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映画と日常

週刊映画鑑賞記(2022.7/25~2022.7/31)

トガジンです。

毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。

20220731 「週刊映画鑑賞記」トップ画像
今週は劇場で1本、NETFLIX(ホームシアター)で2本の計3本です。



7/25(月)
『ブレード・ランナー<ファイナル・カット>』(午前十時の映画祭)
(劇場:鯖江アレックスシネマ)
『ブレード・ランナー<ファイナルカット>』
オリジナル版は高3のとき地元の映画館で見ていますが、今回の再上映は当時のオリジナルバージョンではなく、リドリー・スコット監督の意向が強く反映されたファイナル・カット版です。
このバージョンもブルーレイを買って見ていますが、映画館で観るのは今回が初めてです。

2022-07-25 チケット
「午前十時の映画祭」には本当に感謝しかありません。
この日は仕事が休みだったので朝からゆっくり映画館へ行ってきました。

2022-07-25 鯖江アレックスシアター6
劇場は鯖江アレックスシネマ6番シアター。
スクリーンは小さめですが、思ったより音響設備が良くてセリフや効果音がとても聴き取りやすかったです。
あのヴァンゲリスの名曲が実は巧みに効果音と連動して使われていたことが今回よく分かりました。

ただ、この日の客数は私を入れてわずか4人。
もちろん全員男性。
SF映画の大傑作なのにもう少し入っていて欲しかったです。
平日であったことと、567ウィルス感染が再び増えてきたことが原因でしょうか?。

ブレードランナー_燃えよドラゴン
福井でのオリジナル版初公開時、同時上映はなんと『燃えよドラゴン』(リバイバル)でした!。
「これぞ田舎の映画館!」と誇らしささえ感じるお得なカップリングであります(笑)。
映画館側は暗くて難解な『ブレードランナー』だけでは客が入らないと心配したのかもしれません。
でも、私としてはテレビでしか見たことなかった『燃えよドラゴン』も一緒に映画館で見られて大満足でした。

『ブレード・ランナー』を初めて観たときは100%内容を理解出来たわけではありません。
しかし、同じリドリー・スコット監督の『エイリアン』と同じく「なんか凄いSF映画を観てしまった気がする」と、よく分からないながらも知的な興奮を感じさせてくれる映画でした。
そして、続けて単純明快な『燃えよドラゴン』を見ることで脳内のバランスがうまく保たれた気がします(笑)。

1985 05 25『ブレードランナー』LDジャケット
大学3回生のときにはレーザーディスクを購入して何度も見返して内容を咀嚼しました。
その後カットされたシーンをいくつか復活させた「完全版」なるものも出てきました。
『ブレード・ランナー』以降、公開時とは異なる編集を加えた「ディレクターズ・カット」とか「完全版」とか「特別編」などと呼ばれるバージョンがビデオで発表される例が増えました。

『ブレードランナー』単なるカメラの赤目現象
また、その頃から「実はデッカードもレプリカントではないか?」説が浮上してきましたが、その根拠は「デッカードの目が一瞬だけレイチェルと同じように赤く映ったから」というものでした。
私は「そんなもん赤いライトがハリソン・フォードの目にも写り込んだだけだろ」と考えていて、私は今でも「デッカードもレプリカントだった」説は否定し続けています。

『ブレードランナー』デッカードとユニコーン
ラストにはガフが残していったユニコーンの折り紙を見てデッカードが何かに気付くシーンがあります。
私はこれを「特捜部はお前がレイチェルに惚れたことを見抜いて警戒しているぞ」というデッカードへのガフの警告(あるいは温情)だと解釈しておりました。

ユニコーンはデッカード自身
その解釈には私なりの根拠があります。
ユニコーンはその見た目と違ってかなり獰猛な生き物だとされていますが、何故か美しい処女には心を許して優しくなるという性癖(笑)があるのです。
ガフは、まだ男を知らないレイチェルに心惹かれたデッカードをユニコーンに見たててあの折り紙を置いたのです。

ところが、スコット監督は後年のディレクターズカット版でデッカードがユニコーンの夢を見る場面をわざわざ追加撮影して挿入しました。
そのたった1カットのために誰の目にも「デッカードも実はレプリカントだった」と見えるように改定してしまったのです。
これは観客から想像力や思考力を奪い、自分の解釈を押し付ける実に野暮な行為です。
『エイリアン』シリーズでも同様ですが、近年のリドリー・スコット監督は自分が過去に監督した作品を私物化しているように見えて不愉快に感じることが多いです。

『ブレードランナー2049』ドゥニ監督・スコットP・ハリソン・ライアン
ちなみに、デッカード役のハリソン・フォード氏は「当時自分はデッカードを人間として演じていた」と公言しています。
ハリソン氏は続編『2049』に出演した時もその件で製作総指揮のスコット監督と言い争いを始めて、間に入った ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督を大層困らせたことがあったとかなかったとか(笑)。

『ブレードランナー』デッカードとレイチェル
私はこれからも「デッカードもレプリカント」説は否定し続けます。
レプリカント同士で逃亡する終わり方よりも人間とレプリカントによる駆け落ちのほうが数倍ロマンチックで感情移入もし易いですし、だからこそ何度も見返したくなる素晴らしい映画になっていたのだと思いますから。



7/27(水)
『グレイマン』🈠
(ホームシアター:NETFLIX)
『グレイマン』ポスター画像(横)
ごく最近配信開始されたばかりの作品ですが、これは面白かった!。
監督は『アベンジャーズ』『キャプテン・アメリカ』のルッソ兄弟。
主演は『ブレード・ランナー2049』『ファースト・マン』のライアン・ゴズリング氏。
非情で野蛮で卑劣な敵役はキャプテン・アメリカ役でお馴染みクリス・エヴァンス氏。
流石はNETFLIX史上最高額の制作費を投じたというだけのことはあります(笑)。
映像も音響も凄く良く出来ていますし、テンポが早い割りにストーリーがすんなり頭に入ってきます。
すでにシリーズ化も決定済みとのことで、これがNETFLIX再興のきっかけになれば良いのですがね。

『グレイマン』ポスター画像(アナ)
あと、主人公に協力する女性CIAエージェント役は『ブレード・ランナー2049』で可憐なA.I.少女を演じたアナ・デ・アルマス嬢!。
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』でも可愛い新人CIAエージェントを演じていましたが、今度のキャラクターも別の方向性で魅力的でした。

アナ嬢はゴズリング氏と『ブレード・ランナー2049』で、エヴァンス氏とは『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』でそれぞれ共演しています。
続編やスピンオフで彼女の活躍を再び見られるのならNETFLIX継続も悪くないと思えました。



7/28(木)
『レッド・ノーティス』🈠
(ホームシアター:NETFLIX)
『レッド・ノーティス』ポスター画像
FBI捜査官と詐欺師と泥棒が手を組んでかつてない強盗計画に挑む姿を描いたアクションエンタテインメント。
本来は劇場公開用として製作されたものの、世界的567パンデミックのため劇場公開を断念し、NETFLIXが権利を買い取って独占配信することになったといういわくがある作品です。

『レッド・ノーティス』3人
見せ場に次ぐ見せ場、逆転に次ぐ逆転、そして最後には大どんでん返しも用意されていて約2時間全く飽きさせません。
出演者はライアン・レイノルズさん、ドウェイン・ジョンソンさん、ガル・ガドットさんと実に豪華。
三人のポジショニングや性格はまるでルパン三世と銭形警部と峰不二子のようであります。
ガル・ガドットさんはワンダーウーマンより本作みたいな悪女役の方が合っている気がしました。
ただし、実は銭形警部に相当するのはインターポールの女性捜査官だったりします。
その点についてはネタバレになるので書きません。

本当に面白いのでNETFLIX加入者は是非見て下さい。



【NETFLIXを解約・・・し損ねました】
NETFLIX 解約
『レッド・ノーティス』観賞後、予定通りすぐNETFLIXの解約手続きを行いましたが、先日の記事に書いたように支払い日の関係でまだ8月24日まで視聴可能になっています。
あと1ヶ月弱視聴可能期間が伸びたので、来月中に「本当はこれも見たかった」という作品を見てしまうつもりです。


<(_ _)>
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
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COMMENTS

2 Comments

There are no comments yet.

へろん  

>人間とレプリカントによる駆け落ちのほうが数倍ロマンチック
おっしゃる通りだと思います。
こうした作品の本来のテーマの一つは、人間とレプリカントの違いは何なのか? だと思います。もちろん物理的にはあるのでしょうが、そこにある「存在」としては最終的には違いがなくなってくるのではないか、だから人間かレプリカントかはもはや問題ではなくなる(どちらでもあり得る)というのが終着点になってくるのだと思います。
作者の意図が伝わらないとすればそれは描く方の責任だと思いますが、一方で新たな想像をも抑制してしまう説明過多というのもどうかと思われます。その境界、さじ加減は難しいですね。


2022/08/01 (Mon) 06:28 | EDIT | REPLY |   
トガジン

トガジン  

へろんさん、コメントありがとうございます。

>新たな想像をも抑制してしまう説明過多

『ブレード・ランナー』におけるリドリー・スコット監督の行為はまさにそれですね。
観客の想像力や思考力を完全に見下しています。

私が初期バージョンの『ブレード・ランナー』を見たとき「あのユニコーンは何を意味しているんだろう?」とLDを何度も見返して自分なりに調べて得た解釈が今回の記事に書いた「ユニコーンは獰猛だが実は美処女に弱い」⇒「凄腕ブレードランナーのデッカードはレイチェルに惚れた」というものでした。
自力でそれに気付いた時ようやく私の中で『ブレード・ランナー』という映画が「ただのカッコ良い映画」から「素晴らしい映画」に昇華したと思っています。

ところがスコット監督が自分が後付けで思いついたアイデアを一方的に押し付けてきたことで、ディレクターズカット版は実に味気ない映画に成り下がってしまいました。
スコット監督は観客の想像力とか思考力といったものを見下している(もしくは信じていない)のかも知れません。
でも、作者が「この映画はこう見るのが正解だ」と言い切ってしまう映画は、それがどんなに面白くても「ああ、そうですか」で終わってしまいます。

スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』が今でも全く色褪せない理由は、(初期案にあった)解説部分を全て削ぎ落して観客の想像力や思考力に解釈を委ねたことにあると思っています。
それはクリエイターにとってとても勇気がいることです。
「難解」とか「つまんない」のひと言で片付けられるかも知れませんし、全然見当違いの解釈をされる恐れもありますから。
リドリー・スコット監督はキューブリック監督に憧れているそうですが、今回のような「解釈の押し付け」に拘るようではキューブリック監督に近づくことなど一生出来ないでしょう。

2022/08/01 (Mon) 22:25 | EDIT | REPLY |   

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