私のオーディオ・ビデオ遍歴(第6回) ~J30って知ってるかい?~
私がかつて愛用したAV機器の数々を自分史を兼ねて回顧する不定期連載「私のオーディオ・ビデオ遍歴」。
早いもので6回目を迎えました。
(いや、2年でたった6回では遅過ぎですね:笑)。
過去の記事は以下のリンクよりご覧いただけます。
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第1回) ~全てはヤマトから始まった~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第2回) ~はじめてのビデオ~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第3回) ~わしらのビデオはビクターじゃ!~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第4回) ~ビデオカメラで太陽を撮ってはいけなかった頃の話~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第5回) ~サクラサク~
【突然ガバチョ!】
本題に入る前に少しだけ大学生活の思い出話を語らせていただきます。

親元を離れ、大阪での一人暮らしが始まりました。
田舎から出てきたばかりの私にとって大阪はまさに夢の世界でありました。
まず、映画館の数が福井とは比べものになりません。

「映画館名簿」を紐解いてみると、当時('83年)福井市内にあった映画館の総数はポルノ専門館を含めて全部で12館。
新作映画であってもマイナーな作品は封切が大幅に遅れたり、酷い場合には全く上映してもらえないことさえありました。
(ただ、都会では単体上映だった作品を2本立てで上映してくれたりしてお得に見られることも多かったですが)
それでも、福井には収容人数800名を超える70ミリ上映館が2つもありました。(テアトル福井と放送会館大ホール)
その点ではお隣の石川県に勝っていたことが福井の映画ファンの誇りでありました。

ところが大阪では梅田だけでも23館以上。(↑は’80年初頭のデータなので梅田ピカデリー等松竹系劇場が入っていない)
私の行動範囲内であったミナミや天王寺近辺も含めると60館以上で、そのうち70ミリ設備のある劇場は10館近くもありました。
大きさに関しても、大阪にはキャパ千人越えの劇場などいくらでもありました。
上映される映画も「ロードショー」誌や「スクリーン」誌に載っているタイトルは全て封切り日に公開されますし、雑誌や新聞で少し調べると「これを映画館で見られるのか!?」とビックリするような作品の再上映が見つかることもありました。
田舎から出てきたばかりの私にとって、それは想像していた以上の「カルチャーショックでした。

テレビ番組に関しても同様です。
チャンネル数が多いのは当然として、関西ローカルの自社制作番組がどれも個性的で滅茶苦茶面白いのです。
中でも当時の私がお気に入りだったのは、MBSの『突然ガバチョ!』という番組でした。

『突ガバ』は私が初めてTV局の番組収録に参加した記念すべき番組でもありました。
大学の友達がチケットを手に入れてくれたおかげで、『突ガバ』の名物コーナー「テレビにらめっこ」に数人の仲間と一緒に参加させてもらったのです。
「テレビにらめっこ」とは、鶴瓶さんが投稿ハガキのしょーもないギャグを淡々と読み上げる前でギャラリーは決して笑ってはいけないというものでした。
我慢出来ずに笑ってしまった参加者は「指摘マン」と呼ばれる珍妙なゲスト(?)に指摘され、さらに「退場マン」というムキムキのボディビルダーたちによってスタジオから連れ出されてしまうのです。
収録では私の前列に座っていた女友達が笑ってしまったのを指摘マンに見つかり、続いて退場マンに抱きかかえられて悲鳴を上げながら連れ去られて行きました。
そしてその後ろで大笑いしている私の姿もテレビにしっかり映っていたのでした。
彼女が笑ってしまったネタがどんな内容だったかもあの時の指摘マンがどんなキャラだったかも今では思い出せないのですが、とにかく緊張感があって楽しい現場であったことと参加者全員に振舞われたたこ焼きが美味しかったことは今でもよく覚えています。
あんな経験は福井では絶対出来ません。
変なところで「大阪に出てきて良かった~」と心底思いました(笑)。
ところで、当時『突ガバ』は大変な人気番組でそのスタジオ観覧権といえばまさにプラチナチケットだったはずですが、友人がそれをどうやって手に入れたのか(しかも複数名分)が不思議でなりませんでした。
その理由は「口止めされているから」と長い間教えてもらえなかったのですが、ずいぶん後になって酒の席で明かしてくれました。
実は『突ガバ』のレギュラー出演者の一人が私と同じ大学の同期生(学科は別)だったのです。
その伝(つて)で何人分かの入場券を融通してもらったのですが、もしそのことが知れ渡ると「俺も私も」と依頼が殺到してご本人に大変な迷惑がかかるため固く口止めされていたのだそうです。
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です(笑)。
【仲間たち】
大学が始まってしばらく経つうち、私にも何人かの仲間が出来ました。
最初に親しくなったのは、入学ガイダンスで席が隣同士になり最初に声をかけ合ったK君です。
K君は自分のビデオは持っていませんでしたが、実家にはビクターのビデオデッキがあるとのことでした。
「♪ビデオはビクタ~って言うもんね。」と笑いながら言う彼に同じビクター製ビデオを愛用する者として強いシンパシーを感じ、ビデオのことや好きな映画やアニメの話で盛り上がったのでした。
彼の家ではビデオ以外にもTVやオーディオなどはほとんどビクター製品だったそうです。
それには理由があって、茨城県の彼の実家のすぐ近くにはビクターの大きな工場があって、彼のお父さんはそこの社員だったのです。
ただ、K君自身はビデオの型番や性能にはあまり興味が無いらしく、自分の家で使っているデッキの型番も分からないと言っていました。
彼の話によると、買ったのは’80年頃でテープの出し入れはポップアップ式、そして3倍モードが付いた一番最初の製品とのことでした。
その話が確かなら、それはHR-6700ではないかと思われます。

HR-6700といえば、私が初めてビクタービデオの高性能に触れたマシンです。
(ただしそれは故障したシャープ:ビデオテレビV8の修理代替え機としてでしたが)
そんなことからもK君には強い親しみを感じておりました。
K君は昔から下の名前から”フクちゃん”と呼ばれていたそうで、私もそれに倣って”フクちゃん”と呼ぶようになりました。
フクちゃんは「んでもさあ」とかやたら「ん」で始まるお国訛りを隠そうともせずいつも独特のイントネーションで喋るため、普段エセ関西弁で喋っていた私も彼と一緒の時はいつの間にか福井弁に戻っていたりしました。
おおらかな性格の彼といつもドタバタしている私は何故か妙にウマが合い、気が付けば卒業するまで一緒に行動する相棒になっていました。

あと、今にして思うとフクちゃんの容姿は鈴木福くんに似ていたような気がします(笑)。
名前はともかくとして雰囲気はあんな感じの奴でした。
同級生の中にはビデオデッキを持っている者も何人かいましたが、私は「ステレオ対応の最上級機を持っているのは自分くらいだろう」と少し天狗になっておりました。
・・・が。
やはり上には上がいたのです。

山口県から来ていたH君はなんとあのソニー:SL-J9を持っていました。
SL-J9はかつて私も憧れた名機の中の名機です。
まさか同年代でこれを持っている奴がいるとは想像もしていませんでした。
それだけではありません。

彼はSL-J9を20インチのプロフィールモニター:KX-20HF1とセットで使っていると言うのです。
最初その話を聞いた時は「コイツ、どうせ親が医者か社長のボンボンやろ。」と嫉ましく思ったものです。
ところが、彼の下宿部屋を訪ねてみるとそこは4畳半一間のみすぼらしい安アパートで、室内にはビデオとモニター以外金目のものは何一つありませんでした。
H君は私と同じく、高校時代必死にアルバイトしてベータマックスJ9とプロフィールモニターを手に入れたのだそうです。
それを聞いた私は即座に彼を「仲間認定」し、βユーザーとVHSユーザーの垣根を越えて意気投合したのでありました。
そして話をすればするほど私は彼の持つβの知識とソニー愛に一目置くようになり、私はH君のことを敬意を込めて”師匠”と呼ぶようになりました。

「知ってるかい?。アニメ『銀河旋風ブライガー』に出てきたJ9って、このSL-J9から付けられた名前なんだぜ。」
愛機に触れながら自慢げにそう語っていた彼の姿を今でも昨日のことのように思い出します。

最高級ビデオを持っていた猛者は師匠だけではありません。
岡山出身のF君が自慢げに見せてくれた・・・いや、見せびらかしたのは、高さ8センチのスタイリッシュなビデオ、ソニー:SL-F11でした。
F11は画質・動き・デザインの全てにおいて優れたカッコ良いビデオデッキで本当に羨ましかったです。
ただし、F君は本当に会社社長の息子だったという正真正銘のボンボンでした。
当然、SL-F11も親が進学祝いとして買ってくれたものだそうです。
それを聞いた私と師匠は、彼を”ボン”と呼ぶようになりました。
本人は自覚がないのか最初のうちは「『太陽にほえろ!』みたいだ」と気に入っていたみたいでしたが、後になって真意を知ってからは「俺はボンボンなんかじゃねえ。」と言い返すようになりました(笑)。
ボンを羨ましく思ったのは、SL-F11よりもむしろ彼が持っていた市販ビデオソフトでした。

彼はなんと『ルパン三世カリオストロの城』と『劇場版・機動戦士ガンダム3部作』のCM無・ノーカット・ノートリミングの市販ビデオソフトも持っていたのです。
『カリ城』は約2万円、『ガンダム』はそれぞれが約1万5千円くらいだったと思います。
それらは私にとってまさに垂涎ものでした。
水曜ロードショーで放映された『カリ城』は画面左右がトリミングされたもので、内容も7~8分ほどカットされていました。
しかし、本家東宝から発売されていたビデオソフトは上下黒味入りのビスタサイズノートリミングでしかも完全ノーカットです。
(最初期の『カリ城』ビデオは90分に短縮されたものだったが彼が持っていたのは[完全版]のほう)
また、『劇場版ガンダム』は当時まだ一度もTV放送されていなかったため、レンタルビデオ普及前は自分で市販ビデオを買う以外見返す方法はありませんでした。
しかし、仮にそれらを貸してもらえたとしても私のHR-7650で見ることは出来ません。
だって彼が持っているそれらのビデオカセットは全てβ方式なのですから。
また、ボンは根はいい奴なのですけど時々他人を見下すような態度を取ることがあって、それで私も何度かカチンとくることがありました。
特にビデオの話になると私やフクちゃんのようなVHSユーザーを一方的に見下してくるのです。
それで奴とは激しく口論したこともありました。
ボン「テープとヘッドの相対速度はβⅡが6.993 m/sでVHS標準は5.8m/sしかない。だからβⅡのほうが画質が良い。」
私 「ヘッド幅58μmのβⅠなら確かにそうだ。でもβⅡのヘッド幅は半分の29μmしかない。ヘッド幅58μmのVHS標準のほうが相対速度は遅くても記録する情報量は多い。」
ボン「βは静止画もスローもピクチャーサーチも綺麗だ。」
私 「でも、βⅡの画面(特に静止画)には必ず画面右側にモヤモヤとしたノイズが出るのが気になる。」
注:標準規格βⅠの偶数倍であるβⅡでは水平同期信号(H信号)の記録位相が揃わなくなるため「H並びノイズ」と呼ばれるノイズが出ていた
ボン「βは常にテープローディング状態にあるので動作が機敏。VHSはいちいちローディング解除するため動きが遅い。」
私 「俺もSL-F1を使ったことがあるからそれは認める。でも映画を録って見るだけなら別に必要ないだろ。」
今にして思えばたかだか水平解像度200本程度のビデオの画質の優劣を真剣に言い争っていたわけで恥ずかしい限りです。
しかし、当時の私(とボン)はなんとかして相手を凹ましてやろうと必死でした(笑)。
そしてもう一点。(まだ言うか)
リニア音声に関してはVHS標準モードのほうが明らかに上でした。
リニア音声はテープの走行速度の差がそのまま出るため、走行速度:33.34mm/秒のVHS標準のほうが20.00mm/秒しかないβⅡより明らかにヒスノイズが少なくダイナミックレンジも広いのです。
(それでもカセットテープ以下の音質でしかないのですが)

受験の時知り合った連中とも再会し、「おお~君も受かってたんか!」とお互いの合格を祝いました。
その中の一人、写真学科のN君は東芝ビュースター500というSL-J9みたいな大型サイズのビデオを持っていました。
音声はモノラルですが、特殊再生に特化されたビデオとのことでスローやコマ送りのクリアさはソニーの上級機をも凌いでいたと思います。
余談ですが、東芝は最初β方式のことを「βコード」と呼んでいました。
東芝は家庭用ビデオフォーマット戦争勃発前後の頃「Vコード」という独自規格を発表していましたが、性能に優れるβとコストパフォーマンスに優れるVHSの登場によって撤退を余儀なくされました。
そのかつての独自規格の名残から「βコード」という名前にしたそうです。
そういえば、東芝は十数年前にもBlu-rayに対抗して自社規格のHD-DVDをゴリ押しして消費者を混乱させたことがありましたが、その企業体質は家庭用ビデオ戦争の頃からすでにあったのですね(笑)。

一番凄かったのは、フクちゃんの高校時代の先輩Yさんです。
Y先輩は’78年発売のソニー:SL-8500という年代物のβデッキを使っていました。
SL-8500は2時間録画のVHSに対抗して発売されたβⅡ専用機です。('78年にはまだβⅢは無い)
Y先輩の凄さはビデオデッキ本体ではなく、彼が持っていた録画ライブラリーの数々です。
なんと、『ウルトラ』シリーズ全作品をβⅡで録画保存していたのです。
’78年から’79年にかけて巻き起こったウルトラマンブームの頃に再放送された初代『ウルトラマン』から『レオ』までの6シリーズ全話(ただし『セブン』第12話は無し)はもちろんのこと、驚くべきことにモノクロの『ウルトラQ』まで全話揃っていました。
福井ではモノクロ番組が再放送されることはまず無かったため、私はこの時まで『ウルトラQ』を見たことがなかったのです。

また、Y先輩がその録画テープに費やした金額にも驚かされました。
’78~’79年頃のビデオテープといえばL-500(2時間録画)が4,000円くらいだったはずですが、一本につきCM込みで4話づつ録画したテープが『ウルトラQ』から『レオ』までざっと80本以上!。
注:昭和54年にはL-750(3時間テープ)はまだ存在していない
1本4,000円のテープが80本以上ということは全部で32万円近くもテープ代に注ぎ込んだという計算になるわけで、それはビデオデッキをもう一台余裕で買えてしまうほどの金額です。
Y先輩は他にも『宇宙戦艦ヤマト』全26話や最初の『天才バカボン』、あと初回放送時の『機動戦士ガンダム』全43話などの貴重な録画テープも持っていて、そうした彼の全てのテープ代全部を合わせると50万や60万どころではない気がします。
Y先輩はこのテープ代を稼ぐため高校時代からずっとアルバイトに精を出していたのだそうです。
そして、私たち後輩に貴重なアドバイスをくれました。
「1回生のうちは遊びやバイトは我慢してちゃんと授業に出ろ。そして一般科目の単位を取れるだけ取っておけ。2回生からは制作実習が増えるから必修科目と両立するのは大変だぞ。」
なるほど。
確かに実習科目が少ない1回生のうちに語学や一般教養の必修科目をあらかた済ませておけば、2回生からは自主映画制作でもアルバイトでも好きなことが出来る時間が作れるようになります。
私「ありがとうございます。」
Y「俺みたいにはなるなよ。」
私「・・・・・・。」
こうして何人ものビデオ猛者に出会ううちふと気付いたことがありました。
「あれ?。ベータを使ってる奴のほうが多い気がする・・・?。」

大阪はナショナル(現:パナソニック)、日立、シャープ等主だったVHSメーカーのお膝下です。
だから当然VHSユーザーの方が圧倒的に多いはずだと思っていました。
しかし現実はそうではありませんでした。
少なくとも私の周辺では、ビデオデッキを持っている者のうち7対3くらいの割合でベータ派のほうが多かったのです。
それは私の通う学科が映像制作を目的としていたことと無関係ではないと思われますが、VHSの画質・音質に納得してHR-7650を買った私としては少々ショックな事実でありました。
そして・・・。
この時、私の中に身の程知らずな欲求がふつふつと沸き起こり始めたのです。
「二台目のビデオが欲しい。そして今度はベータを・・・。」
それは決して実現不可能な話ではありませんでした。
なぜならば、この時はまだ進学祝いとして貰ったお金が15万円ほど残っていたのですから。
しかし、この時は私にもまだ自制心というものがありました。
私にはそのお金で買いたいものがあったのです。
一つ目は8ミリフィルムカメラと編集機材です。

当時の大阪芸大映像計画学科では主に8ミリフィルムで作品制作を行っていました。
(Y先輩が忠告してくれた通り)1回生のうちは語学や社会学などの一般教養の単位を取ることが優先なのでまだ自分のカメラの必要性は少ないです。
しかし、2回生からは授業でも作品作りが大幅に増えるため、自分のカメラと編集機材(ビュワー・スプライサー・映写機)を持っていると何かと有利なのです。
もう一つは新しいテレビです。

実家から持ち込んだソニー:KV-1312Uは’70年購入という年代物ですが、テレビ放送やビデオを見る分には特に不都合はありませんでした。
しかし、この頃の私は13インチという画面サイズに対してフラストレーションが募り始めていたのです。
13インチテレビ(4:3)の画面サイズは縦:19.8cm x 横:26.4cmです。
これは一般的な雑誌のA4サイズ(21.0cm×29.7cm)より少し小さいサイズで、オーディオシステムと組み合わせて映画を見るにはあまりにも映像と音響のバランスが悪かったです。

当時のブラウン管テレビは「画面の高さの5倍以上」が適切な視聴距離と言われてました。
私の場合オーディオとの関係でテレビから視聴位置までの距離が150cmほどでしたから、私の部屋にちょうど良いテレビサイズは画面高さが約30cmの20インチということになります。
それで、ビデオ入力端子付き20インチテレビが欲しかったのですが、アンプとスピーカーを買う時にかなり予算オーバーしてしまったためテレビを買うお金が足りなくなってしまっていたのです。
新しいテレビの話は次の「私のオーディオ・ビデオ遍歴」(第7回)で語らせていただきます。
【下駄を鳴らして奴が来る】
日増しにβ機購入への欲求が高まりつつあったある日のこと。
私の背中を強く押すことになる男が私の下宿部屋にやって来ました。
その男とは、高校時代一緒にビデオ映画を制作した仲間の一人О君です。
彼は元々兵庫県の出身で、中高生の時だけ父親の仕事の都合で福井に住んでいたのですが、高校卒業後は大阪の大学に進学してこの春から西宮の実家に住んでいました。
同じ関西に進学した同級生には住所を教えておいたことから、彼はわざわざ休みの日に私を訪ねて来てくれたのです。
実家に住んでいる彼にとって私の一人暮らしの部屋はかなり興味深いものだったようです。
О君は「おお~、モノの配置に無駄が無い!。なんか、お前らしくないぞ~。」とからかい、私のHR-7650を懐かしそうに触りながら「お前んちに泊まり込んでこいつで編集したっけなあ。」と一年前の思い出話に花を咲かせたのでした。
そうして完成作品を見ているうち、やがて二人とも猛烈に撮影素材テープも見たくなってしまったのです。
なぜなら、撮影テープにはOKテイクだけでなく当時の仲間の素の表情や冗談を言い合うところもしっかり収録されているのですから。

しかし、撮影はソニー:SL-F1(レンタル機材)で行ったため、そのテープは当然β方式です。
VHSしか無い私の部屋ではどうやっても見ることは出来ません。
師匠やボンの下宿へ行って再生させてもらうことも考えましたが、О君にしてみれば全然知らない奴の家に行ってプライベートビデオを見るのは嫌だとのこと。(当然です)
そんなわけで、私たち二人は見ることが出来ない懐かしのβテープを歯がゆい思いで眺めながら久し振りの再会をお開きにしたのでした。
【おばあちゃんの声】
ゴールデンウィークが明けてしばらくたった頃、以前から病気で臥せっていた祖母が亡くなりました。
祖母は私と妹を幼い頃からとても可愛がってくれて、自身も映画が好きだったことから私たち兄妹を何度も映画館に連れて行ってくれた人でした。
祖母のお通夜と葬儀に参加するため帰省し、久しぶりに自分の部屋に入ったとき(О君との再会直後だったこともあって)家でビデオ撮影したときの記憶が蘇りました。
当時家の中のシーンを撮影している合間に時々両親や祖母にもカメラを向けて、「撮影を見ていかがですか?」とか「Yちゃん(妹)の演技はどうですか?」などとインタビューしたりして遊んでいたのです。
つまり、あの撮影テープには生前の祖母の動く姿と肉声が記録されているのです。
妹もそのことを思い出し「あのビデオ見たい!」と涙目になっていました。
これで私の腹は決まりました。
【ソニー専門店へ】

数日後、私は大学の友達2人と一緒に日本橋の電気屋街(通称:でんでんタウン)に行きました。
その目的はただひとつ
ベータ方式ビデオを買うためです。
同行者の一人は四畳半の狭い部屋にSL-J9とプロフィール20インチモニターを持ち込んでいた”師匠”です。
私もSL-F1をレンタルで使ったことがあるのでβのことも多少は知ってるつもりでしたが、実際にベータ機を買うに当たっては師匠の知識と経験を借りたいと思ったのです。
そしてもう一人は入学ガイダンスの時最初に声をかけたのがきっかけで親しくなったフクちゃんです。
まだ自分のビデオデッキを持っていない彼は「後学のために」とこの買い物に付き合ってくれたのでした。

向かったのはソニー専門店:ナックでした。
「ソニー製品を買うならやはりソニー直営店がいいだろう」という師匠の意見に従いました。

私のお目当てはやはりSL-F11でした。
というのも、ソニーはこの春新規格ベータHiFiを採用した最上位機種:SL-HF77を市場に投入したばかりだったため、ノーマル音声の前世代機SL-F11は型落ち商品となって大幅に値下がりしているはずだと踏んでいたのです。
ところが!。
この時SL-F11に付けられていた値段はおよそ25万円!。
これは元値の9割程度で現役時代とほとんど変わらない値段です。
師匠が「よし、俺に任せろ!」と値引き交渉してくれましたが、「新型(HF77)が出た今もF11の人気は全く衰えていないので値引きはしない」とのことでした。
どんなに頑張ってみても15万円程度の予算に収まるはずもなく、結局諦めるしかありませんでした。

F11のモノラル版SL-F7ならなんとか予算内に収まりそうな感じではありました。
しかし、私はどうしてもステレオ/音声多重のビデオが欲しかったのです。
なぜならば、師匠とボンが持っていたのがどちらもステレオビデオだからです。
彼らが持つ貴重な映画の録画テープの中には二か国語で記録されたものも少なくありません。
それらを貸りて完全に再生するためには私もステレオビデオが必要なのです。
フクちゃんは「そこまで拘らなくてもいいんじゃないの?。」と笑っていましたが、この時の私にとってステレオ対応は重要なことでした。
そうこうしているうち、私はふと奥のほうの棚に目が行きました。
そこには、幅46センチ高さ17センチという大型サイズの旧式βデッキたちがひっそりと展示されていたのです。

20万円を切った簡単ビデオSL-J10の後継機J20。

ダイヤル操作で番組予約を簡単にしたSL-J25。(なぜかカラオケ機能まで付いてる)
そしてその奥にもう一台。
他の2台より少し高めの値段が付けられた機体がありました。

SL-J30
旧式の大型ボディではありますが、これでもれっきとしたステレオ/音声多重対応ビデオです。
SL-F11みたいな俊敏さこそありませんが録画再生テストしてみると画質はF11に勝るとも劣らない印象です。
何より、HR-7650愛用者としてはこの大型ボディに馴染みというか安心感がありました。
(横幅460mmはHR-7650と全く同じ)
元値は19万8千円。
値札は1割5分引きくらいでしたが、しつこく交渉してみたところ3割引きの13万8千円にしてくれました。
これなら余裕で予算内に収まります。
「決めた!これにする!!」
【昭和58年5月】
■ベータ方式ビデオデッキ
ソニー:SL-J30 198,000円

とうとうやってしまいました。
私は学生の身分でありながらVHSに加えてソニーのβも手に入れて、ビデオの両刀使いになったのです。
これでボンのビデオソフトやY先輩の特撮ライブラリーを貸してもらうことが出来ますし、VHS⇔β間の相互ダビングが可能になりました。
TV録画でもL-750を使えば標準画質(βⅡ)で3時間録画が可能なので、今までみたいに2時間40分以上の映画を2本に分けて録画する無駄も無くなります。

SL-J30は、J9ほど重厚でもなければF11のようにスタイリッシュでもありません。
ローディング時にはガチャンと音がしますし、ピクチャーサーチの線も太いです。
それでも映像は明るくメリハリが効いて色は少し青味が強い、いわゆるソニー画質そのものでした。
別売りのワイヤレスリモコンもありましたが、当時は離れて操作する必要性を感じていなかったので買っていません。
また、SL-J30は他の廉価機にはない「ウィークリー(毎週)タイマー録画機能」を装備していました。
私の場合、夏休みや正月休みは福井へ帰省することになりますが、その間福井では放送されていない番組は見られないことになってしまいます。
しかし、L-750テープをβⅢ(4時間30分)で毎週録画予約しておけば、30分のTVアニメなら9週間分(2ヶ月強)も録画出来ます。
【It's a Sony?】
SL-J30を買うことを決めた私は「せっかく来たのだから」と師匠とフクちゃんとの3人でしばらく店内を見物することにしました。
特に師匠は大のソニーファンでしたから、右を向いても左を向いてもソニー製品(しかも最新型ばかり)という店内で大はしゃぎしておりました。

当時('83年春)はCDが発表されてまだ間もない頃です。
ソニーはCDのライセンスホルダーの一社だったので大々的にデモンストレーションを展開しておりました。
そして、CDと同じくらいの規模で客にアピールしていたのが、世界初のハイファイビデオ:SL-HF77でした。

店内ではSL-HF77を27型プロフィールモニター(当時最大級)とオーディオコンポに繋ぎ、ソニー所属ミュージシャンのライブビデオなどをデモ再生しておりました。
師匠はそれを物欲しそうな目でじ~っと眺めていましたが、急に「あれ?、なんじゃこりゃ!?。」と素っ頓狂な声を上げたのです。
私もその映像の違和感には気付いておりました。
ひどく画質が悪いのです。
師匠のJ9やボンのF11とは大違いで、解像度が低くて色も薄くβらしいシャープさがまるで感じられません。
しかも画面全体にモヤモヤと線状のビートノイズが乗っていて、特に暗部でよく目立ちます。
「βⅢか?」と思いましたが、HF77の表示は確かにβⅡになっていました。
トラッキング調整をいじっても改善されないことから、それがトラッキングずれによるものではないことは明白です。
音は確かにクリアで力強いですが、映像は従来のベータ機やVHS標準より間違いなく劣っていました。
そこに一人の若い店員がニコニコと近寄ってきました。
店員「どうです、いいでしょう。ベータHiFiは映像信号の隙間にFM放送と同じ音声信号を記録しているんですよ。」
私 「はあ・・・。」
店員「オーディオに繋いでもカセットテープなんかよりずっといい音ですよ。」
私 「いや・・・、音は確かにいいんですけど、なんか画質悪くないですか?、これ。」
店員「いやいや、これはうち(ソニー)の最新型ですから、画質も今までのものよりいいですよ。」
私 「いや、うちのVHS標準のほうがよっぽどシャキッとしていて色も綺麗なんですけど。」
店員「(ムッとして)いや、VHSと較べられてもですね・・・」
と、店員がそこまで言ったとき、師匠が私の援護射撃をしてくれました。
師匠「すみませんが、そのHF77とF11とで同じ番組を録画・再生して見せてくれませんか。」
この時、HF77とF11はセレクターを介して同じ27インチモニターに接続されていました。
そこで同じ番組を2台同時に数分間録画して、その再生画質をセレクターで切り替えながら見比べてみたのです。
(確かNHKのスタジオ対談番組だったと思います)
その画質差は誰の目にも明らかで、HF77の画質の悪さを完膚なきまでに証明することになりました。
しかも、試しにHF77のHiFi音声をOFFにしてみるとF11と同じくらいに解像度が上がるではありませんか。
「意味ねー!」
と、私たち3人は店員の前で思わずハモってしまいました(笑)。

βハイファイ方式は映像信号の隙間に無理やりFM音声信号を記録する方法をとっています。
後で判ったことですが、最初のHF77やHF66/55では音声信号がビデオ信号に干渉して画質に悪影響を及ぼしていました。
ソニーはハイファイ音声による干渉が生じないよう映像信号の記録範囲を若干シフトさせましたすが、これが後のハイバンドβに繋がっていくことになるのです。
また、HF77も後期型は微ハイバンド化されて、初期型も基板交換か何かで対応していたと記憶しています。
【購入とセッティング】
SL-HF77の画質の悪さを頑として認めようとしなかった店員の態度は気に食わなかったですが、SL-J30の底値は他店でもあまり変わらないと分かったのでそのままナックで会計を済ませて店を出ました。
20キロ近い品物を持って地下鉄と近鉄電車を乗り継いで帰るのは大変なので(アンプを買ったときに懲りた)今回は後日配達してもらうことにしました。
そしてその翌々日(だったと記憶しています)、部屋にSL-J30が届きました。
設置には若干の工夫と追加出費が必要になりました。
テレビの両隣にはすでにHR-7650とA-100(アンプ)を置いていたため、まずSL-J30の置き場所を確保しなければなりません。
試しにSL-L30の上に直接テレビを置いてみましたが、これは画面にカラーノイズが盛大に出てしまってダメでした。
ビデオデッキは磁気で映像を記録しているため、ブラウン管に強く干渉してしまうのです。
HR-7650の上に重ね置きも同じ理由で却下です。
2台のビデオの磁気と熱と振動の悪影響でどちらも画質が悪化するだけでなく、最悪の場合機械そのものが壊れてしまう可能性さえあります。
これは、かつてシャープのビデオ内蔵テレビ:CT1818Vで散々な目に遭ったことから得た教訓でした。

そこでソニーから発売されていたビデオとテレビの間に挟むスペースボードを買ってみました。
内側は空洞になっていて放熱孔を塞がない形になっており、板の裏側にはぶ厚い金属板が張られていてそれで磁気を遮ってくれるというものです。
実売千円ほどだったのでこれを買ってSL-J30の上に載せ、その上にテレビを置いてみました。
これならJ30が稼働中であっても磁気漏れは全くありませんし、テレビの高さが適度に上がって見やすくなりました。
また、KV-1312Uの横幅はSL-J30と同じくらい(450mm~460mm)だったので見た目もちょうど良かったです。
ビデオデッキ2台とテレビとの接続方法もいろいろと試行錯誤しました。

最初はアンテナ→HR-7650→SL-J30→テレビと直列に接続していました。
これだと2台のビデオ間をJ30に付属していた同軸ケーブル(VHF)とフィーダー線(UHF)で繋ぐだけで追加出費はありません。
しかし、この繋ぎ方には大きな問題がありました。
うっかりHR-7650をテレビ出力モード(1chに映像出力)にしたままSL-J30で録画をすると、全部のVHFチャンネルがノイズまみれになってしまったのです。


そこで、今度はアンテナケーブルを並列接続することにしました。
アンテナ線を2つに分ける分配器と、2つのアンテナ線をセレクトするアンテナ切替器を買い、それにJ30用にもう一つV/U分波器も買って下図のように繋ぎました。

こうすれば、HR-7650で再生しながらSL-J30で録画したとしても受信信号が乱れることはありません(逆も同じ)。
ビデオを見るときはアンテナ切り替え機で見たいほうのデッキを選べばいいだけです。
全部で5,000円ほどの追加出費が必要でしたが、これは我ながら良いアイデアだったと思っております。
翌日は買い物に付き合ってくれた師匠とフクちゃんも誘ってSL-J30(βⅡ)とHR-7650(VHS標準)の画質比較をすることになりました。
すると師匠は「お前んちの小さいテレビでは画質の違いなんか分からん。」と言って、わざわざ自分の20インチプロフィールとさらにSL-J9まで私の部屋に持ち込んで来てくれました。
私 「え?、J9も?、なんで?。」
師匠「HR-7650と安物のJ30なんかと比べても7650のほうがいいに決まってる。それはβの名折れだ。俺のJ9と勝負しろ。」
とワケの分からない挑戦状を突き付けてきましたが、本音は彼もVHSとβの頂上決戦を見てみたかったのだと思います。
だって、HR-7650とSL-J9をガチンコで見較べられる機会なんて今後2度とないでしょうから。

いよいよSL-J30とHR-7650、そしてSL-J9も交えた三つ巴の性能対決であります。
モニターは師匠が貸してくれたソニー:プロフィール20型KX-20HF1。
TV台の中央に据えた20インチモニターは、私にとってちょうど良いサイズ感で迫力もありました。
ただし、プロフィールモニターには入力端子が1系統しかなかったためケーブルはその都度抜き差しします。
音声は3台の音声出力を私のオーディオシステム(アンプ:A-100&スピーカー:S-X4)にピンケーブルで繋ぎアンプで切り替えます。
録画・再生テープには公平を期して富士フィルムのスーパーHGを使いました。
βⅡと標準モードで同じTV番組を10分程度録画して解像度・ノイズ・色あい・音の聴きやすさなどを納得いくまで比較するやり方です。
話を聞きつけたF11使いのボンが「自分も見たい」と言ってきたので、「カリ城』と『ガンダム3部作』のビデオソフトを貸してくれる」ことを条件に彼も招待しました。
これで市販ビデオソフトを使った再生画質チェックも行えます。
ということは、同じ内容のVHS版ソフトも必要ということですから、隣町のレンタルビデオ店まで足を運んでVHS版『カリ城』を借りてきました。
ちなみに、この時のレンタル代は一泊二日で千円!。
バカ高いですが当時はそれくらいが当たり前でした。

まず私のJ30と師匠のJ9との比較からです。
相撲でいえば関脇と横綱といった感じですが、贔屓目抜きでJ30は良く健闘していたと思います。
目に見える大きな違いは画面の明るさで、J30は明るくメリハリある画質でしたがJ9は全体的に大人しい印象でした。
正確にはJ9は明るい部分も暗い部分も潰れることなく細部の情報を引き出す感じでしたが、J30は明るい部分のデティールが潰れがちでどうやら明度のピークを故意に持ち上げている印象でした。
見た目はJ30のほうが鮮明ですが、J9は業務用に近いナチュラル志向の画質だったと思います。
また、『カリ城』市販ビデオソフトの再生でもその傾向は同じでした。
面白かったのは、J30で録画したテープをJ9で再生したり、逆にJ9で録画したテープをJ30で再生すると、それぞれ再生に使った側の特徴が表れることでした。
つまり、大人しい印象の映像を見せるJ9で録画したテープも、J30で再生すると元気いっぱいの派手な画作りになるというわけです。
おそらく記録性能自体はどちらもほぼ同等で、再生時の絵作りが大きく違っていたのだと思います。

次はSL-J30とVHSの横綱(笑)HR-7650との対決です。
この比較ではJ30がかなり人工的な画に見えました。
比較相手がナチュラル指向のHR-7650だったことで、J30の輝度操作や強めの輪郭補正が余計目立ったものと思われます。
逆に7650の輪郭補正は控えめで、良く言えば「自然」、悪く言えば「眠い」映像に見えました。
解像度の点では全員がイメージしていた通りの結果でしたが、色合いに関しては明らかにHR-7650のほうが良かったです。
7650は出演者の肌色や赤い服が自然な色合いでしたが、一方のβは色が薄めで赤に若干色ノイズが乗っていました。
ただし、色ノイズは師匠のJ9には見受けられなかったので、これがJ9とJ30の10万円近い価格差なのでしょう。
この比較でも『カリ城』を使って市販ソフト再生画質比較をしてみました。
β版はボンの私物、VHS版はレンタル店で借りたものです。
市販ソフト再生の画質はVHSの圧勝でした。
これは決して私の贔屓目などではありません。
J9使いの師匠とF11使いのボンが二人とも口を揃えて認めていたので確かだと思います。
疑似輪郭が少なく色乗りも良くて、少なくともアニメに関してはVHSのほうが自然に見られる気がしました。
(ただし、これについてもHR-7650とSL-J30の価格差を考慮する必要はありますが)

最後は7650とJ9による頂上対決。
千秋楽の結びの一番、横綱同士の対決です。
この2台はどちらも甲乙付け難かったです。
「走行速度」云々といった理屈はともかく、HR-7650の標準モードとSL-J9のβⅡモードを目視で見比べた限りでは両者の差はほとんど感じませんでした。
わずかに色調の傾向とか輪郭補正の強弱に対する好みの差でしかなかった気がします。
(ただ、私はβⅡのH並べノイズがどうしても気になりましたが・・・。)
しかし、音(ノーマル音声)に関してはやはりVHSの圧勝でした。
VHS標準とβⅡとではテープ速度が倍違うのですから当然といえば当然です。
オーディオシステムで冒頭のカーチェイスシーンを聴き較べると、HR-7650のほうが台詞の通りも良く大野雄二先生の音楽は揺らぎ(ワウフラッター)が少なくて聴きやすいですし、爆音も音圧が強くて腹にズシンと来ます。
また、両方式で相互ダビングテストをしてみた結果、VHSの自然な再生映像を送り出しにしてβにダビングし、SLJ30の鮮鋭な再生画質で見ると画質劣化が少ない(と感じる)ことが分かりました。
その後、私と師匠が市販ソフトを全部自分用にダビングしたことは言うまでもありません(笑)。
だってこの時の私の部屋にはVHS1台とβ2台の計3台のビデオがあったのですから!。
師匠は全部のダビングが終わるまでJ9を貸しておいてくれました。
最終的に保存用エアチェックはVHS標準、録って見るだけの番組はβⅢ、そしてレンタルビデオが基本的にVHSを借りてダビング受けはβⅡと使い分けることしました。
そして最後に新しい仲間たちに私が高校時代に作ったビデオ映画を観てもらい、さらに撮影テープ(つまり未編集のメイキングビデオ)も一緒に楽しみました。
もちろん、亡きおばあちゃんの姿が映っている撮影テープはVHSにダビングして実家に送りました。
そしてその後、高校時代の旧友:О君にβデッキを手に入れたことを連絡して、思い出の撮影テープを見ながら一晩中語り合ったことは言うまでもありません。

(私の知る限り)大学内でもVHSとβ両方のビデオを持っていたのは私くらいだったと思います。
やがて他学科の連中からもダビングを頼まれるようになり、そのおかげで大学内での人脈が広がりました。
例えば、自分で写真を現像しなければならない課題がありましたが私は写真を現像する薬品や暗幕などは持っていません。
しかし、何度かビデオのダビング依頼を引き受けた写真科のN君に頼んだら「借りを返す」と快く手伝ってくれました。
ビデオ2台持ちはそんな意外なところでも役に立ってくれていたのです。
しかし、SL-J30を買ったことで貯金は完全に底を尽き、8ミリ機材も新しいテレビも買えなくなってしまいました。
もっとも、8ミリ機材については1回生のうちはまだ急ぐ必要は無いので焦りはありませんし、テレビの買い替えについても「夏休みにバイトすればなんとかなるだろう」くらいに楽観視しておりました。
【ベータマックスはどうなるの?】
その翌年の正月だったと思います。
ソニーがあの衝撃的な広告を出したのは・・・。

ベータデッキを買ったばかりの私にはもちろん、師匠やボンやY先輩など多くのベータユーザーに衝撃が走りました。
特にSL-J9を我が子のように大事にしていた師匠の狼狽ぶりは見ていて気の毒になるほどでした。
広告文は、落ち着いて読めば右下に「ノー」と書かれていて、これがソニー自身の手によるセルフネガティブキャンペーンであることが分かります。
あえてマイナスイメージとなる広告で注目を集めたうえで、消費者に前向きなメッセージを届けるつもりだったのでしょう。

現にその後も
「ベータマックスは買うと損するの?(ノー)」
「ベータマックスはこれからどうなるの?」
と続き、そして最後に
「ますます面白くなるベータマックス」
で締め括る4部構成になっていました。
しかし、最初の「なくなるの?」のインパクトが強すぎたせいで、ソニーの真意は世間に伝わらなかったのです。
私感ですが、ソニー以外のβ陣営メーカー(東芝・三洋・NEC等)がVHSに鞍替えし始めたのも、ソニーがマニア向けに大きくシフトチェンジしていったのもこの広告が出てからではなかったかと思います。

最後に。
あの広告に影響されたということではないですが、私が買ったβ方式ビデオデッキはSL-J30ただ一台限りでした。
その後の私はビデオではなくレーザーディスクへと興味が移り、バイトで貯めたお金のほとんどをLDソフトと8ミリ映画製作費に注ぎ込むようになっていきました。
SL-J30は一回のヘッド交換とメーカーメンテナンスを経て壊れるまで使いました。
長文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次回は新しいテレビのお話です。
