週刊映画鑑賞記(2022.9/19~2022.9/25)
CATEGORY週刊映画鑑賞記
トガジンです。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。

今週は7月末にWOWOWで録画した4K版『平成ガメラ』三部作を3日連続でゆっくり楽しんでおりました。
今回は三作連続観賞に強くこだわったのですが、それには深い理由があります。
これは、以前京都みなみ会館にて開催された「平成ガメラ降臨祭」と、ガメラ生誕55周年記念プロジェクトとして開催された『平成ガメラドルビーシネマ版特別上映」のどちらにも行けなかったことへの精神的リベンジなのです。

京都みなみ会館の「平成ガメラ降臨祭」は、本当なら『大怪獣空中決戦』公開25周年を記念して2020年3月に開催される予定でした。
私も当然「絶対参加したい!」とチケット購入を狙ってましたが、折り悪くちょうど新型567ウィルス感染が広がり始めた時期と重なったため無期延期となってしまったのです。
そして、作年12月にようやく開催されたものの結局チケット争奪戦に敗れて涙を飲んだという淋しい思い出だけが残りました。

更に、2020年秋からは「平成ガメラ三部作4Kドルビーシネマ版」が順次劇場公開されました。
しかし、福井はもちろん北陸圏にはドルビーシネマ対応劇場は無く、高画質&高音質の平成ガメラを楽しむためには京都か大阪へ足を運ぶしかありません。
しかし、その頃もまだ例の新型567ウィルス感染拡大は収まる気配がまるでなく、「3密回避」とか言われて他人との接触が厭われ、日本中でマスクや消毒剤が不足するなどパニック状態が続いていました。
私の周辺でも、何社かのクライアントから「最近2週間以内に県外へ出た者には仕事を発注しない」という勧告が出たくらいです。
そんな中で「映画を見るためだけに感染者の多い京都・大阪へ行った」なんてことがバレたら本当に職を失いかねません。
結局、4Kガメラは一本も見に行くことは出来ませんでした。
「いっそのこと4K UHD-BDを買ってしまおうか?」とまで考え始めたその矢先!。

なんと7月末からWOWOW-4Kで平成ガメラ3部作4K版が放送されることになりました!。
しかも2Kダウンコンバート版も同時放映です。

最初の放送から2ヶ月も経ってしまいましたが、今週ようやく4K版平成『ガメラ』三部作を連日観賞する時間が取れました。
しかも1日に一つの作品を4K版と2K版の両方で視聴、それを3日続けて平成ガメラの世界にどっぷり浸かっておりました。
本当に好きな作品なので飽きることも疲れることも無かったですが、今回は同じ環境で連続視聴したことでいくつか気になる点も見えてきました。
今までは好き過ぎて「アバタもエクボ」状態だったのが、多少は冷静に見られるようになったのかも知れません。
9/19(月)
『ガメラ 大怪獣空中決戦』
(ホームシアター:WOWOW-4K/WOWOWシネマ録画)

27年前の劇場公開時から、映画館・LD・DVD・ブルーレイと何度も見返した対戦型怪獣映画の大傑作。
映画館には計4回見に行きましたし、その後購入したLDはそれこそサルのように何度も何度も見返しました。
当時の東宝「ゴジラVSシリーズ」が’92年の『ゴジラvsモスラ』あたりから年々特撮の手抜きが目立つようになり、’94年の『vsスペースゴジラ』の時には私はもう平成ゴジラに対して内容・特撮ともにすっかり愛想を尽かしておりました。
そんなとき、突如発表されたのがこの『ガメラ 大怪獣空中決戦』だったのです。
しかし、発表当時は新生『ガメラ』に対してまだ懐疑的でした。
今では敬愛してやまない金子修介監督と樋口真嗣特技監督ですが、当時はお二人についての知識がほとんど無かったのです。
失礼ながら「金子修介ってポルノ出身の監督やろ。」「樋口真嗣ってアニメの絵コンテ描いてた人?。特撮監督なんて出来るのか?。」と思いっきり疑っておりました。
それでもメインスタッフの中で唯一人、脚本家の伊藤和典さんにだけは強い信頼感を抱いていました。
『機動警察パトレイバー』劇場版1と2のロジカルで無駄の無い構成とセリフ回しの上手さに心酔していて、その伊藤氏が「ちゃんとした怪獣映画を作りたい」と発言していたことに心強さを感じたのです。

当初、金子監督はあまりの低予算に「一時はパロディ映画にすることも覚悟した」そうですが、完成した伊藤氏の脚本を読んで「これはきちんと映像化されなければならない脚本だ!」と気持ちを奮い起こし、あの見応えある本気の怪獣映画を作り上げたのです。

特撮においても樋口監督は狭いセット内で着ぐるみ怪獣の周辺と前景にのみミニチュアセットを配置するという方法で一つ一つ丹念に特撮ショットを積み重ね、更に人間の視点を終始貫いたことで怪獣の巨大さの表現に成功しています。

ギャオスに襲われた姫神島のオープンセットや福岡や東京のミニチュアセットなどを見ていると、画面の端々から「ああ、俺たちは今怪獣映画を作っているんだ!」というスタッフの喜びが伝わってくるようです。
大ヒットを続ける平成ゴジラがどこかに置き忘れてしまった何かが『ガメラ 大怪獣空中決戦』にはぎっしり詰まっていました。

よく出来た映画ですが、どうしても違和感を禁じ得ない場面があります。
それは、終盤近くのガメラとギャオスの地上戦です。
亀が直立しているガメラと鳥であるギャオスが周囲のビルを破壊しながらどつき合うのですが、これが不自然に見えて仕方ありません。
ガメラが地上戦に持ち込もうとするのはまだ分かりますが、ギャオスにとっては地上での接近戦など不利なだけなのでそれをわざわざ降下してまで受けて立つのは狡猾なギャオスにしては賢くない選択です。
金子監督か樋口特技監督がどうしても怪獣プロレスをやりたかっただけなのか?。
それとも、頭の固い大映上層部や旧作関係者から強要されたのか?。
いずれにせよ、この映画の中で最も論理的でない場面です。
しかし、この怪獣プロレスシーンが4年後の『邪神<イリス>覚醒』の伏線として活用されることになります。
9/20(火)
『ガメラ2 レギオン襲来』
(ホームシアター:WOWOW-4K/WOWOWシネマ録画)

翌日は『ガメラ2 レギオン襲来』を鑑賞。
前作『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、「こんな怪獣映画が見たかった!」と私の全細胞を喜ばせてくれた傑作怪獣映画でした。
その続編『レギオン襲来』も決して期待を裏切ることはなく、むしろあらゆる部分でパワーアップしていました。

特に仙台市消滅シーンは「たかが怪獣映画でここまでやるか?」と、この映画の本気度に鳥肌が立ったほどでした。
仙台市では、自分たちの街が徹底的に破壊されるこの場面を見て大喜びした人が多かったそうです。
逆に素通りされた青森の人たちは「札幌の次ならウチだろう!」と抗議したとか・・・。
そんな東北の人たちの酔狂さ(もちろん褒めてます、ていうか尊敬します)が羨ましくさえ思いました。
これがもし、福井だったらたぶん「縁起でもない!」と撮影拒否したと思います。
(福井は原発がたくさんあるため神経質になりがちなのです)
『ガメラ2 レギオン襲来』の好きな箇所をひとつひとつ挙げていたら枚挙にいとまがありません。
まず予告編からして最高にカッコ良い!。
ラスト以外の全ストーリーが凝縮されてますが(汗)、それでも期待値が上がることはあっても本編観賞時の印象が薄くなることはありません。
私は今でもこの予告編だけでごはん3杯はおかわりいけます(笑)。

前作『大怪獣空中決戦』でもギャオスの生物としての特異性をしっかり描いて見せたことで怪獣映画としてのリアリティを確立していましたが、今回のレギオンも昆虫に近い宇宙怪獣という生態設定がとても理に適っています。
レギオンには「種の存続と拡散」という本能以外何もありません。
この映画で描かれているのは、地球の在来種(人類とガメラ)と外来種(レギオン)による生存権争いなのです。
人間にも「愛のために」なんて甘っちょろいヒロイズムが入り込む余地はありません。
レギオンに対抗し得る戦力を持つ自衛隊も、事情を知った民間人も、自分が出来ることを全力で成そうとするだけです。

それでいて、登場人物に魅力が無いわけでは決してありません。
最終防衛戦直前、穂波(演:水野美紀)が渡良瀬(演:永島敏行)に対し「ご無事で」と送り出すシーンでは穂波が渡良瀬にほのかな想いを抱いているようにも見えますが、そこを「そう見える」程度の淡い表現に留めているのがクールです。

あと、作戦前の渡良瀬と花谷(演:石橋保)、そして帯津(演:吹越満)の3人の会話が何度見ても胸アツなのです。
帯津「通信波で小型レギオンを誘導出来るはずです。」
渡良瀬「ありがとうございます。あとは我々の仕事です。安全な場所に退避してください。」
帯津「せめて戦況が分かるところにいたいのですが。」
渡良瀬「(部下に)栗橋通信所にご案内しろ!。」

花谷「帯津さん、これが済んだらおごらせてください。」
帯津「喜んで!。」
このやり取りだけで、彼らが自衛隊員と民間人と立場は違えど互いに心で繋がった戦友同士であることがヒシヒシと伝わってきます。
そしてその後、帯津は本当に小型レギオンの群れをガメラから引き離すことを命懸けで成功させてくれました。
民間人である帯津の機転により自衛隊が小型レギオンの群れを殲滅させてガメラを助けるこの一連の流れは、これまであった全ての怪獣映画の中で最高の人間と怪獣の共闘シーンです。

あと、ガメラがレギオン阻止のために戦っていることをようやく理解した師団長が「レギオンの頭部に火力を集中しガメラを援護せよ!」と命令した瞬間には、「いいぞ師団長!いよっ千両役者!」というプラス感情と「やっと分かったかこの石頭!」というマイナス感情が私の脳内で入り乱れておりました(笑)。

この映画で気になるところがあるとすれば、ヒロインの穂波が何故かレギオンについてやたら詳しくて便利なキャラクターになっていたことくらいでしょうか。
もう少し帯津や花谷と役割分担させても良かった気がします。
『ガメラ2 レギオン襲来』については書きたいポイントが多過ぎて、短くまとめるなどとても無理です。
いつか必ず単独のレビュー記事として書き記したいと考えています。
しかし、今はまだ好きすぎてどこからどう手を付けていいか考えがまとまらない状況だったりします(汗)。
9/21(水)
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』
(ホームシアター:WOWOW-4K/WOWOWシネマ録画)

確か『レギオン襲来』のパンフレットに書かれていたコメントだったと思いますが、脚本の伊藤和典氏は「平成ガメラは三部作になる。『レギオン襲来』は<序・破・急>の<破>だ。」とおっしゃっていました。
この<序・破・急>という言葉は『新劇場版ヱヴァンゲリヲン』ですっかり有名になりましたが、私は『スター・ウォーズ』オリジナル三部作のときに知りました。
1作目で描かれた勝利の喜びが2作目『帝国の逆襲』で一度逆転されて3作目『ジェダイの復讐』で最終的な結末を迎るというあの構成が<序・破・急>です。

前作『レギオン襲来』ラストの穂波と帯津のやり取りは、まさに最終作への前フリそのものでした。
穂波「ガメラが救ったのは人間じゃないと思う。この星の生態系なんじゃないかな?。」
帯津「それじゃ、もし人間が生態系の破壊を続けたら・・・。」
穂波「ガメラの敵にはなりたくないよね。」
穂波の最後のひと言は結構ズシンとくるものがありました。

ところが、今作では前作ラストで仄めかした「環境破壊を続ける人間にガメラが牙をむく」という展開にはなりませんでした。
確かに渋谷のシーンではギャオス撃滅のために大勢の人間が犠牲となっても意に介さないガメラが描かれましたが、あれは人間を敵と認識しているわけではありません。
この点では大きく肩透かしを喰らった気がしました。

しかし、「ガメラが人類の敵にならなかった」点を除けば前作・前々作との繋がりは本当によく出来ていると思います。
前作ラストで、ガメラは地球全体からマナエネルギーを集めて元気玉・・・じゃなくてウルティメイトプラズマを撃って辛うじてレギオン撃退に成功します。
「オラに元気を分けてくれ!」ってな感じのガメラ最終兵器でしたが、実はあれも3作目に続く伏線でした。
人間による環境破壊のせいで地球のマナエネルギーが減少したことがギャオス復活の原因だったというのに、レギオン撃退のために今度はガメラが大量のマナエネルギーを消費したため、一作目のラストで警告された「世界中でギャオスが大量発生する可能性」が現実のものとなったのです。

さらに1作目でガメラとギャオスは地上で格闘戦をしてましたが、そのさ中で犠牲になった一般人も大勢いました。
3作目では、その遺族の少女がガメラを逆恨みするという禁断のテーマにも挑んでいます。
『大怪獣空中決戦』の項で「ガメラとギャオスの怪獣プロレスシーンは無理がある」と書きましたが、こうしてみるとあれも3作目への伏線だったのかも知れません(笑)。
しかし・・・。
『邪神<イリス>覚醒』は前作から時間が空き過ぎたせいなのか伊藤和典さんの脚本に乱れを感じます。
緻密に組み上げたロジック内に映画的ウソを巧みに盛り込み、心情的な部分とか映像面を優先すべき部分は演出に任せるというペシミスティックさが伊藤脚本の持ち味だと思っていました。
ところが本作では、登場人物がやけに感情的なセリフを口にしたり、ベラベラとよく喋る解説役の変なキャラクターが登場したりと、前2作や『劇場版 機動警察パトレイバー』と同じ脚本家とは思えないチグハグな部分が目立ちます。

また、前半で意味ありげに登場した美少女(演:安藤希)やいじめっ子3人娘も途中からパッタリ登場しなくなります。
「何かおかしいぞ」と思って2回目を見た時、共同脚本として金子監督の名がクレジットされていることに気付きました。
監督がやりたいこと、あるいはやらなければならないことが増えてしまったためでしょうか?。
あるいはスポンサーやプロデューサーからの外圧や横槍が多過ぎて物語が破綻してしまったのでしょうか?。

それらを統合するためか、あの珍妙なゲーム作家の倉田真也(演:手塚まこと)が解説役として大活躍します。
前作『レギオン襲来』でもヒロインの穂波がやたらレギオンの生態に詳し過ぎることに若干違和感がありましたが、倉田はまるで古代文明から続く世界の成り立ちからガメラやイリスとの関係も全て知っているかのようにドヤ顔でベラベラとよく喋ります。
しかも目つきや喋り方が異常者そのもので、さらに右手をフラフラ動かす特徴的なオーズで喋るため変な意味で存在感が強くなり過ぎてました。
そのため、ガメラを憎む少女という今回の最重要キャラ:比良坂綾奈(演:前田愛)の存在感も霞んでしまい、後半の綾奈はほとんど自意識の無い状態のままでラストを迎えます。
映画の後半は倉田の解説がうるさ過ぎてもはや「物語」ではなくなっていました。

あと、新登場の朝倉美都(演:山咲千里)のポジションもよく分かりません。
日本には風水とか陰陽道とかを司る裏政府があるとも言われていますが、彼女はそこに所属していてその管理下には後にイリスと呼ばれる新怪獣の存在も含まれていたということでしょうか?。
そのイリスと交信する巫女の役目は本来は朝倉のはずだったのに、そこにガメラを憎む綾奈が割り込んでしまった?。
倉田のドヤ顔解説から「そういう話かな」と自分なりに解釈してはいるのですが、とにかくこの女優があまりにもセリフ棒読みで下手糞なため何度見ても違和感しかありません。
『2』から『3』の公開までは3年もの月日が流れています。
そのせいか、全2作までの世界観からかなり乖離したオカルティックなものに変わっていて、伊藤脚本のロジックも崩れがちになっています。
あくまで私個人の考えですが、これは脚本家の伊藤氏が迷ってしまったのではなく製作上層部の横槍が増えたことが混乱の原因ではないかと思っています。

私がそう考える根拠は、当時見た『3』のメイキングビデオ『GAMERA1999』(監督はなんと庵野秀明氏!)にあります。
プロデューサーの一人が「3作目には草薙浅黄(演:藤谷文子)はいらない」と言ったことに金子監督が猛反対したことをこのプロデューサーが根に持って、このメイキングビデオでは金子監督の本編班と樋口特技監督の特撮班が対立しているかのように描写させ、しかも金子監督を悪者扱いするという嫌がらせ行為をしていたそうです。
そんな不協和音があっては作品の軸がブレてしまうのも当然です。
現に伊藤氏は『ガメラ3』については多くを語ろうとしていません。
平成『ガメラ』1と2は公開時の成績こそ振るわなかったものの、その後熱心なファン(私も含む)の強い要望があったこととビデオやLDをはじめフィギュアなど各種グッズが売れたことから3作目の製作が実現したとのことです。
そこに一介のプロデューサーが自分もいっちょかみして「あの場面は俺が作らせたんだぜ」とか言ってみたくなったのかも知れません。
最初に『邪神<イリス>覚醒』を見たときにはそのバランスの悪さに頭を傾げずにいられませんでしたが、後からそうした裏事情を知って「なるほど」と思いました。
もし、『2』の翌年くらいに『3』が作られていたとしたらそんな混乱は起きなかったかも知れません。
最後に、公開当時と現在で大きく見え方が違った点を一つ。

イリスは綾奈の負の心を感知して覚醒し、彼女が住む奈良県 南明日香村の住人たちからミイラ状態になるまで生気を吸い尽くして巨大化していきました。
しかし、どうしてその犠牲者の中に綾奈とその弟をいじめていた女生徒3人組が含まれていないのかが疑問でした。
綾奈に好意的だった従兄弟も、近くに遊びに来ていただけの関係ない美少女までもがイリスの犠牲になったというのに、綾奈が最も厭わしく思っていたであろうあの3人がイリスに殺される場面が出てこなかったことを物足りなく感じたのです。

今回久し振りに見返してその理由が分かりました。
イリスが無差別に人を襲ったのはあくまでもイリスの本能によるものであって決して綾奈の意志ではありません。
しかし、もしあの三人がイリスに襲われて恐れおののきながら殺されるところを描いて見せれば観客の溜飲はさがるでしょうが、それと同時に「綾奈はイリスと完全に同化した」と思われてしまうでしょう。
そうなると、ラストで綾奈の心の救済を描くことが出来なくなってしまいます。
金子監督があえてあの三人組のその後を描かなかったのは、綾奈を闇堕ちさせないためだったのですね。
1999年当時の私は、仕事やプライベートで仕事上の不安とか人間関係の煩わしさに(それこそ綾奈のように)気持ちが荒んでいた時期でした。
そのため、あの不愉快な女生徒たちの無残な死に様を心の底で望んでいたのだと思います。
今はそれなりに平穏な生活をしてるおかげでそんな気持ちにはなりませんが、それでも嫌な奴には(死なないまでも)なんらかのペナルティを課して欲しかったです。

『レギオン襲来』と同じく、『邪神<イリス>覚醒』もいつか単独の記事としてまとめたいと考えています。
この『ガメラ3』は同じ金子修介監督の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』と深い繋がりがあると考えていて、『ガメラ3』を消化しなければ現在更新がストップしているゴジラシリーズ全作品レビューの『GMK』にも進めないのです。

こうして三部作を続けて見たら、今度は落語家の林家しん平さんが自主制作した『ガメラ4-真実-』も見たくなりますね。
金子修介監督によれば、内容的には実際に『ガメラ4』として構想されていたものにとても近いそうです。
版権の関係で「料金授受を行わない」という条件付きで制作許可を受けた作品であるためDVDやブルーレイが発売されることは決して無く、どこかで無料上映会を見つけてそこに足を運ぶしかないというのが厳しいところです。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。

今週は7月末にWOWOWで録画した4K版『平成ガメラ』三部作を3日連続でゆっくり楽しんでおりました。
今回は三作連続観賞に強くこだわったのですが、それには深い理由があります。
これは、以前京都みなみ会館にて開催された「平成ガメラ降臨祭」と、ガメラ生誕55周年記念プロジェクトとして開催された『平成ガメラドルビーシネマ版特別上映」のどちらにも行けなかったことへの精神的リベンジなのです。

京都みなみ会館の「平成ガメラ降臨祭」は、本当なら『大怪獣空中決戦』公開25周年を記念して2020年3月に開催される予定でした。
私も当然「絶対参加したい!」とチケット購入を狙ってましたが、折り悪くちょうど新型567ウィルス感染が広がり始めた時期と重なったため無期延期となってしまったのです。
そして、作年12月にようやく開催されたものの結局チケット争奪戦に敗れて涙を飲んだという淋しい思い出だけが残りました。

更に、2020年秋からは「平成ガメラ三部作4Kドルビーシネマ版」が順次劇場公開されました。
しかし、福井はもちろん北陸圏にはドルビーシネマ対応劇場は無く、高画質&高音質の平成ガメラを楽しむためには京都か大阪へ足を運ぶしかありません。
しかし、その頃もまだ例の新型567ウィルス感染拡大は収まる気配がまるでなく、「3密回避」とか言われて他人との接触が厭われ、日本中でマスクや消毒剤が不足するなどパニック状態が続いていました。
私の周辺でも、何社かのクライアントから「最近2週間以内に県外へ出た者には仕事を発注しない」という勧告が出たくらいです。
そんな中で「映画を見るためだけに感染者の多い京都・大阪へ行った」なんてことがバレたら本当に職を失いかねません。
結局、4Kガメラは一本も見に行くことは出来ませんでした。
「いっそのこと4K UHD-BDを買ってしまおうか?」とまで考え始めたその矢先!。

なんと7月末からWOWOW-4Kで平成ガメラ3部作4K版が放送されることになりました!。
しかも2Kダウンコンバート版も同時放映です。

最初の放送から2ヶ月も経ってしまいましたが、今週ようやく4K版平成『ガメラ』三部作を連日観賞する時間が取れました。
しかも1日に一つの作品を4K版と2K版の両方で視聴、それを3日続けて平成ガメラの世界にどっぷり浸かっておりました。
本当に好きな作品なので飽きることも疲れることも無かったですが、今回は同じ環境で連続視聴したことでいくつか気になる点も見えてきました。
今までは好き過ぎて「アバタもエクボ」状態だったのが、多少は冷静に見られるようになったのかも知れません。
9/19(月)
『ガメラ 大怪獣空中決戦』
(ホームシアター:WOWOW-4K/WOWOWシネマ録画)

27年前の劇場公開時から、映画館・LD・DVD・ブルーレイと何度も見返した対戦型怪獣映画の大傑作。
映画館には計4回見に行きましたし、その後購入したLDはそれこそサルのように何度も何度も見返しました。
当時の東宝「ゴジラVSシリーズ」が’92年の『ゴジラvsモスラ』あたりから年々特撮の手抜きが目立つようになり、’94年の『vsスペースゴジラ』の時には私はもう平成ゴジラに対して内容・特撮ともにすっかり愛想を尽かしておりました。
そんなとき、突如発表されたのがこの『ガメラ 大怪獣空中決戦』だったのです。
しかし、発表当時は新生『ガメラ』に対してまだ懐疑的でした。
今では敬愛してやまない金子修介監督と樋口真嗣特技監督ですが、当時はお二人についての知識がほとんど無かったのです。
失礼ながら「金子修介ってポルノ出身の監督やろ。」「樋口真嗣ってアニメの絵コンテ描いてた人?。特撮監督なんて出来るのか?。」と思いっきり疑っておりました。
それでもメインスタッフの中で唯一人、脚本家の伊藤和典さんにだけは強い信頼感を抱いていました。
『機動警察パトレイバー』劇場版1と2のロジカルで無駄の無い構成とセリフ回しの上手さに心酔していて、その伊藤氏が「ちゃんとした怪獣映画を作りたい」と発言していたことに心強さを感じたのです。

当初、金子監督はあまりの低予算に「一時はパロディ映画にすることも覚悟した」そうですが、完成した伊藤氏の脚本を読んで「これはきちんと映像化されなければならない脚本だ!」と気持ちを奮い起こし、あの見応えある本気の怪獣映画を作り上げたのです。

特撮においても樋口監督は狭いセット内で着ぐるみ怪獣の周辺と前景にのみミニチュアセットを配置するという方法で一つ一つ丹念に特撮ショットを積み重ね、更に人間の視点を終始貫いたことで怪獣の巨大さの表現に成功しています。

ギャオスに襲われた姫神島のオープンセットや福岡や東京のミニチュアセットなどを見ていると、画面の端々から「ああ、俺たちは今怪獣映画を作っているんだ!」というスタッフの喜びが伝わってくるようです。
大ヒットを続ける平成ゴジラがどこかに置き忘れてしまった何かが『ガメラ 大怪獣空中決戦』にはぎっしり詰まっていました。

よく出来た映画ですが、どうしても違和感を禁じ得ない場面があります。
それは、終盤近くのガメラとギャオスの地上戦です。
亀が直立しているガメラと鳥であるギャオスが周囲のビルを破壊しながらどつき合うのですが、これが不自然に見えて仕方ありません。
ガメラが地上戦に持ち込もうとするのはまだ分かりますが、ギャオスにとっては地上での接近戦など不利なだけなのでそれをわざわざ降下してまで受けて立つのは狡猾なギャオスにしては賢くない選択です。
金子監督か樋口特技監督がどうしても怪獣プロレスをやりたかっただけなのか?。
それとも、頭の固い大映上層部や旧作関係者から強要されたのか?。
いずれにせよ、この映画の中で最も論理的でない場面です。
しかし、この怪獣プロレスシーンが4年後の『邪神<イリス>覚醒』の伏線として活用されることになります。
9/20(火)
『ガメラ2 レギオン襲来』
(ホームシアター:WOWOW-4K/WOWOWシネマ録画)

翌日は『ガメラ2 レギオン襲来』を鑑賞。
前作『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、「こんな怪獣映画が見たかった!」と私の全細胞を喜ばせてくれた傑作怪獣映画でした。
その続編『レギオン襲来』も決して期待を裏切ることはなく、むしろあらゆる部分でパワーアップしていました。

特に仙台市消滅シーンは「たかが怪獣映画でここまでやるか?」と、この映画の本気度に鳥肌が立ったほどでした。
仙台市では、自分たちの街が徹底的に破壊されるこの場面を見て大喜びした人が多かったそうです。
逆に素通りされた青森の人たちは「札幌の次ならウチだろう!」と抗議したとか・・・。
そんな東北の人たちの酔狂さ(もちろん褒めてます、ていうか尊敬します)が羨ましくさえ思いました。
これがもし、福井だったらたぶん「縁起でもない!」と撮影拒否したと思います。
(福井は原発がたくさんあるため神経質になりがちなのです)
『ガメラ2 レギオン襲来』の好きな箇所をひとつひとつ挙げていたら枚挙にいとまがありません。
まず予告編からして最高にカッコ良い!。
ラスト以外の全ストーリーが凝縮されてますが(汗)、それでも期待値が上がることはあっても本編観賞時の印象が薄くなることはありません。
私は今でもこの予告編だけでごはん3杯はおかわりいけます(笑)。

前作『大怪獣空中決戦』でもギャオスの生物としての特異性をしっかり描いて見せたことで怪獣映画としてのリアリティを確立していましたが、今回のレギオンも昆虫に近い宇宙怪獣という生態設定がとても理に適っています。
レギオンには「種の存続と拡散」という本能以外何もありません。
この映画で描かれているのは、地球の在来種(人類とガメラ)と外来種(レギオン)による生存権争いなのです。
人間にも「愛のために」なんて甘っちょろいヒロイズムが入り込む余地はありません。
レギオンに対抗し得る戦力を持つ自衛隊も、事情を知った民間人も、自分が出来ることを全力で成そうとするだけです。


それでいて、登場人物に魅力が無いわけでは決してありません。
最終防衛戦直前、穂波(演:水野美紀)が渡良瀬(演:永島敏行)に対し「ご無事で」と送り出すシーンでは穂波が渡良瀬にほのかな想いを抱いているようにも見えますが、そこを「そう見える」程度の淡い表現に留めているのがクールです。

あと、作戦前の渡良瀬と花谷(演:石橋保)、そして帯津(演:吹越満)の3人の会話が何度見ても胸アツなのです。
帯津「通信波で小型レギオンを誘導出来るはずです。」
渡良瀬「ありがとうございます。あとは我々の仕事です。安全な場所に退避してください。」
帯津「せめて戦況が分かるところにいたいのですが。」
渡良瀬「(部下に)栗橋通信所にご案内しろ!。」


花谷「帯津さん、これが済んだらおごらせてください。」
帯津「喜んで!。」
このやり取りだけで、彼らが自衛隊員と民間人と立場は違えど互いに心で繋がった戦友同士であることがヒシヒシと伝わってきます。
そしてその後、帯津は本当に小型レギオンの群れをガメラから引き離すことを命懸けで成功させてくれました。
民間人である帯津の機転により自衛隊が小型レギオンの群れを殲滅させてガメラを助けるこの一連の流れは、これまであった全ての怪獣映画の中で最高の人間と怪獣の共闘シーンです。

あと、ガメラがレギオン阻止のために戦っていることをようやく理解した師団長が「レギオンの頭部に火力を集中しガメラを援護せよ!」と命令した瞬間には、「いいぞ師団長!いよっ千両役者!」というプラス感情と「やっと分かったかこの石頭!」というマイナス感情が私の脳内で入り乱れておりました(笑)。

この映画で気になるところがあるとすれば、ヒロインの穂波が何故かレギオンについてやたら詳しくて便利なキャラクターになっていたことくらいでしょうか。
もう少し帯津や花谷と役割分担させても良かった気がします。
『ガメラ2 レギオン襲来』については書きたいポイントが多過ぎて、短くまとめるなどとても無理です。
いつか必ず単独のレビュー記事として書き記したいと考えています。
しかし、今はまだ好きすぎてどこからどう手を付けていいか考えがまとまらない状況だったりします(汗)。
9/21(水)
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』
(ホームシアター:WOWOW-4K/WOWOWシネマ録画)

確か『レギオン襲来』のパンフレットに書かれていたコメントだったと思いますが、脚本の伊藤和典氏は「平成ガメラは三部作になる。『レギオン襲来』は<序・破・急>の<破>だ。」とおっしゃっていました。
この<序・破・急>という言葉は『新劇場版ヱヴァンゲリヲン』ですっかり有名になりましたが、私は『スター・ウォーズ』オリジナル三部作のときに知りました。
1作目で描かれた勝利の喜びが2作目『帝国の逆襲』で一度逆転されて3作目『ジェダイの復讐』で最終的な結末を迎るというあの構成が<序・破・急>です。

前作『レギオン襲来』ラストの穂波と帯津のやり取りは、まさに最終作への前フリそのものでした。
穂波「ガメラが救ったのは人間じゃないと思う。この星の生態系なんじゃないかな?。」
帯津「それじゃ、もし人間が生態系の破壊を続けたら・・・。」
穂波「ガメラの敵にはなりたくないよね。」
穂波の最後のひと言は結構ズシンとくるものがありました。

ところが、今作では前作ラストで仄めかした「環境破壊を続ける人間にガメラが牙をむく」という展開にはなりませんでした。
確かに渋谷のシーンではギャオス撃滅のために大勢の人間が犠牲となっても意に介さないガメラが描かれましたが、あれは人間を敵と認識しているわけではありません。
この点では大きく肩透かしを喰らった気がしました。

しかし、「ガメラが人類の敵にならなかった」点を除けば前作・前々作との繋がりは本当によく出来ていると思います。
前作ラストで、ガメラは地球全体からマナエネルギーを集めて元気玉・・・じゃなくてウルティメイトプラズマを撃って辛うじてレギオン撃退に成功します。
「オラに元気を分けてくれ!」ってな感じのガメラ最終兵器でしたが、実はあれも3作目に続く伏線でした。
人間による環境破壊のせいで地球のマナエネルギーが減少したことがギャオス復活の原因だったというのに、レギオン撃退のために今度はガメラが大量のマナエネルギーを消費したため、一作目のラストで警告された「世界中でギャオスが大量発生する可能性」が現実のものとなったのです。

さらに1作目でガメラとギャオスは地上で格闘戦をしてましたが、そのさ中で犠牲になった一般人も大勢いました。
3作目では、その遺族の少女がガメラを逆恨みするという禁断のテーマにも挑んでいます。
『大怪獣空中決戦』の項で「ガメラとギャオスの怪獣プロレスシーンは無理がある」と書きましたが、こうしてみるとあれも3作目への伏線だったのかも知れません(笑)。
しかし・・・。
『邪神<イリス>覚醒』は前作から時間が空き過ぎたせいなのか伊藤和典さんの脚本に乱れを感じます。
緻密に組み上げたロジック内に映画的ウソを巧みに盛り込み、心情的な部分とか映像面を優先すべき部分は演出に任せるというペシミスティックさが伊藤脚本の持ち味だと思っていました。
ところが本作では、登場人物がやけに感情的なセリフを口にしたり、ベラベラとよく喋る解説役の変なキャラクターが登場したりと、前2作や『劇場版 機動警察パトレイバー』と同じ脚本家とは思えないチグハグな部分が目立ちます。

また、前半で意味ありげに登場した美少女(演:安藤希)やいじめっ子3人娘も途中からパッタリ登場しなくなります。
「何かおかしいぞ」と思って2回目を見た時、共同脚本として金子監督の名がクレジットされていることに気付きました。
監督がやりたいこと、あるいはやらなければならないことが増えてしまったためでしょうか?。
あるいはスポンサーやプロデューサーからの外圧や横槍が多過ぎて物語が破綻してしまったのでしょうか?。

それらを統合するためか、あの珍妙なゲーム作家の倉田真也(演:手塚まこと)が解説役として大活躍します。
前作『レギオン襲来』でもヒロインの穂波がやたらレギオンの生態に詳し過ぎることに若干違和感がありましたが、倉田はまるで古代文明から続く世界の成り立ちからガメラやイリスとの関係も全て知っているかのようにドヤ顔でベラベラとよく喋ります。
しかも目つきや喋り方が異常者そのもので、さらに右手をフラフラ動かす特徴的なオーズで喋るため変な意味で存在感が強くなり過ぎてました。
そのため、ガメラを憎む少女という今回の最重要キャラ:比良坂綾奈(演:前田愛)の存在感も霞んでしまい、後半の綾奈はほとんど自意識の無い状態のままでラストを迎えます。
映画の後半は倉田の解説がうるさ過ぎてもはや「物語」ではなくなっていました。

あと、新登場の朝倉美都(演:山咲千里)のポジションもよく分かりません。
日本には風水とか陰陽道とかを司る裏政府があるとも言われていますが、彼女はそこに所属していてその管理下には後にイリスと呼ばれる新怪獣の存在も含まれていたということでしょうか?。
そのイリスと交信する巫女の役目は本来は朝倉のはずだったのに、そこにガメラを憎む綾奈が割り込んでしまった?。
倉田のドヤ顔解説から「そういう話かな」と自分なりに解釈してはいるのですが、とにかくこの女優があまりにもセリフ棒読みで下手糞なため何度見ても違和感しかありません。
『2』から『3』の公開までは3年もの月日が流れています。
そのせいか、全2作までの世界観からかなり乖離したオカルティックなものに変わっていて、伊藤脚本のロジックも崩れがちになっています。
あくまで私個人の考えですが、これは脚本家の伊藤氏が迷ってしまったのではなく製作上層部の横槍が増えたことが混乱の原因ではないかと思っています。

私がそう考える根拠は、当時見た『3』のメイキングビデオ『GAMERA1999』(監督はなんと庵野秀明氏!)にあります。
プロデューサーの一人が「3作目には草薙浅黄(演:藤谷文子)はいらない」と言ったことに金子監督が猛反対したことをこのプロデューサーが根に持って、このメイキングビデオでは金子監督の本編班と樋口特技監督の特撮班が対立しているかのように描写させ、しかも金子監督を悪者扱いするという嫌がらせ行為をしていたそうです。
そんな不協和音があっては作品の軸がブレてしまうのも当然です。
現に伊藤氏は『ガメラ3』については多くを語ろうとしていません。
平成『ガメラ』1と2は公開時の成績こそ振るわなかったものの、その後熱心なファン(私も含む)の強い要望があったこととビデオやLDをはじめフィギュアなど各種グッズが売れたことから3作目の製作が実現したとのことです。
そこに一介のプロデューサーが自分もいっちょかみして「あの場面は俺が作らせたんだぜ」とか言ってみたくなったのかも知れません。
最初に『邪神<イリス>覚醒』を見たときにはそのバランスの悪さに頭を傾げずにいられませんでしたが、後からそうした裏事情を知って「なるほど」と思いました。
もし、『2』の翌年くらいに『3』が作られていたとしたらそんな混乱は起きなかったかも知れません。
最後に、公開当時と現在で大きく見え方が違った点を一つ。

イリスは綾奈の負の心を感知して覚醒し、彼女が住む奈良県 南明日香村の住人たちからミイラ状態になるまで生気を吸い尽くして巨大化していきました。
しかし、どうしてその犠牲者の中に綾奈とその弟をいじめていた女生徒3人組が含まれていないのかが疑問でした。
綾奈に好意的だった従兄弟も、近くに遊びに来ていただけの関係ない美少女までもがイリスの犠牲になったというのに、綾奈が最も厭わしく思っていたであろうあの3人がイリスに殺される場面が出てこなかったことを物足りなく感じたのです。

今回久し振りに見返してその理由が分かりました。
イリスが無差別に人を襲ったのはあくまでもイリスの本能によるものであって決して綾奈の意志ではありません。
しかし、もしあの三人がイリスに襲われて恐れおののきながら殺されるところを描いて見せれば観客の溜飲はさがるでしょうが、それと同時に「綾奈はイリスと完全に同化した」と思われてしまうでしょう。
そうなると、ラストで綾奈の心の救済を描くことが出来なくなってしまいます。
金子監督があえてあの三人組のその後を描かなかったのは、綾奈を闇堕ちさせないためだったのですね。
1999年当時の私は、仕事やプライベートで仕事上の不安とか人間関係の煩わしさに(それこそ綾奈のように)気持ちが荒んでいた時期でした。
そのため、あの不愉快な女生徒たちの無残な死に様を心の底で望んでいたのだと思います。
今はそれなりに平穏な生活をしてるおかげでそんな気持ちにはなりませんが、それでも嫌な奴には(死なないまでも)なんらかのペナルティを課して欲しかったです。

『レギオン襲来』と同じく、『邪神<イリス>覚醒』もいつか単独の記事としてまとめたいと考えています。
この『ガメラ3』は同じ金子修介監督の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』と深い繋がりがあると考えていて、『ガメラ3』を消化しなければ現在更新がストップしているゴジラシリーズ全作品レビューの『GMK』にも進めないのです。

こうして三部作を続けて見たら、今度は落語家の林家しん平さんが自主制作した『ガメラ4-真実-』も見たくなりますね。
金子修介監督によれば、内容的には実際に『ガメラ4』として構想されていたものにとても近いそうです。
版権の関係で「料金授受を行わない」という条件付きで制作許可を受けた作品であるためDVDやブルーレイが発売されることは決して無く、どこかで無料上映会を見つけてそこに足を運ぶしかないというのが厳しいところです。
今週もお付き合いいただきありがとうございました。
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