『宇宙戦艦ヤマト』第一作 ~書籍版ヤマト補完計画~

10月6日から一ヶ月以上に渡り、毎週私なりの『宇宙戦艦ヤマト』偏愛記事(笑)を書き続けて参りました。
今回、松本零士先生の漫画版を始め小説やムック本など各種書籍媒体について書いて終わりとします。
ただし、既に手元には無い本や知人に借りて読んだ本、あと立ち読みした本については記憶を頼りに書いておりますので間違っている部分があるかも知れません。
また、一部の漫画や小説についてはネタバレを含んでいる記事があります。
以上2点を予めご了承願います。
【冒険王】

まずは、当時秋田書店の月刊誌「冒険王」に連載されていた松本零士先生によるコミカライズ版の話から。
数年前、連載当時のカラーページから煽り文章まで再現した復刻版コミックが発売されました。
以下の「冒険王」掲載コミックの写真はこの本から引用したものです。

小学生の頃、毎月通っていた散髪屋の待合席には、そこの息子さんが相当な漫画好きだったらしく「少年サンデー」や「少年マガジン」などの漫画雑誌が置かれていて、それらに混じって「冒険王」も置いてありました。
ただし、それらの雑誌が待合室の棚に置かれるのは息子さんが完全に読み終わってからなので、どれも発売されてから数週間経ったものばかりだったと思います。
それでも、普段は漫画本など滅多に買ってもらえない小学生にとってその散髪屋さんはパラダイスそのものでした(笑)。
私は毎月散髪へ行くたびに、そこで一ヶ月分の漫画誌をまとめ読みすることを楽しみにしていました。
自分の番を待つ間はもちろんのこと、髪を切ってもらっている間もずっと漫画本を手離さなかったですし、散髪が終わってからも読み残しが無いよう長時間居座っておりました。
今思えば漫画喫茶みたいなことをしていたわけで、その散髪屋さんにはずいぶんご迷惑をかけていた気がします(汗)。

「冒険王」昭和49年10月号に載っていた新番組紹介ページで『宇宙戦艦ヤマト』のことを知ったのもその散髪屋さんでした。
それまでにない繊細なキャラクターと、やたらリアルな宇宙船の絵が私の心に刺さりました。
この絵を見たのはアニメ放送開始の10日ほど前だったと記憶しています。
そして、その数日後『侍ジャイアンツ』最終回の最後に流れた予告で次の番組が『宇宙戦艦ヤマト』であることを知りました。

松本零士先生の手による漫画版『宇宙戦艦ヤマト』連載開始は「冒険王」昭和49年11月号からです。

『宇宙戦艦ヤマト』は私が初めて読んだ松本漫画でもありました。
壁一面に無数のアナログメーターが埋め込まれた宇宙船内部や地下都市司令部が物凄くカッコ良く見えたものです。

漫画版第一回の内容はTVアニメ第1話とほぼ同じで、ラストも干からびた地表に佇む旧・戦艦大和の残骸を古代と島が見つけて驚くシーンで終わります。
ただし、前述したように私が散髪屋で漫画雑誌を読めるのは発売から数週間経ってからであり、私がこの第1話を読んだときにはアニメのヤマトはすでに発進済みでした。
それでも、まだビデオなど無かった時代のことです。
TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』にどっぷりハマっていた私としては「あ、1話目がそのまんま描いてある。」と、以前の話を誌上で追体験できることを楽しんでおりました。

しかし、「冒険王」は月刊誌だったため松本先生の漫画版は進行がひどく遅かったです。
ヤマトが発進する第2回を読んだのは放送開始からもう2ヶ月以上経ってからでした。
「こんな遅いペースでTVに追いつけるのかな?。」と子供心にも心配になりました。

私の心配は的中しました。
第3回でワープテストと波動砲試射を終えて「次は冥王星の反射衛星砲かな?。」と思いながら第4回を読むと、なんと冥王星基地戦は端折られていてデスラーへの陥落報告だけで済まされてしまいます。
そしていきなり宇宙機雷に囲まれて「次号へ続く」・・・?。
子供の目からも、作者が大急ぎで話を進めようとしていることが分かりました。
「零士よ急げ、最終回まであとわずかしかない!。」と木村幌さんのナレーションが聞こえてきそうです(笑)。

続く第5回では冒頭で機雷群を突破し、オリオン座の罠を波動砲で切り抜けてワープしたら異次元断層に落ち込んでまた「次号に続く」。
この時点で残りはもう1回分しか残っていません。

第6回(最終回)では、ガミラス本土決戦の話とイスカンダル到着時の話はヤマトが事前に地球に送り込んだメッセージカプセルによる報告という形で簡単に済ませてしまい、あとはTVの最終回とほぼ同じ展開を描いて終わりました。

今考えれば、これは仕方のないことだったと思います。
「冒険王」は月刊誌ですから、TVアニメが全26話(半年間)だと描ける回数は全部で6回しかありません。
しかし、当初『宇宙戦艦ヤマト』は全39話(9ヶ月)の予定だったので、松本先生は9回に分けて描くつもりでいたはずです。
ところがアニメが全26話に短縮されてしまったため漫画の方も急遽全6回となり、異次元断層の話の途中から最終話までの間を全部すっ飛ばさざるを得なくなったのです。
【加筆】

そのため、連載終了後に発売されたコミックス版には「異次元断層からの脱出」「ハーロックと名乗る黒装束の男との接触」「ドメル将軍の自爆」といったエピソードが加筆されていました。
いずれも、全9回を予定していた時には描く予定でいたものの、アニメが短縮されたために削除せざるを得なかった部分です。

私は古代守がキャプテン・ハーロックとなって再登場することには正直抵抗を感じていたのですが、松本先生の漫画版では右目に眼帯と頬に傷があるお馴染みのスタイルではなく、単に黒装束姿の男として描かれていたため違和感はほとんど感じませんでした。
アナライザーの分析では、ハーロック(古代守)は大ケガと宇宙放射線病のため身体のほとんどをサイボーグ化しており、その醜い姿を見られたくないからだろうとのことです。
そんな古代守が、偶然接触した艦(ヤマト)に尊敬する上官と実の弟が乗っていたことを知ったときの気持ちはどんなものだったのでしょう?。

沖田艦長がハーロック(古代守)との別れ際に送った言葉はただ一言。
「死ぬな」
これは松本先生の漫画版『宇宙戦艦ヤマト』の中で最もカッコ良く、そして最も切ない場面でした。
アニメ版でも納谷悟朗さんの声でこのセリフを聴きたかったです。
【永遠のジュラ編】

松本先生はかなり『宇宙戦艦ヤマト』に思い入れ(あるいは思い残し?)があったらしく、TVアニメ終了から約1年後の’76年、青年向け漫画雑誌「プレイコミック」に番外編『永遠のジュラ編』を執筆します。
内容はテレパシー能力を持つデスラー総統の元妻:メラとその娘:ジュラがヤマトに精神攻撃を仕掛けるというもので、各乗組員が心の奥底に秘めている不安感や罪悪感を刺激して悪夢を見させ、イスカンダルへの航海を断念させようとする話です。

このとき、沖田艦長はこれまでの戦闘で死なせてしまった部下たちの亡霊と対峙します。
その死んだ過去の仲間や部下の名前が全てアニメ版スタッフの名前であることに思わず吹き出してしまいました。
特に「ああ、君は西崎司令官!」のセリフは、後年の松本氏と西崎氏の関係を知っていれば3倍笑えます。
この頃はまだ仲良くやっていたのでしょうかね(哀)。

森雪が見た悪夢は何故か無数の触手に身体をからめとられるというえっちな感じのもので、しかも雪は思わず「は・・・」と艶っぽい声を上げています。
雪は男ばかりのヤマト艦内でただ一人の女の子ということで、無意識のうちに性的な警戒心を抱いていたのでしょうか?。
これはアナライザーにスカートめくりされるよりも遥かにエロい描写です。

『永遠のジュラ編』に出てくるデスラーは、心を読まれてしまうことに嫌気がさして幽閉していたサイレン人の元妻と娘にヤマトへ精神攻撃を仕掛けさせ、もし失敗したら殺してしまおうという、最低なクズ野郎として描かれています。
『さらば宇宙戦艦ヤマト』以後の気取ったデスラーしか知らないファンが見たら幻滅すること請け合いです(笑)。
【空想科学絵物語版】

こちらは小学館の学習雑誌「小学五年生」昭和49年11月号から翌年4月号まで連載された読み物です。
絵師はもちろん松本零士先生で、文章はアニメ本編に企画段階から参加していた脚本家の藤川桂介さんでした。
私は当時四年生だったためこれを読むことは出来ませんでしたが、復刻版コミックに全話掲載されていて今回初めて目にすることが出来ました。

こちらもアニメの話数短縮のあおりを受けて、「冒険王」と同様に話の途中(七色星団決戦まで)で終わってしまいました。
ガミラス本土決戦やイスカンダル到着の話は、ラスト30行ほどの文章で簡単にまとめられています。
ひおあきら版『宇宙戦艦ヤマト』

松本零士先生とは別に、ひおあきら先生が初期企画案をベースに独自の解釈で描いた『宇宙戦艦ヤマト』。
これを読んだのはたしか中学1年の時でした。
もちろん、本屋で全巻立ち読みしたことは言うまでもありません(笑)。

ひおあきら先生の『宇宙戦艦ヤマト』は、なんといっても下腹部がぷっくり膨らんだメタボなヤマト(笑)が特徴的です。
ひお先生はヤマトを軍艦というより小沢さとる先生のサブマリン606のような潜水艦のイメージで捉えていたのかも知れません。

内容は初期の全39話構成案をベースにしていたらしく、古代守がキャプテンハーロックと名乗りほぼ設定通りの姿で登場します。
また、冥王星基地攻略戦はブラックタイガー隊が低空飛行で近づいて攻撃するという、『トップガン マーベリック』みたいな戦法だったと記憶しています。
聖悠紀版『宇宙戦艦ヤマト』

『超人ロック』の聖悠紀先生が描いたコミカライズ版です。
実はこの漫画版は読んだことはありません。
しかし、大事なことはこの漫画が雑誌「テレビランド」に掲載されていたという点です。
「テレビランド」の発売元は徳間書店です。
そして徳間書店と『宇宙戦艦ヤマト』といえば・・・?。
【ムック本】

そうです。
当時のヤマトファンならほとんどの人が持っていたであろう「ロマンアルバム 宇宙戦艦ヤマト」です!。
今はもう手元にありませんが、当時は私も持っていました。
値段を見ると480円となっています。
中学生にとっては結構な値段ですが、立ち読みだけではどうしても我慢できなくて買ってしまいました。
アニメでは語られることのなかった細かな設定(例えばキャラクターの年齢など)はこの本で初めて知りました。
余談になりますが、この本を同じアニメ・特撮好きな友達にしばらくのあいだ貸したとき、そいつの弟が勝手にピンナップを切り取ってしまったため同じ本を弁償してもらったというほろ苦い思い出も残っています。

ロマンアルバム『宇宙戦艦ヤマト』の好評がきっかけとなり、徳間書店は今もなお発行されつづけている月刊アニメ雑誌「アニメージュ」を創刊します。
「アニメージュ」はアニメファンの重要な情報源となり、さらに徳間書店は自らが主体となって『風の谷のナウシカ』など宮崎駿監督作品を制作するなどしてアニメ業界全体を牽引する存在になっていきます。

それに対し「冒険王」(秋田書店)は、せっかく松本零士先生のコミック版掲載というアドバンテージを有していながらその後のヤマトブームにうまく乗ることが出来ず、1983年(『ヤマト完結編』公開の年)には廃刊となってしまいました。
どちらも『ヤマト』のコミカライズを扱った出版社でありながら、どうしてこれほどハッキリ明暗が分かれたのでしょうか?。
その理由は、両社編集者の『宇宙戦艦ヤマト』という作品に対するリスペクト精神の差だったように思います。

「ロマンアルバム」の話が出たところで、当時私が買ったムック本をもう一冊紹介しておきます。
講談社から発売された「TV MOOK 宇宙戦艦ヤマト」です。
値段は680円とロマンアルバムよりやや高めでしたが、オールカラーページで値段相応の価値は十二分にありました。
ロマンアルバムのピンナップ事件があったためこの本は友人に貸すことはしませんでしたが、買ったその日に彼が私の家に来て夜遅くまで一緒に読んだという懐かしい思い出が残っています。

この本は、背表紙に書かれたメッセージが最高にカッコ良かったです。
きみは見たか あの若者たちの旅を
きみは覚えているか あの若者たちの艦(ふね)を
きみは語りつづけられるか あの若者たちへの感動を
人生には 永遠に忘れてはならないものがある
この文章を書いたのは松本零士先生でしょうか。
私も何度も読み返してアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の記憶を掘り起こしておりました。

ムック本ついでに、制作元のオフィス・アカデミーから出版された「宇宙戦艦ヤマト 全記録集」についても書いておきます。
ヤマトブームが最高潮に達した昭和53年春頃に発売されたもので、ビジュアルストーリー編/設定資料集/シナリオ集の三冊に分かれており3冊揃えると7,800円にもなる高価な本でした。
当時中学2年だった私は欲しくて仕方なかったのですが、映画も見に行きたいレコードも欲しい漫画本だって買いたい・・・となると当時のお小遣いではどう頑張っても無理でした。
それでも、大学生のとき1年上の先輩が三冊で3,000円という破格値で譲ってくれました。
この先輩は『さらば』『永遠に』のデラックス本と後述する熱血小説版まで持っていた筋金入りのヤマトファンだった人ですが、このときはかなりお金に困っていたらしく「『さらば』と『永遠に』もあるけどどうだ?」と勧められました。
私は一作目にしか興味が無かったので丁重にお断りしましたが、『完結編』公開後『ヤマト』に愛想を尽かした人が増えたのか、結構な数の先輩たちが後輩に『ヤマト』関連商品を売り付けようとしていた覚えがあります。
その先輩たちは、まるで自分がかつてヤマトファンだったことを恥じているかのようにも見えました。
6年越しでようやく手に入れた全記録集でしたが、当時はページを開くことはほとんどありませんでした。
もちろん一作目の『ヤマト』は中学時代から変わることなく好きでしたが、大学生になった私の興味は自主映画制作とオーディオの充実と「彼女が欲しい」の3点に集約されていたのです。
【小説版】
続いて、漫画版以上に種類が多かった小説版の紹介です。
漫画やムック本は親には絶対に買ってもらえないため自分のお小遣いやお年玉で買うしかなかったですが、小説の場合は親の反応が全然違ってました。
「小説を買いたいからお金ちょーだい」と言えば、たとえその中身が『宇宙戦艦ヤマト』であったとしても喜んで千円札を出してくれたのです(笑)。
ただし、買ってきた本は母がレシートと照らし合わせて漫画本が混じっていないかチェックを受けました。
それまで何度も勝手に漫画本を買って怒られたことがあったため、全然信頼されてなかったのです(笑)。
でも、文庫本は本屋さんが店名入りの紙カバーを付けてくれるため、表紙絵が『ヤマト』であることはバレませんでした。
母はパラパラッと本をめくって文字ばかりなのを確認しただけで「この頃よく本読むようになったね」とちょっと嬉しそうでした(汗)。
どうして私は、アニメだけでは飽き足らず小説版(ノベライズ)にまで手を出したのか?。
それはTVアニメ全26話を観ただけでは理解しづらい登場人物の心境変化に筋道を通したいと考えていたからでした。
ぶっちゃけて言えば、アニメ版では主人公:古代進の性格設定が各話ごとにコロコロ変わるため、彼がその時ごとに何を思っているのかが小説版なら詳しく書かれているに違いないと思ったからです。
ところがどっこい!。
私が最初に買って読んだ小説版『宇宙戦艦ヤマト』は、よりによってこの本でした!。

豊田有恒先生によるアニメ初期企画段階の原案を元に石津嵐先生が書いた朝日ソノラマ発行の小説です。
実はTVアニメ放送中の昭和49年には既に発売されていたらしいのですが、昭和52年のヤマトブームを受けて元は上下巻構成だったものを一冊にまとめて再発売された文庫版です。
この石津版小説。
読んだことがある人なら分かると思いますが、TVアニメ版に親しんだ者には「もう二度と読みたくない!」と思わせるほどのトラウマを与えてくれる内容です。
最初のうちはアニメ版とそれほど大きな違いはないですが、ヤマトがイスカンダルに向けて出発してからはアニメ版からは想像も出来ない鬱展開が連続します。
一番ショックを受けたのは、島が森雪にラブレターを出して思いっきりフラれたことで自暴自棄に陥ってヤマトを脱走してしまい、ガミラスにサイボーグ化されて送り返されてくるというくだりです。
島は艦内で爆破工作を繰り返し、島の正体に気付いた真田さんを殺してしまいます。
沖田艦長が島が敵のスパイだと見破り、そして親友の古代が島を射殺します。
これを読んだあとは、再放送で島をまともに見られなくなりそうでした。
次に驚いたのは、古代守が生きていてキャプテン・ハーロックと名乗って再登場したときです。
もちろん、当初はTVアニメ版でも「古代守がハーロックとなってヤマトを助ける予定だった」ことはこのとき既にムック本か何かで読んで知っていました。
この小説版で驚くべきはそのあとです。
なんと、古代守は沖田艦長の実の息子でした。
理由については失念しましたが、沖田は守がまだ幼い頃に親友だった古代の両親のもとへ養子に出していたのでした。
さらにイスカンダルとガミラスとの関係についてもTVアニメ版とは全く違っていました。
イスカンダル人はとっくの昔に絶滅していて、スターシアとはイスカンダル星全体を制御しているコンピューターでした。
そしてガミラス人はイスカンダルを護るために造られた人工生命体であり、遠い将来地球人が宇宙へ進出してきた時にはイスカンダルの脅威になり得ると判断して放射能爆弾による地球滅亡を図ったのです。
そしてスターシアは「放射能に汚染された地球を元に戻すことは出来ない。人間のほうが放射能の中でも生きられるように人体改造を施すしかない。」とあんまりな結論を提示してきます。
(この設定は山崎貴監督の実写映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』で引用されています)
最後にヤマトは、諸悪の根源であるイスカンダル星そのものを波動砲で破壊します。
その際、ヤマト自身も惑星の爆発から逃れることは出来ないと判断した沖田艦長は、古代と雪をハーロックの宇宙船に乗せて地球へ帰します。
なんともはや、『宇宙戦艦ヤマト』の名を借りた宇宙SFホラーみたいな内容でしたが、私には一点だけ納得出来る部分がありました。
それは「ヤマトという船を消滅させ、波動エンジンや波動砲といった2199年の人類が手にするにはまだ荷が重すぎるオーバーテクノロジーを地球に持ち帰らせない」という終わらせ方です。
アニメ版では波動エンジンを載せたヤマトが無事帰還したことで地球の文明進化スピードが大きく狂ってしまい、2作目3作目と進むにつれて大量の波動砲搭載艦だの無人艦隊だの非人間的なマシンが登場し続けます。
それはまるで、この小説版のイスカンダルのような世界へと向かっていくようにも見えました。

最初に読んでしまった小説版が石津版だったこともあり、しばらくは『ヤマト』から離れて別のSF小説ばかり読んでおりました。
ちょっと頭を冷やしたくなったのかも知れません(笑)。
その後、劇場版が公開された昭和52年夏、プロデューサーの西崎義展氏が構成を担当した真っ当なノベライズ版が発売されました。
TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』第10話までをまとめた「発進編」、11話から20話までの「死闘編」、そして21話から最終回までを収録した「回天編」の3部作です。
それぞれハードカバーのしっかりした製本になっていて、各巻の冒頭部にはカラーページでアニメの場面写真が挿絵代わりに掲載されていました。
ただし、値段は一冊800円。
中学生のお小遣いではとても買えません。
そのため、3冊とも本屋さんで立ち読み読破しました(笑)。
西崎プロデューサーの名前で出てはいますが、内容はアニメの脚本をベースにそのまま小説化しただけのものだったように記憶しています。
残念だったのは、アナライザーのスカートめくりなど本筋とは関係ないお遊び部分が全部カットされていたことです。
アニメ版『ヤマト』が持っていたゆとりの部分が削り取られてしまって無味乾燥なものになっていました。
3冊目を読み終えたとき、「お金を出して買わなくて良かった」と心の底からそう思いました(笑)。

次に買った『宇宙戦艦ヤマト』小説版は、続編『さらば宇宙戦艦ヤマト』公開後に集英社から発売された若桜木虔先生の小説(文庫本)です。
確か同じ若桜木先生による『さらば~』の小説版と同時発売だったように記憶していますが、私は『さらば宇宙戦艦ヤマト』には最初に見たときから嫌悪感しかなかったため一作目しか読んでいません。
先に書いたように、私はTVアニメ版の古代進の性格の破綻ぶりが気になっていて、その点を一貫したものとして脳内補完したいと考えて小説版を読み漁っていました。
その点では、若桜木虔先生の小説版は私が求めていた内容そのものでした。
なぜなら、若桜木先生の小説版は全編古代進の視点で書かれていたからです。
兄を見殺しにしたと沖田を逆恨みした序盤から次第に尊敬の念に変わっていき、太陽圏離脱時のパーティーでお互いに身寄りがいないことから親近感も抱くようになります。
昆虫好きの大人しい少年だった古代進が両親の死をきっかけに敵への憎しみを燃やし、兄に負けない戦士になろうと努力してきたこれまでの彼の心情が本人の言葉で語られていました。
作中の古代が、沖田の指揮に従いながら「見習わなくては!」と何度も心の中で呟いていたのが今も記憶に残っています。
「小説として面白いか?」と訊かれると答えを濁すことになりますが(汗)、古代進の心の動きを一貫したものとして読ませてくれた点においては評価しています。

最期に紹介するのは、戦前から少年科学冒険小説の第一人者として活躍した高垣眸氏の書きおろし「熱血小説 宇宙戦艦ヤマト」です。
発売されたのは昭和54年。
アニメでは『新たなる旅立ち』が放映された年です。
当時オフィス・アカデミーは一作目や『さらば~』の豪華本(ビジュアルストーリーや設定資料集をまとめたもの)を通販限定で発売して荒稼ぎしていました。
この小説版もそのうちの一つで通販でしか買えない本でした。
値段はなんと1,600円。
当時の私は続編続編また続編の『ヤマト』に愛想が尽き果てていたため、1,600円も払ってまで読みたいとは1ミリも思いませんでした。
しかし、全記録集3冊を安く譲ってくれた大学の先輩が何故かこの本も持っていて、その先輩から借りて読んでみました。

読んだ印象として強く記憶に残っている・・・というよりひどく奇異に感じたのは、沖田艦長が昔の戦艦大和のことを「大和こそ世界最強の戦艦だった。」と必要以上に賞賛する場面があったことです。
アニメでは「あの悲劇を繰り返してはならない」と反面教師的な扱いで語っていたはずなのにその真逆なのです。
それ以外にも、まるで軍国主義を称賛するかのような危ない表現が頻繁に出てきたように思います。
『宇宙戦艦ヤマト』TVアニメ第一作は、戦艦大和の生まれ変わりという題材を扱いながらも・・・いや、だからこそ「絶対に戦争賛美アニメにしてはならない!」という松本零士先生の強い意志によって絶妙なバランス感覚で作りあげられた作品です。
それなのに、その公式ノベライズ版でこうもあっさり軍国主義を肯定してしまうとは・・・?。
でも、考えてみれば執筆者の高垣眸氏は明治31年生まれ。
若い頃は当然バリバリの軍国主義者であったでしょうし、大日本帝国時代の感覚が肌身に染み込んでいたであろう人物です。
「日本の発展のために他国から土地や物資を奪うことは正義である」「日本人なら愛する者を守るために特攻するのは当たり前」と心の底から信じ込んでいても不思議ではありません。
しかも、デスラー総統をはじめガミラス人全員を人間性が一切無い極悪人として書いているため、ヤマトがどれだけ無慈悲にガミラスを叩きのめしても心が痛むことは全くありません(笑)。
「ヤマト(=日本)が絶対的正義である」というこの老齢の作家の世界観がベースとなっている小説だったと思います。

ただ、思想的な点はともかく、アニメ版には居なかったオリジナルの乗組員が登場したりしてそれなりに新鮮な気分で読めたことは確かです。
しかし、なにしろ戦前に活躍した作家さんが書いたものなので、SF小説として読むにはかなりの苦痛を伴います。
ヘリコプターが宇宙空間を飛んだときには流石に読むのを止めようかと思いました(笑)。

もう一つ、印象に残っているオリジナルエピソードがあります。
大昔にイスカンダル人の女性が地球(それも日本)を訪れたことがあって、その出来事が地球では「天の羽衣伝説」として語り継がれているという話です。
その女性はイスカンダルに無事帰ってきましたが、スターシアはそれを縁と考えて地球の危機を救うことを決めたのでした。
アニメ版第15話で描かれたマゼラニックストリームの設定と合わせて考えると、これはこれで面白いと思います。

あと、ラストで放射能除去装置を作動させて一度死んだ森雪を、古代が人工呼吸(つまりチュウ)して蘇生させる場面にはなんとも言えないエロさを感じました。
そして最後はコスモクリーナーを持ち帰って地球を救っただけでなく、その後ヤマトは地球とイスカンダルを結ぶ定期便になるという、いかにも昭和初期の作家さんらしい牧歌的な締めくくりでした。
ある意味、石津嵐先生の『宇宙戦艦ヤマト』とは対極を成す小説だったように思います。
一回読んだだけなので記憶に不明瞭な部分もありますが、読んでから40年近く経ってもこれだけ覚えているということはそれなりに面白い小説だったのかも知れません。
でも、「もう一回読みたい」とは1ミリも思いませんけど(笑)。
6週間に渡って綴ってきた私の『宇宙戦艦ヤマト』偏愛記事もこれにて一旦終了です。
私自身、今回『ヤマト』の思い出をとことん掘り起こしたことで、夢中になって見ていた小中学生時代の思い出が(母と祖母の事故という辛い記憶も含めて)鮮明に蘇ってきました。
結構大変ではありましたが、書いて本当に良かったと思っています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
m(__)m