ゴジラシリーズ全作品レビュー24 『ゴジラ2000<ミレニアム>』(1999年)
2017年11月の『GODZILLA(1998)』以来、およそ2年3か月ぶりの「ゴジラシリーズ全作品レビュー」再開であります。
『ゴジラ2000<ミレニアム>』

実はずいぶん前に草稿は書き終えてはいたのですけど、後日読み返してみたらなんかもう悪口ばっかり・・・。
初めて劇場で見た時のガッカリ感が今も尾を引いていて、ずっと冷静に評価することが出来ずにいたのです。
結局、全然レビューになっていなかったため白紙撤回してそのままずっと放置したままになっておりました。
しかし・・・!

>「Happy birthday dear GODZILLA! ~「ゴジラ誕生祭2019」 in 京都みなみ会館~」 (2019/11/5)
昨年11月『ゴジラ2000<ミレニアム>』を劇場で再見する機会を得たことで、気持ちを入れ替えて一から書き直すことにしました。
おそらく、同じゴジラ好きの仲間たちと一緒に声を上げて笑ったりコロッケ食べながら(笑)見たことで、私のこの作品に対する気持ちが解きほぐされたのだと思います。

前年夏に公開されたハリウッド版『GODZILLA』は(興行成績は別として)国内のゴジラファンから総スカンを食ってしまい、そのためシリーズ化はおろかその後の予定が全て頓挫してしまいます。
思いっきり当てが外れた東宝は、早急にゴジラのイメージ回復をする必要に迫られたのでした。
そのため、「ゴジラの死」を売りにした『ゴジラvsデストロイア』からわずか4年しか経っていないにもかかわらず、急遽新シリーズを立ち上げることになったのです。
その第一弾がこの『ゴジラ2000<ミレニアム>』です。
最初にこの話を聞いたとき、私は昭和29年の東京を再現して初代をリメイクするとか、あるいは『平成ガメラ』のように現代日本に初めてゴジラが出現すという現代版リブートを想像しておりました。
あるいはもっと思い切ったスピンオフ的な企画も思い描いていました。
たとえば、戦国時代などを舞台にして大戸島に残る大昔のゴジラ(呉爾羅)伝説を映像化するとか。
または『怪獣総進撃』よりももっと未来世界を舞台にしてみるとか。
(これは2017年~18年のアニメ版3部作で実現しています)
しかし、新シリーズは、『ゴジラの逆襲』以降の昭和シリーズ14作品はもとより『84ゴジラ』から続いたVSシリーズ7作品も全て「無かったこと」にして、過去ゴジラが出現したのは昭和29年の東京襲来の時一度きりでその40数年後に再びゴジラが現れたというコンセプトでした。
「それってつまり、また『84ゴジラ』みたいなのをやってそこからシリーズ再開しようってこと・・・?。」
さらに、監督:大河原孝夫、脚本:柏原寛司/三村渉と、メインスタッフがVSシリーズとほぼ同じ顔ぶれであることを知って、私の期待は急速に萎んでいきました。
「結局は失敗を恐れて興行面での実績(だけは)ある『VSシリーズ』の大河原か・・・。」とか「また同じことを繰り返すだけじゃないのか?。」と思ってしまったのです。
【初代ゴジラへのオマージュ満載】
リブート第一弾らしく、『ゴジラ2000』には昭和29年の『ゴジラ』第一作に対するオマージュが随所にちりばめられていました。
そのごく一部を紹介すると・・・。

ゴジラにフラッシュを浴びせて凶暴化させてしまう一ノ瀬。
『ジュラシックパーク』で子供が懐中電灯をTレックスに向けてしまうシーンのパクリだと思った人も多いでしょうが、気合いの入ったゴジラファンならば山根博士のあのセリフが耳に蘇ってきて思わずニヤリとしたはずです。

「ゴジラに光を当ててはいけません。ますます怒るばかりです!。」

実はゴジラが光に強く反応するという習性を明確に描いていたのは『初代』と『ゴジラの逆襲』とこの『ゴジラ2000』だけです。
初代ゴジラは(登場シーンが夜だけだったということもありますが)おそらく核実験の光だけでなく終戦後の繁栄に溺れる街の光にも怒りを覚えていたのでしょう。
しかし、2作目以降はゴジラは昼夜を問わずいつでも登場するようになったため、この設定は次第に忘れ去られていったみたいです(笑)。

絵作りにおいても随所に初代を意識した構図が目につきます。
例えば初代が初めて東京に上陸したこの場面。

『2000』のこのカットは明らかに同じ構図を意識して作っています。
元となる実写映像は実際に現地(北海道)でエキストラを使って撮影したもので、後期VSシリーズのような既存の風景映像にゴジラを合成しただけのやっつけ仕事ではないため画面全体にまとまりがあります。

あと、宮坂(演:佐野史郎)が解説の途中でネクタイを直す仕草なんかも初代ゴジラへのオマージュです。
細かすぎてほとんどの人には伝わらないと思いますけど(笑)。
ところで、研究第一でその結果が世界にもたらす危険性にまで気が回らないという点では山根博士も同じでした。

ゴジラ殲滅に固執する片桐に対し「ゴジラを研究することはこの地球に生きる生命の謎を解くカギになる。」と言い切る篠田。
微妙にニュアンスは違いますが、これは一作目の山根博士と尾形との論争を受け継ぐシーンだと思います。

山根「ゴジラを殺すことばかりを考えて、なぜ物理衛生学の立場から研究しようとしないんだ。このまたとない機会を・・・」
尾形「だからと言ってあの凶暴な怪物をあのまま放っておくわけにはいきません。ゴジラこそ我々日本人の上に今も覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか。」
山根「その水爆の洗礼を受けながらなおかつ生きている生命の秘密をなぜ解こうとしないんだ!。」

本作の場合は片桐がゴジラ殲滅に固執する理由が不明瞭であるため篠田の言い分が絶対的に正しく聞こえますが、実は山根博士も篠田も現実のゴジラ被害を実感出来ていない学者バカである(少なくともそう見える)点では同じです。
実はこうしたゴジラをきちんと研究しようとする科学者はゴジラシリーズの中でも本作の篠田以降は登場していません。
強いて言えば『シン・ゴジラ』でゴジラの体組成を徹底分析してヤシオリ作戦に繋げていった「学界の異端児」こと間準教授くらいでしょうか。
ゴジラ英霊説に基づいて作られた『GMK』は別として、あとの作品は「ゴジラとどう戦うか」「人類の新兵器はどこまでゴジラや怪獣たちに通用するか」がメインになっていた気がします。
でもまあ、それはそれで結構好きだったりするのですがね。
特に釈由美子が操縦する三式機龍(メカゴジラ)とか(笑)。
【ゴジラ予知ネット】

このゴジラ予知ネットに限って言えば本当に面白いアイデアだったと思っています。
「ゴジラを過去の大災害の一つと捉え、その再発防止と対応策を研究している人たちがいる」点に妙なリアリティを感じました。
これは関東大震災や阪神淡路大震災(今なら東日本大震災も)を体験した人たちが、次また来くるであろう大災害に少しでも備えようとする姿そのものです。

先日劇場で見返した時に興味深かったのは、そのゴジラ予知ネットメンバーの住所です。
ベンガルさんが演じた園田さんは福島県のメンバーで、本田大輔さん(本田博太郎さんの息子さん)が演じた木村くんは宮城県松島の住人でした。
つまり、どちらも2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を受けた県だったのです!。
震災の12年も前に作られたゴジラ映画にこんな予言めいた箇所があったことに改めて驚きました。

『ゴジラ2000<ミレニアム>』の中では昭和29年のゴジラによる被害を自然災害のように捉えています。
このアプローチは数あるゴジラ映画の中でも今まで無かった気がします。
欲を言えば、作品中に過去のゴジラ被害についての具体的描写があればもっと実感が沸いたのではないかと思います。

しかし、このせっかくの「ゴジラ予知ネット」も映画の中で十分生かされないまま終わってしまいました。
福島の園田さん(演:ベンガル)や松島の木村くん(演:本田大輔)など、ゴジラ予知ネット(GPN)のメンバーの背景は?
そして、篠田は彼らとどんな風に知り合って協力し合うようになったのか?
いや、そもそも篠田はどうしてゴジラ予知ネットを始めたのか?。
【そもそも彼らは何故ゴジラに拘るのか?】

篠田を演じた村田雄浩さんの実年齢(昭和35年生まれ)を役に当てはめて考えてみます。
ゴジラが襲来した昭和29年当時彼はまだ生まれていません。
直接ゴジラを見たことのないはずの篠田がどうしてあれほどゴジラ研究に没頭出来るのか?。
主人公の行動原理がはっきりしないままストーリーを進めても観客は話についていくことは出来ません。
例えば、彼の父親か母親がゴジラ襲来の際に放射能を浴びたために彼が幼い頃に死んでしまったとか?。
でも、番頭さんは彼のことを「若旦那」と呼んでいましたから、篠田酒造の当主(父親)は生存していることになります。
・・・と、考えれば考えるほど分からなくなって、しまいにはストーリーが頭に入らなくなってしまいます(笑)。

過去に篠田と何かあったらしい片桐危機管理情報局局長(演:阿部寛)もまた、そのモチベーションの源がまるで分からない人物です。
片桐は「ゴジラは倒すべき存在」という考え方に固執していますが、一体何が彼をそこまでかき立てるのか?。
彼も篠田と同年配なので、親や友達をゴジラに殺されたといった恨みを抱いているはずはありません。
勤勉さがそうさせているのかとも思いましたが、そんな風にも見えません。
だったら同輩の篠田への対抗心からくる行動だったのでしょうか?。
でも、それならそうと匂わせる程度でいいから何らかの情報を画面やセリフに盛り込んでもらいたかったです。

最初に登場した時から最後までずっと「コイツは何を意気がっているんだろう?」としか思えず、そのせいでカッコつければつけるほど間抜けに見えてしまい、最後にゴジラに叩き潰されて死ぬシーンもまるでギャグに見えてしまいます。
この反省を踏まえてか、その後のミレニアムシリーズでは最初に主人公がゴジラに立ち向かう動機が描かれるようになりました。
『ゴジラxメガギラス-G消滅作戦-』ではゴジラに尊敬する上司を殺された女性自衛官。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』では、子供の頃ゴジラに家族を殺されたという辛い過去を持つ立花准将。
『ゴジラxメカゴジラ』は過去の対ゴジラ戦で戦友を死なせてしまった釈ちゃん・・・じゃなくて家城茜三尉。
篠田や片桐にもこれくらいバックボーンがちゃんと描かれていれば、もう少し話に厚みが出たのではないかと思うのですがね。
『ゴジラ2000』の残念なところはいっぱいあるのですけど、そのほとんどが各キャラクターの行動原理がしっかり描けていない脚本に原因があると思います。
勿体ない!。
【篠田イオ】

篠田の娘、イオはおそらくこの映画で最も重要な活躍をしたキャラクターです。
学者バカの父を助けて家事の一切をこなし、それでいて一ノ瀬を唖然とさせるほどビジネスライクで、父より冷静で機転が利き、冷徹な宮坂も実直な自衛隊員も欺く演技力(笑)をも併せ持つナイスな女の子です。
演じた鈴木麻由さんは出演当時わずか10歳!。
史上最年少のゴジラヒロインです。
もし彼女の存在が無かったとしたら、ストーリーも人物設定もきちんと描き切れていない『ゴジラ2000<ミレニアム>』は本当に何一つ見るべきところのない映画になっていたかも知れません。

余談ですが、私は昨年11月京都みなみ会館の「ゴジラ誕生祭2019」に参加した時、イオ役の鈴木麻友さんにお会いすることが出来ました。
イオちゃんがそのまま大人になったような印象で、快活で笑顔の素敵な女性に成長してくれていてなんだか嬉しかったです。
聞けば麻友さんは最近ママになったばかりだそうで、数年後には母子共演で日本のゴジラ映画に再び出演してくれることを願っています。

そんな、イオちゃんの扱いも勿体ない!。
映画の後半、海底で発見された謎の岩塊が動き出してからは、徐々に物語の軸がゴジラ予知ネットと篠田親子から反れていきます。
そのため彼女の出番も次第に少なくなっていき、最後25分間はゴジラと宇宙怪獣のバトルをビルの屋上からただ眺めているだけの傍観キャラにされてしまいました。
脚本を書いた柏原寛司氏は「もっとイオのことを描きたかった」と述べておられたそうです。
是非描いていただきたかった!。
亡くなった母親のこととか同年代の友達も見せて彼女の蚊帳を深堀りすれば、それと同時に父親である篠田自身のことも見えてきたはずです。
では、どうして描けなかったのでしょう?。
これは私の邪推ですが、おそらく「ゴジラ予知ネットが中心では客が入らない」と心配したプロデューサーが宇宙怪獣の要素を無理やり増やして(あるいは付け足して)篠田一家の物語を主軸から外させたのではないでしょうか?。
脚本家が二人いたのはそのためだと考えています。(もう一人は『ゴジラvsメカゴジラ』『ヤマトタケル』の三村渉氏)。
終盤、延々と続く怪獣バトルシーンでそれまでの登場人物が全員ただの傍観者かあるいは解説係でしかなくなり、しかも前半部分で話の軸としていた「ゴジラ予知ネット」の設定もまるで生かされないまま終わってしまったのはそうせいだと思っております。
せめてオルガを撃退する方法としてゴジラ予知ネットの設定を生かす事くらいは出来たはずです。
例えば、オルガがゴジラの情報を吸収している事に気付いた篠田が、福島の園田さんや松島の木村くんをはじめ大勢の仲間に働きかけてニセのゴジラ情報をネットに流すといった展開があれば、冒頭からクライマックスまでびしっと一本の筋が繋がったと思うのですがね。
【オルガの正体】

新怪獣のオルガ。
プロデューサーの話によると、こいつのモチーフは不評を買ったハリウッド版『Godlizza』だそうです。
ゴジラもどきが本物を飲み込もうとして返り討ちに遭うといったイメージなのでしょうか。

しかし、私の目にはこのオルタの姿は特撮怪獣映画ファンから圧倒的高評価を得た平成ガメラの姿が重なっているように見えて仕方がありません。
最初は巨大な海硝として登場し、そこに顔や手足が生えて怪獣化するというシチュエーションはハリウッド版ゴジラというより『ガメラ 大怪獣空中決戦』のガメラそのものです。
そのガメラを模した怪獣がゴジラに挑み、その力を吸収しようとするも己の許容量をオーバーして自壊するという顛末には、ガメラに対する東宝上層部の嘲笑のようなものがそこかしこに見え隠れします。
『ゴジラ2000』が物語も映像も素晴らしい出来栄えであれば私もこんな穿った考え方はしなかったでしょう。
しかし、映像はハリウッド版『Godzilla』に敵うはずもなく、ストーリーは平成『ガメラ』の足元にも及ばないちぐはぐなものでした。
これでは東宝の「負け犬の遠吠え」にしか聞こえません。
新怪獣オルガに全くと言っていいほど魅力がないことと、コイツのために序盤からのストーリー展開を台無しにしてしまったことが『ゴジラ2000<ミレニアム>』最大の不幸です。
【1999年作品ということ】

『ゴジラ2000<ミレニアム>』は、オルタを倒して手が付けられなくなったゴジラが東京を焼き払い続けるところで終わります。
これぞまさしく「勝ったほうが人類の敵になる」です。
当時の私は初代『ゴジラ』みたいな「人類に仇なす存在としてのゴジラ」を求めていたため、「何故このラストをVSシリーズでやらなかったのか?」と歯がゆい思いで見ておりました。

ただ、ゴジラ映画としては斬新だったこのラストシーンですが、実はこれの9ヵ月前に公開された『ガメラ3邪神<イリス>覚醒』のラストシーンに酷似しています。
『ゴジラ2000ミレニアム』も『ガメラ3邪神<イリス>覚醒』も、どちらも1999年公開作品です。

1999年といえば、日本中を恐怖のどん底(笑)に突き落とした70年代の「ノストラダムスの大予言」ブームで「恐怖の大王が舞い降りて世界が滅亡する?」とされていた年です。
1999年7か月、空から恐怖の大王が来るだろう。アンゴルモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために。
という一節がそれにあたるのですが、『ゴジラ2000』と『ガメラ3』のストーリーはどちらもこれをイメージして書かれたものではないかと考えています。
『ゴジラ2000』で言えば空から来る恐怖の大王は宇宙人(オルガ)、そしてアンゴルモアの大王がゴジラです。
一方、『ガメラ3』で空から来たのはギャオスの群れで、アンゴルモアの大王はイリス、ガメラはそれらを撃退する役割でした。

当時の子供たちは「自分は1999年までしか生きられない」という余命宣告を受けた気になったと思います。
おそらく今も心の奥底に強烈なトラウマとなって残っている者も多いことでしょう。
実は、かくいう私もその一人でした(笑)。
こんな馬鹿げた話など今の若い人たちには理解出来ないかも知れません。
しかし、現に1965年生まれの樋口真嗣特技監督は「自分は34歳までしか生きられない思っていた」と『ガメラ3』の時に明言していらっしゃいます。
『ゴジラ2000』も『ガメラ3』も、制作スタッフの年齢は『日本沈没』や『ノストラダムス』など終末ブームを経験した世代の人が多かったと思われますので、こうした幼少期のトラウマが無意識に作品に滲み出たとしても決して不思議ではありません。
【このあと、彼らの運命は?】

ところで、あのあとビルの屋上に残った篠田やイオちゃんや宮坂はどうなったのでしょうかね?。
ゴジラの放射能火炎による火災熱と放射能汚染に囲まれて無事に済むとは思えないのですが・・・(合掌)。
でも、このエンディングを観た瞬間、「ああ、新しいゴジラシリーズは連続ものではなく毎回一話完結でいろいろなバリエーションを作っていくつもりなのだな」と理解しました。
それはつまり、毎年違った観点のゴジラ映画が見られるかも知れないということです。
「どうせなら、そのうち戦国時代を舞台にして大戸島の呉爾羅伝説を映画化して欲しいな・・・」
そんなこと思いながら帰路に着きました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。