映画では未来から来た未来ちゃんの出番は少なかったですから、もしかするとこのタイトルのほうが観客に受け入れられ易かったかも知れません。

予告編を見る限り、アニメファンのハートをガッチリ鷲掴みする要素はしっかりと揃えられています。
男性が愛してやまないセーラー服美少女と幼女に、お姉様方の大好物ショタとイケメン(しかも声は福山雅治!)です(笑)。
映画『未来のミライ』の不幸は、本編内容とはかけ離れた売れ線狙いの広報とのギャップにより「期待を裏切られた」と錯覚した観客たちにそっぽを向かれてしまったことにあるのかも知れません。

確かに映画的カタルシスは得られませんでしたが、それでも私はこの映画のこんな絵が大好きです。
生まれたばかりの妹と初めて対面した時のことを思い出して思わず目が潤んでしまいました。
妹のほっぺたを触る時、人差し指だと潰れてしまいそうな気がして小指でおそるおそる触ったことを今でもよく覚えています。
もう一度「突然お兄ちゃんにならざるを得なかった」くんちゃん目線でじっくり見直してみたいと思います。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。