『スター・ウォーズ』38年史(その2)
CATEGORY『スター・ウォーズ』シリーズ
トガジンです。
今回は『スター・ウォーズ ジェダイの復讐(帰還)』の話をさせていただきます。
ただし、内容はかなりネガティブです。
率直に申し上げて、私はこの『ジェダイの復讐(帰還)』が好きではありません。
<新三部作>と同様、「自分が納得できる完結編」を求めてやまない脳内補完の対象です。

この作品が公開された1983年には、私は大阪の大学に進学していました。
『ジェダイの復讐』を観たのは、今は亡き阪急プラザ劇場(現在のバスターミナルのあたり)です。
もちろん、一作目の時の二の舞を避けるために情報は可能な限りシャットアウトしてきました。
そして『帝国の逆襲』を高校生の分際でありながら2回見た私です。
最初から三回分の前売りチケットを用意していました。
そして心躍らせながら鑑賞・・・。
上映終了後、三枚もチケットを買ったことを後悔していました。
1回観れば十分すぎる凡庸な映画でした。

ルークやレイアたちによるハン・ソロ救出作戦がなんとも行き当たりばったりな印象です。

レイアは正体がバレてジャバの雌奴隷状態にされてしまい・・・

ジェダイとして思わせぶりに登場したルークも、落とし穴に引っかかって怪獣と戦うはめになり結局は捕まります。

しかし「それもこれも想定内」といわんばかりに都合よく作戦は成功します。
「なにか悪い予感がする・・・」
スター・ウォーズの映画を観ていて初めてそう思いました。
その後の展開も、なんとも唐突で事務的なものばかりでした。

前作ではあんなに矍鑠としていたヨーダが、急にヨボヨボになっていて衰弱死します。
悲しむ余韻もありゃしません。

そして現れた霊体オビ=ワンが妹の存在を教え、アナキンの死因について嘘をついた言い訳をします。
『帝国の逆襲』を観たその日に考えた「ルークとレイアは兄妹」説が当たっていたのは嬉しかったです。
しかし、そのことを観客に知らせる手法がルークとオビ=ワンのセリフによる説明だけというのはいただけません。
なんと言ったらいいのか・・・心に引っ掛かるものが何もないのです。
前作であれだけ世界観やキャラクターを膨らませておきながら、今回は淡々と「答え合わせ」のように「大団円」に向けて収束させているだけです。

以前は喧嘩をしたり、裏切ったり、意地を張り合っていた彼らが、まるで誰かに飼いならされたかのように皆仲良しになっています。
とにかくお話を先に進めることが優先で、そのために面倒な人間関係を描くことは放棄したような印象です。
さて。
『ジェダイの復讐(帰還)』で何が気に入らないと言えばコイツらです。


「原始的な生き物たちが科学技術の粋を集めた帝国群を打ち破る面白さ」というのが本作のコンセプトの一つではありました。
しかしあのキャラクターは、子供に媚びてグッズ販売の売上目当てで作ったようにしか思えません。
こんな連中が三部作における最後の一番オイシイところをかっさらってしまうのです。
前作までの世界観が好きで、夢中で観てきた私にはとても腑に落ちるものではありません。

しかも、キャラクター・イメージがチューバッカと著しく被っています。
それならば、いっそエンドアではなくチューイの故郷であるキャッシークを舞台にしてくれればいいと思います。
ここまでは、これといって新しい見せ場が無かった『ジェダイ~』ですが、このシーンだけはとても見応えがありました。

木々の間をすり抜けて森の中を疾走するあの映像は、長い間どうやって撮影されたのか分かりませんでした。
一緒に観た友人の一人は「撮影用のレールが見切れていた」とドヤ顔で言っていましたが、彼が見たのは目の錯覚による流線だったようです。
実際は、森の中をカメラを持ったカメラマンが長い距離をコマ撮りしながら歩いて撮ったのだそうです。

しかし、『スター・ウォーズ』三部作の完結編である『ジェダイの復讐』が最後に見せたのは、「再びデス・スターを破壊すること」でした。
結局は第一作目の焼き直しだったのです。
主人公ルークは前作に引き続き、全くいいところがありません。

前作で彼は2度も生命を落としかけるほどのピンチに見舞われました。
そしてその2度とも、ハンやレイアたちの命がけの行動によって助けられています。
冒頭でルークは(ご都合主義な描写ながらも)ハンを助けて借りを一つ返しました。
こうした「生命を預け合える仲間がいる」ことがルークの強味であり、父・アナキンには無かったであろうものです。
『ジェダイの復讐(帰還)』のクライマックスにその視点が無かったのが残念です。
ただ、ルークが皇帝にいたぶられたことで父・アナキンの「善の心」を呼び起こしたことは確かです。

この三部作は結局アナキン・スカイウォーカーの物語であり、ルークはその狂言回しでしかなかったのでしょうか?
ルーク自身の物語が『フォースの覚醒』から始まる<新々三部作>において完結することを願うばかりです。
お付き合いいただきありがとうございました。
次回はプロデューサーや監督たちについて考察してみたいと思っております。
今回は『スター・ウォーズ ジェダイの復讐(帰還)』の話をさせていただきます。
ただし、内容はかなりネガティブです。
率直に申し上げて、私はこの『ジェダイの復讐(帰還)』が好きではありません。
<新三部作>と同様、「自分が納得できる完結編」を求めてやまない脳内補完の対象です。

この作品が公開された1983年には、私は大阪の大学に進学していました。
『ジェダイの復讐』を観たのは、今は亡き阪急プラザ劇場(現在のバスターミナルのあたり)です。
もちろん、一作目の時の二の舞を避けるために情報は可能な限りシャットアウトしてきました。
そして『帝国の逆襲』を高校生の分際でありながら2回見た私です。
最初から三回分の前売りチケットを用意していました。
そして心躍らせながら鑑賞・・・。
上映終了後、三枚もチケットを買ったことを後悔していました。
1回観れば十分すぎる凡庸な映画でした。

ルークやレイアたちによるハン・ソロ救出作戦がなんとも行き当たりばったりな印象です。

レイアは正体がバレてジャバの雌奴隷状態にされてしまい・・・

ジェダイとして思わせぶりに登場したルークも、落とし穴に引っかかって怪獣と戦うはめになり結局は捕まります。

しかし「それもこれも想定内」といわんばかりに都合よく作戦は成功します。
「なにか悪い予感がする・・・」
スター・ウォーズの映画を観ていて初めてそう思いました。
その後の展開も、なんとも唐突で事務的なものばかりでした。

前作ではあんなに矍鑠としていたヨーダが、急にヨボヨボになっていて衰弱死します。
悲しむ余韻もありゃしません。

そして現れた霊体オビ=ワンが妹の存在を教え、アナキンの死因について嘘をついた言い訳をします。
『帝国の逆襲』を観たその日に考えた「ルークとレイアは兄妹」説が当たっていたのは嬉しかったです。
しかし、そのことを観客に知らせる手法がルークとオビ=ワンのセリフによる説明だけというのはいただけません。
なんと言ったらいいのか・・・心に引っ掛かるものが何もないのです。
前作であれだけ世界観やキャラクターを膨らませておきながら、今回は淡々と「答え合わせ」のように「大団円」に向けて収束させているだけです。

以前は喧嘩をしたり、裏切ったり、意地を張り合っていた彼らが、まるで誰かに飼いならされたかのように皆仲良しになっています。
とにかくお話を先に進めることが優先で、そのために面倒な人間関係を描くことは放棄したような印象です。
さて。
『ジェダイの復讐(帰還)』で何が気に入らないと言えばコイツらです。


「原始的な生き物たちが科学技術の粋を集めた帝国群を打ち破る面白さ」というのが本作のコンセプトの一つではありました。
しかしあのキャラクターは、子供に媚びてグッズ販売の売上目当てで作ったようにしか思えません。
こんな連中が三部作における最後の一番オイシイところをかっさらってしまうのです。
前作までの世界観が好きで、夢中で観てきた私にはとても腑に落ちるものではありません。

しかも、キャラクター・イメージがチューバッカと著しく被っています。
それならば、いっそエンドアではなくチューイの故郷であるキャッシークを舞台にしてくれればいいと思います。
ここまでは、これといって新しい見せ場が無かった『ジェダイ~』ですが、このシーンだけはとても見応えがありました。

木々の間をすり抜けて森の中を疾走するあの映像は、長い間どうやって撮影されたのか分かりませんでした。
一緒に観た友人の一人は「撮影用のレールが見切れていた」とドヤ顔で言っていましたが、彼が見たのは目の錯覚による流線だったようです。
実際は、森の中をカメラを持ったカメラマンが長い距離をコマ撮りしながら歩いて撮ったのだそうです。

しかし、『スター・ウォーズ』三部作の完結編である『ジェダイの復讐』が最後に見せたのは、「再びデス・スターを破壊すること」でした。
結局は第一作目の焼き直しだったのです。
主人公ルークは前作に引き続き、全くいいところがありません。

前作で彼は2度も生命を落としかけるほどのピンチに見舞われました。
そしてその2度とも、ハンやレイアたちの命がけの行動によって助けられています。
冒頭でルークは(ご都合主義な描写ながらも)ハンを助けて借りを一つ返しました。
こうした「生命を預け合える仲間がいる」ことがルークの強味であり、父・アナキンには無かったであろうものです。
『ジェダイの復讐(帰還)』のクライマックスにその視点が無かったのが残念です。
ただ、ルークが皇帝にいたぶられたことで父・アナキンの「善の心」を呼び起こしたことは確かです。

この三部作は結局アナキン・スカイウォーカーの物語であり、ルークはその狂言回しでしかなかったのでしょうか?
ルーク自身の物語が『フォースの覚醒』から始まる<新々三部作>において完結することを願うばかりです。
お付き合いいただきありがとうございました。
次回はプロデューサーや監督たちについて考察してみたいと思っております。
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