週刊映画鑑賞記(2021.9/13~2021.9/19)
CATEGORY週刊映画鑑賞記
トガジンです。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。
先週からこれまで未見の作品を重点的にチョイスすることにしております。
しかし、今回選んだうちの一本がとんだ食わせ物でありました・・・。
9/13(月)
『犬神の悪霊(たたり)』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)

「悪霊」と書いて「たたり」と読む!。
いかにも70年代東映が好きそうなハッタリかましたタイトルです(笑)。
昭和52年公開。
なんでも「日本初のオカルト映画」らしいです。
当時は日本全国オカルトブームで、映画界も『オーメン』『キャリー』など洋画を皮切りにオカルトものが大ヒット。
加えて前年には市川崑監督の『犬神家の一族』が話題となり、松竹も『八つ墓村』を準備中とのこと。
それらに対抗すべく東映はオリジナルストーリーの本作をぶち込んできたのでした。
う~む。
流石は『スター・ウォーズ』日本公開に先駆けて『宇宙からのメッセージ』を作った東映だけのことはあります(笑)。

主な舞台は犬神伝承の因習が残る大分県の山村です。
(・・・といっても撮影は三重や和歌山など近畿地方で済ませたらしいですが)
そこに原子力発電所用のウラン鉱を発見した主人公(大和田伸也)がやって来て村長の娘(泉じゅん)と結婚します、初来訪時に犬神の祠(ほこら)を壊してしまったことから奇怪な現象に悩まされることになる・・・といったストーリー。
監督は福井県出身の伊藤俊也監督。
ストーリーは監督のオリジナルで、話のきっかけとして原発を持ち出してくるところが原発立地県出身監督らしいです(汗)。

主演の大和田伸也さんはこれが映画初主演作品です。
この頃はまだキャリアも浅い頃であり、『水戸黄門』の格さん役で全国的に顔と名を知られるようになるのはこの翌年のことです。
大和田さんは伊藤監督と同じ福井県出身。
しかも福井の原発一号機が作られた敦賀市出身ということでこの役をキャスティングされたのでしょうか?。

開始早々いきなりのサービスシーン。
泉じゅんと山内絵美子がすっぽんぽんで川遊びであります。
その姿を覗き見る大和田伸也とその仲間たち。
流石は東映、男性客の掴み方を心得てます(笑)。
泉じゅんは村長の娘、山内絵美子は何故か村八分にされている垂水家の娘ですが、二人は幼い頃からの親友ということです。

垂水家は犬神家の家系とかで村人たちから忌み嫌われている様子。
そこに東京からやって来たウラン発掘隊のずさんな工事のせいで村の水源が汚染され、それを垂水家の仕業と決めつけた村人たちは父親(室田日出男)以外の家族全員を皆殺しに!。
父親は復讐のため一族に伝わる犬神の呪術を実行します。
犬神の呪術とは、犬を首だけ出して穴に埋めて極限まで飢えさせ人間に対する憎しみが満ちたとき、生きたままその首を切り落として呪具とするというものです。
犬好きな人が聞いたら卒倒しそうな話ですが、東映は当時「本物の犬を殺して撮影した」とウソの発表をして動物愛護団体をたきつけて宣伝に利用したそうです。
いやぁ~、流石は東映!(笑)。

その犬神の怨念は、術式を盗み見ていた麗子の妹:磨子(演:長谷川真砂美)にとり憑き、垂水家の恨みを晴らすかのように村人を殺し始めます。
前半は横溝正史的なミステリータッチでしたが、後半は動物霊憑きのオカルトホラーに変貌します。
一つの映画の中で完全に世界観が破綻しますが、これもまた当時の「売れ線」を思いつく限りブチ込む東映娯楽映画らしい展開と言えましょう。

終盤の見せ場を独占し、大和田伸也を完全に食ってしまっていた子役の長谷川真砂美さん。
撮影当時はまだ小学6年生で、しかもこの映画がデビュー作でした。
私も、途中から「なんて演技が自然で堂々としているんだろう」とこの子にばかり目が行っておりました。
彼女の存在自体が終盤に向けての伏線になっていたのかも知れません。

長谷川さんはその数年後、大林宣彦監督の『ねらわれた学園』でも人間離れした超能力少女を演じていました。
その後急に女優活動から引退されてしまったのが残念でなりません。
9/15(水)
『ポータルズ』🈠(途中放棄)
(ホームシアター:WOWOW録画)

実は昨年から気になっていたSF映画の一本でした。
というのも・・・

昨年秋、映画『2001年宇宙の旅』に登場するモノリスそっくりの物体がアメリカ・ユタ州とルーマニアに出現したというニュースが立て続けに報じられたことがあったのです。

その後しばらくしてWOWOWで放映されるSF映画『ポータルズ』の場面写真を見たとき、「あの”モノリスもどき”はこの映画の小道具だったに違いない!。これは見るしかない!。」」としっかり録画しておいたのです。
その後しばらく忘れてたのですが(;^_^A)、この日レコーダーの録画番組を眺めていて不意に思い出して鑑賞してみることにしました。
・・・が!。
なんじゃぁこりゃ~!?。
かなり控え目に言って酷い映画です。
『犬神の悪霊』はまだ「話のネタ」に出来ますが、こいつにはそんな価値さえありません。
見る前に少しでも評判をリサーチしておくべきでした。
↑の場面写真を見る限りでは絵作りのセンスは良さそうだと思ったのですがね・・・騙されました。

”モノリスもどき”は『ドラえもん』の”どこでもドア”みたいなものらしいです。
その”モノリスもどき”は人間を消してしまうが、主人公のアダムだけはなぜか生還出来た。
そしてなぜか医者たちは彼の左目を摘出しようとメスを向ける。
ここでいきなり場面が変わり、なぜか舞台は全く別の場所にチェンジ。
そこにはなぜか無数のゾンビがいて、別の主役らしき姉妹に襲い掛かってくる・・・?。
どうやら複数の監督によるオムニバス映画らしいのですが、各監督の連携が全く取れていない様で映画全体の筋が見えません。
そればかりが、私の大嫌いなグロ映像が次々出てきます。
どうにも我慢出来なくなって、ついに途中で見るのを止めてしまいました。

あまりにも酷かったため、映画ドットコムやYahoo!映画などで評価を見てみたのですが、どこも1点台の低評価ばかりではありませんか!。
あ~あ、貴重な時間を無駄にしてしまった。
でもまあ、これも「初めて見る映画あるある」のひとつなのかも知れませんがね。

ちなみにユタ州に無断で置かれたモノリスもどきの正体はあるアメリカ人アーティストの作品だったとのことで、映画『ポータルズ』とは全くの無関係だったそうです。
なんだつまらん!。
正体なんか明かさず謎のままにしておいてくれたほうがよっぽどいい!。

なんかもう、最低だった『ポータルズ』
「もうワケのわからんB級SFなんか絶対見ないぞ!」と思ったのも束の間・・・

ふと、その真下にあったロボットものらしきタイトルに目が行きました。
「明日はこれ見てみるか・・・」(爆)
9/16(木)
『ロボ A-112』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)

レビュー評価値は2.6から2.8くらいと、『ポータルズ』ほどではないですがかなり低めでした。
でも、なんか微笑ましくてイイんですよね。
おそらくCG合成であろうA-112ロボットも背景と違和感なく溶け合っていて、ロボットとしての動きもかなり”それらしくて”良かったです。

冒頭でA-112が見せた”目の表情”だけで「あ、これ俺の好きなやつや!」と分かりました。
ロボットだろうと何だろうとまずはキャラに感情移入出来なければ、どんなに良いストーリーであっても興味は半減しますから。

人間の言葉の深い意味を察することの出来ないA-112は失敗作として解体されることに。
人間が「家族」と呼ぶものを知るためにラボを逃げ出したA-112は、創造者(科学者)の家に侵入し息子のミーチャと出会います。
大人の都合でしかものを言わない父親に反発していたミーチャはA-112と意気投合。
彼をナンバーではなく「ロボ」と呼び、ロボが本来の活躍が出来る他の町へ逃げることに。
『E.T.』や『ターミネーター2』などアメリカSF映画へのオマージュが多いのが気になりましたが、ジュブナイルとしては及第点以上の出来だったと思います。
『ポータルズ』からの良い口直しになりました(笑)。
ただ、ラストの展開が性急過ぎたのが残念です。
あと10分ほど尺があれば、A-112本来の人命救助ロボットとしての活躍を見せてくれたかも知れません。
【今週のその他諸々】
■9/13(月)
『ウルトラQ』第25話「悪魔ッ子」
(ホームシアター:BS4K録画)

「悪魔ッ子」は、現行再放映バージョンと初回放映バージョンとではエンディングのナレーションが変更されています。
<現行版ナレーション>
リリーは悪魔ッ子ではなかったのです。
もし悪魔がいたとすれば、それはリリーの中にではなくてそれを取り巻く世界が歪んでいたからなのです。
御覧なさい。
リリーはすっかり明るさを取り戻し、舞台に無邪気な笑いを振りまいています。
現行ナレーションは「過ちは周囲の大人にあり子供は純真である」と強調しているのに対し、初放映時のオリジナルでは・・・
<初回放送(1966年)当時のナレーション>
一体、子供が犯罪を犯すものでしょうか?
それも天使のように純真な子供が。
しかし、子供がその環境によって脳組織のバランスを破壊された時、完全な犯罪者となりうるのです。

女性曲芸師が持っていた綺麗なペンダントを欲しがるリリー
この初回版ナレーションをベースとしてこの場面を思い出してみると・・・?。
リリー「こっち(ネックレス)のほうがずっと綺麗だわ。これリリーにくれない?。」
曲芸師「これおばあさんの形見。私が死んだらあげるよ」
リリー「ほんと?ほんとにおばさんが死んだらくれる?。」
曲芸師「でも私なかなか死なないよ。」
その後、曲芸師は死亡。
彼女のネックレスはいつに間にかリリーの宝物入れの中に・・・。
ぞぞ~っ。
リリーが解離性多重人格障害者だったという設定とはいえ、明らかに曲芸師を意図的に殺したことになっています。

もし、この話が当初の制作順番(第3話)通りにシリーズの早い時期に放映されたとしたら・・・?。
子供たちは怖くて『ウルトラQ』を見なくなってしまい、その後の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』も無かったかも知れません。
TV局(TBS)による怪獣路線への変更によって一部の作品のストーリーに無理が生じているのは確かですが、逆にそのことで『ウルトラQ』が子供たちに受け入れられやすくなり、シリーズ全体に多様性が生まれたことも事実です。
9/15(水)
『ブラック・ジャック KARTE11:おとずれた思い出』
(ホームシアター:WOWOWプラス録画)

出崎統監督がお亡くなりになってから約8ヶ月後に発売された作品です。
制作当初時は既に末期癌で入院されていたそうですが、生前に若手の監督さんに綿密な絵コンテチェックや指導をされていたそうで「監修」ではなく「名誉監督」という肩書になっています。
それでもやはり、出崎監督ご本人が陣頭指揮を執っていないため往年の出崎演出の絶妙なタイミング再現は困難だったようです。
担当された桑原智監督には大変失礼とは思いますが、どう見ても物真似の域を出ていません。
本作には、家元:ユリエの舞を見た後継者候補の娘が「白鷺天昇の舞はユリエ様にしか舞えない!」と涙を流すシーンがありましたが、それは本作を担当した桑原監督の「出崎演出は出崎監督にしか描けない!」という苦悩がそのまま表れているかのようでした。
■9/17(金)
『ウルトラマン80』
(ホームシアター:ファミリー劇場録画)

第49話「80最大のピンチ! 変身! 女ウルトラマン」
今回ついにユリアンが変身!。
何度見てもやっぱり観音様みたいな有難~いお姿をしておられます。
80も元々お坊さんみたいな姿形をしてるので、おそらくこの二人は対のものとしてデザインされたに違いありません。
今はセブンの息子が登場してますが、そのうち80とユリアンの子も登場したりなんかして・・・?。

ウルトラの星へ帰る日が近づいている二人。
涙ながらに80に訴えるユリアン。
ユリアン「わたし・・・わたし地球人に生まれたかった!。」
へぇ・・・ウルトラの星ってそんなに住みにくい星なのか?。
まあ、考えてみればウルトラ戦士って帰国してもすぐ別の星へ派遣されるわけで、言ってしまえば『スター・ウォーズ』のジェダイみたいなものですからね~。
10代の女の子には辛い生活かも知れません。

第50話「あっ! キリンも象も氷になった!!」
最終回だというのになんでこのタイトル?。
本放送当時は「きっと番組打ち切りになってタイトル差し替えが間に合わなかったんだろう」と思っておりました(笑)。

ヤマトの正体に気づいたキャップはウルトラマンとしての協力を断り、万難を乗り越えUGMだけの力だけで怪獣を倒します。
これは『ウルトラ』シリーズ初の出来事です。
ウルトラシリーズには初参加だった湯浅憲明監督は、企画当初に「ウルトラマンに変身せず人間だけで怪獣に打ち勝つ話があってもいいんじゃないか?」と意見したそうです。
ところが、そのとき古参の円谷スタッフからは「ウルトラマンを馬鹿にしてるのか!」と猛反対されてしまいました。
『ガメラ』シリーズの湯浅監督も、古参の円谷スタッフからは「外様」扱いされていたのかも知れません。
しかし、初期に湯浅監督が却下されたそのアイデアがそのまま最終回で使われました。
しかも、その演出を担当したのが初期の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を手掛けた満田かずほ監督だったということに何か感慨深いものがあります。

最後は3クール以後突然他支部へ移動になったタジマ隊員とハラダ隊員が救援に駆け付けるなど最終回感が高まります。
でも、どうせ旧レギュラーを再登場させるのなら、桜ケ丘中学の生徒や京子先生も登場させてくれてもよかったのに。
・・・が、しかし!。

そういった最終回の感慨も余韻も木っ端微塵に打ち砕いてくれたのが、まさかのアンドロイド城野エミの登場であります!(笑)。
最終回のラストでこんなん出すか~?。
紹介する二人も亡くなったエミ隊員への冒涜行為とはカケラも思っていないようなにこやかな笑顔(汗)。
これ考えた奴(脚本家?プロデューサー?満田監督?)の神経を疑います。
百歩譲って認めたとしても、このままではアンドロイド・エミの活躍が見れないためフラストレーションが溜まるだけではないですか~!(笑)。
おそらく円谷スタッフにも欲求不満が残ってしまったのだと思います。
そんな想いが四半世紀を経て『ウルトラマンマックス』の女性型アンドロイド:エリー(この名は多分石田えりさん繋がり)に受け継がれたに違いないと思ってます。

最後なので『ウルトラマン80』全体を総括しておきますかね。
『80』を見たのは本放送以来41年ぶりです。
当時は高校1年でしたが、前年から続いていた特撮ブームの余波により気恥ずかしさなど感じることなく見ていたように思います。
まあ、周囲には「高校生にもなってウルトラマン?」とか言って馬鹿にするツマラナイ奴もいましたけど、中学時代からのアニメ・特撮友達という”好きなものを語り合える仲間”がいたことが大きかったと思います。
最初に「中学教師がウルトラマン」という設定を聞いたときは「どうせ(当時流行っていた)『金八先生』や『熱中時代』とかの学園ドラマ人気にあやかりたいだけだろ」と鼻で笑っておりました。
しかし2話・3話と続けて見ているうちに、失恋とか家族への反感とかの十代特有の悩みや怒りが怪獣出現の元になっているという設定に思わず膝を打ち、特撮映像の予想外(失礼!)な出来の良さもあってほぼ毎回欠かさず見ておりました。
ただ、残念だったのはウルトラマンが普段は学校教師(つまり一般市民)という『80』ならではのアイデアを貫くことが出来ず、従来通りの怪獣退治チームの一員も兼業するという無理のある設定になっていたことです。
最初の2クールだけでも普段の職業を学校教師のみとして、UGMに対してはあくまで「協力者」の立場に留めておけば無理なくストーリーを進めることが出来たと思いますし、あれほど酷評を受けることも無かったはずです。
2クール目からは教師職との兼業は無くなり、従来のウルトラシリーズと変わらない展開になりました。
この時期の作品群には、『エイリアン』など当時話題になったSF映画の影響を受けた作品も登場しています。
一方でUGMの紅一点城野エミ隊員との急接近も描かれましたが、これは石田えりさんの希望により殉職という形で突然幕引きとなります。
3クール目の途中あたりから子供が話のメインとなるストーリーが増え始めます。
実は、この頃の作品はあまり好きではありません。
子供の問題ある行動や言動が話の出発点となっている回が多いのですが、ラストでその子が責任を負うことはほとんど無く「子供がやったことだから仕方ない」と放りっぱなしのまま終わってしまうことが多いのです。
序盤の中学教師編と較べると内容的に大きく低下していたことは確かです。
終盤のこういったいい加減な描写の数々が『ウルトラマン80』全体の評価をも下げてしまったものと思います。
かつての特撮作品の根底に必ず流れていた「たとえ子供相手であっても語るべきことは真剣に語って聞かせる!」といった古き良き大人の信念が『80』終盤では失われてしまっていたことがとても残念でした。

ともあれ、これにて『ウルトラマン80』全50話録画視聴完了です。
ディスク化もうまい具合にBD-R DL2枚で収まりました。
そのうちラベルも印刷して録画コレクションに加えます。
【今週のトピック】
今週の木曜日(16日)、弊ブログにちょっとした異変が起きていました。
いつもならブログランキングで、「映画カテゴリ」全体で60位前後、サブジャンルの「レビュー」では30位前後をウロウロしているはずでしたが、この日の朝に限っては・・・

「映画カテゴリ」で21位。
サブジャンルの「レビュー」では8位。
いずれも当ブログ史上最高位です。
「映画」全般でも「レビュー」でも憧れの1ページ目(25位以内)に入っておりました。
皆さん先週の記事のどこをそんなに気に入っていただけたのでしょうか?。
といっても、翌日にはいつもの定位置(「レビュー」30番から40番の間)に戻ってましたけどね(笑)。
一時的とはいえ、多くの方に見ていただけたと思えただけでも嬉しかったです。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。
先週からこれまで未見の作品を重点的にチョイスすることにしております。
しかし、今回選んだうちの一本がとんだ食わせ物でありました・・・。
9/13(月)
『犬神の悪霊(たたり)』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)

「悪霊」と書いて「たたり」と読む!。
いかにも70年代東映が好きそうなハッタリかましたタイトルです(笑)。
昭和52年公開。
なんでも「日本初のオカルト映画」らしいです。
当時は日本全国オカルトブームで、映画界も『オーメン』『キャリー』など洋画を皮切りにオカルトものが大ヒット。
加えて前年には市川崑監督の『犬神家の一族』が話題となり、松竹も『八つ墓村』を準備中とのこと。
それらに対抗すべく東映はオリジナルストーリーの本作をぶち込んできたのでした。
う~む。
流石は『スター・ウォーズ』日本公開に先駆けて『宇宙からのメッセージ』を作った東映だけのことはあります(笑)。

主な舞台は犬神伝承の因習が残る大分県の山村です。
(・・・といっても撮影は三重や和歌山など近畿地方で済ませたらしいですが)
そこに原子力発電所用のウラン鉱を発見した主人公(大和田伸也)がやって来て村長の娘(泉じゅん)と結婚します、初来訪時に犬神の祠(ほこら)を壊してしまったことから奇怪な現象に悩まされることになる・・・といったストーリー。
監督は福井県出身の伊藤俊也監督。
ストーリーは監督のオリジナルで、話のきっかけとして原発を持ち出してくるところが原発立地県出身監督らしいです(汗)。

主演の大和田伸也さんはこれが映画初主演作品です。
この頃はまだキャリアも浅い頃であり、『水戸黄門』の格さん役で全国的に顔と名を知られるようになるのはこの翌年のことです。
大和田さんは伊藤監督と同じ福井県出身。
しかも福井の原発一号機が作られた敦賀市出身ということでこの役をキャスティングされたのでしょうか?。

開始早々いきなりのサービスシーン。
泉じゅんと山内絵美子がすっぽんぽんで川遊びであります。
その姿を覗き見る大和田伸也とその仲間たち。
流石は東映、男性客の掴み方を心得てます(笑)。
泉じゅんは村長の娘、山内絵美子は何故か村八分にされている垂水家の娘ですが、二人は幼い頃からの親友ということです。

垂水家は犬神家の家系とかで村人たちから忌み嫌われている様子。
そこに東京からやって来たウラン発掘隊のずさんな工事のせいで村の水源が汚染され、それを垂水家の仕業と決めつけた村人たちは父親(室田日出男)以外の家族全員を皆殺しに!。
父親は復讐のため一族に伝わる犬神の呪術を実行します。
犬神の呪術とは、犬を首だけ出して穴に埋めて極限まで飢えさせ人間に対する憎しみが満ちたとき、生きたままその首を切り落として呪具とするというものです。
犬好きな人が聞いたら卒倒しそうな話ですが、東映は当時「本物の犬を殺して撮影した」とウソの発表をして動物愛護団体をたきつけて宣伝に利用したそうです。
いやぁ~、流石は東映!(笑)。

その犬神の怨念は、術式を盗み見ていた麗子の妹:磨子(演:長谷川真砂美)にとり憑き、垂水家の恨みを晴らすかのように村人を殺し始めます。
前半は横溝正史的なミステリータッチでしたが、後半は動物霊憑きのオカルトホラーに変貌します。
一つの映画の中で完全に世界観が破綻しますが、これもまた当時の「売れ線」を思いつく限りブチ込む東映娯楽映画らしい展開と言えましょう。

終盤の見せ場を独占し、大和田伸也を完全に食ってしまっていた子役の長谷川真砂美さん。
撮影当時はまだ小学6年生で、しかもこの映画がデビュー作でした。
私も、途中から「なんて演技が自然で堂々としているんだろう」とこの子にばかり目が行っておりました。
彼女の存在自体が終盤に向けての伏線になっていたのかも知れません。

長谷川さんはその数年後、大林宣彦監督の『ねらわれた学園』でも人間離れした超能力少女を演じていました。
その後急に女優活動から引退されてしまったのが残念でなりません。
9/15(水)
『ポータルズ』🈠(途中放棄)
(ホームシアター:WOWOW録画)

実は昨年から気になっていたSF映画の一本でした。
というのも・・・

昨年秋、映画『2001年宇宙の旅』に登場するモノリスそっくりの物体がアメリカ・ユタ州とルーマニアに出現したというニュースが立て続けに報じられたことがあったのです。

その後しばらくしてWOWOWで放映されるSF映画『ポータルズ』の場面写真を見たとき、「あの”モノリスもどき”はこの映画の小道具だったに違いない!。これは見るしかない!。」」としっかり録画しておいたのです。
その後しばらく忘れてたのですが(;^_^A)、この日レコーダーの録画番組を眺めていて不意に思い出して鑑賞してみることにしました。
・・・が!。
なんじゃぁこりゃ~!?。
かなり控え目に言って酷い映画です。
『犬神の悪霊』はまだ「話のネタ」に出来ますが、こいつにはそんな価値さえありません。
見る前に少しでも評判をリサーチしておくべきでした。
↑の場面写真を見る限りでは絵作りのセンスは良さそうだと思ったのですがね・・・騙されました。

”モノリスもどき”は『ドラえもん』の”どこでもドア”みたいなものらしいです。
その”モノリスもどき”は人間を消してしまうが、主人公のアダムだけはなぜか生還出来た。
そしてなぜか医者たちは彼の左目を摘出しようとメスを向ける。
ここでいきなり場面が変わり、なぜか舞台は全く別の場所にチェンジ。
そこにはなぜか無数のゾンビがいて、別の主役らしき姉妹に襲い掛かってくる・・・?。
どうやら複数の監督によるオムニバス映画らしいのですが、各監督の連携が全く取れていない様で映画全体の筋が見えません。
そればかりが、私の大嫌いなグロ映像が次々出てきます。
どうにも我慢出来なくなって、ついに途中で見るのを止めてしまいました。

あまりにも酷かったため、映画ドットコムやYahoo!映画などで評価を見てみたのですが、どこも1点台の低評価ばかりではありませんか!。
あ~あ、貴重な時間を無駄にしてしまった。
でもまあ、これも「初めて見る映画あるある」のひとつなのかも知れませんがね。

ちなみにユタ州に無断で置かれたモノリスもどきの正体はあるアメリカ人アーティストの作品だったとのことで、映画『ポータルズ』とは全くの無関係だったそうです。
なんだつまらん!。
正体なんか明かさず謎のままにしておいてくれたほうがよっぽどいい!。

なんかもう、最低だった『ポータルズ』
「もうワケのわからんB級SFなんか絶対見ないぞ!」と思ったのも束の間・・・

ふと、その真下にあったロボットものらしきタイトルに目が行きました。
「明日はこれ見てみるか・・・」(爆)
9/16(木)
『ロボ A-112』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)

レビュー評価値は2.6から2.8くらいと、『ポータルズ』ほどではないですがかなり低めでした。
でも、なんか微笑ましくてイイんですよね。
おそらくCG合成であろうA-112ロボットも背景と違和感なく溶け合っていて、ロボットとしての動きもかなり”それらしくて”良かったです。

冒頭でA-112が見せた”目の表情”だけで「あ、これ俺の好きなやつや!」と分かりました。
ロボットだろうと何だろうとまずはキャラに感情移入出来なければ、どんなに良いストーリーであっても興味は半減しますから。

人間の言葉の深い意味を察することの出来ないA-112は失敗作として解体されることに。
人間が「家族」と呼ぶものを知るためにラボを逃げ出したA-112は、創造者(科学者)の家に侵入し息子のミーチャと出会います。
大人の都合でしかものを言わない父親に反発していたミーチャはA-112と意気投合。
彼をナンバーではなく「ロボ」と呼び、ロボが本来の活躍が出来る他の町へ逃げることに。
『E.T.』や『ターミネーター2』などアメリカSF映画へのオマージュが多いのが気になりましたが、ジュブナイルとしては及第点以上の出来だったと思います。
『ポータルズ』からの良い口直しになりました(笑)。
ただ、ラストの展開が性急過ぎたのが残念です。
あと10分ほど尺があれば、A-112本来の人命救助ロボットとしての活躍を見せてくれたかも知れません。
【今週のその他諸々】
■9/13(月)
『ウルトラQ』第25話「悪魔ッ子」
(ホームシアター:BS4K録画)

「悪魔ッ子」は、現行再放映バージョンと初回放映バージョンとではエンディングのナレーションが変更されています。
<現行版ナレーション>
リリーは悪魔ッ子ではなかったのです。
もし悪魔がいたとすれば、それはリリーの中にではなくてそれを取り巻く世界が歪んでいたからなのです。
御覧なさい。
リリーはすっかり明るさを取り戻し、舞台に無邪気な笑いを振りまいています。
現行ナレーションは「過ちは周囲の大人にあり子供は純真である」と強調しているのに対し、初放映時のオリジナルでは・・・
<初回放送(1966年)当時のナレーション>
一体、子供が犯罪を犯すものでしょうか?
それも天使のように純真な子供が。
しかし、子供がその環境によって脳組織のバランスを破壊された時、完全な犯罪者となりうるのです。

女性曲芸師が持っていた綺麗なペンダントを欲しがるリリー
この初回版ナレーションをベースとしてこの場面を思い出してみると・・・?。
リリー「こっち(ネックレス)のほうがずっと綺麗だわ。これリリーにくれない?。」
曲芸師「これおばあさんの形見。私が死んだらあげるよ」
リリー「ほんと?ほんとにおばさんが死んだらくれる?。」
曲芸師「でも私なかなか死なないよ。」
その後、曲芸師は死亡。
彼女のネックレスはいつに間にかリリーの宝物入れの中に・・・。
ぞぞ~っ。
リリーが解離性多重人格障害者だったという設定とはいえ、明らかに曲芸師を意図的に殺したことになっています。

もし、この話が当初の制作順番(第3話)通りにシリーズの早い時期に放映されたとしたら・・・?。
子供たちは怖くて『ウルトラQ』を見なくなってしまい、その後の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』も無かったかも知れません。
TV局(TBS)による怪獣路線への変更によって一部の作品のストーリーに無理が生じているのは確かですが、逆にそのことで『ウルトラQ』が子供たちに受け入れられやすくなり、シリーズ全体に多様性が生まれたことも事実です。
9/15(水)
『ブラック・ジャック KARTE11:おとずれた思い出』
(ホームシアター:WOWOWプラス録画)

出崎統監督がお亡くなりになってから約8ヶ月後に発売された作品です。
制作当初時は既に末期癌で入院されていたそうですが、生前に若手の監督さんに綿密な絵コンテチェックや指導をされていたそうで「監修」ではなく「名誉監督」という肩書になっています。
それでもやはり、出崎監督ご本人が陣頭指揮を執っていないため往年の出崎演出の絶妙なタイミング再現は困難だったようです。
担当された桑原智監督には大変失礼とは思いますが、どう見ても物真似の域を出ていません。
本作には、家元:ユリエの舞を見た後継者候補の娘が「白鷺天昇の舞はユリエ様にしか舞えない!」と涙を流すシーンがありましたが、それは本作を担当した桑原監督の「出崎演出は出崎監督にしか描けない!」という苦悩がそのまま表れているかのようでした。
■9/17(金)
『ウルトラマン80』
(ホームシアター:ファミリー劇場録画)

第49話「80最大のピンチ! 変身! 女ウルトラマン」
今回ついにユリアンが変身!。
何度見てもやっぱり観音様みたいな有難~いお姿をしておられます。
80も元々お坊さんみたいな姿形をしてるので、おそらくこの二人は対のものとしてデザインされたに違いありません。
今はセブンの息子が登場してますが、そのうち80とユリアンの子も登場したりなんかして・・・?。

ウルトラの星へ帰る日が近づいている二人。
涙ながらに80に訴えるユリアン。
ユリアン「わたし・・・わたし地球人に生まれたかった!。」
へぇ・・・ウルトラの星ってそんなに住みにくい星なのか?。
まあ、考えてみればウルトラ戦士って帰国してもすぐ別の星へ派遣されるわけで、言ってしまえば『スター・ウォーズ』のジェダイみたいなものですからね~。
10代の女の子には辛い生活かも知れません。

第50話「あっ! キリンも象も氷になった!!」
最終回だというのになんでこのタイトル?。
本放送当時は「きっと番組打ち切りになってタイトル差し替えが間に合わなかったんだろう」と思っておりました(笑)。

ヤマトの正体に気づいたキャップはウルトラマンとしての協力を断り、万難を乗り越えUGMだけの力だけで怪獣を倒します。
これは『ウルトラ』シリーズ初の出来事です。
ウルトラシリーズには初参加だった湯浅憲明監督は、企画当初に「ウルトラマンに変身せず人間だけで怪獣に打ち勝つ話があってもいいんじゃないか?」と意見したそうです。
ところが、そのとき古参の円谷スタッフからは「ウルトラマンを馬鹿にしてるのか!」と猛反対されてしまいました。
『ガメラ』シリーズの湯浅監督も、古参の円谷スタッフからは「外様」扱いされていたのかも知れません。
しかし、初期に湯浅監督が却下されたそのアイデアがそのまま最終回で使われました。
しかも、その演出を担当したのが初期の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を手掛けた満田かずほ監督だったということに何か感慨深いものがあります。

最後は3クール以後突然他支部へ移動になったタジマ隊員とハラダ隊員が救援に駆け付けるなど最終回感が高まります。
でも、どうせ旧レギュラーを再登場させるのなら、桜ケ丘中学の生徒や京子先生も登場させてくれてもよかったのに。
・・・が、しかし!。

そういった最終回の感慨も余韻も木っ端微塵に打ち砕いてくれたのが、まさかのアンドロイド城野エミの登場であります!(笑)。
最終回のラストでこんなん出すか~?。
紹介する二人も亡くなったエミ隊員への冒涜行為とはカケラも思っていないようなにこやかな笑顔(汗)。
これ考えた奴(脚本家?プロデューサー?満田監督?)の神経を疑います。
百歩譲って認めたとしても、このままではアンドロイド・エミの活躍が見れないためフラストレーションが溜まるだけではないですか~!(笑)。
おそらく円谷スタッフにも欲求不満が残ってしまったのだと思います。
そんな想いが四半世紀を経て『ウルトラマンマックス』の女性型アンドロイド:エリー(この名は多分石田えりさん繋がり)に受け継がれたに違いないと思ってます。

最後なので『ウルトラマン80』全体を総括しておきますかね。
『80』を見たのは本放送以来41年ぶりです。
当時は高校1年でしたが、前年から続いていた特撮ブームの余波により気恥ずかしさなど感じることなく見ていたように思います。
まあ、周囲には「高校生にもなってウルトラマン?」とか言って馬鹿にするツマラナイ奴もいましたけど、中学時代からのアニメ・特撮友達という”好きなものを語り合える仲間”がいたことが大きかったと思います。
最初に「中学教師がウルトラマン」という設定を聞いたときは「どうせ(当時流行っていた)『金八先生』や『熱中時代』とかの学園ドラマ人気にあやかりたいだけだろ」と鼻で笑っておりました。
しかし2話・3話と続けて見ているうちに、失恋とか家族への反感とかの十代特有の悩みや怒りが怪獣出現の元になっているという設定に思わず膝を打ち、特撮映像の予想外(失礼!)な出来の良さもあってほぼ毎回欠かさず見ておりました。
ただ、残念だったのはウルトラマンが普段は学校教師(つまり一般市民)という『80』ならではのアイデアを貫くことが出来ず、従来通りの怪獣退治チームの一員も兼業するという無理のある設定になっていたことです。
最初の2クールだけでも普段の職業を学校教師のみとして、UGMに対してはあくまで「協力者」の立場に留めておけば無理なくストーリーを進めることが出来たと思いますし、あれほど酷評を受けることも無かったはずです。
2クール目からは教師職との兼業は無くなり、従来のウルトラシリーズと変わらない展開になりました。
この時期の作品群には、『エイリアン』など当時話題になったSF映画の影響を受けた作品も登場しています。
一方でUGMの紅一点城野エミ隊員との急接近も描かれましたが、これは石田えりさんの希望により殉職という形で突然幕引きとなります。
3クール目の途中あたりから子供が話のメインとなるストーリーが増え始めます。
実は、この頃の作品はあまり好きではありません。
子供の問題ある行動や言動が話の出発点となっている回が多いのですが、ラストでその子が責任を負うことはほとんど無く「子供がやったことだから仕方ない」と放りっぱなしのまま終わってしまうことが多いのです。
序盤の中学教師編と較べると内容的に大きく低下していたことは確かです。
終盤のこういったいい加減な描写の数々が『ウルトラマン80』全体の評価をも下げてしまったものと思います。
かつての特撮作品の根底に必ず流れていた「たとえ子供相手であっても語るべきことは真剣に語って聞かせる!」といった古き良き大人の信念が『80』終盤では失われてしまっていたことがとても残念でした。

ともあれ、これにて『ウルトラマン80』全50話録画視聴完了です。
ディスク化もうまい具合にBD-R DL2枚で収まりました。
そのうちラベルも印刷して録画コレクションに加えます。
【今週のトピック】
今週の木曜日(16日)、弊ブログにちょっとした異変が起きていました。
いつもならブログランキングで、「映画カテゴリ」全体で60位前後、サブジャンルの「レビュー」では30位前後をウロウロしているはずでしたが、この日の朝に限っては・・・

「映画カテゴリ」で21位。
サブジャンルの「レビュー」では8位。
いずれも当ブログ史上最高位です。
「映画」全般でも「レビュー」でも憧れの1ページ目(25位以内)に入っておりました。
皆さん先週の記事のどこをそんなに気に入っていただけたのでしょうか?。
といっても、翌日にはいつもの定位置(「レビュー」30番から40番の間)に戻ってましたけどね(笑)。
一時的とはいえ、多くの方に見ていただけたと思えただけでも嬉しかったです。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
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