週刊映画鑑賞記(2020.10/23~2020.10/29)
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。
今週は、最初に最終回を迎えた朝ドラ『エール』の話から・・・。
連日
『エール』
(居間49インチ4K液晶テレビ:NHK総合)

生まれて初めてNHKの朝の連続TVドラマにどハマりしてしまいました。
4月に放送開始されてから1話も見逃すことなく、コ●ナで中断されたときも再開を心待ちにして、そして時には嫁や母親の前で声を出して笑ったりあるいは思わず涙ぐんでしまったり・・・。
「あんなもの、オバちゃん連中が朝の暇つぶしに見るものやろ。」と、今まで完全に馬鹿にしていたNHK朝ドラにここまで夢中になれた自分自身に驚いています。
しかし、よくよく考えてみれば、私は「あんなもの、子供の見るものだ。」と蔑まれていた特撮やアニメを中学・高校になっても卒業することなく見続けてきた人間なのです。
そんな私に今さら何を偉そうなことが言えましょうか?。
まあ、『エール』を見始めた一番の理由は「『モスラ』の作曲家のお話だから」というやはり特撮映画がらみだったわけですし(笑)。
あと良かった事は、このドラマを見ている間、当時のことを知る母(78歳)との会話が増えたことです。
初めて聞く母の子供の頃や青春時代の話も出てきたりして、普段あまり話をすることのなかった私たちに貴重な時間をもたらしてくれました。
あと、(変な話ですが)会話が増えたことによって母のボケ防止にも役立ってくれたような気がします。

見終わってみて少し残念だったのは、話数が短縮されたため終盤の展開がかなり駆け足気味だったことです。
例えば、戦後グローブ作りを始めたはずの五郎(演:岡部大)と梅(演:森七菜)のその後が全く描かれることなく、しかも音の母親:光子(演:薬師丸ひろ子)がいつの間にか亡くなっていたことになっていたのは驚きました。
しかも、五郎と梅も姪である華ちゃんの結婚式にも姿を見せていません。
生きているなら必ず姿を見せるはずの重要キャラクターなのに何故?。
カットされた10話分の間に五郎と梅の身の上に何があったのでしょうか?。
あと、番組開始時からずっと楽しみにしていた『モスラ』関連のシーンも無くてガッカリです。
だって、私が作曲家:古関裕而先生の名を初めて知ったのは他ならぬ『モスラ』だったのですから!。

しかし、ドラマをよく見ていると、シナリオ上には『モスラ』の回が存在したに違いないと思える場面がありました。
テレビでオリンピックを見ている浩二の娘が双子だったのです。
双子といえば小美人!。
「モスラの歌」の曲作りに悩んでいた裕一が、浩二の娘たちにヒントを得てあのハーモニーを生かした名曲を生み出した・・・みたいな展開が用意されていたに違いありません。
これらのカットされてしまったいくつかのシークエンスも、いつの日かドラマ化して見せていただきたいです。
過去、朝ドラの人気作(例えば『ちゅらさん』や『ひよっこ』など)は本編終了後にも続編やスピンオフが作られました。
『エール』も終盤でカットされた10話分相当をスピンオフか何かできっちり見せていただきたいです。

そして事実上の最終話。(最終回ではない)
あのエンディングは本当に素晴らしかったと思います。
病床に臥せ、やせ衰えた音の「海を見たい」という願いを聞き入れた裕一は彼女を支えて一歩づつ歩き始めます。

そのまま床が砂地に変わり、毎週見慣れたオープニングと同じ浜辺でじゃれあう若き日の二人のイメージシーンに!。
私、朝っぱらから涙腺崩壊してしまいました。
ぶわわ~っと。
それも、嫁と母の目の前で!。
裕一と音がただ老いさらばえて終わるのではなく、二人が最も輝いていた姿に立ち戻ってピリオドを打ってくれたことに激しく感動しました。
「現実逃避」とか「イメージに逃げた」とかいった批判もあるようですが、私はこの終わり方を選択したスタッフを称賛します。
ラストで二人がオープニングの海辺に還っていったとき、このドラマの最初と最後がリンクしたように思いました。
裕一(古関裕而さん)が私たちに遺してくれた応援歌(エール)の数々は、これからもずっと歌い継がれていくものなのですから。

そして最終回。(最終話ではない)
ストーリーとは切り離し、舞台でいうところのカーテンコールとして登場人物たちがNHKホールのステージで古関メロディを熱唱するという前代未聞のエンディングでした。
残念ながら「出演者総出」とはいきませんでしたが、それでもドラマ序盤を魅せてくれた子役さんたちの勢揃いを見ただけで思わず涙腺が緩みました。
そして本編ではカットされてしまった「モスラの歌」も、藤丸役の井上希美さんと千鶴子役の小南満佑子さんがザ・ピーナッツばりのデュエットで聴かせてくれました。
でも、これで私の留飲が下がったわけではありません。
先にも書いた通り、ぜひスピンオフドラマで裕一が「えっ?ドンガンカサクヤン・・・えええっ?」とか戸惑いながらあの名曲を作り上げるところを見せていただきたいです。
そして、このカーテンコールにも登場しなかった五郎と梅の二人の物語にもきちんと落とし前を付けていただきたいと願っております。
なにはともあれ、『エール』のキャスト・スタッフの皆さん。
半年(+2か月)の間、楽しませていただきありがとうございました。
11/25(金)
『フェイフェイと月の冒険』🈠
(ホームシアター:NETFLIX)

<あらすじ>
物心ついた頃から、今は亡き母が語る“月の女神の伝説”を信じ続けてきたフェイフェイ。
科学が大好きな彼女は、家族を巡る様々な悩みを抱えつつも《月の女神の伝説》を証明するために自らの手で宇宙船を作り、ウサギのバンジーとともに月へと向かうことを決意する。
そしてたどり着いた月の世界。
そこには不思議な王国や幻想的な生き物、そして思いがけない冒険が待ち受けていた
「ちょっと時間短めで面白そうな映画はないかいな」とNETFLIXメニュー画面からあれこれ探していたとき、妻が「これがいい!」と言うので決めた海外アニメです。
なるほど、「『美女と野獣』がディズニーアニメで一番好き」と言い、最近も『アナ雪』にどハマりした妻らしい選択です。
(余談ですが、元筋金入りのアニメファンだった彼女が歌う「レリゴー」・・・もとい「レット・イット・ゴー」はなんかもの凄く説得力あります。)

『フェイフェイと月の冒険』は、その『美女と野獣』をはじめとする90年代ディズニー・ルネサンスを支えた名アニメーター:グレン・キーン氏の初監督作品です。
キーン氏はいつの間にかディズニーを退社して自分のアニメ制作会社を立ち上げていました。

実は私が一番好きな2Dディズニーアニメは『ターザン』ですが、その主人公(ターザン)を描いたのもグレン・キーン氏でした。

また3Dアニメ『塔の上のラプンツェル』では、グレン氏がキャラの動きを手書きアニメで模範を示してそれをCGアニメーターが映像として表現するという形を取っていたそうです。
ラプンツェルはそれまでのディズニー3Dアニメ(当時ピクサーとは別だった)とは打って変わって表情豊かでダイナミックな動きを見せるヒロインでしたが、その立役者はグレン・キーン氏だったのです。
ただ、「名選手は必ずしも名監督にあらず」の言葉通り、名アニメーターもまた必ずしも名監督になれるわけではなかったようです。
(宮崎駿監督は例外中の例外なのでしょうか?)

『フェイフェイ~』には往年のディズニーアニメを思わせるミュージカルシーンがふんだんに登場しますが、ミュージカルに不慣れな私にとっては違和感のほうが多かったです。
「この時のフェイフェイの心情は普通にセリフで語らせたほうがいいのでは?」と思うことがしばしばでした。
この「音楽が五月蠅い」という感覚は新海誠監督の『君の名は。』と『天気の子』で感じた鬱陶しさと似ています。
大事な場面に限って急に歌いだすので、気持ちが乗りそこねてしまうのです。

キャラクターの動きや表情はすごく良かっただけに、ストーリーの弱さと音楽に振り回された感が強かったのは本当に残念でした。
でも、妻は「ペットのウサギがフワッフワでめっちゃ可愛い」と喜んでいたのでまあ良しとしておきます(笑)。
『ウルトラセブン』(4Kリマスター版)
(ホームシアター:BS4K録画)

第18話「空間X脱出」

<あらすじ>
ひと月に一度のウルトラ警備隊特別訓練が行われた。
そのスカイダイビングの訓練中、アマギとソガの消息が分らなくなる。
2人が迷い込んだ森は、吸血植物やダニ、大きな蜘蛛のような生物グモンガが生息する恐ろしい場所であった。
マナベ参謀は、その森がベル星人が作り出した獲物を捕らえる「疑似空間」であると語った。

中学生の時に腰を据えて「空間X脱出」を見たとき、この1カットに何かもの凄いSFマインドを感じて気持ちが高ぶったことを覚えています。

もっとも、結局は『天空の城ラピュタ』みたいに大きな雲の中に浮かぶ島のような空間で、ウルトラホークで普通に行き来出来る場所として描かれていたことがちょっとガッカリでした。
この高度からだと地球は↑のようには見えないと思うのですが、やはり時空が歪んだ世界だから地球があんな風に見えるということなのですかね。

空間Xに棲み着いている巨大クモ:グモンガ。
少々間抜けヅラではありますが、それでも巨大なクモが糸を吐きながらウネウネと迫ってくる姿は不気味です。

操演特撮によるクモ怪獣といえば、なんといっても映画『ゴジラの息子』に登場するクモンガです。
『ゴジラの息子』公開日は1967年12月16日。
そして『ウルトラセブン』第18話「空間X脱出」の初回放送日は1968年2月4日。
その間、わずか2か月半です。
両作品とも円谷英二特技監督が監修として携わっていることを考えると、このタイミングでのクモ怪獣登場は決して偶然ではない気がします。
『ゴジラの息子』を見た『セブン』のスタッフが対抗意識を燃やしたのかも知れません。

ところで、この回だけダンは何故かウルトラアイを使わずに変身します。
おいおい、これまで何度も「ウルトラアイを奪われて変身出来ない」とピンチに陥っていたのは何だったんだ?。
今回の本編演出は円谷一監督(円谷英二監督の息子さん)です。
よく考えてみると、円谷一監督は『ウルトラ』シリーズで何度も掟破りなことをやっているのです。

前回の『地底GO!GO!GO!』では、手足を拘束されたダンがベルトに仕込ませた謎の機能により離れた場所に置かれたウルトラアイを手元に引き寄せました。
この便利機能はその後一度も使われることはなかったため、おそらくこの回限りの思い付き設定だったと思われます。

また、前作『ウルトラマン』の「怪獣殿下」では、殿下がまるでベータカプセルがウルトラマンの変身道具であることを知っているかのような行動を見せたりもします。
チーフ・ディレクター的立場だったはずの円谷一監督がどうして基本設定を無視した作り方をしたのでしょうか。
もしかすると、いつも変化球的な尖った作品ばかり作っている実相寺昭雄監督の作風に感化されていたのかも知れません
第19話「プロジェクト・ブルー」

<あらすじ>
月と地球を磁力線の網で包み込んで地球外からの侵略者をシャットアウトする「プロジェクト・ブルー」。
自称・宇宙の帝王バド星人は、計画の責任者・宮部博士の邸宅地下に円盤で密かに進入。
博士を拉致し、計画書類の所在を吐かせるべく、博士の妻・グレイスを執拗に狙う。
ダンはセブンに変身し、バド星人の円盤に乗り込む!

今回の白眉は、なんといってもミヤベ博士の外人妻グレイスであります。
演じているのはリンダ・マルソンさん。
いちいち目を剥いて怖がるオーバー演技がB級ホラー映画のヒロインそのもので、見ていて疲れさせてくれます。

リンダ・マルソンさんはこの同じ年『ガンマー第3号 宇宙大作戦』にも出演していて、そこでは「宇宙囚人303」のキャシー・ホーランさんや「ウルトラ警備隊西へ」のリンダ・ハーディスティーさんや『キングコングの逆襲』のリンダ・ミラーさんとも共演しています。
(なんか猛烈に『ガンマー第3号』が見たくなってきた・・・)
吹き替え声優は第7話のキュラソ星人に襲われる外人女性(演:キャシー・ホーランさん)の吹き替えも担当した栗葉子さんです。
あの「コニチワ、ガソリンヲクダサイ」と言う素っ頓狂な声はキュラソ星人の存在感を吹っ飛ぶほどのインパクトがありましたが、このグレイス役も負けてはいません。

「ああ~ん、ごめんなさぁ~い。明日は慈善パーティの準備があるのぉ。でも早く帰ってくるからいいでしょう?」
「ああ、僕もホントは一日ゆっくり寝ていたかったんだよ」
「もお~ん」
「あ、そうそうプレゼント」
「ありがとう、すてきだわ。いい方ねえ」
「あした、僕の車を使っていいよ」
「うふ、たくさんお土産買ってくるわね~ん」
はあ~疲れる・・・。
グレイスを見ているだけで全集中力を吸い取られてしまう気がします(笑)。

ラストのセブンとバド星人の戦いはまさにプロレスそのものです。
劇中で「宇宙の帝王」とまで豪語していたバド星人ですが、いざ肉弾戦になると岩を投げつけるは嘘の命乞いでセブンの隙を突くわ、しまいには隠し持った凶器攻撃を始めるという単なる悪役レスラーに成り下がっています。
今でこそ名作と名高い『ウルトラセブン』ですが、本放送当時はその硬派なテーマ性と不気味な雰囲気が次第に子供たちから敬遠されるようになったらしく視聴率が徐々に下がり始めていたようです。
前作『ウルトラマン』が平均視聴率36.8%(最高視聴率は42.8%)もあったのに対し、『セブン』は最高でも33.8%(第2話)と明らかにダウンしています。
そのためテレビ局やスポンサーからセブンと怪獣(宇宙人)とのバトルシーンを増やしてテコ入れするよう求められたのではないでしょうか。
そうでなければ、まるで「ウルトラファイト」みたいにキャラクター性もテーマ性もかなぐり捨てたこんなバトルシーンが挿入されるはずはありません。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。