週刊映画鑑賞記(2022.11/14~2022.11/20)
毎週日曜日はこの一週間に観た映像作品を日記代わりに書き留めています。
今週観た映画はこの2本。

一つは、今をときめく人気アニメ監督の最新作。
そしてもう一つは、50年以上前に割腹自決した天才作家のドキュメンタリー。
このあまりの振れ幅の大きさに我ながら笑ってしまいます。
11/14(月)
『すずめの戸締り』🈠
(劇場:イオンシネマ白山)

『君の名は。』『天気の子』で一躍有名になった新海誠監督の最新作。
この日は午後から石川県野々市(ののいち)市でお仕事でした。
午前中はスケジュールがガラ空きだったため、仕事の前に白山市(野々市のお隣)のイオンシネマでこのアニメを観てから行くことにしました。
仕事前にアニメ映画とは「流石は俺!」って感じです(笑)。
現在秋の繁忙期真最中にある私としては映画館に行けるチャンスはこういう時くらいしかありません。
アニメ好きの妻も前から楽しみにしていた映画だったので出来れば一緒に行きたかったのですが、彼女は月曜は仕事が休めないうえに、そもそも今回の私は仕事へ行くついでなので無理でした。
それで「悪いけど・・・。」と言ったら妻からは意外な返事が!。
「いいよ、あたしはもう土曜に見てきたから。」
早っ!。
流石は中高生時代に雑誌「アニメージュ」に投稿が載ったことがあるという筋金入りのアニメ好きです。
妻曰く、「前の『天気の子』は全然ダメだったけど、アマゾンプライムで冒頭12分を見てビビッときた。」「凄く良かった。もう一回観にいきたいくらい。」とのことでした。
私も新海監督作品については、内容は良くても音の演出(特に音楽の使い方)が毎回酷くて警戒していたんですが、その点でも彼女の太鼓判が押されたことで安心して見に行けました。

私が観たのは朝9時35分の回。
イオンモール開館前なので映画館へ直通のエレベーターでロビー入りし、事前に予約していたチケットを発券しました。
ここのシアター8はドルビーアトモス対応ですが、残念ながら『すずめの戸締り』はアトモス音響仕様ではなかったです。

平日の午前中だというのに観客はかなりの数が入っていました。
いつもの「NO MORE 映画泥棒」上映中に周囲を見渡すと、後部の座席はほぼ満員で私が座った中央部も数席だけ残してほとんど埋まっていました。
満席とまではいかなかったものの、キャパ176席のうち3分の2くらいは入っていたように思います。

地震発生の原因となる龍脈を抑えるため日本全国を渡り歩き、次元の扉を閉じて回っているイケメン大学生+閉じ師の宗像草太と出会った鹿児島の女子高生:岩戸鈴芽(すずめ)。
彼女は幼少時代別の土地に住んでいたときに次元の扉をくぐり抜けたことがあったのですがその記憶はハッキリしません。

今は廃墟となった観光施設に発生した扉を見つけたすずめはそこにあった「要石」と呼ばれるネコ型の物体を引き抜いてしまいますが、その後その扉から「ミミズ」と呼ばれる地震の発生源が出現!。
それを閉じようとする草太を助けて大地震発生を食い止めます。

ネコのような動物に変化した要石は草太を壊れた椅子に変身させると、まるで自分を追いかけさせたいかのようにSNSに自らの情報を晒しながら四国、神戸、そして東京と日本各地に出没するようになります。
すずめと壊れた椅子の姿の草太は、それぞれの土地で次元の扉を閉じながらSNS上で「ダイジン」と名付けられたネコを追うことに・・・。

「地震の発生源である龍脈を抑える要石」といえば、私は荒俣宏先生の『帝都物語』の二宮金次郎の石像を連想してしまいます。
多分、あれと同じようなものだろうと思いながら見ておりました。

ネタバレを避けるため明記はしませんが、思った通り、すずめと草太はやはり最終的にあの場所へと行きつきました。
あれから11年。
比喩としてではなく、真正面からあの災害に向き合ったアニメ映画を見たのはこれが初めてのような気がします。

ただ、一部気になった部分がありました。
神戸で一晩過ごしたとき、ミミズが原因の軽い地震が起きるのですが神戸の人たちのリアクションが薄すぎる気がしたのです。
今から四半世紀前の阪神淡路大震災を経験した神戸の人を描くなら、「あれ、揺れた?。」だけで終わらせず「27年前の震災を思い出すわ~。」くらいのセリフがあって然るべきではないでしょうか。
せめてカラオケで「ギザギザハートの子守歌」を歌う世代のオジサンにはそんなセリフを言わせても良かったと思います。

当時の私は大阪でマスコミ関係の仕事をしていて、あの震災発生後は約2ヶ月間神戸のホテルに缶詰め状態にされて毎日ワイドショー番組の仕事に明け暮れていました。
私は焼け野原になった長田区の惨状も三宮のビル崩壊も淡路島の活断層もこの目で見てきたのです。
そのため、神戸の人の地震に対するリアクションがあっさりし過ぎていることと、あの阪神淡路大震災に全く触れようとしないことに違和感を覚えました。
新海監督は制作時にあの阪神淡路大震災のことを忘れていた(あるいは知らなかった)なんてことはないはずです。
「もう四半世紀も前なのでメイン客層である若い人は知らないだろうから触れないでおこう」とでも考えたのでしょうか?。

それと、四国から神戸へ移動する際、あまりにも都合よく神戸行きの女性の車に乗せてもらえたことに不自然さを感じました。
あの出会いも実はダイジンの差し金だったということなのでしょうか?。

今回は音楽の使い方が真っ当な感じで、感情移入や考察の妨げになるような酷い音楽演出が無かったのでごく自然に物語世界に没入出来ました。
新海誠監督の作品としてこれは大きな進歩です(笑)。
以前の『君の名は。』と『天気の子』では物語の大事な部分に限ってRADWIMPSの歌が前面に押し出されてきて、観客が自力で咀嚼するべき内容をおせっかいにも歌で代弁してしまうのが鬱陶しくて仕方なかったのです。
あれではもはや挿入歌ではありません。
RADWIMPSのミュージックビデオです。
特に『天気の子』のクライマックスでは、主人公の大事なセリフがボーカルにかき消されて聞こえにくかったほどで、新海監督の音響センスを心底疑っておりました。
今回は登場人物の心情表現を挿入歌に頼ることはせず、RADWIMPSの歌はエンディングとしてのみ使われています。
おかげで前2作とは違って素直に作品世界に没入することが出来ました。

その代わり、今作ではドライブ中に流す音楽やバーのカラオケで昭和の歌謡曲がやたらいっぱい流れてきます。
笑えたのは、懐メロを延々再生しながら運転する芹澤(草太の親友)に対して助手席の環(すずめの親代わりの叔母)が「歌がウルさい!」と文句を言う場面です。
あれは前作、前々作で「RADWIMPSの歌が邪魔!」という苦情が多かったことに対する反省でしょうか?(笑)。
結論としては、私ももう一回観に行きたいくらい良かったです。
ひとつだけ残念だった点は、最新のドルビーアトモス立体音響ではなかったこと。
上空へ伸びていく不気味なミミズや東京での道路横断アクション、そしてラストの異世界での戦いなど、立体音響が活きる場面はかなり多かったのですがね。
11/16(水)
『三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実~』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)

1969年5月。
東大の大講堂に全共闘左翼学生1000人が集まり、ゲストとして迎えた作家:三島由紀夫氏と激論を交わしました。
その模様をTBSが記録撮影したフィルムを元に作られたドキュメンタリー映画です。
恥ずかしながら、私は三島由紀夫氏の小説は一冊も読んだことはありません。
しかし、この日レコーダーの録画リストを眺めているうち、まるで何かに吸い寄せられるかのように決定ボタンを押していました。

三島由紀夫といえば、私にはあの有名なクーデターと割腹自殺だけでなく、映画『ゴジラ』(昭和29年版)について「ゴジラは太平洋戦争で散っていった英霊たちの象徴だ」と語ったことでも強く印象に残っている人です。
その三島氏が動き、喋り、笑う姿を見てみたい、というのが視聴の要因だったと思います。

三島氏が対峙する東大全共闘とは、「敗戦後の日本はアメリカの属国」「戦後の民主主義は欺瞞に満ちている」と、暴力に訴えて国政に抵抗しようとした集団であることくらいは理解しているつもりです。
しかし、3流大学出の私には彼らが熱く語る言葉のほとんどが「ちょっと何言ってるか分かんないっす」状態でした(汗)。
ただ、「あの三島を論破してこの場で切腹させてやる!」と敵意むき出しの過激派にも、「ボク賢いでしょ」的な不遜な態度を取る生意気なインテリ学生に対しても、真剣にそして丁寧な言葉で受け答えしてみせる三島由紀夫という人がとてつもなく大きな人に見えました。

3流大学出のこの私にもなんとか理解出来た・・・というか感じ取れた部分もありました。
それは「三島由紀夫という革命的作家と東大全共闘メンバーたちは、方法や方向性は違えども実は同じ相手と戦おうとしている同じ穴のムジナではないのか?」ということです。
少なくとも三島由紀夫氏のほうは、全共闘学生の中から「楯の会」メンバーとなって自分と共に戦ってくれる仲間を見つけ出そうとしているかのように感じました。

しかし、三島氏の想いは当時の東大生たちには通じませんでした。
三島氏が考えている日本という国の拠り所は「天皇の存在」にあったからです。
しかし、対する大学生たちからは天皇に関する話は一言も発せられませんでした。
考えてみれば当然です。
三島由紀夫氏は大正14年(1925年)生まれ。
少年期には「天皇陛下は現人神である」と軍国教育を受けて育ち、敗戦後「人間天皇」宣言を聞いた時の彼は今目の前にいる1000人の若者たちと同じくらいの年齢だったのです。
対する東大生たちは全員が戦後生まれで最初から「人間天皇」ありきで育ってきているため、戦前教育をベースとする三島氏との接点はほとんど無かったと思います。

最後に語った三島氏の言葉が私にはなんとなく哀しく聞こえました。
「君たちの熱情は信じる。他は何も信じないがそれだけは信じる。」
今週もお付き合いいただきありがとうございました。