週刊映画鑑賞記(2020.3/2~2020.3/8) 『宇宙戦艦ヤマト』劇場版5作品
毎週日曜日は、この一週間に観た映像作品について日記代わりに書き留めております。
今週も新型コロナウィルスのせいで仕事激減中であります。
それでも、せっかく空いた時間ですからこの機に昨年末に録画したあの昭和のアニメシリーズを一気見することにしました。

CSのファミリー劇場で昨年秋から放送されていた<『宇宙戦艦ヤマト』”ほぼ”全作放映>であります。
『宇宙戦艦ヤマト(’74~’75)』最初のTVシリーズ全26話
『宇宙戦艦ヤマト 劇場版(’77)』(スターシア生存編)
『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-(’78)』劇場版第2作
『宇宙戦艦ヤマト2(’78~’79)』第2TVシリーズ(シリーズ分岐点)
『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち(’79)』TVスペシャル
『ヤマトよ永遠に(’80)』劇場版第3作
『宇宙戦艦ヤマトⅢ(’80~’81)』
『宇宙戦艦ヤマト 完結編(’83)』
『宇宙戦艦ヤマト 復活篇(’09)』
”ほぼ”とは、劇場版一作目の「スターシア死亡編」とか『さらば』のテロップ改訂版とかいった細かなバージョン違いは除くという意味だと思われます。
ところで、私は現在ファミリー劇場には加入していません。
それなのにどうして年末のヤマト特集を録画出来たのか?。
今回私は”ある裏ワザ”を使って、年末に一挙放送されたこれらの『宇宙戦艦ヤマト』ほぼ全作品を録画・ブルーレイ化することに成功したのです。

実は現在使っているBDレコーダーのHDD残量が残り少なくなってしまい、(内臓HDDを6TBに換装していたというのに・・・)そのため昨年12月に中古でもう一台パナソニック製BDレコーダーを購入したのです(これもそのうち8TBに換装する予定)。
ところがこれには落とし穴があって、なんとB-CASカードが付属していませんでした。
そこで仕方なく約2,000円払って新しいB-CASカードを買ったのですが・・・。
新品のB-CASカードにはBS/CSの無料お試し期間があったのです!
そのおかげで私は年末のヤマト一挙放送を全作品録画することが出来たのでした。

ちなみに私は最初の『宇宙戦艦ヤマト』TVシリーズだけはBDボックスを買って持っていますが劇場版シリーズは未購入です。
『ヤマト』のBDはレンタル解禁されていないので、私がハイビジョン画質で昭和の『ヤマト』シリーズを見るのはこれが初めてということになります。
昨年末に録画したものですが、今週はまとまった休みが取れた(ていうか仕事が無くなった)ということで一週間ぶっ通しで長編『ヤマト』全作品を見てやろうということになりました。
ただしTVシリーズに関しては一作目は今までも何度か見返しているので今回はあえてスルー。
『2』と『Ⅲ』はもう一度全話を見返す気になどなれないため最初からパスしました。
『新たなる~』『永遠に』『完結編』の3本はDVDレンタルが始まった頃に見て以来ですから、これらはおよそ20年ぶりの鑑賞になります。
3/2(月)
『宇宙戦艦ヤマト』(スターシア生存編)』
(ホームシアター:ファミリー劇場録画)

昭和49年10月。
全く新しいタイプのSFアニメ『宇宙戦艦ヤマト』は、そろそろ永井豪原作のロボットアニメに飽き始めていた私(当時小学4年)のハートをむんずと鷲掴みしてしまいました。
居間の18型テレビは裏番組『アルプスの少女ハイジ』を見たがる妹に譲らねばならないため私は古い13型カラーテレビで『ヤマト』を見ていましたが、そんな小さな画面でも宇宙の広がりとか赤茶けた地球の絶望感とかいったものがズシンと胸に響いてきたものです。
第一話のラストで戦艦大和の残骸が姿を現したときの感動と衝撃は今でも忘れることが出来ません。

その『宇宙戦艦ヤマト』が2時間10分の長編映画になったことを知ったのは中学1年の夏休みのことでした。
東京では映画館の周りに行列が出来るほどの大ヒットを記録していましたが、哀しいかなド田舎の福井での上映は夏休み明けの9月からです。
私の住む街は映画館がある福井市まで25キロも離れているため、映画一本観に行くだけでも丸一日かかります。
新学期始まってすぐ、さらに運動会や文化祭の準備も始まるこの時期では観に行くのは至難の業でしたが、それでも中学に入って知り合ったアニメ・特撮好きの友達と結託して観に行きました。

再放送で何度も見たはずの映像でしたが、それでも映画館の大スクリーンで見る『ヤマト』は圧巻でした。
特にTV版の2話と3話をテンポよく繋ぎ合わせたヤマト発進シーンは見ていて気持ちよくて、閉塞的な状況から突破するイメージがより強く伝わってきました。
途中の冥王星基地攻略戦(反射衛星砲のところ)が極端に端折られていたのはちょっと残念でしたが、それでも七色星団とガミラス本星の戦闘はスクリーンでの鑑賞に堪えうるほどのものでした。
ただ、当時は劇場用新作アニメといっても「東映まんがまつり」など幼児向けのものに限られていたため比較対象が無かったことも事実ですが・・・。

終盤「ええっ?」と声が出るほど驚きました。
ヤマトがイスカンダルに到着した時スターシアは既に死んでいてコンピューターに記録された彼女のメッセージだけがヤマトを出迎えるという大きな変更が加えられていたのです。
映画として短くまとめるための改変だと思いますが、これはこれで「TV版よりSFっぽいな~」と感嘆した覚えがあります。

今回のファミリー劇場放送版は翌年にTV版第25話を使って再々編集した「スターシア生存編」です。
なぜか雪が腕にケガをしていますが、これはTV版にあった藪のクーデターがカットされているのに後半の絵をそのまま使っているためです。

劇場版にデスラー最後の襲撃と雪の死&蘇生が無かったのも残念でした。
古代の成長を描くのであればα星のエピソードを削ってでも絶対にこのシーンを生かすべきだと思うのですが、この劇場版は沖田艦長を軸にした構成にされているようです。

当時は「どうして古代が主人公扱いされないんだろう?」と疑問に思っていましたが、最近になってその理由が分かった気がしました。
劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の構成を取りまとめたのは当時50歳だった舛田利雄監督です。
沖田艦長の年齢設定は52歳。
舛田監督にとっては18歳の血気盛んな少年兵よりも、自分に年齢の近い老練な指揮官のほうが感情を込めやすかったからではないでしょうか?。
今になってそのことを理解できたのは、私自身も50歳代半ばに達したからなのかも知れません。
3/3(火)
『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-(4Kリマスター版)』
(ホームシアター:ファミリー劇場録画)

第2作『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』は福井でも東京と同じ昭和53年8月2日に公開されました。
私も公開2日目に前作と同じくアニメ・特撮好きの友達と見に行きました。
『さらば』などという意味深なタイトルが気になっていましたし、当時は内容(特に終盤)に関する情報管制が敷かれていたこともあり一日も早く見たかったのです。
その日は日曜日ということもあってか、福井東映パラスの周辺は中高生でごった返していてまるで都会みたいな行列が出来ていました。
映画を見るために並んだのはあれが初めてでした。
2時間半もあるうえに終盤は馴染み深いキャラクターが次々死んでしまうという重苦しい内容なので、今みたいにヒマを持て余してる時でもなければ見返す機会はあまりない作品です。
実は私、『さらば~』はあまり好きではないのです。
ほとんどのヤマトファンは「『さらば』でやめておけば良かったのに」とか言いますが、私は当時も今も「そもそも『さらば』なんか作らなければ良かったのに。」と思っております。

しかし、今回の放送では、なんと『さらば宇宙戦艦ヤマト』だけ4Kリマスター版で放映されるというじゃありませんか!。
昔見たアニメが4K画質で蘇るとなれば、これはもう見ないわけにはいきません。

冒頭、白色彗星が宇宙の星々を蹂躙していく姿が映し出されますが、この時流れるパイプオルガンの楽曲の禍々しいことといったらなかったです。
この時以来、私はパイプオルガンの演奏を聴くたびに(それがどんな曲であっても)常に「悪」のイメージを抱くようになってしまいました。(トラウマですね)
「今度のヤマトはこんな奴らに立ち向かわねばならないのか」と戦慄を覚えるに十分すぎるほどのオープニングでした。

しかし、雪のキャラが前作とまるで変わっていることにかなりの違和感を覚えました。
「んもう、いぢわるぅ」とか言いながら古代にすり寄っているのです。
甘ったれた声で古代とイチャつく雪のイメージはこの作品から始まったと思うのですが、前作の雪は決してこんな子ではなかったはずでした。

一年前の彼女は、些細なことケンカする古代や島を叱咤したり、好意を抱いていた古代を完全に手玉に取ってしまうような素敵なお姉さんでした。
それなのに・・・。
やけに甘えた声で男にしなだれかかる女に成り下がっていたのです。

もう一つ、前作との大きな違いがありました。
ヤマトは『さらば~』で二度波動砲を撃ちますが、その一回目はなんと敵艦隊に直接撃ち込んでいるのです!。
「武器なんだからそんなの当たり前だろ」と思われるかも知れませんが実はそうではありません。
前作第5話で初めて波動砲を撃った時、そのあまりの破壊力のためあらゆる生命と一緒に木星の浮遊大陸そのものを破壊してしまいました。
それ以降、ヤマトは一度たりとも人間のいる場所に向けて直接波動砲を撃つことはしていません。
たとえそれがガミラス人でも、です。
12話の恒星のフレア、17話のバラノドン駆除、24話の海底火山、いずれもそうです。
ところが『さらば宇宙戦艦ヤマト』では迷うことなくゴーランド艦隊に対して波動砲の直撃を加えたのです。
浮遊大陸での過ちから学んだことを、2201年のヤマトクルーは忘れてしまったのでしょうか?。

前作TV版の大ファンだった私としてはデスラー再登場には納得出来ませんでした。
デスラーは最終回で完全に死んだ、いや消滅したはずなのです。
「これはあくまで去年の劇場版の続編だから」と自分に言い聞かせながら見ておりました。
そうしなければ、本当に大好きだった前作『宇宙戦艦ヤマト』がボロボロに汚されてしまう気がしたからです。

戦闘のさ中、雪は重傷を負いデスラーは古代に白色彗星の弱点を教えて自ら宇宙空間に飛び出します。
ここまでは公開前までに情報開示されていた部分でしたが、それでも劇場内のあちこちから女性客のすすり泣く声が上がり始めて私はなんとも言えない居心地の悪さを感じておりました。
平たく言うと「気持ち悪かった」です。
私にとってデスラーって奴は「戦争が一番の楽しい時間」と言い放ち、停戦を進言する部下を有無を言わさず射殺する狂った独裁者でしかないのですから。

そして・・・まさかと思った雪の死。
雪は前作(TV版)のラストでも一度死んで生き返っているんですよね。
それを何もわざわざとどめを刺すみたいに殺さなくてもいいのにとか思いながら見ておりました。

その後もメインキャラクターが一人また一人と死んでいくたびに場内からむせび泣く女性の声が鳴り響きます。
(でも徳川機関長と土方新艦長の時だけは妙に反応が薄かったですが・・・)
私はもう完全に醒めていたと思います。
この辺りから旧作のキャラが死ぬたびに西崎義展プロデューサーのドヤ顔が画面にダブって見えてきました。

ただ、当時の私はヤマトクルーの中でただ一人真田技師長だけは死んでも仕方ないと思っていました。
決して真田さんが嫌いなわけではありません。
私は後の地球人類にイスカンダルのオーバーテクノロジーを残すべきではないと考えていたからです。
波動エンジンを完全に理解していたのは真田さんと徳川機関長だけだったはずですから、彼らが死ぬことによって『ヤマト』に完全なるピリオドが打たれるのです。

そして最後のドンデン返し。
超巨大戦艦が現れ、ズォーダーがヤマトを嘲笑ってもなお、私は最後の大逆転があると信じていました。
だって、ヤマトにはまだ真田さんが残してくれたアレが残っているじゃありませんか!。

超巨大戦艦の主砲がヤマトを狙い撃つ・・・その次の瞬間!。

ヤマトの表面は銀色に包まれ、超巨大戦艦が放ったエネルギー弾はそのまま自らに跳ね返っていくはず!。
そうです、ヤマトにはまだ空間磁力メッキという最後の切り札が残っているのです。
好きなキャラたちの死をどうしても受け入れられない中学2年生の私はそう思いながら見ていました。

ところが打つ手を見失った古代は沖田艦長の遺影にすがりつきます。
「沖田さん、ぼ、僕はどうしたら・・・」
すると沖田の遺影は古代に優しく語りかけます
「お前にはまだ武器がある。命だ。」
嘘だ!。
生前の沖田艦長ならこんなことは絶対に言わない。
こいつは沖田なんかじゃない、ただの死神だ!。
沖田艦長とは「万に一つでも可能性があればそれを信じて沈着冷静に行動する男」だったはずです。
それに、万に一つの可能性だってまだしっかり残っています。
空間磁力メッキが(笑)。

『さらば~』の特攻ラストについて、私は舛田利雄監督がそうさせたに違いないと長い間信じ込んでおりました。
舛田監督は昭和2年生まれですから、あの太平洋戦争末期はそれこそ(古代進と同じ)18歳の血気盛んな少年だったわけで「お国のために死ぬ覚悟」をしていたに違いないのです。
あの戦争を肌身で知る世代の監督だから、最後は自ら体当たりしてでも祖国を守る姿に美学を感じていたのではないかと・・・。

ところが、数年前に読んだ「映画監督・舛田利雄~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~」という本の中に「舛田監督は『さらば宇宙戦艦ヤマト』の特攻ラストには反対だった」という話が書かれていました。
あのラストは企画時点から西崎プロデューサーによって「特攻ありき」で決められていたのだそうです。
舛田監督は戦時中いつも偉そうな軍人が嫌いだったそうです。
そんな連中が若者に強制した特攻などという愚策をヒーローにはやらせたくなかったのかも知れません。
あるいは、自分自身が特攻で散っていった人たちと同世代であることから安易に描きたくないという逆の心理が働いたのでしょうか。
いずれにせよ、主要キャラの死とヤマトの特攻は西崎プロデューサーがあくまでも「客引き」の要素として盛り込んだものに過ぎないことが分かりました。

私も、体当たり特攻に関しては中学時代から今に至るまでずっと反対であることに変わりありません。
しかし、この物語の中でいつかヤマトは何らかの形で放棄されるべきだとも考えていました。
西暦2200年初頭の地球人にとっては、波動エンジンもワープ航法も波動砲も全て外の世界(イスカンダル)から得たオーバーテクノロジーなのです。
これらを正しく使いこなすほどには地球人類は成熟してはいません。
アンドロメダをはじめとする地球艦隊を全て失い、さらにヤマトまで消滅。
そしてそれらイスカンダルテクノロジーを理解していた真田さんも彗星帝国戦で犠牲になったとなれば、新しい波動エンジン搭載宇宙艦を作ることは出来ないはず。
『さらば宇宙戦艦ヤマト』というタイトルは、一作目でも提示されていた「地球人にはまだ荷の思いオーバーテクノロジーを放棄する」という意味での『さらば』なのだろうと思っていました。
しかし、それがまさか古代たちヤマトクルーの死を売り物にする内容でしかなかったとは・・・。

ENDテロップは初回劇場公開版の「もう二度と姿を現すことはありません」バージョンでした。
ヤマト特攻を現す閃光で客席からすすり泣きが起きたあと、このテロップで女性たちはついにおいおい声を上げて泣き始めました。
『さらば宇宙戦艦ヤマト』というと、私はあの劇場内の異様な雰囲気ばかりが思い出されてしまって42年経った今でも素直に感動することが出来ません。
馴染み深い登場人物が死ぬたびに目に浮かんでくる西崎プロデューサーのニヤケ顔と、あの劇場内の女性客がすすり泣く声とがセットになって深層意識に刷り込まれてしまったのです。
これが死ぬまで上書きされることはないであろう私の『さらば宇宙戦艦ヤマト』原体験であります。
一作目と『さらば~』が長くなり過ぎたので、残りの作品は簡単に済ませます(笑)。
3/5(木)
『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』
(ホームシアター:ファミリー劇場録画)

水曜は終日仕事が入ったため、中一日での『新たなる旅立ち』鑑賞です。
本当は『さらば~』との間にTV版『ヤマト2』があるので、一日空けたのはかえって良かったかも知れません。

TV版『宇宙戦艦ヤマト2』から続く『新たなる旅立ち』のこの絵柄が大嫌いでした。
古代の顎がロボットみたいに角ばってオッサン臭く、雪も髪の毛ボサボサでオバサンっぽくて全然可愛くありません。

でも、後半に作画監督が交代した途端、古代も雪も美男美女に変わります(笑)。
どうせならこの作画監督(宇田川一彦さん)の絵で全編統一してくれればいいのに・・・と思っていたら次の『ヤマトよ永遠に』では宇田川さんが総作画監督に昇進していました。
ちょっとタレ目がキツイ気はしますが、やはり女性キャラは可愛く魅力的に描いてくれたほうが嬉しいものです。

ラストは古代守とスターシアの赤ちゃんが登場。
それだけでも(ある意味)新鮮でしたが、さらにエンディングに流れてきた歌がなんと「東京だよおっかさん」の島倉千代子!。
「ヤマトはこれからどこへ行こうとしているのか?」とただただ戸惑うばかりでありました。

1979年といえば、日本の中高生アニメファンの間であの『機動戦士ガンダム』が話題を独占した年でした。
しかし、幸か不幸か福井ではこの夏の時点でまだ『ガンダム』は放送されていなかったのです(同年秋から半年遅れで放送開始)。
もし、私が『新たなる旅立ち』の前に『ガンダム』を見てしまっていたら翌年のこの映画(↓)を見に行くことは無かったかも知れません。
・・・いや、やっぱり見たかな(笑)。
3/6(金)
『ヤマトよ永遠に』
(ホームシアター:ファミリー劇場録画)

一番の売りは途中で画面アスペクトがスタンダード(上映時は上下をカットしたなんちゃってビスタ)からシネスコに広がる「ワープディメンション方式」でした。
高校一年だったこの頃にはビスタやシネスコなど映画の色々詳しくなっていて「なるほど、TVアニメからスタートした『ヤマト』がこれで本格的に映画に軸を移すという意思表示なのだな。」と一人勝手に納得しておりました。

この『ヤマトよ永遠に』も『さらば~』や『銀河鉄道999』と同様に公開前は情報管制が敷かれていて、その詳しい内容を何も知らないまま観に行きました。
ただ、『さらば』『999』の時と大きく違うのは、そもそも「事前に情報を知りたい」という欲求そのものが無かったというのが本当のところです。
この頃の私はヤマトの最新作なんかより、前年暮れに公開された『ルパン三世 カリオストロの城』に夢中になっていて、『カリ城』を録画するためにビデオデッキを買うことで頭がいっぱいだったのです。

開幕すぐ、私はひどく嫌な気分になりました。
前作『新たなる旅立ち』でせっかく生きて地球に帰ってきた古代進の兄:守が司令長官を逃がすためだけにあっさり自爆して死んでしまうのです。
「また『さらば~』の時みたいに女性客が泣き出すか?」と思いましたが、この時の客席は全くの無反応でした。
守兄さんの死があまりにも哀れに思えたことしか覚えていません。

古代守とスターシアの娘が何故か1年で18歳の美少女に!。
イスカンダル人は一年で18歳まで成長してしまう体質なのだとか。
子供の一番可愛らしい時期をすっ飛ばしてしまうとは、イスカンダル人はなんて味気ない民族なのでしょう。
もう無茶苦茶です。
この設定は上映前からすでに公表されていたものなので劇場でビックリすることはありませんでしたが、これでまた一歩自分の心がヤマトからいくのを感じました・・・。

20年ぶりの鑑賞となった今回、クライマックスのこのシーンで思わず大笑いしてしまいました。
サーシャが都市惑星の通路を開けるのを阻止すべく聖総統御自らサーシャを射殺しに赴きます。
それだけでも十分笑えますが、何故かその模様が複数のTVカメラを通じて克明にヤマト第一艦橋に送り届けられているのです。
誰がカメラ動かして誰がそれをスイッチング(切り替え)してるねん!?。
いやあ、突っ込みどころ満載で妻と二人で爆笑しながら見ておりました。

ちなみに妻は『ヤマトよ永遠に』を見るのはこれが初めてだったとのことです。
遠く引き裂かれてもなおお互いを信じあう二人の愛の姿に素直に感動させてあげられなかったことは済まないと思っております(笑)。
3/8(日)
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』
(ホームシアター:ファミリー劇場録画)

そして今日は『完結編』でした。
ついさっき見終わったとこです。
『完結編』は’83年3月公開でした。
当時の私は高校を卒業し、大学進学のため大阪へ移り住む準備をしていました。
中1の時に一緒に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』第一作を見て以来6年間ずっと行動を共にしてきた親友も東京への進学が決まっていて、福井を離れる前に『クラッシャージョウ』『幻魔大戦』とそしてこの『宇宙戦艦ヤマト完結編』も一緒に見に行ったのでした。
まあ、この時は二人とも『ヤマト』には愛想が尽き果てていて特に見たいとも思わなかったのですけど、一作目を一緒に見たという縁を思い出して「それじゃ最後は『ヤマト』にしよう」と決めたのでした。

沖田艦長が復活(というより実は死んでいなかった)というトンデモ展開は雑誌などですでに公表されていたことだったし、何より「ヤマトだから」と驚きはしませんでした。
それより気になったのはその説明です。
固唾を飲んで佐渡先生の説明に聞き入りました。

「わしの誤診でな。実はまだ脳死に至っていなかったのぢゃ。」
おっさん、ええ加減にせえよ!。

そんな説明を聞いた後では、たとえ島が死んだとしても誰も悲しむことはないですよね。
だって脳死に至らなければ助かるんでしょ?。
この時、すぐ横には佐渡先生もいたわけですし・・・。
ヤマトが『完結編』で沖田館長を蘇らせたことは、まさに第一作目への冒涜です。
主役(ヤマト)の最期を最大の売り物にして、しかもファンにとって決して汚してほしくない第一作目の登場人物を無駄に登場させたうえにかつての感動まで台無しにさせる愚劣極まる完結編。
私はそんな作品を25年ほど前にも見たことがあります。

「ゴジラ死す」がキャッチコピーの『ゴジラvsデストロイア』です。
一作目のヒロイン山根恵美子まで引っ張りだしておきながらも結局はストーリーに深くj絡ませることはなく、ただ単にオールドファンに目配せするためだけの客寄せパンダとしてしか扱いませんでした。
あれは今でも許せません。

一週間で『復活篇』まで行けなかったですけど、アレはまあいいか・・・。

興奮、感動、疑問、失望、そして最後は失笑と、自分でも可笑しいくらい十代の頃と全く感じ方が変わっていなかった昭和の『宇宙戦艦ヤマト』。
私にとっては(いろいろな意味で)やはり不朽の名作です

あと、宮川泰先生が作られた音楽の数々はどれも本当に素晴らしいものでした。
私が46年間ヤマトを好きであり続けられたのは、やはり宮川先生の音楽のお力が大きかったからだと思います。
幸い福井にはまだ新型コロナウィルス陽性感染患者は出ていませんが、それでもやはり人混み&密閉空間である映画館に赴くことはさすがの私も気が引けます。
もし万が一コロナウィルスに感染してしまったりしたら、フリーランスの身である私は即座に全ての仕事を失うことになのですから。

来週土日に京都みなみ会館で開催予定だった『平成ガメラ降臨祭』が開催延期になりました。
これを知って、私は内心ホッとしております。
私は先週の記事の中で「無事に開催されて成功して欲しい」と書きましたが、あれから一週間経った本日、前言撤回させていただきます。
『平成ガメラ降臨祭』開催延期を決断してくれてありがとう!
感染者が複数報告されている関西地方で、閉鎖された空間で人が密集したまま長時間過ごすオールナイト上映会はやはり中止すべきです。

先日、「大阪のライブハウスで集団感染が確認された」というニュースがありました。
ウィルス付着に気付かないまま参加した人が同じ空間にいた複数の観客に移し、さらに移された人たちも他の場所で感染を広げていったというのです。
問題なのは、そのニュースの中で感染現場となってしまったライブハウスの外観が店名を隠されることもないまま全国ニュースの画面に映し出されていたことです。

もし『ガメラ降臨祭』が予定通り開催されたとして、もしもその参加者の中からコロナウィルス感染者が出た場合、京都みなみ会館は日本中のマスコミから「クラスター」呼ばわりされてしまうことになるのです。
その時、こんなご時世に満員状態の映画館で2時間弱の映画三本オールナイト上映やっていたなどと報道されたら、みなみ会館もキャスト社も絶対にただで済むとは思えません。
昨年夏にせっかくリニューアルオープンしたばかりだというのに、コロナ感染源などと報道されてしまったら、今度こそ本当に永久閉館になりかねません。
西日本在住特撮映画ファンの一人として、こんなことで京都みなみ会館が失われてしまったとしたらそれは耐え難いことです。
みなみ会館にとってもキャスト社にとっても、そして参加を希望する全ての特撮映画ファンにとっても、この勇気ある撤退は正しい決断だったと思います。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
・・・あっ、忘れてた!。

今週中に確定申告に行かなくちゃ!。
これだけ新型コロナウィルス感染拡大で大騒ぎになっていても、税務署は期間延長とかしてくれないのですね・・・