京都が熱い! ~新・京都みなみ会館で昔のセルアニメを堪能してきました~
去る12月9日(月曜日)。
私は2本のアニメ映画を観るため(だけ)に京都へ行って参りました。

場所は京都みなみ会館。
私は先月初旬にもここで開催された『ゴジラ復活祭2019』オールナイトに参加してきたばかりです。
嫁の「また行くの?」という呆れたような言葉と生温かい視線の見送りを受けてはるばる福井からやって参りました(笑)。
この日の京都は御覧のとおり雲一つない晴天に恵まれました。
4時間以上も暗い映画館で過ごすのが惜しい気さえします(笑)。

前2回(8月『シン・ゴジラ』と11月『ゴジラ誕生祭』)の時とは違い館内ロビーはやや閑散とした印象でした。
しかし、私が通常営業時の京都みなみ会館に来たのは今回が初めてだったというだけで平素はこれが普通なのでしょう。
8月末に来た時は再オープンから一週間ほどだったためロビーのあちこちに花輪が飾られていましたし、前回来たのは満員御礼状態のオールナイト・イベント上映会でしたからここは人・人・人でごった返していたのです。

この日観てきたのは安彦良和監督作品『ヴィナス戦記』('89)と

同じく安彦監督の劇場版『クラッシャー・ジョウ』('83)。

この前々日の土曜日には『ヴィナス戦記』のスー役と『クラッシャージョウ』のアルフィン役の声優さんが来館してのトークショー&サイン会が行われていました。
当初はこの日に行く予定だったのですが、この土日はどうしても断れない仕事が入ってきたため断念せざるを得ませんでした。

さらに、前日までの土日は「超大怪獣大特撮大全集R」『白夫人の妖恋』&『怪談雪女郎』を上映しておりました。
もし予定通り土曜日に行けていたなら、『ヴィナス戦記』『クラッシャージョウ』『白夫人の妖恋』『怪談雪女郎』の4本立てに加えて声優さんのトークショーまで楽しめたことになります。
『白夫人の妖恋』に関しては、先日お亡くなりになられた八千草薫さんの追悼を兼ねて見たかったのですがね。
・・・と思っていたら、7日(土曜)の「超大怪獣大特撮大全集R」にはいつも懇意にさせていただいているしろくろshowさんが参加してこられたとのことです。
ということは・・・?。
もし私も土曜日に行っていたら、しろくろshowさんとリアル対面出来ていたことになります。
重ね重ね残念です。
『ヴィナス戦記』も『クラッシャー・ジョウ』も、私は公開時に映画館で観ています。

『クラッシャージョウ』は当時の自分の心境にシンクロする部分が多々あって今でも好きなアニメ映画です。
公開されたのがちょうど大学進学の時期と重なっていたこともあり、地元の福井と進学先の大阪の劇場とで2回観ました。
あと、LDもDVDも買って数年に一度見返していましたし、ブルーレイも発売と同時に買って持っています。

しかし、『ヴィナス戦記』のほうはというと、大人に対して無闇矢鱈に突っかかってばかりいる主人公の青臭さが鼻についてずっとイライラしながら見てました。
LDが発売されても買おうとは思わずDVDも未発売のままだったため、とうとう30年間一度も見返すことが無かった作品です。
名アニメーターである安彦良和さんの監督作品らしい手描きアニメーションによるダイナミックなアクションシーンが見どころでしたがそれすらほとんど記憶にありません。
では、それほど好きでもなかった『ヴィナス戦記』にせよ、家でいつでも見られる『クラッシャージョウ』にせよ、どうしてわざわざ京都まで足を延ばしてまで映画館で見ようと考えたのか?。
『クラッシャージョウ』を36年ぶりに映画館で見るついでに『ヴィナス戦記』も・・・というのがそもそものキッカケでしたが、実はもう一つ理由がありました。

それは新・京都みなみ会館の優れた音響設備です。
この劇場で見慣れた『クラッシャー・ジョウ』(4chステレオ)と、以前はさほど面白いと思えなかった『ヴィナス戦記』(ドルビーサラウンド)を改めて見てみたかったのであります。

『ヴィナス戦記』も『クラッシャージョウ』もチケットは座席指定制でした。
今回私が購入した席は両方ともC-8です。

C-8は前方3列目のちょうど真ん中の席です。
8月に初めてここに来た時もこの席に陣取って『シン・ゴジラ』を観たのですが、その時聞いたゴジラの咆哮がエキスポシティのIMAX劇場に次ぐほどの大迫力でした。
迫力の面だけでなく、俳優さんたちの早口なセリフも非常に聴き取りやすく「聴きとろう」と意識を集中する必要もないまま自然に言葉が耳に入ってきました。
もちろん、効果音やBGMにセリフが埋もれてしまうこともありません。
それは11月の『ゴジラ誕生祭』でも同様で、古いフィルム作品でしかもななめ後方(入口近く)の席だったにも関わらず全部のセリフをしっかり聴き取れました。
旧来の設備を改造しただけの映画館や凡百のシネコンだとセリフが明瞭でないことも多く、最悪の場合ストーリーの理解を阻害することさえあるのですが新京都みなみ会館スクリーン1ではその心配は無さそうです。
これまでは余程の設備を備えた劇場でない限り「音響に限ってはウチのホームシアターの方がよっぽど良い」と思っていたくらいでしたが、久しぶりに音響設備に感心する映画館に出会えた気がします。
昔から好きな作品である『クラッシャージョウ』をこの場所で改めて楽しみたかったのはもちろんですが、主人公の声を担当したジャニーズタレントのあまりの活舌の悪さと棒読みぶりにゲンナリした『ヴィナス戦記』も信頼出来る音響設備を備えた新・京都みなみ会館で見ることで大きく印象が変わるのではないかと思ったのであります。

14時40分、『ヴィナス戦記』開場。
観客は私を入れて10人くらいではなかったかと思います。
(前寄りの席なので人数はちゃんと確認出来ていません)

思った通り、新京都みなみ会館の真新しい設備で見るアニメ映画は格段の見易さ&聴き易さでした。
上映素材はフィルムではなく、おそらくブルーレイ用に作成されたHDデータだと思われます。
今では懐かしいセル画の色合いと質感が感じられて、アニメ映画に夢中になった中高生時代を思い出させてくれました。
あと安彦監督作品に多い背景動画(カメラ移動全体をアニメーションで描く)も随所にあって、カッチリとしたCG映像にはない手描きアニメーションのブレとかガタツキがそのまま映像の味になっています。
音についても同様です。
一輪バイクの爆音、土を蹴るタイヤ、戦車の砲撃、そして爆発。
どれもアタックの強い音ですが、それらがセリフの邪魔をすることは決してありません。
当時、声の出と活舌が悪くなってきていたガリィ役の納谷悟朗さんのセリフもしっかり聴き取れました。
実は30年前に映画館(たぶん梅田松竹だったと思います)で見たときには、クレーンと共に落下しながらヒロに叫ぶガリィの最期のセリフがよく聴き取れなかったのです。

しかし、いかに音響設備が良くても下手糞な演技が上手くなることはありませんでした(笑)。
やはりヒロのセリフはとても目の前にいる相手に対して発しているようには聞こえません。
何かブツブツ独り言で不満不平を言い続ける根暗野郎にしか見えず主人公だというのにどうにも不愉快なのです。

見ているうちに気が付いたのですが、ヒロってこの2年後に公開される『機動戦士ガンダムF91』のシーブックとそっくり(ていうか髪の色以外全く同じ)なのですよ。
見た目だけでなく「植民地に住む普通の少年がある日突然戦争に巻き込まれて軍の新兵器に乗って戦いに参加する」というストーリーも似てますし、ついでに言えば最後にガールフレンドと再会して終わるところも同じです。
でもシーブックはヒロのような周囲に対して心の壁を作るタイプではなかったし、周囲には両親(父親は死んだけど)も仲間も先輩たちもいて若い感情をこじらせるようなことはありませんでした。
『機動戦士ガンダムF91』は富野由悠季監督による『ヴィナス戦記』へのアンチテーゼだったのか?。
あるいは『F91』のストーリーラインに『ヴィナス』に似たものを感じ取った安彦さんが主人公のデザインをヒロに似せたのか?。
今のところ、お二人からその件についてのコメントは出ていないと思うのですがどうなんでしょ?。

続いて16時45分から『クラッシャージョウ』の入場開始です。
(入り際に急いで撮ったため写真がピンボケです、お恥ずかしい・・・)

こちらも座席はC-8。
私にとってこの劇場で最も快適に映画を楽しめる席です。

上映に使われたのは『ヴィナス戦記』と同様ブルーレイ用デジタルリマスターデータのようです。
私が現在所有しいるブルーレイのアスペクトは4:3のものですが・・・

今回の上映はその上下をトリミングした「なんちゃってビスタ(笑)」でした。
本来のビスタビジョンは35ミリフィルムを横方向に使って画面有効面積を大きく取って高画質化した規格ですが、『クラッシャージョウ』の場合は当時のTV画面と同じ4:3アスペクトで作っておいて劇場上映時にビスタ化するというものです。
後でビデオ化するときも元のサイズで収録すればいいだけですし、なんと言っても制作にコストがかからないことから「貧乏ビスタ」とも呼ばれます。
実際、ビデオカセット・LD・VHD(笑)・DVDに収録されていたのは全て天地が多めに空いている4:3映像でした。
ただしブルーレイに関しては、4:3のみ収録の通常盤以外に上下をトリミングしたビスタサイズ版も収録した「限定版」も発売されています。
私が買ったのは通常盤ですが、ホームシアターで再生するときはプロジェクターのマスキング機能を使ってビスタ化して観ております。

公開以来36年間、私が劇場版『クラッシャージョウ』の中に見続けてきたもの。
それは父と息子の決して慣れあうことのない関係性でした。

宇宙海賊の罠に嵌められたジョウは、クラッシャー稼業の先駆者である父親のダンにそのことを咎められ強い反感を露にします。
その姿はまさしく高校時代の私そのものでした。
私の父(故人)はかなり独善的な人で、自分が家族のために良かれと思ってしたことを私たちが喜ばなかったり批判されたりするといきなり逆上して怒り出すような人でした。
また、父親であり尚且つ家長である自分は常に息子(私)より上に立つ存在だと考えていたようで、どんなにつまらない事でも常に自分が優位でなければ気が済まない人でもありました。
父は高校時代に『七人の侍』と『ゴジラ(初代)』を観ていて、チャンピオンまつり版ゴジラに夢中になっていた私に「お前が今見てるのは本物のゴジラじゃない」と小馬鹿にされたことがあります。
自分が好きなものを「そんなもの」と侮辱されることはたとえ子供であっても耐え難い屈辱です。
あと、私が父に反感を持っていたのにはもう一つ理由があります。
実は私の本名は、父の名前に一時付け足しただけのものなのです。
それはつまり「●●(父の名)ジュニア」みたいなものです。
小6のときそのことに気づいてしまった私は、一時期父とほとんど口を利かなくなったこともありました。
『クラッシャージョウ』が公開された'83年当時の私は高校を卒業して大学進学(と都会での一人暮らし)を決めたばかりの多感な18歳でしたから、当時の自分の気分をはっきり言葉で表現してくれたこのアニメ映画を好きになったのです。

しかし今の私は、父が決して私を見下していたのではないことを知っています。
確かに我儘で子供っぽいところも多々ある人でしたが、高校卒業時に最後の親子ゲンカをしてからは私の行動を尊重してくれていた気がします。
現に父は県外の大学に行きたいという私の希望を許してくれて4年間は仕送りもしてくれましたし、卒業後も長男でありながら大阪で仕事に就いて実家に帰ろうとしない私に一度も文句を言うこともありませんでした。
(母には何度も「帰ってこい」と言われましたが・・・)
私が福井へUターンすると決めたのは、検査で父に肺癌が見つかったときでした。
結果的には手術で助かりましたが、この時初めて父に「帰ってくる気はないか?」と言われたのです。
父はその後10年ほど元気でいてくれましたが、今から8年前の夏、再び肺の病気にかかって世を去りました。

映画は、ジョウが厳しさの裏にあるダンの親心に気付くところで終わります。
父親に反発する青臭いジョウと成長して親の心を垣間見たジョウ。
そのどちらもが当時の私を惹き付けていたのです。

そして『クラッシャージョウ』を見終えたとき、どうして今まで『ヴィナス戦記』の主人公:ヒロにイライラしてしまうのかその理由が分かった気がしました。
ヒロもジョウと同じく大人の欺瞞や理不尽な仕打ちに真正面から反抗しようとする青臭い男の子です。
しかしヒロとジョウには大きな違いがありました。
ジョウの周りにはダンやタロスといった彼の成長を見守り影ながら導く大人たちがいましたが、ヒロにはそんな存在がいません。
強いて言えばガリィがその役割を担っていたのですが、残念ながら公開当時の私にはガリィがヒロに投げかけた最後の言葉を聴き取れなかったのです。
そのため映画『ヴィナス戦記』は「少年の成長物語」として帰結することのないまま終わってしまったのです。

今回この2作品を続けて(それも制作年順ではなく主人公の青臭い順に)観たことで、『ヴィナス戦記』に対して感じていたモヤモヤの一部が晴れた気がしました。
とはいえ、主演のジャニーズの下手糞な声の演技や中途半端な実写合成への違和感は何も変わりませんが(笑)。
最後に余談ですが・・・
安彦さんは『ガンダム』40周年や『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』アニメ化に伴い、最近表舞台に出てくることが多くなりました。

実はこの現在の安彦さんのお姿が私の父の晩年の頃ととてもよく似ているのですよ。
この写真を見た時、妹も「病気になる前のお父さんにそっくり!」と驚いていました。
私が『クラッシャージョウ』と『ヴィナス戦記』の主人公の中に中高生時代の自分と同じ鬱陶しいほどの青臭さを感じ取ったのは決して偶然ではない気がしてきました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。