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映画と日常

週刊映画鑑賞記(2020.2/3~2020.2/9)

トガジンです。
毎週日曜日は、この一週間に観た映像作品について日記代わりに書き留めております。
といっても、今週見たのは白黒のTVドラマ3本だけでしたが・・・。



2/3(月)
TVドラマ版『男はつらいよ』第1回と最終回🈠
(自室32インチ液晶テレビ:BSフジ録画)
TVドラマ版『男はつらいよ』
先週土曜日(2/1)に観てきた『男はつらいよ お帰り寅さん』が思いのほか良かったため、4年前に録画したまままだ見ていなかったテレビドラマ版『男はつらいよ』を見てみることにしました。

ドラマ版『男はつらいよ』タイトル
映像が現存しているのは全26話のうち第一話と最終回の2本だけで、おそらくVTR再生映像をフィルムカメラで撮影保存したキネレコ方式だと思います。
(昔は2インチのビデオテープをそのまま保存するより再生したブラウン管をフィルムで撮影して保存するほうが安かったのです)
そのキネレコフィルムを再びビデオ化したものを放送していたようですが、現在の基準だと間違いなく「放送事故」に認定されそうなノイズが発生します。

ドラマ版『男はつらいよ』画面乱れ
途中で何度か激しく映像が乱れるのですが、それが昔のアナログビデオ(VHSやベータ)のテープに傷がついた時のような乱れ方なのです。
だから不快というよりむしろ懐かしさを感じてしまいました(笑)。
多少画面が乱れようとも、日本映画史の重要な映像資料ですからこうして残っているだけで良しとすべきです。

ドラマ版『男はつらいよ』再会
ドラマ版のさくら役は長山藍子さん。
長山さんのさくらは丸の内で働くバリバリのОLさん。
映画版の倍賞千恵子さんよりも気が強い印象で、寅次郎との再会の時も「電車で会った変な人」とまるで痴漢でも見るような目で見てました。

ドラマ版『男はつらいよ』最終回の兄妹
しかし、第一話ではフーテンの兄に対して嫌悪感を抱いていたさくらも、最終回では寅さんのテキ屋の口上を真似するほどに打ち解けていました。
2話から25話までの間24本でどんな展開があったのかは分かりませんが、やはり映画のように寅さんが出しゃばったり邪魔したり、あるいは意図せず助け船を出したりしてたのでしょうね。

ドラマ版『男はつらいよ』初代おいちゃん
おいちゃん役は映画版(8作目まで)と同じ森川信さん。
残念ながら9作目を前に他界されてしまいましたが、私はこの人がおいちゃん役だった頃の『男はつらいよ』が良かったと思っています。
コメディ演技で渥美清さんと対等に渡り合えたのはこの人だけでした。

ドラマ版『男はつらいよ』ドラマ版のひろし
さくらの夫は映画版とは字が違うものの同じ読みで博士(ひろし)。
演じたのは井川比佐志さん。
職業は印刷技師ではなくお医者さんで、映画化によって最も大きく役回りが変化した人物です。

ドラマ版のレギュラー俳優は、後に第5作『望郷篇』で全員(別の役で)再登場を果たしています。
長山藍子さんはマドンナの豆腐屋の娘で、おばちゃん役だった杉山とく子さんはその母親。
そしてマドンナの恋人であり寅さんの恋のライバルとなるのが井川比佐志さん。
山田洋二監督はこの5作目で『男はつらいよ』映画版シリーズを終わりにするつもりだったものの、あまりの好評ぶりにシリーズ続行が決定してその結果48作まで続くことになりました。

ドラマ版『男はつらいよ』ハブに咬まれて
テレビドラマ版『男はつらいよ』は寅さんがハブに噛まれて命を落として終わります。
この展開については昔から知っていたので心の準備は出来ていましたが、本当に驚いたのはその後です。

ドラマ版『男はつらいよ』寅さんの最期
寅さんと一緒に奄美大島へ行っていた舎弟の雄二郎(演:佐藤蛾次郎)がさくらとおばちゃんに寅さんの最期を延々話して聞かせるのです。
兄はどこかで元気に生きていると信じて疑わなかったさくらはまるで気が触れたかのようになってしまいます。
今の私たちが知る『男はつらいよ』からは想像も出来ない残酷な展開です。

ドラマ版『男はつらいよ』特別編やお帰り寅さんにも
もっと驚いたのは、まだ放心状態のさくらの前に寅さんの幽霊(あるいは幻覚)が現れたことです。
寅さんの死も唐突ですが、このラストも脚本を書いた山田監督の意図を図りかねます。

しかし、渥美清さん没後に作られた『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』や先日の『お帰り寅さん』にも寅さんの幻影が登場していましたし、山田洋二監督の近作『母と暮らせば』も幽霊の話でした。
山田監督の心のどこかに「幽霊」というファクターがあり続けているのかも知れません。

ドラマ版『男はつらいよ』ラストシーン
この最終回を見る限り、当時テレビ局に抗議が殺到したのも頷けますね(笑)。
しかし、仮にこのテレビドラマ版がごく普通に視聴者が納得する形でちゃんと完結していたなら、もしかすると映画版『男はつらいよ』シリーズは誕生していなかったかも知れません。
このTVドラマ版『男はつらいよ』が物議を醸す変な終わり方をしたことは、かえって日本映画史にとって良かったことなのかも知れません。

ドラマ版『男はつらいよ』制作フジテレビ
ちなみに、ドラマ『男はつらいよ』を制作・放映したのはフジテレビでした。
後に『踊る大走査線』や『海猿』などで、TVドラマ→映画化→大ヒット→シリーズ化を連発するフジテレビ映画の第1弾は『男はつらいよ』だったのですね(笑)。



2/5(水)
『ウルトラQ』第26話「燃えろ栄光 」
(49インチ4K液晶テレビ:BS4K録画)
『ウルトラQ』ボクシングシーン
これ見ていて最初に頭に浮かんだ事は「当時('66年)はよほどボクシングに人気があったんだろうな。」ということでした。

『ウルトラQ』ボクシングブーム
ダイナマイト・ジョーの試合を子供たちが一緒にパンチを繰り出しながら夢中になって応援しているのです。
しかも試合会場で!。
今ではほとんど見られない光景です。
こんな絵は『あしたのジョー』でサチやキノコがジョーに声援を送る場面くらいしか見たことがありません(笑)。
(ちなみに『あしたのジョー』連載開始は『ウルトラQ』の2年後です)

65 ファイティング原田がバンタム級チャンピオンに
調べてみるとやはりそうでした。
1960年代はファイティング原田がフライ級とバンタム級の2階級世界チャンピオンになるなど空前のボクシングブームが巻き起こった時代だったのです。
各階級に日本人チャンピオンが何人も誕生し、テレビでは毎日のようにボクシング中継が放送されていました。
この時代背景を知らなければ「突然姿をくらましたチャンピオンの消息を日本中が案じている」というストーリーの根幹が全く理解できないかも知れません。

ファイティング原田がエデル・ジョフレを破ってバンタム級世界チャンピオンの座に着いたのは1965年5月18日。
そして「燃えろ栄光」が放送された1966年6月26日は、原田がジョフレの挑戦を跳ね除けて王座防衛に成功したわずか一ヶ月後のことでした。
実にタイムリーな作品だったわけですね。

『あしたのジョー』
調べれば調べるほどこの時代のボクシング人気が「燃えろ栄光」や『あしたのジョー』に影響を与えていたことが分かりました。
ダイナマイトジョーの階級は不明ですが、矢吹丈も力石徹もカーロスも金竜飛もホセも皆ファイティング原田と同じバンタム級です。
また、原田は減量に苦しむことが多かったそうで、それがあの力石徹の減量シーンや金竜飛戦前の丈のモデルであることは間違いありません。

斎藤清作
そして『あしたのジョー』に登場するノーガード戦法を使い後にパンチドランカーとなったボクサーも実在していました。
ファイティング原田と同じジムに所属していた斎藤清作選手、後のお笑いタレント:たこ八郎さんです。

矢吹丈の原点
なんと、あしたのジョーは、ファイティング原田とたこ八郎を合わせて生まれたキャラクターだったのですね。

『ウルトラQ』ダイナマイトジョー
あれ?。
『あしたのジョー』に話が逸れて「燃えろ栄光」のことあんまり書いてなかった。
まあ、同じジョー繋がりということで・・・(笑)。



最後にちょっと天候の話など・・・

2月6日朝、今季初の雪化粧
木曜日の朝、ようやく今季初の雪化粧となりました。
去年も雪はほとんど降らなかったので2年連続の暖冬となったわけですが・・・

腰まで(顔ボカシ)
ちょうど2年前の今頃はこんなでした(笑)。
毎日毎日雪かきに追われ、交通麻痺のため身動きがとれず仕事はおろか買い物にも行けません。
仕事もそのほとんどが豪雪で中止になってしまい、ただでさえヒマな時期だというのに更に稼ぎが半減するという悪夢のような1ヶ月でありました
それでも、他県の旧友たちから「大丈夫か?」と電話やメールが来たり、ブログのお仲間からもお気遣いのコメントをいただいてそれはもう嬉しかったものでした。

雪が少ないといっても福井は間違いなく「雪国」なのです。
まだまだ油断は禁物であります。


今週もお付き合いいただきありがとうございました。
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