週刊映画鑑賞記(2022.`6/6~2021.6/12)
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。

今週は大林宜彦監督作品2本と4K放送版『フランケンシュタイン対地底怪獣』の3本です。
6/7(火)
『フランケンシュタイン対地底怪獣』(4K放送)
(ホームシアター:日本映画+時代劇4K録画)

先週木曜に放映されたものですが、今週に入ってようやく観る時間が取れました。
『フランケンシュタイン対地底怪獣』は4年前にも日本映画専門チャンネルがデジタルリマスター版を放送してくれています。
今回の記事はその時に書いたものに一部改訂&加筆したものです。

私と『フランケンシュタイン対地底怪獣』との出会いはテレビ放映で(途中まで)観たのが最初でした。
時期はうろ覚えですが、『帰ってきたウルトラマン』放映開始の前後だったように思います。
新聞のテレビ欄に「怪獣」という文字を見つけた私は、それこそ『ウルトラマン』みたいな明朗特撮怪獣映画を期待してワクワクしながら観始めたと思います。
当時はまだ小学校に入って間もない頃でしたが、なぜか「怪獣」とか「仮面」とか「帰ってきた」とか特撮やアニメに関係する漢字だけは読めたのです(笑)。

ところがこの『フランケンシュタイン対地底怪獣』は6歳の幼児が期待した怪獣ものとはあまりにもかけ離れた映画でした。
当時の記憶としては「とにかく怖かった」ということしかありません。

幼い私の恐怖心を猛烈に煽ったのは、窓の外からフランケンがぬっと顔を出すこの画でした。
「うえひゃああああああ!」
その時同じ部屋にいた母の話によると、私は周りがビックリするくらいの悲鳴を上げて何か汚いモノでも触るかのようにテレビのスイッチを切ってしまったそうです。
そしてしばらく何も映っていないブラウン管をじ~っと見つめた後、「もう怖い場面は終わったかな・・・?」と恐る恐るもう一度テレビのスイッチを入れたのだそうです。
しかし、その時画面に映っていたのは・・・。

よりにもよって、ちぎれたフランケンの手首が勝手にうねうねと動いているこの場面でした。
私は速攻でTVのスイッチを切り、もう二度と見ようとはしませんでした。
母の話では、私はその日の夜から窓の外を見るのを怖がってカーテンを閉めっぱなしにしたそうです。
それを聞いた親戚の人たちに「男の子のくせに意気地がない」と笑われましたが、父母はその人たちに「怖いと思うのは想像力が豊かな証拠だ!」と反論してくれていました。
その両親の言葉だけは今でもはっきり覚えています。

この映画を全編通して観たのは大学に入ってからでした。
確かレンタルビデオで観たと記憶しています。
20歳を越えた私の目には「怖い」という印象はまるで無く、むしろフランケンのあまりに哀しい生涯に切ない気持ちになりました。
バラゴンのせいで「人を喰う怪物」という濡れ衣を着せられたフランケンは、事情を知らない人間たちから殺処分されそうになります。
フランケンを育て研究してきた三人の科学者のひとり川地(演:高島忠夫)にさえ「貴重な研究材料」としか見なされなくなっていました。
でも、その川地をバルゴンから救ったのは他ならぬフランケンでした。

ただし、この時私が見たのはバルゴンを退治したあと唐突に大ダコが出てきて地割れに引きずり込まれて終わるバージョンでした。
「なんでタコが山の中に???」
そのため見終わったあとの余韻はかなり微妙でした(笑)。
タコが出ないオリジナル公開版を観たのは90年代以降で、やはりレンタルビデオで観たと思います。
やはりこちらのほうが納得いく終わり方でしたが、逆にタコに気を取られなかった分ラストでボーエン博士(演:ニック・アダムス)までもが「彼は死ぬべきだ」と言っていたことに軽くショックを受けました。
これでフランケンの理解者は戸上季子(水野久美)ただ一人となったわけですが、彼女にしても単に母性本能からの一時的感情に過ぎなかった可能性もあるのです。
だとしたら・・・人類にフランケンの真の理解者は一人も居なかったという悲し過ぎる結末だったことになります。

ヒト型の巨人が怪獣と戦うというスタイル、そしてと初代『ウルトラマン』放映の前年の作品であることから、「ウルトラマンの原型」とも言われるフランケンシュタイン。
ただ、あまりにも孤独な彼の姿は、万人に愛されたウルトラマンよりどちらかといえば最初期の仮面ライダーに近い気がします。
あるいは”人の姿をしたゴジラ”とでも呼ぶべきかも知れません。

フランケン役を演じた古畑弘二さんは、元々劇団四季の役者さんだったそうです。
私たち特撮ファンはフランケン役の古畑さんしか知りませんが、60年代前半には特殊メイク無しの普通の映画やドラマにもいくつか出演されていました。

その後重度の難聴を患ってセリフが喋れなくなったため俳優を引退する決意をされたとき、「最後の一本」としてこの哀しき巨人の役を引き受けたのだそうです。
セリフは無く、唸り声や叫び声のみで、表情と全身の動きでフランケンシュタインの哀愁を完璧に表現した日本映画史に残る名演でした。

来年の4Kリマスター化特集には姉妹編『サンダ対ガイラ』を是非お願いしますよ、日本映画専門チャンネルさん!。
6/9(木)
『ふたり』
(ホームシアター:WOWOW録画)

新・尾道三部作の一作目。
大林宣彦監督の命日に合わせて4月にWOWOWで放送されていました。
『ふたり』は劇場公開時とレンタルDVDとでこれまで2回見てますが、ハイビジョン画質で見るのは今回が初めてです。
他に『廃市』と『青春デンデケデケデケ』も放送してくれましたが、どうせなら新・尾道三部作の2本目『あした』も放送して欲しかったです。

元はNHKの長編ドラマだったものを再編集して劇場公開したものです。
そのため第九やマラソンのシーンでハイビジョン合成が使用されていますが、当時の技術ではフィルム撮影場面との整合性が低いためかなり不自然に見えるのが残念です。
ただし、最初から劇場公開を想定して35ミリフィルムで撮影していたため合成シーン以外の画質に不満はありません。

主演は石田ひかりさん・・・の筈ですが、大林監督の視線は姉の幽霊役を演じる中島明子さんにばかり向いているように思えます。

ラストカットは姉が亡くなった坂を胸を張って歩いていく妹の姿を見せて終わり・・・かと思いきや?。

カットが切り替わるとなぜかその後ろ姿は姉役の中島明子さんに変わっています。
石田さんは「ラストを飾るのは主役の私なんだ」と自分に言い聞かせながら頑張っていたそうですが、完成した映画のラストショットを見たときの彼女の気持ちはいかばかりだったでしょうか?。

でも、私も50代になってようやく大林監督の意図が分かった気がします。
主人公の北尾実加は姉と比較されてばかりいたためいじけた性格に育ってしまった少女です。
しかし、新人の石田さんにはまだその複雑なキャラクターを自然に演じる技量はありません。
そのため、撮影現場で姉役の中島さんばかりを徹底的に贔屓して、新人女優:石田ひかりを主人公と同じ環境に追い込むことでリアルな実加役の演技を引き出していたのではないでしょうか。
その証拠に、原作では死んだ姉は声しか聞こえない設定になっていますが、映画では実加にだけ姿が見える幽霊として描かれています。
この変更の理由は、撮影現場の石田さんの傍らに常に中島さんが居る必要があったからに他なりません。

もう一人、大林監督お気に入りの女優さん、実加の親友:真子を演じた柴山智加さんが最高に良いです。
実加を侮辱したクラスメート(中江有里)の家に討ち入りしようと「行こうぜ!」と着物の裾をたくし上げた姿の凛々しさ!。

「お姉ちゃんじゃなく自分が死ねばよかった」と自暴自棄になった実加を引っ叩いて励ます気迫の演技!。
途中からもう彼女しか見えなくなりました。(#^.^#)
エンディングに流れる主題歌「草の想い」。
劇場で初めて聴いたときは思わずコケそうになりました。
詞もメロディも凄く良い曲なのに、なんでおっさん(大林監督)の声なんだ???。
ここは普通に石田ひかりさんの歌声でいいじゃないか!。
最後の最後に大林監督のナルシズムや少女趣味が出てしまったように思えて、ひどく気恥ずかしくなりました。
・・・と、以前観たときはそう感じたのですが・・・。
でも、今聴くと大林監督のおじさん声で聴く「草の想い」に飾り気のない味わいを感じてしまうのです。
これは単に私が歳を取ったせいなのでしょうか?。
考えてみれば大林監督が『ふたり』を撮ったのは監督が53歳のときでした。
つまり、今の私よりもっと若い頃だったのです。
おじさん目線で『ふたり』を見ているうちに、制作時の大林監督の心境に少しだけ近づけたような気がしました。
6/10(金)
『青春デンデケデケデケ』
(ホームシアター:WOWOW録画)

私が一番好きな大林宜彦監督作品です。
ユニークで個性的な仲間たち。
テンポの良い会話劇。
メタ要素も含んだ独特の映像表現。
等々、見どころはいろいろありますが、私が一番シンパシーを感じるのは映画の内容そのものです。

なぜならば。
この映画のバンド活動を映画作りに入れ替えて見ると、そっくりそのまま私の高3時代と重なるのです。
やりたいことが見つからないまま無為に高校生活を過ごしていた自分たちが、ふとしたキッカケから「映画作ってみよう」と思い立ち、秋の文化祭での上映を目指して高校最後の夏休みに七転八倒した懐かしくもほろ苦い思い出が蘇ります。
参加メンバー以外にも、人を紹介してくれたり美術部部室での上映機会を用意してくれたりと色々協力してくれた人もいて、この映画を観ていると彼らの姿が被って見えて仕方ないのです。
ただ、私の場合は撮影時のトラブルが原因で文化祭での上映が出来なくなってしまい不完全燃焼に終わってしまいました。
それでも、仲間たちと一緒に初の映画作りに挑んだあの楽しさは一生忘れません。

この映画、バンドメンバー全員が強烈な個性を放っています。
甘いマスクに天才的なギターテクニックを持つ白井清一。
主人公ちっくんは彼との出会いをきっかけにロックバンド結成に動き始めます。
演じるは今や日本映画を背負って立つ俳優の一人浅野忠信さんですが、今見ても最初浅野さんとは気付かないほど大人しくて控えめな少年の役です。

お寺の跡継ぎでありながら実に世渡り上手で、将来どんな生臭坊主になるのかと思わせてくれる合田富士男。
演じたのは『瀬戸内少年野球団』のバラケツ役が記憶に新しかった大森嘉之さん。
白井にまとわりつくストーカー女を諦めさせるため彼が吹聴したホラ話は白井自身にも迷惑千万な内容でしたが、それでも「ほんにわしは名僧じゃ!」と自画自賛するところが最高でした。

バンドを部活動(第二軽音楽部)にするよう提案し、その顧問も引き受けてくれたのは元々外国音楽が好きだったという寺内先生(演:岸田一徳)。
「なんだか贔屓されてるみたいで・・・」と遠慮するちっくんに「やる気のある奴は贔屓するんじゃ、わしは!。」と言い切るところが素敵過ぎます。
私のときにはこんな先生は居なかったなあ・・・。

本作にも大林映画常連の柴山智加さんがご出演。
今回はちっくんたちをサポートしてくれるクラスメートの役ですが、やはり笑顔が最高にチャーミング!。
海辺のデートシーンでは水着姿も披露してくれて、ちっくんは思わず前のめりに(笑)。

カメラ(観客)に向かって「男なら覚えがあろう?」と困惑した顔で語りかける場面では劇場で大笑いしてしまいました。
映画の登場人物が観客に向かって語りかける手法を「第四の壁を壊す」と呼びますが、私はこの作品で初めて見ました。。
日本映画では黒澤明監督が『素晴らしき日曜日』ですでに実験済みの手法ですが、私は「こんな見せ方があるのか?」とかなり驚きました。

文化祭で大成功を収めたロッキング・ホースメンの演奏。
ここがクライマックスかと思いきや、本当のラストはその後でした。

文化祭から半年後、進学のため都会に出ることになったちっくんは一人高校時代の思い出の地を巡り歩きます。
このシーンを観た人の中には「文化祭の大盛り上がりで終わればいいのに」とか「女々しい」と思った方もいるかも知れません。
でも、私にはこのラストのちっくんの気持ちが痛いほどよく分かります。
今でも高校時にロケした現場(小学校跡や駅前など)を通るたび、そこで「あーだこーだ」と言い合いながら撮影した当時の記憶が鮮明に蘇ってくるのです。
そして、「あのときの熱さはもう二度と戻ってはこないのだな~」などと、ついセンチな気分に浸ってみたりします。
<(_ _)>
今週もお付き合いいただきありがとうございました。