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映画と日常

私のオーディオ・ビデオ遍歴(第8回) ~光ってるヤツにはかなわない~

トガジンです。
かつて私が愛用したAV機器の数々を、自分史も兼ねて回顧する不定期連載「私のオーディオ・ビデオ遍歴」。
お嫌でなければ、昭和オヤヂの思い出話にお付き合いください。



過去の記事は以下のリンクよりご覧いただけます。

>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第1回) ~全てはヤマトから始まった~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第2回) ~はじめてのビデオ~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第3回) ~わしらのビデオはビクターじゃ!~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第4回) ~ビデオカメラで太陽を撮ってはいけなかった頃の話~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第5回) ~サクラサク~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第6回) ~J30って知ってるかい?~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第7回) ~AV特異点~



レーザーディス 絵の出るレコード
今回は「私の人生を狂わせた」と言っても決して過言ではない世界初の光学式ビデオディスク、レーザーディスクのお話です。

レーザーディスク
今、この名を聞いて心が騒ぐのは、往時を知る50代以上の映画・アニメファンかその関係者だけになってしまったかも知れません。
そもそもビデオやCDなどと違ってかなりマニア向けな製品でしたし、機材もソフトも値段が高いうえに大型なものばかりだったため一般的な製品とは呼び難い代物でした。

LD 認知度0パーセント!?(涙)
数年前、とあるバラエティ番組で10代の若者の認知度ゼロという哀しい統計結果が出ておりました。
まあ・・・フォーマット完全終焉からもう10年以上経っているわけですから今の若い子が知らないのも無理はありません。

しかしですね・・・。

映画が好き。
特撮が好き。
アニメが好き。
そしてオーディオやビデオなどメカもの好き。


そんな私にとって、レーザーディスクとは本当に特別な存在だったのですよ。

一時期は収入の殆どをLDコレクションとその再生環境を充実させることに費やしておりました。
6畳一間にデカいモニターと何台ものスピーカーを押し込み、その脇には百枚以上のLDソフトを並べて悦に入ってました。
そのあまりの浪費ぶりに当時付き合っていた彼女に愛想を尽かされて、それでも今度は大音量再生が許される部屋を求めて何度も引っ越しを繰り返したりしてました。
やがてDVD時代に移り変わっても愛着あるLDをどうしても手放せず、もはや粗大ゴミと化したLDソフトに囲まれて暮らす日々が長い間続きました。

歳をとったせいでしょうか。
最近そんな独身時代の思い出がまるで走馬灯のように蘇ってきます。



【今日は何の日?】
ところで、今回の記事だけは「絶対10月9日に公開する!」と固く心に決めていました。
もし万が一、完成が間に合わなかった場合は来年の10月9日まで持ち越す覚悟でいたくらいです。

どうして私は10月9日にこだわったのか?。

pioneer LD-1000(1981年10月9日発売)
ちょうど40年前の1981年10月9日こそは、日本で最初の民生用LDプレーヤー:パイオニア LD-1000が発売された日なのです。
つまり、今日は日本におけるレーザーディスク発売40周年記念日なのであります。
この記事を公開するのにこれほど適した日は他にありません。

「10月9日は何の日か?」と考えてみると、10と9の語呂合わせで「トラックの日」「塾の日」「道具の日」など色々あるようです。
関東の人なら「東急の日」なんて思いつくかも知れません。
世界的には1874年のこの日発足した万国郵便連合を受けて「世界郵便の日」とされています。

でも、かつてのLDファンの一人としましては10月9日が「LDの日でもある」と心の片隅に留め置いていただけたら嬉しいです。



【最初の出会い】
私が初めてレーザーディスクの存在を知ったのは高校2年の時でした。

LD最初の情報源「スターログ」誌(たぶんコレだと思う)
忘れもしません。
最初の情報源は学校帰りに本屋で立ち読みしたSF雑誌「スターログ」に載っていた小さな広告でした。
当時公開が楽しみで仕方なかった映画『レイダース 失われた聖櫃<アーク>』の記事を読み終え残りをパラパラめくっているうち、見慣れない形をしたビデオ機器の写真と「PIONEER」「LaserDisc」のロゴが目に飛び込んできたのです。
そこに書かれていた「ついにビデオディスク登場」という見出しを見て、「うちはやっとビデオ(正確にはビデオ内蔵TV)を買ったばかりだというのに、もう次のビデオディスクが出るのか!。」と驚きを隠せませんでした。

LD-1000発売「ビデオカセットなんてもう時代遅れ」
さらに別の雑誌には「ビデオカセットなんてもう時代遅れ」とまで書かれた記事も!?。
ここまでくると、驚きよりむしろ悔しさのほうが強かったことを覚えています(笑)。

LD-1000新聞広告
私が現物を初めて見たのは、『レイダース』を観に友人と福井市の映画館へ行ったときでした。
実はこの頃、我が家のシャープ製ビデオ内蔵TVが不調続きだったことから、私は「中途半端な複合機種ではない単体のビデオデッキが欲しい」と考えていて、機会さえあれば大きな電気店へ足を運んで最新ビデオデッキを眺めて回っていたのです。
そしてこの日も映画の帰りに福井駅近くのマルツ電波さんに立ち寄ったのですが、そこは福井県でただ一軒レーザーディスクを店頭展示しているお店だったのです。

初号機:LD-1000
店頭では「絵が出るレコード」と誇らしげに書かれたポスターの横でLDプレーヤー初号機:LD-1000のデモが再生されていました。
内容は外国のロックバンドや女性歌手のライブ映像でしたが、私は外国のロックには全く興味が無かったため誰が誰やらまるで分からなかったです(笑)。
しかし、ステレオコンポから出てくる音が確かに凄い迫力だったことだけは覚えています。
また、「画質はTV放送と同じかそれ以上!」と店員がドヤ顔で解説してくれました。

LD初期のカタログより「半永久的寿命」
私が最も興味を引かれたのは、レーザーで信号を読み取るため半永久的な寿命があるという点でした。
「なんとも凄い時代が来たもんだ!」と驚きはしましたが、この時の私は「自分には縁の無い製品」と割り切っていました。
なぜなら、レーザーディスクの画質・音質の良さは理解出来ても、それを味わうためには一枚1万円前後もするソフトを買わねばなりません。
それに、その時の私には本物の単体ビデオデッキを手に入れることのほうが遥かに重要案件だったのです。

LD 二か国語版『エイリアン』
第一、最初のうちは欲しいと思えるソフトなどほとんど無かったと記憶しています
当時の発売済みタイトルのうち「欲しい」と思えた映画タイトルは『エイリアン』だけでした。
ただし、この頃の洋画LDソフトは全てTVの音声多重放送と同じオリジナル音声と日本語吹替え音声を収録した二か国語収録ばかりであり、当然それぞれがモノラル音声です。
あの頃のソフトメーカーにはまだ「オリジナル音声(ステレオ)+日本語字幕」という観念は無くて、TV放送形態と同じで良いという認識だったと思います。
LDが「オリジナル言語・ステレオ収録・字幕スーパー」という収録形態が当たり前になるのは、’83年秋発売の『スター・ウォーズ』以降のことです。

あ、いや!。
あと一つ、当時気になったソフトがありました!。
最初期のLD『機動戦士ガンダム』(ロブスター企画)
この頃すでに『機動戦士ガンダム』のLDが発売されていたことをご存じの人はいますでしょうか?。
これはバンダイではなくロブスター企画という会社から発売されていたものです。
ただしこのLD、なぜか第42話「宇宙要塞ア・バオア・クー」と最終話「脱出」のラスト2話だけしか収録しておらず、それでいて値段は9,800円もしました(笑)。
『ガンダム』シリーズ最初のビデオソフト(テープ)化はこの翌年ソニーから発売された劇場版と思われがちですが、実は『ガンダム』最初のパッケージソフトはこのラスト2話のみ収録したLDだったのです。



【最初の注目タイトル】
昭和58年(1983年)春。
第2志望校ながらもなんとか大学進学を果たした私は憧れの大都会:大阪に居を移しました。
当時の私は、本格的に音楽を聴くためアンプとスピーカーを買い揃えることと、2台目のビデオデッキを手に入れてビデオソフトのダビングを可能にすることのほうが重要で、レーザーディスクのことなどすっかり忘れていたと思います。

ただ、大阪に出てからしばらく経ったころ、私も気になるLDソフトが発売されました。

『うる星やつらオンリーユー』初版LD
この年の2月に劇場公開されたばかりのアニメ『うる星やつら オンリー・ユー』です。
収録時間は劇場公開版と同じ90分。
値段は9,800円でした。

店頭デモで見たそのアニメ映像は、ビデオテープより遥かに鮮明で色鮮やかでした。
特に音の迫力がビデオテープソフトなんかとは較べ物になりません。
セリフもBGMも効果音もズンズンと前に出てくる押し出しの強い音でした。
(当時はまだHiFi音声ビデオは発売されておらず、当時のビデオの音はカセットテープ以下の音質でした)
「この調子でアニメも大量に発売されるのであれば、そのうち自分もレーザーディスクを手に入れるかも知れない。」と、レーザーディスクに対して印象を強めたのでありました。



【もう一つのビデオディスク】
ちょうどその頃、AV業界ではレーザーディスクに続く新しいビデオディスク方式が誕生しておりました。


パイオニア一社で孤軍奮闘するレーザーディスクに対し、日本ビクターをはじめナショナル(現パナソニック)・東芝・サンヨー・シャープなど国内13社が連合してビデオデッキ(β対VHS)と同じようにビデオディスク業界の覇権争いを仕掛けてきたのです。
それこそが、のちにLD以上の伝説的存在となったVHD方式です。

VHDはカセット式
LDがレーザーで信号を読み取る非接触式であるのと違い、VHDはピックアップ部が盤面に接触して信号を読み取る方式です。
埃や傷に極端に弱いため、VHDディスクはカセット状のケースに収められていて使用者が直接触れることも目視することも出来ない仕様になっていました。
プレーヤーはLDのそれに比べれば全体的に安価でしたし、ケースごとプレーヤーに挿入するというメカニカルな様式は最初のうちこそ気持ちがそそられるものがありました。

しかし、そのカタログスペックはVHSビデオと同程度で水平解像度240本程度しかありません。
(LDは初期で360本、のちに420本まで向上。)
この基本スペックの差は映し出す映像を見比べると一目瞭然であり、同じソフトで比較した場合LDの優秀さを引き立てるだけでした。
また、ディスクとピックアップが接触式であるためLDに比べて寿命も短いです。
結局、数年を経ずしてVHD参入メーカーのほとんどはLD陣営に鞍替えしていきました。
VHDはその後カラオケ用途や3D映像などで細々と生き長らえましたが、結局10年にも満たないうちに消滅したと記憶しています。



【キラータイトル登場】
この年の7月末か8月初頭だったと思います。
アルバイトの帰りにダイガという梅田のレコード店(梅田グランドビル31階)に立ち寄りました。
当時は全くと言っていいほどお金が無かったためレコードを買うのも我慢していたのですが、この日は夏休みのバイト代が出た日だったので前から欲しかった『ダーク・クリスタル』のサントラ盤を買おうと何軒かのレコードショップを探して回っていたのです。
このダイガというお店は店員さんが気さくな方ばかりで陳列棚を眺めて帰るだけのいわゆる「ひやかし客」にも嫌な顔ひとつせず応対してくれるとても居心地の良いお店でした。

My First LD『スター・ウォーズ』
そしてこの日、私は見てしまったのです。
発売されたばかりの『スター・ウォーズ』LDを!。

完全ノーカット。(ただし画面サイズは4:3にトリミング)
音声はオリジナル英語版で、FM放送と同レベルの高音質ステレオ音声。
劇場と同じドルビーサラウンド仕様。
そして、劇場公開時と全く同じ日本語字幕。

この時、『スター・ウォーズ』はまだTVでは未放映でした。
ビデオテープソフトさえ発売されていません。
つまり、家で『スター・ウォーズ』を好きなだけ楽しめるのはこのレーザーディスクしかないということです。

店頭ではサイド2(1枚目B面)を繰り返しデモ再生していました。
惑星タトウィーンの酒場のいざこざを経てファルコン号が飛び立ち、デススターに囚われたレイア姫を救出するまでという中盤の見どころがギッシリ詰まった部分です。
私は立ったまま微動だにせずその画面を見つめ続け、次に気付いた時には『スター・ウォーズ』のLD盤をレジに差し出しておりました。
このとき店員さんから「これ、レーザーディスクですよ。サントラレコードじゃありません、”絵が出る”ほうのレコードですよ。本当にこれで間違いないですか?。」と何度も何度も念を押されたことをよく覚えています。
「間違いないです。まだプレーヤーは持っていないけどいつか絶対に買いますから。」と決意を言うと、その気さくな店員さんは「そうか~、頑張ってね~。」と笑顔でお会計してくれました。
値段はきっかり9,800円。
需要が極端に少ないためかレーザーディスクは一切値引きは無かったです。
ただ、その代わりと言っては何ですが、初期には販促用のポスターやパンフレット等を「あれもこれも」と付けてくれました(笑)。

ダイガさんにはLDのデモを見たいがためにその後何度も立ち寄りました。
やがて店員さんともすっかり顔見知りになり、「まだここだけの話ですが、秋には『2001年宇宙の旅』も出ますよ。」とオフレコで新譜情報を教えてもらえるようになりました。
もちろん、その場で『2001年~』の予約を入れたことは言うまでもありません。

レーザーディスク 1000600
しかし、当時発売されていたLDプレーヤーは選択肢が限られていました。
パイオニアの初代機:LD-1000とその廉価機:LD-600の旧型2種と・・・。

PIONEER LD7000
最新の半導体レーザーを採用した新型:LD-7000の3機種だけでした。

LD-1000は22万8千円。
LD-600が15万円。
そして新型LD-7000は19万9,800円。
旧型は若干値引きされるようになりありましたが、それでも1割5分引きくらいがやっとでした。
レーザーディスクは高級オーディオと同じく需要が限られていた製品であるため値引き率は絶望的に低かったです。

更に、この時の私にはLDプレーヤー購入にお金を回せない理由がありました。
大学に入ってすぐオーディオ(アンプ&スピーカー)と2台目のビデオ(SL-J30)を買って貯金を全て使い果たしてしまい、実家からの仕送り金だけで慎ましい生活を余儀なくされている身だったのです。
また、実家から持ち出してきた13インチテレビの調子が悪く、仮にお金があったとしても新しいテレビを買うことのほうが先決でした。
現に、この年の夏休みのバイト代は21型テレビを買うために消えてしまいました。
さらに自主映画制作のために自分の8ミリカメラと編集機材も揃える必要もあったため、まだレーザーディスクプレーヤーに手を出せるほどの金銭的余裕はありませんでした。

そのためひたすらLDジャケットを眺めるだけの日々が続き、口さがない友達からは「プレーヤーを持っていないのにディスクだけ買うなんて、バカかお前?」とずいぶん揶揄されたものでした。

プレーヤーより先に買った4枚
しかし、その後も欲しいレーザーディスクのタイトルは確実に増えていきます。
10月には劇場版『銀河鉄道999』。
そして11月には予約していた『2001年宇宙の旅』も発売されてこれらも順次買ってしまいました。
さらに、『スター・ウォーズ』以前に発売されていた『うる星やつら オンリー・ユー』までも!。
この頃の私は「欲しいディスクが5枚以上になったらプレーヤーを買う!」と仲間に公言していたのですが、あれよあれよという間に4枚にまで増えてしまいました(汗)。



【アルバイトの日々】
翌’84年。
進級テストをどうにか乗り切った私は、2月から3月にかけてひたすらアルバイトに精を出しました。
最初の一年は「一回生のうちに一般過程の単位を取れるだけ取っておかないと二回生からあとが大変になるぞ」という先輩たちの教えを守って前期・後期とも毎日真面目に授業に出ていたためバイトする時間など全く無かったのです。
そのため遊ぶお金などほとんど無く、親からの仕送りだけでつつましい生活をしていたのでした。

その鬱憤を晴らすべく、この春休みはバイトでたんまり稼いで欲しかった物を片っ端から買いまくるつもりだったのです。
また、その頃には私にも彼女が出来たりなんかして、高校時代に夢想していた「花の大学生活」なるものに少しづつ近づいておりました(笑)。

引っ越し イメージ
この時期の主なバイト先は引っ越し屋さんでした。
2月と3月は進学やら転勤やらで引越しが非常に多い季節なのです。
学校の掲示板に貼られていただけでも、松本引越センターやサカイ引越センター、あとアート引越センターなど各社から募集がありましたし、慣れてくると現場で知り合った下請け業者さんを通して他に何件も仕事をもらえました。
一日2件のダブルヘッダーは当たり前でトリプルヘッダーも2、3度ありましたし、あと、(運が良ければ)バイト代とは別に依頼主から直接礼金を貰えることもありました。
こうして2月の試験休みから春休みが終わるまでの約2ヶ月間毎日バイトに精を出し、学校が始まる4月中旬までには70万円近く稼いだと記憶しております。

キヤノン 814XL-S
さらに、この時期とても幸運なことがありました。
1回生の時目をかけてくれていた4回生の先輩が、卒業と同時に自分が使っていた8ミリフィルムカメラを譲ってくれたのです。
しかもタダで!。

実は私はこの先輩の卒業制作作品(8ミリ映画)に出演しておりました。
私は序盤で殺されてしまう主人公の弟役で出演したのですが、そのうちの水死体で発見されるシーンの撮影が本当に大変だったのです。
その撮影時期というのが、なんと11月の末!。
大学構内の噴水泉にうつぶせになってプカプカ浮かんでいなくてはならず、しかも発見者役の女の子が何度もNGを出すため長時間冷水に浸り続ける羽目になり、私はその後ひどい風邪を引いてしまいました。
先輩が言うには、「あの時のお前は死体メイクの必要が無いくらい顔色が真っ青だった」そうです。
私の死体役が功を奏したのかどうかは分かりませんが(笑)作品はかなり好評だったそうで、それに気を良くした先輩は出演料代わりに自分が愛用していた8ミリ機材を私に譲ってくれたのです。
おかげで自分のお金で買った8ミリ機材はビューワーとスプライサー(編集機)と映写機だけで済みました。

ちなみに、この時先輩から譲り受けた8ミリカメラはキヤノン:814XL-Sという機種でした。
ちゃんと秒間24コマ撮影が出来る(安物は秒間18コマしか撮れないものが多い)うえにコマ撮りも出来る多機能機でした。
定価だと15万円もするカメラなので「幾らか払います」と言ったのですが、先輩は「これは出演料の代わり。それに自分も先輩から譲り受けたものだから金はいらん。お前も卒業するとき誰か後輩に譲ってやれ。」と言ってくれました。
言われた通りに私も卒業するとき8ミリ機材一式を親しい後輩に譲りましたが、その頃にはビデオ撮影が主流になりつつあったせいかそれほど喜ばれた記憶はありません・・・(哀)。



【最初のプレーヤー】
3ヵ月間みっちりバイトした甲斐あってお金はたんまり貯まりました。

・・・が、4月の時点ではLDプレーヤー購入は見送ることにしました。
なぜならば、すっかり顔馴染みになったダイガの店員さんから「近いうちにLD-7000の廉価版が出るよ」という裏情報を聞いていたからです。
旧式のLD-1000やLD-600より画質・音質・安定性が良く、LD-7000より値段が安いのならそれを待ったほうが得策です。
これも連日レコードショップに通いつめた成果の一つでした(笑)。

1984 04 25『風の谷のナウシカ』LDジャケット
そして6月末。
私にとって5枚目となるLDソフト『風の谷のナウシカ』と同時に、初めてのLDプレーヤーを購入したのです。



■レーザーディスクプレーヤー
パイオニア:LD-5000 169,800円
1984 LD-5000
これが私が初めて買ったLDプレーヤーです。
半導体レーザーを採用した第2世代プレーヤー:LD-7000の廉価機で、実売価格はたしか15万5千円だったと記憶しています。
色は精悍なイメージのブラックを選びました。

購入したのは日本橋のジョーシン1番館でした。
値引き率はどこの店も非常に厳しくて、1割引きにしてもらうのがやっとでした。
当時LDプレーヤーはまだまだ出数が少なかったため、ビデオデッキと比べると値引き率は低かったです。
せめてビデオケーブルの一本くらいオマケしてくれないかと訊いてみましたがそれも一切ありませんでした。

LD-5000 リモコン
上位機種:LD-7000との違いは、リモコンがワイヤレスではない(ケーブル付き)ことと一部のトリックプレイ機能が省略されていることだけで基本性能は全く同じです。
バイトを頑張ったおかげで金銭的余裕はあったことから上位のLD-7000にすることも考えましたが、「映画を見るだけならリモコンもトリックプレイも不要!」と考えてこの廉価版を選びました。

それにLD-7000とLD-5000との差額は4万円もあるのです。
これはLDソフトが4~5枚買えてしまう金額です。

LD-5000 正面
配送なんて待っていられないので、電車で持ち帰って早速セッティングしました。
それまで「プレーヤーより先にディスクだけ買い貯めるなんて。」と馬鹿にしていた連中も、この時ばかりは「俺にもレーザーディスクを見せてくれ!」と私の部屋に集まってきました。
それはあたかも、昭和30年代の「テレビを買った家にご近所さんが大勢集まってきた」という高度経済成長期のひとコマのようでもありました(笑)。

東芝CORE-FS 21K691b
テレビは前年秋に買ったばかりの東芝:21K691。
このフラットスクエア21インチブラウン管にLDの美しい映像を映し出す日をどれだけ夢見てきたことか!。

東芝CORE-FS 21K691前面端子部
LD-5000は前面下部の入力3に接続しました。
背面端子の2つにはHR-7650(VHSデッキ)とSL-J30(βデッキ)を繋いでいるためここしか空いていなかったのです。
前面にケーブルがだらりと見えてしまうのが不格好だったためセレクターを買うことも考えましたがこのときは見送りました。

LD-5000背面端子部
音声はTVからプリメインアンプ(パイオニア:A-100)に接続してあるので、LDを見るときはTVのボリュームを絞ってステレオシステムで聴きます。
あと、LD-5000をはじめとした初期のLDプレーヤーにはビデオデッキと同じくアンテナ入出力端子が付いておりました。
もちろんLDプレーヤーにはチューナーは付いていませんが、当時はまだビデオ入力端子を装備したテレビは少なかったのでLDの映像・音声をRF変換してTVの1か2チャンネル(関西の場合は2)に映し出せるようになっていたのです。

LDプレーヤー用音声多重パック
ただし、LD-7000やLD-5000の内臓RF出力回路はモノラルで、音声多重TVに接続してステレオで楽しむにはオプションの音声多重パックが必要でした。
しかし、私の場合は最初からピンケーブルで繋いでいたのでこのオプションのお世話になることは無かったです。

LD『スター・ウォーズ』初回盤 レーベル
LD-5000で最初に観たLDソフトはもちろん『スター・ウォーズ』!。
私は、決して大袈裟でなく私はその画質と音質のすばらしさに心奪われました。

LD『スター・ウォーズ』(初回盤) スターデストロイヤー冒頭の巨大宇宙船のデティール。

LD『スター・ウォーズ』(初回盤)ダース・ヴェイダーダース・ヴェイダーの漆黒スーツの質感。

LD『スター・ウォーズ』(初回盤)ワープ宇宙船のロケットノズルやハイパードライブ突入時に流れる星の輝き。

LD『スター・ウォーズ』(初回盤) まなざしそして登場人物たちの細かな表情の変化。

LDの高解像度と安定した映像のおかげで、この映画に秘められた細かな演出(伏線)を見て取ることが出来たように思います。
また、映像以上に音の迫力が凄まじく、適切に調整したステレオシステムで聴くと気のせいか2chステレオなのに背後からも音が聞こえてきてまるで映画館で観ているかのような迫力がありました。

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実は当時の映画LDの音声は劇場公開時と全く同じ内容の音声が収録されていました。
そして『スター・ウォーズ』は世界で最初にドルビーステレオ方式を採用した作品です。
ドルビーステレオとは、サラウンド用のリアch信号をステレオ(左右)に逆相信号として記録するもので、従来のステレオ音声と互換性がある音声記録です。
逆相の音声信号というのは壁などに反射することで正相に変わるため、私の部屋でも後ろの壁に音が反射してサラウンド成分も自然に聴こえたのです。
この体験がきっかけとなり、その後私はサラウンド再生にどっぷりハマっていくことになります。


実は『スター・ウォーズ』は、この前年に日本テレビ系でTV初放映されていました。
もちろん私もVHS標準とβⅡの両方で録画していましたが、アナログ放送特有のゴーストやノイズを差し引いても画質は間違いなくLDの圧勝でした。
しかも、本編前後に下らない茶番劇が延々30分近く繰り広げられるうえに、ルークやレイアの吹き替えもアフレコに不慣れな当時の若手俳優&女優を起用していたため実に聞き苦しいものでした。
LD版『スター・ウォーズ』のクォリティの高さに大満足した私は、このTV録画した二か国語版はVHS/βともさっさと消去してしまいました。
ただ、あれから数十年経った今では「あれはあれで貴重な映像資料だった」とも思うようになっていて、消してしまったことを少し後悔していたりなんかします。

LD-7000(シルバー)にディスク乗せたとこ
あと、LDは片面に最長1時間しか収録出来ないため、視聴の途中に盤をひっくり返したり入れ替えする必要がありました。
しかし、当時はまだアナログレコードが主流だったため「途中でディスクをひっくり返すのは当たり前」という認識があったので特に気にはなりませんでした。
ちなみに、LDプレーヤーに両面自動反転機能が付加されるのはこの4年後(’88年)のことです。

1984 12 08『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』初版LDジャケット
さらにこの年(’84年)の暮れには待望の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』もLD化されました。
もちろん、TV放映は一度もされておらずビデオソフト(テープ)もまだ出ていない作品でしたから、シリーズ最高傑作と称される『帝国の逆襲』を好きな時に好きなだけ見られるのはこのLDだけでした。
この時ほど自分がLDユーザーであることに優越感にを抱いたことはなかったです(笑)。

LD『ジェダイの復讐』(初回盤)妹はレイアだ
『帝国の逆襲』を自由に見返せるようになったことで、前年公開された『ジェダイの復讐』で感じた疑問や不満が次々と解消されていきました。
例えば、ルークとレイアが兄妹であるという設定についてですが、私にはあの設定が『ジェダイの復讐』で唐突に出てきたように感じて不満に思っていました。

LD『帝国の逆襲』(初回盤)ルークとレイア感応
しかし、LDで『帝国の逆襲』を改めて見返してみると、ヨーダが「(希望は)もう一人いる」と言っていたことや、レイアがルークのピンチを(フォースで)察知するといった伏線がちゃんと描かれていたではありませんか!。
『帝国の逆襲』は公開当時劇場で2回連続で観たはずなのですが、それでも『ジェダイの復讐』公開までの3年間に細かい部分はほとんど忘れてしまっていたのですね。
このタイミングで『帝国の逆襲』を見返せたのは私にとってとても幸運なことでした。



【ビデオ録画への興味は減退】
HR-7650 SL-J30
こうして私のLDライフが本格的にスタートしました。
それと反比例して、かつてあれほど夢中になっていたTVの映画番組録画に対する興味は急速に失われていきました。
邦画やアニメのLD未発売作品であればまだ録画する価値がありましたが、洋画に関しては見ることすら無くなっていたように思います。

なぜならば。
民放TVで放映される洋画は100パーセント吹き替えだったからです。
もちろん、吹き替えのほうが馴染みがあるという俳優さんや作品も例外的に存在します(例えばジャッキー・チェン=石丸博也さんとか)が、LDでオリジナル音声&字幕版で洋画を楽しめるようになるともう吹き替えで見る気にはなれなかったのです。
また録画した場合でも、それまでのようにカセットのツメを折ったりラベルを貼ることはせずいつでも再利用出来る状態で保管していました。
そのためビデオテープの購入量は激減し、その分のお金は全部LDソフトに回すようになりました。

さらにビデオレンタル店が数多く開店するようになり、民放TVでの映画が放映されるのを待つという習慣はほぼ無くなりました。
他の人はどうだか知れませんが、私は「お金を払ってでも映画は可能な限りオリジナルに近い状態で見たい」というスタンスをとっていたのです。
吹き替えはまだしも、途中何度もCMで中断されたり放映枠に収めるためいくつものシーンをカットしている民放TV局の映画番組とは距離を置くようになりました。



【十八番】

あと、歌詞の中に「レーザーディスクは何者だ?」という一節がある吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」が発売されたのもこの頃(84年秋)でした。
この曲のヒットにより、一般層にも「レーザーディスクって何?」と興味や認知度が広がったように思います。
当時すでにレーザーディスクオーナーだった私は、少しばかりの優越感を持ちながらこの歌を聴いておりました。
ちなみに、「俺ら東京さ行ぐだ」は私がカラオケで必ず歌う十八番のひとつだったりなんかします(笑)。


今回はここまで!。
次は’85年のLDリリースラッシュと’86年に買った2代目LDプレーヤーのこと。
そしてサラウンド再生の泥沼へと足を踏み込んでいく話になります。
乞うご期待!。


長文記事に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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