レーザーディスクは永遠に【SIDE 1】
突然ですが。
ここ数か月ネットオークションやブックオフなどで少しづつ買い集めていたものがありました。

これとか

これとか

これとか。
これらは全て、’80年代初頭から約20年間我がAV(オーディオ&ビジュアル)趣味の中心にあり続けた
絵が出るレコードレーザーディスクの数々です。
黎明期のタイトルの中から特に思い出深いものを厳選して買い集めました。
ただし、目的はジャケットのみです。
LDプレーヤーはもう手元にありませんので、仮にディスクが劣化していて再生出来なくても関係ありません。
あくまでもジャケットの見た目が綺麗なものを、そして出来れば帯も付属しているものを探しました。
帯が残っているということは、元の所有者さんがそれだけ大切に保管していたことの証しですから。
何のために?

見てください。
我がホームシアターにズラリ飾ったLDジャケットの数々を!。

なんか学校の校長室に飾られていた歴代校長先生の写真みたいな感じになってます(笑)。
でも、意味合いはあれと同じなのです。
アナログからデジタルへ、そしてハイビジョンから4Kへと時代とともにレベルアップしてきた我が家のシアタールームを、黎明期のソフトたちが後方から見守っているといったイメージです。

そもそものきっかけは昨年AVアンプを買い替えてドルビーアトモスに対応したときでした。
それまで壁掛け設置していたサラウンドスピーカーを取り外したとき、勢い余って壁紙を破ってしまったのです。
この時は「嫁に殺される」と本気(マジ)でビビりました(笑)。
その後、似た壁紙を貼って目立たなくしたり時計や棚板を取り付けて胡麻化していたのですけど、「どうせなら映画関係のものを飾りたい」と考えました。

そこで思いついたのが、一辺約30cmの正方形でデザイン性も良いレーザーディスクのジャケットというわけです。
厳選した歴代LDジャケットをズラリと並べ、破れた壁紙を隠すと同時にシアタールームの雰囲気作りに生かしました。
映画館(特に名画座)にはロビーに旧作のポスターを飾っているところがありますが、あれと同じ感覚です。

各ジャケットはレコード用保護袋に入れて透明のダルマ画鋲で4点を固定しています。
保護袋はUV加工された厚めのもので、長期間飾ってもジャケットが変色や退色しないようにしています。

せっかく帯にも拘って手に入れたジャケットですが、結局ジャケットのデザイン性を優先して全部外すことにしました。
初期の帯は三角形のものがほとんどで極力ジャケットデザインを隠さないよう配慮されていましたが、後期の帯は幅4~5センチの縦型のものがほとんどで、デザインを損ねてしまううえに、デカデカと宣伝文句が書かれているものが多くて美しくありません。

中身のディスク本体は別売の無地ジャケットに入れて片付けておきます。
どうせプレーヤーが無いので再生は出来ませんが、捨ててしまうのはあまりにも勿体ないです。
そのうち何かの拍子でまた見たくなるかも知れませんし、一部のタイトルには現在BDやDVDではもう見られないバージョンが収められているものもありますから。
今回久し振りにLD盤に触っているうち、いくつかコツのようなものを思い出しました。
その一つが内袋の入れ方です。
私は↑のように内袋の開口部を必ずジャケットの上に向けて入れるようにしてました。
なぜならば・・・。

このように内袋の開口部とジャケットの開口部とを揃えれば確かに出し入れは楽ですが、その反面、大切なディスクがポロリとこぼれ落ちてしまう危険性も高いのです。
LDは(現在のDVDやBDも同様ですが)盤面の傷や汚れが大敵なので、いつも取り扱いには細心の注意を払っていました。
また、プレーヤーにはメガネ拭きで軽く埃を取ってから入れるようにしてました。
埃がレーザーピックアップ部に付着すると絵飛びなどの誤動作に繋がりますし、最悪の場合読み取り不能に陥ることさえあります。

また、ジャケットにディスクを片付けるとき、私はいつも内袋の角を三角に折って入れてました。
折らずにそのまま入れると中でくしゃくしゃになったり、空気が入ってしまうことが多いからです。
LD盤は空気中の湿気に触れることで記録面部が劣化を起こすことが多々ありました。
それを防ぐためにも、ジャケット内部を密閉状態に近づけておきたかったのです。
ちなみに、この劣化現象が発覚して以後「レーザーディスクの寿命は半永久的」というキャッチフレーズは使われなくなりました。
【’83年~’84年】

ジャケットの配置は発売順に時計回りで並べました。
最初の2枚は’83年発売の『スター・ウォーズ』と『2001年宇宙の旅』です。
『スター・ウォーズ』は私が一番最初に買ったLDソフトでした。
①『スター・ウォーズ』初回盤(1983年7月発売)

初めてこの『スター・ウォーズ』LD(初回盤)を店頭で見つけたときの胸のトキメキを私は今も忘れていません。
時は’83年7月末。
場所は、アルバイト帰りに立ち寄った梅田の阪急グランドビル30階のダイガというレコードショップ。
私は当時慢性的にお金が無い貧乏学生でしたが、その日はアルバイト代が出たことで以前から欲しかった『ダーククリスタル』のサントラ盤を探して立ち寄ったのです。
このお店はクラシック音楽を中心とするその落ち着いた雰囲気と、いわゆる冷やかし客にも嫌な顔せずに応対してくれる居心地の良い場所でした。
その売り場の片隅には、「絵が出るレコード:レーザーディスク」のデモコーナーがあって、いつもなら20インチのTVとーディオスピーカーで音楽ものLDをデモ再生していました。
しかし、その日はそこに集まっている人の数がまるで違っていたのです。
そうです。
画面には発売されたばかりのLD『スター・ウィーズ』が映し出されていたのです。

全編ノーカット。
オリジナル英語音声+日本語字幕。
劇場公開と同じステレオ音声(ドルビーサラウンド)。
そしてTV放送をはるかに上回る高画質&高音質。
このディスクとLDプレーヤーがあれば、自宅で『スター・ウォーズ』がいつでもこのクォリティで楽しめるのです。
私はおよそ30分間微動だにせずデモ画面を見つめ続け、次に気が付いた時には『スター・ウォーズ』のLD盤を持ってレジの前に立っておりました。
1万円もするLDソフトをおもむろに差し出しす小汚い学生(私)に、店員さんは何度も何度も念を押してきました。
店員「これ、レーザーディスクですよ。サントラレコードじゃありません、”絵が出る”ほうのレコードですよ。本当にこれで間違いないですか?。」
私 「はい、分かってます。これください。」
店員「へええ、凄いですねえ。レーザーディスク持ってるんですか!?。」
私 「いや、まだプレーヤーは持っていないけどいつか絶対に買います。」
店員「(笑顔で)そうか~。バイト頑張ってくださいね。」
値段はきっかり9,800円。
レーザーディスクソフトは一切値引きしてもらえない商品でした。
その後なかなかプレーヤーを買えなかった私は、デモを見たいがためバイト帰りには必ずダイガさんに立ち寄るようになりました。
あまり何度も訪れるため店員さんともすっかり顔見知りになってしまい、やがては「ここだけの話ですが秋には『2001年宇宙の旅』も出ますよ。」と新譜情報も教えてくれるようになりました。
ダイガ(大月楽器)さんには、その後もLDやCDを買うときずいぶんお世話になりました。
「常連さんだから」と特典を多めに付けてくれたり、極秘の新譜情報を教えてもらったり、また、稀に不良ディスクに当たってしまった時も嫌な顔一つせず交換に応じてくれました。
しかし、数年後日本橋にディスクピア(上新)やジャンボニノミヤが出来てから次第に足が遠のいてしまい、やがて知らないうちに閉店してしまいました。
でも、今でもダイガの店員さんたちのことは懐かしく思い出します。
余談ですが、同じ年の10月には『スター・ウォーズ』が初めてテレビ放送されました。
この時、大学の悪友どもから先走ってLDを買ったことを思いっきりバカにされました。
「もう少し待てばTVで放送したのに(嘲笑)」とか。
「てゆーか、プレーヤーより先にディスクだけ買うなんて、お前アホか?。」とか。
それでも私は、「LDは劇場公開と同じ字幕版なんだぞ。」とか「音声はステレオだ。」とか「プレーヤーはそのうち絶対買う!」と反論しながらじっと耐えておりました。
(反論というより、そう自分に言い聞かせていたと言うほうが正しい。)
しかし、その『スター・ウォーズ』テレビ初放送の翌日。
その番組構成のあまりの下らなさと吹替えの酷さから皆「●●(私の名前)、早くレーザーディスクプレーヤー買って『スター・ウォーズ』見せてくれ。」と手のひらを返してきやがりました(笑)。
私はこの時、「TV録画の時代は終わった。これからはLDの時代だ。」と確信したのでした。

自宅で初めてレーザーディスクを再生した時、決して大袈裟でなくその画質と音質のすばらしさに心奪われました。
画質はもちろんのこと、特に音の力強さがTV録画(モノラル音声)の比ではありません。
また、適切に調整したスピーカーとアンプに繋いで聴いていると、気のせいか背後からも音が聞こえてきて映画館並みの迫力が味わえました。
実はLD『スター・ウォーズ』の音声は劇場公開時と全く同じドルビーサラウンド方式で収録されていました。
そのため、部屋の反射音によってサラウンド成分もちゃんと聴こえるのです。
この体験をきっかけに、私は後年サラウンド再生にどっぷりハマっていくことになりました。
LDは片面に最長1時間しか収録出来ないため、再生中に盤をひっくり返したり入れ替えする必要がありました。
しかし、当時そのことはほとんど気にならなかったです。
当時はまだアナログレコードが主流だったためディスクの入れ替えは当たり前のことだったのです。
(両面自動再生機能付きプレーヤーが登場したのはこの5年後でした)

『スター・ウォーズ』初回盤LDの特徴は字幕の書体が劇場公開と同じ手書きフォントであることでした。
しかも、縦書き表示!。
字幕内容も最初の劇場公開時と同じもので、「ジェダイ」を「共和騎士」、「ライトセーバー」を「光線刀」、「フォース」を「理力」と訳した岡枝慎二さんの名翻訳です。

おそらく’78年の日本公開時に使われたテロップカードをそのまま流用したものと思われます。
後に再販されたデジタル音声付きバージョンでは、通常の洋画と同じ画面下位置のワープロ打ち文字に変更されてしまったのでこれは大変貴重な映像です。

そのため、2009年~10年にかけてLDを処分した際、『スターウォーズ』初回盤は当時使っていたプレーヤー(HLD-X9)とDVDレコーダー(DVR-DT95)を使ってDVD化しました。
(↑のキャプチャ画像はそのコピーDVDからキャプチャしたものです)
あと、『スター・ウォーズ』以外にも現在は見られなくなってしまったバージョンのものはDVD化して残しています。
②『2001年宇宙の旅』初回盤(1983年11月発売)

『2001年宇宙の旅』のLDは発売されると同時に買いました。
「近いうちに必ずプレーヤーを買う」と決めていたので迷いは一切無かったです。

こちらもシネマスコープから4:3にトリミングされているのですが、そのトリミング技術が凄いのです。
単純に画面中央部を拡大するだけではなく、シネスコ画面内を動くディスカバリー号に合わせてトリミングカメラがパンするのです。
この細やかな配慮によって画面の狭さを感じることもなく、映像の情報欠落を最小限に留めています。

『2001年~』もやはり音の繊細さと力強さが印象に残っています。
BGMのクラシック音楽やスターゲイト突入シーンの轟音が、以前TV放映で見たときとは比較にならないくらいの迫力でした。
ディスカバリー号内部では常に微かな機械音が聴こえていて臨場感がありましたし、スターゲイトは重低音がしっかり出るため巨大モノリスに引き込まれるかのような錯覚さえ覚えました。

ちなみに、『スター・ウォーズ』と『2001年宇宙の旅』のLDの真下にはブルーレイやDVDを並べたラックが置かれています。
つまり、私にとって最古のAVソフトであるLDと最新のBlu-rayやUHD-BDがこうして同じ壁面にあるわけです。
こうして眺めていると38年の年月というものを感じさせてくれます。

エアコンを挟んで続くのはこの2枚。
ジブリアニメ第一作(当時はトップクラフト名義)『風の谷のナウシカ』と、大人の事情でLD化が大幅に遅れた『レイダース 失われた聖櫃<アーク>』です。
③『風の谷のナウシカ』(1984年4月発売)

このLDが発売されたのは劇場公開からわずか1か月後でした。
83年から85年くらいにかけては、劇場公開とビデオ発売が同時というタイトルも結構多かったです。
映画産業にしてみれば、サントラレコードやパンフレットの他にビデオソフトという新しい商品が登場したことから観客の熱が冷めないうちにビデオを売ろうと考えていたのかも知れません。

ジャケット裏面は宮崎監督の直筆原画がそのまま使われています。
素っ気ないほどシンプルですが、いかにも雑誌「アニメージュ」を擁する徳間書店らしいアニメファンの心をくすぐる粋なデザインでした。

その後しばらくして、私はアルバイトで貯めたお金で人生最初のLDプレーヤーを手に入れます。
パイオニア:LD-5000。
上位機:LD-7000から一部のトリックプレイ機能とワイヤレスリモコンを省いた廉価機です。
色は精悍なイメージの黒を選びました。
※プレーヤー(ハードウェア)については近日更新予定の「私のオーディオビデオ遍歴(第8回)」にて書くことにしております。乞うご期待!。
【’85年~’86年】
翌1985年はまさに「レーザーディスクのカンブリア大爆発」と呼ぶべき年でました。
ワーナーブラザーズ、東宝、パラマウント、ユニバーサルといったそれまでLD参入を保留していた映画会社やソフトメーカーが一斉にLD発売を開始したのです。
ここに至り、レーザーディスクは本格的に動き始めました。
④『レイダース 失われたアーク<聖櫃>』初回盤(1985年6月発売)

LD黎明期、20世紀フォックス・ワーナー・MGMの作品は早い時期から次々レーザーディスク化されましたが、ユニバーサルとパラマウントの作品だけはなかなかLD化されませんでした。
なぜならば・・・。
ユニバーサルとパラマウントは、ビクターの子会社であるCICビクターが日本代理店だったからです。
当時ビクターは同じビデオディスクでも自社で開発したVHD方式を推進していました。
そのため、子会社であるCICビクターのタイトルは当初VHDでしか発売されなかったのです。
VHD方式は(かつてVHSでβに対しそうしたように)ソニーを除く国内AVメーカーのほとんどを味方につけてパイオニア1社で孤軍奮闘するレーザーディスクを潰しにかかりました。
しかし、VHDは水平解像度約240本(LDは360~420本)とVHSと同程度の画質しかなかったことと、ディスクとセンサーが接触するため寿命の短さが懸念されたことからその後数年を経ずして姿を消しました。

ようやく発売された『レイダース』LDの冒頭には、何故かとっくに公開終了している『魔宮の伝説』の予告編が「Coming Soon!」と派手に収録されておりました。
これはビデオ発売時('83年)のVHSとVHD用のマスターをそのまま使っているためです。
しかし、マスターが同じでありながらもVHDやビデオテープよりLDのほうが明らかに高画質でした。
皮肉にも『レイダース』等CICビクター作品の画質差によって、LDフォーマットのポテンシャルの高さが証明されてVHDを駆逐した形になったと思います。

’85年にはCICビクター作品の解禁に続き、東宝の作品群も一斉に発売開始されました。
東宝といえば、ゴジラシリーズなどの特撮映画や黒澤明監督作品、それに『ルパン三世』などの傑作アニメも擁する老舗です。
発表された東宝LDのラインナップを見た私は文字通り狂喜乱舞して、そのうちの10タイトル以上を即予約しました。
当時東宝初のLDは「限定発売」だったうえに予約期間も一週間程度しかありませんでしたが、私は個人的に親しくなった店員さんから早めに情報を教えてもらっていたので無事発売日に確保することが出来ました。
⑤『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』初回盤(1985年6月発売)

東宝LD参入第一弾タイトルは押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。
当時人気絶頂だったTVアニメ版をベースに作られた劇場版ですが、TVアニメだけでなく原作漫画の解釈にまで影響を与えてしまうほどの異色作でした。
(そのせいか原作者の高橋留美子先生はこの映画版2作目がお嫌いだそうです)

『うる星やつら2』は元々4:3画面で制作され、劇場公開時上下をカットしてビスタサイズ化して上映されました。
現在一般的に見ることが出来る『うる星2』(DVD/BD)は押井監督の意向により全てビスタサイズにされていますが、アナログビデオ時代に発売されたLDやビデオソフトは全て4:3のTVサイズです。
映像情報としては4:3バージョンのほうが多く詰まっていることと、80年代にビデオで何度も見た人(私もその一人)の中には4:3バージョンのほうを好む人も多いようです。

ただし、LD版は画面が広すぎて、本来ならTVの安全フレームから切れて見えないはずのしのぶが持っているタオルの下の部分とかメガネの腰のあたりの背景の塗り方が雑という部分までしっかり見えてしまっています
昔のブラウン管テレビでは画面全体の90%くらいまでしか見えないためこれでも大丈夫だったのですが、現在の液晶テレビは映像信号を100%表示するために画面端の粗がバレてしまうのです。

それでも今となってはこれも貴重な映像資料です。
『スターウォーズ』と同じくLD版『うる星2』も手放す前にDVD化して保存しました。

実はこうした様式は実写映画でも数多く採用されていました。
撮影は4:3の35ミリフィルムフルサイズで行い、劇場公開用は上下部分を切ってシネスコやビスタに、ビデオ化の際は4:3画角のまま収録するのです。
この頃からビデオも重要な収入源となっていたため、劇場公開用もビデオ化用もどちらも違和感なく見られるようにするための工夫でした。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター2』など、ハリウッドのメジャーな作品の中には「劇場公開版(ワイド)」と「TVサイズ版(4:3)」の2種類が発売されたものも多くありました。
ただ、稀に上下部分に余計なもの(スタッフの手など)が映り込んでしまうことも多く、劇場公開版では見えなかったミスがビデオでははっきり見えてしまうことも多く起こりました。
例えば、『ロボコップ』のラスト近くで揺れる椅子を持つスタッフの手が映っていたことは有名です。

あと、『ビューティフル・ドリーマー』の初回盤は一部のシーンで音が割れるというクレームが多かったそうです。
私もオーディオ装置に繋いで聴いていたのでそこはかなり気になってました。
しかしこの音割れはLD製造過程での問題ではなく、元々の映画の音質自体が悪かったせいでした。
そのため、再プレス分のジャケット裏には「音質が悪いのは製造上の問題ではありません」という断り書きが加えられるようになりました(笑)。

『ビューティフル・ドリーマー』は90年代に入って再販されましたが、新バージョンでは音声を再調整したらしく音割れ問題はありませんでした。
ちなみに、私はこの再発売バージョンのほうも買い直しております(笑)。
⑥『ゴジラ(昭和29年)』初回盤(1985年6月発売)

初代『ゴジラ』も『ビューティフル・ドリーマー』と同じく東宝LDラインナップ第一弾のひとつでした。

私が初めて『ゴジラ』(昭和29年)を観たのは「ゴジラ復活フェスティバル1983」の中の一本としてでした。
初めて観た怪獣映画の始祖『ゴジラ』は、それまで想像していたものとはまるで次元の違う奥深さを持った作品でした。
怪獣映画を観に行ったはずなのに、まるで戦争や自然災害を扱った記録映画のように感じたのです。
私は「これは何度も繰り返し見たい!」という衝動に掻き立てられ、当時世に出始めたばかりのビデオレンタル屋で『ゴジラ』のビデオを探し回ったものでした。

ところが、当時市販されていたビデオソフトは6~7分ほどカットされた「不完全版」でした。
発売当時は2時間ビデオ(VHS)が存在していなかったため、βⅠとUマチックの最長記録時間である90分に収まるよう一部のシーンをカットしていたのです。
菅井きんさんの出演シーンやあの「もうすぐお父ちゃまのところへ行くのよ」と座り込む母子のシーン、さらに吠えるゴジラを鳥籠越しに撮ったあの名ショットさえばっさりカットされていて、まだ感動冷めやらぬ私にとって噴飯ものの内容でした。
それ以来『ゴジラ』の完全ノーカット版の登場を心待ちにしていたわけですが、それからわずか2年後にノーカット収録LDを手に入れることが出来たのです。
「自分は良い時代に生まれた!」と心の底から思いました。
⑦『ダーク・クリスタル』(1985年6月発売)

『ダーク・クリスタル』は今も変わらず私の最愛の映画の一つです。

当時の洋画作品がビデオ化される際には、オリジナルがシネスコやビスタサイズのものもほぼ全て4:3TVサイズにトリミングされるのが普通でした。
ところが、この『ダーク・クリスタル』LDを再生し始めたところ、なんと上下にマット画を配置したシネマスコープサイズだったのです!。

「やったぁ、シネスコサイズだ!。」と大喜びしながら見始めたもののそれも束の間、スタッフクレジットが終わった途端いつもの4:3トリミングサイズに変わってしまいました。
4:3ではスタッフ名が収まらないため、オープニングとエンドロールのみノートリミング収録だったみたいです。
他の洋画作品には後にノートリミング版になって再発売されるものも多かったですが、何故か『ダーク・クリスタル』は日本語版ノートリミングLDは最後まで発売されませんでした。
日本語字幕入りノートリミング版『ダーク・クリスタル』は2001年秋のDVD発売まで待たねばなりませんでした。

ちなみに、『ダーク・クリスタル』は私が初めて輸入盤に手を出したタイトルでもあります。
’90年代初頭、北米で『ダーク・クリスタル』ノートリミング版LDが発売されたことを知った私は当時大阪で輸入ソフトを専門に扱っていたセルというお店で取り寄せてもらいました。
(セルの店長さんは以前別のお店に勤務していた方で何度もお世話になった人でした。)
当然字幕はありませんが何度も見ている映画なので問題ないですし、むしろ字幕に遮られることなく映像美を楽しめるので満足度は高かったです。

『ダーク・クリスタル』の隣には『ルパン三世』劇場用2作品を並べています。
最初「ルパンは「『カリ城』だけでいいだろう」と考えていたのですけど、妻が「ええ~?マモーも飾ろうよ~。」と言ってきたのでこうなりました(笑)。
⑧『ルパン三世(ルパンVS複製人間)』(1985年7月発売)

妻がこの『ルパン三世』第一作(ルパンvs複製人間)にこだわるのには理由があります。
彼女が小四の時、親に『ルパン三世』(と『ナイル殺人事件』)を観に連れて行ってもらったその同じ日、当時中二の私も同じ時間に同じ映画館で同じ映画(『ルパン三世』と『ナイル殺人事件』)を観ていたという事実が最近になって判ったのです。
私たち夫婦はその日(12月25日)を「ルパン記念日」と呼ぶことにしているのでした。(#^.^#)
⑨『ルパン三世 カリオストロの城』(1985年11月発売)

そして、私が最初にビデオデッキを買うきっかけとなったこの作品も。
当時の私は、この作品のLD化をどれほど心待ちにしていたことか!。
発表された時点で即予約、発売日を指折り数えながら待ちました。
『カリ城』は水曜ロードショーを録画したテープを3本も持っていましたが、やはりLDの画質と音質はテープとは次元が違います。
何より音がクリアなのでヒスノイズを気にすることなくアンプのボリュームを上げることが出来ました。
冒頭のカーチェイスシーンのエンジン音や爆発音の音圧がビデオテープとは比べ物になりません。
そしてなによりノーカット&ノートリミングです。
TV放映ではカットされたルパンと次元のプロレスごっこも、羊飼いに変装した次元が大司教に近づくシーンも全て入っています。

当時ビデオソフト(βとVHS)でもノーカット版が発売されていましたが、値段が約2万円とバカ高かったくせにLDとは画質・音質とも比べようがなかったです。

’85年は他にも『ブレードランナー』『ジョーズ』などの洋画や『仮面ライダー』旧1号編全13話や『宇宙戦艦ヤマト』劇場版シリーズなど欲しいソフトが目白押しで、私は完全に金欠状態になってしまいました。
東宝のLDは全てノートリミング・ノーカット版だったのが嬉しくて、特撮映画は次から次へと買い漁りました。
特に本多猪四郎監督の特撮作品はほとんど買ったと思います。

『ウルトラセブン』全話LD化がスタートしたのもこの年でした。
多分、これがTVシリーズ全話収録LDの最初だったと思います。
このシリーズは開田裕治先生のジャケットアートが本当に素晴らしくて、隔月ごとの発売日が楽しみで仕方がありませんでした。
この年は毎月3~4タイトル、年間40枚以上は買っていたと思います。
一枚1万円と仮定しておよそ40万円近くLDソフトに注ぎ込んだことになります(汗)。
そのためアルバイトを大幅に増やし、学校には最小限しか行かなくなりました。
そしてついには、当時付き合っていた彼女にも愛想を尽かされ最後はフラれる羽目に・・・(涙)。
【1986年】

翌年春にはデジタル音声に対応したプレーヤーに買い代えました。
パイオニアのLD/CDコンパチブルプレーヤー第2号、CLD-7です。
これでCDも再生出来るようになりました。
前のLD-5000は「自分もLD欲しい」と熱く語る友人に半額ほどで譲りましたが、皮肉にもそいつは私が最初にディスクだけ買った時いちばん馬鹿にしていた奴でした(笑)。

86年もLDリリースラッシュは止まりません。
ただ、私も4回生になって卒業と就職を見据えていたこともあり、アルバイトも自主映画作りも控えめになっていました。
それと、前の年に彼女に愛想を尽かされてフラれたことにより私のLD熱も少しは落ち着いた気がします(笑)。
私の主観ですが、この年のLDソフトは再発売ものが多かったように思います。
例えば、それまで日本語吹き替え版しか無かった『エイリアン』の字幕スーパー版が発売されたほか、『スター・ウォーズ』や『帝国の逆襲』などアナログ音声オンリーだった初期のソフトも次々デジタル音声付になって再発売されました。
パイオニア製ソフトが大幅値下げ(7,800円(1枚組)→4,700円/9,800円(2枚組)→5,700円)したのも確かこの頃です。

また、秋には日本橋にLD・CD専門店ジョーシン・ディスクピアがオープンしました。
(この写真は昨年1月頃に撮影したもので、現在は日本橋本店に統合されているそうです)
当時の上新のイメージカラーは赤ではなくブルーで、入り口の上にはCDやLDを形取った大きな丸いオブジェが飾られていました。
夜にはそれが電飾でカラフルに光っていて、仕事帰りにポンバシ(日本橋)に立ち寄るとまるで明かりに引き寄せられる夏の虫の如く(笑)ディスクピアに吸い寄せられて行ったものでした。

さらにその頃、当時日本橋でジョーシンと勢力を二分していたニノミヤムセンも日本橋本店(通称:ジャンボニノミヤ)のフロア一つをまるごとソフト売り場にしてジョーシンに対抗。
この2つの日本橋店舗の参入により欲しいLDタイトルはほとんど買い逃すことはなくなりました。
その代わり、初期にお世話になった梅田のダイガやナカイ楽器へはとんとご無沙汰になり、数年後ふと気が付くとダイガは母体の大月楽器もろとも閉店(倒産)してしまっていました。
⑩『ゴジラ対ヘドラ』(1986年11月発売)

’86年購入ディスクの中から選んだ一枚は、私の映画館デビュー作である『ゴジラ対ヘドラ』です。
これだけ下が画鋲一本ですが、これは途中で画鋲が足りなくなってしまったためで後日ちゃんと4本留めに修正しています。
このデザインは『ゴジラ対ヘドラ』のポスターやスチール写真を探してもどこにも無いもので、おそらくジャケットデザイナーがスチール写真などをコラージュして作ったオリジナルデザインだと思われます。
小学一年生の夏休みに初めての映画館で仰ぎ見たゴジラとヘドラのイメージそのままで、今でも好きなLDジャケットの一つです。
実は今回入手が一番困難だったのはこの初回盤『ゴジラ対ヘドラ』でした。
元々出荷数が少なかったのか、中古屋でも全然見つからずオークションにもなかなか出てこなかったのです。
でも、先日某ネットオークションで即決2,800円で出品されていて、「高いなあ」とか迷いつつ思い切って落札しました。
今回飾ったLDジャケットは以上の10枚です。

左側の壁には掛け棚を設置しているのでこれが限度です。
・・・が。

棚、取っ払いました(笑)。
これであと6枚は飾れます。

今回はひとまずここまで。
来週更新(予定)の【SIDE 2】に続きます。
昭和オヤジの懐古録にお付き合いいただきありがとうございました。