FC2ブログ

映画と日常

私のオーディオ・ビデオ遍歴(第10回) ~堕ちていくのも幸せだよと~

トガジンです。
かつて私が愛用したAV機器の数々を自分史を兼ねて回顧する不定期連載「私のオーディオ・ビデオ遍歴」。

前回はLD収集に夢中になり過ぎて同棲や結婚まで考えた女性にフラれてしまった話を書かせていただきました。
「ちょっと自分語りが過ぎたかな?。」と反省していますが、あれは自分の人生においてかなり重要な出来事なのでどうしても避けて通ることは出来ませんでした。

1986年前半導入機器オンパレ

今回は、失恋で意気消沈した私が新しいAV機器を大量にヤケ買いして精神的に立ち直る・・・じゃなくて、更に堕落していく様(さま)を書き記します。



過去の記事は以下のリンクからご覧いただけます。

>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第1回) ~全てはヤマトから始まった~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第2回) ~はじめてのビデオ~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第3回) ~わしらのビデオはビクターじゃ!~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第4回) ~ビデオカメラで太陽を撮ってはいけなかった頃の話~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第5回) ~サクラサク~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第6回) ~J30って知ってるかい?~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第7回) ~AV特異点~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第8回) ~光ってるヤツにはかなわない~
>私のオーディオ・ビデオ遍歴(第9回) ~LDと泪と男と女~



【昭和61年(1986年)】
pose_namida_koraeru_man.png
前年のクリスマス直前、約1年間付き合った彼女に思いっきりフラれた私は完全に意気消沈しておりました。
事情を知る友人たちは私を励まそうと飲み会を催してくれたり旅行に誘ってくれたりしましたが、そんな彼らの心遣いも慰めの言葉もドン底まで落ち込んだ私の心を癒してくれるには至りませんでした。
また、この失恋を機に8ミリ映画の自主制作活動からも距離を置くようになってしまいました。
彼女とのいきさつを知る仲間たちが妙に気を使ってくれる事がかえって居心地悪く感じたからです。
もちろん彼らとの付き合いそのものは変わらず続いていましたし、友人の監督作品にスタッフやキャストとして参加することには特に抵抗はありませんでした。
でも、自分の脚本・演出で何かを作ろうとすると、以前は必ず手伝いに来てくれた彼女のことが思い浮かんで何も手に付かなくなってしまうのです。

当時、私の預金にはアルバイトで貯めたお金が30万円以上残っていました。
それは彼女との同棲を始めるためにもっと広いアパートかマンションを借りるための敷金として貯めていたお金でした。
彼女に去られた直後は「このお金でどこかへ一人旅にでも行こうかな・・・」とも考えましたが、それは気晴らしというより傷心旅行でしかなく、どこへ行こうと「ここに彼女が一緒にいたらなあ・・・」と更に気持ちが落ち込むことは目に見えています。

そこで、前から欲しかったAV機器を片っ端から買いまくって全額パーッと使ってしまうことにしました。
ぶっちゃけて言えばヤケ買いです。
それが私の1986年(昭和61年)の幕開けでした。



【ヤケ買い・その1】
最初に買ったのは、前々から欲しいと思っていたHiFiビデオです。
ビクター HiFiビデオカタログ
当時から私は「映画の良し悪しはシナリオと音で7割決まる」と考えていました。
声の変化による俳優の細かな心情表現はもちろんのこと、雰囲気を盛り上げるだけでなく人物の心情も伝えてくるBGMや無数の効果音にさえ深い演出意図が込められているからです。
それらの音がノイズまみれで聴きとることが出来なければ作者が意図する内容は半分も伝わらず、その映画を100%楽しんだことにはなりません。
だから私はLDで映画を観るときは常に音声をアンプとスピーカーに繋いでいました。

しかし、レンタルのビデオテープソフトの場合はそうもいきません。
なぜならば、私が当時所有していた2台のビデオデッキ(HR-7650とSL-J30)はどちらもカセットテープ以下の音質しかないリニア音声専用機だったため、とてもじゃないがオーディオスピーカーで聴けるような音ではなかったからです。
ビデオの音質改善、すなわちHiFiビデオデッキの導入は私にとって急務でした。

sony-7-0892.jpg
このとき、私はソニーのβハイファイ機も選択肢に加えていました。
なぜなら、その頃ソニーは映像信号の記録上限をシフトアップして大幅な画質向上を果たしたHi-Bandベータを発表したばかりだったからです。

その一号機は放送機器のようなジョグダイヤルを搭載したベータプロ:SL-HF900という機種でした。
しかも値段は約24万円と、最上位機種でありながらかなり安く抑えられています。
私の同級生に大のソニーファンの男がいて、彼が(かなり無理をして)買ったHF900を何度か触らせてもらいましたが、確かに画質・音質・操作性・デザインの全てにおいて物欲を刺激する優れた製品だったと思います。

しかし、この時期の家庭用ビデオ業界においてβ方式の敗北はもはや決定的なものとなっていました。
また、基本仕様を大きく変えてまで高画質を売りにしようとするソニーの動きが、私にはまるでベータの断末魔のように思えたのです。
ベータ方式の衰退はレンタルビデオ店にも反映され始めていて、いつしかVHS版ソフトしか扱わないお店が増えていました。


■VHS-HiFiビデオデッキ
ビクター:HR-D555 218,000円
THE Hi-Fi
結局、私は互換性を重視してHiFiビデオもVHSでいくことに決めました。
選んだのはビクターのHR-D555です。
元々ビクター製:HR-7650を愛用していた私にとって、やはり「♪ビデオはビクター」なのでした(笑)。

HR-D555はビクターHiFiビデオの第2弾で、かの名機:HR-D725(VHS-HiFi初号機)の廉価版という位置付けです。
この頃には既に後継機(HR-D565)が発売されていたことから、約3割引きに加え120分HGテープ3本パックのおまけ付きとかなりお得に買えたことを覚えています。
ただ、日本橋のどの店で購入したかはどうしても思い出せません。

HR-D555は廉価機種であったためノーマル音声はモノラル仕様でした。
そのため、初期のステレオビデオ:HR-7650で録画した2ヶ国語映画の録画テープをD555で再生すると、原語と吹替え音声が同時に再生されてしまいます。
そのためHR-7650は絶対に手放すわけにいきませんでした。

HR-D555 カタログより ワイヤレスリモコンHR-D555には廉価機でありながらもワイヤレスリモコンが付属していました。
このリモコンは薄いカード状で印刷されたスイッチ部分をコチコチ押すタイプのものです。
ただ、このリモコンは買ってから半年も経たないうちに壊してしまいました。
床に置きっぱなしにしていたのを誤って踏みつけた時、「くの字」に曲がってしまったのです。
しかし、あの頃のビデオデッキは本体で全ての操作が可能だったのでリモコンが無くても特に不都合はありませんでした。


HR-D555 カタログより テープ挿入口と主要スイッチ
HiFiビデオの高音質を実感するために最初に録画したのはTV番組ではなくレーザーディスクのダビングでした。
『スター・ウォーズ』『ルパン三世 カリオストロの城』など何度も見聴きした私のリファレンスLDを標準モードで録画し、LDとビデオを同時再生して入力を切り替えながら見比べ&聴き比べをしました。
画質はLDの水平解像度360本からVHS標準モードの240本程度に落ちてしまいますがそれは仕方がないことです。
しかし、音質に関してはLDのオリジナル音声とほとんど遜色がありません。
また、TV番組を録画しても音がしっかり出てくるというただそれだけのことで見易さが違いました。

HR-D555 パネル内出力切替部
D555の音声出力はハイファイ音声とノーマル音声をいちいち手動スイッチで切替える必要があって面倒くさかったです。
後のHiFiビデオは全て自動切換え(HiFi信号が検出されなければ自動でノーマル音声が出力される)になりましたが、黎明期のHiFiビデオにはまだそこまで便利な機能は付いていませんでした。

しかし、私がHR-D565を買った目的はTV番組の録画ではありません。

HiFi音声入りビデオ
一つは、何と言ってもHiFi音声付きレンタルビデオの再生です。
ハイファイ音声付きのビデオソフトをアンプとスピーカーを通して聴くと、LDとほとんど変わらない高音質で楽しめました。
もちろん、再生しながら同時にダビングもしたことは言うまでもありません(笑)。
当時はまだ「ビデオのダビングは違法」という認識はほとんど無く、むしろダビングサービスを行うレンタル店さえあったくらいです。

また、ビデオのダビングはVHS→VHSよりもVHS→ベータのほうが画質劣化が少ないと分かったため、ダビングの受け側はもっぱらSL-J30の役目となりました。
せっかくのHiFi音声がβⅡの低音質になってしまいますが、レンタルビデオで済ませるような作品は2回目以降を見ることは稀だったので特に支障はなかったです。
だって、本当に何度も観たいと思った作品はLDを買いますから。

肌色多めなビデオ(ステレオHiFi)
あと、私も男ですから肌色多めなえっちなビデオもよく借りて見たことは言うまでもありません。(〃´∪`〃)ゞ
ハイファイ音声なら女優さんの”あの時の声”も高音質です(笑)。
3本借りると割安になるレンタル店が近所にあって、そこで映画やアニメ2本にえっちなビデオ1本を加えて借りるのが基本でした。

サイマルキャスト更にもう一つ、初期のHiFiビデオならではの使い方がありました。
それはサイマルキャストと呼ばれる録音機能です。
サイマルキャストとは、映像とノーマル音声トラックにTV番組を録画しながら、ハイファイ音声トラックには外部入力に繋いだ別の音声を記録するというものです。
これはFM放送を録音するのに本当に便利でした。


HR-D555 パネル内入力切替部
入力をSC(サイマルキャスト)に切り替え、電源を入れっぱなしにしたラジカセ(FMラジオ)の出力をD555の音声入力端子に接続しておき、録りたいFM番組の開始時間に合わせて何でもよいから予約録画設定しておきます。
こうすると映像とノーマル音声にはTV番組が録画されますが、HiFi音声にはラジオ番組が高音質で予約録音出来るのです。
カセットテープでは絶対収まらないような長時間番組も標準モードで最大160分も録音出来ますし、残したい曲やトーク部分だけを後でカセットテープにダビングして保存することが出来るようになりました。



【ビデオテープの話】
ここで当時よく使っていたビデオテープの話も書いておこうと思います。

富士フィルムカタログ ビデオテープ
この頃私が愛用していたビデオテープはVHS/βともフジフィルムのスーパーHGが主でした。
アルバイト先の放送局や制作プロダクションで使われていたテープ(ベータカム)のほとんどがフジのテープだったからです。

ただ、レーザーディスクやレンタルビデオを使うようになってからはTV放映の映画を録画する機会はほとんど無くなりました。
ノーカット/オリジナル原語+字幕/ステレオ音声で映画を楽しめるようになった以上、一部をカットされて定期的にCMが入るTV放映の映画なんか録画するに値しないからです。
ビデオデッキは主にタイムシフト専用で、学校やバイトのために見られないアニメや特撮番組を録画して帰宅後に見るためのものとなりました。
例外は友人に借りたLDをHiFiビデオにダビングするときで、そのときだけは新品のHGテープを買いました。

80年代後半はビデオテープの消費量が大幅に減り、LDソフト収集とサラウンドシステムの構築にお金を注ぎ込みました。
その状況は’90年代に入って衛星放送(特にWOWOW)を受信・録画するようになるまで変わることはありませんでした。

ビデオテープ SONY ダイナミクロンカタログ 84_11
βテープに関しては、最初の頃は純正のソニー製もよく使っていました。
ただ、’84年頃までのこのタイプは良かったんですが・・・

ビデオテープ ソニーES-HG 85_3
’85年からモデルチェンジしたこのESシリーズのデザインがとてつもなくダサかったため一切使わなくなりました。
ケースも紙製で安っぽく、とてもソニー製品とは思えない代物でした。

ビデオテープ TDK
TDKは性能は特に悪くなかったのですがデザインが地味だったため使う機会はほとんど無かったです。
ただし、数年後のS-VHS時代になると性能・デザインとも凄く良くなって、フジやビクターと並んでTDKもよく使うようになりました。
その辺の話はいずれS-VHSの時に書く予定です。

マクセルのビデオテープ
両方式ともダメだったのがマクセルです。
ビクター・ソニーどちらのデッキとも相性が悪く、色乗りが濃すぎてギトギトした絵になってしまうのです。
メーカー名が「日立マクセル」だったことから日立製のビデオでチューニングしていたせいかも知れません。
パッケージデザインも黒字に金で粉飾した趣味の悪いもので好きになれなかったです。

ヘッド清掃(イメージ)
また、この頃には自分でビデオのヘッドやテープ走行系の清掃をするようになりました。
バイト先の映像プロダクションの人がベータカムなどの業務用ビデオでやっているのを見て覚えたのです。
揮発性が高いダイフロン(発癌物質含有のため現在は販売禁止)をメガネ抜きのような毛羽立たない布に染み込ませ、ヘッドドラムに軽く押し当てたままドラム上部をクルクル回します。
こうして拭き終えると、布にはヘッドにこびり付いていた汚れ(磁性体のカス)がスジ状に付いていました。
これをやると画質が良くなる気がして、年に2~3回はこのヘッドクリーニングを行いました。
また、市販のクリーニングテープはヘッドを痛める気がして一度も使ったことはありません。
そのおかげか、最初に買ったHR-7650は2回のメーカーメンテナンス(ヘッド交換込み)を経て22年間も現役稼働してくれました。



【ヤケ買い・その2】
HR-D565が加わったことで、私が所有するビデオ機器はVHS2台/ベータ1台/レーザーディスク1台の計4台に増えました。
しかし、このため一つ困った事が生じました。

東芝CORE-FS 21K691a
テレビ(東芝:21K691)の入力端子が3系統しか無かったため、接続端子が足りなくなってしまったのです。
最初のうちは前面端子部のLDプレーヤーと繋ぎ変えしながら使っていましたが、さすがに面倒臭いのと端子部が壊れる怖れがあったためビデオセレクターを導入することにしました。

この時選んだセレクターがこちらです↓。

■ビデオセレクター
アカイ:SS-V5 39,800円
SS-V5 FACE
色はシルバーもありましたが、HR-D565やLDプレーヤー:LD-5000に合わせて黒を選びました。
もっと安いソニーやビクターの製品とかなり迷いましたが、デザインがカッコ良かったことと、スイッチの押し具合が重めで高級感があったことが決め手になりました。

SS-V5 背面端子
3台のビデオデッキをVTR1~3に、LDプレーヤーをVIDEO DISC入力に接続します。
これでダビングのたびにいちいちケーブルを繋ぎ替えずに済みますし、端子部を痛める心配もありません。
TVには映像信号のみを繋ぎ、音声出力はプリメインアンプに接続しました。
ニュースなどTV番組はTVの内蔵スピーカーで十分ですが、LDやビデオの音は常にアンプとスピーカーから音を出します。
LDの音も音声信号がTV内部を通らなくなったためより高音質で聴けるようになりました。
しかもセレクターの入力はあと1系統残っています。

さらに、SS-V5には5台分のビデオ端子以外に音声専用入力端子も付いていました。
この音声専用入力端子にFMチューナーを繋いでおけば、前述のサイマルキャスト録音もケーブルを繋ぎ変えすることなく可能になります。



【ヤケ買い・その3】
そうなると、今度は単体のFM/AMチューナーが欲しくなってしまいます。
それまでラジオの受信は高校時代から愛用していたラジカセで済ませていましたが、私はラジオもよく聴くのでセレクターと一緒に単体のFM/AMチューナーも購入しました。

■FM/AMチューナー
オンキョー:Integra T-435 48,000円
Integra T-435(BK)
この時私が買ったチューナーはオンキョーのIntegra T-435という中級クラスの機種です。
色はHR-D555とSS-V5に合わせてブラックを選びました。
アンテナ端子にTV用のVHFアンテナ信号(VHF波にはFM波も含まれていた)を分配接続することで、それまでのラジカセとは次元の違うクリアな音質でFM放送が聴けるようになりました。

86年初頭のケンウッドとパイオニアのチューナー
当時は「FMチューナーといえばケンウッド(トリオ)」というのが定説でした。
また、当時私が使っていたオーディオ機器(スピーカー/アンプ/レコードプレーヤー)は全てパイオニア製です。
そのため、最初はケンウッドかパイオニアのどちらかにしようと考えていました。
正直言うと、デザイン面ではケンウッドやパイオニアのほうが間違いなくカッコ良かったです(汗)。

それでも、私はあえてオンキョーのチューナーを選びました。
その理由は性能やデザインとは全く別のところにありました。

『ゴジラ(54)』初回盤LD
その理由とは、前年6月にLDを買って何度も見返した特撮怪獣映画の始祖『ゴジラ』(昭和29年版)です。

初代『ゴジラ』とオンキョーに一体どんな関係があるというのか?。
実は大ありなのです。

『ゴジラ』より 変電所
こちらは高圧電流によるゴジラ抑止作戦の一場面。
変電指揮所内にゴジラに関するラジオニュースが流れます。
「臨時ニュースを申し上げます。ただいま港区、品川区、太田区民に対し完全退避命令が発令されました。」

そのラジオがアップで映ると・・・?。

『ゴジラ』オンキョーのラジオ
なんと、右上に「オンキョー」の文字が!?。
初めて劇場で観たときは見過ごしていましたが、その後レーザーディスクで繰り返し見たことで「オンキョー」というメーカー名が私の脳に深く刻み込まれてしまったのです。

『ゴジラ』より ラヂオで鎮魂歌を聴く人々
更に、少女たちが歌う鎮魂歌を大勢の避難民がラジオを囲んで聴いている終盤のシーン。
このときは何故かオンキョーのロゴが外されていますが、メーターやダイヤルの形状を見れば前出のオンキョーラジオと同じ製品であることが分かります。

映画『ゴジラ』によって「オンキョー」の名を頭に刷り込まれてしまった私が、この時オンキョー製チューナーを選んだことは当然のことだったのであります。



あの失恋から約1ヶ月。
年明け早々、私はHR-D565/SS-V5/T-435と3台もの新しいAV機器を買い込みました。
その接続は下図の通りです。

1986年初頭の接続図

SS-V5には音声出力端子が一つしか無いため、リニア音声専用機(HR-7650とSL-J30)はVHFアンテナケーブル直列接続でTVの1chに繋いでいちいちセレクターとアンプを起動せずとも視聴出来るようにしています。

このとき機材購入に使った金額は20万円以上に及び、十数万円残ったお金もえっちな遊び(高いお風呂屋さんとか)で使い切ってしまいました。
この時の私には後悔も罪悪感もありませんでした。
自分の元を去っていった彼女のために貯めたお金なんか少しでも早く使ってしまってスッキリしたかったのです。

この時以来、私は嫌なことや辛いことがあるたび前から欲しかった高額製品をヤケ買いして気を紛らわせるという悪いクセがついてしまいました(笑)。
この悪癖は現在に至るも全く変わっていません。



【’86年春】
aisatsu_boushi_nimotsu.pngその後、私は進級試験を無事突破して4回生になりました。
入試期間と春休みが繋がる春の長期休みは引っ越しシーズンと重なるため、この間はTV局関係のバイトを減らして松●引越センターやサ●イ引越センターなどで荒稼ぎしました。
引越屋のバイトも3年目になるため先方にも顔が利くようになっていて一日2件掛け持ちは当たり前でした。
時には2トントラックと新人バイト数名を預けられて小さめの現場を任せてくれたこともありました。

tv_camera.png引越シーズンが終わると、前年から引き続きTV番組制作プロダクション数社のバイトをハシゴします。
4回生ともなると大学はほとんど卒業制作と論文の準備ばかりなのでアルバイトする時間はいくらでもありました。

・・・いや、本当はもっと前から就職活動を始めていなければならない筈でした。
しかし、この頃の私はいくつかの映像制作会社から「卒業したらウチに来い!」と言われていたため「就職なんかどうとでもなるだろう」と軽く考えていたのです。
当時の日本はバブル景気に向かって突っ走っていたこともあって、私は世の中というものを完全にナメ切っておりました。



【LDプレーヤー弐号機】
そんなある日、久し振りに日本橋の電気屋街に足を運んだ私はある大型量販店のLDプレーヤー売り場で足を止めました。

85-86年 パイオニア新世代LDプレーヤー(カタログ)
パイオニアは、いつの間にか新型レーザー採用による高画質化を実現した新世代プレーヤーを何台も同時発売していました。
私はLDに夢中になり過ぎたことが原因で彼女にフラれたことがまだ心の傷として残っていました。
そのため、あれから3ヶ月以上LDソフトを買うことも新型プレーヤーのチェックもしていなかったのです。

SONY LDP-515
パイオニア一社で孤軍奮闘していたLDプレーヤー陣営も、この頃にはソニーやヤマハなどの大手メーカーも参入していて、しかもOEMだけでなく各社オリジナル設計のプレーヤーを発売するまでになっていました。
特に、それまでビデオディスク市場に慎重な態度を取っていたソニーがLD陣営に加わったことは黎明期からのLDファンとしては心強い限りでした。

そんな中、「これ欲しい!」と一目惚れしてその場で買ってしまったパイオニアの新型プレーヤーがありました。

■LD/CDコンパチブルプレーヤー
パイオニア:CLD-7 158,000円
CLD-7 カタログ表紙より
この年の1月にパイオニアが発売したLD/CDコンパチブルプレーヤー第2世代機です。
ちょうど私も「そろそろCDが欲しい」と考え始めていた時だったので、まさに「渡りに船」的なマシンでした。

LD再生性能は一目で分かるくらい大幅に向上していて更にCDプレーヤーとしても使えます。
それでいながら2年前に買ったLD-5000より1万円も安いのです。
CLD-7は、私が見込んだLDが大きく発達してきたことを実感させてくれた一台でした。

ただし、”LDとCDの複合機種”という点で少しだけ迷ったことも確かです。
というのは、高校時代にテレビとビデオが一体化されたシャープの複合商品で酷い目に遭った経験があったからです。
それでもデジタル音声再生機能付きLDプレーヤーとCDプレーヤーを別々に買うことを考えれば遥かに経済的です。
そして、パイオニアというメーカーに対する全幅の信頼が私の背中を押しました。

LD『BTTF』デジタル音声ステッカー
実は、その頃の私は所有しているLD-5000に対していくつかの不満を抱き始めていたのです。
その一つは、今後発売されるというデジタル音声付きLDのデジタル音声がLD-5000では再生出来ないということです。

既に『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』や字幕版『エイリアン』などがデジタル音声付きで発売されるとアナウンスされていました。
それだけでなく、以前はアナログ音声収録のみだったLDも次々デジタル音声付きバージョンとして再発売されます。
これからのLDにはより高音質なデジタル音声付きが標準になるというのに、自分が持っているLD-5000ではそれを聴くことが出来ないことを歯痒く感じていました。

もう一点は、ひと目見ただけではっきり分かるくらいCLD-7の画質がLD-5000のそれを大きく上回っていたことです。
CLD-7は第2世代の半導体レーザーをさらに改良した新型レーザーピックアップを装備していて、それが画質に良い影響を与えていました。

まず、ひと目で分かるのが解像度の向上です。
カタログでは従来のLD-7000/5000が水平解像度360本だったのに対し400本まで再現出来るようになったと書かれていました。
実際に再生画面を見ても輪郭線や色と色の境目がくっきりして明らかに見易くなっていましたし、LD-5000で気になっていた色ノイズも大幅に軽減していました。

LD『2001年宇宙の旅』HAL9000プログラム解除
LD-5000とCLD-7の差がはっきり分かったのは、映画やアニメで画面全体が真っ赤になる場面です。
例えば『2001年宇宙の旅』終盤のHAL9000プログラム解除シーン。
この場面をノイジーな映像で見てしまうと、キューブリック監督作品に共通するクールな印象が壊れてしまいます。
それに、ホコリ一つもあってはならないコンピューター内部がノイズまみれだと、「そりゃHALだって故障するわな」とか思ってしまいます(笑)。

LD『ルパン三世』赤と肌色
また、シンプルな色使いのアニメもかなりクリアになりました。
例えば、赤を中心とした派手な色使いの『ルパン三世』(ルパン対複製人間)。
LD-5000で観ていたときはルパンの赤ジャケットや車などに筋状の色ノイズがジラジラ乗るのが気になっていました。
赤にノイズが乗りやすいということは、すなわち人の肌色にも悪影響があるということです。
第3世代レーザーピックアップを導入したCLD-7ではそうした色ノイズが(完全に消えはしませんが)目に見えて少なくなったことで見易さが格段に向上しました。

ただし、レーザーの反応が良くなって解像度が大きく向上した半面、逆にザラザラした輝度ノイズも目立ってしまうという弊害もありました。
つまり、状態の良いディスクは今まで以上に鮮明な画質で楽しめますが、逆にノイズの多いディスクはその悪い部分もあからさまに暴いてしまうというディスク品質に厳しいプレーヤーでした。

CLD-7 CDトレイ
そして、CLD-7は私にとって最初のCDプレーヤーでもありました。
最初に買ったCDソフトが何だったかどうしても思い出せませんが、映画かアニメのサントラだったことは確かです。

PIONEER CLD-7(背面端子)
CLD-7にはアナログ音声出力端子とデジタル音声専用端子の2つが装備されていました。
このうちアナログ音声出力は映像と一緒にビデオセレクター:SS-V5の「ビデオディスク」端子に繋ぎ、アナログ音声のみのLD視聴とビデオデッキへのダビングに使用します。

1986年4月CLD-7購入以降の接続図
そして、CD/LD(デジタル)音声出力はプリメインアンプ:A-100のCD/AUX端子に直結しました。
セレクターすら通さないことにより、LDのデジタル音声とCDの音を少しでも高音質で楽しめるようにしました。

CLD-7はその後6年近く私のシステムに存在し続けました。
しかもその間一度も故障は起していません。
工業製品として非常に優れていたと思います。
この2年後くらいに両面自動再生プレーヤーを購入した時も手放すことはぜず、サブ・プレーヤーとして長く使い続けました。

CLD-7用リモコン(CU-CLD001)
強いて難点を挙げるなら、リモコンのボタンが小さすぎて使いにくかったことくらいでしょうか。
でも、映画LDを観るときはサーチもチャプター飛ばしも滅多にしませんからリモコンで操作することはほとんど無かったです。



【さらばLD-5000】
パイオニア:LD-5000
しかし、そうなると「それまで使っていたLD-5000をどうするか?」という問題が生じます。
最初はCLD-7購入時に下取りに出す予定でいましたが、下取り提示額が3万5千円だったのに同じ店で売られていた中古のLD-5000に10万円もの値段が付いていたことに腹を立てて下取りは断ってしまいました。

そんな時、一回生のときからいつもツルんでいた友人の一人が「それなら俺に譲ってくれ!」と申し出てきました。
この男こそ、前述したベータプロ(SL-HF900)を買った広島出身のソニーファンでした。
入学時には高校時代にバイトして買ったというベータマックスJ9(SL-J9)とプロフィールモニター20インチを3畳一間の学生寮に持ち込んできた猛者であり、またビデオデッキの仕組みにやたら詳しかったので私は彼のことを「師匠」と呼んで色々教えてもらったりしてました。
kenka_tsukamiai_yopparai.png
また、彼とは一度取っ組み合いの派手な喧嘩をしたことがありました。
私が自主映画の企画として地元福井の原発が怪獣に襲われるストーリーを提案したとき、親族に被爆者がいるという彼は「面白半分で放射能をネタにするな!」と怒り出したのです。
そのまま売り言葉に買い言葉で二人とも頭に血が上ってしまい、(どちらが先に殴ったかは覚えていませんが)校庭での大ケンカに発展しました。
もう一人の温厚な性格の友達が間に入ってなだめてくれて冷静さをとり戻し、お互いに言い過ぎたことを謝りました。
その後も卒業するまで常に行動を共にした仲間であり、私が彼女にフラれたときにも色々と気遣ってくれた男でもありました。

ただし・・・こいつは以前私がLD-5000を買うまで「プレーヤーより先にディスクだけ買うなんて(笑)。」と一番バカにしやがった奴でもありましたが・・・(笑)。

しかし、いくら親しい友達とはいえタダで譲るわけにはいきません。
彼が「いくらで譲ってくれる?」と訊いてきたとき、私は咄嗟に「7万円」と答えました。
下取り額(3万5000円)の倍であり中古価格の約3分の2なので妥当な額だと思っています。
それに、いかに旧型の中古といえど7万円でLDプレーヤーが買えるお店はありません。
彼も「7万でいいのか!?」と喜んでくれて商談成立となりました。

ところが!。
LD-5000を受け渡す約束の日、彼は本当に申し訳なさそうな顔でこう言いました。
「ごめん、ベータプロのローンがあるから今は6万円しか用意出来ない・・・。」

私は「6万でもいいよ。」と言ったのですが、彼は妙に律儀な奴で「いや、来月には必ず残りの1万払うから1ヶ月だけ待ってくれ。」と言って聞きません。
「それじゃ残りは来月ということで・・・」と話が決まり、そのままLD-5000を彼の部屋へと持ち運びました。

彼の家のモニターにLD-5000を接続しているとき、私は以前遊びに来たときとTV周りの仕様が変わっていることに気付きました。

SONY PROFEEL用スピーカー
彼が使っていたモニターTVはソニーのプロフィール20インチでした。
以前はその両端に取り付けられていた小型スピーカーから音を出していましたが、このときは音声をミニコンポ(やはりソニー製)に繋いでいたためモニター脇の小型スピーカーは取り外されていたのです。

私「お前、モニター横に着いてた小さいスピーカーはどうした?」
友「ああ、今は音関係を全部ミニコンで出すようにしたから外した。」
私「壊れたわけじゃないんだな?。」
友「うん、左右とも壊れてない。今は押し入れに片付けてある。」
私「じゃあ、残りの1万円分としてあのスピーカーを俺にくれ!。」
友「え?、あんなんでいいのか?。」


■小型スピーカー
ソニー:SS-X1 17,000円(友人から譲り受けた物なので実質0円)
SONY PROFEEL用スピーカー SS-X1
こうして、LD-5000の代金の一部としてソニー:SS-X1を友人から譲り受けました。
8.5cmウーファーと5cmトゥイーターを搭載した2ウェイスピーカーですが、本来はソニーのモニターTV「プロフィール」専用のスピーカーなので再生周波数帯域は80Hz~20000Hzしかなく、音楽や映画の音を聴くには心許ないスペックです。

SONY SS-X1 角度自由スピーカー
しかし、SS-X1には上下に角度を変えられる台座が付いています。
単品で天井や壁に取り付けたり、棚に置いたときには自分の方向に角度を向けて設置するなどのフレキシブルな使い方が可能です。

マトリクスサラウンド接続図
この時私が考えていたこと。
それは、かねがね試してみたいと考えていたスピーカー4本を使ってのマトリクスサラウンド再生への挑戦でした。
SS-X1は小型軽量で角度調節も可能、そして高インピーダンス(8Ω)ということからサラウンド用スピーカーとして最適ではないか?と考えたのです。
再生周波数帯域は狭くてもサラウンド専用として使う分には全然支障ありません。

こうして私は、「サラウンド」という新しい世界(泥沼とも云う)に足を踏み入れていくことになります。
別れた彼女が最後に残してくれた忠告など、私の頭の中にはもうひとカケラも残っていませんでした・・・。


長い話にお付き合いいただきありがとうございました。
次回に続きます。
スポンサーサイト



COMMENTS

0 Comments

There are no comments yet.

REPLY

Leave a reply