『この世界の片隅に』(その3:ダブル・ミーニング)
CATEGORYアニメ:カ行
トガジンです。
今回もネタバレが含まれています。
映画を観てからお読みくださいますようお願いいたします。
『この世界の片隅に』
(劇場:コロナワールド)

ここ2週間ほど、何も知らずに暇つぶしのつもりで観たこの映画のことが頭から離れません。
全編にわたって隅々まできめ細かな気配りが散りばめられていて、観るたびに違った味わいで楽しむことが出来ます。
本当に「するめ」のような映画です。
この映画には全編を通して頻繁に登場する風景や小物が存在しますが、それらのいくつかは何かの事象を暗喩するダブル・ミーニングになっているようです。
例えば、夏を表現するための季語のようなカットでしかないと思ったカブトムシの画が、そのあとに続くお砂糖事件を皮肉った伏線になっていたりします。
また、シーンの区切りごとに挿入される呉市の全景ショットが何度もあるのですが、次第にその眺望が変化していくことで戦局の悪化を表現しています。
今回は、私がこの映画に込められたものを読み解いてみた事柄をいくつか紹介させていただきます。
個人的に思い込んでいるものばかりですので間違っている場合もございます。
その旨、あらかじめご了承願います。
【タンポポ】

この映画のタイトルバックは、突き抜けるような青空をバックに生えている黄色と白のタンポポの画です。
その青空からにじみ出るように『この世界の片隅に』のタイトルが現われます。
ポスターの図柄も、すずさんがタンポポを積んでいる場面がモチーフになっています。
タンポポは綿胞子を飛ばすことによって遠く他所の土地に根付いていく植物です。
行く先々で人々の目を楽しませたり時には食料となって人の役に立つ。
これは他所へ嫁いでかの地で根を張って生きていく女性たちの姿に重なります。
【まるで鼻歌のように】

映画の冒頭で、広島へお使いに来たすずさんが見上げる青空の画に、コトリンゴさんの「悲しくてやりきれない」が流れてきます。
この歌声がまるですずさんの鼻歌のようにも聴こえてきて、青空と白い雲の映像とともにじんわりと「胸に沁みて」きます。
「悲しくてやりきれない」は1963年のザ・フォーク・クルセダーズの楽曲です。
「あれ?この歌って戦前の歌だったっけ?」と錯覚するくらいこの映画に合っていました。
映画を観終わった時に私の頭の中でずっとループしていたのは、何故か最初に流れていたこの「悲しくてやりきれない」でした。

さらに、今度は実際に戦時中の歌唱曲だった「隣組」が流れます。
「とんとんとんからりととなりぐみ~」で始まる軽快で親しみやすい曲ですが、本来は戦時体制において導入された隣組制度を宣伝するための歌でした。
嫁いで来たばかりで右も左も分からない頃のすずさんが、刈谷さんや知多さんたち隣組の人たちに囲まれて次第に呉での生活に馴染んでいく過程で使われています。
そしてこの唄も、まるですずさんの鼻歌のように聞こえてくるから不思議です。
「みぎてのうた」「たんぽぽ」はエンディングで流れたこともあって鼻歌のイメージはありません。
ですが、これらはすずさんの心の内面を綴った歌詞になっています。
特に「たんぽぽ」は、すずさんが道端に根付いて咲くタンポポに語りかけているような内容の歌詞であり、北條家のその後を描くエンディング画を見ながら聴いているうちに気持ちは冒頭のタンポポの映像の世界に帰っていくのです。
【すずさんの絵】

幼い頃のすずさんが妹に描いて見せていた絵は、人物を紙いっぱいに大きく描いたものでした。
現代の幼児も両親の絵を描くときなどはほとんどそういう描き方をするものです。
対象となる人物に対する興味と信頼が自然にそうさせるのでしょう。
また小学生の頃には、水原のために波がウサギのように飛び跳ねている瀬戸内海の絵を描きました。
この時も、水原が描いたことにする絵のはずなのに彼女はそこに水原自身の姿も描き加えていました。
すずさんが、里帰りの際に広島の街並みをあちこちスケッチして回って帰りの汽車に乗り遅れてしまうという場面があります。
そのとき彼女が描いていた絵にも、常にそこに住んでいる市民の姿が一緒に描き込まれていました。
路面電車を描いた絵でもその脇を歩く人の姿があり、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)にも建物を見つめる自分の姿が描き込まれています。
このように、まだ平穏だった時期のすずさんの絵の中には必ず人間の姿がありました。
しかし時が過ぎて戦争が身近なものになるころ、彼女の絵に変化が現われ始めます。
憲兵に睨まれたときの軍港の絵にも、空を埋めつくす無数の敵機の絵にも人間の姿は描かれていません。
表面上はいままでと変わらずにこやかなすずさんも、この頃になると心が渇きはじめていることを表現しているようです。
さらに悲劇的な出来事が起こり右手を失ったすずさんの心象風景には左手で描いたようなたどたどしい画が広がります。
特に印象的だったのは、失った右手の思い出を淡々と思い出していくところです。
病床で生気の無いすずさんの横顔からゆっくりとズームバックしていくのですが、最初は普通の綺麗な背景画だったのがいつの間にか殴り描きのようにがさつな背景画に変化しています。
ラストシーン近くですずさんは「亡くなった人も笑顔で思い出してあげたい、うちは笑顔の器になるんです」と語り、再び前向きに生きていく力を取り戻します
この時彼女が通った港には、激しく損傷した巡洋艦「青葉」とそれを見上げている一人の水兵の姿がありました。
すずさんの位置からは決して見えるはずはないのですが、映画では次のカットでその水兵の顔が描写されます。
その顔は(おそらく)戦死した幼馴染の水原哲にそっくりであり、見上げるその表情は希望に満ちた晴れやかなものでした。
そして傾いていた船はゆっくりと浮かび上がりやがて空へと飛んでいきます。
その周辺にはかつて水原に描いて見せた波ウサギが飛び跳ねていました。
このイメージシーンは、絵を描く術を失ったすずさんがそれでも前を向いて生きようという彼女の心象風景そのものだと思います。
【着物】

子供の頃に祖母に教えられて作った(作ってもらった?)薄緑色の着物があります。
この着物は映画の中ですずさんと姪の晴美さんとの接点になっていたようですが、最後には悲しい結末を迎えてしまいます。
義姉の径子にせっつかれて、すずさんはこの着物を新しいもんぺに仕立て直します。
この仕立て作業を始めた時にすずさんは径子の娘である晴美と初めて出会いました。
晴美は気性の激しい母よりも温厚で優しい叔母のすずさんに懐いていきます。
すずさんは仕立ての余り布で晴美に小物入れを作ってあげて、晴美も喜んでいつもそれを身に着けていました。

昭和20年6月、すずさんは晴美を連れて空襲で怪我をした義父のお見舞いに行きますがその帰り道でまた空襲に遭遇します。
爆発に巻き込まれたすずさんは、自分の右手とその手に繋いでいた晴美を失います。
その後、自宅に担ぎ込まれたすずさんの傍らには血まみれになった薄緑色の小物入れだけが残されていました。
【呉の街】

すずさんの嫁ぎ先である呉市。
小高い丘の上にある北條家からはその呉の市街地が一望出来ます。
ここから見える大ロングショットが定期的に映し出されますが、戦局の変化に伴ってその眺望も変化していきます。
最初はすずが初めてやってきた時で、妹と初めて呉市を見下ろしたシーンです。
翌朝、家々から上がる釜戸の煙(あるいは湯気)がここで営まれている市井の人々の生活の存在を感じさせてくれました。
夫の周作や姪の晴美と港を眺めた時。
そして軍港のスケッチを憲兵にとがめられた時。
この頃には、港は戦艦「大和」や「武蔵」をはじめとした鋼鉄の船で埋め尽くされていきました。
やがて敵機が攻撃してくるようになり、屋根瓦や畑のあちこちに弾痕が散見されるようになります。
さらに軍港周辺への爆撃被害拡大を防ぐために建物疎開が行われ軍港周辺が空き地状態になります。
そして空襲で焼け野原になったあとも、生き残った人々が声を掛け合っています。
こうした変化が小高い位置にある北條家から見た定点映像のように表現されます。
やがて戦争が終わり、灯火管制の必要が無くなりました。
呉市の夜にも家々の灯りが戻っていきます。
この時の場面だけは何故か軍港側から見た画になっていました。
山のふもとの暗い街中に一つまた一つと灯りがついていくのを、まだ軍艦に乗務していた水兵さんが見つめているという画でした。
この視点の転換は、それまで軍だの国家だのが中心だった時代から一般国民が中心になる時代への転換を現したものなのかも知れません。
映画全編を貫くこれらの比喩的表現の数々を見つけてみるというのも、優れた映画だからこそ出来る楽しみ方だと思います。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
本日、ついに『この世界の片隅に』の原作漫画(全3巻)をアマゾンに注文しました。
漫画本を買うなんて何年ぶりのことでしょうか。
この作品を原作を読まずにこれ以上語るのは無理があると観念しました。
原作を読んで、また何度か映画を観直すつもりです。
今回もネタバレが含まれています。
映画を観てからお読みくださいますようお願いいたします。
『この世界の片隅に』
(劇場:コロナワールド)

ここ2週間ほど、何も知らずに暇つぶしのつもりで観たこの映画のことが頭から離れません。
全編にわたって隅々まできめ細かな気配りが散りばめられていて、観るたびに違った味わいで楽しむことが出来ます。
本当に「するめ」のような映画です。
この映画には全編を通して頻繁に登場する風景や小物が存在しますが、それらのいくつかは何かの事象を暗喩するダブル・ミーニングになっているようです。
例えば、夏を表現するための季語のようなカットでしかないと思ったカブトムシの画が、そのあとに続くお砂糖事件を皮肉った伏線になっていたりします。
また、シーンの区切りごとに挿入される呉市の全景ショットが何度もあるのですが、次第にその眺望が変化していくことで戦局の悪化を表現しています。
今回は、私がこの映画に込められたものを読み解いてみた事柄をいくつか紹介させていただきます。
個人的に思い込んでいるものばかりですので間違っている場合もございます。
その旨、あらかじめご了承願います。
【タンポポ】

この映画のタイトルバックは、突き抜けるような青空をバックに生えている黄色と白のタンポポの画です。
その青空からにじみ出るように『この世界の片隅に』のタイトルが現われます。
ポスターの図柄も、すずさんがタンポポを積んでいる場面がモチーフになっています。
タンポポは綿胞子を飛ばすことによって遠く他所の土地に根付いていく植物です。
行く先々で人々の目を楽しませたり時には食料となって人の役に立つ。
これは他所へ嫁いでかの地で根を張って生きていく女性たちの姿に重なります。
【まるで鼻歌のように】

映画の冒頭で、広島へお使いに来たすずさんが見上げる青空の画に、コトリンゴさんの「悲しくてやりきれない」が流れてきます。
この歌声がまるですずさんの鼻歌のようにも聴こえてきて、青空と白い雲の映像とともにじんわりと「胸に沁みて」きます。
「悲しくてやりきれない」は1963年のザ・フォーク・クルセダーズの楽曲です。
「あれ?この歌って戦前の歌だったっけ?」と錯覚するくらいこの映画に合っていました。
映画を観終わった時に私の頭の中でずっとループしていたのは、何故か最初に流れていたこの「悲しくてやりきれない」でした。

さらに、今度は実際に戦時中の歌唱曲だった「隣組」が流れます。
「とんとんとんからりととなりぐみ~」で始まる軽快で親しみやすい曲ですが、本来は戦時体制において導入された隣組制度を宣伝するための歌でした。
嫁いで来たばかりで右も左も分からない頃のすずさんが、刈谷さんや知多さんたち隣組の人たちに囲まれて次第に呉での生活に馴染んでいく過程で使われています。
そしてこの唄も、まるですずさんの鼻歌のように聞こえてくるから不思議です。
「みぎてのうた」「たんぽぽ」はエンディングで流れたこともあって鼻歌のイメージはありません。
ですが、これらはすずさんの心の内面を綴った歌詞になっています。
特に「たんぽぽ」は、すずさんが道端に根付いて咲くタンポポに語りかけているような内容の歌詞であり、北條家のその後を描くエンディング画を見ながら聴いているうちに気持ちは冒頭のタンポポの映像の世界に帰っていくのです。
【すずさんの絵】

幼い頃のすずさんが妹に描いて見せていた絵は、人物を紙いっぱいに大きく描いたものでした。
現代の幼児も両親の絵を描くときなどはほとんどそういう描き方をするものです。
対象となる人物に対する興味と信頼が自然にそうさせるのでしょう。
また小学生の頃には、水原のために波がウサギのように飛び跳ねている瀬戸内海の絵を描きました。
この時も、水原が描いたことにする絵のはずなのに彼女はそこに水原自身の姿も描き加えていました。
すずさんが、里帰りの際に広島の街並みをあちこちスケッチして回って帰りの汽車に乗り遅れてしまうという場面があります。
そのとき彼女が描いていた絵にも、常にそこに住んでいる市民の姿が一緒に描き込まれていました。
路面電車を描いた絵でもその脇を歩く人の姿があり、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)にも建物を見つめる自分の姿が描き込まれています。
このように、まだ平穏だった時期のすずさんの絵の中には必ず人間の姿がありました。
しかし時が過ぎて戦争が身近なものになるころ、彼女の絵に変化が現われ始めます。
憲兵に睨まれたときの軍港の絵にも、空を埋めつくす無数の敵機の絵にも人間の姿は描かれていません。
表面上はいままでと変わらずにこやかなすずさんも、この頃になると心が渇きはじめていることを表現しているようです。
さらに悲劇的な出来事が起こり右手を失ったすずさんの心象風景には左手で描いたようなたどたどしい画が広がります。
特に印象的だったのは、失った右手の思い出を淡々と思い出していくところです。
病床で生気の無いすずさんの横顔からゆっくりとズームバックしていくのですが、最初は普通の綺麗な背景画だったのがいつの間にか殴り描きのようにがさつな背景画に変化しています。
ラストシーン近くですずさんは「亡くなった人も笑顔で思い出してあげたい、うちは笑顔の器になるんです」と語り、再び前向きに生きていく力を取り戻します
この時彼女が通った港には、激しく損傷した巡洋艦「青葉」とそれを見上げている一人の水兵の姿がありました。
すずさんの位置からは決して見えるはずはないのですが、映画では次のカットでその水兵の顔が描写されます。
その顔は(おそらく)戦死した幼馴染の水原哲にそっくりであり、見上げるその表情は希望に満ちた晴れやかなものでした。
そして傾いていた船はゆっくりと浮かび上がりやがて空へと飛んでいきます。
その周辺にはかつて水原に描いて見せた波ウサギが飛び跳ねていました。
このイメージシーンは、絵を描く術を失ったすずさんがそれでも前を向いて生きようという彼女の心象風景そのものだと思います。
【着物】

子供の頃に祖母に教えられて作った(作ってもらった?)薄緑色の着物があります。
この着物は映画の中ですずさんと姪の晴美さんとの接点になっていたようですが、最後には悲しい結末を迎えてしまいます。
義姉の径子にせっつかれて、すずさんはこの着物を新しいもんぺに仕立て直します。
この仕立て作業を始めた時にすずさんは径子の娘である晴美と初めて出会いました。
晴美は気性の激しい母よりも温厚で優しい叔母のすずさんに懐いていきます。
すずさんは仕立ての余り布で晴美に小物入れを作ってあげて、晴美も喜んでいつもそれを身に着けていました。

昭和20年6月、すずさんは晴美を連れて空襲で怪我をした義父のお見舞いに行きますがその帰り道でまた空襲に遭遇します。
爆発に巻き込まれたすずさんは、自分の右手とその手に繋いでいた晴美を失います。
その後、自宅に担ぎ込まれたすずさんの傍らには血まみれになった薄緑色の小物入れだけが残されていました。
【呉の街】

すずさんの嫁ぎ先である呉市。
小高い丘の上にある北條家からはその呉の市街地が一望出来ます。
ここから見える大ロングショットが定期的に映し出されますが、戦局の変化に伴ってその眺望も変化していきます。
最初はすずが初めてやってきた時で、妹と初めて呉市を見下ろしたシーンです。
翌朝、家々から上がる釜戸の煙(あるいは湯気)がここで営まれている市井の人々の生活の存在を感じさせてくれました。
夫の周作や姪の晴美と港を眺めた時。
そして軍港のスケッチを憲兵にとがめられた時。
この頃には、港は戦艦「大和」や「武蔵」をはじめとした鋼鉄の船で埋め尽くされていきました。
やがて敵機が攻撃してくるようになり、屋根瓦や畑のあちこちに弾痕が散見されるようになります。
さらに軍港周辺への爆撃被害拡大を防ぐために建物疎開が行われ軍港周辺が空き地状態になります。
そして空襲で焼け野原になったあとも、生き残った人々が声を掛け合っています。
こうした変化が小高い位置にある北條家から見た定点映像のように表現されます。
やがて戦争が終わり、灯火管制の必要が無くなりました。
呉市の夜にも家々の灯りが戻っていきます。
この時の場面だけは何故か軍港側から見た画になっていました。
山のふもとの暗い街中に一つまた一つと灯りがついていくのを、まだ軍艦に乗務していた水兵さんが見つめているという画でした。
この視点の転換は、それまで軍だの国家だのが中心だった時代から一般国民が中心になる時代への転換を現したものなのかも知れません。
映画全編を貫くこれらの比喩的表現の数々を見つけてみるというのも、優れた映画だからこそ出来る楽しみ方だと思います。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
本日、ついに『この世界の片隅に』の原作漫画(全3巻)をアマゾンに注文しました。
漫画本を買うなんて何年ぶりのことでしょうか。
この作品を原作を読まずにこれ以上語るのは無理があると観念しました。
原作を読んで、また何度か映画を観直すつもりです。
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