「特撮のDNA~平成に受け継がれた特撮”匠の夢”~」展を見てきました
今週の月曜日(20日)、この催しを見に兵庫県明石市へ日帰りで行って参りました。

ふと気が付いてみれば、8月中の私の休みはこの一日だけとなっておりました。
「特撮のDNA」展の開催は9月2日まで。
行くならもうこの日しかありません。
「決めた!。行くぞ!。」
で、一応嫁も誘ってみたのですが・・・
「あかしぃ~?」
と素っ頓狂な声を上げたかと思うと次の瞬間「ふう~」と溜息をついて
「まあ、ここんとこ仕事も続いていたことだし行って来たら?。あたしは行かんけど。」
と拍子抜けするほどあっさりと、そしていつものように生温か~い目で送り出してくれました。

当初は自分で車を運転して行くつもりでしたが、週末からぶり返した猛暑と翌日の仕事が朝5時集合に決まったことから移動中寝て過ごせる高速バスを利用することにしました。
高速代・ガソリン代等を考え合わせると、自家用車で行くのも高速バスで行くのも金額的には大差ありません。
それにしても、このバスのデザインだけはいつ見ても圧倒されてしまいます。
ピンクの車体にでっかく愛って・・・。

福井駅前バスターミナルを7時10分に出発。
途中事故渋滞のため予定より30分ほど遅れて大阪に到着。
新快速電車で明石駅に到着したのは12時を少し回った頃でした。
明石駅前で軽く昼食(※後述)を済ませて一路展示会場へと向かいます。

駅から5分ほど歩くと会場である明石市立文化博物館が見えてきました。
ただしこちら側は裏側で、正面入口は階段(エスカレーターも有り)を登った反対側にあります。
私はあまりの暑さでバテバテになっていたためエレベーターで上がりました・・・。

エレベーターを出て東(右側)に目をやると、明石市を象徴する天文台と明石海峡大橋が一望出来ます。
「俺は今、明石に来ているんだ!。」と実感させてくれる最高のロケーションでした。

入場料1,000円(大人)を払っていよいよ入館です。
まずは入ってすぐ右手の第一会場から見学開始です。

入り口の大看板には、造形師:若狭新一さん、『ゴジラvsビオランテ』の大森一樹監督、平成ゴジラシリーズの富山省吾プロデューサーのサインが書かれていました。
今後この看板は、来訪したスタッフ・キャストさんたちのサインで埋め尽くされていくことになるのでしょうかね。
そのためには、もっと日本全国津々浦々巡回しなければならないはずです。
いつかは我が福井県でも開催されてこの日見た展示物たちと再会出来ることを願います。

入ってすぐ正面看板裏側に展示されていたのはブラックホール第3惑星人が地球侵略のために建造したメカゴジラ・マークⅡ。
昭和50年春公開の『メカゴジラの逆襲』で実際の撮影に使用された正真正銘オリジナルの着ぐるみです。
私の身体は無意識のうちに膝をつき、メカゴジラのつま先くらいの高さからその威容を仰ぎ見ておりました。

こちらは『メカゴジラの逆襲』(昭和50年)の一場面。
一部復元したとみられる箇所はありますが、間違いなく同じ個体です。
残念ながら私は『メカゴジラの逆襲』を公開当時劇場で見ることは出来なかったのですが、それでも怪獣映画に夢中になった少年時代の感覚を思い起こさせてくれるほどの迫力でありました。

いきなりの昭和版メカゴジラに気を取られて気付くのが遅れてしまいましたが、入って右側の壁には歴代東宝特撮監督のプロフィールが飾られていました。
皆さん『ゴジラ』シリーズを作られた方々ばかりですが、ミレニアムシリーズを担当した鈴木健二さんや神谷誠さんといった新世代スタッフや『シン・ゴジラ』の樋口真嗣監督の姿が無いのは残念です。
たとえ東宝の社員でなくても、彼らもまた”特撮のDNA”を受け継いだ人たちであることに変わりはないのですから。

改めて第一展示会場を見渡してみますと、この第一会場にはゴジラ以外の特撮関係とゴジラ作品のゲストキャラクターやメカニックが集められているようです。
メカゴジラの次に私の心の琴線を激しく打ち震わせてくれたのは・・・

『ゴジラ対メガロ』(昭和48年)で、地球上のあらゆる物理法則を無視してムクムクと巨大してみせて日本中のゴジラファンの顰蹙を買ったあのスーパーロボット:ジェット・ジャガーです!。
♪行け行け平和を守るため みんなも驚く勇気を見せろ ゴジラとジャガーでパンチパンチパンチ!
公開当時7歳だった私は『ゴジラ対メガロ』を劇場のスクリーンで観ています。
最先端のA.I.を搭載して自分の命令通りに動いてくれるジェット・ジャガーの姿に、私は子供心に「未来」を見ました。
ジェット・ジャガーがどんなに他のゴジラファンから忌み嫌われバカにされようとも、その憧れだけは今も変わることはありません。
そしてこの日、そのジェット・ジャガーの撮影当時のオリジナル飛び人形をこの目で見ることが出来たのです。

こちらは映画『ゴジラ対メガロ』のひとコマ。
展示された飛び人形は、シートピア海底王国のスパイに操られてメガロの水先案内人をさせられるシーンと、自我に目覚めて怪獣島にゴジラを呼びに行くシーンに使われたものに違いありません。

その真下には昭和後期のゴジラ作品にまつわる展示物がまとめて陳列されていました。
センターに置かれているのは、映画の撮影に使用された”本物”のジェット・ジャガーのマスクです。

子供の頃、この万能ロボットに肩車してもらえる六郎君がどれほど羨ましかったことか・・・。

そのジェットジャガーの頭部が今まさに私の眼前にあるのです!。
心は一気にガキんちょ時代に逆戻り!。

ジェット・ジャガーの隣には不気味なヘドラの目。
『ゴジラ対ヘドラ』(昭和46年)は私が生まれて初めて映画館で観た映画、すなわち私の映画館デビュー作品です。
ピロロロロ~という不気味な音と、暗闇に光る縦長の真っ赤な目がとてつもなく怖かったことを覚えています。
そして、左手を溶かされ片目を潰され満身創痍になりながらもヘドラと戦ってくれたゴジラに、私はウルトラマン以上の頼もしさと憧れを抱いたものでした。
あの日スクリーンで仰ぎ見たヘドラの目はまさしくこれだったのかと思うと、小学生の頃の絵日記でも見つけたような言いようのない懐かしさと切なさがこみ上げてきました。

平日で会期も終わりに近いせいか、観覧客は少なめだったように思います。
主な客層は私と同年代の壮年男性(もしくはご夫婦)が多く、次いで高価そうなカメラを持った大学生グループが目につきました。
で、数少ない子供連れの家族がのぞき込んでいる手前のショーケースには・・・。

♪銀河をジャンプ 宇宙を走り 次元を裂いて飛んでくる凄いアイツ
『流星人間ゾーン』
昭和48年放映の特撮TVヒーロー番組で、実際の撮影で使われたスーツとマスク、そしてヘルメットや銃などのプロップが収められていました。
こうして眺めているだけで、また子門真人さんの歌声が聴こえてくるようです。
♪地球の友よ 握手はあとだ ガロガの野望ぶち破れ

第一会場入って右側の壁面には東宝特撮映画に登場した宇宙船の数々が展示されています。
『宇宙大戦争』のスピップ号。
『妖星ゴラス』のはやぶさ号。
『怪獣大戦争』のP-1号。
あと、宇宙船ではないですが『海底軍艦』の轟天号も並んでました。

中でも一番大きなものはこの『怪獣総進撃』(昭和43年)で活躍したムーンライトSY-3号でした。
映画冒頭で地球を飛び立つ時の大気圏突破用ブースター装着時のミニチュアです。
先端部分はSY-3号として取り外しできるのかな?。
私が最初に『怪獣総進撃』を見たのは「東宝チャンピオンまつり」(短縮版『ゴジラ電撃大作戦』)の時でした。
既にTVの「ウルトラ」シリーズに親しんでいた私でも、SY-3号はウルトラホークやサンダーバードみたいで「カッコいい!」と思っておりました。

宇宙船本体だけでなく、乗組員のヘルメットも展示されてました。
こちらは『怪獣大戦争』(昭和40年)で宝田明とニック・アダムスが着用していた宇宙服のヘルメットで、今から53年前の撮影で実際に使われたものです。

『怪獣大戦争』からはX星人のサングラスと帽子、そして銃も展示されておりました。
これを身に付けて、金切り音に悶え苦しみながら「我々は脱出する。まだ見ぬ明日へと向かってな!。」と叫びたい衝動に駆られた50代以上男性は私だけではありますまい(笑)。

2階の第2会場へ移動です。
こちらはゴジラがメインの展示になっていました。

やっぱり、怪獣はアオリで撮るのが基本ですね(笑)。

面白かったのは『ゴジラ』(昭和59年版)のゴジラ頭部ギミックでした。
ゴジラスーツアクター:薩摩剣八郎さんの頭の上にはコレが乗っかっていたのですね。
ちょっと不気味ではありますが、ひどく眠そうな大きな目玉が愛嬌たっぷりです。
『84ゴジラ』は今年3月に京都みなみ会館で再見して私の中で評価が大きく改まった作品です。
それでも尚、『84ゴジラ』が「良い作品」に成り得ないのは武田鉄矢とこのゴジラの上目使いのせいだと思うのです。
初代『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』は敵となる対戦相手が存在しないため、基本的に足元の人間を見下ろす視線を維持し続けていました。
ところが、『84ゴジラ』も敵怪獣がいないはずなのに、モスゴジのような怖さを出そうとしたせいか全編上目使いに作られてしまっています。
そのため、近代の高層ビルの中に立つゴジラがなんだか心細そうに見えてしまうのです。
ギミックむき出しの84ゴジラ頭部を見ながら、ついついそんなことを真面目に考えてしまうトガジンなのでした。

もう一つ私の目を引いたのは、初代ゴジラを模したこの上半身スーツです。
キャプションを見ると『ゴジラxメカゴジラ』(2002年)と書かれています。
「あっ、アレか!?」

三式機龍(メカゴジラ)の中枢は、昭和29年にオキシジェン・デストロイヤーで消滅した(とされる)初代ゴジラの骨でした。
そのオキシジェン・デストロイヤ―の再現シーンで使われた着ぐるみです。
恥ずかしながら、私はあのシーンのゴジラは全部CGだと思い込んでおりました。
上半身だけながらもこうして作られたスーツを着て俳優さんが演じていたのですね。

造形師:品田冬樹氏によるビオランテのオリジナルモデルにも思わず見入ってしまいました。
なぜならば・・・。
『ゴジラvsビオランテ』は全ゴジラシリーズの中でゴジラが我が福井県に襲来した唯一の作品だからです!。
何度も何度も繰り返し観た映画ですから、そのオリジナル・イメージがどんなものだったのかはとても興味がありますね。

私にとってはゴジラシリーズ中最も関心の薄い『ゴジラvsスペースゴジラ』ですが、この展示にだけは思わずしげしげと見入ってしまいました。
『ゴジラvsメカゴジラ』のベビー・ゴジラが成長して、どうしてあんなリトル・ゴジラになってしまったのか?。
造形師の若狭新一さんの話によると「あれは川北紘一特技監督の意向」だったとのことですが、あの珍妙なデザインに行きつくまでには様々な”それらしい”デザインが提出されていたのでした。

『ゴジラ・モスラ・メカゴジラ 東京SOS』に出てきたカメーバの死骸。
比較的よく目立つ広い場所を使って展示されていました。
サイズも大きめで細かい部分に至るまでしっかり作り込まれているせいか、映画の合成場面を見ても違和感が全くありません。

中央の台座には各種デザインのゴジラが並んでいました。
とはいえ、私の興味はあくまでも「映画の撮影に使われた本物」にあります。
どんなによく出来ていたとしてもレプリカに心動くことはありません。

それはこのシン・ゴジラも同じです。
ゴジラも破壊される都市もそのほとんどがCGで作られた『シン・ゴジラ』には、今回のように後の時代に残されるべき撮影で使われた”本物”のプロップがほとんど存在しません。
怪獣映画として最高の出来を誇る『シン・ゴジラ』ではありますが、私がわずかながら抱いていた物足りなさはこの点でした。

金子修介監督作品『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)は、初期構想では登場する護国怪獣はバラン・バラゴン・アンギラスになる予定だったそうです。
「あまりにも地味すぎて客を呼べない」との東宝上層部の判断で急遽モスラとキングギドラに差し替えられましたが、その直前までこのように登場怪獣のリファイン作業が進行していたのだそうです。
中でも特に目を引いたのはアンギラス。
旧(昭和)シリーズではガメラと同じような平べったい形態でしたが、犬みたいに4本脚ですっくと立つイメージになっています。
狛犬のイメージだったのでしょうか?。
このアンギラスは映像で見てみたかったなあ。
『ウルトラマン』のドドンゴみたいに二人一組で着ぐるみに入るのですかね?。

『GMK』のタイトルバックに使われたゴジラとキングギドラの表皮も展示されていました。
キングギドラのウロコ版はちょっとしたインテリアにもなりそうですね(笑)。

造形師:若狭新一氏が「特撮のDNA展」のために特別に作ったという「ゴジラの足」。
「自由に触ってよい」とのことなので私も遠慮なくナデナデさせてもらいました。
表面はゴツゴツしていましたが、中のウレタンはモチモチとして肌触りが良かったですね。
でも夏場にこれを着て強烈なライトを浴びて動き回ることを想像すると・・・。
中島春雄さんや薩摩剣八郎さんたちスーツアクターの皆さんの大変さがよく分かります。

奥の部屋にはミレゴジとモスラが対決するジオラマセットが展示されていました。
でも、こんな具合にゴジラの目線と同じ高さから撮っても全然迫力がありません。

やっぱり怪獣は「アオリで撮る」が基本ですね!。
どうせなら天井にも炎で赤く染まった夜空の絵くらい貼っておいてくれればよかったのに。

セットの建物群。
そして、ゴジラの足元の瓦礫や車。
本物の映画のセットはこれに電飾が入ったりスモークを焚いたりしてさらにリアリティが増すのでしょうね。

ジオラマの正面には壁一面に『ゴジラ』シリーズ全作品のポスターがびっしりと貼られています。

私の映画館デビュー作である『ゴジラ対ヘドラ』のポスターを前に満面の笑顔でパチリ!。
ボカシ越しでも私のニヤケ具合が分かりますね~(笑)。
ちなみにこの写真は同席した初対面の男性にシャッターをお願いして撮ってもらったものです。
「変な奴」と思われなかったかな?。
それにしても私のこの格好・・・。
ヨレヨレのダンガリーシャツにダボダボのバミューダパンツ。
とても福井からはるばるやって来たとは思えないラフな服装で、旅行者とか見学者というよりちょっと涼みに来た近所のおっさんみたいですな(笑)。
私としては服装よりもだらしなく出っ張ったビール腹のほうがよっぽど気になっていたりしますが・・・。
そんな私の後ろの壁には・・・

昨年他界された初代ゴジラスーツアクター:中島春雄さんのプロフィールが展示されていました。
この方を知らずして怪獣を語るべからず!。
「特撮のDNA」とは映像制作スタッフだけにとどまらず、怪獣役を真摯に演じる役者さんたちにも脈々と受け継がれていくものなのですから。

第一、第二展示室を行ったり来たりしながら隅々まで見て回りました。
しかし、楽しい時間と言うものはあっという間に過ぎ去ってしまうものです。
午後5時を回ったところで退館すべき時間になってしまいました。
帰りの高速バスの発車は午後6時40分、それまでに確実に大阪駅のバス乗り場に着いていなければなりません。
入口付近の土産物売り場を軽く物色しつつ、後ろ髪引かれる思いで明石市文化博物館を後にしました。

ちなみにこちらが売店の店長さん(笑)。
お疲れ様です。
いつか福井にも来てくださいね。
話は前後しますが・・・

この日、文化博物館に向かう前に食べたお昼ご飯の話です。
明石と言えばタコ焼き・・・じゃなくて明石焼き(玉子焼き)です。
せっかく来たのにその土地の美味しいものを食べずに帰るなんてのは愚の骨頂であります。
そこで、「明石の玉子焼き店ナンバー1」と伝え聞く明石玉子焼・今中さんで昼食を摂りました。
人気店ということで昼食時には1時間近く並んで待つこともあると聞いていたのですが、私は幸運にも10分程度の待ちで席に着くことが出来ました。

まな板の上にズラリ並べられた15個のタコ入り玉子焼き(650円)。
食べ方は自由。
そのまま食べても美味しいし、出汁に漬けてもソースを付けて食べるも良し。

色々試した結果、私は出汁に浸して食べるのが気に入りました。
「特撮のDNA」展とは全然関係ない話ですが、これもこの日の明石行きの思い出の一部です。
私にとって2018年8月20日は最高に充実した夏の一日となりました。
さらば明石
ありがとう明石
美味しかったよ明石焼
書き終えてみたらとんでもない大長編になっていて自分でも驚いております(笑)。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。