私のオーディオ・ビデオ遍歴(第4回)~ビデオカメラで太陽を撮ってはいけなかった頃の話~
最初に謝っておきます。m(_ _)m
今まで私が愛用してきたAV機器の数々を回顧する不定期連載「私のオーディオ・ビデオ遍歴」。
不定期連載と銘打ってはいるものの、前回の記事からもう丸一年経ってしまいました。
機器の詳細な資料や添付する画像がなかなか見つからないことが遅筆の原因ではありますが、いくらなんでも間が空きすぎですね(反省)。
あと、今回の記事は長いです。
もしかすると当ブログ最長記録かもしれません。
書いているうちに次から次へと思い出が溢れ出てきてしまい、一本の記事にまとめるのに大変な時間を要しました。
最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
過去の記事(第1回~第3回)は以下のリンクからご覧いただけます。
>「私のオーディオ・ビデオ遍歴(第1回) ~全てはヤマトから始まった~」(2018/4/12)
>「私のオーディオ・ビデオ遍歴(第2回) ~はじめてのビデオ~」(2018/5/16)
>「私のオーディオ・ビデオ遍歴(第3回) ~わしらのビデオはビクターじゃ!~」(2018/7/25)
最初は新年度スタートのタイミングに合わせて「大学に進学した時の話」を書くつもりでいたのですが、思うところがあって急遽予定を変更することにしました。

高3の春、右翼曲折の末ようやく手に入れたビクターの最高峰ビデオデッキ:HR-7650。
このHR-7650を使って自分たちのビデオ映画を作ろうと奮闘した高3の夏休みの話です。
新しくAV機器を買ったわけではないのでこの企画の主旨からは少し外れますが、時系列順にちょうど良いこともあって今回「私のオーディオ・ビデオ遍歴」の一つに加えることにしました。
【これさえあれば!】
きっかけは、高3の夏休み直前に見つけたこの新聞広告でした。

福井市内の大型電気量販店がビデオ機材のレンタルを始めたというものです。
貸し出し機材のメインは据え置き型ではなく、ビデオカメラやポータブルビデオなど野外撮影用機材がメインのようです。
おそらくGWや夏の行楽シーズンにビデオ撮影セットを貸し出し、客の購入意欲を煽って夏のボーナスで買わせようという魂胆なのでしょう。

機材の中で私の目を引いたのは、ビデオカメラとポータブルビデオを一式セットで貸りられる「ビデオカメラセット」コースでした。
撮影機材一式のレンタル代が一週間でなんと1万2千円です。
(下のほうに小さく「当店で10万円以上のビデオ機材を購入した方は半額」と書かれていますが、残念ながら私がHR-7650を買った店ではないためその恩恵は受けられません。)

1万2千円で一週間ビデオカメラとポータブルビデオを借りて撮影。

撮影後はポータブルデッキと自分のHR-7650をケーブルで繋いで編集。

元の音声を消さずに映像だけを差し替える場合はインサート機能。

ナレーション入れや聞き取りにくいセリフの差し替えにはHR-7650のアフレコ機能。
出来る! 出来るぞ!
これで俺にも映画が作れる!
そう短絡した私は、秋の文化祭の出し物としてクラスで映画製作することを提案してみました。
経費がどのくらい出るのかは知りませんでしたが、おそらく1万数千円の機材レンタル費くらいなら出してもらえるはずです。
(学校の視聴覚室には古い据え置き型Uマチック方式ビデオがありましたが、あれでは屋外ロケには出られません。)
ところがクラスメート達の反応は「映画なんて高校生に作れるわけがない」とか、「映画出演なんて恥ずかしいから絶対イヤ」とか、高校生らしからぬマイナス思考なものばかりで全く相手にしてくれません。
結局クラスの出し物は今でいう「ご当地B級グルメ」を紹介するパネル展示に決まってしまいました。
【映画やろうぜ!】
それでも、私が出した提案に反応してくれた者も何人かいました。
最初に声をかけてくれたのは、毎年春休みと夏休みに土産物店のアルバイトを斡旋してくれていた石●君(以下、I君)でした。
「映画作るってなんか面白そうやな。夏休みにやってみようや。」と話に乗ってくれたのです。
この時の私は、真面目に話を聞いてくれる奴が一人でもいてくれたことがとても嬉しかったです。
仮にシナリオや機材が揃ったとしても私一人では何も出来ません。
一緒に作ってくれるスタッフと出演者が絶対に必要なのです。
もう一人は、私と同じ小学校の出身の増●君(以下、M君)。
彼はどちらかというと映画作りではなく当時登場し始めた「えっちなビデオ」に興味津々な奴でした。
後で本人に聞いてみたところ、あの時私の話に乗ったのは「お前の家に行けばえっちなビデオを見られるかもしれないと思ったから」と白状しておりました(笑)。
三人目は、同じクラスでありながら今回初めて話しかけた大●君(以下、О君)。
彼は他県出身で言葉のイントネーションを気にしていたらしく、私たちとの接触を故意に避けている印象がありました。
私も常に学年上位に入るほど成績優秀な彼に自分との接点を見い出すことが出来ずにいたのです。
しかしI君が「あいつは絶対映画好きやと思う。ダメ元で誘ってみれって。」と強引に薦めるので思い切って声をかけてみたところ、「いいよ。」とあっさり参加してくれることになりました。
あとでI君に「どうしてОが映画好きだと分かった?。」と聞いたところ、「お前が映画作ろうと言い出したとき、あいつがいつになく真剣に話を聞いていたのを俺は見逃していなかった。」とのことでした。
その後О君の家を訪ねたことがありましたが、彼の部屋には『野生の証明』『ねらわれた学園』『セーラー服と機関銃』など薬師丸ひろ子のポスターが壁一面に貼られていました。
こうして3人の仲間が集まってくれました。
彼らの共通点は、全員「帰宅部」かあるいは「どこかの部の幽霊部員」ということでした。
平たくいえば高校生活最後の夏休みにヒマを持て余している連中です。
実は、かく言う私もその一人でした。
高校入学時は中学から引き続き陸上部に入りましたが、入部してすぐ不注意から右足を大怪我をしてしまいそのまま退部することに・・・いや、正確には退部させられてしまったのです。
(松葉杖状態で1か月近く部活を休んでいながら、その間何度も映画を見に行っていた事が顧問や先輩にバレたためです。)
その後部活を離れてお気楽な高校生活を送っていたものの、私は心のどこかで劣等感のようなものを感じていました。
それは「自分には最後までやり遂げたものが何もない」という燃えくすぶった気持ちです。
あの3人が私の誘いに乗ってくれたのも、みんな心のどこかに私と同じ「このまま高校生活を終わっていいのか?」という気持ちがあったからではないかと思っています。
【助っ人たち】
やがて、2人の強力な助っ人が参加してくれることになりました。
一人は紅一点、美術部の副部長だった下●さん(以下、Sさん)です。
彼女を誘ったのはI君でしたが、当時あの二人は付き合っていたのかも知れません。
Sさんは「夏休み中は文化祭の準備があるので撮影には参加出来ない」とのことでした。
その代わり、タイトルやクレジットなど映画に使うイラストを彼女が描いてくれることで、文化祭で美術部作品の一つとして上映してくれることを約束してくれました。
つまり、彼女はスタッフというより興行主のような存在でした。
唯一人の女子ということで出演も頼んでみたのですが、「手伝いはするけど画面に出るのは絶対イヤ!」と恥ずかしがったため結局彼女が画面に映ることはありませんでした。
そしてもう一人。
このブログで何度か紹介したことのある中学以来の映画・アニメ仲間で親友のT君こと竹●君です。
彼とは中学卒業後別々の高校に進学したのですが、その後もずっと変わらない付き合いを続けておりました。
そのT君が同じ小学校出身のI君から話を聞きつけて私の家に怒鳴り込んできたのです。
T「なんで俺を誘わんのや!」
私「すまんすまん。でもこれ、ウチの高校の文化祭に出すやつやぞ?。」
T「そんなことどうでもいい。俺もいっぺん映画を作ってみたかったんや!。」
【最初はやっぱり・・・?】
私は宿題そっちのけでストーリー作りに取り組みました。
想定した上映時間は20分程度。
これはTVアニメの1話分に当たる分量です。
母には「あんた来年は受験なんやざ。自分の立場を分かってるんか!?」と小言を言われ続け、祖母にも「そんな事は大学に入ればいくらでも出来ることやから。」と止められました。
しかし、今更やめることなど出来ません。
すでに5人の仲間を巻き込んでしまったのですから!。
私が最初に提案したのは怪獣映画でした。
小さい頃から『ウルトラマン』や『ゴジラ』が大好きだった私としては当然の選択です。

福井平野に流れる一級河川「九頭竜川」には、その名の通り9つの頭を持つ竜が棲むという伝説があった。
しかし、ダム建設による森林破壊や無作法者たちによる神社や石碑への冒涜行為が相次ぎ、怒った川の守り神:九頭竜は巨大怪獣:キング・クーロン(九龍)となって福井の街に襲い掛かる!。
ここまで一気に書き上げたもののオチが決まりません。
皆でアイデアを出し合った結果、キング・クーロンの正体はナメクジの一種ということにして塩や塩水で追い立てて日本海に落として溶かしてしまおうということになりました。
あと、「海から敦賀の原発から漏れた放射能で巨大化した越前ガニが現れてこの二匹が戦うというのはどうだろう?」というアイデアも出ました。
「3人寄れば文殊の知恵」とか言いますが、こうして仲間とワイワイ話し合ってアイデアが膨らんでいくのは楽しかったです。
しかし・・・。
「怪獣はギニョール(指人形)、ミニチュアの街は段ボールや発泡スチロールで出来るだろう」などぼんやり考えてはいたものの、現実的に考えればとても高校生が1ヵ月足らずで作れるような内容ではありません。
そして、この企画にトドメを刺したのは紅一点のSさんでした。
「そんな下らないもの作るんならあたし辞める!」
彼女に降りられてしまっては作品を文化祭で上映してもらう道が断たれてしまいます。
私は涙を呑んで怪獣映画を諦めたのでした。
他にも「『超能力学園Z』をパクった超能力もの」とか、「街を二分していがみ合う2つのや●ざ一家の跡取り息子と一人娘が恋に落ちる極道ラブコメ」とか、皆で色々なアイデアを出し合いましたが、どれも風呂敷を広げすぎで予算や人材のことを全く考えておらず決定には至りませんでした。
しかし、この頃はこうして皆でアイデアを語り合うことそのものが楽しくて、私たちは「映画を作る」という大元の目的を忘れ始めていました。
【しまったぁ~!】
そんな調子で7月も終わりに近づいたある日のこと。
私の行動を影ながら応援してくれていた中学生の妹が冷静な口調で重要な話を切り出してきました。
妹「お兄ちゃん、ビデオカメラはいつ借りるの?。」
私「そんなん、シナリオを書いてからでないとスケジュールが決められんやろ。」
妹「それで大丈夫?。ビデオカメラって、誰でも夏休みとかお盆休みに使いたいものと違う?。」
私「・・・あ!?。」
妹「早めに予約しておかないと夏休み中に借りられないかもよ。」
私「あ~~~~ッ?」
妹の言う通りでした。
慌てて電気店に電話で問い合わせてみると・・・。
店員(電話)「申し訳ございません。ご指定のビデオカメラセットは8月末まで全て予約で塞がっております。」
私は自分の顔面から血の気が引き、身体中から力が抜けていくのを感じていました。
_| ̄|○「終わった・・・いや、始まりもしなかった・・・。」
多分、私の声は震えていたと思います。
しかし、そんな私の落胆の声を電話の向こうの担当者は商機と捉えたのかすかさず次の営業を仕掛けてきました。
「確かにセットものは全て予約済みですが、カメラとデッキそれぞれ単品レンタルでよろしければ16日以降ご用意させていただくことが出来ます。」

担当者が言うには、予約が埋まっているのは廉価機種によるセットコースだけであって、ビデオカメラとビデオデッキのそれぞれ上級機を単品で貸し出すコースならまだ空きがあるとのことでした。
ただし、その場合のレンタル料は想定していたセットコースの2倍です。
セットであれば一週間分のレンタル料:12,000円に予備バッテリーや三脚等のオプション費用を加えただけで済むはずでしたが、単品レンタル(一週間)の場合はカメラとデッキそれぞれに1,2000円づつ必要です。
ポータブルビデオデッキとACアダプターは編集完了までフルに必要になるため7日間レンタルで合計13,300円。
カメラと三脚、そしてバッテリー(2本)は最初の5日間コースで構わないので11,600円。
合計で機材レンタル費は24,900円にもなってしまいます。
私の見込みが甘かったせいで、機材費が当初想定していた額の2倍近くに跳ね上がってしまいました。
しかし、もう後には引けません。
そのまま単品レンタルを予約し、レンタル初日に身分証(学生証)と代金を持ってお店に行くことを決めました。
私が高校生であることで親の承認が必要でしたが、HR-7650を買った時と同じく父に同行してもらうことで解決です。
こうして無事に機材を確保することが出来ましたが、それと同時に撮影・編集スケジュールも自動的に決定してしまいました。
クランク・インはレンタル開始日の8月16日。
その日から機材を返却するまでの一週間以内で全ての撮影と編集を終えなければなりません。
製作費は皆でカンパしました。
言い出しっぺの私は2万円。
これは最初に想定していたセット機材を念頭に置いて用意したお金です。
T君、I君、О君は5千円づつ、M君は確か3千円だったと思います。
みんな小遣いの苦しい中からなんとか捻り出してくれました。
ただ、Sさんに対してはこっちが上映の段取りをお願いする立場なので出費は求めませんでした。
機材レンタル費とビデオテープ代、それに小物の購入費や移動費・食費など合わせて制作予算は3万8千円です。
【シナリオ完成!】
機材はなんとか確保したものの、私たちのストーリー作りは完全に行き詰っておりました。
もう無理にオリジナルストーリーに拘るのはやめて何かマンガの1エピソードを原作にして作ろうかとさえ考えたくらいです。
もうすでに8月に入り、クランク・インまで残り2週間を切っていました。
そんなとき、О君とM君の何気ない会話が私にインスピレーションを与えてくれました。
О「なあ、駅の向こうにボロっちい木造の小学校があるやろ。夕べあの前通ったけど幽霊でも出そうで気持ち悪かったわ。」
О君の言う駅向こうの古い木造校舎とは、私とM君の母校である町立K小学校のことでした。
当時町内の他の小学校は次々と鉄筋コンクリートの新校舎に移転していましたが、何故か私たちの母校だけはなかなか新校舎建設が決まらず木造のままだったのです。
しかしこの頃('82)になってようやく新校舎移転の話が動き始め、私たちが通ったその木造校舎は数年後には取り壊されることが決まっていました。
M「気持ち悪いとは失礼な!。あそこは俺とK(私)の母校やぞ。それとな、俺んちはあのすぐ近くなんや。」
О「ごめん、悪かった。」
M「でも、そういえばあの校舎は元々墓場だった場所に建てられたって噂があったなあ。裏にはお寺もあるし・・・。」
О「ほ~ら、やっぱり。」
M「そういえばK(私)、お前6年の時学校の敷地が本当に元墓場だったのかを自由研究で調べてたな?。」
私「うん・・・でも結局お寺の敷地の一部だったというだけでお墓じゃなかったけどな・・・ん?、学校?。」
M「どうした?」
私「小学校・・・幽霊・・・それや!。」
私はこの会話から思い付いたアイデアに自分の小学生時代の経験と日頃から考えていた独自理論を織り交ぜて一本のシナリオを書き上げました。
タイトルはズバリ『学校の怪談』
もちろん、この13年後に公開される平山秀幸監督の『学校の怪談』シリーズとは全く関係ありません。

以下は記憶を辿って再現したシナリオです。
(出来れば丸ごと全部採録したいところですが、あまりにも長くなりすぎるので一部を簡略化しております。)
【シーン1(高校時代) 元小学校だった空き地】
高校3年生の主人公:雅彦が物思いに耽りながらじっと虚空を見つめている
そこへ友人が近づいて来る。
友「何ぼーっと見てるんだ?」
雅「昔、ここに小学校の旧校舎があったなあ~と思って。」
友「ああ、俺らが通ってた校舎な。取り壊されたのは去年・・・いや、おととしだったっけ。」
雅「信じないかもしれないけど・・・俺、小学生の時あの校舎で不思議なものを見たんだ。」
【シーン2(過去) 路地】
夏休みのプールの帰り。
小学5年生の雅彦とクラスメートA、B、Cの3人が話しながら歩いている。
A「聞いた?4年の女子が理科室で幽霊見たって話。」
B「聞いた聞いた。」
C「そういえば知ってる?。うちの学校が建ってるあの場所って昔は墓場だったんだって。」
雅「それって、お父さんとかお爺ちゃんの時代から伝わってるただの噂話だろ。」
C「でも旧校舎の隣には大きなお寺があるじゃないか。うちの学校は明治時代にあそこの墓地を潰して建てたって話だよ。」
B「ええ~?。俺ら今までそんなとこで勉強してたのか~?。」
【シーン3(小学生時代) 分かれ道】
友達と別れて一人になる。
雅彦の目線の先に問題の校舎が見えてくる。
【シーン4(小学生時代) 小学校木造校舎前】
不気味な夕方の木造校舎。
前を通りかかった雅彦、今は使われていないはずの建物内に人影を見つける。
雅「誰かいるの?」
教室の奥から女の子の声がはっきりと聞こえてくる。
声「お願い、手伝って。探し物が見つからないの!。」
【シーン5(小学生時代) 教室内】
空けっ放しの扉から校舎内に入り込む。
千代と名乗るその女の子はつぎはぎだらけの赤いワンピースにおかっぱ頭という今どき珍しい恰好。
彼女は「大事にしていた鉛筆を無くしたので探すのを手伝って欲しい」と懇願する。
鉛筆の1本や2本、別に探さなくても・・・と思いながらも、その子があまりにも真剣だったため一緒に探してあげることになる。
やがて黒板の上に隠すように置かれていた短い鉛筆を見つける。
雅「どうしてこんなところに鉛筆が?」
鉛筆を受け取った女の子は嬉しそうに「ありがとう」と礼を言い、次の瞬間すうっとかき消すように消えてしまう。
雅「ゆ、幽霊!?」
一目散に逃げ帰る雅彦。
【シーン6(小学生時代) 自宅(食卓)】
父親は残業のため不在。
夕食を食べながら少女の幽霊を見た話をするが、母親は「マンガの読み過ぎ」とか「この科学万能の時代に幽霊なんて」と笑うばかりで信じてくれない。
怒って自分の部屋に閉じこもる。
このあとシーン7から15まで「小学校が建っている場所は元墓地だった」という噂について友達Bと一緒に図書館で文献を調べたり地元の老人に話を聞いたりするシーンが続きます。
(実際には時間が無くなってこの部分の撮影は出来ませんでした)
【シーン16(小学生時代) 夜・自分の部屋】
ベッドに寝転がって考え事。
父親がノックして入ってくる。
父「お母さんに聞いたぞ。学校で幽霊を見たって?。」
雅「お父さんまで笑うの?。僕は本当に見たんだ!。」
父「お父さんは信じないなんて言ってないぞ。で、お母さんはなんて?。」
雅「この科学万能の時代に幽霊なんてばかばかしいって・・・。」
父「(少し考えて)いや、科学なんてぜんぜん万能じゃないぞ。」
雅「?。」
父「例えば・・・(ボールを手に取って)これはどんな形をしている?。」
雅「丸」
父「(地球儀を指さして)俺らが住んでるこの地球は?」
雅「丸い」
父「(両手を広げて)その地球は太陽の周りを?」
雅「回ってる」
父「(指をくるくる回しながら)丸はどうやって描く?。」
雅「コンパスでぐるっと。」(コンパスを回す手つき)
父「じゃあ、その円の計算をするための円周率はいくつだ?。」
雅「3.14・・・じゃなくて、円周率は割り切れないから約3.14。」
父「ほら、やっぱり科学なんて万能じゃないだろ。」
雅「え?。」
父「この世界には確かに丸いものは存在しているのに円周率が割り切れないなんておかしいと思わないか?。」
雅「そういえば・・・そうだね!。」
父「約3.14で計算した円には知恵の輪みたいな隙間があることになる。幽霊も超能力もタイムマシンも、全部その隙間の中にあるんだ。だから幽霊なんか絶対いないだとか、タイムマシンなんか絶対に作れないとか、簡単に決めつけるのは違うと思うぞ。」
父親に夕方学校で体験したことを話す。
最初はふんふんと聞いていた父だったが、鉛筆が黒板の上に隠されていたことと少女の名前が千代であると聞いた瞬間急に表情が変わる。
父「その鉛筆を隠したのは俺だ。そしてその子は同級生の千代ちゃんに違いない。」
【シーン17(父の小学生時代・回想) 教室】
実は父親も同じ小学校の出身だった。
そして当時好きだった千代という女の子に意地悪して彼女が大事に使っていた鉛筆を隠したことがあった。
彼らの小学生時代といえば終戦直後で物資が乏しく、貧しい家庭であればたとえ鉛筆一本といえど貴重なものだ。
父はほんの冗談のつもりだったが、泣きながら鉛筆を探す彼女を見ているうちにどうしても言い出せなくなってそのまま逃げ帰ってしまったのだという。
そして雅彦が見た少女の背格好と服装はその日の千代と完全に一致する。
【シーン18(小学生時代) 夜・自分の部屋】
雅「その千代さんって・・・死んじゃったの?。」
父「いや、この前同窓会で会ったばかりだ。もうすっかりおばさんだけど元気だったよ。」
雅「幽霊じゃないの?。だとしたらあの女の子は何?。」
父「分からん。分からんから明日一緒に学校へ行ってみよう。もしその子が本当に昔の千代ちゃんなら俺も会って謝りたい。」
【シーン19(小学生時代) 駅】
翌日の夕方(要:時間経過と場面転換)
仕事帰りの父親と駅で待ち合わせて一緒に小学校へ向かう。
【シーン20(小学生時代) 小学校前(校門付近)】
校舎の前に到着。
突然父が教室の窓に向かって叫ぶ。
父「千代ちゃん!?」
雅「お父さん、あの子が見えるの?。」
建物に向かって走り出す父と子。
【シーン21(小学生時代) 教室】
大人になった父と少女のままの千代の再会。
子供のころの意地悪を詫びる父。
千代は「もういいの」と笑い、そしてこの不思議な現象の秘密を語り始める。
彼女は幽霊ではなかった。
長きに渡り子供たちを見守ってきたこの古い建物に宿った「付喪神」とも呼ぶべき精霊が、30年前この教室で泣いていた少女の姿を借りて現れたのだ。。
この旧校舎は数年後には取り壊されることが決まっている。
「人は死ぬ間際に自分の一生が走馬灯のように映し出されるのを見る」というが、それと同じことが長い歴史を持つこの建物にも起こっていた。
そして、この校舎にとっては少年時代の父と千代のエピソードも大切な思い出の一つであり、たまたま近くを通りかかったその息子に父の思い出を見せたのだという。
千代(精霊)が語り終えると、教室内にガヤガヤとした子供たちの騒ぎ声が響き始めた。
その声がすっと消えた時、教室には父と僕だけがポツンと残されていた。
父は泣いていた。
【シーン22(高校時代) 元小学校だった空き地】
かつて小学校旧校舎があったグラウンドを前に立つ高校生の雅彦と友人。
友「へえ~、建物の記憶ねえ・・・」
雅「信じる?。」
友「誰が信じるか、そんな話!。」
雅「だと思った。」
二人、笑いながらその場を立ち去る。
<終>
このストーリーにはSさんの賛同も得られましたが、T君とО君からは心配の声が挙がりました。
T「いいと思うけど、子役はどうする気や?」
О「親の役なら俺らでも出来るけど小学生の役なんて無理やぞ。」
私「大丈夫、もう段取りはつけてある!。」
私の家には、毎年夏休みになると大阪・京都・千葉の親戚が海水浴とお墓参りのために大勢集まって来ます。
この時期(8月上旬)もすでに京都と大阪から来た2家族が私の家に泊まっていました。
私はその中の従兄妹たち何人かに「映画に出てみないか?」と出演交渉して本人と親のOKを取り付けていたのです。
みんな関西の子ですからノリが良いですし、この作品が人目に触れる頃には彼らはもう福井にいないので気も楽です。
ちなみに主人公の雅彦という名は主演を頼んだ従弟の名前で、千代という名は彼のお母さん(私からは叔母さん)の名前です。
ストーリーは決まりました。
あと問題はスケジュールです。
クランク・イン=すなわち機材のレンタル開始日は8月16日。
そして出演を頼んだ従兄妹たちが京都へ帰ってしまうのはその3日後の19日です。
つまり、16、17、18日の三日間のうちに子役の出演部分を全て撮影してしまう必要があるわけです。
しかも叔母さんからは「午前中は宿題をやらせるから遊び(撮影)に連れていくのは午後からにしてね。」と釘を刺されていました。
となると、屋外ロケに使える時間は3日分を合わせて15時間程度しかありません。
T君とО君からは「シーン7から15までの「学校の歴史を調査する」シーンはカットしてはどうか?。」と言われました。
確かに私も「前置きが長いかな?」という気もしていましたが、ここは私自身の経験に基づいて書いた部分なので出来ればカットしたくありません。
そこで、その部分の撮影は3日目の最終日に回して「もし時間があれば撮る」ということに決めました。
もう一つ、父親が円周率を例えに使って「この世界には非科学的なものもきっとある。」と語るシーンも長すぎると言われました。
しかし、私はこのセリフに強い思い入れがあったので絶対にカットには応じませんでした。
なぜならば、私自身が自分の好きなSFやオカルトを馬鹿にされるたびに、「科学なんて全然万能じゃない。その証拠に円も球も現実に存在しているのに円周率は割り切れていないじゃないか。」と反論し続けてきたからです。
このささやかな主張だけはどうしても自分の作品に盛り込みたかったのです。
そして、主人公の父親にこのセリフを言わせることで自分の理想の父親像も表現したかったのです。
T君もО君も私の考えを理解してくれたらしく「じゃあこのままでいこう。」と了解してくれました。
こうしてシナリオ決定稿が完成しました。
シナリオと言っても、パソコンはおろかワープロさえ持っていませんから大学ノートに手書きの代物です。
もちろん印刷もコピーも出来ませんから、皆でこの一冊のノートを回し読みしました。
ただし、子役たちのために彼らのセリフだけを別の紙に大きく書き出しておくことにしました。
いわゆる「カンペ」です(笑)。
配役と役割分担も決定しました。
<配役>
■主人公:雅彦・・・従弟の雅彦くん(小学5年生男子)
■高校生になった雅彦・・・私
■父親・・・О君
■母親・・・妹(背中のみ)、声はSさん(アフレコ)
■謎の少女:千代・・・従妹B(小学5年生女子)
■友達A、B、C・・・従兄弟C・D・E(小学4~5年生)
■小学生時代の父・・・従弟F(小学3年生男子)
■主人公(高校生)の友達・・・I君
■通行人・その他・・・M君
<スタッフ>
◆監督・脚本・編集・・・私
◆監督補佐(私が出演する部分の演出)・・・О君
◆撮影・・・T君
◆撮影助手・・・M君
◆タイトルデザイン・・・Sさん
◆衣装・メイク・・・妹
◆運転手・・・父
スタッフ表に最初に話に乗ってくれたI君の名前がありませんが、彼の家は観光地の土産物屋だったため日中は店の手伝いをしなければならず撮影に参加してもらうことは出来ませんでした。
それでもクランクアップの日に1時間ほどだけ出てきてもらい、主人公の友人役で冒頭とラストシーンに出演してもらいました。
撮影(カメラマン)をT君に一任しましたが、実はこの決定に至るまでには彼との間でひと悶着がありました。
私は最初、せっかく手に入れた映画作りのチャンスだから脚本・監督に加えて撮影も自分でやりたいと言い張ったのです。
しかしそれでは一人で全部の工程を背負い込むことになり、すぐに破綻してしまうことは目に見えています。
また、せっかく集まってくれた仲間全員を助手扱いすることになるためチームワークが乱れる可能性もあります。
熱くなってそんなことも分からなくなっていた私にT君はこう言ってくれました。
「落ち着け!。もうお前だけのもの(映画)やないんやぞ。」
【憧れのF1】

いよいよ『学校の怪談』撮影初日!・・・でしたが、残念ながらこの日は朝からずっと雨が降り続いておりました。
しかし、私にはまず最初にやるべきことがありました。
片道1時間以上かけて福井市の電気店に撮影機材を借りに行かなければならないのです。
保護者同伴の必要があるため父の車で連れて行ってもらいました。
この時借りた機材がこちらです。

憧れのソニー:ベータマックスF1!。
これには思わずガッツポーズしてしまいました。
レンタル用機材は数種類あって、実際に借りる機材が何になるかは選べなかったのです。
たぶん私は、この店のレンタル機材の中で一番いい物件を引き当てたのだと思います。

ポータブルビデオデッキはベータ方式のソニー:SL-F1。
父が勝手にシャープのビデオ内蔵テレビを買ってしまったせいで我が家は結果的にVHS使いになりましたが、実は私が一番最初に買おうと決めたビデオデッキはソニーのベータマックス:SL-J10でした。
最初に憧れたベータ方式のビデオを実際にこの手で扱えるということが、なんだかとても嬉しかったです。

流石はベータ方式!。
VHSに比べると全ての動作がとても俊敏で撮影にも編集にもピッタリです。
カウンターが(当時はまだ珍しい)時間表示式だったので、ストップウォッチを使わなくても1カットごとの秒数を測ることが出来て便利でした。
しかし、レンタル機材がベータということで私には少し当てが外れた部分もありました。
VHS方式での撮影であれば、もし編集が遅れたとしてもT君のVHSデッキ(HR-7300)を借りて編集を続けることも可能だと考えていたのです。
しかしベータ方式で撮影となるとその手は使えませんから、何がなんでも機材返却日までに編集を終わらせる必要があります。
私の甘っちょろい考えは木っ端微塵に打ち砕かれました。

カメラは同じソニーのHVC-F1。
大きな電子ビューファインダー付きで、撮影した映像をファインダー内で確認することが可能です。
レンズは6倍ズーム付きでオートアイリス(自動絞り)付き。
しかし、今では当たり前のオートフォーカス(自動ピント調整)はありません。
ピント調整はカメラマンが自分の手で操作する必要があります。

HVC-F1は「トリニコン」という撮像管を使用しているため、取り扱いにはかなり注意が必要でした。
後のCCDやMOS素子などとは違い、撮像管は強い光を受けると焼き付きを起こして使い物にならなくなってしまうのです。
そのため店員さんから「くれぐれもカメラを太陽に向けないでください。もし焼き付きを起こした場合は破損扱いで修理費をいただくことになります。」と念書にサインまでさせられました。

カメラとSL-F1だけでは撮影は出来ません。
バッテリー2本とACアダプターも一緒に借りました。
ACアダプターは室内で撮影するときの電源ユニットですがバッテリー充電器も兼ねています。
あと三脚もレンタルしました。
型番などは覚えていませんが、ソニー純正のものではなくダイワかヘイワの三脚だったと思います。

この時、撮影用と編集用にVHSの120分テープとベータのL-500テープも買って帰りました。
選んだのは当時発売されて間もない富士フィルムのスーパーHGです。
どちらの方式も予備を考えて2本づつ買いましたが、製作にはそれぞれ1本づつで足りました。
余ったベータテープは我が家では使い道がありませんでしたが、私はこの約一年後にベータのデッキも買うことになったためこのテープは無駄にはなりませんでした。
(ベータ機を買う話はいずれまた次の機会に・・・)
【恵みの雨】
本当なら機材を持ち帰ってすぐに撮影を始めたいところでした。
しかし朝から降り続いていた雨は止むどころかますます激しくなる一方です。
T君は窓の外を見ながら「外(の撮影)は無理やな」と妙にサバサバした口調で言いました。
(この時点で学校の歴史を調査するシーンのオミット(削除)が決定しました)
「いっそ雨の日の設定にして撮ってしまおう」とも考えましたが、雨で衣装や機材が濡れてしまっては大変です。
結局、この日撮れるのは主人公が自分の家で親と会話する2つの室内シーンだけでした。
私「あ~あ、ついてねえなあ。」
T「いや、これは恵みの雨や!。俺は夕方までカメラの練習をしていたい。」
私「何か撮れんかな?。時間がもったいないやろ。」
T「いや、練習させてくれ。俺はニュータイプじゃないからな。アムロがいきなりガンダムを動かしたようにはいかんぞ。」
T君はいかにもアニメファンらしい例え方をしましたが確かにその通りです。
私もT君も、ビデオカメラというものに触れるのはこの時が生まれて初めてだったのですから!。
焦って撮影しても、ピンボケだったり色が狂ったおかしな画面になってしまってはなんにもなりません。
私は焦る気持ちを抑えてクランク・インを夜に延期し、この日の午後はカメラ操作の練習と2台のデッキをつないでの編集テストに費やすことにしました。

ピントの合わせ方はすぐ分かりました。
最初に画面の核となる人物や物にズームインしてピントを合わせ、そのうえで画角を決めるという順番です。
絞り(アイリス)については基本オートで、室内で窓をバックにする場合など逆光の時にだけ手動に切り替えます。

難しいのは色温度(ホワイトバランス)でした。
屋外用と2種類(日中と夕方)と室内用2種類(白熱灯と蛍光灯)合計4種類ある光源の違いによってダイヤルを切り替えることになっているのですが、説明書通りに撮影してテレビに映してみても微妙に色のイメージが違うのです。
微調整も一応出来るようになっていますが、撮影現場にテレビを持っていくわけにはいかないので調整の目安が分かりません。
色温度については光源選択だけに割り切って撮影することに決めました。
多少青っぽかったり赤っぽくなってもある程度は仕方ありません。

焦ったのはSL-F1とHR-7650を接続しようとしたときです。
現物に触ってみて初めて分かったことですが、SL-F1本体にはビデオ・音声の出力端子が付いていなかったのです。
これでは2台のデッキを繋ぐことが出来ません

SL-F1の背面には専用チューナーユニット(TT-F1)接続用の専用コネクターしかありませんでした。
ここに別売りの変換ケーブルを繋ぐことで初めてビデオアウトが可能となります。
そして、このレンタル品にそのケーブルは付属していませんでした。
慌ててお店に電話で問い合わせたところ、「レンタル備品としては扱っていません」との冷たい言葉しか返ってきませんでした。
いかに高級タイプの機材といえど編集までやろうという客は想定していないのでしょう。

仕方なく、地元の電気店で専用ケーブルを買う羽目になってしまいました。
モノラル出力専用とステレオ入出力用の2種類がありましたが、買ったのはモノラルのVMC-110Bのほうです。
HR-7650はステレオ音声の入力が可能ですが、編集後にナレーションやBGMや効果音を加えるので片方のチャンネル分だけあれば良いのです(詳細は後述)。
あと、このモノラル音声端子がピンジャックではなくミニジャックだったためその変換プラグも一緒に買う必要がありました。
これで5,000円近い追加出費です。
こうなったら何が何でも映画を完成させて、学校中をあっと驚かせなければ気が済みません。
【クランク・イン!】
その夜、私たちの作品『学校の怪談』はクランク・インを迎えました。
もう引き返すことは出来ません。
夜7時に夕食を終えてすぐにそのまま台所で撮影開始です。
父親役のО君は張り切りすぎて撮影開始の1時間も前に来てしまって、我が家の食事が終わるまで待ってもらう羽目になりました。
T君も夕食を食べに一度帰宅しましたが、彼も開始時間よりかなり前に戻ってきました。

最初の撮影はシーン6:キッチンでの母親との会話シーンです。
私はこの時生まれて初めての「よーい、スタート!」を言ったのですが、かなり緊張して変な声になってしまった気がします。
11歳の従兄弟は演技経験など全く無いはずなのに、表情もセリフも妙に上手くて撮影は順調に進みました。
ただし、京都の子だったのでセリフが関西弁になってしまうことだけは気になりましたが(笑)。
母親役はSさんに断られてしまったため、背中だけ映る代役を立ててあとでSさんにセリフをアフレコしてもらうことにしました。
その母親(の背中)を演じてもらったのは私の妹(当時中学3年生)でした。
シナリオを書いている時から「女の子の役があったら言って。あたし出てあげるから。」と言っていたのを思い出して頼んでみたところ、「ええ~?お母さん役ぅ?。」とか言いながら髪を束ねてエプロンを着けてノリノリで演じてくれました。
中学生の妹と小学生の従弟が演じる母子の会話は傍目から見るとなんだかママゴトのようではありましたが、とにかく最初の撮影は順調に終えることが出来ました。
・・・しかし。
その後の撮影は想定外な出来事の連続でありました!
想定外その1:関西弁家族 in 福井

次は私の部屋に移動してシーン16の父と子の会話シーンです。
父親役はО君に演じてもらいました。
彼は老け顔で毛深かかったので父親役にピッタリでした。
О君はえらく気合が入っていて、セリフを全部覚えてきてくれていました。
ところが、撮影を進めるうちに困ったことになってしまいました。
二人のセリフのイントネーションがどんどん関西弁のイントネーションになっていくではありませんか!。
実はО君は兵庫県出身だったのです。
中学の時福井に引っ越してきたのですが、そのときクラスメートから「吉本みた~い」「なんか面白いこと言え」などとからかわれたものの彼自身は真面目なタイプの人間だったため逆に「つまらない奴」呼ばわりされてしまったそうです。
そのため今まで頑なに関西弁を隠していたのでした。
しかし、今回は従弟の京都弁に引っ張られてそれまで抑えていた関西弁が出てしまったとか。
そして一度スイッチが入ってしまうとなかなか元に戻れないらしく、結局この父子は全編関西弁で喋ることになってしまいました。
想定外その2:恥ずかしい恰好
翌日(17日)はいよいよ屋外ロケ。
私の家から現場(小学校)までは歩いて10分くらいの距離です。
昼食を終えてすぐロケ現場へ向かおうとした時、いきなり問題が発生しました。
千代役の女の子(小学5年生女子)が継ぎはぎだらけの衣装を着たままで外を歩くのをひどく嫌がったのです。
それは妹のお古をお元に終戦直後の服装をイメージして作った服でした。
彼女は「こんな恥ずかしい恰好でおもてを歩くなんて絶対いや。」と今にも泣きださんばかりでした。
かといって年頃の女の子に現場で着替えさせるわけにもいきません。
妹には「お兄ちゃんってほんっとにデリカシーが無いんだから!」と呆れられてしまいました。
そこで、家でヒマそうにしていた父に車で送り迎えしてもらうことになりました。
父は「せっかくの休みなのに」とぶつくさ言いながらも二日間とも送迎係を引き受けてくれました。

小学校に到着した私たちはまず日直の先生を訪ねて撮影許可をもらうことにしました。
今にして思えば正式に撮影許可を申請したところで「学校にお化けが出る話」など許可が下りるとは思えませんが、この時の私たちはそんなことを考える余裕などありませんでした。
校舎にカギはかかっておらず日直室にはすぐたどり着けたのですが、ドアにはカギがかかっていて先生は不在でした。
おそらくお盆明けということでこの日は日直がいないか、あるいはどこかに出かけたと思われます。
でも、そんなことでグズグズしてはいられません。
あと2日で子供たちの登場シーンを全て撮影してしまわなければならないのです。
私は許可を取るのは諦めてそのまま撮影を開始しました。
明け方まで降っていた雨も上がって天気は曇り空。
それは私たちの撮影には好都合でした。
『学校の怪談』というくらいですから、旧校舎にさんさんと太陽の光が当たっているよりも、どんよりとした曇り空のほうがイメージに合うのです。
日なたと日陰でいちいち絞りを操作する手間が省けますし、直射日光をレンズに当ててしまって焼き付けを起こす心配も減ります。
また、普段ならグラウンドで野球の練習をしている子たちや公園代わりに遊びに来る人も多い場所でしたが、前日からの雨のせいでグラウンドにはあちこちに水たまりが出来ていたせいで人の姿は全くありません。
この映画の撮影条件にピッタリでした。
絵作りはみっちり練習を積んだカメラマンのT君に任せました。
私は監督として絵コンテを描いたりファインダーをチェックしたりはましたが、T君とは中学時代からずっと同じものを見てきたせいか特に細かく注文しなくても彼は私が思っていた通りの画を作ってくれました。
また、校舎の全景を撮る時、彼は水浸しのグラウンドが目立たないようローアングルにして膝をついて撮影してくれました。
そのためズボンが泥まみれになってしまいましたが「これくらい別に構わん。」とそのまま撮り続けました。
T君は「俺は他所(よそ)の学校やから」と裏方に徹していましたが、それでも彼は私の一番の相棒でした。
教室の外では通りかかった雅彦が校舎内の少女に気付いて立ち止まるところから始まり、続いて彼の顔アップで「誰かいるの?」などといったセリフを撮影。
さらに学校から全速力で逃げ出してくるシーンや、翌日父親と一緒に校舎を調べに来るシーンなど、旧校舎の屋外シーンは順調に撮り終えました。
そしてこの日の出番を終えた(千代役の)従妹を父の車で送ってもらい、私たちは駅へ向かう途中の道路で友達3人と「学校に幽霊が出た」という噂話をするシーンも撮影しました。
想定外その3:バッテリー切れ

想定外だったのは借りたバッテリーがあまり長持ちしないことでした。
棒状のバッテリー(NP-1)一本でカメラとビデオデッキ両方を動かすためか、20分程度ですぐにバッテリー切れになってしまうのです。
そこで、現場から一番家が近いM君が大活躍してくれました。

2本のバッテリーのうち片方を撮影で使い、もう片方はM君の家に置いた充電器(ACアダプター)で充電しておき、現場でバッテリーが切れそうになったらM君が家へ交換しに走ってもらいます。
このM君の頑張りのおかげで、初めての屋外撮影をなんとか乗り切ることが出来ました。
想定外その4:ゲリラ撮影

夕方からは駅前で主人公と父親が待ち合わせするシーンの撮影です。
私はこの場面を1カットで撮ることにこだわっていました。
画面は駅全景のフィックスで、待っている雅彦(従弟)のところに電車か降りてきた父親(О君)が奥から近づいてきて「じゃあ行こうか」と画面下手にフレームアウトする、ただそれだけのはずでした。
ところが、何度やってもカメラマンのT君がOKを出してくれません。
T「・・・あかん、もう一回!。」
私「おいT、なんでや?。今のはセリフも動きも完璧やったはずやぞ。」
T「いや、どうしてもあかんのや。」
私「どこが?。」
T「周りの人がみんな、カメラをジロジロ見たり顔を隠して逃げて行ったりしてめっちゃ不自然なんや!。」
ファインダーで映像チェックしてみると、確かに背後に写っている一般の人たちがもの珍しそうに演者やカメラを見つめています。
そして、レンズが自分のほうに向いたとたんあわてて顔を隠して逃げ去ってしまうのです。
T君が言う通りこれでは確かにリアリティもへったくれもありません。
やむを得ず父子の会話シーンは背後に一般客が写らない向きで撮影し、それと駅の全景と組み合わせて構成することに変更・・・いや、妥協しました。
想定外その5:最悪の事態
翌18日、撮影三日目。
この日のうちに子供たちの登場シーンを全部取り終えてしまえればあとは出来たも同然です(この時はそう思っていました)。
しかし・・・。
この日、私たちの映画制作にとって致命的となるアクシデントに見舞われることになりました。
いや・・・、アクシデントではありません。
これは私が通すべき筋をちゃんと通しておけば避けられたはずの事態でした。

撮影は教室内です。
建物にカギは掛かっておらず出入りは自由に出来ました。
また、前日は日直の先生が不在だったこともあって私たちはすぐに撮影を開始しました。
雅彦が千代と一緒に鉛筆を探すシーンと小学生時代の父が千代の鉛筆を隠すシーン、そして大人になった父親が千代に謝罪するシーンまでは無事に撮り終えました。
残るは千代がこの現象の正体を話すシーンだけ。
しかし、彼女の長セリフがネックになって何度も何度もNGになってしまったのです。
・・・その時です。
あの事件が起きたのは!。
7テイクか8テイク目を撮影中に窓の外から大きな怒鳴り声が聞こえてきたのです。
「こら! お前ら誰に許可もらって撮影しとんのじゃ!」
声のほうを見ると、窓の外からTシャツにトレパン姿の男性が怒鳴りながらこちらに向かって走って来るではありませんか。
その人は日直の教師でした。
たまたま、バッテリーを持って校舎に駆け込んでくるM君の姿を目撃して私たちの存在に気付いたのだそうです。
私は「昨日許可をもらおうと日直室に行きましたけどお留守だったので・・・」と弁解しましたがこの日はそれさえもしていません。
前日は日直がいなかったことからこの日は到着してすぐに撮影を始めていたのです。
(今では考えられないことですが)校門にも校舎にも鍵などかかっていませんでしたし、グラウンドや校舎内に勝手に入って遊んでいる人も何人かいました。
それに、私とM君にしてみれば自分の母校なわけですから別に構わないだろうと思っていたのです。
今思えば、この時の私は現在の無作法なユーチューバーと同じ事をしていたのですね。
「映画を作りたい」という思いが先走ってそれ以前のもっと大事なことを忘れてしまっていました。
私は代表者として学校名と自分の名前と高校名を明かし、О君、M君、そしてT君も自分の名を名乗りました。
ただし、子役たちは他県から来た親戚の子ということで特にお咎め無しでした。
この教師は私たちが高校生と知ってかなり驚いていた様子でした。
特にО君は(父親役のため)ワイシャツにネクタイといういで立ちだったため、どこかのTV局スタッフが勝手に校舎に入り込んで生徒たちを撮影していると勘違いしたようです。
(まあ、無許可で撮影していたのは確かですが)
私たちは平謝りに謝ってすぐに現場から立ち去りました。
途中で終わってしまった千代の説明シーンは帰ってからセリフだけを録音し、NGテイクの映像にはめ込んで編集で誤魔化すことにしました。
また、シーン17の回想シーンは結局1カットも撮れず、連れてきた従弟Fの出番は無くなってしまいました。
【クランクアップ!】
翌日(19日)、従兄妹たちは「来年、映画見せてな~」と笑顔で手を振りながら京都へと帰って行きました。
家の中が一気に寂しくなりましたが私には感傷に浸っている余裕などありません。
残る撮影は冒頭とラストの高校生パートです。
これは午前中で全て撮りきることが出来ました。
高校生になった主人公:雅彦の役は私が演じました。
そしてこの部分の演出はО君に任せました。
また、家業の手伝いでほとんど参加出来なかったI君にも友人役で出演してもらいました。
あとはアフレコ用のセリフとSさんが描いてくれたタイトルやクレジットのイラストを撮影してクランクアップ!。
お菓子とジュースでささやかな打ち上げ会をして、それをテープの余った部分に皆で撮影し合ったのがとても楽しかったです。
翌日(20日)はビデオカメラ・三脚・バッテリーの返却日です。
本当なら私自身が福井市の電気店まで返しに行くべきところでしたが、父が「俺が仕事のついでに返してきてやる」と言ってくれたおかげで丸一日編集作業に費やすことが出来ました。
監督の私。
カメラマンのT君。
一部の演出を任せたО君。
そして特に役割は無いけれど「映画作るのっておもしれえ。」と顔を出してきたM君。
この4人が私の家に集まって編集作業に取り掛かりました。
【編集の工夫あれこれ】

買ってきた専用ケーブルでSL-F1と私のHR-7650を接続。
映像は黄色いプラグの75Ω同軸ケーブルを、音声はHR-7650の左チャンネルのみに繋ぎます。

どうして左チャンネルだけに音声を入れるのか?。

それは空いた右チャンネルに後からナレーションやBGMや効果音などをアフレコ機能で付け足すことが出来るからです。
これはT君のアイデアでした。
以前私のHR-7650で録画した洋画のビデオをT君に貸した時、彼の家のHR-7300(モノラル)では吹替えの日本語と英語が同時に聞こえてしまったことがあったのです。
ということは、HR-7650でLチャンネルとRチャンネルに別々の音を入れてそれをモノラルで再生すれば2チャンネル分の音声が混じって聞こえることになります(簡易ミキシング)。
【編集は一日にして成らず】

ビデオデッキ2台を使っての編集と言っても、基本的にはダビング作業です。
受け側のHR-7650(以下、レコーダー)に新しいテープを入れて録画一時停止状態で待機。
レンタルのポータブルデッキ(以下、プレーヤー)で撮影テープを再生して「ここだ!」というポイントでレコーダーのポーズ(一時停止)ボタンを解除、必要分ダビングし終えたら再びRECポーズにして次のカットへ・・・。
ひたすらこの繰り返しです。
気をつけなけばならないのは、繋ぐ順番を間違えたり必要なカットを飛ばしたりしないことです。
なにせビデオテープに頭から順番に繋いでいくわけですから、うっかり途中のカットを入れ忘れたりすると間違えた個所から全部やり直しになってしまいます。
根気よく、慎重に、1カット1カット確かめながら編集を進めるしかありません。
私は「編集なんか2日もあれば出来るだろう」と軽く見ておりましたが、それはとんでもない間違いでした。
やればやるほど私はその奥の深さを思い知りました。
例えば、登場人物がセリフを言い始めるまでの間合いを何秒・・・いや何コマ空けるかによって、テンポや見易さ、場合によってはセリフの意味さえ変化してしまうのです。
私はこの時、映画の出来を左右するのは撮影ではなく脚本と編集であるということを身をもって学んだのでした。
残念だったのはカットの繋ぎ目に必ず現れる虹状のノイズでした。

HR-7650には「AEF機構」なる機能が装備されていて、そのおかげで確かに繋ぎ録り部分で画面が乱れることはありません。
しかし、そのつなぎ目にはどいうしても数秒間だけ虹状のノイズ(レインボーノイズ)が出てしまうのです。
これは映像を上書きした部分に元の信号が消えずに残ってしまうため起こる現象です。
繋ぎ録り部分だけならまだ数秒で済みますが、これがインサートカットだともうダメでインサートした部分すべてがノイズまみれになってしまいます。
'80年台後半のソニー:SL-HF3000(βPRO)やビクター:HR-S10000(CLIAZ)といった高級機でようやく一コマ単位で前の映像信号を消去していくフライング・イレース・ヘッドが搭載されますが、この頃の家庭用ビデオデッキにはまだそんな便利なものはありません。
結局、編集ポイントごとにモヤモヤとした色ノイズが出るという、少々見苦しい映像になってしまったのが残念です。
あと、教室で建物の精霊である少女が「すう~っ」と消えるシーンも、家庭用ビデオでの編集では実現不可能でした。
カメラ位置を一切動かさない同ポジ撮影をしておいたのですが、カット編集しか出来ないため少女が「ぱっ」と手品のように消えてしまうのです。
これはVTR2台での編集ではどう頑張っても無理だと分かりました。
そこで雅彦がよそ見してしまってNGになったテイクを利用して、彼が目を逸らした一瞬の間に少女が消えているという風に編集で誤魔化しました。
あとで「コトン」という物音と神秘的なBGMを挿入してみるとちゃんと雅彦少年が何かに気をとられたように見えて、あれはあれで上手くいったのではないかと思っています。
SL-F1返却期限の前日には、T君もО君も私の家に泊まり込んで完全徹夜でした。
この映画作りに誘ってみるまで(クラスメートでありながら)一度も喋ったことの無かったО君がここまで真剣に手伝ってくれるとは思っていませんでした。
また、中学時代からの親友とはいえ他の高校の生徒であるT君がここまで親身になってくれたことも嬉しかったです。
本編の編集が終わり、最後にSさんが描いてくれた10枚のイラスト(タイトルとクレジット)を繋いでいきました。
それはこの映画のあらすじを小学生の絵日記風のイラストの連作で表現したものになっていました。
Sさんは撮影現場に一度も参加していないのにこれにはかなり驚きました。
さすがは美術部副部長だけのことはあります。
今はもうその絵を見られないのが本当に残念です。

最後にBGMを入れて完成です。
曲は喜多郎のLP「氣」から選びました。
エンディングは確か一番最初の曲「知」だったと思います。
あと精霊の少女(千代)が登場するシーンには常にうっすらと曲を流しておきました。
彼女が登場する部分には非現実性を与えたかったのです。
それらの楽曲は・・・もちろん、無断借用でありました(笑)。
こうして、ビデオ映画『学校の怪談』はどうにかこうにか完成にこぎつけました。
機材もお店の閉店時間ギリギリに返却しました。
あとは文化祭に美術室の片隅で上映してもらうだけ・・・のはずでした。
【今すぐ校長室へ来い!】

新学期最初の登校日。
この日は授業は無く、全校集会と宿題の回収だけで終わりです。
それら行事が終わってとっとと帰ろうとしていた矢先、学校中のスピーカーから風紀の先生の怒声が鳴り響きました。
「3年■組のK(私)、M、О、お前ら今すぐ校長室へ来い!。」
「来なさい」ではなく「来い!」です。
その剣幕はただごとではありません。
M「何やろ?。お前んちで見たエ●ビデオのことかな?。」
私「いや、それはないやろ。」
О「やっぱ、あれかな?。」
私「あれやな。」
そう、私には思い当たるふしがありました。
小学校への無断侵入です。
案の定、校長室には勝手に入り込んで撮影した小学校の校長先生とあの時の教師が来ていました。
新学期初日になってあの教師から校長に報告が上がり、さらに今になって私たちの高校に連絡が来たらしいのです。
「君たちは軽い気持ちでやったのかも知れないが、あれは不法侵入というれっきとした犯罪なんだよ。」
「最近は小さい女の子にいたずらしようとする変な奴が増えてきているからね。」
「ひと言校舎に入らせて下さいと言ってくれていれば・・・」
と、向こうの校長先生は穏やかな口調ながらも私たち3人をきっちり犯罪者扱いしておりました。
そしてあの熱血教師が思い出したように言いました。
「お前ら、もう一人いたはずやろ?。あいつはどうした?。」
T君のことです。
彼はこの学校の生徒ではありませんから今ここにいなくて当たり前です。
その時、私はとっさに「ああ、彼も京都から来ていた僕の従兄弟です。出演してくれた子の兄貴です。」「従兄弟たちは無許可で撮影していたことは知りませんから無関係です。」と嘘をついておりました。
するとM君もО君もうまく口裏を合わせてくれてT君の正体を隠し通しました。
後で2人に聞いてみたところ「どうして嘘をついてまでT君を庇ったのか自分でも分からない」と言っていました。
もしかすると、夏休みの間中一緒に映画作りに携わったことによる仲間意識がそうさせたのかも知れません。
あちらの校長先生は「知らずにやってしまったみたいですから今回は穏便に済ませましょう。」と言って帰って行きました。
そのあと親を呼び出されて散々大目玉を喰いましたが、なぜか停学などの重い罰則を受けることはありませんでした。
I君が言うには「それは多分Оのおかげや。あいつは学年でトップクラスの成績やからな。もしお前とMを停学にしたらОも一緒に停学にせなあかんようになる。学校もそれはしとうないんやろ。」
【幻の処女作】
高校生活最後の夏休みを費やして完成させた『学校の怪談』ですが、結局文化祭で上映されることはありませんでした。
Sさんは「自分の絵が使われているのだから美術部の作品の一つとして文化祭で上映させて欲しい」と何度も顧問の先生に頼んでくれましたが、制作中にこんな問題を起こした作品を相手にしてはくれませんでした。
私は、私自身の軽率な判断のせいでせっかく完成させた処女作をお蔵入りにさせてしまいました。
いや、それだけではありません。
力を貸してくれた5人の仲間と従兄妹たちや妹の協力も全て無駄にしてしまったのです。
これは、今でも夢に見るほど悔しくて情けない思い出です。
【糧として】
しかし、拙いながらも一つの作品を最後まで作りきったあの経験は決して無駄ではありませんでした。
高校ではお蔵入りになったものの、大学に入って同級生や先輩に見せたことで私の学生生活は大きく変わった気がします。

ちなみに私が進学したのは映画・映像を学ぶ学部です。
作品を見て編集のタイミングの取り方を褒めてくれた先輩が自分の自主映画のスタッフに誘ってくれました。
また別の先輩からは「自分の作品に重要な役で出演してほしい」と頼まれたこともありました。
初の作品作りの経験は、今でも私の血肉となって役立ち続けています。
仲間が出してくれたアイデアを無駄にしないこと。
作品完成に向けてスケジュールを逆算して決めたこと。
編集時にタイミングの取り方を何度も研究したこと。
どれもこれも、現在の仕事にどれだけ役立っているか計り知れません。
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2000年頃。
私はパソコン上で動画編集するためのノンリニア編集システム「DVRaptor」を購入しました。
この時、ふと思いついたのです。
「高校時代に家庭用VHSビデオでガチャガチャと編集した自作『学校の怪談』をこれできちんと編集し直したい」
ノンリニアならば、当時出来なかったフレーム単位のタイミングで編集することも、「同ポジ撮影で少女がすうっと消える」ディゾルブ(オーバーラップ)効果も、マルチトラック音声できめ細かに効果音や音楽を付けることも全て思いのままです。
もちろんその時はもうβのデッキを持っていませんでしたが、ネットオークションなどで中古のEDベータ機(TBC付き)を探せばいいのです。
「思い立ったが吉日」(私の座右の銘の一つ)、私は早速、ビデオテープをぎっしり詰め込んだ段ボール箱を開きました。
・・・が!。

なんと!。
大切に保管していたはずの思い出深いビデオテープの数々が、全部カビが生えて再生不能状態になってしまっておりました。
初めてビデオ録画した水曜ロードショー版『ルパン三世カリオストロの城』。
今では貴重ともいえる松崎しげるがハン・ソロ役を吹き替えた日本テレビ版『スター・ウォーズ』。
VHSテープ2本に分けて録画した『2001年宇宙の旅』。
そして、大切な思い出が詰まった『学校の怪談』撮影・編集テープも例外ではありませんでした。
TVを録画したものなら諦めはつきます。
でも、高校時代の自分と仲間たちが映っている思い出のテープだけは・・・。
私はこの時、ビデオテープの箱の前でポロポロ泣きました。
【仲間たちのその後】
映画よりもえっちなビデオに興味津々で、私たちが編集してる合間にそっち系のビデオばかり見ていたM君。
彼は高校を卒業してすぐ家業の木工所で働き始めました。
そして20歳を過ぎてすぐに結婚。
今では5人の孫がいるお爺ちゃんです。
Sさんとは卒業後一度も会っていませんが、伝え聞いた話だと短大卒業後すぐに結婚して子供にも恵まれたそうです。
彼女も今は「お婆ちゃん」と呼ばれているのでしょうか?。
見かけによらず成績優秀だったО君は関西の某有名私立大学に進学し、その後生まれ故郷の兵庫県の銀行に就職しました。
当時は私も関西の大学に行っていたので、向こうで何度か会って高校時代の映画作りの話で盛り上がりました。
彼の結婚披露宴にも参加しましたしその後子供が出来たとも聞きました。
しかし1995年、あの阪神淡路大震災の影響で彼が勤めるH銀行は経営破綻してしまい、その後О君とはぷっつり連絡が途絶えてしまいました。
今どこでどうしているのか全く分かりません。
I君は20年ほど前仕事中の事故のため他界しました。
彼はО君が映画好きであることを見抜いたり、SさんやT君に声をかけてくれたりして、メンバー同士をつなぐプロデューサーのような存在だったと思います。
もしI君がいなかったら・・・私は何も出来ないまま高3の夏休みを無為に過ごしていたかも知れません。
I君・・・いや、石橋君、本当にありがとう。
そして中学以来の悪友にして親友であるT君。
彼は現在東京で建築関係の仕事に就いています。
福井の実家はお父さんが亡くなった時に引き払って今は千葉に住んでいるため彼と直接会う機会は滅多にありません。
それでも正月には電話で中学・高校時代の思い出話や『スター・ウォーズ』新作や私がエキストラで参加した『シン・ゴジラ』の話で盛り上がったりしてました。
そんな時必ず出るのがこの映画作りの話です。
そして最後はいつもこう言って別れるのです。
「また一緒に映画でも作りたいな!」と。
長い長い私の思い出話にお付き合いいただきありがとうございました。
次の「私のオーディオ・ビデオ遍歴」はこんな長い話にはしませんのでどうかご安心ください(笑)。