週刊映画鑑賞記(2021.2/22~2021.2/28)
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。
今週も『ウルトラセブン』記事だけになってしまいました。
他の映画を見る時間が全く無かったわけではありませんが、今週の休日と空き時間は全てBSアンテナとその配線周りの交換と今回のブログ執筆に費やしてしまいました。
だって、今週の『セブン』は先週悪天候のため見られなかった第42話と第43話も含めて4話分あり、しかも『ウルトラセブン』のイメージを決定づけた傑作揃いですから。
『ウルトラセブン』(4Kリマスター版)
(ホームシアター:BS4K録画)

私が初めて『ウルトラセブン』に接したのは保育園の時でした。
もちろん、まだ5~6歳だったので興味あるのはセブンやウルトラ警備隊が戦う場面だけでストーリーに関しては何一つ覚えていません。
そんな私が『セブン』の内容の深さに気が付いたのは中学3年生の時。
昭和59年、突如第3の怪獣ブームが巻き起こり『ウルトラ』シリーズや『仮面ライダー』シリーズの一挙再放送が始まったのです。
『セブン』が始まったのは同年9月からでその時はもう部活(陸上)は引退していたこともあり、毎日夕方の再放送を欠かさず見ることが出来ました。
中学3年生(15歳)という最も多感な時期に『帰ってきたウルトラマン』や『ウルトラセブン』を本腰入れて見てしまいました。
当時流行っていた海外のSF映画と較べても(映像面は別として)内容においては決して勝るとも劣らない見応えあるものが多く、10年以上も前の作品とは思えませんでした。
その精神的影響はとてつもなく大きいものであり、ただでさえ脱却し損ねていた中二病を更にこじらせてしまう結果となりました。
そんな中、シリーズ最大の問題作「ノンマルトの使者」とSFマインド炸裂の「第四惑星の悪夢」に出会ってしまったのです。
厳密には初めての出会いではないですが、保育園のときとは見え方も受け取る内容もまるで別のものでした。
第42話「ノンマルトの使者」

<あらすじ>
休日に海水浴を楽しんでいたダンとアンヌの目前で、海洋開発センターの海上基地・シーホース号が爆沈した。
直前に事件を予告してきた少年を探す2人。
やっと見つけ出した少年・真市は、地球の先住民ノンマルトがこの事件を起こしたと語る。
現在の地球人は、かつてノンマルトを海底に追いやり地球を我がものにした侵略者なのだ、と・・・。

休暇を取っていたアンヌは海底開発センター近くの浜辺でバカンス中。
この時、正体不明の少年から「シーホース号が大変なことになる」と告げられます。

浜辺には同じく休暇中のダンも一緒でした。
へえ~?。お二人さん、もうそこまでの仲に?(笑)。
その直後、ダンとアンヌの目前で突然シーホース号が大爆発し海底開発センターもろとも全滅してしまいます。

そして、地球防衛軍長官充てに子供の声でメッセージが届きます。
「海底はノンマルトのものだ。侵略したりすると大変なことが起こる。」

それを聞いてダンは何事か訝しむ始めます。
セブンの故郷M78星雲では地球人のことを”ノンマルト”と呼んでいたからです。
「ノンマルトと地球人は別ものなのか?。」

左頬のホクロを手掛かりに少年を探し回るアンヌ。
4Kで見るこのカットがあまりにも奇麗だったため今回無理やり掲載してみました(笑)。
前回「水中からの挑戦」と同じく満田かずほ監督作品なのでやはり長髪です。
次の「第四惑星の悪夢」からしばらくはまたショートカットに戻ります。

「子供を探すなら学校でしょ」ということで、ダンとアンヌはポインター号に乗って近くの学校へ。
憧れのウルトラ警備隊来訪に子供たちは大興奮!。
私が初めて『ウルトラセブン』を見たのは4~5歳の頃です。
見たいのは当然セブンやウルトラホークの活躍シーンだけで、作り手の思いにもストーリーにも凝った絵作りにも全く興味ありませんでした。
それでも、この画だけは当時見たときの記憶がはっきり残っているのです。
子供にとって最も身近な場所である学校や保育園に憧れのヒーローやメカニックが訪ねてきてくれたこの場面を。
おそらく幼い私に「いつかはこんな風に僕らのところにもウルトラ警備隊が来てくれるかもしれない。」という淡い期待を抱かせてくれたからだと思われます。
それにしても、この子供たち・・・。
お客さんの車に乗っかったり、勝手にドア開けて中を覗き込んだりと傍若無人が過ぎますね。
この学校、躾が全然出来ていないじゃないか?って思います。

ようやく少年を発見。
名前は真市。
彼は「ノンマルトこそが本当の地球人。現在の地球人類はどこかからやってきて先住民である彼らを海底に追いやり地上に居座った侵略者だ。」と言う。
制作当時としては革新的な展開だったと思います。
しかし、私がこのストーリーを見たのは中学の時で、当時『海のトリトン』や『ザンボット3』など富野喜幸監督のアニメ作品で「善悪逆転」論法に耐性があったことからこの話は比較的すんなり受け入れていました。
このストーリーについて、今作の脚本を書いた沖縄出身の金城哲夫さんが琉球(沖縄)と大和(日本本土)との確執を込めたものだとする説があります。
しかし、このストーリーにその論法は当てはまらない気がします。
例えとしては、アメリカ大陸の先住民(インディアン)とヨーロッパから移民してきた現アメリカ人たちといった話のほうが合っている気がします。
この場合、入植者を守るため先住民と戦った騎兵隊は今作のウルトラ警備隊に相当します。
また、日本で例えるなら北方領土の日本人先住者とロシア人との関係のようなものでしょうか。
正しい歴史を伝えていかなければ嘘が真実になってしまうのはいつの時代も同じです。

やがてノンマルトが操る怪獣:ガイロス登場
前回のテペトと同じく怪獣デザインコンテストで入賞した小学生の作品が元になっているそうです。

ガイロスを阻止するためセブンに変身しようとするダンを徹底的に妨害する真市。
しかし、このとき真市が阻止すべき相手は(セブン)ダンではなかったのです。
本当に彼が立ちはだかるべきは、海底で戦闘指揮を執っているウルトラ警備隊のキリヤマ隊長でした。

ノンマルトの海底都市を発見したキリヤマは、「もし宇宙人の侵略基地なら放っておくわけにはいかん」「我々人間より先に地球人がいたなんて・・・信じられん」と、一瞬の逡巡ののち「やはり攻撃だ!」と命令を下します。
ミサイルの猛攻を受けて無抵抗のノンマルト海底都市は全滅しました。
おそらく、女子供も一人残らず・・・。
しかしキリヤマにしてみれば、ノンマルトの正体が何であれ彼らは海底開発を妨害し多数の人間を殺した敵でしかありません。
彼は「地球人類(同族)を守る」というウルトラ警備隊指揮官としての責務を全うしたに過ぎないのです。

ただ、問題はそのあとです。
作戦成功後、キリヤマ隊長は思わずこんなことを口走ります。
「我々の勝利だ!。海底も我々人間のものだ!。」
隊長・・・それは侵略者のセリフそのものですよ。

ノンマルト事件のその後については『平成ウルトラセブン「わたしは地球人」』の中で語られています。
当初は、ノンマルト攻撃決定と「海底も人間のもの」発言に対してキリヤマ自身が向き合い続けているという話だったそうですが、キリヤマ役の中山昭二さんがクランクイン前に急逝されたため、本編では既に亡くなっているという設定に変更されていました。
「わたしは地球人」はビデオレンタルで一度だけ見ましたが、私の中ではその後封印状態にある作品です。
他人の勝手な解釈で作られた「ノンマルトの使者」の続編を見せつけられることに反発を禁じ得なかったのです。
それでも、あの出来事に対するキリヤマ自身の贖罪の言葉と行動だけは中山昭二さんの演技で見てみたかったです。

ラストシーンで、真市と名乗ったあの少年は、2年前この海で既に亡くなっていたことが明らかにされます。
確かに衝撃的な終わり方ですし、それ故に観た者の記憶にざっくり刻み込まれたのだと思います。
でも・・・。
やはりこのお話は分からないことだらけです。

真市が幽霊だったとして、では彼があれほどまでノンマルトに肩入れする理由は何だったのでしょうか?。
本作には2年前に死んだ真市少年とノンマルトとの接点は何一つ描かれていませんし、真市の魂が自発的にノンマルトを擁護する理由がどこにも見当たりません。
あるいは、実はあの真市はノンマルトの一人が変身した姿であり、かつてこの場所で死んだ少年の姿形を借りていただけだったとか?。
でもどうせ人間の姿を借りるのであれば発言力の弱い子供ではなく、セブンのように大人の人間になるほうが成功率が高まるだろうと思うのですがね。
それに、本当にノンマルトの人間だったなら、最初にアンヌに接近してシーホーク号爆破計画をリークするはずはありません。

ここからは、中学の頃私が友達と語り合いながら考えた解釈です。
あの真市少年はノンマルト人が変身した姿などではなく、ましてや幽霊でもなかったと思います。
彼は、ノンマルトと人類という二つの知的生命体を抱えることになってしまった地球そのものの使者ではないか?と、今で言う「ガイア理論」みたいなことを考えていました。
(先住民の名がノンマルトなのだから「ノンマルトの使者」と呼んでも間違いではありません)
最初にノンマルトの破壊計画をアンヌにリークしたのは、地球人類にノンマルトの存在を知らせて(思い出させて)和平のきっかけにしたかったのかも知れません。
そしてアンヌにだけは心を許し、彼女の口からウルトラ警備隊全員に事情が伝わるはずだと思った彼は
「ハイドランジャーにはアンヌがいる。アンヌが攻撃を止めさせてくれる。」
そう期待して、真市は人類の強力な助っ人であるウルトラセブンの介入を阻止することに注力したのでしょう。
しかし、唯一人の理解者だったはずのアンヌはキリヤマの命令に背くわけにはいきません。
皮肉にも、彼女はハイドランジャーの乗組員としてノンマルトの最期を見届けることになってしまいました。
キリヤマ隊長の勝利宣言を聞いて唇を噛むアンヌの表情が辛すぎます・・・。

「ウルトラ警備隊のバカヤロー!」
ラスト、どこからか聞こえてくる真市の怒声。
アンヌはこの声をどんな気持ちで聞いたのか・・・。
でも実はこの解釈、オリジナルのアイデアでもなんでもありません。
私が当時見たくても見られなかったあるSF映画が元ネタでした。

そのSF映画とはA・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』('72)です。
元々アニメや特撮が大好きで海外のSF作品にも触れるようになっていた当時の私は、『2001年宇宙の旅』よりもっと難解なSF映画と評判のこの作品を見たくてたまりませんでした。
しかし、3時間もあるという大長編ですから、都会ならともかく福井みたいなど田舎では再上映など期待できません。
もちろん家庭用ビデオなど影も形も無い時代です。
それでも「主人公の前に意思を持つ惑星が作り出した死んだはずの妻が現れる」といったおおまかなストーリーを映画雑誌かなにかで読んだ私は想像を膨らませ続けて耳年増状態になっておりました。
そして、そんな頃に見た「ノンマルトの使者」の”死んだはずの少年”を星の代弁者に結び付けて考えるようになったのです。
あと、先週あまりにも長くなりすぎたので割愛した「もう一つ考えていた解釈」も併せて書き記しておくことにします。
こうして『セブン』について思いっきり語る(書く)ことなど、私の残りの人生のなかでもう二度とないかも知れませんから。

ノンマルトも実は一枚岩ではなく、過激派と穏健派に分かれていた。
過激派は海底開発施設爆破や人間から奪った兵器やガイロスを使っての地上攻撃を計画。
そして穏健派は2年前この海で死んだ真市少年の姿を借りてウルトラ警備隊(アンヌ)に接触し和平工作を図ろうとしていた。
しかし、彼らが信頼を寄せたアンヌはキリヤマの独断を止められずノンマルトは全滅。
一人残った真市(最後のノンマルト人)は「ウルトラ警備隊のバカヤロー!」と叫ぶ。
こっちのほうが理に適っているとは思いますね。
でも、やっぱり地球意思説のほうが中学生らしくて夢があったと思います。
以上は全て中学時代の私の勝手な解釈・・・というより妄想みたいなものであります。
本気(マジ)の反論は何卒ご容赦くださいませ。<(_ _)>
第43話「第四惑星の悪夢」

<あらすじ>
防衛軍が開発した全自動制御の宇宙ロケット「スコーピオン号」の試験飛行が実施された。
20日間の睡眠状態から覚めたダンとソガが辿り着いたのは、地球とそっくりながらロボットが住民を支配する「第四惑星」だった。
同星の総合センター長官に接見したダンとソガは、地球が第四惑星に植民地支配される危機にあることを知る。

怪獣も宇宙人も出てこない第3の作品。
私の中で「盗まれたウルトラ・アイ」「ノンマルトの使者」などとトップの座を分け合う傑作エピソードです。
あまりにも印象が強すぎて、『ウルトラセブン』と言えばまず「第四惑星」が思い浮かぶという人も多いのではないでしょうか。

中3の秋、再放送で「第四惑星の悪夢」を見た時の驚きと興奮は今でもよく覚えています。
風景は見慣れた日本と同じ風景。
それなのに何かが違う。
別次元の地球?。未来世界?。夢の中?。
そんなディストピアSFに接したのはこの作品が初めてでした。
「どうしよう、なんかもの凄いSFを見てしまった気がする!」と訳のわからない気味悪さと激しい高揚感に支配されました。
唯一ラストが夢落ちなのが残念でしたが、そこは『ウルトラセブン』というシリーズの中の一本なので仕方ありません。

当時私には学校で前日観たアニメや特撮ものについて熱く語り合えるアニメ・特撮好きの友達がいました。
観終わった瞬間から「彼と何から話そう」などとソワソワしていたのですが、残念なことに「第四惑星の悪夢」は金曜日放送だったためそれが出来ずずいぶん歯がゆい思いをしたという記憶があります。
そんな私が「第四惑星の悪夢」の元ネタを知ったのはそれから約4年後のことでした。

大学進学で大阪に出たばかりの頃、TVで『猿の惑星』を初めて見たのです。
実はそれまで『猿の惑星』を一度も見たことがありませんでした。
小学生のとき一度TVで放送されたことがあったはずですが、その頃は祖母と母が「夜遅くまでTVを見てはいけません」と厳しかったため長時間の映画などが全くと言っていいほど見せてもらえなかったのです。
「おお~、これがかの有名な『猿の惑星』かぁ~」とワクワクしながら見ていたのですけど、そのうちなんとなく既視感を覚えるようになりました。
「あれ?、こんな話を前にもどこかで・・・?」

そこではたと気が付きました。
『猿の惑星』のサルをロボットに置き換えると「第四惑星の悪夢」になることに!。
『猿の惑星』日本公開は1968年4月13日
「第四惑星の悪夢」初放映は1968年7月28日
なるほど、『セブン』が『猿の惑星』に影響を受けていないはずがありません。

しかし、そうと分かってからも私の中で「第四惑星の悪夢」への評価は微塵も揺らぐことはありませんでした。
最初に見たのがこっちだったというファースト・インパクトに加え、舞台が日本(のような星)で登場するのも馴染み深い日本人(のような人間とロボット)だったことからより強く意識に刻み込まれたのだと思います。

そういえばセブンが松坂慶子の体内に入って怪獣(細菌)退治する第31話『悪魔の住む花』も、当時公開されたばかりのSF映画『ミクロの決死圏』がベースになっていました。
制作時期を考え合わせながら見ていると、その当時流行った出来事やヒット作を巧みに取り込んでいることが分かります。
第44話「恐怖の超猿人」

<あらすじ>
深夜、巡回中の警官がゴリラ級の大男に撲殺された。
事件究明のために、ダンとアンヌはモンキーセンターを訪問。
アンヌと旧知の真山博士は好意的に彼らを迎えるが、博士は女性助手と共に侵略者ゴーロン星人に洗脳されていた。
星人の目的は地球人の脳を猿のものと交換して地球を猿人だらけの惑星に作り変えることであった!

「第四惑星の悪夢」のベースが『猿の惑星』だったと考えると、次のこの回が猿ネタであることに納得がいきます。
『ウルトラセブン』スタッフはよっぽど『猿の惑星』が気に入ったようですね。
では、そのスタッフとは誰なのでしょうか?。
『恐怖の超猿人』は上原正三さんと市川新一さんの共同脚本。
そして『第四惑星の悪夢』は上原正三さんと川崎高(実相寺昭雄監督のペンネーム)の共同脚本となっています。
あ~、上原さんか!。

ちなみに『ミクロの決死圏』からヒントを得たであろう第31話「悪魔の住む花」の脚本も上原さんでした。
上原さんは相当SF映画がお好きだったようですね。
しかし、『悪魔の住む花』も『第四惑星の悪夢』も『恐怖の超猿人』も、知らずに見ていればどれも第一級の面白さです。
元ネタをしっかりと咀嚼し、ウルトラセブンのエピソードとして子供たちに提供してくれていたわけで、そこには原典に対する理解の深さとリスペクト精神、そしてリライトセンスが満ち溢れています。

ところで、この回のタイアップは実に露骨です(笑)。
まず、ゴーロン星人のアジトとなっていた日本モンキーセンター。
現在も愛知県犬山市で営業中の日本モンキーセンターが舞台となっています。
アンヌ「ここには世界の猿が、1000頭近くもいるんですって!」
ダン 「へえ~?」
と、アンヌとダンが園内をくまなく見せてくれます(笑)。

さらに後半では、ゴーロン基地(モンキーセンター)から脱出したアンヌが基地と連絡を取るため川下りの船に乗り込みます。
この場面、まるでモンキーセンターのすぐ近くたいな繋がり方になってますが、実はこの船着き場は岐阜県の木曽川です。
それにしても・・・この緊急時に船?。
しかも手漕ぎの?。
「お願いします!」
「へい!」
う~む、まるで観光案内ビデオのような絵面であります(笑)。
でも、この頃の円谷プロの懐具合を思えば仕方のないことかも知れません。

この日本ライン川下り観光船とは、木曽川の急流区域をベテラン船頭さんが操る観光用の小舟で猛スピードで岩を除けながら下ってゆくという観光スポットです。
ちなみに日本ラインという名称は、木曽川の景観をドイツのライン川に準えて名付けたそうです。

執拗にアンヌを追う猿人。
しかし彼の目的はアンヌを殺すとか、捕らえてゴーロン星人に差し出すといったことではありません。
ケガをした自分の手に包帯を巻いてくれたアンヌにひたすら恋焦がれただけなのです。

しかし、だからと言って彼に捕まるわけにはいきません。
もし捕まってしまった場合、アンヌがこのケダモノに何をされてしまうのか?。
子供番組なので明確な表現は避けますが、考えられることはただ一つ「繁殖」です(怖っ)。

最後はアンヌ救出に来たウルトラ警備隊に射殺されてしまいますが、その顔には心なしか安らかな表情が感じ取れます。
彼もゴーロン星人に脳改造される前は気の優しいただの掃除係だったのかも知れません。
第45話「円盤が来た」

<あらすじ>
下町の工場街に住むフクシンは天体観測だけが生き甲斐の気の弱い青年。
ある夜フクシンは夜空に大挙して押し寄せる大円盤群を発見し、防衛軍に通報するが異状は観測されなかった。
実は密かに地球にやって来たぺロリンガ星人が不透視バリヤーという特殊なシステムで母星からの大円盤群を星団に偽装していたのだ!

保育園の頃にも見ていたはずですが、当然ながらその時の記憶はありません。
私が『セブン』を真剣に見たのは’79年秋の再放送で、内容に関してはこの時が事実上の初セブン体験だったと自覚しています。
当時私は中学3年生。
『スター・ウォーズ』『エイリアン』『スーパーマン』などといった大作SF映画に夢中になっていました。
そして、事実上初見に等しい「円盤が来た」を見ながら「こんな話を最近どこかで見たぞ?」と妙な既視感を覚えたのです。

「もう随分大勢の地球人を私は星へ連れていってあげたんだ。ほら、ある日突然蒸発して居なくなった人が君の回りにも居るだろう?。」
このペロリンガ星人のセリフでまた別の映画を思い出しました。

それは『未知との遭遇』(’77年)の第二次大戦時に消息不明になった飛行機パイロットたちがUFOから降りてくる場面です。

つまり、『未知との遭遇』の主人公:ロイはフクシン君。

フクシン君の言うことを信じようとしないロイの奥さんは警備隊の人たち。

そしてUFOに幼い息子を連れ去られたジリアンは、実際に望遠鏡を見てUFOの存在を信じてくれた金物屋(?)の源さんといったところでしょうか。
『ウルトラセブン』第45話「円盤が来た」の初放送は1968年8月。
『未知との遭遇』は1977年11月全米公開です。
当時の私は「『未知との遭遇』は絶対に『セブン』のペロリンガ星人が元ネタや!」と鬼の首でも取ったかのように周囲に語りまくっておりました(笑)。
といっても、こんなオタク話にまともに付き合ってくれたのは、やはり同じSF・特撮好きの親友ただ一人でしたが・・・。

『未知との遭遇』との最大の違いは、UFOに乗ってやってきた宇宙人が友好的か侵略者かということです。
仮に「円盤が来た」のペロリンガ星人を侵略者として描くのではなく、人間社会が嫌になった地球人を自分の星に招いた善意ある異星人として描いていたとしたら、それこそ歴史に残るほどの大傑作になっていたかも知れません。
もっとも、現在の国際情勢下では北●鮮の拉致問題と重ね合わせて見られてしまいそうな気もしまうが・・・。

フクシン君を誘惑するペロリンガ星人の人間(少年)体を演じたのは、『超人バロム・1』の白鳥健太郎役で特撮ファンにはおなじみの高野浩幸さんです。

二人一組で変身する「バロムクロス」のポーズは当時小学生の間でずいぶん流行りました。
クラスの中の誰と組むかで男同士の友情が測られたあの頃を思い出します(懐)。
あと、おっさんになってからは、同世代の奴とビールジョッキを持った腕をクロスして「ばろ~むくろす!」と言いながらグビグビ飲み干したりしてました。
これ、高野さんも絶対やった(やらされた)と思いますね(笑)。
【訃報】

先日、『ウルトラマンA』のTAC隊長:竜五郎役を演じられた瑳川哲朗さんの訃報を知りました。
瑳川さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

『A』については、初放映時(小2)は前の『帰ってきたウルトラマン』が好きすぎて反動があったのと、初代・セブン・帰マンなど過去のマイ・ヒーロー(ウルトラマンたち)をAの引き立て役にしているのが子供心にも気に入らなくてあまり身を入れて見てはいませんでした。
ちゃんと再評価したのは中学3年の時に見た再放送で、(確かゴルゴダ星でウルトラ兄弟が磔にされる回だったと思いますが)北斗に特攻を命じた上官を竜隊長がぶん殴るという場面がありました。
人としての正義と部下の生命を第一に重んじるこの隊長さんとTACチームがいっぺんに好きになってしまいました。

『A』のDVD特典映像でかつての共演者たちと一緒に座談会に参加していた瑳川さんの楽しそうな笑顔が思い出されます。
あと、『タロウ』『レオ』のナレーションの温かな声も私の記憶にしっかりと刻まれています。
今はなんだか、小学校時代の先生が亡くなられたときのような気持ちです・・・。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。