週刊映画鑑賞記(2019.5/20~2019.5/26)
毎週日曜日は、この一週間に観た映像作品について日記代わりに書き留めております。
先週は比較的時間に余裕があったので『アベンジャーズ』補完計画を実行しておりました。
全ては後顧の憂いなくこの映画を楽しむためであります。
5/20(月)
『アベンジャーズ エンド・ゲーム』🈠
(劇場:テアトルサンク)

前日に『アントマン&ワプス』までの全過去作品を見終えた私は自分なりのストーリー予想を立てて『アベンジャーズ エンドゲーム』鑑賞に臨みました。
ちなみにこの作品が「私の令和最初の映画」ということになります。
厳密には『E.T.』の再上映やホームシアターで観た『チャンピオンまつり版ゴジラ』や『アベンジャーズ補完計画』などがありますが、ここはやはり劇場で鑑賞した新作映画を公式記録(笑)として残しておくことにします。
今回の記事は、私の仮説に対する答え合わせという形で書いてみようと思います。
後半は盛大にネタバレが含まれますのでご注意ください。
(一応ネタバレ解禁されてはいるようですが、私の身近ではまだ見てない人が多いのが現状なので。)
まずは私が予想したストーリーから。
これは全て、『エンドゲーム』を観る前の私の妄想に過ぎませんので、当たり外れに関わらずネタバレには値しません(笑)。
でも「先入観を持ちたくない」という方はここで読むのを止めることをお薦めします。
①宇宙を漂流していたトニー・スタークは、ニック・フューリーのポケベルで地球の危機を察知したキャプテン・マーベルに助けられる。
②生き残ったアベンジャーズたちは、改心したサノスの娘ネビュラの情報を元にインフィニティストーン奪還作戦を敢行。
③再びサノスと対決。幾人かの犠牲を払いながらもなんとかタイムストーンだけを取り戻す。
④トニーはタイムストーンをヒントにしてタイムマシンを開発。
⑤過去に戻って石を集め直し、ソーが作った新しいガントレットで指を鳴らして全員を生き返らせる作戦をスタート。
⑥『バック・トウ・ザ・フューチャー2』みたいに過去の自分と出会わないよう気を付けながらそれぞれ石を手に入れていく。
この時、トニー/スティーブ/ソーはそれぞれ過去の現実と向き合うことになる。
⑦奪われたタイムストーンを追ってサノスが地球にやって来る。アベンジャーズと石の争奪戦。
⑨圧倒的劣勢。しかしガントレットを着けたハルクが指を鳴らし、死んだ仲間たちが帰ってきて形成逆転。
⑩逆転勝利。めでたしめでたし。
・・・と、こんなストーリーを想像しておりました。
でも、これだとアントマンの設定を生かせるところが無いですね。
拙い予想を胸に秘め、今週月曜日に満を持して観て参りました。

劇場はお隣石川県のイオンシネマ金沢フォーラス。
何故わざわざ金沢まで行く必要があったかというと、福井の映画館では日中は吹き替え版だけで字幕版上映は夜の1回しか無かったからです。
この日は夕方から打ち合わせが2件入っていたため、午前中金沢まで足を延ばすしかありませんでした。
ちなみに金沢でもここ以外は字幕版は夜だけというところばかりだったので、全国的にも似たような状況なのかも知れません。
▼以下、ネタバレパートになります。『アベンジャーズ エンドゲーム』を未見の方はご注意下さい。

①宇宙を漂流していたトニー・スタークは、ニック・フューリーのポケベルで危機を察知したキャプテン・マーベルに助けられる。
当たり。
でも、『キャプテン・マーベル』を見た人ならこれくらい誰にでも想像つきますね(笑)。

②生き残ったアベンジャーズたちは、改心したサノスの娘ネビュラの情報を元にインフィニティストーン奪還作戦を敢行。
これも当たり。
ここまでは自分に脚本の才能があるんじゃないかと錯覚しておりました(笑)。

③再びサノスと対決し、幾人かの犠牲を払いながらもなんとかタイムストーンだけを取り戻す。
外れ。
サノスは全ての目的を終えて満足したのか、かつての精気を失って隠居生活を送っていました。
インフィニティ・ストーンは全て破壊してしまってこの世にはもう存在しないと言うサノス。
ソーは怒りに任せてサノスを殺してしまいます。

④トニーはタイムストーンをヒントにしてタイムマシンを開発。
半分当たり。
トニーにタイムマシンのヒントを与えたのは石ではなく量子世界から生還したアントマンでした。
でも、難しい専門知識を要する役回りならワスプのほうが適任だったかも?。

⑤過去に戻って石を集め直し、ソーが作った新しいガントレットで指を鳴らして全員を生き返らせる作戦。
『ドラえもん』と『ドラゴンボール』を組み合わせたみたいな話でした(笑)。
当たり・・・というより、今回のストーリー展開としてはこれ(タイムトラベル)以外考えられません。

⑥過去の自分と出会わないよう気を付けながらそれぞれ石を手に入れていく。
この時、スティーブ/トニー/ソーの主役3人はそれぞれ過去の現実と向き合うことになる。
ほぼ予想通りでした。
しかし、どのエピソードもこれまでのシリーズ作品を見ていなければ100分の1も楽しめないと思います。
キャプテンは潜入した70年代の軍施設でかつての恋人カーターと接近遭遇します。
このことがラストでの彼の決断に繋がります。
トニー(アイアンマン)は若い頃の父と出会ったことで長年に渡る親子の確執を氷解させます。
しかし、タイムトラベルものの面白さの一つである「過去の出来事を目の当たりにして歴史と私情の狭間で揺れ動く」シチュエーションが無かったことは残念でした。
10人中誰か一人くらい過去の世界で私情に走る奴がいてもよかったんじゃないでしょうか。
直情的なソーなら歴史を変えてでも『ダーク・ワールド』での母の死を回避しようとするかと思ったのですがね。

ソウルストーンを手に入れるためには愛する人を喪う必要があり、ナターシャ(ブラック・ウィドウ)とクリント(ホーク・アイ)は究極の選択を迫られます。
このシーンは熱かったなあ・・・。
今回生き返させることが出来るのは前作のサノスの指パッチンで塵となった者たちだけです。
それ以外で死んだ者やこの作戦で犠牲になった者は対象外。
だから彼女はもう・・・。

⑦奪われたタイムストーンを追ってサノスが地球にやってきて、過去から戻たアベンジャーズと石の争奪戦。
現在のサノスはすでにソーの手で殺されています。
やってくるのはアベンジャーズの作戦を察知した過去のサノスでした。
彼がアベンジャーズのタイムマシン作戦を知った理由が秀逸です。
同じ時間と空間に過去と現在のサイボーグ:ネビュラが同時に存在したことで情報がリンクしてしまったのです。
この発想は私にはありませんでした。

⑧圧倒的劣勢。しかしガントレットを着けたハルクが指を鳴らして死んだ仲間たちが甦り形成逆転。
指を鳴らすのはハルクに違いないと思っていました。
あのサノスでさえ『インフィニティ・ウォー』で指パッチンした時には身体中が燃えて悶絶していたくらいですから、地球側であれに耐えられるとしたらそれはハルクだけです。
映画ではハルクも一度は指パッチンを試みますが失敗。
結局最後に指を鳴らして仲間たちを蘇らせたのはアイアンマン=トニー・スタークでした。

⑨逆転勝利。めでたしめでたし。
勝利は得ましたが、決してめでたい終わり方ではなかったので「外れ」ですかね。
願いは成就させたものの、トニーの身体はインフィニティ・ストーンの高エネルギーに耐えられませんでした。
ラストでは、今度の作戦で使った6つの石を元の時代の元の場所に戻すためキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース再び過去に向います。
しかし、彼はそのまま戻ることなく愛する女性ペギー・カーターと所帯を持って自分の人生をやり直したのでした。
彼の老いた姿を見た時、「このシリーズの真の主人公はキャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャースだったのだ」と確信しました。
正直、一本の映画として見た『アベンジャーズ エンドゲーム』は観客の設定理解への配慮が皆無で人物描写も浅く、駆け足気味な印象もありました。
生き返り組のエピソードももう少し掘り下げくれてもよかったような?。
しかし、これをキャプテンアメリカのシリーズ最終回として見るならば、これは見事な締めくくり方だったと思います。
いつの日か全22作品全部を観返すことがあったなら、その時は劇中の時系列順で見たいですね。
それだと『キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』が最初になりますから、この映画のラストシーンがより心に沁みてきそうな気がします。
最後に、一つだけこの映画に不満を述べるとするならば・・・。

キャプテン・マーベルがちょっと便利過ぎましたかね。
しかも本作の公開直前に登場編を公開したのはいかがなものかと思います。
あれでは「ご都合主義」に見えてしまって少し興醒めでした。
それに強すぎです。
これではお話を壊しかねないと判断されたのか、別の任務があるとかで中抜けさせられていました(笑)。
▲以上、ネタバレ終わり
5/22(水)
『怪獣総進撃』
(ホームシアター:日本映画専門チャンネル)

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』公開を前に日本映画専門チャンネルでは昭和のゴジラシリーズを放送中です。
今回はシリーズ9作目にあたる『怪獣総進撃』のオリジナルバージョンです。
昭和43年。
日本映画業界の大不況に伴い、東宝は今作をもってゴジラシリーズを打ち切る決定を下しました。
いわば昭和ゴジラシリーズの最終回なわけですが、ここには昭和29年の第一作からゴジラを作り続けてきた本多猪四郎監督の忸怩たる思いがスタッフの様々な思いが込められていると思います。
周知の通り、昭和のゴジラ(2代目)は回を重ねるごとに畏怖すべき存在から徐々に人間的な情感をも垣間見せる愛すべき怪獣へとそのキャラクターを変えていきました。
本多監督のコメントによれば、シリーズを重ねるにつれて観客から「ゴジラが迫害されているみたいで可哀そう」という投書が増えてきたことがきっかけだったそうです。
日本人の生活にも余裕が出てきたことで動物愛護の考え方が一般的に普及してきた時期だったのかも知れません。

初代『ゴジラ』は、人間にとって戦争や原爆あるいは台風などといった厄災の象徴そのものでした。

「ゴジラは今なお我々の上に覆いかぶっている水爆そのものではありませんか!」

2代目ゴジラも、初期の『モスラ対ゴジラ』までは人間との意思疎通が不可能な謎の巨大モンスターでした。

「こうしている間にもゴジラのために命を落としていく人がいるのです」

しかし、次の『地球最大の決戦』ではゴジラ・モスラ・ラドンが怪獣語で会話していて、怪獣たちも皆人間と同じ意思を持つ存在に描かれています。
「俺たちの知ったことか、勝手にしやがれ。」
「そうだそうだ。」

「分からず屋ってのは人間だけじゃないんだな。」

さらに『怪獣大戦争』では人間が怪獣に同情する一場面も!。
キングギドラやX星人という地球全体の外敵と共に戦ったことで、ゴジラに対する人間側の意識も少しづつ変化していきます。

「時々は困ったやつらだがこうなると何だか可哀そうだな」
面白いことに、この『怪獣大戦争』が公開された年に「全日本動物愛護団体」が結成されています。
こういった考え方が日本中で普及しはじめた時代と呼応していたのですね。

『南海の大決闘』『ゴジラの息子』では南の島でのゴジラの私生活が描かれ、人間と怪獣との距離感がさらに縮まりました。

「なるほど、ゴジラの教育ママ・・・じゃない、教育パパか。」
嫌いじゃないですけど・・・(笑)、実のところここまで来るともうゴジラの威厳も全て失われてしまった気がします。

そして『怪獣総進撃』では、ついに人間と怪獣が共存する未来世界が描かれます。
これはゴジラ(と地球怪獣たち)が人間との共闘を経験し、やがては共存も可能になるという理想のエンディングとも受け取れます。

「どうです、空から見ると、怪獣もなかなか可愛いでしょう」

本当にこれがゴジラと全ての怪獣にとっての幸せな到着点なのか?。
怪獣たちはまるで動物園のように人間に棲み処と餌を与えられて飼い慣らされてしまったかのようです。
子供の頃はそんなこと考えもしませんでしたが、今の私はこんな牙を抜かれたゴジラの姿は見たくはないです。
ゴジラ第一作以来、怪獣映画を作り続けてきた古参のスタッフは、それまで散々痛めつけてきたゴジラに対して贖罪の念を抱いていたのかもしれません。
そこで「シリーズ完結編」として企画された『怪獣総進撃』でゴジラたち怪獣たちに安息の地を用意してあげようと考えたのではないでしょうか?。
しかし、正直言って人間に飼い慣らされてしまったかのようなゴジラの姿は見るのが辛いものがあります。
しかし、これが当時のクリエイターたちがたどり着いた「怪獣たちの幸せ」であるならば、これはこれとして受け入れざるを得ません。
しかし!。

70年代に入り、低予算ながらも初めてゴジラ映画に携わった若い監督はゴジラをそんな腑抜けには描きませんでした。
ゴジラとその対戦怪獣に、かつての初代ゴジラのような鋭い牙と眼力を持たせたのです。

それが『ゴジラ対ヘドラ』です。
げんばく すいばく しのはいは うみへ
どくがす へどろ みんな みんな うみへすてる
おしっこも
ゴジラがみたら おこらないかな
おこるだろうな
今週も最後までお付き合いいただきありがとうございました。