『この世界の片隅に』(その1:今そこにある世界)
CATEGORYアニメ:カ行
トガジンです。
今年一番の映画に出会ってしまいました。
いや、今年どころか50余年の私の人生の中で間違いなく十本の指に入る作品です。
これから何度も何度も観返して、私を構成する栄養素の一つとなることでしょう。
『この世界の片隅に』
(劇場:コロナワールド)

最初にお断りしておくべきことがあります。
12/12現在、私は『この世界の片隅に』の原作漫画を読んだことがありません。
テレビドラマ版もあったようですがそれも観ていません。
現在公開中の片淵須直監督のアニメーション映画のみの体験です。
原作を読んでいる方からすれば「何を馬鹿な」とか「分かりきったこと」という記述もあろうかと思います。
あくまで映画版を観て感激した私個人の率直な感想としてご覧ください。
【あらすじ】

昭和19年広島、おっとりした性格で絵が得意な少女浦野すずは18歳で呉の北條周作のもとに嫁いだ。
すずは憶えていなかったが、二人は10年前に出会っておりその時から周作はすずのことを見初めていたと言う。
戦争で物資が不足する中、すずは不器用ながらも懸命にささやかな暮らしを守り続けていた。
東洋一の軍港である呉はたびたび空襲を受けるようになっていた。
昭和20年6月、すずも爆風で大切な肉親の一人と右手首を失ってしまうことになる。
自責の念にかられたうえに絵を描く右手を失ったことから、さしものすずも持ち前の笑顔を失ってしまう。
見舞いにきた妹のすみからお祭りの日に帰ってくるよう誘われるが、その当日(8月6日)広島方面からあがる巨大な雲を見る。
8月15日、ラジオで玉音放送を聞いたすずは今まで信じていた日常を裏切られた悔しさに泣き崩れる。
翌年1月、すずはようやく広島市内に赴くが、両親は亡くなり妹のすみには原爆症の症状が出ていた。
廃墟となった市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝する。
そして、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻るのだった。

あらすじだけを文章で読むと、戦時下の広島における苦労話とか原爆の悲惨さを訴える映画のように見えることでしょう。
しかし、そういう一般的な反戦映画とは全く違います。
根底に「反戦」の意図は見えるのですがそれを声高に叫ぶような類の映画ではありません。
戦時下の過酷な状況化においても普通に生活していた市井の人々の日常をきめ細やかに描いた映画です。
楽しいことがあれば皆で笑い、限られた材料で夕食の献立に知恵を絞り、初恋の相手の訪問にどぎまぎしたりもする。
そういった微笑ましくもほろ苦いエピソードの数々が、非常にコミカルにテンポ良く綴られています。
そして、そんな登場人物たちの姿に共感しながらも、逃れようのない歴史的出来事に刻々と近づいていくという構造の映画です。

今日はこの作品の屋台骨ともいうべきリアリティについて考察してみたいと思います。
【食卓】

昔から食事のシーンが良い作品には傑作が多いと言われます。
「食べる」という行為は人間誰しも経験したことがあることなのでフィクションに感情移入する足掛かりになるからです。
画面に映る食べ物を見て「美味しそう」と思うことや、それを美味しそうに(あるいは不味そうに)食べる登場人物を見ることは、経験則からその作品世界を感じ取り人物に感情移入していくことに繋がります。
この食糧難の時代においては食材も限られています。
配給のイワシの干物4匹で一家の食事3食分を賄わねばなりません。
砂糖や塩も配給は滞りがちです。

食べられる雑草を積み、ご近所の先輩主婦にレシピを教えてもらったり、楠木正成が考案したという「楠公飯(なんこうめし)」を試してみたり。
これらのレシピというのが、実際に作って食べて見ようかと思わせる詳しさと楽しさを兼ね備えたものになっています。
しかもすずさんは、これら難易度の高い調理法をまるでお料理番組のように明るくテンポ良く作ってしまうのです
【当時の街並】

片淵須直監督は広島に何度も通って当時を知る人に丹念に取材し、当時の広島市を再現することに腐心したそうです。
当時広島市内に住んでいて(原爆の難は逃れた)取材を受けた人が、アニメの画面の中に自分の生家と両親の姿が描き込まれていたことに深い驚きと感激を覚えたそうです。
また、全編を通じて名もなき一般市民や兵隊さんなども、背景の中野記号としてではなく生きた人間として表現しています。
背景にモブ(群衆)として映っているそのほぼ全てが動いています。
すずや周作などのメインのキャラの間近にいる者にはセリフも与えられていて、この世界に存在するすべての人間が生きていてそれぞれ人生があることを表現しています。
昨今では、アニメのモデルとなった実際の街に赴いてキャラクターとの一体感を味わおうとする「聖地巡礼」なるものが流行っていると聞きますが、この映画における「聖地」はもうこの地上には存在しません。
【のん(能年玲奈)=すず】

「うちは、ぼーっとした子じゃいわれとって・・・」
私はこの最初の一言でハートを持っていかれてしまいました。
この映画は、ほぼ全編すずさんの視点を通して描かれています。
全編を主演ののん(能年玲奈)さんの声をガイドとしてこの世界を体験していくことになるのです。
とても聞き心地の良い声です。
ゆったりと、穏やかで、でも時には力強く、一言一言がはっきりしています。
それはまるで、おやすみ前に子供にお話を聞かせる母親の声のようです。
彼女の声に身を委ねているだけで2時間があっと言う間に過ぎていきます。
広島弁のセリフも板についていたと思います。
厳密に広島弁としてどうなのかは分かりませんが、うわずったり標準語が混じったりすることは無かったと思います。
のんさんは兵庫県出身とのことですが、他県の方言を駆使してあれだけの表現が出来るのは見事としか言いようがありません。
私は、洋画の吹替えやアニメのアフレコは基本的にはプロの声優さんにお任せするべきだと考えています。
しかし稀に絶妙なキャスティングと卓越した演技力とで、「この役はこの人以外には考えられない」と思わせる俳優・女優さんも何人かいらっしゃいます。
古くは『あしたのジョー』のあおい輝彦さん、最近では『君の名は。』の上白石萌音さんなどがそうです。
『この世界の片隅に』における北條すず役は、のんさん以外には考えられません。
もし、再度の実写作品や舞台などが作られたとしてものんさん主演でない限りすんなり受け入れることは難しいでしょう。
【すずさん】

どれほど緻密な調査に基づいた背景描写があっても小気味よいアニメーションが目を楽しませてくれても、登場人物に魅力が無ければ何にもなりません。
その点、本作の主人公すずさんの魅力は破壊的とすらいえます。
そしてそれは、凡百のアニメに多く見られるような記号的な可愛いさとは全く別質のものです。
幼い頃の場面で、大きな荷物を壁に押し当てて一人で担ぐ姿が可愛くて仕方がないです。
考え事をするときの腕を交差して指差し確認する仕草や、失敗したときの「ありゃ~」という表情が愛おしくてたまりません。
そして初夜のシーンの艶やかさにおいては、周作に対して嫉妬さえ感じてしまいます。

いつも笑顔を絶やさず、食糧難を知恵と工夫と笑顔で乗り切っていったすずさん。
肉親の死や自身の大ケガも何とか乗り越えてこの地で生きていこうと決意します。
そかしその矢先に突然終戦(敗戦)が告げられ、すずさんは初めて激昂する姿を見せます。
「ここにまだ5人いる!左手も両足もまだある!!」
(このシーンだけを取り上げて、この映画を「戦争を肯定している」などという馬鹿がいないことを切に願います。)

どんなに過酷な状況も素直に受け入れて必死に頑張ってきた彼女にとっては、それまでの全ての苦労も犠牲も無駄だったと告げられたようなものなのです。
「戦争が終わって安心したはずなのに・・・?」などと思うのは現代に生きる我々の感覚でしかありません。
あの当時を不器用ながらも全力で生きた女性たちのリアクションとしては、すずさんのように激高するか無駄死にした者を想って泣き崩れるか呆然自失するかのいずれかです。
すずさんの視点で映画を観てきたうえでなら、あのリアクションはとてもリアルな描写であるのです。

北條(旧姓:浦野)すずさん
もし今もお元気なら92歳になっていることになります。
さぞかし笑顔が素敵なおばあちゃんになられたことでしょう。
晩年は左手で絵を描いたり切り絵に挑戦したりされたのでしょうか。
・・・と、そんな風にアニメということもフィクションであることも忘れて、すずさんが実在する人物と思ってしまえるほどでした。
本日はお付き合いいただきありがとうございました。
明日は、僭越ながらこの映画へのささやかな不満点を述べさせていただきます。
今年一番の映画に出会ってしまいました。
いや、今年どころか50余年の私の人生の中で間違いなく十本の指に入る作品です。
これから何度も何度も観返して、私を構成する栄養素の一つとなることでしょう。
『この世界の片隅に』
(劇場:コロナワールド)

最初にお断りしておくべきことがあります。
12/12現在、私は『この世界の片隅に』の原作漫画を読んだことがありません。
テレビドラマ版もあったようですがそれも観ていません。
現在公開中の片淵須直監督のアニメーション映画のみの体験です。
原作を読んでいる方からすれば「何を馬鹿な」とか「分かりきったこと」という記述もあろうかと思います。
あくまで映画版を観て感激した私個人の率直な感想としてご覧ください。
【あらすじ】

昭和19年広島、おっとりした性格で絵が得意な少女浦野すずは18歳で呉の北條周作のもとに嫁いだ。
すずは憶えていなかったが、二人は10年前に出会っておりその時から周作はすずのことを見初めていたと言う。
戦争で物資が不足する中、すずは不器用ながらも懸命にささやかな暮らしを守り続けていた。
東洋一の軍港である呉はたびたび空襲を受けるようになっていた。
昭和20年6月、すずも爆風で大切な肉親の一人と右手首を失ってしまうことになる。
自責の念にかられたうえに絵を描く右手を失ったことから、さしものすずも持ち前の笑顔を失ってしまう。
見舞いにきた妹のすみからお祭りの日に帰ってくるよう誘われるが、その当日(8月6日)広島方面からあがる巨大な雲を見る。
8月15日、ラジオで玉音放送を聞いたすずは今まで信じていた日常を裏切られた悔しさに泣き崩れる。
翌年1月、すずはようやく広島市内に赴くが、両親は亡くなり妹のすみには原爆症の症状が出ていた。
廃墟となった市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝する。
そして、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻るのだった。

あらすじだけを文章で読むと、戦時下の広島における苦労話とか原爆の悲惨さを訴える映画のように見えることでしょう。
しかし、そういう一般的な反戦映画とは全く違います。
根底に「反戦」の意図は見えるのですがそれを声高に叫ぶような類の映画ではありません。
戦時下の過酷な状況化においても普通に生活していた市井の人々の日常をきめ細やかに描いた映画です。
楽しいことがあれば皆で笑い、限られた材料で夕食の献立に知恵を絞り、初恋の相手の訪問にどぎまぎしたりもする。
そういった微笑ましくもほろ苦いエピソードの数々が、非常にコミカルにテンポ良く綴られています。
そして、そんな登場人物たちの姿に共感しながらも、逃れようのない歴史的出来事に刻々と近づいていくという構造の映画です。

今日はこの作品の屋台骨ともいうべきリアリティについて考察してみたいと思います。
【食卓】

昔から食事のシーンが良い作品には傑作が多いと言われます。
「食べる」という行為は人間誰しも経験したことがあることなのでフィクションに感情移入する足掛かりになるからです。
画面に映る食べ物を見て「美味しそう」と思うことや、それを美味しそうに(あるいは不味そうに)食べる登場人物を見ることは、経験則からその作品世界を感じ取り人物に感情移入していくことに繋がります。
この食糧難の時代においては食材も限られています。
配給のイワシの干物4匹で一家の食事3食分を賄わねばなりません。
砂糖や塩も配給は滞りがちです。

食べられる雑草を積み、ご近所の先輩主婦にレシピを教えてもらったり、楠木正成が考案したという「楠公飯(なんこうめし)」を試してみたり。
これらのレシピというのが、実際に作って食べて見ようかと思わせる詳しさと楽しさを兼ね備えたものになっています。
しかもすずさんは、これら難易度の高い調理法をまるでお料理番組のように明るくテンポ良く作ってしまうのです
【当時の街並】

片淵須直監督は広島に何度も通って当時を知る人に丹念に取材し、当時の広島市を再現することに腐心したそうです。
当時広島市内に住んでいて(原爆の難は逃れた)取材を受けた人が、アニメの画面の中に自分の生家と両親の姿が描き込まれていたことに深い驚きと感激を覚えたそうです。
また、全編を通じて名もなき一般市民や兵隊さんなども、背景の中野記号としてではなく生きた人間として表現しています。
背景にモブ(群衆)として映っているそのほぼ全てが動いています。
すずや周作などのメインのキャラの間近にいる者にはセリフも与えられていて、この世界に存在するすべての人間が生きていてそれぞれ人生があることを表現しています。
昨今では、アニメのモデルとなった実際の街に赴いてキャラクターとの一体感を味わおうとする「聖地巡礼」なるものが流行っていると聞きますが、この映画における「聖地」はもうこの地上には存在しません。
【のん(能年玲奈)=すず】

「うちは、ぼーっとした子じゃいわれとって・・・」
私はこの最初の一言でハートを持っていかれてしまいました。
この映画は、ほぼ全編すずさんの視点を通して描かれています。
全編を主演ののん(能年玲奈)さんの声をガイドとしてこの世界を体験していくことになるのです。
とても聞き心地の良い声です。
ゆったりと、穏やかで、でも時には力強く、一言一言がはっきりしています。
それはまるで、おやすみ前に子供にお話を聞かせる母親の声のようです。
彼女の声に身を委ねているだけで2時間があっと言う間に過ぎていきます。
広島弁のセリフも板についていたと思います。
厳密に広島弁としてどうなのかは分かりませんが、うわずったり標準語が混じったりすることは無かったと思います。
のんさんは兵庫県出身とのことですが、他県の方言を駆使してあれだけの表現が出来るのは見事としか言いようがありません。
私は、洋画の吹替えやアニメのアフレコは基本的にはプロの声優さんにお任せするべきだと考えています。
しかし稀に絶妙なキャスティングと卓越した演技力とで、「この役はこの人以外には考えられない」と思わせる俳優・女優さんも何人かいらっしゃいます。
古くは『あしたのジョー』のあおい輝彦さん、最近では『君の名は。』の上白石萌音さんなどがそうです。
『この世界の片隅に』における北條すず役は、のんさん以外には考えられません。
もし、再度の実写作品や舞台などが作られたとしてものんさん主演でない限りすんなり受け入れることは難しいでしょう。
【すずさん】

どれほど緻密な調査に基づいた背景描写があっても小気味よいアニメーションが目を楽しませてくれても、登場人物に魅力が無ければ何にもなりません。
その点、本作の主人公すずさんの魅力は破壊的とすらいえます。
そしてそれは、凡百のアニメに多く見られるような記号的な可愛いさとは全く別質のものです。
幼い頃の場面で、大きな荷物を壁に押し当てて一人で担ぐ姿が可愛くて仕方がないです。
考え事をするときの腕を交差して指差し確認する仕草や、失敗したときの「ありゃ~」という表情が愛おしくてたまりません。
そして初夜のシーンの艶やかさにおいては、周作に対して嫉妬さえ感じてしまいます。

いつも笑顔を絶やさず、食糧難を知恵と工夫と笑顔で乗り切っていったすずさん。
肉親の死や自身の大ケガも何とか乗り越えてこの地で生きていこうと決意します。
そかしその矢先に突然終戦(敗戦)が告げられ、すずさんは初めて激昂する姿を見せます。
「ここにまだ5人いる!左手も両足もまだある!!」
(このシーンだけを取り上げて、この映画を「戦争を肯定している」などという馬鹿がいないことを切に願います。)

どんなに過酷な状況も素直に受け入れて必死に頑張ってきた彼女にとっては、それまでの全ての苦労も犠牲も無駄だったと告げられたようなものなのです。
「戦争が終わって安心したはずなのに・・・?」などと思うのは現代に生きる我々の感覚でしかありません。
あの当時を不器用ながらも全力で生きた女性たちのリアクションとしては、すずさんのように激高するか無駄死にした者を想って泣き崩れるか呆然自失するかのいずれかです。
すずさんの視点で映画を観てきたうえでなら、あのリアクションはとてもリアルな描写であるのです。

北條(旧姓:浦野)すずさん
もし今もお元気なら92歳になっていることになります。
さぞかし笑顔が素敵なおばあちゃんになられたことでしょう。
晩年は左手で絵を描いたり切り絵に挑戦したりされたのでしょうか。
・・・と、そんな風にアニメということもフィクションであることも忘れて、すずさんが実在する人物と思ってしまえるほどでした。
本日はお付き合いいただきありがとうございました。
明日は、僭越ながらこの映画へのささやかな不満点を述べさせていただきます。
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