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映画と日常

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(ネタバレ注意)

トガジンです。

今日はメンズ・デーで仕事も休み、ということで2本映画を観てきました。
どちらもコロナワールドでの鑑賞です。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』🈠
(劇場:コロナワールド)
ファンタスティックビースト

【ストーリー】

未知の幻獣を求めて世界中を周り、ニューヨークにたどり着いた魔法動物学者ニュート・スキャマンダー。
後にホグワーツ魔法魔術学校の指定教科書「幻の動物とその生息地」の編纂者となる人物である
ところが、魔法のトランクに詰め込んでいた魔法生物たちが逃げ出してしまい、魔法生物を禁じているアメリカ合衆国魔法議会のお尋ね者になってしまう。
さらに、魔法の根絶を目論む秘密結社・新セーレム救世軍の暗躍で、事態は思わぬ方向へ転がっていく。

1926年、禁酒法のさ中のニューヨークが舞台です。
ハリー・ポッターとその仲間たちの入学が1991年ということでしたから、その65年前の物語ということになります。
『ロード・オブ・ザ・リング』に対する『ホビット』だったり、『スター・ウォーズ』オリジナル・トリロジーに対するプリクエル・トリロジーのようなものという認識で良いかと思います。
続編では若い頃のダンブルドア(後の校長)が登場するようですし、この頃にはトム・リドルもどこかに存在している筈です。
また主人公ニュートの元カノの名前がリタ・レストレンジということが分かるシーンがありましたが、その女性はあのベラトリックス・レストレンジの肉親にあたるのでしょうか。
(ベラトリックスは闇の魔法使いの一人で、ハリーの名付け親シリウス・ブラックを殺した女です)

【第一印象】

主人公が逃げたモンスターを街中を探し回り、あちこちに迷惑をかけて回る姿を見ていると、この夏大流行した『ポケモンGO!』に夢中になっていた人々のことを思い出してしまいました。
もちろんこの映画は『ポケモンGO!』が流行る前から制作が始まっていたわけですから関連性は無いのでしょうが、今の時代に「面白いモノ」として考えられる要素は自然と似通ってくるものなのかと思いました。


【欠陥】

脚本を原作者のJ・K・ローリングが自ら執筆したとのことです。
内容にとっては良いことだったかも知れませんが、映画のストーリーテリングとしては三流だったと思います。

冒頭の新聞記事の羅列で状況設定を一気に説明しています。
しかし映画の場合、文字情報だけでは観客の脳内に伏線として刷り込むには無理があります。
人物名だけがでかでかと書かれていても、そいつがどんな顔の奴なのかというビジュアルが無ければ映画の中に登場しても観客はそれと気づくことが出来ないのです。
小説ならば、気になったところで前のページに戻って読み直すことが可能です。
しかし映画は物語軸が一方通行で流れていってしまうものなので、オチに至るまでに何度かそれとなく視覚情報としての伏線を張っておく必要があります。
この映画の脚本にはそうした映画的考慮が欠落しています。
プロデューサーや監督も何とか言えば良いのに・・・と思いましたが、J・K・ローリングは原作者でありプロデューサーの一人でもある絶対権力者ですから迂闊に脚本にケチをつけることが出来なかったのかも知れません。

以下、ネタバレあります。未見の方はご注意願います。

具体例を挙げます。
パーシバル・グレイブスとゲラート・グリンデルバルドのことです。

冒頭の新聞の一部にグリンデルバルドのことが書かれていました。
ハリー・ポッター』にそれほど詳しくない大多数の観客には、この時代を説明するワードの一つとしか認識出来ないと思います。
私も「聞いたことある名前やな」とは思ったものの、それが誰だったかは忘れていました。

しかも我々全ての観客に対して、本作におけるグリンデルバルドの顔(俳優)は明示されていません。
以前の映画版『ハリー・ポッター』における色男のイメージを覚えている人もいるでしょう。
しかし今作では、ある大物人気俳優がこの役を演じるということで序盤での顔見世はありませんでした。

物語では、アメリカ合衆国魔法議会魔法法執行部部長パーシバル・グレイブスがニュートたちを危険人物として追い回します。
その一方でオブスキュラスと呼ばれる強力な負の生命エネルギーのようなものを手に入れようと暗躍する姿も描かれます。

ラストシーンでこのグレイブスが捕まってその正体が暴かれます。
コリン・ファレルの顔が変化して本性を現した姿を見た時、その場にいた関係者は一様に驚愕の声を上げます。
「お前はゲラート・グリンデルバルド!」

ところが我々観客にとっては、その顔がジョニー・デップであることのほうがよっぽど驚愕です。
そしてゲラート・グリンデルバルドの名を聞いても、「え~と、どちら様でしたっけ?」という感じでポカーンとなるばかりです。
「グレイブスの正体はあのグリンデルバルドだった」というオチに至るまでのお膳立てが何一つ出来ていないお粗末な脚本です。

以上、ネタバレ終了です。


【良かった点】

今回、魔法を使えないどころかその存在すら知らなかった一般人がメインキャラクターに入っています。
ひょんなことから事件に巻き込まれてしまうジェイコブ・コワルスキーです。

ファンタスティックビースト ジェイコブ
この彼がすごくいい味出してます。
パン屋を開くという夢を持つジェイコブは、融資を依頼しに行った銀行でニュートと出会います。
そこて魔法動物逃亡騒動に巻き込まれてしまい、ニュートとその協力者たちとともに解決に向けて行動することになります。
ジェイコブとニュートの凸凹コンビが妙に可笑しく、更に協力者の女性クイニー・ゴールドスタインとの恋物語もあってこの映画を見続けていく軸になっていました。
最後は魔法界の掟によって記憶を消されてしまいますが、その後クイニーと再会したときの彼の笑顔で映画は幕を閉じます。

この映画は、ジェイコブが主人公だと思って観るほうが楽しめそうです。
普通の人間(マグル(英)/ノーマジ(米))の視点で魔法使いのいる世界を観た映画として考えれば、上記のストーリーテリングの問題などはどうでも良くなってしまいます。

余談ですが、「記憶が消えていても再会した時に相手のことが分かってしまう」ラストシーンは、『君の名は。』みたいでした。
でもご都合主義の積み重ねで無理矢理作った感のある『君の名は。』のラストより、とても粋で良かったと思います。


【今後のこと】

ハリー・ポッター』シリーズのスピン・オフとして単発としてならこれもありでしょう。
でもこのシリーズは全部で5部作もあるとのことです。
続けるうちに『ハリーポッター』登場人物の●●の若い頃とか祖父・祖母とかが絡んできて世界観が狭くなりはしないでしょうか。
今回のジェイコブのように、別の視点から『ハリー・ポッター』世界を覗くようなスピン・オフ作品のほうがいいように思います。


素人の戯言にお付き合いいただきありがとうございました。
お気を悪くされたらごめんなさい。


さて。
今日観たもう一本の映画は『この世界の片隅に』(2回目)です。
2度目であっても、初見のときと同様に作品世界に没入してしまいました。
現在鋭意執筆中です・・・。
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