ウルトラマンセブンと呼ぶな、彼の名はウルトラセブンだ!
トガジンです。

去る9月29日(火曜)より、BS4Kにて4Kリマスター版『ウルトラセブン』が始まりました。
もちろん、私もしっかり録画しながら観ております。
昨年BS4K内臓のテレビとレコーダーを買ったものの、『ウルトラQ』4Kリマスター版以外これといって観たいものが無かったというのが事実でしたが、これでようやく買った甲斐があったというものです。
本ブログでは、毎週日曜日に欠かさずアップしている週刊映画鑑賞記にて各2話づつ感想記事を書いていくことにしています。
良かったら読んでみてやってください。

『ウルトラセブン』の初放映は昭和42年10月からでした。
福井には(今でも)TBS系列局が無いためリアルタイムではなかったと思いますが、おそらくキー局より数週間遅れで観ていたのは間違いないと思います。
なぜなら、当時の私(3歳~4歳)のお絵かき帖には近所を走っている電車(のようなもの)とウルトラセブン(らしきもの)しか描かれていませんでしたから(笑)。

あと、目元にメガネを付ける真似をしながら「じゅわっ、びゅう~ん」と言ってウルトラセブンごっこをした事も覚えています。

余談ですが、同時期には『ジャイアントロボ』も放送されていてセブンと同じくらい人気でした。
男の子たちは(腕時計があると見立てた)自分の左手首に向かって「戦えジャイアントロボ!」と命令し、続いて自分で「ま゛!」と叫びながら怪獣役の子と格闘して遊んだものです。
でも、私のお絵かき帖には何故かジャイアントロボの絵は一枚もありませんでした。
圧倒的にセブン派だったのか?。
あるいは、ジャイアントロボの絵は難しくて幼い頃の私には描けなかっただけなのか?(笑)。

幼なかった頃のセブンの記憶といえば・・・
・モロボシ・ダンがウルトラアイを装着してウルトラセブンに変身する。
・変身出来ない時にはカプセル怪獣を使う。
・アイスラッガーを飛ばしたあとの頭はつるっぱげでカッコよくない。
・ウルトラ警備隊の超兵器(ウルトラホークやポインター)がカッコ良かった。
・ウルトラ警備隊には優しいお姉さん(アンヌ)がいた。
・時々怖い話がある。
・・・と、こんな程度で、各話に込められた世相批判や作り手の想いなどは何一つ受け取れてはいなかったと思います。
ただ、最後の時々怖い話があるという点だけは長い間ずっと感覚として残っていました。
生来ひどく怖がりだった私がそれでも「時々怖いウルトラセブン」を毎回欠かさず見ていたのは、怖い敵からも必ずセブンが助けてくれるという安心感があったからだと思います。
それは小1の時リアルタイムで観ていた『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』でも同様でした。
セブンをきちんと観たのは中学の時でした。
当時(昭和53年)はアニメブームの余波を受けて突然の特撮ブームが沸き起こり、『ウルトラマン』シリーズや『仮面ライダー』シリーズが次々再放送されたのです。
(この時の勢いで『ウルトラマン80』や『仮面ライダー(スカイライダー)』が制作されました)
出版関係でも『ウルトラ』や『ライダー』そして『ゴジラ』『ガメラ』などを特集したムックが続々出版されていて、私もそのほとんど全部を読んだと思います。(ただし全部立ち読みで、ですが・・・)
思春期、それも中二病真っ盛りの只中で『ウルトラセブン』を観てしまったのですからもうひとたまりもありません。
部活があったため全話は見られませんでしたが、それでも強く印象に残るお話&セリフがいくつもありました。

ナレーション「アンヌ隊員、年齢・・・あ、こりゃ失礼」に普通に笑ってしまったり・・・

スクリーン・プロセス撮影のサイズ感がドンピシャすぎて、エレキングの巨大さに思わずビビったり・・・
(今見るとスクリーンの汚れが目立ちますが当時のブラウン管テレビではそこまで見えませんでした)

伝説のちゃぶ台シーンでは、一瞬自分が今何を見ているのか分からなくなってしまったり・・・

生きては還れぬ覚悟のフルハシとそうとは知らない母親との通信会話に思わず目頭が熱くなったり・・・

超兵器R1号を作った美人すぎる科学者さんに目を奪われて、あの名セリフ「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」も実はこの時はあまり印象に残っていなかったり・・・

この少女(松坂慶子)の体内に入ったセブンは一体どこから出てきたのだろう?と変な想像をしてドキドキしたり・・・

ウルトラアイを盗んだ少女が可愛すぎて、彼女が母星に見捨てられたと知るラストが切なくてたまらなくなったり・・・

地球の先住民ノンマルトを滅ぼして「これで海は我々人類のものだ」と大喜びのキリヤマ隊長に「隊長、それは侵略者のセリフそのものですよ」とツッコミ入れてみたり・・・

第四惑星の回では「なんかすげーSF見てもうた気がする」と背中がゾクゾクしたり・・・

UFOを目撃したのに誰にも信じてもらえず、最後は「星の世界へ行こう」と宇宙人に誘われる男の話が「まるで『未知との遭遇』みたいや」と思ってみたり・・・

好きな女の制止を振り切って、満身創痍の身体で一人敵に立ち向かっていくセブンに”漢”を見たりしていたのでした。
(今思うと、この最終回って高倉健の当たり役だった東映任侠ものっぽいです)

その後大阪に出てから(再放送で)初めて全話を通して見ました。
さらにレーザーディスク化(全12巻)、アナログBS放送、DVD化(全12巻)、WOWOWでハイビジョン放送など各時代の新しいフォーマットが出るたびに必ず見返してきたコンテンツです。
これらは何度も繰り返し見ていますし、無料放送や無料配信がある時も好きな回だけつまみ見したりもしてました。

そしてついに時代の最先端を行く4Kバージョンの登場です。
願わくば、この超高画質版『ウルトラセブン』再放送をキッカケにして、今の若い世代の人たちにもウルトラセブンの漢っぷりを知ってもらいたいです。
そして・・・
ウルトラセブンをウルトラマンセブンとか呼ぶ知ったかぶり野郎が日本中から一掃されますように!。
昭和特撮大好きおっちゃんの戯言にお付き合いいただきありがとうございました。
【10/3追記】
今回の記事を読み返して自分でも少し気になる部分があったので再度確認してみました。
>『ウルトラセブン』の初放映は昭和42年10月からでした。
>福井には(今でも)TBS系列局が無いためリアルタイムではなかったと思いますが、おそらくキー局より数週間遅れで観ていたのは間違いないと思います。
>なぜなら、当時の私(3歳~4歳)のお絵かき帖には近所を走っている電車(のようなもの)とウルトラセブン(らしきもの)しか描かれていませんでしたから(笑)。
よくよく考えてみると3歳児の頃に電車やウルトラセブンと分かるような絵が描けたとは思えませんし、友達とウルトラセブンごっこをして遊んだのはもっと大きくなってからだったように思います。

どうも記憶違いをしている気がしたので、今日(10/3)帰りに図書館に寄って昔の新聞を調べてみました。
昭和42年10月から半年ごとのテレビ欄をチェックして福井での『ウルトラセブン』放送開始日を探し出しました。
その結果・・・

福井で『ウルトラセブン』が放送開始されたのは昭和44年4月からでした。
私は昭和39年5月生まれですからセブンに初めて接したのは5歳くらいの時だったことになります。
5歳であれば電車の絵もウルトラセブンの絵も(拙いながらも)描けるでしょうし、友達同士でウルトラセブンごっこで遊ぶこともあるでしょう。
これで自分でもスッキリしました。
それにしても、番組名の頭に付いた「カラー」のマークが時代を感じさせてくれますね。
もちろん、当時の我が家のテレビは白黒でした。
また、当時福井で唯一の民放局だった福井放送は日テレ系をベースにクロスネットでTBSと朝日系列もカバーしていました。
よく見ると同じ時間に朝日テレビ(現:朝日放送)でも『ウルトラセブン』をやっていますがこちらは再放送です。
つまり、福井放送は朝日テレビの再放送電波をそのまま福井に引っ張ってきていただけ?。
当時の福井県民は見たい番組があっても福井放送がその番組を購入して放送してくれなければ見ることは出来なかったのですね・・・。
以上、訂正と追記でした。
再度お付き合いいただきありがとうございました。