『スター・ウォーズ』38年史(その1)
CATEGORY『スター・ウォーズ』シリーズ
トガジンです。
今回は『スター・ウォーズ』シリーズを軸にした自分史です。
個人的な備忘録みたいなものですから読み飛ばしてくださって結構です。
ですが、私と同年代で同好の士であったなら共感していただける部分も多いかも知れません。

このブログを見てくれた友達の一人にこう訊かれました。
「『帝国の逆襲』についてあれほど熱く語っていながら、なぜ公開第一作目の『新たなる希望』をスルーしているのか?。」
その疑念はもっともです。
正直に言います。
実は私は、『新たなる希望』にはそれほど強い思い入れを持っていません。
【1978年夏の思い出】
『スター・ウォーズ』はアメリカでは前年1977年5月に公開された作品です。
日本公開は翌年の7月。
一年以上もの時間差がありました。
その間『スター・ウォーズ』に関しては、SF関連雑誌などにより様々な情報が入ってきます。
-メカには生活感溢れる汚しが施してあってリアルである。
-登場する2体のロボットは『隠し砦の三悪人』のは百姓コンビがモデル。
-オビ・ワン役は当初三船敏郎にオファーされていた。
-冒頭の宇宙船が頭上を延々と飛ぶシーンは映像・音響ともに凄い。
-宇宙船の合成はモーションコントロールカメラという新技術が使われている。
さらには、こんな便乗パクリ映画が続々と製作・公開されています。


子供心にも「日本映画はダメだなー」と思わせるに十分な内容とビジュアルでありました。

『スター・ウォーズ』がようやく公開された頃には、もうイメージはしゃぶり尽くされておなかいっぱい状態でした。
実際、映画館に観に行っても既に仕入れた情報を確認する作業でしかない感じでした。
しかも運が悪いことに、私の斜め後ろにいたバカップルの男が得意になってネタバレし続けやがったのです。

「もうすぐぅ~横の壁が動いてきて潰されてまいそうになるんやよ。」
「ほやけどルークがぁ~、3POに連絡してあの機械を止めさせるんにゃ。」(以上、福井弁)

「もうちょっとしたらぁ~、ハン・ソロがばーって助けに来るんやって。見てねの。」(同上)
私は今でも『スター・ウォーズ』を観るたびに、あのクソ野郎の声が脳裏に蘇ってきてしまうのです。

さらにその一か月後、このアニメーション映画が公開されることになります。
当時大ブームだったアニメ『宇宙戦艦ヤマト』。
中学生だった私は、ご多分に洩れず『ヤマト』の大ファンでした。
その続編が劇場用新作映画として登場し、しかもその内容はラストで主人公をはじめ殆どの登場人物が死んでしまうという過激なものでした。
内容についての是否はともかく、その衝撃度は知ってる情報をなぞっただけの『スター・ウォーズ』より遥かに大きなものでした。
今でも、1978年夏の映画といえばこの『さらば宇宙戦艦ヤマト』が最初に思い浮かびます。
私が『スター・ウォーズ』に意識を向けるのは、2年後の『帝国の逆襲』を観てからのことでした。
【1979年】
『スター・ウォーズ』を嚆矢として翌年1979年はSF作品や宇宙ものSFX超大作が目白押しでした。
代表的なものを当時の感想とともに紹介します。

正確には1978年の12月公開だったのですが、その後『スター・ウォーズ』にも関係する要素があるので触れておきます。
本作でのルパンの敵はクローン人間なのです。
エピソード2でクローンの設定が出てきたとき、この作品を観ていたことですんなり設定を受け入れることが出来たように思います。
当時放映中だったTVシリーズでは子供向けのスラップスティック路線でしたが、本作ではダーティで知的でスケベでたまに真剣なルパンを見ることができます。
『ルパン三世』としてもSF映画としてもなかなか秀逸で、かの名作『カリオストロの城』とは別のベクトルでの傑作だと思います。

『スーパーマン』は、ジョン・ウィリアムズの音楽が『スター・ウォーズ』とイメージが被ったことと、ラストがあまりにも強引すぎる幕引きだったためあまり良い印象はありません。

この『エイリアン』は今でもSF映画の大傑作であることを疑う余地はありません。
閉鎖環境である宇宙船内部で得体の知れない宇宙生物に追い立てられる人間たち。
『スター・ウォーズ』にも見られたような、着古された衣装や汚れの目立つ使用感満点の機械類。
そして紛れ込ませたアンドロイドによって遂行される、企業側の身の毛もよだつ策謀。
若い頃のシガニ―・ウィーバーの下着姿にときめいたことも正直に白状しておきます。

前年の『さらば宇宙戦艦ヤマト』大ヒットを受けて、松本零士の『銀河鉄道999』劇場版が公開されました。
途中の惑星で異星人や機械人間が集う酒場が登場しますが、あれはやはり『スター・ウォーズ』の影響でしょうか。
映画としてはやや詰め込みすぎで舌足らずのきらいはあるものの、市川崑監督が一部手がけたというスタイリッシュな映像がカッコ良くて当時乱立した大作アニメ映画の中では出色の出来です。
当時は私自身が主人公と同じ年齢だったこともあり、「まだ見ぬ世界への冒険」とか「美人のおねーさんと一緒に旅を続ける」とかいった物語世界にどっぷりシンクロしていました。

この年は『007』ですら宇宙モノでした。
私にとって、リアルタイムに劇場で観た初めての『007』がコレです。
しかし『スター・ウォーズ』や『エイリアン』を観てしまった後では、前時代的なSF感覚でしかありませんでした。
ジェームズ・ボンドも慣れない舞台であるせいか、アクションの切れも冴えない様子です。
もし次の『ユア・アイズ・オンリー』が最初だったら、私の007に対する印象は全く違うものになっていたことでしょう。
【1980年夏】

『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』はこの年の6月末に公開になりました。
今度はアメリカとは一か月遅れです。
この作品に対しては、前作が情報過多で楽しめなかったこともあり全くのノーマークでした。
夏休みに入ってすぐ友達と3人で観に行きました。
ちなみに同時期にはこちらの映画も公開されていました。

私が住んでいる町には映画館がありません。
20キロ近く離れた福井市まで行く必要があります。
電車(田舎のローカル線)で行くと往復で1500円くらいかかります。
余裕でもう一本映画が見られる値段です。
天気さえ良ければ自転車で行くこともありましたが、片道で1時間半かかります。
どちらにしても福井に着いてからの時間はとても貴重なのです。
当然、一日に2本以上の映画をハシゴすることになります。
3人で決めていたのは、「まず『スター・ウォーズ2』(当時はそう呼んでいました)を観てそのまま別の映画館へ移動して『スター・トレック』を観て帰る」というものでした。
『帝国の逆襲』の感想はこれまで散々語ってきましたので割愛します。
とにかく観終わった直後の私の想いは、「もう一回観たい。」
ただそれだけでした。
席を立って次に向かおうとする友達二人にそのことを伝えて、落ち合う場所と時間を決めて別れました。
昔の映画館は今と違って総入れ替え制ではありませんでしたので、一度入場料を払って中に入れば同じ映画を何度でも観ていられたのです。
2度目の鑑賞では、よく分からなかった設定を理解することと次回作へ繋がりそうな描写を探すことに注意しました。
なぜレイアはルークの危機的状況とその位置さえも分かったのか?。
ヨーダが言った「もう一人いる」とは何のことか?。
最初に観たときにはご都合主義にも見えた展開が、よく見ると張り巡らされた伏線のうえでちゃんと成り立っていることが見えてきました。
この時「ルークとレイアは兄妹かも知れない」という仮説を考えました。
また、ピエット提督がダース・ベイダーを描くうえで重要な役割を持ったキャラクターだということに気付いたのもこの時です。
「映画って面白い!」
設定を理解するための連続鑑賞でしたが、2度目も気が付けばラストまで飽きることなく観ていました。
今思えば、情報過多のために心底楽しむことが出来なかった前作『スター・ウォーズ』の分を取り戻したいという気持ちもあったかも知れません。
貴重な福井市での時間を全部『帝国の逆襲』に使ってしまいましたが、後悔など全くありませんでした。
駅で落ち合った友達が口を揃えて「『スター・ウォーズ2』のほうが面白かった。」と言っていたことが忘れられません。
そして。
この時から3年後の『ジェダイの復讐』公開まで、続編の展開を想像し続ける日々が続くことになります。
さて。
奇しくもこの年の夏には、再び『ヤマト』の新作映画が公開されています。

2年前とは対照的に、この『ヤマトよ永遠に』に対してはまともな印象がありません。
『さらば~』で死んだキャラクターの大半が、次のリメイク版TVシリーズで「死んでない」ことになって再登場しています。
さらに前作TV版のラストに登場した赤ちゃんが、たった一年で17~8歳の美少女に成長しているという出鱈目さ。
ストーリーも思い付きの設定を継ぎ足していっただけのような与太話で、その描写も説得力に乏しいものばかり。
「松本零士も終わったな」と鼻で笑いつつ、初期からの『ヤマト』ファンとしてはふと寂しさと憤りを覚えた作品でもありました。
長くなりましたのでひとまずこの辺でひと区切りします。
次は『ジェダイの帰還』から<新三部作>『フォースの覚醒』までを出来るだけ簡単にまとめる所存です。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
今回は『スター・ウォーズ』シリーズを軸にした自分史です。
個人的な備忘録みたいなものですから読み飛ばしてくださって結構です。
ですが、私と同年代で同好の士であったなら共感していただける部分も多いかも知れません。

このブログを見てくれた友達の一人にこう訊かれました。
「『帝国の逆襲』についてあれほど熱く語っていながら、なぜ公開第一作目の『新たなる希望』をスルーしているのか?。」
その疑念はもっともです。
正直に言います。
実は私は、『新たなる希望』にはそれほど強い思い入れを持っていません。
【1978年夏の思い出】
『スター・ウォーズ』はアメリカでは前年1977年5月に公開された作品です。
日本公開は翌年の7月。
一年以上もの時間差がありました。
その間『スター・ウォーズ』に関しては、SF関連雑誌などにより様々な情報が入ってきます。
-メカには生活感溢れる汚しが施してあってリアルである。
-登場する2体のロボットは『隠し砦の三悪人』のは百姓コンビがモデル。
-オビ・ワン役は当初三船敏郎にオファーされていた。
-冒頭の宇宙船が頭上を延々と飛ぶシーンは映像・音響ともに凄い。
-宇宙船の合成はモーションコントロールカメラという新技術が使われている。
さらには、こんな便乗パクリ映画が続々と製作・公開されています。


子供心にも「日本映画はダメだなー」と思わせるに十分な内容とビジュアルでありました。

『スター・ウォーズ』がようやく公開された頃には、もうイメージはしゃぶり尽くされておなかいっぱい状態でした。
実際、映画館に観に行っても既に仕入れた情報を確認する作業でしかない感じでした。
しかも運が悪いことに、私の斜め後ろにいたバカップルの男が得意になってネタバレし続けやがったのです。

「もうすぐぅ~横の壁が動いてきて潰されてまいそうになるんやよ。」
「ほやけどルークがぁ~、3POに連絡してあの機械を止めさせるんにゃ。」(以上、福井弁)

「もうちょっとしたらぁ~、ハン・ソロがばーって助けに来るんやって。見てねの。」(同上)
私は今でも『スター・ウォーズ』を観るたびに、あのクソ野郎の声が脳裏に蘇ってきてしまうのです。

さらにその一か月後、このアニメーション映画が公開されることになります。
当時大ブームだったアニメ『宇宙戦艦ヤマト』。
中学生だった私は、ご多分に洩れず『ヤマト』の大ファンでした。
その続編が劇場用新作映画として登場し、しかもその内容はラストで主人公をはじめ殆どの登場人物が死んでしまうという過激なものでした。
内容についての是否はともかく、その衝撃度は知ってる情報をなぞっただけの『スター・ウォーズ』より遥かに大きなものでした。
今でも、1978年夏の映画といえばこの『さらば宇宙戦艦ヤマト』が最初に思い浮かびます。
私が『スター・ウォーズ』に意識を向けるのは、2年後の『帝国の逆襲』を観てからのことでした。
【1979年】
『スター・ウォーズ』を嚆矢として翌年1979年はSF作品や宇宙ものSFX超大作が目白押しでした。
代表的なものを当時の感想とともに紹介します。

正確には1978年の12月公開だったのですが、その後『スター・ウォーズ』にも関係する要素があるので触れておきます。
本作でのルパンの敵はクローン人間なのです。
エピソード2でクローンの設定が出てきたとき、この作品を観ていたことですんなり設定を受け入れることが出来たように思います。
当時放映中だったTVシリーズでは子供向けのスラップスティック路線でしたが、本作ではダーティで知的でスケベでたまに真剣なルパンを見ることができます。
『ルパン三世』としてもSF映画としてもなかなか秀逸で、かの名作『カリオストロの城』とは別のベクトルでの傑作だと思います。

『スーパーマン』は、ジョン・ウィリアムズの音楽が『スター・ウォーズ』とイメージが被ったことと、ラストがあまりにも強引すぎる幕引きだったためあまり良い印象はありません。

この『エイリアン』は今でもSF映画の大傑作であることを疑う余地はありません。
閉鎖環境である宇宙船内部で得体の知れない宇宙生物に追い立てられる人間たち。
『スター・ウォーズ』にも見られたような、着古された衣装や汚れの目立つ使用感満点の機械類。
そして紛れ込ませたアンドロイドによって遂行される、企業側の身の毛もよだつ策謀。
若い頃のシガニ―・ウィーバーの下着姿にときめいたことも正直に白状しておきます。

前年の『さらば宇宙戦艦ヤマト』大ヒットを受けて、松本零士の『銀河鉄道999』劇場版が公開されました。
途中の惑星で異星人や機械人間が集う酒場が登場しますが、あれはやはり『スター・ウォーズ』の影響でしょうか。
映画としてはやや詰め込みすぎで舌足らずのきらいはあるものの、市川崑監督が一部手がけたというスタイリッシュな映像がカッコ良くて当時乱立した大作アニメ映画の中では出色の出来です。
当時は私自身が主人公と同じ年齢だったこともあり、「まだ見ぬ世界への冒険」とか「美人のおねーさんと一緒に旅を続ける」とかいった物語世界にどっぷりシンクロしていました。

この年は『007』ですら宇宙モノでした。
私にとって、リアルタイムに劇場で観た初めての『007』がコレです。
しかし『スター・ウォーズ』や『エイリアン』を観てしまった後では、前時代的なSF感覚でしかありませんでした。
ジェームズ・ボンドも慣れない舞台であるせいか、アクションの切れも冴えない様子です。
もし次の『ユア・アイズ・オンリー』が最初だったら、私の007に対する印象は全く違うものになっていたことでしょう。
【1980年夏】

『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』はこの年の6月末に公開になりました。
今度はアメリカとは一か月遅れです。
この作品に対しては、前作が情報過多で楽しめなかったこともあり全くのノーマークでした。
夏休みに入ってすぐ友達と3人で観に行きました。
ちなみに同時期にはこちらの映画も公開されていました。

私が住んでいる町には映画館がありません。
20キロ近く離れた福井市まで行く必要があります。
電車(田舎のローカル線)で行くと往復で1500円くらいかかります。
余裕でもう一本映画が見られる値段です。
天気さえ良ければ自転車で行くこともありましたが、片道で1時間半かかります。
どちらにしても福井に着いてからの時間はとても貴重なのです。
当然、一日に2本以上の映画をハシゴすることになります。
3人で決めていたのは、「まず『スター・ウォーズ2』(当時はそう呼んでいました)を観てそのまま別の映画館へ移動して『スター・トレック』を観て帰る」というものでした。
『帝国の逆襲』の感想はこれまで散々語ってきましたので割愛します。
とにかく観終わった直後の私の想いは、「もう一回観たい。」
ただそれだけでした。
席を立って次に向かおうとする友達二人にそのことを伝えて、落ち合う場所と時間を決めて別れました。
昔の映画館は今と違って総入れ替え制ではありませんでしたので、一度入場料を払って中に入れば同じ映画を何度でも観ていられたのです。
2度目の鑑賞では、よく分からなかった設定を理解することと次回作へ繋がりそうな描写を探すことに注意しました。
なぜレイアはルークの危機的状況とその位置さえも分かったのか?。
ヨーダが言った「もう一人いる」とは何のことか?。
最初に観たときにはご都合主義にも見えた展開が、よく見ると張り巡らされた伏線のうえでちゃんと成り立っていることが見えてきました。
この時「ルークとレイアは兄妹かも知れない」という仮説を考えました。
また、ピエット提督がダース・ベイダーを描くうえで重要な役割を持ったキャラクターだということに気付いたのもこの時です。
「映画って面白い!」
設定を理解するための連続鑑賞でしたが、2度目も気が付けばラストまで飽きることなく観ていました。
今思えば、情報過多のために心底楽しむことが出来なかった前作『スター・ウォーズ』の分を取り戻したいという気持ちもあったかも知れません。
貴重な福井市での時間を全部『帝国の逆襲』に使ってしまいましたが、後悔など全くありませんでした。
駅で落ち合った友達が口を揃えて「『スター・ウォーズ2』のほうが面白かった。」と言っていたことが忘れられません。
そして。
この時から3年後の『ジェダイの復讐』公開まで、続編の展開を想像し続ける日々が続くことになります。
さて。
奇しくもこの年の夏には、再び『ヤマト』の新作映画が公開されています。

2年前とは対照的に、この『ヤマトよ永遠に』に対してはまともな印象がありません。
『さらば~』で死んだキャラクターの大半が、次のリメイク版TVシリーズで「死んでない」ことになって再登場しています。
さらに前作TV版のラストに登場した赤ちゃんが、たった一年で17~8歳の美少女に成長しているという出鱈目さ。
ストーリーも思い付きの設定を継ぎ足していっただけのような与太話で、その描写も説得力に乏しいものばかり。
「松本零士も終わったな」と鼻で笑いつつ、初期からの『ヤマト』ファンとしてはふと寂しさと憤りを覚えた作品でもありました。
長くなりましたのでひとまずこの辺でひと区切りします。
次は『ジェダイの帰還』から<新三部作>『フォースの覚醒』までを出来るだけ簡単にまとめる所存です。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
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