週刊映画鑑賞記(2018.12/10~2018.12/16)
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品について徒然なるまま書き留めております。
12/10(月)
『裸の島』
(劇場:イオンシネマ金沢フォーラス)

初めて見たのは今から35年前です。
大学に入って間もない頃、映研の先輩が「これだけは絶対に見ておけ」と薦めてくれたうちの一本でした。
場所は大学の図書館。
ビデオコーナーの狭いブースに籠り、ヘッドホンを付けて13インチの小さなTVモニターを覗き込むように観てました。
(なぜ13インチと分かったかというと、当時私が一人暮らしで使っていたTVがソニーの古い13インチカラーテレビだったから。)
その後、ビデオレンタルやBS放送で何度か観ましたが、この最初の時の没入感を超えることはなかったように思います。

我が家でもプロジェクター映写で見たことはありますが、劇場の大スクリーンで見るのは今回が初めてです。
前方から3列目のセンター席で白黒のシネスコ画面を仰ぎ見て浴びるように音に包まれてきたのですが、(周囲に他の観客が少なかったこともあってか)小画面+ヘッドホンで見た最初のインパクトが蘇った気がします。

当時、先輩は「とにかく見てみろ」と言うばかりで薦めた理由については決して語ってくれませんでした。
映画開始から十数分、カメラは黙々と水を運ぶ夫婦の姿を映し続けます。
そこにセリフはありません。
聴こえてくるのは彼らの息遣い、水や風の音、そして音楽のみ。
しかしこの作品世界に没入するにはそれだけで充分でした。

この映画の異様さに気付いたのは親子4人が無言のまま朝御飯を食べ始めた時です。
「おいおい、いくらなんでも「いただきます」くらい言えよ」
心の中でこう突っ込んだ私は、同時にこの映画のルールを呑み込みました。
「そうか、この映画は意地でも役者にセリフを言わせないつもりなんだな」
この映画には最後までセリフがありません。
笑ったり泣いたりする「声」はあっても、「言葉」はひと言も出てきません。
1時間35分、『裸の島』はこのルールに乗っ取ったまま私の全神経を釘付けにしました。

真水がない瀬戸内海の孤島。
貴重な水は手漕ぎの船で本土から汲んで来なければなりません。
渇いた大地に水が染み込んでいく画を何度も繰り返し見せられます。

それでもこの島で生きていかねばならないこの家族は一体何者なんだろう?。
まるで異世界の罪人か奴隷のようでもあり、瀬戸内海の小島が舞台であることからいわゆる部落差別の話なのかとも考えました。

でも、子供が本土の学校でいじめられているような描写はありません。
お葬式にはクラスメートが全員船で島に来てくれていましたから、村八分にされているわけではないようです。
なんらかの理由でこの小さい離島にしがみ付いて生きているこの家族ですが、彼らのバックボーンが一切説明されないためにかえって想像が膨らむばかりです。

7年前、BSプレミアムで放送された『裸の島』を母(当時70歳)がポロポロ涙をこぼしながら見ていました。
それは終盤の長男を喪うシーンでした。
母は5人姉弟の次女ですが、本当はもう1人幼くして病死した妹がいたそうです。
戦後間もない食べるものも医療施設も無かった時代のせいですが、幼い我が子を失った祖母はこのシーンの母親(演:乙羽信子)と全く同じ表情をしていたのだそうです。
そして、やはり祖父と祖母は幼い我が子を弔った翌日からいつもと変わらない様子で働きはじめたとのことでした。
母は『裸の島』を見ながら「あんたらは恵まれてるんやでの」と繰り返し繰り返し言い続けてました。

ロケ地は広島県三原市に属する瀬戸内海の小島:宿禰(すくね)島。
私もいつかロケ地巡りに行きたい場所の一つであります。
今は桟橋も無い状態らしくどう行けばいいのか皆目見当つきませんが、近年この島の所有権が三原市に譲渡されたというのでいずれは渡航出来るようになるかも知れません。

NETFLIXに正式入会してから9ヶ月。
遂にこの作品と向き合うことを決心しました。
12/13(木)~15(土)
『DEVILMAN crybaby』🈠
(ホームシアター:NETFLIX)

永井豪先生の傑作マンガ『デビルマン』。
これまで幾度か映像化されてはいますが、終盤はあまりにも過激な展開となるためこれまで一度もラストシーンまで辿り着いたことがありませんでした。
その『デビルマン』を『マインド・ゲーム』や『夜は短し歩けよ乙女』の湯浅政明監督がNETFLIXで全10話の完全アニメーション化。
もちろん、クライマックスの”あの”シーンも最後までやってます。

イヤ、本当ハ実写映画デ既ニヤッテハイルノデスガネ・・・。忘レマショウ。見ナカッタコトニシマショウ。

不動明や牧村美樹が高校の陸上部に所属しているという点で私の没入度はいきなりMaximum!。
実は私、こう見えても中学時代は陸上部だったのですよ。(高一の時足を怪我して辞めましたが)
それにしても、私は常々「昨今の女子高生アスリートの競技服は実にエロい」と思っていたのですがさすが湯浅監督解ってますね~。
・・・と、不純な視点で見ていた陸上部の設定でしたが、実はこれが物語全体を貫くテーマの軸になっておりました!。
いやはやなんともお恥ずかしい。

そして明とアモンが合体してデビルマン誕生!。
ポップな印象の絵柄とのギャップもあってビジュアルインパクトは絶大でした。
原作や旧OVA版と比べると悪魔の説明が簡略化されていたり飛鳥了の設定が変わっていたりしてやや急ぎ足な印象もありましたが、掴みとしては完璧です。
私はこのまま第6話までイッキ見してしまいました(笑)。
でも、1話以外はオープニングとエンディングを飛ばしながら見たので2時間とちょっとで済んでます。

ゲルマ―、ジンメン、そしてシレーヌ。
原作に沿った敵デーモンが次々登場しますが、ここで原作からの大きな変更点がありました。
彼らも最初は人間の姿で登場するのです。
デーモンが人間に化けているのか、それともデビルマンと同じく人間と合体した姿なのかは分かりませんが、いつの間にか悪魔が人間社会に侵入しつつある怖さが表現されていて永井豪先生の『ススムちゃん大ショック』的世界観も取り込んでいるようです。
その反面、デーモンが皆人間と同じように感情を持っているようにも見えてしまい、ラスト近くで了が言う「デーモンには愛などない」という論法が説得力を失う気がします。
それに、『デビルマン』のラストには「人間の姿のまま悪魔になった」奴らがいっぱい出てくるわけで、あの連中とは差別化するという意味でも悪魔族を人間っぽく見せる演出は違うんじゃないかと思います。
さて。
木曜に6話まで一気に観て、残る4話を翌日全て見終えてしまうつもりでいました。
でも、少し気持ちが揺らいでしまって、金曜日は第7話と第8話の2本だけで止めておき、ラスト2本は翌日に持ち越して体調を整えたうえで観ることにしました。
なぜならば・・・。

第9話のサブタイトルは「地獄へ墜ちろ、人間ども」。
そうです。
この回で本作のヒロイン牧村美樹が●●されてしまうのは間違いありません。
たかが一本の番組を見るために、これほど緊張して臨んだのは久し振りでした。
例えるならば、『太陽にほえろ!』のテキサス殉職編「テキサスは死なず!」を待つ間テレビの前で味わったあの緊張と覚悟のような感覚ですかね。
それまで好きだったキャラクターが永遠に姿を消してしまう。
それも無残な姿で。
そんなもの見たくない。
でも、それを見なければ終われない。
そんな相反する気持ちでNETFLIXの再生ボタンをポチリました。

今回のデビルマン=不動明はとにかくよく泣きます。
crybaby、泣き虫です。
そのせいで原作や過去の映像作品のような獰猛さには欠けるものの、この救いのないお話にわずかながらも光明をもたらすことにもなりました。
悪魔に疑われた普通の人間たちにリンチを加える市民たち。
デビルマンは無抵抗のままその前に立ちはだかり涙を流し続けますが、やがて一人二人と武器を捨て始めます。
この先の展開を思うとほんの気休めのような出来事でしかありませんが、このシーンの有無こそが原作『デビルマン』とアニメ『DEVILMAN crybaby』の違いだと思うのです。
猛々しい力で了(サタン)に立ち向かうだけだった原作のデビルマンは、最後まで一般市民から抱擁と謝罪の言葉を受けることはありませんでした。
でも『DEVILMAN crybaby』のデビルマン(明)は非暴力を貫くことで僅かながらも人の心を動かします。
一時的かつ局地的なものではありますが、これはサタン=了が人間に仕掛けた罠に対するささやかな勝利を意味します。
湯浅監督が『デビルマン』で描こうとしたものはこれではなかったかと思うのです。

それでも、”あれ”は起こってしまいました。
第9話の辛くて悲しくて胸クソ悪いあのシーンについては書かないことにします。
ミーコとかラッパー達とかLGBT要素とか、あと太郎と牧村夫妻のこととか、内容が色々詰まり過ぎていて一度見ただけではとても語り切れません。
かといって、もう一度全話を見直すには精神的にキツ過ぎます。
とりあえず、今言えることはこれだけです。

湯浅政明監督、凄いです。
『DEVILMAN crybaby』、傑作です。
12/16(日)
『シン・ゴジラ』
(リビング37インチ液晶テレビ:北陸朝日)

また見てしまいました。
3月に京都みなみ会館でオールナイトで見て以来、約9ヶ月ぶりの『シン・ゴジラ』です。

リビングのテレビで見ていたのですが、そこにやってきた母が矢口(長谷川博己)を見て一言。
「あら?、まんぺいさんや!。」
母ちゃん・・・、頼むから今はそれやめてくれ・・・。

前回の地上波テレビ初放送からわずか一年で再放送。
昨年の視聴率がよほど良かったのか、あるいは来年夏公開のハリウッド版『ゴジラ2』に先駆けてなのかは分かりませんが、いずれにせよこうして怪獣映画が一目に触れる機会が増えるのは喜ぶべき事であります。
2014年のギャレス版ゴジラがシン・ゴジラ制作の呼び水になったように、今度もまた新作国産特撮怪獣映画の制作に繋がってくれるかも知れませんからね。
もしそうなれば、また怪獣映画のエキストラ募集があるかも知れない。
そしたら今度こそ怪獣から逃げ回る一般市民の役をやりたいな。
私も映った冒頭のシーンを見ながらそんなことを考えていたトガジンでありました。
こんなとりとめもない駄文にお付き合いいただきありがとうございました。